古典ライブラリー

古事記 中巻

伊須気余理比売

神武天皇は日向で阿比良比売を妻としていたが、大和で皇后とする乙女を求める。大久米命は、三輪の大物主神が丹塗矢となって勢夜陀多良比売に通って生まれた「神の御子」伊須気余理比売を推す。高佐士野で七人の乙女の中から伊須気余理比売を選んだ天皇は、狭井河のほとりの家に通い、三柱の御子が生まれる。

  1. 1かれかれかれ日向ひむか日向ひむかひむかにましまししにましまししにましましし時とき時ときとき、、、阿多之小椅あたのをばし阿多之小椅あたのをばしあたのおばしののの君きみ君きみきみののの妹いも妹いもいも、、、名な名ななはははををを娶あ娶ああしてしてして生う生ううみませるみませるみませる御子みこ御子みこみこ、、、多藝志美々たぎしみみ多藝志美々たぎしみみたぎしみみののの命みこと命みことみこと、、、次つぎ次つぎつぎににに岐須美々きすみみ岐須美々きすみみきすみみののの命みこと命みことみこと、、、二柱ふたはしら二柱ふたはしらふたはしらませりませりませり。。。故坐日向時。娶阿多之小椅君妹。名阿比良比賣。〈自阿以下五字以音〉生子。多藝志美美命。次岐須美美命。二柱坐也。
  2. 2然しか然しかしかれどもれどもれども更さら更さらさらににに、、、とせむとせむとせむ美人をとめ美人をとめおとめををを求ま求ままぎたまふぎたまふぎたまう時とき時ときときににに、、、大久米おほくめ大久米おほくめおおくめののの命みこと命みことみことのまをさくのまをさくのまおさく、、、「「「こゝにこゝにここに神かみ神かみかみののの御子みこ御子みこみこなりとまなりとまなりとまをををすすす媛女をとめ媛女をとめおとめありありあり。。。そそそををを神かみ神かみかみののの御子みこ御子みこみこなりとまなりとまなりとまをををすすす所以このゆゑ所以このゆゑこのゆえははは、、、三島みしま三島みしまみしまのののののの女をんな女をんなおんな、、、名な名ななははは、、、それそれそれ容姿かほ容姿かほかお麗よ麗よよかりければかりければかりければ、、、美和みわ美和みわみわのののののの神かみ神かみかみ見感みめ見感みめみめでてでてでて、、、其そ其そそののの美人をとめ美人をとめおとめののの廁かはや廁かはやかはやににに入い入いいれるれるれる時とき時ときときににに、、、になりてになりてになりて、、、其そ其そそののの廁かはや廁かはやかはやののの下しも下しもしもよりよりより、、、其そ其そそののの美人をとめ美人をとめおとめのののををを突つ突つつききき給たま給たまたまひきひきいき。。。かれかれかれ其そ其そそののの美人をとめ美人をとめおとめ驚おどろ驚おどろおどろきてきてきて、、、立た立たたちちち走はし走はしはしりいすゝぎきりいすゝぎきりいすすぎき。。。かくてかくてかくて其そ其そそののの矢や矢ややををを持も持ももちちち來き來ききててて、、、牀とこ牀とことこののの邊へ邊へへににに置お置おおきしかばきしかばきしかば、、、忽たちま忽たちまたちまちにちにちに麗うるは麗うるはうるわはははしきしきしき壯夫をとこ壯夫をとこおとこににに成な成ななりてりてりて、、、卽すなは卽すなはすなわちちち其そ其そそののの美人をとめ美人をとめおとめににに娶あ娶ああひてひていて生う生ううみませるみませるみませる御子みこ御子みこみこ、、、名な名ななははは富登多々良伊須々岐比賣ほとたたらいすすきひめ富登多々良伊須々岐比賣ほとたたらいすすきひめほとたたらいすすきひめののの命みこと命みことみこと、、、またのまたのまたの名な名ななははは、、、とまとまとまをををすすす。。。(((こここははは其そ其そそののの富登ほと富登ほとほとといふことといふことということををを惡あ惡ああみてみてみて、、、後のち後のちのちににに改あらた改あらたあらたへつるへつるへつる名な名なななりなりなり。。。)))かれこゝかれこゝかれここををを以もつ以もつもつててて神かみ神かみかみののの御子みこ御子みこみことととはははまままをををすなりすなりすなり。。。」」」とまとまとまをををしきしきしき。。。然更求爲大后之美人時。大久米命曰。此間有媛女。是謂神御子。其所以謂神御子者。三島湟咋之女。名勢夜陀多良比賣。其容姿麗美故。美和之大物主神見感而。其美人爲大便之時。化丹塗矢。自其爲大便之溝流下。突其美人之富登。〈此二字以音下效此〉爾其美人驚而。立走伊須須岐伎。〈此五字以音〉乃將來其矢。置於牀邊。忽成麗壯夫。卽娶其美人生子。名謂富登多多良伊須須岐比賣命。亦名謂比賣多多良伊須氣余理比賣。〈是者惡其富登云事。後改名者也。〉故是以謂神御子也。
  3. 3こゝにこゝにここに七媛女ななをとめ七媛女ななをとめななおとめ、、、ににに遊あそび遊あそびあそびべるにべるにべるに、、、伊須氣余理比賣いすけよりひめ伊須氣余理比賣いすけよりひめいすけよりひめ其そ其そそののの中なか中なかなかににに在あ在あありきりきりき。。。大久米おほくめ大久米おほくめおおくめののの命みこと命みことみこと其そ其そそののの伊須氣余理比賣いすけよりひめ伊須氣余理比賣いすけよりひめいすけよりひめををを見み見みみててて、、、歌うた歌うたうたもてもてもて天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみことにまにまにまをををしけらくしけらくしけらく、、、倭やまと倭やまとやまとののの   高佐士野たかさじぬ高佐士野たかさじぬたかさじぬををを   七行なゆ七行なゆなゆくくく   媛女をとめ媛女をとめおとめどもどもども   誰たれ誰たれたれをををしまかむしまかむしまかむ   こゝにこゝにここに伊須氣余理比賣いすけよりひめ伊須氣余理比賣いすけよりひめいすけよりひめははは、、、其そ其そそののの媛女をとめ媛女をとめおとめどものどものどもの前さき前さきさきににに立た立たたてりきてりきてりき。。。天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと其そ其そそののの媛女をとめ媛女をとめおとめどもどもどもををを見み見みみそなはしてそなはしてそなわして、、、御おん御おんおん心こころ心こころこころににに伊須氣余理比賣いすけよりひめ伊須氣余理比賣いすけよりひめいすけよりひめののの最前いやさき最前いやさきいやさきににに立た立たたてることてることてることををを知し知ししりたまひてりたまひてりたまいて、、、御歌みうた御歌みうたみうたもてもてもて答こた答こたこたへたまはくへたまはくえたまわく、、、かつ〴〵かつ〴〵かつがつももも   最前いやさき最前いやさきいやさき立た立たたてるてるてる   愛え愛ええをををしまかむしまかむしまかむ   こゝにこゝにここに大久米おほくめ大久米おほくめおおくめののの命みこと命みことみこと、、、天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみことののの命みこと命みことみことををを、、、其そ其そそののの伊須氣余理比賣いすけよりひめ伊須氣余理比賣いすけよりひめいすけよりひめににに詔の詔ののれるれるれる時とき時ときときににに、、、其そ其そそののの大久米おほくめ大久米おほくめおおくめののの命みこと命みことみことののの裂さ裂ささけるけるけるををを見み見みみててて、、、奇あや奇あやあやしとしとしと思おも思おもおもひてひていて、、、   千鳥眞鵐ちどりましとと千鳥眞鵐ちどりましととちどりましとと   などなどなど裂さ裂ささけるけるける利目とめ利目とめとめ   ととと歌うた歌うたうたひければひければいければ、、、大久米おほくめ大久米おほくめおおくめののの命みこと命みことみこと、、、媛女をとめ媛女をとめおとめににに   直あたへ直あたへあたえににに逢あ逢ああはむとはむとわむと   吾あ吾ああががが裂さ裂ささけるけるける利目とめ利目とめとめ   ととと歌うた歌うたうたひてぞひてぞいてぞ答こた答こたこたへけるへけるえける。。。かれかれかれ其そ其そそののの孃子をとめ孃子をとめおとめ、、、「「「仕つか仕つかつかへまつらむへまつらむえまつらむ。。。」」」とまとまとまをををしきしきしき。。。こゝにこゝにここに其そ其そそののの伊須氣余理比賣いすけよりひめ伊須氣余理比賣いすけよりひめいすけよりひめののの命みこと命みことみことののの家いへ家いへいえ、、、ののの上うへ上うへうえにありきにありきにありき。。。天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと其そ其そそののの伊須氣余理比賣いすけよりひめ伊須氣余理比賣いすけよりひめいすけよりひめがりがりがり幸さき幸さきさきしてしてして、、、一いち一いちいち夜よる夜よるよる御寢みね御寢みねみねましきましきましき。。。(((其そ其そそののの河かは河かはかはををを佐韋河さゐがは佐韋河さゐがはさいがわといふといふという由ゆゑ由ゆゑゆえははは、、、其そ其そそののの河かは河かはかはののの邊へ邊へへににに、、、多おほ多おほおおかりきかりきかりき。。。かれかれかれ其そ其そそののの山百合草やまゆりぐさ山百合草やまゆりぐさやまゆりぐさののの名な名ななををを取と取ととりてりてりて、、、佐韋河さゐがは佐韋河さゐがはさいがわととと名な名ななづけきづけきずけき。。。山百合草やまゆりぐさ山百合草やまゆりぐさやまゆりぐさののの本もと本もともとののの名な名なな、、、佐韋さゐ佐韋さゐさいといひきといひきといいき。。。)))後のち後のちのちににに其そ其そそののの伊須氣余理比賣いすけよりひめ伊須氣余理比賣いすけよりひめいすけよりひめ、、、宮內おほみやぬち宮內おほみやぬちおおみやぬちにまゐれるにまゐれるにまいれる時とき時ときときににに、、、天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと御歌みうた御歌みうたみうたよみしたまはくよみしたまはくよみしたまわく、、、葦あし葦あしあし原はら原はらはらののの   濕しけ濕しけしけこきこきこき小屋をや小屋をやをやににに   菅疊すがたたみ菅疊すがたたみすがたたみ   彌淸いやさや彌淸いやさやいやさや敷し敷ししきてきてきて   朕ちん朕ちんちんががが二人ふたり二人ふたりふたり寢ね寢ねねししし   しかしてしかしてしかして生う生ううれませるれませるれませる御子みこ御子みこみこののの御名みな御名みなみなははは、、、日子八井ひこやゐ日子八井ひこやゐひこやいののの命みこと命みことみこと。。。次つぎ次つぎつぎににに神八井耳かむやゐみみ神八井耳かむやゐみみかむやいみみののの命みこと命みことみこと。。。次つぎ次つぎつぎにににののの命みこと命みことみこと。。。(((三柱みはしら三柱みはしらみはしら。。。)))於是七媛女。遊行於高佐士野。〈佐士二字以音〉伊須氣余理比賣在其中。爾大久米命見其伊須氣余理比賣而。以歌白於天皇曰。夜麻登能。多加佐士怒袁。那那由久。袁登賣杼母。多禮袁志摩加牟。爾伊須氣余理比賣者。立其媛女等之前。乃天皇見其媛女等而。御心知伊須氣余理比賣立於最前。以歌答曰。加都賀都母。伊夜佐岐陀弖流。延袁斯麻加牟。爾大久米命。以天皇之命。詔其伊須氣余理比賣之時。見其大久米命黥利目而。思奇歌曰。阿米都都。知杼理麻斯登登。那杼佐祁流斗米。爾大久米命答歌曰。袁登賣爾。多陀爾阿波牟登。和加佐祁流斗米。故其孃子。白之仕奉也。於是其伊須氣余理比賣命之家。在狹井河之上。天皇幸行其伊須氣余理比賣之許。一宿御寢坐也。〈其河謂佐韋河由者。於其河邊。山由理草多在。故取其山由理草之名。號佐韋河也。山由理草之本名云佐韋也。〉後其伊須氣余理比賣。參入宮內之時。天皇御歌曰。阿斯波良能。志祁去岐袁夜邇。須賀多多美。伊夜佐夜斯岐弖。和賀布多理泥斯。然而阿禮坐之御子名。日子八井命。次神八井耳命。次神沼河耳命。〈三柱〉

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

さて天皇が日向にいらっしゃったとき、阿多の小椅君の妹、名は阿比良比売を妻として生んだ御子は、多芸志美美命、次に岐須美美命の二柱である。

けれども天皇は、改めて皇后とする美しい乙女をお探しになっていたとき、大久米命が申し上げた。「ここに神の御子と申す乙女がおります。神の御子と申すわけは、三島の湟咋の娘、名は勢夜陀多良比売がたいそう美しかったので、三輪の大物主神が見そめて、その乙女が厠に入っているときに、丹塗矢(赤く塗った矢)に姿を変えて、厠の下の溝を流れ下り、その乙女の陰部を突いたのです。乙女は驚いて立ち上がり、慌てふためきました。そしてその矢を持ってきて、寝床のそばに置いておくと、たちまちりっぱな若者になって、その乙女と結婚して生まれた御子、名は富登多多良伊須須岐比売命、またの名を比売多多良伊須気余理比売と申します。(これは富登(陰部)という言葉をきらって、後に改めた名である。)こういうわけで、神の御子と申すのです」。

あるとき、七人の乙女が高佐士野に遊んでいて、伊須気余理比売もその中にいた。大久米命はその伊須気余理比売を見て、歌で天皇に申し上げた。

大和の高佐士野を行く七人の乙女たち、そのうちの誰を妻としてお抱きになりますか。

そのとき伊須気余理比売は、乙女たちの先頭に立っていた。天皇は乙女たちをご覧になって、心の中で伊須気余理比売がいちばん前に立っていることを知って、歌でお答えになった。

まあまあ、いちばん先頭に立っている、あのかわいい乙女を抱こう。

そこで大久米命が、天皇の仰せを伊須気余理比売に伝えたとき、比売はその大久米命の入れ墨をした鋭い目を見て、不思議に思って歌った。

あめ鳥やせきれい、千鳥やほおじろのように、どうして目尻を裂いて入れ墨をした鋭い目をしているの。

と歌ったので、大久米命は、

お嬢さんに、じかにお会いしようと思って、私は目を裂いて鋭くしているのです。

と歌って答えた。そこでその乙女は「お仕えいたしましょう」と申し上げた。

さて、その伊須気余理比売命の家は、狭井河のほとりにあった。天皇はその伊須気余理比売のもとにお出ましになって、一夜お休みになった。(その河を佐韋河というわけは、その河のほとりに山百合が多かったので、その山百合の名を取って佐韋河と名づけたのである。山百合のもとの名を佐韋といった。)のちにその伊須気余理比売が宮中に参上したとき、天皇がお詠みになった歌は、

葦原の、しけしけと湿った粗末な小屋に、菅の敷物をすがすがしく敷いて、私たち二人は寝たのだったなあ。

そうして生まれた御子の名は、日子八井命、次に神八井耳命、次に神沼河耳命の三柱である。

意訳

神武天皇の皇后選びの物語です。まず語られるのは、皇后となる伊須気余理比売の出生の秘密でした。三輪山の大物主神が丹塗矢に姿を変えて乙女のもとに通い、生まれた娘――神が矢や蛇に姿を変えて女性に通うという話は、のちの崇神天皇の段の三輪山伝説とも通じる「神婚譚」です。天皇家の血筋が、大和の土着の神である大物主神の血を受けることになります。

高佐士野で七人の乙女が遊ぶ場面は、春の野遊び(歌垣)の情景を思わせます。大久米命が「誰を妻に」と歌で問うと、天皇は「いちばん前にいるかわいい娘を」と歌で答え、乙女は大久米命の入れ墨をした目を見て「どうしてそんな目をしているの」とからかうように歌い、大久米命は「お嬢さんに直に会うためさ」と切り返します。軽妙な歌のやりとりの中に、古代の求婚の様子が生き生きと描かれています。

最後の「葦原の濕けき小屋に…」の歌は、天皇が狭井河のほとりの粗末な小屋で過ごした一夜を懐かしむ歌です。宮殿ではなく、湿った小屋に菅の敷物を敷いて二人で寝た――その素朴さがかえって愛情の深さを感じさせます。この結婚から生まれた神沼河耳命が、のちに第二代の綏靖天皇となります。

語釈・文法注

阿比良比賣
阿多(薩摩の地名)の小椅君の妹。神武天皇の日向での妻。子の多芸志美美命は、のちに異母弟たちを殺そうとして討たれる。
大后
皇后。正妻。
三島の湟咋
摂津国三島(大阪府茨木市・高槻市の辺り)の豪族。
勢夜陀多良比賣
三島の湟咋の娘。大物主神と結ばれて伊須気余理比売を生んだ。
美和の大物主の神
三輪山(奈良県桜井市)の神。大国主神の国作りを助けた神とされる。大神神社の祭神。
丹塗矢
赤く塗った矢。神が矢に姿を変えて女性に通うという話は、山城国風土記逸文の賀茂神社の起源説話にも見える。
富登
女性の陰部。原文の分注に「此の二字は音を以ゐよ」とある。
伊須氣余理比賣
神武天皇の皇后。大物主神の娘。「いすけ」は驚いて慌てること、「より」は依り憑く意とされる。日本書紀では媛蹈韛五十鈴媛命。
高佐士野
大和の野の名。奈良県桜井市の狭井川の辺りとされる。
裂ける利目
目尻を裂くように入れ墨をした鋭い目。大久米命は入れ墨をしていた。古代の海人や武人の風習とされる。
胡燕子鶺鴒千鳥眞鵐
「あめ、つつ、ちどり、ましとと」。あめ鳥(不詳)、せきれい、千鳥、ほおじろ。いずれも目のまわりに模様のある鳥で、大久米命の入れ墨をした目をたとえる。原文は「阿米都都知杼理麻斯登登」。
狹井河
三輪山の麓を流れる川。大神神社の摂社に狭井神社がある。「さゐ」は山百合の古名。
山百合草
山百合。三輪山の麓に多く咲き、毎年六月に大神神社の摂社率川神社(奈良市)で三枝祭(ゆりまつり)が行われる。
神沼河耳の命
神武天皇と伊須気余理比売の子。のちの第二代綏靖天皇。

文法

誰をしまかむ
「まく」は枕にする、つまり共寝をする意。「誰を抱いて寝ようか」。
かつ〴〵も
「かつがつ」は、ともかくも、まあまあ、の意。
原文の歌の字
底本の原文は「多加佐士怒袁」(高佐士野を)のように「野」を「怒」と書く。同じ句でも本によって字が異なる。
宮內
底本の訓み下しはふりがなで「おほみやぬち」と読ませる。

歌謡

倭の 高佐士野を 七行く 媛女ども 誰をしまかむ

詠者
大久米命
状況
高佐士野で遊ぶ七人の乙女を見て、大久米命が、誰を妻にするかと天皇に歌でたずねた。

修辞

問いかけ
天皇に答えを促す問いの形で歌う。片歌(五七七)の形式。

かつ〴〵も 最前立てる 愛をしまかむ

詠者
神倭伊波礼毘古命(神武天皇)
状況
大久米命の問いに答えて、先頭に立つ伊須気余理比売を選んだ歌。

修辞

片歌
五七七の片歌で、前の大久米命の歌と問答の形をなす。

胡燕子鶺鴒 千鳥眞鵐 など裂ける利目

詠者
伊須気余理比売
状況
天皇の求婚を伝えに来た大久米命の、入れ墨をした目を見て不思議に思って歌った。

修辞

比喩
目のまわりに模様のある鳥を並べて、大久米命の入れ墨をした目をたとえる。

媛女に 直に逢はむと 吾が裂ける利目

詠者
大久米命
状況
伊須気余理比売の歌に答えて、入れ墨をした目の理由を機知で返した。

修辞

問答
前の歌の「など裂ける利目」を受けて「吾が裂ける利目」と答える。

葦原の 濕こき小屋に 菅疊 彌淸敷きて 朕が二人寢し

詠者
神倭伊波礼毘古命(神武天皇)
状況
伊須気余理比売が宮中に参上したとき、狭井河のほとりの家で過ごした一夜を思い出して詠んだ歌。

修辞

対照
粗末な小屋と清らかな菅の敷物を対比させ、二人の一夜の思い出を歌う。

解説

神武天皇の皇后伊須気余理比売は、大物主神の娘とされます。初代天皇が大和の土地の神の娘を皇后とすることは、天から降った天皇家が大和の土地の霊力と結びつき、この地を治める正当性を得たことを意味しています。

この段の歌は、問答の形をした片歌(五七七)が中心です。大久米命と天皇、伊須気余理比売と大久米命が、短い歌でやりとりする様子は、古代の歌垣(男女が集まって歌を掛け合う行事)を思わせ、和歌の問答(贈答歌)の古い形を示しています。

日向で娶った阿比良比売の子の多芸志美美命と、大和で娶った伊須気余理比売の子たちとの間には、のちに皇位をめぐる争いが起こります。次の話では、多芸志美美命が異母弟たちを殺そうとし、伊須気余理比売が歌でそれを子らに知らせることになります。

関連

出典

底本
古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。128〜132頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
更新日