古典ライブラリー

百人一首 第83首

世のなかよ

皇太后宮大夫俊成(藤原俊成)(こうたいごうぐうのだいぶしゅんぜい(ふじわらのとしなり))

この世の中には、つらさから逃れる道などないのだなあ。思いつめて分け入ったこの山の奥にも、鹿が悲しげに鳴いているようだ。

世を逃れようと分け入った晩秋の深山で、遠くに鹿の鳴き声を聞き、立ち止まって物思いにふける若い貴族(AI生成)
世を逃れようと分け入った晩秋の深山で、遠くに鹿の鳴き声を聞き、立ち止まって物思いにふける若い貴族
  1. 1世よ世よよのののなかなかなかよよよ初句
  2. 2こそこそこそなけれなけれなけれ二句
  3. 3おもひおもひおもい三句
  4. 4山やま山やまやまののの奥おく奥おくおくにににももも四句
  5. 5鹿しか鹿しかしかぞぞぞ鳴くなく鳴くなくなく結句

引用の仕方

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現代語訳

この世の中よ、(つらさから)逃れる道などないのだなあ。(世を逃れようと)思いつめて分け入ったこの山の奥にも、鹿が(悲しげに)鳴いているようだ。

意訳

世の中のつらさに耐えかね、出家して山にこもろうかと思いつめて、山の奥深くへ分け入った。ところが、そこでも鹿がもの悲しい声で鳴いている。人の世を離れた山奥でさえ、悲しみから逃れることはできない、と嘆いた歌である。

俊成が20代後半の若いころに詠んだ歌で、当時、親しい友人であった佐藤義清(のちの西行)らが次々と出家していた。世を捨てるべきか迷う若者の苦悩が、山奥に響く鹿の声に託されている。のちに和歌の大家となる俊成の、若き日の深い憂いがにじむ一首である。

語釈・文法注

道こそなけれ
(つらさから逃れる)道はないのだ。「こそ〜なけれ(已然形)」の係り結び。
おもひいる
「思ひ入る」。深く思いつめる、の意と、山に「入る」の意を掛ける。
鳴くなる
鳴いているようだ。「なる」は、音や声を聞いて推し量る推定の助動詞「なり」の連体形。「ぞ」の結び。

文法

二句切れ
「世のなかよ道こそなけれ」で切れ、世の中への嘆きを言い切る。
掛詞(おもひいる)
「思ひ入る(思いつめる)」と「(山に)入る」を掛ける。
推定の「なり」
鹿の声を耳にして、「鳴いているようだ」と推し量る。

和歌

詠者
皇太后宮大夫俊成(藤原俊成)(1114–1204)
藤原俊忠の子。藤原基俊(第75首)に和歌を学び、後白河院の命で『千載和歌集』を撰集した。「幽玄」の美を重んじ、歌論書『古来風体抄』を著した。和歌の家・御子左家の基礎を築き、91歳の長寿を保った。藤原定家(第97首)の父。
出典
『千載和歌集』巻十七・雑中・1151(国歌大観番号)
状況
詞書に「述懐百首歌よみ侍りける時、鹿の歌とてよめる」とある。述懐(思いを述べる)の百首歌を詠んだとき、鹿の歌として詠んだ。

修辞

二句切れ
「道こそなけれ」で切れる。
掛詞
「おもひいる(思ひ入る・山に入る)」。

解説

『百人一首一夕話』は、千載集雑部の詞書を引き、述懐の歌であることを記している。述懐とは、悲しいことにもあれ、うれしいことにもあれ、心に思うことを詠み表すことだと説明している。

俊成は、後白河院の命で『千載和歌集』を撰集した。『平家物語』には、平家の都落ちの際、平忠度が俊成のもとを訪れて自作の歌の巻物を託し、俊成がそのうちの一首を「よみ人しらず」として千載集に入れた話がある。

俊成は、源平の争乱や平家の滅亡、鎌倉幕府の成立という激動の時代を生き抜き、91歳で亡くなった。その歌道は子の定家へと受け継がれた。

関連

出典

底本
尾崎雅嘉『百人一首一夕話』 天保4年(1833)刊、巻7。国立国会図書館デジタルコレクション
校合
古谷知新編『日本歴史図会』第12輯(百人一首一夕話) 国民図書、大正9–10年。国立国会図書館デジタルコレクション
松下大三郎・渡辺文雄編『国歌大観』歌集部 明治34–36年
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日