古事記 中巻
景行天皇と小碓命
第十二代景行天皇の后妃と八十人の御子を記す。兄の大碓命は、天皇が召そうとした美濃の姉妹を自分の妻にして、別の女を差し出す。天皇が弟の小碓命に「兄をねぎ教えよ」と命じると、小碓命は厠に入った兄をつかんで手足をもぎ取り、薦に包んで捨ててしまう。
- 1ののの天皇天皇すめらみこと。。。纒向之日代纒向之日代まきむくのひしろののの宮宮みやにましましてにましましてにましまして、、、天天あめののの下治下治したしろしめしきしめしきしめしき。。。このこのこの天皇天皇すめらみこと、、、吉備吉備きびののの臣等臣等おみらががが祖祖おや、、、若建吉備津日子若建吉備津日子わかたけきびつひこののの御女御女みむすめ、、、名名なははは針間針間はりまののの伊那毘伊那毘いなびののの大郞女大郞女おおいらつめににに娶娶あひましてひましていまして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、櫛角別櫛角別くしつぬわけののの王王きみ。。。次次つぎにににののの命命みこと。。。つぎにつぎにつぎに小碓小碓おうすののの命命みこと、、、またのまたのまたの御名御名みなはははののの命命みこと。。。次次つぎににに倭根子倭根子やまとねこののの命命みこと。。。次次つぎににに神櫛神櫛かむくしののの王王きみ。。。(((五柱五柱いつはしら。。。)))またまたまた八尺八尺やさかののの入入い日日ひ子子こののの命命みことののの御女御女みむすめ、、、八坂之入日賣八坂之入日賣やさかのいりひめののの命命みことににに娶娶あひましてひましていまして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、帶帶たらし日日ひ子子こののの命命みこと。。。次次つぎににに五百木之入日子五百木之入日子いおきのいりひこののの命命みこと。。。次次つぎににに押押おしののの別別わけののの命命みこと。。。次次つぎににに五百木五百木いおきののの入入い日日ひ賣賣めののの命命みこと。。。またのまたのまたの妾妾あれののの御子御子みこ、、、豐戶別豐戶別とよとわけののの王王きみ。。。次次つぎににに沼代沼代ぬしろののの郞女郞女いらつめ。。。またのまたのまたの妾妾あれののの御子御子みこ、、、沼名木沼名木ぬなきののの郞女郞女いらつめ。。。次次つぎににに香余理比賣香余理比賣かごよりひめののの命命みこと。。。次次つぎににに若木之入日子若木之入日子わかきのいりひこののの王王きみ。。。次次つぎににに吉備之兄日子吉備之兄日子きびのえひこののの王王きみ。。。次次つぎににに高木比賣高木比賣たかぎひめののの命命みこと。。。次次つぎににに弟比賣弟比賣おとひめののの命命みこと。。。またまたまた日向之美波迦斯毘賣日向之美波迦斯毘賣ひむかのみわかしびめををを娶娶あしてしてして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、豐國豐國とよくに別別わけののの王王きみ。。。またまたまた伊那毘能大郞女伊那毘能大郞女いなびのおおいらつめののの弟弟おとうと、、、伊那毘能若郞女伊那毘能若郞女いなびのわかいらつめををを娶娶あしてしてして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、眞若眞若まわかののの王王きみ。。。次次つぎににに日子人之大兄日子人之大兄ひこひとのおおえののの王王きみ。。。またまたまた倭建倭建やまとたけるののの命命みことののの曾孫曾孫ひひこ、、、名名なははは須賣伊呂大中須賣伊呂大中すめいろおおなかつつつ日日ひ子子こののの王王きみののの女女おんな、、、訶具漏比賣訶具漏比賣かぐろひめををを娶娶あしてしてして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、大枝大枝おおえののの王王きみ。。。大帶日子淤斯呂和氣天皇。坐纒向之日代宮。治天下也。此天皇。娶吉備臣等之祖。若建吉備津日子之女。名針間之伊那毘能大郞女。生御子。櫛角別王。次大碓命。次小碓命。亦名倭男具那命。〈具那二字以音〉次倭根子命。次神櫛王。〈五柱〉又娶八尺入日子命之女。八坂之入日賣命。生御子。若帶日子命。次五百木之入日子命。次押別命。次五百木之入日賣命。又妾之子。豐戶別王。次沼代郞女。又妾之子。沼名木郞女。次香余理比賣命。次若木之入日子王。次吉備之兄日子王。次高木比賣命。次弟比賣命。又娶日向之美波迦斯毘賣。生御子。豐國別王。又娶伊那毘能大郞女之弟。伊那毘能若郞女。〈自伊下四字以音〉生御子。眞若王。次日子人之大兄王。又娶倭建命之曾孫。名須賣伊呂大中日子王〈自須至呂四字以音〉之女。訶具漏比賣。生御子。大枝王。
- 2すべてすべてすべて此此こののの大帶日子大帶日子おおたらしひこののの天皇天皇すめらみことののの御子等御子等みこたち、、、書書ふみににに錄錄しるせるせるせる二十一王二十一王はたちまりひとはしら、、、記記しるさざるさざるさざる五十九王五十九王いそじまりここのはしら、、、幷幷あわせてせてせてませるなかにませるなかにませるなかに、、、若若わか帶帶たらし日日ひ子子こののの命命みことととと倭建倭建やまとたけるののの命命みこと、、、またまたまた五百木之入日子五百木之入日子いおきのいりひこののの命命みことととと、、、此此こののの三王三王みはしらぞぞぞ太子太子ひつぎのみことまとまとまをををすすす御名御名みなををを負負おはしてはしてわして、、、其其それよりれよりれより餘七十七王餘七十七王ほかななそじまりななはしらたちはたちはたちわ、、、悉悉ことごとににに國々國々くにぐにののの國國くにののの造造みやつこ、、、またまたまた別別わけ、、、稻置稻置いなき、、、縣主縣主あがたぬしににに別別わけけけけ賜賜たまひきひきいき。。。かれかれかれ若若わか帶帶たらし日日ひ子子こののの命命みことははは、、、天天あめののの下治下治したしろしめしきしめしきしめしき。。。小碓小碓おうすののの命命みことははは、、、東東ひむがし西西にしののの荒荒あらぶるぶるぶる神神かみ、、、伏伏まつろはははぬぬぬ人人ひとどもどもどもををを平平たいらけけけ給給たまひきひきいき。。。次次つぎににに櫛角別櫛角別くしつぬわけののの王王きみははは、、、(((茨田茨田まむたののの下下したののの連等連等むらじらががが祖祖おや。。。)))次次つぎににに大碓大碓おおうすののの命命みことははは、、、(((守守もりののの君君きみ、、、太田太田おおたののの君君きみ、、、島田島田しまだののの君君きみののの祖祖おや。。。)))次次つぎににに神櫛神櫛かむくしののの王王きみははは、、、(((木木きののの國國くにののの酒部之阿比古酒部之阿比古さかべのあびこ、、、宇陀宇陀うだののの酒部酒部さかべののの祖祖おや。。。)))次次つぎににに豐國豐國とよくに別別わけののの王王きみははは、、、(((日向日向ひむかののの國國くにののの造造みやつこののの祖祖おやなりなりなり。。。)))凡此大帶日子天皇之御子等。所錄廿一王。不入記五十九王。幷八十王之中。若帶日子命與倭建命。亦五百木之入日子命。此三王。負太子之名。自其餘七十七王者。悉別賜國國之國造。亦和氣及稻置縣主也。故若帶日子命者。治天下也。小碓命者。平東西之荒神。及不伏人等也。次櫛角別王者。〈茨田下連等之祖。〉次大碓命者。〈守君。大田君。島田君之祖。〉次神櫛王者。〈木國之酒部阿比古。宇陀酒部之祖。〉次豐國別王者。〈日向國造之祖。〉
- 3こゝにこゝにここに天皇天皇すめらみこと、、、三野三野みぬののの國國くにののの造造みやつこののの祖祖おや、、、神大根神大根かむおおねののの王王きみののの御女御女みむすめ、、、名名なははは兄比賣弟比賣二孃子兄比賣弟比賣二孃子えひめおとひめふたおとめ、、、其其それれれ顏好顏好かおよきききをををきこしめしきこしめしきこしめし定定さだめてめてめて、、、其其そののの御子大碓御子大碓みこおおうすののの命命みことををを遣遣つかはしてはしてわして喚上喚上めさげたまふげたまふげたまう。。。かれかれかれ其其そののの遣遣つかはさえたるはさえたるわさえたる大碓大碓おおうすののの命命みこと、、、召召め上上あげずてげずてげずて、、、己己おの自自ずかららら其其そののの二孃子二孃子ふたおとめににに淫淫たわけてけてけて、、、さらにさらにさらに他女他女あだしおみなををを求求まぎてぎてぎて、、、其其そののの孃子孃子おとめとまとまとまをををしてしてして貢貢みつぎりきりきりき。。。こゝにこゝにここに天皇天皇すめらみこと其其それれれ他女他女あだしおみななることなることなることををを知知しろしめしてろしめしてろしめして、、、恆恆つねにににををを經經へしめしめしめ、、、またまたまた婚婚めしもせずてしもせずてしもせずて、、、物物もの思思おもはしめたまひきはしめたまひきわしめたまいき。。。かれかれかれ其其そののの大碓大碓おおうすののの命命みこと、、、兄姬兄姬えひめににに娶娶あひてひていて生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、押黑之兄日子押黑之兄日子おしくろのえひこののの王王きみ。。。(((此此こははは三野三野みぬののの宇泥須宇泥須うねすののの和氣和氣わけののの祖祖おや。。。)))またまたまた弟比賣弟比賣おとひめににに娶娶あひてひていて生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、押黑押黑おしくろののの弟日子弟日子おとひこののの王王きみ。。。(((此此こははは牟宜都牟宜都むげつののの君等君等きみらががが祖祖おやなりなりなり。。。)))於是天皇。聞看定三野國造之祖。神大根王之女。名兄比賣弟比賣二孃子其容姿麗美而。遣其御子大碓命以喚上。故其所遣大碓命。勿召上而。卽己自婚其二孃子。更求他女人。詐名其孃女而貢上。於是天皇知其他女。恆令經長眼。亦勿婚而。惚也。故其大碓命。娶兄比賣生子。押黑之兄日子王。〈此者三野之宇泥須和氣之祖。〉亦娶弟比賣生子。押黑弟日子王。〈此者牟宜都君等之祖。〉
- 4此此こののの御世御世みよににに田部田部たべををを定定さだめたまひめたまひめたまい、、、またまたまた東東ひむがしののの淡淡あわののの水門水門みなとををを定定さだめたまひめたまひめたまい、、、またまたまた膳之大伴部膳之大伴部かしわでのおおともべををを定定さだめたまひめたまひめたまい、、、またまたまた倭倭やまとのののををを定定さだめたまひめたまひめたまい、、、またまたまた坂手坂手さかてののの池池いけををを作作つくりてりてりて、、、其其そののの堤堤つつみににに竹竹たけををを植植うゑしめたまひきゑしめたまひきえしめたまいき。。。此之御世。定田部。又定東之淡水門。又定膳之大伴部。又定倭屯家。又作坂手池。卽竹植其堤也。
- 5天皇天皇すめらみこと、、、小碓小碓おうすののの命命みことににに詔詔のりたまはくりたまはくりたまわく、、、「「「何何なにとかもとかもとかも汝汝なののの兄朝夕兄朝夕いろせあしたゆうべののの大御食大御食おおみけにまゐにまゐにまい出出い來來きざるざるざる。。。專專もわららら汝汝な敎敎をしへへへ覺覺さとせせせ。。。」」」ととと詔詔のりたまひきりたまひきりたまいき。。。かくかくかく詔詔のりたまひてりたまひてりたまいて後後のち、、、五日五日いつかといふまでにといふまでにというまでに、、、猶猶なおまゐまゐまい出出いでたまはざりきでたまはざりきでたまわざりき。。。かれかれかれ天皇小碓天皇小碓すめらみことおうすののの命命みことににに問問とひたまはくひたまはくいたまわく、、、「「「何何なにぞぞぞ汝汝なののの兄兄いろせ久久ひさしくまゐしくまゐしくまい出出い來來きざるざるざる。。。若若もししし未未いまだだだ誨誨をしへずありやへずありやへずありや。。。」」」ととと問問とひたまへばひたまへばいたまえば、、、「「「既既すでにねぎつにねぎつにねぎつ。。。」」」とまとまとまをををししし給給たまひきひきいき。。。またまたまた、、、「「「如何如何いかさまにかねぎつるさまにかねぎつるさまにかねぎつる。。。」」」ととと詔詔のりたまへばりたまへばりたまえば、、、まままをををしたまはくしたまはくしたまわく、、、「「「朝署朝署あけにににににに入入いりたりしりたりしりたりし時時とき、、、捕捕とらへてへてえて搤搤つかみみみ拉拉ひしぎてぎてぎて、、、其其そののの枝枝えだををを引引ひききき闕闕かきてきてきて、、、薦薦こもににに裹裹つつみてみてみて投投いたげげげ棄棄うてつてつてつ。。。」」」とぞまとぞまとぞまをををしたまひけるしたまひけるしたまいける。。。天皇詔小碓命。何汝兄於朝夕之大御食不參出來。專汝泥疑敎覺。〈泥疑二字以音。下效此〉如此詔以後。至于五日。猶不參出。爾天皇問賜小碓命。何汝兄久不參出。若有未誨乎。答白既爲泥疑也。又詔如何泥疑之。答白。朝署入廁之時。持捕搤批而。引闕其枝。裹薦投棄。
現代語訳
大帯日子淤斯呂和気天皇(景行天皇)は、纏向の日代の宮にいらして天下を治められた。この天皇は、吉備臣らの祖、若建吉備津日子の娘、名は播磨の伊那毘能大郎女を妻として生んだ御子は、櫛角別王、次に大碓命、次に小碓命、またの名は倭男具那命、次に倭根子命、次に神櫛王の五柱。また八尺入日子命の娘、八坂之入日売命を妻として生んだ御子は、若帯日子命、次に五百木之入日子命、次に
押別命、次に五百木之入日売命。また別の妃の子は、豊戸別王、次に沼代郎女。また別の妃の子は、沼名木郎女、次に香余理比売命、次に若木之入日子王、次に吉備之兄日子王、次に高木比売命、次に弟比売命。また日向の美波迦斯毘売を妻として生んだ御子は、豊国別王。また伊那毘能大郎女の妹、伊那毘能若郎女を妻として生んだ御子は、真若王、次に日子人之大兄王。また倭建命の曾孫、名は須売伊呂大中日子王の娘、訶具漏比売を妻として生んだ御子は、大枝王。
この大帯日子天皇の御子たちは、書き記したものが二十一王、記さないものが五十九王、あわせて八十王いらっしゃったが、その中で若帯日子命と倭建命、また五百木之入日子命の
三王が皇太子の名を負われ、それ以外の七十七王は、すべて諸国の国造・別・稲置・県主に分けてお与えになった。そして若帯日子命(成務天皇)は天下を治められた。小碓命は、東西の荒ぶる神や従わない人々を平定なさった。次に櫛角別王は茨田の下連らの祖先、次に大碓命は守君・太田君・島田君の祖先、次に神櫛王は紀伊国の酒部の阿比古・宇陀の酒部の祖先、次に豊国別王は日向国造の祖先である。
さて天皇は、美濃国造の祖、神大根王の娘、名は兄比売・弟比売の二人の乙女が美しいとお聞きになって、その御子の大碓命を遣わして召し上げようとなさった。ところが遣わされた
大碓命は、二人を召し上げずに、自分でその二人の乙女と通じてしまい、さらに別の女を探してきて、その乙女だと偽って差し出した。天皇はそれが別の女であることを見抜いて、いつまでも見つめさせるばかりで、結婚もせずに物思いにふけらせなさった。その大碓命が兄比売を妻として生んだ子は押黒之兄日子王(三野の宇泥須和気の祖)、また弟比売を妻として生んだ子は押黒弟日子王(牟宜都君らの祖)である。
この御代に、田部を定め、また東国の淡(安房)の水門を定め、また膳の大伴部を定め、また倭の屯家を定め、また坂手の池を作って、その堤に竹を植えさせなさった。
天皇が小碓命におっしゃった。「どうしておまえの兄は、朝夕の食事の席に出てこないのか。おまえがよくねぎらって教えさとしなさい」。こうおっしゃってから五日たっても、大碓命はやはり出てこなかった。そこで天皇は小碓命に「どうしておまえの兄は長く出てこないのか。もしやまだ教えていないのか」とお尋ねになると、「もうねぎらいました」と申し上げた。また「どのようにねぎらったのか」とお尋ねになると、「明け方、兄が厠に入ったときに、待ち構えて捕まえ、つかみつぶして、その手足をもぎ取り、薦に包んで投げ捨てました」と申し上げた。
意訳
景行天皇には八十人もの御子がいたとされ、そのうち多くが各地の国造や県主に任じられたといいます。地方の豪族の多くが天皇家の子孫を名乗った事情を、このような大きな系譜の形でまとめたものと考えられます。
兄の大碓命は、父の天皇が妃にしようとした姉妹を横取りし、身代わりの女を差し出すという裏切りを働きます。天皇はそれを見抜きながら、身代わりの女をただ見つめるだけで放っておきました。父と兄の間のこの確執が、次の事件の伏線となります。
天皇が「ねぎ教えよ(ねぎらって教えさとせ)」と言ったのを、小碓命は文字どおりに受け取らず、兄を待ち伏せて手足をもぎ取り殺してしまいました。言葉の行き違いとも、小碓命の荒々しすぎる力の表れとも読めるこの場面は、のちに倭建命と呼ばれる英雄の物語の、衝撃的な始まりです。父の天皇は、この子の恐ろしさに恐れを抱くことになります。
語釈・文法注
- 大帶日子淤斯呂和氣の天皇
- 第十二代景行天皇。纏向の日代の宮(奈良県桜井市穴師)にいた。倭建命の父。
- 大碓の命・小碓の命
- 景行天皇の皇子で双子とされる。日本書紀では、生まれたとき天皇が碓(臼)に向かって叫んだので名づけたとする。小碓命がのちの倭建命。
- 倭男具那の命
- 小碓命のまたの名。「をぐな」は少年の意。
- 若帶日子の命
- 次の成務天皇。
- 八十王
- 景行天皇の御子八十人。記録されたのは二十一人。多くの皇子が各地の国造・別などの祖とされた。
- 長眼を經しめ
- いつまでも見つめるだけで、結婚もしなかったこと。長く物思いにふけらせること。
- 倭の屯家
- 朝廷の直轄の田と、その収穫を納める倉。
- ねぎ敎へ覺せ
- 「ねぐ」はねぎらう、いたわる意。父はやさしく諭せと言ったが、小碓命は兄を殺してしまった。原文は「泥疑」と音で書く。
- 廁
- 便所。古代には川の上に作ることが多かった(川屋)。
文法
- 原文の「持捕搤批而」
- 底本の原文は「持捕搤批而」と刷る(通行本文は「待捕搤批而」)。底本どおりとした。
- 所錄廿一王
- 原文は「所錄廿一王。不入記五十九王」と書き、訓み下しは「書に錄せる二十一王、記さざる五十九王」と訓む。
- 兄姬
- 底本の訓み下しは、ここだけ「兄姬」と書き、原文は「兄比賣」。
解説
景行天皇の段は、皇子小碓命(倭建命)の英雄物語が中心で、天皇自身の事績はほとんど語られません。日本書紀では景行天皇自らが九州に遠征して熊襲を討つ話が詳しく記されていますが、古事記では倭建命一人の活躍として描かれています。
小碓命が兄の大碓命を殺す場面は、日本書紀にはありません。古事記では、この事件によって小碓命の荒々しい力が示され、父の天皇がその力を恐れて西方の熊曾征伐に遣わすという、物語の展開の出発点になっています。英雄でありながら父に疎まれ、遠い地へ追いやられ続ける悲劇的な倭建命の像は、ここから始まります。
関連
出典
- 底本
- 古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。174〜178頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
- 更新日