古事記 中巻
仲哀天皇の崩御と神功皇后の新羅征討
筑紫の訶志比宮で熊曾を討とうとした仲哀天皇は、神がかりした大后息長帯比売命の「西に金銀の国がある」という託宣を疑って琴を弾くのをやめ、そのまま崩じる。神の名は天照大神と住吉の三神と明かされ、大后は身ごもったまま海を渡って新羅を服属させ、筑紫に戻って御子(応神天皇)を産む。
- 1中中なか日日ひ子子こののの天皇天皇すめらみこと。。。ののの宮宮みや又又また筑紫筑紫つくしのののののの宮宮みやにましましてにましましてにましまして、、、天天あめののの下治下治したしろしめしきしめしきしめしき。。。此此こののの天皇天皇すめらみこと、、、大江大江おおえののの王王きみののの御女御女みむすめ、、、大中津比賣大中津比賣おおなかつひめののの命命みことににに娶娶あひましてひましていまして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、香坂香坂かごさかののの王王きみ、、、忍熊忍熊おしくまののの王王きみ。。。(((二柱二柱ふたはしら。。。)))またまたまた息長帶比賣息長帶比賣おきながたらしひめののの命命みことににに娶娶あひましきひましきいましき。。。このこのこの大后大后おおきさきののの生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、品夜和氣品夜和氣ほむやわけののの命命みこと。。。次次つぎにににののの命命みこと、、、又又またののの御名御名みなははは品陀和氣品陀和氣ほむだわけののの命命みこと。。。(((二柱二柱ふたはしら。。。)))此此こののの太子太子ひつぎのみこののの御名御名みな、、、大鞆和氣大鞆和氣おおともわけののの命命みことととと負負おはせるはせるわせる所以所以このゆえははは、、、初初はじめめめ生生あれませるれませるれませる時時ときににに、、、御腕御腕みただむきににになせるなせるなせる宍宍ししありしゆゑにありしゆゑにありしゆえに、、、其其そののの御名御名みなににに著著つけまつりきけまつりきけまつりき。。。こゝこゝここををを以以もつててて御腹御腹みはら中中なかにましましてにましましてにましまして、、、國國くに定定さだめたまへりしことめたまへりしことめたまえりしこと知知しらえたりらえたりらえたり。。。此此こののの御世御世みよににに、、、淡道淡道あわじののの屯家屯家みやけををを定定さだめたまひきめたまひきめたまいき。。。帶中日子天皇。坐穴門豐浦宮及筑紫訶志比宮。治天下也。此天皇。娶大江王之女。大中津比賣命生御子。香坂王。忍熊王。〈二柱〉又娶息長帶比賣命。是大后生御子。品夜和氣命。次大鞆和氣命。亦名品陀和氣命。〈二柱〉此太子之御名。所以負大鞆和氣命者。初所生時。如鞆宍生御腕故。著其御名。是以知坐腹中定國也。此之御世。定淡道之屯家也。
- 2其其そののの息長帶比賣息長帶比賣おきながたらしひめののの命命みことははは、、、りたまへりきりたまへりきりたまえりき。。。かれかれかれ天皇筑紫之訶志比天皇筑紫之訶志比すめらみことつくしのかしいののの宮宮みやにましましてにましましてにましまして、、、熊曾熊曾くまそののの國國くにををを平平たいらけたまはむとせしけたまはむとせしけたまわむとせし時時ときににに、、、天皇御琴天皇御琴すめらみことみことををを控控ひしてしてして、、、建內建內たけうちののの宿禰宿禰すくねのののににに居居おててて、、、神神かみののの命命みことををを請請こひまつりきひまつりきひまつりき。。。爰爰ここににに大后大后おおきさき神神かみがかりしてがかりしてがかりして、、、言敎言敎ことおしへへえ覺覺さとししし給給たまひつらくはひつらくはいつらくわ、、、「「「西西にしののの方方かたににに國國くにありありあり、、、金銀金銀こがねしろがねをををはじめてはじめてはじめて、、、目目めののの耀耀かがやくくく種々種々くさぐさののの珍寶其珍寶其たからそののの國國くにににに多多さわなるなるなるををを、、、吾吾あ今今いま其其そののの國國くにををを歸歸かえせたまはむせたまはむせたまわむ。。。」」」ととと詔詔のりたまひきりたまひきりたまいき。。。こゝにこゝにここに天皇天皇すめらみこと答答こたへまへまえまをををしたまはくしたまはくしたまわく、、、「「「高高たかききき地地ところににに登登のぼりてりてりて西西にしののの方方かたををを見見みればればれば、、、國國くにははは見見みえずえずえず、、、唯大海唯大海ただおおうみのみこそあれのみこそあれのみこそあれ。。。」」」ととと申申もうしてしてして、、、詐詐いつわりせすりせすりせす神神かみととと思思おもほしてほしておして、、、御琴御琴みことををを押押おししし退退そけてけてけて、、、控控ひきたまはずきたまはずきたまわず、、、默默もだいましぬいましぬいましぬ。。。かれかれかれ其其そののの神神かみ大大いたくくく忿忿いからしてらしてらして、、、「「「おほかたこのおほかたこのおおかたこの天天あめののの下下したははは、、、汝汝なののの知知しらすべきらすべきらすべき國國くににあらずにあらずにあらず、、、汝汝なはははににに向向むかひませひませいませ」」」ととと詔詔のりたまひきりたまひきりたまいき。。。こゝにこゝにここに建內建內たけうちののの宿禰宿禰すくねののの大臣大臣おおおみ申申もうしけらくしけらくしけらく、、、「「「恐恐かしこししし、、、我我あががが天皇天皇すめらみこと。。。猶猶なお其其そののの大御琴大御琴おおみことあそばせあそばせあそばせ。。。」」」とまとまとまをををしきしきしき。。。かれかれかれ稍稍やや其其そののの琴琴ことををを取取とりりり依依よせてせてせて、、、生々生々なまなまににに控控ひきいましけるにきいましけるにきいましけるに、、、幾時幾時いくだもあらずてもあらずてもあらずて、、、御琴御琴みことののの音聞音聞ねきこえずなりぬえずなりぬえずなりぬ。。。かれかれかれ火火ひををを擧擧あげてげてげて見見みまつればまつればまつれば、、、既既はやくくく崩崩かむあがりましにきりましにきりましにき。。。其大后息長帶日賣命者。當時歸神。故天皇坐筑紫之訶志比宮。將擊熊曾國之時。天皇控御琴而。建內宿禰大臣。居於沙庭。請神之命。於是大后歸神。言敎覺詔者。西方有國。金銀爲本。目之炎耀種種珍寶。多在其國。吾今歸賜其國。爾天皇答白。登高地見西方者。不見國土。唯有大海。謂爲詐神而。押退御琴。不控。默坐。爾其神大忿詔。凡茲天下者。汝非應知國。汝者向一道。於是建內宿禰大臣白。恐我天皇。猶阿蘇婆勢其大御琴。〈自阿至勢以音〉爾稍取依其御琴而。那麻那麻邇〈此五字以音〉控坐。故未幾久而。不聞御琴之音。卽擧火見者。既崩訖。
- 3かれかれかれ驚驚おどろききき懼懼おそみてみてみて、、、にませにませにませ奉奉たてまつりてりてりて、、、更更さらににに國國くにのののををを取取とりてりてりて、、、、、、逆剝逆剝さかはぎ、、、阿離阿離あはなち、、、溝埋溝埋みぞうめ、、、屎戶屎戶くそへ、、、、、、馬婚馬婚うまたわけ、、、牛婚牛婚うしたわけ、、、鷄婚鷄婚とりたわけ、、、犬婚犬婚いぬたわけののの罪罪つみののの類類たぐいををを種々種々くさぐさ求求まぎてぎてぎて、、、國國くにのののしてしてして、、、またまたまた建內建內たけうちののの宿禰沙庭宿禰沙庭すくねさにわににに居居おててて、、、神神かみののの命命みことををを請請こひまつりきひまつりきひまつりき。。。こゝにこゝにここに敎敎をしへへへ覺覺さとしたまふしたまふしたまう狀狀さま、、、具具つぶさににに先日先日さきののの如如ごとくにてくにてくにて、、、「「「おほかたおほかたおおかた此此こののの國國くにははは、、、汝汝なががが命命みことののの御腹御腹みはらにますにますにます御子御子みこののの知知しらさむらさむらさむ國國くになりなりなり。。。」」」ととと敎敎をしへへへ覺覺さとしたまひきしたまひきしたまいき。。。かれかれかれ建內建內たけうちののの宿禰宿禰すくね、、、「「「恐恐かしこししし、、、我我あががが大神大神おおかみ、、、其其そののの神神かみののの御腹御腹みはらにますにますにます御子御子みこ、、、何何なにののの御子御子みこぞもぞもぞも。。。」」」とまとまとまをををせばせばせば、、、「「「男子男子ひこみこぞぞぞ。。。」」」ととと詔詔のりたまひきりたまひきりたまいき。。。かれかれかれ具具つぶさににに請請こひまつりけらくひまつりけらくひまつりけらく、、、「「「今今いまかくかくかく言敎言敎ことおしへたまふへたまふえたまう大神大神おおかみははは、、、其其そののの御名御名みなををを知知しらまくらまくらまくほしほしほし。。。」」」とまとまとまをををせばせばせば、、、答答こたへたまひつらくへたまひつらくえたまいつらく、、、「「「こここははは天天あめ照照て大神大神おおかみののの御心御心みこころなりなりなり。。。またまたまたののの男男を、、、中筒中筒なかつつののの男男を、、、上筒上筒うわつつののの男男を、、、三柱三柱みはしらののの大神大神おおかみなりなりなり。。。(((此此こののの時時ときにぞにぞにぞ其其そののの三柱三柱みはしらののの大神大神おおかみののの御名御名みなははは顯顯あらはははしたまへるしたまへるしたまえる。。。)))今今いま寔寔まことににに其其そののの國國くにををを求求もとめむとめむとめむと思思おぼさばさばさば、、、天天あまつつつ神神かみ、、、地地くにつつつ祇祇かみ、、、またまたまた山山やまののの神神かみ、、、海河海河うみかわののの神神かみたちにたちにたちに、、、悉悉ことごとににに幣帛奉幣帛奉みてぐらたてまつりりり、、、我我あががが御魂御魂みたまををを御船御船みふねののの上上うえにませてにませてにませて、、、眞木眞木まきののの灰灰はいををを瓠瓠ひさごににに納納いれれれ、、、またまたまた箸箸はしとととををを多多さわににに作作つくりてりてりて、、、皆々大海皆々大海みなみなおおうみににに散散ちらしらしらし浮浮うけてけてけて度度わたりますべしりますべしりますべし。。。」」」とのりたまひきとのりたまひきとのりたまいき。。。爾驚懼而。坐殯宮。更取國之大奴佐而。〈奴佐二字以音〉種種求生剝逆剝。阿離溝埋屎戶。上通下通婚。馬婚牛婚。鷄婚犬婚之罪類。爲國之大祓而。亦建內宿禰居於沙庭。請神之命。於是敎覺之狀。具如先日。凡此國者。坐汝命御腹之御子所知國者也。爾建內宿禰白。恐我大神。坐其神腹之御子。何子歟。答詔男子也。爾具請之。今如此言敎之大神者。欲知其御名。卽答詔。是天照大神之御心者。亦底筒男中筒男上筒男。三柱大神者也。〈此時其三柱大神之御名者顯也〉今寔思求其國者。於天神地祇。亦山神及河海之諸神。悉奉幣帛。我之御魂坐于船上而。眞木灰納瓠。亦箸及比羅傳〈此三字以音〉多作。皆皆散浮大海以可度。
- 4かれかれかれ備備つぶさににに敎敎をしへへへ覺覺さとしたまへるしたまへるしたまえる如如ごとくしてくしてくして、、、軍軍いくさををを整整ととのへへへ、、、御船御船みふねををを雙雙つらなめてめてめて、、、度度わたりいでますりいでますりいでます時時ときににに、、、海原海原うなはらののの魚魚うおどもどもども、、、大大おおきなるきなるきなる小小ちいさきさきさき、、、悉悉ことごとににに御船御船みふねををを負負おひてひていて渡渡わたりきりきりき。。。こゝにこゝにここに順風盛順風盛おいかぜさかりにりにりに吹吹ふきてきてきて、、、御船浪御船浪みふねなみのののまに〳〵ゆきつまに〳〵ゆきつまにまにゆきつ。。。かれかれかれ其其そののの御船御船みふねののの波波なみ、、、新羅新羅しらぎののの國國くにににに押押おししし騰騰あがりてりてりて、、、既既すでににに國半國半くになからまでらまでらまで到到いたりきりきりき。。。こゝにこゝにここに其其そのののぢぢじ惶惶かしこみてみてみて奏奏まおしけらくしけらくしけらく、、、「「「今今いまよりゆくさきよりゆくさきよりゆくさき、、、天皇天皇すめらみことののの命命みことのののまに〳〵まに〳〵まにまに、、、としてとしてとして、、、年年としののの每每ごとににに船雙船雙ふねつらなめてめてめて、、、船腹乾船腹乾ふなはらほさずさずさず、、、舵楫乾舵楫乾さおかじほさずさずさず、、、天地天地あめつちのむたのむたのむた、、、とこととこととことはははににに仕仕つかへまつらむへまつらむえまつらむ。。。」」」とまとまとまをををしきしきしき。。。かれこゝかれこゝかれここををを以以もつててて、、、新羅新羅しらぎののの國國くにをばをばをば、、、御馬甘御馬甘みまかいととと定定さだめたまひめたまひめたまい、、、ののの國國くにをばをばをば、、、渡渡わたりののの屯家屯家みやけととと定定さだめめめ給給たまひきひきいき。。。こゝにこゝにここに其其そののの御杖御杖みつえををを新羅新羅しらぎののの國主國主こにきしののの門門かどににに衝衝つきたてきたてきたて給給たまひきひきいき。。。卽卽すなわちちち墨墨すみののの江江えののの大神大神おおかみのののををを、、、國守國守くにまもりますりますります神神かみととと鎭鎭しずめめめ祭祭まつりてりてりて、、、還還かえりりり渡渡わたりましきりましきりましき。。。かれかれかれ其其そののの政政まつりごと未未いまだだだ竟竟をへたまはざるへたまはざるへたまわざる間間ほどににに、、、妊妊はらませるませるませる御子御子みこ產產あれまさむとしつれまさむとしつれまさむとしつ。。。かれかれかれ御腹御腹みはらををを鎭鎭いわひたまはむためにひたまはむためにひたまわむために、、、石石いしををを取取とらしてらしてらして、、、御裳御裳みもののの腰腰こしににに纏纏まかしてかしてかして、、、筑紫筑紫つくしののの國國くにににに渡渡わたりましてぞりましてぞりましてぞ、、、其其そののの御子御子みこははは生生あれましけるれましけるれましける。。。かれかれかれ其其そののの御子御子みこ生生うみたまへるみたまへるみたまえる地地ところををを、、、とぞとぞとぞ名名なづけけるづけけるづけける。。。またまたまた其其そののの御裳御裳みもににに纏纏まかせりしかせりしかせりし石石いしははは、、、筑紫筑紫つくしののの國國くにのののののの村村むらになもあるになもあるになもある。。。故備如敎覺。整軍。雙船。度幸之時。海原之魚。不問大小。悉負御船而渡。爾順風大起。御船從浪。故其御船之波瀾。押騰新羅之國。既到半國。於是其國主畏惶奏言。自今以後。隨天皇命而。爲御馬甘。每年雙船。不乾船腹。不乾柂檝。共與天地。無退仕奉。故是以新羅國者。定御馬甘。百濟國者。定渡屯家。爾以其御杖。衝立新羅國主之門。卽以墨江大神之荒御魂。爲國守神而祭鎭。還渡也。故其政未竟之間。其懷妊臨產。卽爲鎭御腹。取石以。纏御裳之腰而。渡筑紫國。其御子者阿禮坐。〈阿禮二字以音〉故號其御子生地。謂宇美也。亦所纏其御裳之石者。在筑紫國之伊斗村也。
- 5またまたまた筑紫筑紫つくしのののののの玉島玉島たましまののの里里さとににに到到いたりましてりましてりまして、、、其其そののの河河かはののの邊邊べににに御食御食みおしせすせすせすをををりしもりしもりしも、、、四月四月うずきののの上旬上旬はじめなりしかばなりしかばなりしかば、、、其其そののの河中河中かわなかののの磯磯いそにましてにましてにまして、、、御裳御裳みもののの絲絲いとををを拔拔ぬききき取取とりりり、、、飯粒飯粒いいぼををを餌餌えにしてにしてにして、、、其其そののの河河かはののの年魚年魚あゆをををなもなもなも釣釣つらしけるらしけるらしける。。。(((其其そののの河河かはののの名名なををを小河小河おがわといふといふという。。。またまたまた其其そののの磯磯いそののの名名なをををといふといふという。。。)))かれかれかれ四月四月うずきののの上旬上旬はじめののの頃頃ころ、、、女女おみなどもどもども裳裳もののの絲絲いとををを拔拔ぬききき、、、飯粒飯粒いいぼををを餌餌えにしてにしてにして、、、年魚年魚あゆ釣釣つることることること、、、今今いまににに絕絕たえずえずえず。。。亦到坐筑紫末羅縣之玉島里而。御食其河邊之時。當四月之上旬。爾坐其河中之礒。拔取御裳之絲。以飯粒爲餌。釣其河之年魚。〈其河名謂小河。亦其礒名謂勝門比賣也。〉故四月上旬之時。女人拔裳絲。以粒爲餌釣年魚。至于今不絕也。
現代語訳
帯中日子天皇(仲哀天皇)は、穴門の豊浦の宮と筑紫の訶志比の宮にいらして天下を治められた。この天皇は、大江王の娘、大中津比売命を妻として、御子の香坂王・忍熊王をお生みになった。(二柱。)また息長帯比売命を妻とされた。この大后がお生みになった御子は品夜和気命、次に大鞆和気命、またの名は品陀和気命。(二柱。)この太子の御名を大鞆和気命という理由は、初めて生まれたとき、御腕に鞆(弓を射るときに腕につける革の道具)のような肉の盛り上がりがあったので、その御名をお付けしたのである。これによって、母のお腹の中にいらしたときから国をお定めになったことがわかる。この御世に、淡道の屯家を定められた。
その大后の息長帯比売命は、そのとき神がかりなさった。それは、天皇が筑紫の訶志比の宮にいらして、熊曾の国を討とうとなさったときのことで、天皇が御琴を弾き、建内宿禰大臣が祭場にいて、神のお告げを求めた。すると大后が神がかりして、教えさとしておっしゃった。「西の方に国がある。金や銀をはじめとして、目にもまばゆいさまざまな珍しい宝がその国にたくさんある。私は今、その国をおまえに服属させて与えよう」。これに天皇がお答えになって、「高い所に登って西の方を見ても、国土は見えず、ただ大海があるばかりだ」とおっしゃって、偽りを言う神だとお思いになり、御琴を押しのけて弾かずに、黙ってしまわれた。するとその神はひどく怒って、「そもそもこの天下は、おまえが治めるべき国ではない。おまえは一つの道(死出の道)に向かえ」とおっしゃった。そこで建内宿禰大臣が「恐れ多いことです、わが天皇よ。やはりその大御琴をお弾きください」と申し上げた。そこで
天皇はそろそろとその琴を引き寄せて、しぶしぶお弾きになっていたが、まもなく御琴の音が聞こえなくなった。そこで火をともして見ると、すでにお亡くなりになっていた。
そこで驚き恐れて、天皇の亡骸を殯宮に安置し、さらに国中から大幣を集めて、生剝・逆剝・阿離・溝埋・屎戸・上通下通婚・馬婚・牛婚・鶏婚・犬婚などの罪の類をさまざまに探し出して、国の大祓をして、また建内宿禰が祭場にいて、神のお告げを求めた。すると神が教えさとす様子は、先日とまったく同じで、
「そもそもこの国は、あなた(大后)のお腹にいらっしゃる御子が治めるべき国である」とお教えになった。そこで建内宿禰が「恐れ多いことです、わが大神よ。その神(大后)のお腹にいらっしゃる御子は、どのような御子でしょうか」と申し上げると、「男子である」とおっしゃった。そこで詳しくお尋ねして、「今このようにお教えくださる大神の、御名を知りとうございます」と申し上げると、お答えになった。「これは天照大神の御心である。また底筒男・中筒男・上筒男の三柱の大神である。(このとき、その三柱の大神の御名が明らかになったのである。)今本当にその国を求めようと思うならば、天つ神・国つ神、また山の神・海や河の神々に、ことごとく幣帛をささげ、我らの御魂を御船の上に祭って、真木の灰を瓢箪に入れ、また箸と葉盤(木の葉の皿)をたくさん作って、みな大海に散らし浮かべて渡るがよい」。
そこで、教えのとおりにすっかり整えて、軍勢をととのえ、船を並べて渡っていかれるとき、海原の魚たちは、大きいものも小さいものも、みな御船を背負って渡った。すると追い風が盛んに吹いて、御船は波のままに進んでいった。そしてその御船の起こした波が、新羅の国に押し上がって、国の半ばにまで達した。そこでその国の王は恐れかしこまって申し上げた。「今から後は、天皇のお言葉のままに、御馬飼いとなって、毎年船を並べ、船の腹を乾かすひまもなく、棹や舵を乾かすひまもなく、天地とともに、いつまでもお仕えいたしましょう」。こうして、新羅の国を御馬飼いと定め、百済の国を海の向こうの屯家と定められた。そしてその御杖を新羅の国王の門に突き立てられた。そして墨江の大神の荒御魂を、国を守る神として鎮め祭って、帰ってこられた。
さて、その政務がまだ終わらないうちに、お腹の御子が生まれそうになった。そこでお腹を鎮めるために、石を取って御裳の腰に巻きつけ、筑紫の国に渡ってから、その
御子はお生まれになった。それで、その御子をお生みになった地を宇美と名づけた。また、その御裳に巻きつけておいた石は、筑紫の国の伊斗の村にある。
また筑紫の末羅県の玉島の里に着かれて、その河のほとりで食事をなさったのは、ちょうど四月の上旬であったので、その河の中の岩にお座りになって、御裳の糸を抜き取り、飯粒を餌にして、その河の鮎をお釣りになった。(その河の名を小河という。またその岩の名を勝門比売という。)それで、四月の上旬のころ、女たちが裳の糸を抜き、飯粒を餌にして鮎を釣ることが、今も絶えずに続いている。
意訳
仲哀天皇は倭建命の子です。熊曾を討つために筑紫に来た天皇は、神がかりした皇后の「西の海の彼方に金銀の国がある」という託宣を信じず、琴を弾く手を止めてしまいます。その夜、天皇は神の怒りにふれて急死しました。神の言葉を疑うことが死を招くという話は、父の倭建命が伊吹山の神を侮った話とも響き合っています。
託宣の主は、天照大神と、住吉三神(底筒男・中筒男・上筒男)でした。上巻で伊邪那岐命が禊をしたときに生まれた神々です。皇后のお腹の子が国を治めると告げられ、皇后は神の導きのもと、魚たちに船を背負われて海を渡り、新羅を服属させます。この「神功皇后の三韓征伐」の伝承は、後世、歴史的事実のように語られ、近代には政治的にも利用されましたが、実際の出来事をそのまま伝えるものではないと考えられています。
出産を遅らせるために石を腰に巻いて帰国し、筑紫で応神天皇を産んだという話は、福岡県の宇美八幡宮の由来として伝えられています。佐賀県唐津市の玉島川で鮎を釣った話は、女性が鮎釣りをする土地の風習の起源を語るもので、万葉集にも玉島川の鮎釣りの歌があります。
語釈・文法注
- 帶中日子の天皇
- 第十四代仲哀天皇。倭建命の子。
- 筑紫の訶志比の宮
- 福岡市東区香椎。香椎宮が仲哀天皇と神功皇后を祭る。
- 穴門之豐浦の宮
- 長門国豊浦(山口県下関市)。
- 息長帶比賣の命
- 神功皇后。開化天皇の玄孫とされ、母方は天之日矛の子孫。応神天皇の母。
- 大鞆和氣の命
- のちの応神天皇(品陀和気命)。腕に鞆の形の肉があったことからの名とする。
- 鞆
- 弓を射るとき、左の手首につけて弦が当たるのを防ぐ革の道具。
- 沙庭
- 「さには」。神のお告げを聞くために清めた場所。また、お告げを聞いて解き明かす人。
- 神託り
- 神が人に乗り移ってお告げをすること。皇后が神がかりした。
- 一道に向ひませ
- 一つの道(黄泉の国への道)へ向かえ。死を宣告する言葉。
- 殯宮
- 「あらきのみや」。葬る前に遺体を安置して祭る仮の御殿。
- 國の大幣
- 国中から集めた、祓えのための供え物。
- 生剝・逆剝・阿離・溝埋・屎戶
- 大祓で祓われる罪。生剝・逆剝は生きた馬の皮を剝ぐこと、阿離・溝埋は田の畔を壊し溝を埋めること、屎戸は神聖な場所を汚すこと。上巻で須佐之男命が犯した罪とも重なる。
- 上通下通婚
- 「おやこたはけ」。親子の間の不倫の交わり。馬婚以下は獣との交わり。いずれも国の罪とされた。
- 國の大祓
- 国中の罪や穢れを祓い清める儀式。
- 底筒の男・中筒の男・上筒の男
- 住吉三神。上巻で伊邪那岐命が禊をしたときに生まれた神。航海の神として大阪市の住吉大社に祭られる。
- 葉盤
- 「ひらで」。木の葉を重ねて作った皿。
- 國主
- 「こにきし」。朝鮮の国の王の称。
- 御馬甘
- 「みまかひ」。天皇の馬を飼う者。服属して貢ぎ物を納めることを言う。
- 百濟の國
- 朝鮮半島の南西部にあった国。
- 墨の江の大神の荒御魂
- 住吉三神の荒々しい霊威。新羅に国の守り神として祭った。
- 宇美
- 福岡県糟屋郡宇美町。宇美八幡宮が応神天皇の誕生地とされる。
- 伊斗の村
- 福岡県糸島市の辺り。鎮懐石八幡宮に皇后の石の伝承がある。
- 末羅縣の玉島の里
- 肥前国松浦郡(佐賀県唐津市)の玉島川の辺り。
- 勝門比賣
- 皇后が座って鮎を釣った岩の名。
文法
- 原文の「定國」
- 底本は原文の「坐腹中定國也」の「定」を枠で囲んで刷る。翻刻では枠を入れなかった。
- 向ひませ
- 底本の訓み下しは「汝は一道に向ひませ」と、句点を付けずに閉じの括弧を刷る。底本どおりとした。
- 生々に
- 「なまなまに」。気の進まないまま、しぶしぶ。原文は「那麻那麻邇」と音で書く。
- あそばせ
- 「あそばす」は、ここでは琴を弾くこと。原文は「阿蘇婆勢」と音で書く。
- 天地のむた
- 「むた」は「共に」の意。原文は「共與天地」。
- 御腹を鎭ひ
- 底本は「鎭」に「いは」とふりがなを付ける。お腹を鎮めて出産を遅らせる意。
解説
仲哀天皇の段は、天皇自身よりも、神功皇后(息長帯比売命)の物語が中心になっています。神の託宣を疑った天皇が急死し、身ごもった皇后が神の導きで海を渡るという筋は、応神天皇が母の胎内にいたときから国を治めることを約束されていた、という王権の神話になっています。
天皇の急死のあとに行われた「国の大祓」に挙げられる罪は、のちの律令時代の大祓の祝詞(延喜式)にある「天つ罪」「国つ罪」とほぼ一致しています。古代の人々が何を罪や穢れと考えていたかを知る貴重な記録です。
新羅征討の伝承は、日本書紀ではさらに詳しく語られ、皇后は摂政として長く政治をとったとされています。高句麗の広開土王碑など朝鮮側の記録には倭の出兵を伝えるものもありますが、この伝承は史実そのものではなく、のちの時代の朝鮮半島との関係を背景に作られたものと考えられています。
関連
出典
- 底本
- 古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。196〜202頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
- 更新日