百人一首 第92首
わが袖は
私の袖は、潮が引いたときにも見えない沖の石のように、人は知らないけれど、恋の涙に濡れて乾く間もありません。

現代語訳
私の袖は、潮が引いたときにも(海の中に沈んでいて)見えない沖の石のように、人は知らないけれど、(恋の涙に濡れて)乾く間もありません。
意訳
誰にも打ち明けられない恋のために、毎日人知れず泣いている。私の袖は、潮が引いても姿を現さず、いつも海の底に沈んでいる沖の石のように、乾く暇がない、という歌である。
人目につかない海の底でいつも濡れている石と、人知れず涙に濡れている自分の袖とを重ね合わせた、鮮やかな比喩である。この歌は評判となり、作者は「沖の石の讃岐」と呼ばれるようになった。和泉式部の「わが袖は水の下なる石なれや人に知られで乾く間もなし」を踏まえているとされる。
語釈・文法注
- しほひ
- 「潮干」。潮が引くこと、干潮。
- 沖のいし
- 沖にあって、潮が引いても海面に姿を現さない石。人に知られない恋心をたとえる。
- 人こそしらね
- 人は知らないけれど。「こそ〜ね(已然形)」で下に続き、逆接になる(第47首参照)。
文法
- 序詞(しほひに見えぬ沖のいしの)
- 二・三句が、いつも濡れていて人に知られない「沖の石」のイメージで、「人こそしらねかわくまもなし」を導く。
- 係り結びの逆接(こそ〜ね)
- 「こそ」を受けて已然形「ね」で結び、下へ逆接で続く。
和歌
- 詠者
- 二条院讃岐(1141頃–1217頃)
源頼政の娘。二条天皇に仕え、のちに後鳥羽天皇の中宮宜秋門院任子に仕えた。この歌によって「沖の石の讃岐」と呼ばれた。父の頼政は、以仁王とともに平家打倒の兵を挙げて敗死した武将・歌人である。 - 出典
- 『千載和歌集』巻十二・恋二・760(国歌大観番号)
- 状況
- 詞書に「寄石恋といへる心を」とある。「石に寄する恋」という題で詠んだ。
修辞
- 比喩
- 涙に濡れる袖を、沖の石にたとえる。
- 本歌取り
- 和泉式部の「わが袖は水の下なる石なれや」を踏まえる。
解説
『百人一首一夕話』は、千載集恋二の詞書を引き、「寄石恋」という題の歌であることを記している。
父の源頼政は、平治の乱で平清盛の側についたが、のちに後白河院の皇子以仁王を奉じて平家打倒の兵を挙げ、宇治で敗れて自害した。鵺(ぬえ)を退治した伝説でも知られる歌人である。
讃岐は、二条天皇の崩御後、後鳥羽天皇の中宮任子(九条兼実の娘)に仕え、新古今時代の歌壇でも活躍した。
関連
出典
- 底本
- 尾崎雅嘉『百人一首一夕話』 天保4年(1833)刊、巻8。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校合
- 古谷知新編『日本歴史図会』第12輯(百人一首一夕話) 国民図書、大正9–10年。国立国会図書館デジタルコレクション松下大三郎・渡辺文雄編『国歌大観』歌集部 明治34–36年
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日