古典ライブラリー

古事記 中巻

忍熊王の反乱と気比大神

筑紫から大和へ帰る息長帯比売命は、御子が死んだと偽って喪船を仕立てる。待ち伏せた香坂王は祈狩の最中に猪に食い殺され、忍熊王は難波根子建振熊命の計略に敗れて琵琶湖に身を投げる。太子は角鹿で伊奢沙和気大神と名を取り替え、都に戻ると母が待酒を献じて酒楽の歌を歌う。

  1. 1こゝにこゝにここに息長帶比賣おきながたらしひめ息長帶比賣おきながたらしひめおきながたらしひめののの命みこと命みことみこと、、、倭やまと倭やまとやまとににに還かへ還かへかえりりり上のぼ上のぼのぼりますりますります時とき時ときときににに、、、人ひと人ひとひとののの心こころ心こころこころ疑うたが疑うたがうたがはははしきにしきにしきに因よ因よよりてりてりて、、、ををを一ひと一ひとひとつつつ具そな具そなそなへてへてえて、、、御子みこ御子みこみこををを其そ其そそののの喪船もふね喪船もふねもふねににに載の載ののせまつりてせまつりてせまつりて、、、先ま先ままづづず御子みこ御子みこみこははははやくはやくはやく崩かむあが崩かむあがかむあがりましぬとりましぬとりましぬと言い言いいひひい漏く漏くくらさしめたまひきらさしめたまひきらさしめたまいき。。。かくしてかくしてかくして上のぼ上のぼのぼりいでますりいでますりいでます時とき時ときときににに、、、香坂かごさか香坂かごさかかごさかののの王きみ王きみきみ、、、忍熊おしくま忍熊おしくまおしくまののの王きみ王きみきみ聞き聞きききてきてきて、、、待ま待ままちちち取と取ととらむとらむとらむと思おも思おもおもほしてほしておして、、、ににに進すす進すすすすみみみ出い出いいててて、、、したまひきしたまひきしたまいき。。。こゝにこゝにここに香坂かごさか香坂かごさかかごさかののの王きみ王きみきみ、、、ににに騰のぼ騰のぼのぼりいましてりいましてりいまして見み見みみたまふにたまふにたまうに、、、大おほ大おほおおきなるきなるきなる怒いか怒いかいかりりり猪ゐ猪ゐい出い出いいでてでてでて、、、其そ其そそののの歷木くぬぎ歷木くぬぎくぬぎををを掘こ掘ここりてりてりて、、、卽すなは卽すなはすなわちちち其そ其そそののの香坂かごさか香坂かごさかかごさかののの王きみ王きみきみををを咋く咋くくひつひつひつ。。。其そ其そそののの弟忍熊おとおしくま弟忍熊おとおしくまおとおしくまののの王きみ王きみきみ其そ其そそののの態わざ態わざわざをもをもをも畏かしこ畏かしこかしこまずてまずてまずて、、、軍いくさ軍いくさいくさををを興おこ興おこおこししし待ま待ままちちち向むか向むかむかひたまふときにひたまふときにいたまうときに、、、喪船もふね喪船もふねもふねににに赴むか赴むかむかひてひてひて空船むなしふね空船むなしふねむなしふねををを攻せ攻せせめたまはむとすめたまはむとすめたまわむとす。。。かれかれかれ其そ其そそののの喪船もふね喪船もふねもふねよりよりより軍いくさ軍いくさいくさををを下おろ下おろおろしてしてして戰たたか戰たたかたたかひきひきいき。。。此こ此ここののの時忍熊ときおしくま時忍熊ときおしくまときおしくまののの王きみ王きみきみははは、、、難かた難かたかた波なみ波なみなみののの吉師部きしべ吉師部きしべきしべののの祖おや祖おやおや、、、ののの宿禰すくね宿禰すくねすくねををを將軍いくさのきみ將軍いくさのきみいくさのきみとしたまひとしたまひとしたまい、、、太子ひつぎのみこ太子ひつぎのみこひつぎのみこののの御方みかた御方みかたみかたにににははは、、、丸邇わに丸邇わにわにののの臣おみ臣おみおみののの祖おや祖おやおや、、、ののの命みこと命みことみことをぞをぞをぞ將軍いくさのきみ將軍いくさのきみいくさのきみとしたまひけるとしたまひけるとしたまいける。。。かれかれかれ追お追おおひひい退そ退そそけてけてけて山代やましろ山代やましろやましろににに到いた到いたいたれるれるれる時とき時ときときににに、、、還かへ還かへかえりりり立た立たたちてちてちて各おのおの各おのおのおのおの退そ退そそかずてかずてかずて相戰あひたたか相戰あひたたかあいたたかひきひきいき。。。こゝにこゝにここに建振熊たけふるくま建振熊たけふるくまたけふるくまのののりてりてりて、、、「「「息長帶比賣おきながたらしひめ息長帶比賣おきながたらしひめおきながたらしひめののの命みこと命みことみことははは、、、はやくはやくはやく崩かむあが崩かむあがかむあがりましぬればりましぬればりましぬれば、、、更さら更さらさらににに戰たたか戰たたかたたかふべきことなしふべきことなしうべきことなし。。。」」」といはしめてといはしめてといわしめて、、、弓弦ゆづる弓弦ゆづるゆずるををを絕た絕たたちてちてちて、、、欺いつは欺いつはいつわりてりてりて歸服まつろ歸服まつろまつろひぬひぬひぬ。。。こゝにこゝにここに其そ其そそののの將軍いくさのきみ將軍いくさのきみいくさのきみすでにすでにすでに詐いつは詐いつはいつわりりりををを信たの信たのたのみてみてみて、、、弓ゆみ弓ゆみゆみををを弭はづ弭はづはずししし兵つはもの兵つはものつわものををを藏をさ藏をさおさめてきめてきめてき。。。こゝにこゝにここにののの中なか中なかなかよりよりより設ま設ままけたるけたるけたる弦つる弦つるつるををを採と採ととりりり出い出いいでてでてでて、、、(((一いち一いちいちににに。。。)))更さら更さらさらににに張は張ははりてりてりて追お追おおひひい擊う擊ううちきちきちき。。。かれかれかれ坂さか坂さかさかににに逃に逃ににげげげ退しりぞ退しりぞしりぞきてきてきて、、、對む對むむききき立た立たたちてまたちてまたちてまた戰たたか戰たたかたたかひけるひけるいけるををを、、、追お追おおひひい迫せ迫せせめめめ敗やぶ敗やぶやぶりてりてりて、、、ににに出い出いいでてなもでてなもでてなも悉ことごと悉ことごとことごとににに其そ其そそののの軍いくさ軍いくさいくさををを斬き斬ききりけるりけるりける。。。こゝにこゝにここに其そ其そそののの忍熊おしくま忍熊おしくまおしくまののの王きみ王きみきみ、、、伊佐比いさひ伊佐比いさひいさひののの宿禰すくね宿禰すくねすくねととと共とも共ともともににに追お追おおひひい迫せ迫せせめらえてめらえてめらえて、、、船ふね船ふねふねににに乘じよう乘じようじようりりり海うみ海うみうみににに浮う浮ううびてびてびて、、、歌うた歌うたうたひたまはくひたまはくいたまわく、、、率吾君いざあぎ率吾君いざあぎいざあぎ   振熊ふるくま振熊ふるくまふるくまががが   痛手負いたでお痛手負いたでおいたでおはずはずわずははは   ののの   淡海あふみ淡海あふみおうみののの海うみ海うみうみににに   潛かづ潛かづかずきせなきせなきせな吾あ吾ああ   ととと歌うた歌うたうたひてひていて、、、卽すなは卽すなはすなわちちち海うみ海うみうみににに入い入いいりてりてりて共とも共ともともににに死し死ししせたまひぬせたまひぬせたまいぬ。。。於是息長帶日賣命。於倭還上之時。因疑人心。一具喪船。御子載其喪船。先令言漏之御子既崩。如此上幸之時。香坂王忍熊王聞而。思將待取。進出於斗賀野。爲宇氣比獵也。爾香坂王。騰坐歷木而是。大怒猪出。堀其歷木。卽咋食其香坂王。其弟忍熊王。不畏其態。興軍待向之時。赴喪船。將攻空船。爾自其喪船。下軍相戰。此時忍熊王。以難波吉師部之祖。伊佐比宿禰。爲將軍。太子御方者。以丸邇臣之祖。難波根子建振熊命。爲將軍。故追退到山代之時。還立各不退相戰。爾建振熊命權而。令云息長帶日賣命者既崩故。無可更戰。卽絕弓絃。欺陽歸服。於是其將軍既信詐。弭弓藏兵。爾自頂髮中。採出設弦。〈一名云宇佐由豆留〉更張追擊。故逃退逢坂。對立亦戰。爾追迫敗。出沙沙那美。悉斬其軍。於是其忍熊王。與伊佐比宿禰。共被追迫。乘船浮海。歌曰。伊奢阿藝。布流玖麻賀。伊多弖淤波受波。邇本杼理能。阿布美能宇美邇。迦豆岐勢那和。卽入海共死也。
  2. 2かれかれかれ建內たけうち建內たけうちたけうちののの宿禰すくね宿禰すくねすくねののの命みこと命みことみこと、、、其そ其そそののの太子ひつぎのみこ太子ひつぎのみこひつぎのみこををを率ゐ率ゐいてまつりててまつりててまつりて、、、御禊みそぎ御禊みそぎみそぎせむとしてせむとしてせむとして、、、淡海あふみ淡海あふみおうみまたまたまた若狹わかさ若狹わかさわかさののの國くに國くにくにををを經へ經へへししし時とき時ときときににに、、、高志こし高志こしこしののの前みちのくち前みちのくちみちのくちののの角鹿つぬが角鹿つぬがつぬがににに、、、假宮かりみや假宮かりみやかりみやををを造みやつこ造みやつこみやつこりてませまつりきりてませまつりきりてませまつりき。。。かれかれかれ其地そこ其地そこそこにますにますにますののの大神おほかみ大神おほかみおおかみののの命みこと命みことみこと、、、夜よる夜よるよるののの夢いめ夢いめいめににに見み見みみえてえてえて、、、「「「吾あ吾ああががが名な名ななををを御子みこ御子みこみこののの御名みな御名みなみなににに易か易かかへまくへまくえまく欲ほ欲ほほししし。。。」」」とのりとのりとのり給たま給たまたまひきひきいき。。。かれかれかれ言禱ことほ言禱ことほことほぎてぎてぎて、、、「「「恐かしこ恐かしこかしこししし、、、命みこと命みことみことのののまに〳〵まに〳〵まにまに易か易かかへまつらむへまつらむえまつらむ。。。」」」とまとまとまをををしきしきしき。。。またまたまた其そ其そそののの神かみ神かみかみ詔の詔ののりたまはくりたまはくりたまわく、、、「「「明日あす明日あすあすののの旦濱あしたはま旦濱あしたはまあしたはまにいでますべしにいでますべしにいでますべし、、、易名なかへ易名なかへなかえののの幣獻ゐやじりたてまつ幣獻ゐやじりたてまついやじりたてまつらむらむらむ。。。」」」とのりたまひきとのりたまひきとのりたまいき。。。かれかれかれ旦濱つとめてはま旦濱つとめてはまつとめてはまにいでませるにいでませるにいでませる時とき時ときときににに、、、鼻毀はなやぶ鼻毀はなやぶはなやぶれたるれたるれたる、、、既すで既すですでににに一浦ひとうら一浦ひとうらひとうらににに依よ依よよれりれりれり。。。こゝにこゝにここに御子みこ御子みこみこ、、、神かみ神かみかみににに申まを申まをもうさしめさしめさしめ給たま給たまたまはくはくわく、、、「「「我あ我ああににに御食みけ御食みけみけののの魚給なたま魚給なたまなたまへりへりえり。。。」」」ととと申まを申まをもうさしめたまひきさしめたまひきさしめたまいき。。。かれまたかれまたかれまた其そ其そそののの御名みな御名みなみなをををたゝへてたゝへてたたえて、、、とまとまとまをををすすす。。。かれかれかれ今いま今いまいまににに氣比けひ氣比けひけひののの大神おほかみ大神おほかみおおかみとなもまとなもまとなもまをををすすす。。。またまたまた其そ其そそののの入鹿魚いるか入鹿魚いるかいるかののの鼻はな鼻はなはなののの血臭ちくさ血臭ちくさちくさかりきかりきかりき。。。かれかれかれ其そ其そそののの浦うら浦うらうらををを血浦ちうら血浦ちうらちうらといひしといひしといいしををを、、、今いま今いまいまはははとぞいふなるとぞいふなるとぞいうなる。。。故建內宿禰命。率其太子。爲將禊而。經歷淡海及若狹國之時。於高志前之角鹿。造假宮而坐。爾坐其地伊奢沙和氣大神之命。見於夜夢云。以吾名欲易御子之御名。爾言禱。白之恐隨命易奉。亦其神詔。明日之旦應幸於濱。獻易名之幣。故其旦幸行于濱之時。毀鼻入鹿魚。既依一浦。於是御子令白于神云。於我給御食之魚。故亦稱其御名。號御食津大神。故於今謂氣比大神也。亦其入鹿魚之鼻血臭。故號其浦謂血浦。今謂都奴賀也。
  3. 3こゝにこゝにここに還かへ還かへかえりりり上のぼ上のぼのぼりませるりませるりませる時とき時ときときににに、、、其そ其そそののの御祖みおや御祖みおやみおや息長帶比賣おきながたらしひめ息長帶比賣おきながたらしひめおきながたらしひめののの命みこと命みことみこと、、、ををを釀か釀かかみてみてみて獻たてまつ獻たてまつたてまつらしきらしきらしき。。。かれかれかれ其そ其そそののの御祖みおや御祖みおやみおやののの御歌みうた御歌みうたみうた、、、此こ此ここののの御酒みき御酒みきみきははは   吾あ吾ああががが御酒みき御酒みきみきならずならずならず   酒くし酒くしくしののの上かみ上かみかみ   常世とこよ常世とこよとこよにいますにいますにいます   石立いはた石立いはたいわたたすたすたす   ののの   神壽かむほ神壽かむほかむほぎぎぎ   壽ほ壽ほほぎぎぎ狂くる狂くるくるほしほしほし   豐壽とよほ豐壽とよほとよほぎぎぎ   壽ほ壽ほほぎぎぎ廻めぐ廻めぐめぐししし   獻まつ獻まつまつりりり來き來ききししし   御酒みき御酒みきみきぞぞぞ   涸あ涸ああさずさずさず食を食をおせせせ   さゝさゝささ   かくかくかく歌うた歌うたうたはしてはしてわして、、、大御酒獻おほみきたてまつ大御酒獻おほみきたてまつおおみきたてまつらしきらしきらしき。。。こゝにこゝにここに建內たけうち建內たけうちたけうちののの宿禰すくね宿禰すくねすくねののの命みこと命みことみこと、、、御子みこ御子みこみこののの爲ため爲ためためににに答こた答こたこたへまつれるへまつれるえまつれる歌うた歌うたうた。。。このこのこの御酒みき御酒みきみきををを   釀か釀かかみけむみけむみけむ人ひと人ひとひとははは   そのそのその鼓つづみ鼓つづみつづみ   臼うす臼うすうすににに立た立たたてててててて   歌うた歌うたうたひつゝひつゝいつつ   釀か釀かかみけれかもみけれかもみけれかも   舞ま舞ままひつつひつついつつ   釀か釀かかみけれかもみけれかもみけれかも   此こ此ここののの御酒みき御酒みきみきののの   御酒みき御酒みきみきののの   あやにあやにあやに轉樂うたたぬ轉樂うたたぬうたたぬししし   さゝさゝささ   此こ此ここはははののの歌うた歌うたうたなりなりなり。。。すべてこのすべてこのすべてこの帶中津日子たらしなかつひこ帶中津日子たらしなかつひこたらしなかつひこののの天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみことののの御年五拾貳歲みとしいそぢまりふたつ御年五拾貳歲みとしいそぢまりふたつみとしいそじまりふたつ、、、御陵みはか御陵みはかみはかははは河內かふち河內かふちこうちのののにありにありにあり。。。於是還上坐時。其御祖息長帶日賣命。釀待酒以獻。爾其御祖御歌曰。許能美岐波。和賀美岐那良受。久志能加美。登許余邇伊麻須。伊波多多須。須久那美迦微能。加牟菩岐。本岐玖流本斯。登余本岐。本岐母登本斯。麻都理許斯。美岐叙。阿佐受袁勢。佐佐。如此歌而獻大御酒。爾建內宿禰命。爲御子答歌曰。許能美岐袁。迦美祁牟比登波。曾能都豆美。宇須邇多弖弖。宇多比都都。迦美祁禮加母。麻比都都。迦美祁禮加母。許能美岐能。美岐能。阿夜邇宇多陀怒斯。佐佐。此者酒樂之歌也。凡帶中津日子天皇之御年伍拾貳歲。御陵在河內惠賀之長江也。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

さて息長帯比売命は、大和へ帰り上られるとき、人々の心が疑わしかったので、喪船(棺を載せる船)を一艘用意して、御子をその喪船にお乗せし、まず「御子はすでにお亡くなりになった」と言いふらさせた。こうして上っていかれるとき、香坂王と忍熊王がこれを聞いて、待ち受けて討ち取ろうと思い、斗賀野に進み出て、うけい狩り(占いの狩り)をなさった。すると香坂王が櫟の木に登って見ていると、大きな怒り狂った猪が出てきて、その櫟の木を掘り倒し、すぐにその香坂

王を食い殺してしまった。その弟の忍熊王は、その不吉なしるしも恐れずに、軍勢を起こして待ち構え、喪船に向かって空の船を攻めようとした。そこでその喪船から軍勢を下ろして戦った。このとき忍熊王は、難波の吉師部の祖、伊佐比宿禰を将軍とし、太子の側では、丸邇臣の祖、難波根子建振熊命を将軍とした。そして忍熊王の軍を追い退けて山代に着いたとき、敵は引き返して踏みとどまり、互いに退かずに戦った。そこで建振熊命は計略をめぐらし、「息長帯比売命はすでにお亡くなりになったので、もう戦う必要はない」と言わせて、弓の弦を断ち切り、偽って降伏した。すると敵の将軍はすっかりその偽りを信じて、弓の弦をはずし、武器をしまってしまった。そこで、髪の中に隠しておいた予備の弦を取り出して(一説に宇佐由豆留という)、あらためて弓に張って追撃した。そこで敵は逢坂に逃げ退き、向かい合ってまた戦ったが、追い詰めて打ち破り、沙沙那美に出て、その軍勢をことごとく斬った。そこで忍熊王は、伊佐比宿禰とともに追い詰められて、船に乗って湖に浮かび、歌われた歌は、

さあ、わが君よ。振熊の手にかかって痛手を負うくらいなら、にお鳥のように、近江の湖に潜って死のうではないか、われらは。

こう歌って、すぐに湖に入って、ともに死んでしまわれた。

さて建内宿禰命は、その太子をお連れして、禊をしようとして、近江と若狭の国を経て行ったとき、越の国の入口の角鹿(敦賀)に仮宮を造ってお住まわせした。するとその地にいらっしゃる伊奢沙和気大神の命が、夜の夢に現れて、「私の名を御子の御名と取り替えたい」とおっしゃった。そこで祝福のことばを述べて、「恐れ多いことです。お言葉のままにお取り替えいたしましょう」と申し上げた。またその神は「明日の朝、浜においでなさい。名を取り替えたしるしの贈り物を差し上げよう」とおっしゃった。そこでその朝、浜においでになると、鼻に傷を負ったイルカが、浦いっぱいに打ち寄せられていた。そこで御子は、神に「私に御食の魚をくださった」と申し上げさせた。そこでまたその神の御名をたたえて、御食津大神と申し上げる。それで今も気比大神と申し上げるのである。またそのイルカの鼻の血が臭かった。それでその浦を血浦といったのを、今は都奴賀(敦賀)というのである。

こうして都に帰り上られたとき、その母君の息長帯比売命が、待酒(帰りを待って醸した酒)を醸してお勧めになった。そのとき母君が歌われた歌は、

このお酒は、私のお酒ではありません。酒をつかさどる神で、常世の国にいらっしゃる、岩のように立っておられる少名御神が、神として祝い、踊り狂うほどに祝い、豊かに祝い、めぐりめぐって祝って、献上してきたお酒なのです。残さずに召し上がれ、さあさあ。

こう歌って大御酒をお勧めになった。そこで建内宿禰命が、御子に代わってお答え申し上げた歌は、

このお酒を醸した人は、その鼓を臼のように立てて、歌いながら醸したからでしょうか、舞いながら

醸したからでしょうか、このお酒の、このお酒の、なんとも楽しいことよ、さあさあ。

これは酒楽(さかほがい)の歌である。すべてこの帯中津日子天皇(仲哀天皇)のお年は五十二歳。御陵は河内の恵賀の長江にある。

意訳

新羅から帰った皇后と幼い御子(のちの応神天皇)を待ち受けていたのは、異母兄の香坂王・忍熊王でした。皇后は御子が死んだと偽って喪船を仕立て、敵を油断させます。香坂王が占いの狩りで猪に食い殺されたのは、戦の結末を告げる神意と受け取られました。

忍熊王との戦いでは、建振熊命が「皇后は亡くなった」と偽って弓の弦を切り、降伏したように見せかけます。敵が武器を収めたところで、髪の中に隠していた予備の弦を張って襲いかかるという策略でした。追い詰められた忍熊王は「振熊の手にかかるより、にお鳥のように湖に潜って死のう」と歌い、琵琶湖に身を投げます。

戦いのあと、太子は禊のために敦賀に赴き、そこで気比の大神と名前を取り替えます。浜いっぱいに打ち寄せたイルカは神からの贈り物でした。都に帰った太子を母の皇后が待酒で迎え、「この酒は常世の少名御神が祝って献上した酒です」と歌い、建内宿禰が「醸した人が歌い舞いながら醸したからか、なんと楽しい酒だろう」と答えます。宴の歌(酒楽の歌)として伝えられたものです。

語釈・文法注

喪船
「もふね」。棺を載せる船。御子が死んだと見せかけて敵を欺いた。
祈狩
「うけひがり」。狩りの獲物の様子で吉凶を占うこと。香坂王が猪に食い殺されたのは凶のしるし。
歷木
「くぬぎ」。クヌギの木。
斗賀野
所在は未詳。大阪府の辺りとする説、兵庫県の辺りとする説がある。
難波根子建振熊の命
丸邇臣(和珥氏)の祖。太子の側の将軍として、計略で忍熊王を破った。
伊佐比の宿禰
難波の吉師部の祖。忍熊王の将軍で、王とともに湖に身を投げた。
權りて
「たばかりて」。計略をめぐらして。
頂髮
「たきふさ」。頭の上の髪。束ねた髪の中に予備の弦を隠していた。
うさゆづる
予備の弦。原文は「宇佐由豆留」と音で書く。
逢坂
山城と近江の境の逢坂山(滋賀県大津市)。
沙々那美
近江の琵琶湖南西岸の地。「さざなみ」は大津の辺りの古い地名。
鳰鳥の
「にほどり」はカイツブリ。水に潜る鳥なので「潜く」を導き、また琵琶湖(鳰の海)の「淡海」にかかる。
角鹿・都奴賀
福井県敦賀市。鼻の血が臭かった「血浦(ちうら)」が「つぬが」になったとする地名起源説話。
伊奢沙和氣の大神
敦賀の気比神宮の祭神。太子と名を取り替えた。
入鹿魚
「いるか」。イルカ。神から太子への贈り物。
御食津大神
食物を与える神。気比の大神の別名。
待酒
「まちざけ」。人の帰りを待って醸しておく酒。
少名御神
少名毘古那神。上巻で大国主神とともに国作りをし、のちに常世の国に去った神。酒の神としても信仰された。
酒樂の歌
「さかほがひのうた」。酒宴で歌われる祝いの歌。
惠賀之長江
仲哀天皇陵。大阪府藤井寺市の岡ミサンザイ古墳に治定されている。

文法

原文の「騰坐歷木而是」
底本の原文は「騰坐歷木而是」と刷る。通行本文も同じで、「是」は「見」の誤りかとする説がある。底本どおりとした。
原文の「伊多弖淤波受波」
「痛手負はずは」。痛手を負うくらいならの意。「ずは」は「…ないで」。
潛きせな吾
「せな」は意志・勧誘の「な」。「潜ろうよ、われらは」。
旦
底本の訓み下しは、神の言葉の「明日の旦」に「あした」、そのあとの「旦濱に」に「つとめて」とふりがなを付ける。どちらも朝の意。
さゝ
酒を勧めるはやしことば。「さあさあ」。

歌謡

率吾君 振熊が 痛手負はずは 鳰鳥の 淡海の海に 潛きせな吾

詠者
忍熊王
状況
建振熊命の計略に敗れ、伊佐比宿禰とともに追い詰められて、琵琶湖に船を浮かべて詠んだ辞世の歌。

修辞

枕詞
「鳰鳥の」は「淡海」にかかり、また水に潜る鳥として「潜く」を導く。

此の御酒は 吾が御酒ならず 酒の上 常世にいます 石立たす 少名御神の 神壽ぎ 壽ぎ狂ほし 豐壽ぎ 壽ぎ廻し 獻り來し 御酒ぞ 涸さず食せ さゝ

詠者
息長帯比売命(神功皇后)
状況
都に帰った太子に待酒を勧めて歌った歌。

修辞

くり返し
「ほき(祝い)」を四度くり返して、酒の霊威をたたえる。
はやしことば
結びの「さゝ」は酒を勧めるはやしことば。

この御酒を 釀みけむ人は その鼓 臼に立てて 歌ひつゝ 釀みけれかも 舞ひつゝ 釀みけれかも 此の御酒の 御酒の あやに轉樂し さゝ

詠者
建内宿禰
状況
皇后の歌に、太子に代わって答えた歌。

修辞

対句
「歌ひつゝ釀みけれかも」「舞ひつゝ釀みけれかも」を対にする。
はやしことば
結びの「さゝ」。

解説

忍熊王の反乱は、応神天皇の即位を正当化する物語です。天皇の位を継ぐはずの年長の皇子たちが、神意によって退けられ、母の胎内にいたときから国を治めることを約束された御子が勝利します。日本書紀でも同じ話が詳しく語られ、計略で勝つ武内宿禰(建内宿禰)の活躍が描かれています。

太子が気比の大神と名を取り替えた話は、応神天皇(品陀和気命)の名の由来をめぐる伝承です。日本書紀では、太子のもとの名が「去来紗別(いざさわけ)」で、神の名が「誉田別(ほむたわけ)」であったとする異説も載せています。敦賀の気比神宮は、北陸道の入口を守る重要な神社で、のちに越前国一宮とされました。

酒楽の歌は、宮廷の酒宴で歌われた歌が物語に取り入れられたものと考えられます。日本書紀にも同じ歌があり、のちの宮廷儀礼でも歌い継がれました。

関連

出典

底本
古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。202〜207頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
更新日