古典ライブラリー

古事記 中巻

仲哀天皇の崩御と神功皇后の新羅征討

筑紫の訶志比宮で熊曾を討とうとした仲哀天皇は、神がかりした大后息長帯比売命の「西に金銀の国がある」という託宣を疑って琴を弾くのをやめ、そのまま崩じる。神の名は天照大神と住吉の三神と明かされ、大后は身ごもったまま海を渡って新羅を服属させ、筑紫に戻って御子(応神天皇)を産む。

  1. 1中なか中なかなか日ひ日ひひ子こ子ここののの天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと。。。ののの宮みや宮みやみや又また又またまた筑紫つくし筑紫つくしつくしのののののの宮みや宮みやみやにましましてにましましてにましまして、、、天あめ天あめあめののの下治したしろ下治したしろしたしろしめしきしめしきしめしき。。。此こ此ここののの天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと、、、大江おほえ大江おほえおおえののの王きみ王きみきみののの御女みむすめ御女みむすめみむすめ、、、大中津比賣おほなかつひめ大中津比賣おほなかつひめおおなかつひめののの命みこと命みことみことににに娶あ娶ああひましてひましていまして、、、生う生ううみませるみませるみませる御子みこ御子みこみこ、、、香坂かごさか香坂かごさかかごさかののの王きみ王きみきみ、、、忍熊おしくま忍熊おしくまおしくまののの王きみ王きみきみ。。。(((二柱ふたはしら二柱ふたはしらふたはしら。。。)))またまたまた息長帶比賣おきながたらしひめ息長帶比賣おきながたらしひめおきながたらしひめののの命みこと命みことみことににに娶あ娶ああひましきひましきいましき。。。このこのこの大后おほきさき大后おほきさきおおきさきののの生う生ううみませるみませるみませる御子みこ御子みこみこ、、、品夜和氣ほむやわけ品夜和氣ほむやわけほむやわけののの命みこと命みことみこと。。。次つぎ次つぎつぎにににののの命みこと命みことみこと、、、又また又またまたののの御名みな御名みなみなははは品陀和氣ほむだわけ品陀和氣ほむだわけほむだわけののの命みこと命みことみこと。。。(((二柱ふたはしら二柱ふたはしらふたはしら。。。)))此こ此ここののの太子ひつぎのみこ太子ひつぎのみこひつぎのみこののの御名みな御名みなみな、、、大鞆和氣おほともわけ大鞆和氣おほともわけおおともわけののの命みこと命みことみことととと負お負おおはせるはせるわせる所以このゆゑ所以このゆゑこのゆえははは、、、初はじ初はじはじめめめ生あ生ああれませるれませるれませる時とき時ときときににに、、、御腕みただむき御腕みただむきみただむきににになせるなせるなせる宍しし宍ししししありしゆゑにありしゆゑにありしゆえに、、、其そ其そそののの御名みな御名みなみなににに著つ著つつけまつりきけまつりきけまつりき。。。こゝこゝここををを以もつ以もつもつててて御腹みはら御腹みはらみはら中なか中なかなかにましましてにましましてにましまして、、、國くに國くにくに定さだ定さださだめたまへりしことめたまへりしことめたまえりしこと知し知ししらえたりらえたりらえたり。。。此こ此ここののの御世みよ御世みよみよににに、、、淡道あはぢ淡道あはぢあわじののの屯家みやけ屯家みやけみやけををを定さだ定さださだめたまひきめたまひきめたまいき。。。帶中日子天皇。坐穴門豐浦宮及筑紫訶志比宮。治天下也。此天皇。娶大江王之女。大中津比賣命生御子。香坂王。忍熊王。〈二柱〉又娶息長帶比賣命。是大后生御子。品夜和氣命。次大鞆和氣命。亦名品陀和氣命。〈二柱〉此太子之御名。所以負大鞆和氣命者。初所生時。如鞆宍生御腕故。著其御名。是以知坐腹中定國也。此之御世。定淡道之屯家也。
  2. 2其そ其そそののの息長帶比賣おきながたらしひめ息長帶比賣おきながたらしひめおきながたらしひめののの命みこと命みことみことははは、、、りたまへりきりたまへりきりたまえりき。。。かれかれかれ天皇筑紫之訶志比すめらみことつくしのかしひ天皇筑紫之訶志比すめらみことつくしのかしひすめらみことつくしのかしいののの宮みや宮みやみやにましましてにましましてにましまして、、、熊曾くまそ熊曾くまそくまそののの國くに國くにくにををを平たひら平たひらたいらけたまはむとせしけたまはむとせしけたまわむとせし時とき時ときときににに、、、天皇御琴すめらみことみこと天皇御琴すめらみことみことすめらみことみことををを控ひ控ひひしてしてして、、、建內たけうち建內たけうちたけうちののの宿禰すくね宿禰すくねすくねのののににに居を居をおててて、、、神かみ神かみかみののの命みこと命みことみことををを請こ請ここひまつりきひまつりきひまつりき。。。爰ここ爰ここここににに大后おほきさき大后おほきさきおおきさき神かみ神かみかみがかりしてがかりしてがかりして、、、言敎ことをし言敎ことをしことおしへへえ覺さと覺さとさとししし給たま給たまたまひつらくはひつらくはいつらくわ、、、「「「西にし西にしにしののの方かた方かたかたににに國くに國くにくにありありあり、、、金銀こがねしろがね金銀こがねしろがねこがねしろがねをををはじめてはじめてはじめて、、、目め目めめののの耀かがや耀かがやかがやくくく種々くさぐさ種々くさぐさくさぐさののの珍寶其たからそ珍寶其たからそたからそののの國くに國くにくにににに多さは多さはさわなるなるなるををを、、、吾あ吾ああ今いま今いまいま其そ其そそののの國くに國くにくにををを歸かへ歸かへかえせたまはむせたまはむせたまわむ。。。」」」ととと詔の詔ののりたまひきりたまひきりたまいき。。。こゝにこゝにここに天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと答こた答こたこたへまへまえまをををしたまはくしたまはくしたまわく、、、「「「高たか高たかたかききき地ところ地ところところににに登のぼ登のぼのぼりてりてりて西にし西にしにしののの方かた方かたかたををを見み見みみればればれば、、、國くに國くにくにははは見み見みみえずえずえず、、、唯大海ただおほうみ唯大海ただおほうみただおおうみのみこそあれのみこそあれのみこそあれ。。。」」」ととと申まを申まをもうしてしてして、、、詐いつは詐いつはいつわりせすりせすりせす神かみ神かみかみととと思おも思おもおもほしてほしておして、、、御琴みこと御琴みことみことををを押お押おおししし退そ退そそけてけてけて、、、控ひ控ひひきたまはずきたまはずきたまわず、、、默もだ默もだもだいましぬいましぬいましぬ。。。かれかれかれ其そ其そそののの神かみ神かみかみ大いた大いたいたくくく忿いか忿いかいからしてらしてらして、、、「「「おほかたこのおほかたこのおおかたこの天あめ天あめあめののの下した下したしたははは、、、汝な汝ななののの知し知ししらすべきらすべきらすべき國くに國くにくににあらずにあらずにあらず、、、汝な汝ななはははににに向むか向むかむかひませひませいませ」」」ととと詔の詔ののりたまひきりたまひきりたまいき。。。こゝにこゝにここに建內たけうち建內たけうちたけうちののの宿禰すくね宿禰すくねすくねののの大臣おほおみ大臣おほおみおおおみ申まを申まをもうしけらくしけらくしけらく、、、「「「恐かしこ恐かしこかしこししし、、、我あ我ああががが天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと。。。猶なほ猶なほなお其そ其そそののの大御琴おほみこと大御琴おほみことおおみことあそばせあそばせあそばせ。。。」」」とまとまとまをををしきしきしき。。。かれかれかれ稍やや稍やややや其そ其そそののの琴こと琴ことことををを取と取ととりりり依よ依よよせてせてせて、、、生々なまなま生々なまなまなまなまににに控ひ控ひひきいましけるにきいましけるにきいましけるに、、、幾時いくだ幾時いくだいくだもあらずてもあらずてもあらずて、、、御琴みこと御琴みことみことののの音聞ねきこ音聞ねきこねきこえずなりぬえずなりぬえずなりぬ。。。かれかれかれ火ひ火ひひををを擧あ擧ああげてげてげて見み見みみまつればまつればまつれば、、、既はや既はやはやくくく崩かむあが崩かむあがかむあがりましにきりましにきりましにき。。。其大后息長帶日賣命者。當時歸神。故天皇坐筑紫之訶志比宮。將擊熊曾國之時。天皇控御琴而。建內宿禰大臣。居於沙庭。請神之命。於是大后歸神。言敎覺詔者。西方有國。金銀爲本。目之炎耀種種珍寶。多在其國。吾今歸賜其國。爾天皇答白。登高地見西方者。不見國土。唯有大海。謂爲詐神而。押退御琴。不控。默坐。爾其神大忿詔。凡茲天下者。汝非應知國。汝者向一道。於是建內宿禰大臣白。恐我天皇。猶阿蘇婆勢其大御琴。〈自阿至勢以音〉爾稍取依其御琴而。那麻那麻邇〈此五字以音〉控坐。故未幾久而。不聞御琴之音。卽擧火見者。既崩訖。
  3. 3かれかれかれ驚おどろ驚おどろおどろききき懼おそ懼おそおそみてみてみて、、、にませにませにませ奉たてまつ奉たてまつたてまつりてりてりて、、、更さら更さらさらににに國くに國くにくにのののををを取と取ととりてりてりて、、、、、、逆剝さかはぎ逆剝さかはぎさかはぎ、、、阿離あはなち阿離あはなちあはなち、、、溝埋みぞうめ溝埋みぞうめみぞうめ、、、屎戶くそへ屎戶くそへくそへ、、、、、、馬婚うまたはけ馬婚うまたはけうまたわけ、、、牛婚うしたはけ牛婚うしたはけうしたわけ、、、鷄婚とりたはけ鷄婚とりたはけとりたわけ、、、犬婚いぬたはけ犬婚いぬたはけいぬたわけののの罪つみ罪つみつみののの類たぐひ類たぐひたぐいををを種々くさぐさ種々くさぐさくさぐさ求ま求ままぎてぎてぎて、、、國くに國くにくにのののしてしてして、、、またまたまた建內たけうち建內たけうちたけうちののの宿禰沙庭すくねさには宿禰沙庭すくねさにはすくねさにわににに居を居をおててて、、、神かみ神かみかみののの命みこと命みことみことををを請こ請ここひまつりきひまつりきひまつりき。。。こゝにこゝにここに敎をし敎をしをしへへへ覺さと覺さとさとしたまふしたまふしたまう狀さま狀さまさま、、、具つぶさ具つぶさつぶさににに先日さき先日さきさきののの如ごと如ごとごとくにてくにてくにて、、、「「「おほかたおほかたおおかた此こ此ここののの國くに國くにくにははは、、、汝な汝ななががが命みこと命みことみことののの御腹みはら御腹みはらみはらにますにますにます御子みこ御子みこみこののの知し知ししらさむらさむらさむ國くに國くにくになりなりなり。。。」」」ととと敎をし敎をしをしへへへ覺さと覺さとさとしたまひきしたまひきしたまいき。。。かれかれかれ建內たけうち建內たけうちたけうちののの宿禰すくね宿禰すくねすくね、、、「「「恐かしこ恐かしこかしこししし、、、我あ我ああががが大神おほかみ大神おほかみおおかみ、、、其そ其そそののの神かみ神かみかみののの御腹みはら御腹みはらみはらにますにますにます御子みこ御子みこみこ、、、何なに何なになにののの御子みこ御子みこみこぞもぞもぞも。。。」」」とまとまとまをををせばせばせば、、、「「「男子ひこみこ男子ひこみこひこみこぞぞぞ。。。」」」ととと詔の詔ののりたまひきりたまひきりたまいき。。。かれかれかれ具つぶさ具つぶさつぶさににに請こ請ここひまつりけらくひまつりけらくひまつりけらく、、、「「「今いま今いまいまかくかくかく言敎ことをし言敎ことをしことおしへたまふへたまふえたまう大神おほかみ大神おほかみおおかみははは、、、其そ其そそののの御名みな御名みなみなををを知し知ししらまくらまくらまくほしほしほし。。。」」」とまとまとまをををせばせばせば、、、答こた答こたこたへたまひつらくへたまひつらくえたまいつらく、、、「「「こここははは天あめ天あめあめ照て照てて大神おほかみ大神おほかみおおかみののの御心みこころ御心みこころみこころなりなりなり。。。またまたまたののの男を男をを、、、中筒なかつつ中筒なかつつなかつつののの男を男をを、、、上筒うはつつ上筒うはつつうわつつののの男を男をを、、、三柱みはしら三柱みはしらみはしらののの大神おほかみ大神おほかみおおかみなりなりなり。。。(((此こ此ここののの時とき時ときときにぞにぞにぞ其そ其そそののの三柱みはしら三柱みはしらみはしらののの大神おほかみ大神おほかみおおかみののの御名みな御名みなみなははは顯あら顯あらあらはははしたまへるしたまへるしたまえる。。。)))今いま今いまいま寔まこと寔まことまことににに其そ其そそののの國くに國くにくにををを求もと求もともとめむとめむとめむと思おぼ思おぼおぼさばさばさば、、、天あま天あまあまつつつ神かみ神かみかみ、、、地くに地くにくにつつつ祇かみ祇かみかみ、、、またまたまた山やま山やまやまののの神かみ神かみかみ、、、海河うみかは海河うみかはうみかわののの神かみ神かみかみたちにたちにたちに、、、悉ことごと悉ことごとことごとににに幣帛奉みてぐらたてまつ幣帛奉みてぐらたてまつみてぐらたてまつりりり、、、我あ我ああががが御魂みたま御魂みたまみたまををを御船みふね御船みふねみふねののの上うへ上うへうえにませてにませてにませて、、、眞木まき眞木まきまきののの灰はひ灰はひはいををを瓠ひさご瓠ひさごひさごににに納い納いいれれれ、、、またまたまた箸はし箸はしはしとととををを多さは多さはさわににに作つく作つくつくりてりてりて、、、皆々大海みなみなおほうみ皆々大海みなみなおほうみみなみなおおうみににに散ち散ちちらしらしらし浮う浮ううけてけてけて度わた度わたわたりますべしりますべしりますべし。。。」」」とのりたまひきとのりたまひきとのりたまいき。。。爾驚懼而。坐殯宮。更取國之大奴佐而。〈奴佐二字以音〉種種求生剝逆剝。阿離溝埋屎戶。上通下通婚。馬婚牛婚。鷄婚犬婚之罪類。爲國之大祓而。亦建內宿禰居於沙庭。請神之命。於是敎覺之狀。具如先日。凡此國者。坐汝命御腹之御子所知國者也。爾建內宿禰白。恐我大神。坐其神腹之御子。何子歟。答詔男子也。爾具請之。今如此言敎之大神者。欲知其御名。卽答詔。是天照大神之御心者。亦底筒男中筒男上筒男。三柱大神者也。〈此時其三柱大神之御名者顯也〉今寔思求其國者。於天神地祇。亦山神及河海之諸神。悉奉幣帛。我之御魂坐于船上而。眞木灰納瓠。亦箸及比羅傳〈此三字以音〉多作。皆皆散浮大海以可度。
  4. 4かれかれかれ備つぶさ備つぶさつぶさににに敎をし敎をしをしへへへ覺さと覺さとさとしたまへるしたまへるしたまえる如ごと如ごとごとくしてくしてくして、、、軍いくさ軍いくさいくさををを整ととの整ととのととのへへへ、、、御船みふね御船みふねみふねををを雙つらな雙つらなつらなめてめてめて、、、度わた度わたわたりいでますりいでますりいでます時とき時ときときににに、、、海原うなはら海原うなはらうなはらののの魚うを魚うをうおどもどもども、、、大おほ大おほおおきなるきなるきなる小ちひ小ちひちいさきさきさき、、、悉ことごと悉ことごとことごとににに御船みふね御船みふねみふねををを負お負おおひてひていて渡わた渡わたわたりきりきりき。。。こゝにこゝにここに順風盛おひかぜさか順風盛おひかぜさかおいかぜさかりにりにりに吹ふ吹ふふきてきてきて、、、御船浪みふねなみ御船浪みふねなみみふねなみのののまに〳〵ゆきつまに〳〵ゆきつまにまにゆきつ。。。かれかれかれ其そ其そそののの御船みふね御船みふねみふねののの波なみ波なみなみ、、、新羅しらぎ新羅しらぎしらぎののの國くに國くにくにににに押お押おおししし騰あが騰あがあがりてりてりて、、、既すで既すですでににに國半くになか國半くになかくになからまでらまでらまで到いた到いたいたりきりきりき。。。こゝにこゝにここに其そ其そそのののぢぢじ惶かしこ惶かしこかしこみてみてみて奏まを奏まをまおしけらくしけらくしけらく、、、「「「今いま今いまいまよりゆくさきよりゆくさきよりゆくさき、、、天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみことののの命みこと命みことみことのののまに〳〵まに〳〵まにまに、、、としてとしてとして、、、年とし年としとしののの每ごと每ごとごとににに船雙ふねつらな船雙ふねつらなふねつらなめてめてめて、、、船腹乾ふなはらほ船腹乾ふなはらほふなはらほさずさずさず、、、舵楫乾さをかぢほ舵楫乾さをかぢほさおかじほさずさずさず、、、天地あめつち天地あめつちあめつちのむたのむたのむた、、、とこととこととことはははににに仕つか仕つかつかへまつらむへまつらむえまつらむ。。。」」」とまとまとまをををしきしきしき。。。かれこゝかれこゝかれここををを以もつ以もつもつててて、、、新羅しらぎ新羅しらぎしらぎののの國くに國くにくにをばをばをば、、、御馬甘みまかひ御馬甘みまかひみまかいととと定さだ定さださだめたまひめたまひめたまい、、、ののの國くに國くにくにをばをばをば、、、渡わたり渡わたりわたりののの屯家みやけ屯家みやけみやけととと定さだ定さださだめめめ給たま給たまたまひきひきいき。。。こゝにこゝにここに其そ其そそののの御杖みつゑ御杖みつゑみつえををを新羅しらぎ新羅しらぎしらぎののの國主こにきし國主こにきしこにきしののの門かど門かどかどににに衝つ衝つつきたてきたてきたて給たま給たまたまひきひきいき。。。卽すなは卽すなはすなわちちち墨すみ墨すみすみののの江え江ええののの大神おほかみ大神おほかみおおかみのののををを、、、國守くにまも國守くにまもくにまもりますりますります神かみ神かみかみととと鎭しづ鎭しづしずめめめ祭まつ祭まつまつりてりてりて、、、還かへ還かへかえりりり渡わた渡わたわたりましきりましきりましき。。。かれかれかれ其そ其そそののの政まつりごと政まつりごとまつりごと未いま未いまいまだだだ竟を竟ををへたまはざるへたまはざるへたまわざる間ほど間ほどほどににに、、、妊はら妊はらはらませるませるませる御子みこ御子みこみこ產あ產ああれまさむとしつれまさむとしつれまさむとしつ。。。かれかれかれ御腹みはら御腹みはらみはらををを鎭いは鎭いはいわひたまはむためにひたまはむためにひたまわむために、、、石いし石いしいしををを取と取ととらしてらしてらして、、、御裳みも御裳みもみもののの腰こし腰こしこしににに纏ま纏ままかしてかしてかして、、、筑紫つくし筑紫つくしつくしののの國くに國くにくにににに渡わた渡わたわたりましてぞりましてぞりましてぞ、、、其そ其そそののの御子みこ御子みこみこははは生あ生ああれましけるれましけるれましける。。。かれかれかれ其そ其そそののの御子みこ御子みこみこ生う生ううみたまへるみたまへるみたまえる地ところ地ところところををを、、、とぞとぞとぞ名な名ななづけけるづけけるづけける。。。またまたまた其そ其そそののの御裳みも御裳みもみもににに纏ま纏ままかせりしかせりしかせりし石いし石いしいしははは、、、筑紫つくし筑紫つくしつくしののの國くに國くにくにのののののの村むら村むらむらになもあるになもあるになもある。。。故備如敎覺。整軍。雙船。度幸之時。海原之魚。不問大小。悉負御船而渡。爾順風大起。御船從浪。故其御船之波瀾。押騰新羅之國。既到半國。於是其國主畏惶奏言。自今以後。隨天皇命而。爲御馬甘。每年雙船。不乾船腹。不乾柂檝。共與天地。無退仕奉。故是以新羅國者。定御馬甘。百濟國者。定渡屯家。爾以其御杖。衝立新羅國主之門。卽以墨江大神之荒御魂。爲國守神而祭鎭。還渡也。故其政未竟之間。其懷妊臨產。卽爲鎭御腹。取石以。纏御裳之腰而。渡筑紫國。其御子者阿禮坐。〈阿禮二字以音〉故號其御子生地。謂宇美也。亦所纏其御裳之石者。在筑紫國之伊斗村也。
  5. 5またまたまた筑紫つくし筑紫つくしつくしのののののの玉島たましま玉島たましまたましまののの里さと里さとさとににに到いた到いたいたりましてりましてりまして、、、其そ其そそののの河かは河かはかはののの邊べ邊べべににに御食みをし御食みをしみおしせすせすせすをををりしもりしもりしも、、、四月うづき四月うづきうずきののの上旬はじめ上旬はじめはじめなりしかばなりしかばなりしかば、、、其そ其そそののの河中かはなか河中かはなかかわなかののの磯いそ磯いそいそにましてにましてにまして、、、御裳みも御裳みもみもののの絲いと絲いといとををを拔ぬ拔ぬぬききき取と取ととりりり、、、飯粒いひぼ飯粒いひぼいいぼををを餌ゑ餌ゑえにしてにしてにして、、、其そ其そそののの河かは河かはかはののの年魚あゆ年魚あゆあゆをををなもなもなも釣つ釣つつらしけるらしけるらしける。。。(((其そ其そそののの河かは河かはかはののの名な名ななををを小河をがは小河をがはおがわといふといふという。。。またまたまた其そ其そそののの磯いそ磯いそいそののの名な名ななをををといふといふという。。。)))かれかれかれ四月うづき四月うづきうずきののの上旬はじめ上旬はじめはじめののの頃ころ頃ころころ、、、女をみな女をみなおみなどもどもども裳も裳ももののの絲いと絲いといとををを拔ぬ拔ぬぬききき、、、飯粒いひぼ飯粒いひぼいいぼををを餌ゑ餌ゑえにしてにしてにして、、、年魚あゆ年魚あゆあゆ釣つ釣つつることることること、、、今いま今いまいまににに絕た絕たたえずえずえず。。。亦到坐筑紫末羅縣之玉島里而。御食其河邊之時。當四月之上旬。爾坐其河中之礒。拔取御裳之絲。以飯粒爲餌。釣其河之年魚。〈其河名謂小河。亦其礒名謂勝門比賣也。〉故四月上旬之時。女人拔裳絲。以粒爲餌釣年魚。至于今不絕也。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

帯中日子天皇(仲哀天皇)は、穴門の豊浦の宮と筑紫の訶志比の宮にいらして天下を治められた。この天皇は、大江王の娘、大中津比売命を妻として、御子の香坂王・忍熊王をお生みになった。(二柱。)また息長帯比売命を妻とされた。この大后がお生みになった御子は品夜和気命、次に大鞆和気命、またの名は品陀和気命。(二柱。)この太子の御名を大鞆和気命という理由は、初めて生まれたとき、御腕に鞆(弓を射るときに腕につける革の道具)のような肉の盛り上がりがあったので、その御名をお付けしたのである。これによって、母のお腹の中にいらしたときから国をお定めになったことがわかる。この御世に、淡道の屯家を定められた。

その大后の息長帯比売命は、そのとき神がかりなさった。それは、天皇が筑紫の訶志比の宮にいらして、熊曾の国を討とうとなさったときのことで、天皇が御琴を弾き、建内宿禰大臣が祭場にいて、神のお告げを求めた。すると大后が神がかりして、教えさとしておっしゃった。「西の方に国がある。金や銀をはじめとして、目にもまばゆいさまざまな珍しい宝がその国にたくさんある。私は今、その国をおまえに服属させて与えよう」。これに天皇がお答えになって、「高い所に登って西の方を見ても、国土は見えず、ただ大海があるばかりだ」とおっしゃって、偽りを言う神だとお思いになり、御琴を押しのけて弾かずに、黙ってしまわれた。するとその神はひどく怒って、「そもそもこの天下は、おまえが治めるべき国ではない。おまえは一つの道(死出の道)に向かえ」とおっしゃった。そこで建内宿禰大臣が「恐れ多いことです、わが天皇よ。やはりその大御琴をお弾きください」と申し上げた。そこで

天皇はそろそろとその琴を引き寄せて、しぶしぶお弾きになっていたが、まもなく御琴の音が聞こえなくなった。そこで火をともして見ると、すでにお亡くなりになっていた。

そこで驚き恐れて、天皇の亡骸を殯宮に安置し、さらに国中から大幣を集めて、生剝・逆剝・阿離・溝埋・屎戸・上通下通婚・馬婚・牛婚・鶏婚・犬婚などの罪の類をさまざまに探し出して、国の大祓をして、また建内宿禰が祭場にいて、神のお告げを求めた。すると神が教えさとす様子は、先日とまったく同じで、

「そもそもこの国は、あなた(大后)のお腹にいらっしゃる御子が治めるべき国である」とお教えになった。そこで建内宿禰が「恐れ多いことです、わが大神よ。その神(大后)のお腹にいらっしゃる御子は、どのような御子でしょうか」と申し上げると、「男子である」とおっしゃった。そこで詳しくお尋ねして、「今このようにお教えくださる大神の、御名を知りとうございます」と申し上げると、お答えになった。「これは天照大神の御心である。また底筒男・中筒男・上筒男の三柱の大神である。(このとき、その三柱の大神の御名が明らかになったのである。)今本当にその国を求めようと思うならば、天つ神・国つ神、また山の神・海や河の神々に、ことごとく幣帛をささげ、我らの御魂を御船の上に祭って、真木の灰を瓢箪に入れ、また箸と葉盤(木の葉の皿)をたくさん作って、みな大海に散らし浮かべて渡るがよい」。

そこで、教えのとおりにすっかり整えて、軍勢をととのえ、船を並べて渡っていかれるとき、海原の魚たちは、大きいものも小さいものも、みな御船を背負って渡った。すると追い風が盛んに吹いて、御船は波のままに進んでいった。そしてその御船の起こした波が、新羅の国に押し上がって、国の半ばにまで達した。そこでその国の王は恐れかしこまって申し上げた。「今から後は、天皇のお言葉のままに、御馬飼いとなって、毎年船を並べ、船の腹を乾かすひまもなく、棹や舵を乾かすひまもなく、天地とともに、いつまでもお仕えいたしましょう」。こうして、新羅の国を御馬飼いと定め、百済の国を海の向こうの屯家と定められた。そしてその御杖を新羅の国王の門に突き立てられた。そして墨江の大神の荒御魂を、国を守る神として鎮め祭って、帰ってこられた。

さて、その政務がまだ終わらないうちに、お腹の御子が生まれそうになった。そこでお腹を鎮めるために、石を取って御裳の腰に巻きつけ、筑紫の国に渡ってから、その

御子はお生まれになった。それで、その御子をお生みになった地を宇美と名づけた。また、その御裳に巻きつけておいた石は、筑紫の国の伊斗の村にある。

また筑紫の末羅県の玉島の里に着かれて、その河のほとりで食事をなさったのは、ちょうど四月の上旬であったので、その河の中の岩にお座りになって、御裳の糸を抜き取り、飯粒を餌にして、その河の鮎をお釣りになった。(その河の名を小河という。またその岩の名を勝門比売という。)それで、四月の上旬のころ、女たちが裳の糸を抜き、飯粒を餌にして鮎を釣ることが、今も絶えずに続いている。

意訳

仲哀天皇は倭建命の子です。熊曾を討つために筑紫に来た天皇は、神がかりした皇后の「西の海の彼方に金銀の国がある」という託宣を信じず、琴を弾く手を止めてしまいます。その夜、天皇は神の怒りにふれて急死しました。神の言葉を疑うことが死を招くという話は、父の倭建命が伊吹山の神を侮った話とも響き合っています。

託宣の主は、天照大神と、住吉三神(底筒男・中筒男・上筒男)でした。上巻で伊邪那岐命が禊をしたときに生まれた神々です。皇后のお腹の子が国を治めると告げられ、皇后は神の導きのもと、魚たちに船を背負われて海を渡り、新羅を服属させます。この「神功皇后の三韓征伐」の伝承は、後世、歴史的事実のように語られ、近代には政治的にも利用されましたが、実際の出来事をそのまま伝えるものではないと考えられています。

出産を遅らせるために石を腰に巻いて帰国し、筑紫で応神天皇を産んだという話は、福岡県の宇美八幡宮の由来として伝えられています。佐賀県唐津市の玉島川で鮎を釣った話は、女性が鮎釣りをする土地の風習の起源を語るもので、万葉集にも玉島川の鮎釣りの歌があります。

語釈・文法注

帶中日子の天皇
第十四代仲哀天皇。倭建命の子。
筑紫の訶志比の宮
福岡市東区香椎。香椎宮が仲哀天皇と神功皇后を祭る。
穴門之豐浦の宮
長門国豊浦(山口県下関市)。
息長帶比賣の命
神功皇后。開化天皇の玄孫とされ、母方は天之日矛の子孫。応神天皇の母。
大鞆和氣の命
のちの応神天皇(品陀和気命)。腕に鞆の形の肉があったことからの名とする。
鞆
弓を射るとき、左の手首につけて弦が当たるのを防ぐ革の道具。
沙庭
「さには」。神のお告げを聞くために清めた場所。また、お告げを聞いて解き明かす人。
神託り
神が人に乗り移ってお告げをすること。皇后が神がかりした。
一道に向ひませ
一つの道(黄泉の国への道)へ向かえ。死を宣告する言葉。
殯宮
「あらきのみや」。葬る前に遺体を安置して祭る仮の御殿。
國の大幣
国中から集めた、祓えのための供え物。
生剝・逆剝・阿離・溝埋・屎戶
大祓で祓われる罪。生剝・逆剝は生きた馬の皮を剝ぐこと、阿離・溝埋は田の畔を壊し溝を埋めること、屎戸は神聖な場所を汚すこと。上巻で須佐之男命が犯した罪とも重なる。
上通下通婚
「おやこたはけ」。親子の間の不倫の交わり。馬婚以下は獣との交わり。いずれも国の罪とされた。
國の大祓
国中の罪や穢れを祓い清める儀式。
底筒の男・中筒の男・上筒の男
住吉三神。上巻で伊邪那岐命が禊をしたときに生まれた神。航海の神として大阪市の住吉大社に祭られる。
葉盤
「ひらで」。木の葉を重ねて作った皿。
國主
「こにきし」。朝鮮の国の王の称。
御馬甘
「みまかひ」。天皇の馬を飼う者。服属して貢ぎ物を納めることを言う。
百濟の國
朝鮮半島の南西部にあった国。
墨の江の大神の荒御魂
住吉三神の荒々しい霊威。新羅に国の守り神として祭った。
宇美
福岡県糟屋郡宇美町。宇美八幡宮が応神天皇の誕生地とされる。
伊斗の村
福岡県糸島市の辺り。鎮懐石八幡宮に皇后の石の伝承がある。
末羅縣の玉島の里
肥前国松浦郡(佐賀県唐津市)の玉島川の辺り。
勝門比賣
皇后が座って鮎を釣った岩の名。

文法

原文の「定國」
底本は原文の「坐腹中定國也」の「定」を枠で囲んで刷る。翻刻では枠を入れなかった。
向ひませ
底本の訓み下しは「汝は一道に向ひませ」と、句点を付けずに閉じの括弧を刷る。底本どおりとした。
生々に
「なまなまに」。気の進まないまま、しぶしぶ。原文は「那麻那麻邇」と音で書く。
あそばせ
「あそばす」は、ここでは琴を弾くこと。原文は「阿蘇婆勢」と音で書く。
天地のむた
「むた」は「共に」の意。原文は「共與天地」。
御腹を鎭ひ
底本は「鎭」に「いは」とふりがなを付ける。お腹を鎮めて出産を遅らせる意。

解説

仲哀天皇の段は、天皇自身よりも、神功皇后(息長帯比売命)の物語が中心になっています。神の託宣を疑った天皇が急死し、身ごもった皇后が神の導きで海を渡るという筋は、応神天皇が母の胎内にいたときから国を治めることを約束されていた、という王権の神話になっています。

天皇の急死のあとに行われた「国の大祓」に挙げられる罪は、のちの律令時代の大祓の祝詞(延喜式)にある「天つ罪」「国つ罪」とほぼ一致しています。古代の人々が何を罪や穢れと考えていたかを知る貴重な記録です。

新羅征討の伝承は、日本書紀ではさらに詳しく語られ、皇后は摂政として長く政治をとったとされています。高句麗の広開土王碑など朝鮮側の記録には倭の出兵を伝えるものもありますが、この伝承は史実そのものではなく、のちの時代の朝鮮半島との関係を背景に作られたものと考えられています。

関連

出典

底本
古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。196〜202頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
更新日