古典ライブラリー

古事記 中巻

景行天皇と小碓命

第十二代景行天皇の后妃と八十人の御子を記す。兄の大碓命は、天皇が召そうとした美濃の姉妹を自分の妻にして、別の女を差し出す。天皇が弟の小碓命に「兄をねぎ教えよ」と命じると、小碓命は厠に入った兄をつかんで手足をもぎ取り、薦に包んで捨ててしまう。

  1. 1ののの天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと。。。纒向之日代まきむくのひしろ纒向之日代まきむくのひしろまきむくのひしろののの宮みや宮みやみやにましましてにましましてにましまして、、、天あめ天あめあめののの下治したしろ下治したしろしたしろしめしきしめしきしめしき。。。このこのこの天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと、、、吉備きび吉備きびきびののの臣等おみら臣等おみらおみらががが祖おや祖おやおや、、、若建吉備津日子わかたけきびつひこ若建吉備津日子わかたけきびつひこわかたけきびつひこののの御女みむすめ御女みむすめみむすめ、、、名な名ななははは針間はりま針間はりまはりまののの伊那毘いなび伊那毘いなびいなびののの大郞女おほいらつめ大郞女おほいらつめおおいらつめににに娶あ娶ああひましてひましていまして、、、生う生ううみませるみませるみませる御子みこ御子みこみこ、、、櫛角別くしつぬわけ櫛角別くしつぬわけくしつぬわけののの王きみ王きみきみ。。。次つぎ次つぎつぎにににののの命みこと命みことみこと。。。つぎにつぎにつぎに小碓をうす小碓をうすおうすののの命みこと命みことみこと、、、またのまたのまたの御名みな御名みなみなはははののの命みこと命みことみこと。。。次つぎ次つぎつぎににに倭根子やまとねこ倭根子やまとねこやまとねこののの命みこと命みことみこと。。。次つぎ次つぎつぎににに神櫛かむくし神櫛かむくしかむくしののの王きみ王きみきみ。。。(((五柱いつはしら五柱いつはしらいつはしら。。。)))またまたまた八尺やさか八尺やさかやさかののの入い入いい日ひ日ひひ子こ子ここののの命みこと命みことみことののの御女みむすめ御女みむすめみむすめ、、、八坂之入日賣やさかのいりひめ八坂之入日賣やさかのいりひめやさかのいりひめののの命みこと命みことみことににに娶あ娶ああひましてひましていまして、、、生う生ううみませるみませるみませる御子みこ御子みこみこ、、、帶たらし帶たらしたらし日ひ日ひひ子こ子ここののの命みこと命みことみこと。。。次つぎ次つぎつぎににに五百木之入日子いほきのいりひこ五百木之入日子いほきのいりひこいおきのいりひこののの命みこと命みことみこと。。。次つぎ次つぎつぎににに押おし押おしおしののの別わけ別わけわけののの命みこと命みことみこと。。。次つぎ次つぎつぎににに五百木いほき五百木いほきいおきののの入い入いい日ひ日ひひ賣め賣めめののの命みこと命みことみこと。。。またのまたのまたの妾あれ妾あれあれののの御子みこ御子みこみこ、、、豐戶別とよとわけ豐戶別とよとわけとよとわけののの王きみ王きみきみ。。。次つぎ次つぎつぎににに沼代ぬしろ沼代ぬしろぬしろののの郞女いらつめ郞女いらつめいらつめ。。。またのまたのまたの妾あれ妾あれあれののの御子みこ御子みこみこ、、、沼名木ぬなき沼名木ぬなきぬなきののの郞女いらつめ郞女いらつめいらつめ。。。次つぎ次つぎつぎににに香余理比賣かごよりひめ香余理比賣かごよりひめかごよりひめののの命みこと命みことみこと。。。次つぎ次つぎつぎににに若木之入日子わかきのいりひこ若木之入日子わかきのいりひこわかきのいりひこののの王きみ王きみきみ。。。次つぎ次つぎつぎににに吉備之兄日子きびのえひこ吉備之兄日子きびのえひこきびのえひこののの王きみ王きみきみ。。。次つぎ次つぎつぎににに高木比賣たかぎひめ高木比賣たかぎひめたかぎひめののの命みこと命みことみこと。。。次つぎ次つぎつぎににに弟比賣おとひめ弟比賣おとひめおとひめののの命みこと命みことみこと。。。またまたまた日向之美波迦斯毘賣ひむかのみはかしびめ日向之美波迦斯毘賣ひむかのみはかしびめひむかのみわかしびめををを娶あ娶ああしてしてして、、、生う生ううみませるみませるみませる御子みこ御子みこみこ、、、豐國とよくに豐國とよくにとよくに別わけ別わけわけののの王きみ王きみきみ。。。またまたまた伊那毘能大郞女いなびのおほいらつめ伊那毘能大郞女いなびのおほいらつめいなびのおおいらつめののの弟おとうと弟おとうとおとうと、、、伊那毘能若郞女いなびのわかいらつめ伊那毘能若郞女いなびのわかいらつめいなびのわかいらつめををを娶あ娶ああしてしてして、、、生う生ううみませるみませるみませる御子みこ御子みこみこ、、、眞若まわか眞若まわかまわかののの王きみ王きみきみ。。。次つぎ次つぎつぎににに日子人之大兄ひこひとのおほえ日子人之大兄ひこひとのおほえひこひとのおおえののの王きみ王きみきみ。。。またまたまた倭建やまとたける倭建やまとたけるやまとたけるののの命みこと命みことみことののの曾孫ひひこ曾孫ひひこひひこ、、、名な名ななははは須賣伊呂大中すめいろおほなか須賣伊呂大中すめいろおほなかすめいろおおなかつつつ日ひ日ひひ子こ子ここののの王きみ王きみきみののの女をんな女をんなおんな、、、訶具漏比賣かぐろひめ訶具漏比賣かぐろひめかぐろひめををを娶あ娶ああしてしてして、、、生う生ううみませるみませるみませる御子みこ御子みこみこ、、、大枝おほえ大枝おほえおおえののの王きみ王きみきみ。。。大帶日子淤斯呂和氣天皇。坐纒向之日代宮。治天下也。此天皇。娶吉備臣等之祖。若建吉備津日子之女。名針間之伊那毘能大郞女。生御子。櫛角別王。次大碓命。次小碓命。亦名倭男具那命。〈具那二字以音〉次倭根子命。次神櫛王。〈五柱〉又娶八尺入日子命之女。八坂之入日賣命。生御子。若帶日子命。次五百木之入日子命。次押別命。次五百木之入日賣命。又妾之子。豐戶別王。次沼代郞女。又妾之子。沼名木郞女。次香余理比賣命。次若木之入日子王。次吉備之兄日子王。次高木比賣命。次弟比賣命。又娶日向之美波迦斯毘賣。生御子。豐國別王。又娶伊那毘能大郞女之弟。伊那毘能若郞女。〈自伊下四字以音〉生御子。眞若王。次日子人之大兄王。又娶倭建命之曾孫。名須賣伊呂大中日子王〈自須至呂四字以音〉之女。訶具漏比賣。生御子。大枝王。
  2. 2すべてすべてすべて此こ此ここののの大帶日子おほたらしひこ大帶日子おほたらしひこおおたらしひこののの天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみことののの御子等みこたち御子等みこたちみこたち、、、書ふみ書ふみふみににに錄しる錄しるしるせるせるせる二十一王はたちまりひとはしら二十一王はたちまりひとはしらはたちまりひとはしら、、、記しる記しるしるさざるさざるさざる五十九王いそぢまりここのはしら五十九王いそぢまりここのはしらいそじまりここのはしら、、、幷あは幷あはあわせてせてせてませるなかにませるなかにませるなかに、、、若わか若わかわか帶たらし帶たらしたらし日ひ日ひひ子こ子ここののの命みこと命みことみことととと倭建やまとたける倭建やまとたけるやまとたけるののの命みこと命みことみこと、、、またまたまた五百木之入日子いほきのいりひこ五百木之入日子いほきのいりひこいおきのいりひこののの命みこと命みことみことととと、、、此こ此ここののの三王みはしら三王みはしらみはしらぞぞぞ太子ひつぎのみこ太子ひつぎのみこひつぎのみことまとまとまをををすすす御名みな御名みなみなををを負お負おおはしてはしてわして、、、其そ其そそれよりれよりれより餘七十七王ほかななそぢまりななはしら餘七十七王ほかななそぢまりななはしらほかななそじまりななはしらたちはたちはたちわ、、、悉ことごと悉ことごとことごとににに國々くにぐに國々くにぐにくにぐにののの國くに國くにくにののの造みやつこ造みやつこみやつこ、、、またまたまた別わけ別わけわけ、、、稻置いなき稻置いなきいなき、、、縣主あがたぬし縣主あがたぬしあがたぬしににに別わけ別わけわけけけけ賜たま賜たまたまひきひきいき。。。かれかれかれ若わか若わかわか帶たらし帶たらしたらし日ひ日ひひ子こ子ここののの命みこと命みことみことははは、、、天あめ天あめあめののの下治したしろ下治したしろしたしろしめしきしめしきしめしき。。。小碓をうす小碓をうすおうすののの命みこと命みことみことははは、、、東ひむがし東ひむがしひむがし西にし西にしにしののの荒あら荒あらあらぶるぶるぶる神かみ神かみかみ、、、伏まつろ伏まつろまつろはははぬぬぬ人ひと人ひとひとどもどもどもををを平たひら平たひらたいらけけけ給たま給たまたまひきひきいき。。。次つぎ次つぎつぎににに櫛角別くしつぬわけ櫛角別くしつぬわけくしつぬわけののの王きみ王きみきみははは、、、(((茨田まむた茨田まむたまむたののの下した下したしたののの連等むらじら連等むらじらむらじらががが祖おや祖おやおや。。。)))次つぎ次つぎつぎににに大碓おほうす大碓おほうすおおうすののの命みこと命みことみことははは、、、(((守もり守もりもりののの君きみ君きみきみ、、、太田おほた太田おほたおおたののの君きみ君きみきみ、、、島田しまだ島田しまだしまだののの君きみ君きみきみののの祖おや祖おやおや。。。)))次つぎ次つぎつぎににに神櫛かむくし神櫛かむくしかむくしののの王きみ王きみきみははは、、、(((木き木ききののの國くに國くにくにののの酒部之阿比古さかべのあびこ酒部之阿比古さかべのあびこさかべのあびこ、、、宇陀うだ宇陀うだうだののの酒部さかべ酒部さかべさかべののの祖おや祖おやおや。。。)))次つぎ次つぎつぎににに豐國とよくに豐國とよくにとよくに別わけ別わけわけののの王きみ王きみきみははは、、、(((日向ひむか日向ひむかひむかののの國くに國くにくにののの造みやつこ造みやつこみやつこののの祖おや祖おやおやなりなりなり。。。)))凡此大帶日子天皇之御子等。所錄廿一王。不入記五十九王。幷八十王之中。若帶日子命與倭建命。亦五百木之入日子命。此三王。負太子之名。自其餘七十七王者。悉別賜國國之國造。亦和氣及稻置縣主也。故若帶日子命者。治天下也。小碓命者。平東西之荒神。及不伏人等也。次櫛角別王者。〈茨田下連等之祖。〉次大碓命者。〈守君。大田君。島田君之祖。〉次神櫛王者。〈木國之酒部阿比古。宇陀酒部之祖。〉次豐國別王者。〈日向國造之祖。〉
  3. 3こゝにこゝにここに天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと、、、三野みぬ三野みぬみぬののの國くに國くにくにののの造みやつこ造みやつこみやつこののの祖おや祖おやおや、、、神大根かむおほね神大根かむおほねかむおおねののの王きみ王きみきみののの御女みむすめ御女みむすめみむすめ、、、名な名ななははは兄比賣弟比賣二孃子えひめおとひめふたをとめ兄比賣弟比賣二孃子えひめおとひめふたをとめえひめおとひめふたおとめ、、、其そ其そそれれれ顏好かほよ顏好かほよかおよきききをををきこしめしきこしめしきこしめし定さだ定さださだめてめてめて、、、其そ其そそののの御子大碓みこおほうす御子大碓みこおほうすみこおおうすののの命みこと命みことみことををを遣つか遣つかつかはしてはしてわして喚上めさ喚上めさめさげたまふげたまふげたまう。。。かれかれかれ其そ其そそののの遣つか遣つかつかはさえたるはさえたるわさえたる大碓おほうす大碓おほうすおおうすののの命みこと命みことみこと、、、召め召めめ上あ上ああげずてげずてげずて、、、己おの己おのおの自づか自づかずかららら其そ其そそののの二孃子ふたをとめ二孃子ふたをとめふたおとめににに淫たは淫たはたわけてけてけて、、、さらにさらにさらに他女あだしをみな他女あだしをみなあだしおみなををを求ま求ままぎてぎてぎて、、、其そ其そそののの孃子をとめ孃子をとめおとめとまとまとまをををしてしてして貢みつぎ貢みつぎみつぎりきりきりき。。。こゝにこゝにここに天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと其そ其そそれれれ他女あだしをみな他女あだしをみなあだしおみななることなることなることををを知し知ししろしめしてろしめしてろしめして、、、恆つね恆つねつねにににををを經へ經へへしめしめしめ、、、またまたまた婚め婚めめしもせずてしもせずてしもせずて、、、物もの物ものもの思おも思おもおもはしめたまひきはしめたまひきわしめたまいき。。。かれかれかれ其そ其そそののの大碓おほうす大碓おほうすおおうすののの命みこと命みことみこと、、、兄姬えひめ兄姬えひめえひめににに娶あ娶ああひてひていて生う生ううみませるみませるみませる御子みこ御子みこみこ、、、押黑之兄日子おしくろのえひこ押黑之兄日子おしくろのえひこおしくろのえひこののの王きみ王きみきみ。。。(((此こ此ここははは三野みぬ三野みぬみぬののの宇泥須うねす宇泥須うねすうねすののの和氣わけ和氣わけわけののの祖おや祖おやおや。。。)))またまたまた弟比賣おとひめ弟比賣おとひめおとひめににに娶あ娶ああひてひていて生う生ううみませるみませるみませる御子みこ御子みこみこ、、、押黑おしくろ押黑おしくろおしくろののの弟日子おとひこ弟日子おとひこおとひこののの王きみ王きみきみ。。。(((此こ此ここははは牟宜都むげつ牟宜都むげつむげつののの君等きみら君等きみらきみらががが祖おや祖おやおやなりなりなり。。。)))於是天皇。聞看定三野國造之祖。神大根王之女。名兄比賣弟比賣二孃子其容姿麗美而。遣其御子大碓命以喚上。故其所遣大碓命。勿召上而。卽己自婚其二孃子。更求他女人。詐名其孃女而貢上。於是天皇知其他女。恆令經長眼。亦勿婚而。惚也。故其大碓命。娶兄比賣生子。押黑之兄日子王。〈此者三野之宇泥須和氣之祖。〉亦娶弟比賣生子。押黑弟日子王。〈此者牟宜都君等之祖。〉
  4. 4此こ此ここののの御世みよ御世みよみよににに田部たべ田部たべたべををを定さだ定さださだめたまひめたまひめたまい、、、またまたまた東ひむがし東ひむがしひむがしののの淡あは淡あはあわののの水門みなと水門みなとみなとををを定さだ定さださだめたまひめたまひめたまい、、、またまたまた膳之大伴部かしはでのおほともべ膳之大伴部かしはでのおほともべかしわでのおおともべををを定さだ定さださだめたまひめたまひめたまい、、、またまたまた倭やまと倭やまとやまとのののををを定さだ定さださだめたまひめたまひめたまい、、、またまたまた坂手さかて坂手さかてさかてののの池いけ池いけいけををを作つく作つくつくりてりてりて、、、其そ其そそののの堤つつみ堤つつみつつみににに竹たけ竹たけたけををを植う植ううゑしめたまひきゑしめたまひきえしめたまいき。。。此之御世。定田部。又定東之淡水門。又定膳之大伴部。又定倭屯家。又作坂手池。卽竹植其堤也。
  5. 5天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと、、、小碓をうす小碓をうすおうすののの命みこと命みことみことににに詔の詔ののりたまはくりたまはくりたまわく、、、「「「何なに何なになにとかもとかもとかも汝な汝ななののの兄朝夕いろせあしたゆふべ兄朝夕いろせあしたゆふべいろせあしたゆうべののの大御食おほみけ大御食おほみけおおみけにまゐにまゐにまい出い出いい來き來ききざるざるざる。。。專もは專もはもわららら汝な汝なな敎をし敎をしをしへへへ覺さと覺さとさとせせせ。。。」」」ととと詔の詔ののりたまひきりたまひきりたまいき。。。かくかくかく詔の詔ののりたまひてりたまひてりたまいて後のち後のちのち、、、五日いつか五日いつかいつかといふまでにといふまでにというまでに、、、猶なほ猶なほなおまゐまゐまい出い出いいでたまはざりきでたまはざりきでたまわざりき。。。かれかれかれ天皇小碓すめらみことをうす天皇小碓すめらみことをうすすめらみことおうすののの命みこと命みことみことににに問と問ととひたまはくひたまはくいたまわく、、、「「「何なに何なになにぞぞぞ汝な汝ななののの兄いろせ兄いろせいろせ久ひさ久ひさひさしくまゐしくまゐしくまい出い出いい來き來ききざるざるざる。。。若も若ももししし未いま未いまいまだだだ誨をし誨をしをしへずありやへずありやへずありや。。。」」」ととと問と問ととひたまへばひたまへばいたまえば、、、「「「既すで既すですでにねぎつにねぎつにねぎつ。。。」」」とまとまとまをををししし給たま給たまたまひきひきいき。。。またまたまた、、、「「「如何いか如何いかいかさまにかねぎつるさまにかねぎつるさまにかねぎつる。。。」」」ととと詔の詔ののりたまへばりたまへばりたまえば、、、まままをををしたまはくしたまはくしたまわく、、、「「「朝署あけ朝署あけあけにににににに入い入いいりたりしりたりしりたりし時とき時ときとき、、、捕とら捕とらとらへてへてえて搤つか搤つかつかみみみ拉ひし拉ひしひしぎてぎてぎて、、、其そ其そそののの枝えだ枝えだえだををを引ひ引ひひききき闕か闕かかきてきてきて、、、薦こも薦こもこもににに裹つつ裹つつつつみてみてみて投いた投いたいたげげげ棄う棄ううてつてつてつ。。。」」」とぞまとぞまとぞまをををしたまひけるしたまひけるしたまいける。。。天皇詔小碓命。何汝兄於朝夕之大御食不參出來。專汝泥疑敎覺。〈泥疑二字以音。下效此〉如此詔以後。至于五日。猶不參出。爾天皇問賜小碓命。何汝兄久不參出。若有未誨乎。答白既爲泥疑也。又詔如何泥疑之。答白。朝署入廁之時。持捕搤批而。引闕其枝。裹薦投棄。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

大帯日子淤斯呂和気天皇(景行天皇)は、纏向の日代の宮にいらして天下を治められた。この天皇は、吉備臣らの祖、若建吉備津日子の娘、名は播磨の伊那毘能大郎女を妻として生んだ御子は、櫛角別王、次に大碓命、次に小碓命、またの名は倭男具那命、次に倭根子命、次に神櫛王の五柱。また八尺入日子命の娘、八坂之入日売命を妻として生んだ御子は、若帯日子命、次に五百木之入日子命、次に

押別命、次に五百木之入日売命。また別の妃の子は、豊戸別王、次に沼代郎女。また別の妃の子は、沼名木郎女、次に香余理比売命、次に若木之入日子王、次に吉備之兄日子王、次に高木比売命、次に弟比売命。また日向の美波迦斯毘売を妻として生んだ御子は、豊国別王。また伊那毘能大郎女の妹、伊那毘能若郎女を妻として生んだ御子は、真若王、次に日子人之大兄王。また倭建命の曾孫、名は須売伊呂大中日子王の娘、訶具漏比売を妻として生んだ御子は、大枝王。

この大帯日子天皇の御子たちは、書き記したものが二十一王、記さないものが五十九王、あわせて八十王いらっしゃったが、その中で若帯日子命と倭建命、また五百木之入日子命の

三王が皇太子の名を負われ、それ以外の七十七王は、すべて諸国の国造・別・稲置・県主に分けてお与えになった。そして若帯日子命(成務天皇)は天下を治められた。小碓命は、東西の荒ぶる神や従わない人々を平定なさった。次に櫛角別王は茨田の下連らの祖先、次に大碓命は守君・太田君・島田君の祖先、次に神櫛王は紀伊国の酒部の阿比古・宇陀の酒部の祖先、次に豊国別王は日向国造の祖先である。

さて天皇は、美濃国造の祖、神大根王の娘、名は兄比売・弟比売の二人の乙女が美しいとお聞きになって、その御子の大碓命を遣わして召し上げようとなさった。ところが遣わされた

大碓命は、二人を召し上げずに、自分でその二人の乙女と通じてしまい、さらに別の女を探してきて、その乙女だと偽って差し出した。天皇はそれが別の女であることを見抜いて、いつまでも見つめさせるばかりで、結婚もせずに物思いにふけらせなさった。その大碓命が兄比売を妻として生んだ子は押黒之兄日子王(三野の宇泥須和気の祖)、また弟比売を妻として生んだ子は押黒弟日子王(牟宜都君らの祖)である。

この御代に、田部を定め、また東国の淡(安房)の水門を定め、また膳の大伴部を定め、また倭の屯家を定め、また坂手の池を作って、その堤に竹を植えさせなさった。

天皇が小碓命におっしゃった。「どうしておまえの兄は、朝夕の食事の席に出てこないのか。おまえがよくねぎらって教えさとしなさい」。こうおっしゃってから五日たっても、大碓命はやはり出てこなかった。そこで天皇は小碓命に「どうしておまえの兄は長く出てこないのか。もしやまだ教えていないのか」とお尋ねになると、「もうねぎらいました」と申し上げた。また「どのようにねぎらったのか」とお尋ねになると、「明け方、兄が厠に入ったときに、待ち構えて捕まえ、つかみつぶして、その手足をもぎ取り、薦に包んで投げ捨てました」と申し上げた。

意訳

景行天皇には八十人もの御子がいたとされ、そのうち多くが各地の国造や県主に任じられたといいます。地方の豪族の多くが天皇家の子孫を名乗った事情を、このような大きな系譜の形でまとめたものと考えられます。

兄の大碓命は、父の天皇が妃にしようとした姉妹を横取りし、身代わりの女を差し出すという裏切りを働きます。天皇はそれを見抜きながら、身代わりの女をただ見つめるだけで放っておきました。父と兄の間のこの確執が、次の事件の伏線となります。

天皇が「ねぎ教えよ(ねぎらって教えさとせ)」と言ったのを、小碓命は文字どおりに受け取らず、兄を待ち伏せて手足をもぎ取り殺してしまいました。言葉の行き違いとも、小碓命の荒々しすぎる力の表れとも読めるこの場面は、のちに倭建命と呼ばれる英雄の物語の、衝撃的な始まりです。父の天皇は、この子の恐ろしさに恐れを抱くことになります。

語釈・文法注

大帶日子淤斯呂和氣の天皇
第十二代景行天皇。纏向の日代の宮(奈良県桜井市穴師)にいた。倭建命の父。
大碓の命・小碓の命
景行天皇の皇子で双子とされる。日本書紀では、生まれたとき天皇が碓(臼)に向かって叫んだので名づけたとする。小碓命がのちの倭建命。
倭男具那の命
小碓命のまたの名。「をぐな」は少年の意。
若帶日子の命
次の成務天皇。
八十王
景行天皇の御子八十人。記録されたのは二十一人。多くの皇子が各地の国造・別などの祖とされた。
長眼を經しめ
いつまでも見つめるだけで、結婚もしなかったこと。長く物思いにふけらせること。
倭の屯家
朝廷の直轄の田と、その収穫を納める倉。
ねぎ敎へ覺せ
「ねぐ」はねぎらう、いたわる意。父はやさしく諭せと言ったが、小碓命は兄を殺してしまった。原文は「泥疑」と音で書く。
廁
便所。古代には川の上に作ることが多かった(川屋)。

文法

原文の「持捕搤批而」
底本の原文は「持捕搤批而」と刷る(通行本文は「待捕搤批而」)。底本どおりとした。
所錄廿一王
原文は「所錄廿一王。不入記五十九王」と書き、訓み下しは「書に錄せる二十一王、記さざる五十九王」と訓む。
兄姬
底本の訓み下しは、ここだけ「兄姬」と書き、原文は「兄比賣」。

解説

景行天皇の段は、皇子小碓命(倭建命)の英雄物語が中心で、天皇自身の事績はほとんど語られません。日本書紀では景行天皇自らが九州に遠征して熊襲を討つ話が詳しく記されていますが、古事記では倭建命一人の活躍として描かれています。

小碓命が兄の大碓命を殺す場面は、日本書紀にはありません。古事記では、この事件によって小碓命の荒々しい力が示され、父の天皇がその力を恐れて西方の熊曾征伐に遣わすという、物語の展開の出発点になっています。英雄でありながら父に疎まれ、遠い地へ追いやられ続ける悲劇的な倭建命の像は、ここから始まります。

関連

出典

底本
古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。174〜178頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
更新日