古事記 中巻
忍熊王の反乱と気比大神
筑紫から大和へ帰る息長帯比売命は、御子が死んだと偽って喪船を仕立てる。待ち伏せた香坂王は祈狩の最中に猪に食い殺され、忍熊王は難波根子建振熊命の計略に敗れて琵琶湖に身を投げる。太子は角鹿で伊奢沙和気大神と名を取り替え、都に戻ると母が待酒を献じて酒楽の歌を歌う。
- 1こゝにこゝにここに息長帶比賣息長帶比賣おきながたらしひめののの命命みこと、、、倭倭やまとににに還還かえりりり上上のぼりますりますります時時ときににに、、、人人ひとののの心心こころ疑疑うたがはははしきにしきにしきに因因よりてりてりて、、、ををを一一ひとつつつ具具そなへてへてえて、、、御子御子みこををを其其そののの喪船喪船もふねににに載載のせまつりてせまつりてせまつりて、、、先先まづづず御子御子みこははははやくはやくはやく崩崩かむあがりましぬとりましぬとりましぬと言言いひひい漏漏くらさしめたまひきらさしめたまひきらさしめたまいき。。。かくしてかくしてかくして上上のぼりいでますりいでますりいでます時時ときににに、、、香坂香坂かごさかののの王王きみ、、、忍熊忍熊おしくまののの王王きみ聞聞ききてきてきて、、、待待まちちち取取とらむとらむとらむと思思おもほしてほしておして、、、ににに進進すすみみみ出出いててて、、、したまひきしたまひきしたまいき。。。こゝにこゝにここに香坂香坂かごさかののの王王きみ、、、ににに騰騰のぼりいましてりいましてりいまして見見みたまふにたまふにたまうに、、、大大おおきなるきなるきなる怒怒いかりりり猪猪い出出いでてでてでて、、、其其そののの歷木歷木くぬぎををを掘掘こりてりてりて、、、卽卽すなわちちち其其そののの香坂香坂かごさかののの王王きみををを咋咋くひつひつひつ。。。其其そののの弟忍熊弟忍熊おとおしくまののの王王きみ其其そののの態態わざをもをもをも畏畏かしこまずてまずてまずて、、、軍軍いくさををを興興おこししし待待まちちち向向むかひたまふときにひたまふときにいたまうときに、、、喪船喪船もふねににに赴赴むかひてひてひて空船空船むなしふねををを攻攻せめたまはむとすめたまはむとすめたまわむとす。。。かれかれかれ其其そののの喪船喪船もふねよりよりより軍軍いくさををを下下おろしてしてして戰戰たたかひきひきいき。。。此此こののの時忍熊時忍熊ときおしくまののの王王きみははは、、、難難かた波波なみののの吉師部吉師部きしべののの祖祖おや、、、ののの宿禰宿禰すくねををを將軍將軍いくさのきみとしたまひとしたまひとしたまい、、、太子太子ひつぎのみこののの御方御方みかたにににははは、、、丸邇丸邇わにののの臣臣おみののの祖祖おや、、、ののの命命みことをぞをぞをぞ將軍將軍いくさのきみとしたまひけるとしたまひけるとしたまいける。。。かれかれかれ追追おひひい退退そけてけてけて山代山代やましろににに到到いたれるれるれる時時ときににに、、、還還かえりりり立立たちてちてちて各各おのおの退退そかずてかずてかずて相戰相戰あいたたかひきひきいき。。。こゝにこゝにここに建振熊建振熊たけふるくまのののりてりてりて、、、「「「息長帶比賣息長帶比賣おきながたらしひめののの命命みことははは、、、はやくはやくはやく崩崩かむあがりましぬればりましぬればりましぬれば、、、更更さらににに戰戰たたかふべきことなしふべきことなしうべきことなし。。。」」」といはしめてといはしめてといわしめて、、、弓弦弓弦ゆずるををを絕絕たちてちてちて、、、欺欺いつわりてりてりて歸服歸服まつろひぬひぬひぬ。。。こゝにこゝにここに其其そののの將軍將軍いくさのきみすでにすでにすでに詐詐いつわりりりををを信信たのみてみてみて、、、弓弓ゆみををを弭弭はずししし兵兵つわものををを藏藏おさめてきめてきめてき。。。こゝにこゝにここにののの中中なかよりよりより設設まけたるけたるけたる弦弦つるををを採採とりりり出出いでてでてでて、、、(((一一いちににに。。。)))更更さらににに張張はりてりてりて追追おひひい擊擊うちきちきちき。。。かれかれかれ坂坂さかににに逃逃にげげげ退退しりぞきてきてきて、、、對對むききき立立たちてまたちてまたちてまた戰戰たたかひけるひけるいけるををを、、、追追おひひい迫迫せめめめ敗敗やぶりてりてりて、、、ににに出出いでてなもでてなもでてなも悉悉ことごとににに其其そののの軍軍いくさををを斬斬きりけるりけるりける。。。こゝにこゝにここに其其そののの忍熊忍熊おしくまののの王王きみ、、、伊佐比伊佐比いさひののの宿禰宿禰すくねととと共共ともににに追追おひひい迫迫せめらえてめらえてめらえて、、、船船ふねににに乘乘じようりりり海海うみににに浮浮うびてびてびて、、、歌歌うたひたまはくひたまはくいたまわく、、、率吾君率吾君いざあぎ 振熊振熊ふるくまががが 痛手負痛手負いたでおはずはずわずははは ののの 淡海淡海おうみののの海海うみににに 潛潛かずきせなきせなきせな吾吾あ ととと歌歌うたひてひていて、、、卽卽すなわちちち海海うみににに入入いりてりてりて共共ともににに死死しせたまひぬせたまひぬせたまいぬ。。。於是息長帶日賣命。於倭還上之時。因疑人心。一具喪船。御子載其喪船。先令言漏之御子既崩。如此上幸之時。香坂王忍熊王聞而。思將待取。進出於斗賀野。爲宇氣比獵也。爾香坂王。騰坐歷木而是。大怒猪出。堀其歷木。卽咋食其香坂王。其弟忍熊王。不畏其態。興軍待向之時。赴喪船。將攻空船。爾自其喪船。下軍相戰。此時忍熊王。以難波吉師部之祖。伊佐比宿禰。爲將軍。太子御方者。以丸邇臣之祖。難波根子建振熊命。爲將軍。故追退到山代之時。還立各不退相戰。爾建振熊命權而。令云息長帶日賣命者既崩故。無可更戰。卽絕弓絃。欺陽歸服。於是其將軍既信詐。弭弓藏兵。爾自頂髮中。採出設弦。〈一名云宇佐由豆留〉更張追擊。故逃退逢坂。對立亦戰。爾追迫敗。出沙沙那美。悉斬其軍。於是其忍熊王。與伊佐比宿禰。共被追迫。乘船浮海。歌曰。伊奢阿藝。布流玖麻賀。伊多弖淤波受波。邇本杼理能。阿布美能宇美邇。迦豆岐勢那和。卽入海共死也。
- 2かれかれかれ建內建內たけうちののの宿禰宿禰すくねののの命命みこと、、、其其そののの太子太子ひつぎのみこををを率率いてまつりててまつりててまつりて、、、御禊御禊みそぎせむとしてせむとしてせむとして、、、淡海淡海おうみまたまたまた若狹若狹わかさののの國國くにををを經經へししし時時ときににに、、、高志高志こしののの前前みちのくちののの角鹿角鹿つぬがににに、、、假宮假宮かりみやををを造造みやつこりてませまつりきりてませまつりきりてませまつりき。。。かれかれかれ其地其地そこにますにますにますののの大神大神おおかみののの命命みこと、、、夜夜よるののの夢夢いめににに見見みえてえてえて、、、「「「吾吾あががが名名なををを御子御子みこののの御名御名みなににに易易かへまくへまくえまく欲欲ほししし。。。」」」とのりとのりとのり給給たまひきひきいき。。。かれかれかれ言禱言禱ことほぎてぎてぎて、、、「「「恐恐かしこししし、、、命命みことのののまに〳〵まに〳〵まにまに易易かへまつらむへまつらむえまつらむ。。。」」」とまとまとまをををしきしきしき。。。またまたまた其其そののの神神かみ詔詔のりたまはくりたまはくりたまわく、、、「「「明日明日あすののの旦濱旦濱あしたはまにいでますべしにいでますべしにいでますべし、、、易名易名なかえののの幣獻幣獻いやじりたてまつらむらむらむ。。。」」」とのりたまひきとのりたまひきとのりたまいき。。。かれかれかれ旦濱旦濱つとめてはまにいでませるにいでませるにいでませる時時ときににに、、、鼻毀鼻毀はなやぶれたるれたるれたる、、、既既すでににに一浦一浦ひとうらににに依依よれりれりれり。。。こゝにこゝにここに御子御子みこ、、、神神かみににに申申もうさしめさしめさしめ給給たまはくはくわく、、、「「「我我あににに御食御食みけののの魚給魚給なたまへりへりえり。。。」」」ととと申申もうさしめたまひきさしめたまひきさしめたまいき。。。かれまたかれまたかれまた其其そののの御名御名みなをををたゝへてたゝへてたたえて、、、とまとまとまをををすすす。。。かれかれかれ今今いまににに氣比氣比けひののの大神大神おおかみとなもまとなもまとなもまをををすすす。。。またまたまた其其そののの入鹿魚入鹿魚いるかののの鼻鼻はなののの血臭血臭ちくさかりきかりきかりき。。。かれかれかれ其其そののの浦浦うらををを血浦血浦ちうらといひしといひしといいしををを、、、今今いまはははとぞいふなるとぞいふなるとぞいうなる。。。故建內宿禰命。率其太子。爲將禊而。經歷淡海及若狹國之時。於高志前之角鹿。造假宮而坐。爾坐其地伊奢沙和氣大神之命。見於夜夢云。以吾名欲易御子之御名。爾言禱。白之恐隨命易奉。亦其神詔。明日之旦應幸於濱。獻易名之幣。故其旦幸行于濱之時。毀鼻入鹿魚。既依一浦。於是御子令白于神云。於我給御食之魚。故亦稱其御名。號御食津大神。故於今謂氣比大神也。亦其入鹿魚之鼻血臭。故號其浦謂血浦。今謂都奴賀也。
- 3こゝにこゝにここに還還かえりりり上上のぼりませるりませるりませる時時ときににに、、、其其そののの御祖御祖みおや息長帶比賣息長帶比賣おきながたらしひめののの命命みこと、、、ををを釀釀かみてみてみて獻獻たてまつらしきらしきらしき。。。かれかれかれ其其そののの御祖御祖みおやののの御歌御歌みうた、、、此此こののの御酒御酒みきははは 吾吾あががが御酒御酒みきならずならずならず 酒酒くしののの上上かみ 常世常世とこよにいますにいますにいます 石立石立いわたたすたすたす ののの 神壽神壽かむほぎぎぎ 壽壽ほぎぎぎ狂狂くるほしほしほし 豐壽豐壽とよほぎぎぎ 壽壽ほぎぎぎ廻廻めぐししし 獻獻まつりりり來來きししし 御酒御酒みきぞぞぞ 涸涸あさずさずさず食食おせせせ さゝさゝささ かくかくかく歌歌うたはしてはしてわして、、、大御酒獻大御酒獻おおみきたてまつらしきらしきらしき。。。こゝにこゝにここに建內建內たけうちののの宿禰宿禰すくねののの命命みこと、、、御子御子みこののの爲爲ためににに答答こたへまつれるへまつれるえまつれる歌歌うた。。。このこのこの御酒御酒みきををを 釀釀かみけむみけむみけむ人人ひとははは そのそのその鼓鼓つづみ 臼臼うすににに立立たてててててて 歌歌うたひつゝひつゝいつつ 釀釀かみけれかもみけれかもみけれかも 舞舞まひつつひつついつつ 釀釀かみけれかもみけれかもみけれかも 此此こののの御酒御酒みきののの 御酒御酒みきののの あやにあやにあやに轉樂轉樂うたたぬししし さゝさゝささ 此此こはははののの歌歌うたなりなりなり。。。すべてこのすべてこのすべてこの帶中津日子帶中津日子たらしなかつひこののの天皇天皇すめらみことののの御年五拾貳歲御年五拾貳歲みとしいそじまりふたつ、、、御陵御陵みはかははは河內河內こうちのののにありにありにあり。。。於是還上坐時。其御祖息長帶日賣命。釀待酒以獻。爾其御祖御歌曰。許能美岐波。和賀美岐那良受。久志能加美。登許余邇伊麻須。伊波多多須。須久那美迦微能。加牟菩岐。本岐玖流本斯。登余本岐。本岐母登本斯。麻都理許斯。美岐叙。阿佐受袁勢。佐佐。如此歌而獻大御酒。爾建內宿禰命。爲御子答歌曰。許能美岐袁。迦美祁牟比登波。曾能都豆美。宇須邇多弖弖。宇多比都都。迦美祁禮加母。麻比都都。迦美祁禮加母。許能美岐能。美岐能。阿夜邇宇多陀怒斯。佐佐。此者酒樂之歌也。凡帶中津日子天皇之御年伍拾貳歲。御陵在河內惠賀之長江也。
現代語訳
さて息長帯比売命は、大和へ帰り上られるとき、人々の心が疑わしかったので、喪船(棺を載せる船)を一艘用意して、御子をその喪船にお乗せし、まず「御子はすでにお亡くなりになった」と言いふらさせた。こうして上っていかれるとき、香坂王と忍熊王がこれを聞いて、待ち受けて討ち取ろうと思い、斗賀野に進み出て、うけい狩り(占いの狩り)をなさった。すると香坂王が櫟の木に登って見ていると、大きな怒り狂った猪が出てきて、その櫟の木を掘り倒し、すぐにその香坂
王を食い殺してしまった。その弟の忍熊王は、その不吉なしるしも恐れずに、軍勢を起こして待ち構え、喪船に向かって空の船を攻めようとした。そこでその喪船から軍勢を下ろして戦った。このとき忍熊王は、難波の吉師部の祖、伊佐比宿禰を将軍とし、太子の側では、丸邇臣の祖、難波根子建振熊命を将軍とした。そして忍熊王の軍を追い退けて山代に着いたとき、敵は引き返して踏みとどまり、互いに退かずに戦った。そこで建振熊命は計略をめぐらし、「息長帯比売命はすでにお亡くなりになったので、もう戦う必要はない」と言わせて、弓の弦を断ち切り、偽って降伏した。すると敵の将軍はすっかりその偽りを信じて、弓の弦をはずし、武器をしまってしまった。そこで、髪の中に隠しておいた予備の弦を取り出して(一説に宇佐由豆留という)、あらためて弓に張って追撃した。そこで敵は逢坂に逃げ退き、向かい合ってまた戦ったが、追い詰めて打ち破り、沙沙那美に出て、その軍勢をことごとく斬った。そこで忍熊王は、伊佐比宿禰とともに追い詰められて、船に乗って湖に浮かび、歌われた歌は、
さあ、わが君よ。振熊の手にかかって痛手を負うくらいなら、にお鳥のように、近江の湖に潜って死のうではないか、われらは。
こう歌って、すぐに湖に入って、ともに死んでしまわれた。
さて建内宿禰命は、その太子をお連れして、禊をしようとして、近江と若狭の国を経て行ったとき、越の国の入口の角鹿(敦賀)に仮宮を造ってお住まわせした。するとその地にいらっしゃる伊奢沙和気大神の命が、夜の夢に現れて、「私の名を御子の御名と取り替えたい」とおっしゃった。そこで祝福のことばを述べて、「恐れ多いことです。お言葉のままにお取り替えいたしましょう」と申し上げた。またその神は「明日の朝、浜においでなさい。名を取り替えたしるしの贈り物を差し上げよう」とおっしゃった。そこでその朝、浜においでになると、鼻に傷を負ったイルカが、浦いっぱいに打ち寄せられていた。そこで御子は、神に「私に御食の魚をくださった」と申し上げさせた。そこでまたその神の御名をたたえて、御食津大神と申し上げる。それで今も気比大神と申し上げるのである。またそのイルカの鼻の血が臭かった。それでその浦を血浦といったのを、今は都奴賀(敦賀)というのである。
こうして都に帰り上られたとき、その母君の息長帯比売命が、待酒(帰りを待って醸した酒)を醸してお勧めになった。そのとき母君が歌われた歌は、
このお酒は、私のお酒ではありません。酒をつかさどる神で、常世の国にいらっしゃる、岩のように立っておられる少名御神が、神として祝い、踊り狂うほどに祝い、豊かに祝い、めぐりめぐって祝って、献上してきたお酒なのです。残さずに召し上がれ、さあさあ。
こう歌って大御酒をお勧めになった。そこで建内宿禰命が、御子に代わってお答え申し上げた歌は、
このお酒を醸した人は、その鼓を臼のように立てて、歌いながら醸したからでしょうか、舞いながら
醸したからでしょうか、このお酒の、このお酒の、なんとも楽しいことよ、さあさあ。
これは酒楽(さかほがい)の歌である。すべてこの帯中津日子天皇(仲哀天皇)のお年は五十二歳。御陵は河内の恵賀の長江にある。
意訳
新羅から帰った皇后と幼い御子(のちの応神天皇)を待ち受けていたのは、異母兄の香坂王・忍熊王でした。皇后は御子が死んだと偽って喪船を仕立て、敵を油断させます。香坂王が占いの狩りで猪に食い殺されたのは、戦の結末を告げる神意と受け取られました。
忍熊王との戦いでは、建振熊命が「皇后は亡くなった」と偽って弓の弦を切り、降伏したように見せかけます。敵が武器を収めたところで、髪の中に隠していた予備の弦を張って襲いかかるという策略でした。追い詰められた忍熊王は「振熊の手にかかるより、にお鳥のように湖に潜って死のう」と歌い、琵琶湖に身を投げます。
戦いのあと、太子は禊のために敦賀に赴き、そこで気比の大神と名前を取り替えます。浜いっぱいに打ち寄せたイルカは神からの贈り物でした。都に帰った太子を母の皇后が待酒で迎え、「この酒は常世の少名御神が祝って献上した酒です」と歌い、建内宿禰が「醸した人が歌い舞いながら醸したからか、なんと楽しい酒だろう」と答えます。宴の歌(酒楽の歌)として伝えられたものです。
語釈・文法注
- 喪船
- 「もふね」。棺を載せる船。御子が死んだと見せかけて敵を欺いた。
- 祈狩
- 「うけひがり」。狩りの獲物の様子で吉凶を占うこと。香坂王が猪に食い殺されたのは凶のしるし。
- 歷木
- 「くぬぎ」。クヌギの木。
- 斗賀野
- 所在は未詳。大阪府の辺りとする説、兵庫県の辺りとする説がある。
- 難波根子建振熊の命
- 丸邇臣(和珥氏)の祖。太子の側の将軍として、計略で忍熊王を破った。
- 伊佐比の宿禰
- 難波の吉師部の祖。忍熊王の将軍で、王とともに湖に身を投げた。
- 權りて
- 「たばかりて」。計略をめぐらして。
- 頂髮
- 「たきふさ」。頭の上の髪。束ねた髪の中に予備の弦を隠していた。
- うさゆづる
- 予備の弦。原文は「宇佐由豆留」と音で書く。
- 逢坂
- 山城と近江の境の逢坂山(滋賀県大津市)。
- 沙々那美
- 近江の琵琶湖南西岸の地。「さざなみ」は大津の辺りの古い地名。
- 鳰鳥の
- 「にほどり」はカイツブリ。水に潜る鳥なので「潜く」を導き、また琵琶湖(鳰の海)の「淡海」にかかる。
- 角鹿・都奴賀
- 福井県敦賀市。鼻の血が臭かった「血浦(ちうら)」が「つぬが」になったとする地名起源説話。
- 伊奢沙和氣の大神
- 敦賀の気比神宮の祭神。太子と名を取り替えた。
- 入鹿魚
- 「いるか」。イルカ。神から太子への贈り物。
- 御食津大神
- 食物を与える神。気比の大神の別名。
- 待酒
- 「まちざけ」。人の帰りを待って醸しておく酒。
- 少名御神
- 少名毘古那神。上巻で大国主神とともに国作りをし、のちに常世の国に去った神。酒の神としても信仰された。
- 酒樂の歌
- 「さかほがひのうた」。酒宴で歌われる祝いの歌。
- 惠賀之長江
- 仲哀天皇陵。大阪府藤井寺市の岡ミサンザイ古墳に治定されている。
文法
- 原文の「騰坐歷木而是」
- 底本の原文は「騰坐歷木而是」と刷る。通行本文も同じで、「是」は「見」の誤りかとする説がある。底本どおりとした。
- 原文の「伊多弖淤波受波」
- 「痛手負はずは」。痛手を負うくらいならの意。「ずは」は「…ないで」。
- 潛きせな吾
- 「せな」は意志・勧誘の「な」。「潜ろうよ、われらは」。
- 旦
- 底本の訓み下しは、神の言葉の「明日の旦」に「あした」、そのあとの「旦濱に」に「つとめて」とふりがなを付ける。どちらも朝の意。
- さゝ
- 酒を勧めるはやしことば。「さあさあ」。
歌謡
率吾君 振熊が 痛手負はずは 鳰鳥の 淡海の海に 潛きせな吾
- 詠者
- 忍熊王
- 状況
- 建振熊命の計略に敗れ、伊佐比宿禰とともに追い詰められて、琵琶湖に船を浮かべて詠んだ辞世の歌。
修辞
- 枕詞
- 「鳰鳥の」は「淡海」にかかり、また水に潜る鳥として「潜く」を導く。
此の御酒は 吾が御酒ならず 酒の上 常世にいます 石立たす 少名御神の 神壽ぎ 壽ぎ狂ほし 豐壽ぎ 壽ぎ廻し 獻り來し 御酒ぞ 涸さず食せ さゝ
- 詠者
- 息長帯比売命(神功皇后)
- 状況
- 都に帰った太子に待酒を勧めて歌った歌。
修辞
- くり返し
- 「ほき(祝い)」を四度くり返して、酒の霊威をたたえる。
- はやしことば
- 結びの「さゝ」は酒を勧めるはやしことば。
この御酒を 釀みけむ人は その鼓 臼に立てて 歌ひつゝ 釀みけれかも 舞ひつゝ 釀みけれかも 此の御酒の 御酒の あやに轉樂し さゝ
- 詠者
- 建内宿禰
- 状況
- 皇后の歌に、太子に代わって答えた歌。
修辞
- 対句
- 「歌ひつゝ釀みけれかも」「舞ひつゝ釀みけれかも」を対にする。
- はやしことば
- 結びの「さゝ」。
解説
忍熊王の反乱は、応神天皇の即位を正当化する物語です。天皇の位を継ぐはずの年長の皇子たちが、神意によって退けられ、母の胎内にいたときから国を治めることを約束された御子が勝利します。日本書紀でも同じ話が詳しく語られ、計略で勝つ武内宿禰(建内宿禰)の活躍が描かれています。
太子が気比の大神と名を取り替えた話は、応神天皇(品陀和気命)の名の由来をめぐる伝承です。日本書紀では、太子のもとの名が「去来紗別(いざさわけ)」で、神の名が「誉田別(ほむたわけ)」であったとする異説も載せています。敦賀の気比神宮は、北陸道の入口を守る重要な神社で、のちに越前国一宮とされました。
酒楽の歌は、宮廷の酒宴で歌われた歌が物語に取り入れられたものと考えられます。日本書紀にも同じ歌があり、のちの宮廷儀礼でも歌い継がれました。
関連
出典
- 底本
- 古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。202〜207頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
- 更新日