古典ライブラリー

平家物語 巻第十一

腰越の事

元暦二年五月、義経は宗盛父子を連れて鎌倉へ下った。宗盛は道中、命だけは助けてくれと頼み、義経は勲功に代えて助命を願おうと慰めた。梶原景時は先に鎌倉へ着いて、一の谷の功を誇って重衡を自分に渡せと迫った義経は、ついには敵になる人だと頼朝に讒言した。頼朝は軍兵を幾重にも配して警戒し、金洗沢で宗盛父子だけを受け取って、義経を腰越へ追い返した。義経は、平家を滅ぼし神器を取り戻した自分が対面もかなわず鎌倉にも入れないことを嘆き、大江広元に宛てて、幼くして父を失い流浪した身の上と命を顧みず戦った功を述べ、讒言を退けて許しを請う書状を送った。

  1. 1元げん元げんげん暦りやく暦りやくりやく二に二にに年ねん年ねんねん五ご五ごご月ぐわつ月ぐわつがつ七なぬ七なぬなぬ日か日かかののの日ひ日ひひ、、、九く九くく郎らう郎らうろう大たい大たいたい夫ふ夫ふふののの判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん義よし義よしよし經つね經つねつね、、、大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどの父ふ父ふふ子し子しし具ぐ具ぐぐ足そく足そくそくししし奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりててて、、、既すで既すですでににに都みやこ都みやこみやこををを立た立たたちちち給たま給たまたまふふう。。。粟あは粟あはあわ田た田たた口ぐち口ぐちぐちにににもももかゝりかゝりかかり給たま給たまたまへへえばばば、、、大おほ大おほおお内うち内うちうち山やま山やまやまははは雲くも雲くもくも居ゐ居ゐいのののよそよそよそににに隔へだ隔へだへだたりたりたりぬぬぬ。。。關せき關せきせきののの淸し淸しし水みづ水みづみずををを見み見みみ給たま給たまたまひひいててて、、、大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどの泣な泣ななく〳〵く〳〵くなく詠えい詠えいえいじじじ給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。
  2. 2都みやこ都みやこみやこをををばばばけふけふきょうをををかぎりかぎりかぎりののの關せき關せきせき水みづ水みづみずにににまたまたまたあふさかあふさかおうさかののの影かげ影かげかげやややうつさうつさうつさむむん
  3. 3道みち道みちみちすがらすがらすがらももも心こゝろ心こゝろこころ細ぼそ細ぼそぼそげげげにににおはしおはしおわしけれけれければばば、、、判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんなさけなさけなさけあるあるある人ひと人ひとひとにににててて、、、やう〳〵やう〳〵ようようににに慰なぐさ慰なぐさなぐさめめめ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまふふう。。。大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどの、、、「「「あはれあはれあわれいかにいかにいかにもももしししててて、、、今こん今こんこん度ど度どどののの命いのち命いのちいのちををを助たす助たすたすけけけてててたべたべたべ。。。」」」とととぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん、、、「「「さささ候さふら候さふらそうらへへえばばばとてとてとて、、、御おん御おんおん命いのち命いのちいのち失うしな失うしなうしなひひい奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるまでまでまではははよもよもよも候さふら候さふらそうらははわじじじ。。。たとひたとひたといさささ候さふらふ候さふらふそうろうともともとも、、、義よし義よしよし經つね經つねつねかくかくかくててて候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、今こん今こんこん度ど度どどののの勳くん勳くんくん功こう功こうこうののの賞しやう賞しやうしょうににに申まう申まうもうしししかへかへかえててて、、、御おん御おんおん命いのち命いのちいのちばかりばかりばかりをををばばば助たす助たすたすけけけ奉たてまつ奉たてまつたてまつらららんんん。。。さりさりさりながらながらながらももも遠とほ遠とほとおききき國くに國くにくに、、、遙はる遙はるはるかかかののの島しま島しましまへへへももも移うつ移うつうつしししぞぞぞ遣や遣ややりりり參まゐ參まゐまいらららせせせんんんずずずらんらんらん。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれたりたりたりけれけれければばば、、、大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどの、、、「「「たとひたとひたとい蝦え蝦ええ夷ぞ夷ぞぞががが千ち千ちち島しま島しましまなりなりなりともともとも、、、命いのち命いのちいのちだにだにだにあらあらあらばばば。。。」」」とととのたまひのたまひのたまいけるけるけるこそこそこそ口くち口くちくち惜を惜をおしけれしけれしけれ。。。
  4. 4日ひ日ひひ數かず數かずかずふれふれふればばば、、、同おな同おなおなじきじきじき二に二にに十じふ十じふじゅう三さん三さんさん日にち日にちにち、、、判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくらへへへ下くだ下くだくだりりり著つ著つつききき給たま給たまたまふふうべきべきべき由よし由よしよし聞きこ聞きこきこえええしかしかしかばばば、、、梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはら平へい平へいへい三ざう三ざうぞう景かげ景かげかげ時とき時ときとき判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんににに先さき先さきさき立だ立だだつつっててて、、、鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくら殿どの殿どのどのへへへ申まう申まうもうしししけるけるけるははは、、、「「「今いま今いまいまははは日に日にに本ほん本ほんほん國ごく國ごくごく殘のこ殘のこのこるるる所ところ所ところところもももなうなうのう、、、從したが從したがしたがひひいつきつきつき奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりててて候さふらふ候さふらふそうろう。。。さささははは候さふら候さふらそうらへへえ共ども共どもども御おん御おんおん弟おとうと弟おとうとおとうと九く九くく郎らう郎らうろう大たい大たいたい夫ふ夫ふふののの判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん殿どの殿どのどのこそこそこそ、、、遂つひ遂つひついににに御おん御おんおん敵かたき敵かたきかたきとととははは見み見みみえええさせさせさせ給たま給たまたまひひいててて候さふら候さふらそうらへへえ。。。そのそのその故ゆゑ故ゆゑゆえははは、、、一いち一いちいちををを以もつ以もつもっててて萬まん萬まんまんををを察さつ察さつさつすすすとてとてとて、、、『『『一いち一いちいちののの谷たに谷たにたにををを上うへ上うへうえののの山やま山やまやまよりよりより落おと落おとおとさささずずずばばば、、、東とう東とうとう西ざい西ざいざいののの木き木きき戸ど戸どど口ぐち口ぐちぐち破やぶ破やぶやぶれれれ難がた難がたがたししし。。。されされさればばば生いけ生いけいけ捕どり捕どりどりをををももも死しに死しにしに捕どり捕どりどりをををももも、、、まづまづまず義よし義よしよし經つね經つねつねにににこそこそこそ見み見みみすすすべきべきべきににに、、、ものものものののの用よう用ようようにににもももあひあひあい給たま給たまたまははわぬぬぬ蒲かば蒲かばかば殿どの殿どのどのののの見げん見げんげん參ざん參ざんざんににに入い入いいるるるべきべきべきやうやうようやややあるあるある。。。本ほん本ほんほん三さん三さんさん位み位みみののの中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょう殿どの殿どのどのををを急いそ急いそいそぎぎぎこれこれこれへへへたびたびたび候さふら候さふらそうらへへえ。。。たばたばたばずずずばばば義よし義よしよし經つね經つねつね參まゐ參まゐまいりりりててて賜たま賜たまたまはらはらわらんんん。。。』』』とてとてとて、、、既すで既すですでににに事こと事ことこと出い出いいででで來こ來ここんんんとととししし候さふら候さふらそうらひひいしししをををももも、、、景かげ景かげかげ時とき時ときときがががよくよくよく計はか計はかはからひらひらいててて、、、土と土とと肥ひ肥ひひににに心こゝろ心こゝろこころををを合あ合ああははわせせせててて、、、本ほん本ほんほん三さん三さんさん位み位みみののの中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょう殿どの殿どのどのををを土と土とと肥ひ肥ひひののの次じ次じじ郎らう郎らうろう實さね實さねさね平ひら平ひらひらががが許もと許もともとににに預あづ預あづあずけけけ置お置おおききき奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりててて後のち後のちのちこそこそこそ、、、世よ世よよははは鎭しづ鎭しづしずまつまつまっててて候さふら候さふらそうらへへえ。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくら殿どの殿どのどの大おほ大おほおおきききにににうちうちうちうなづいうなづいうなずいててて、、、「「「九く九くく郎らう郎らうろうががが今日けふ今日けふきょうこれこれこれへへへ入い入いいるるるなるなるなる、、、各おのおの各おのおのおのおの用よう用ようよう意い意いいししし給たま給たまたまへへえ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、大だい大だいだい名みやう名みやうみょう、、、小せう小せうしょう名みやう名みやうみょう馳は馳ははせせせ集あつ集あつあつまつまつまっててて、、、鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくら殿どの殿どのどのははは程ほど程ほどほどなくなくなく數すう數すうすう千ぜん千ぜんぜん騎ぎ騎ぎぎにににこそこそこそなりなりなり給たま給たまたまへへえ。。。鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくら殿どの殿どのどのははは軍ぐん軍ぐんぐん兵びやう兵びやうびょう七なゝ七なゝなな重へ重へへ八や八やや重へ重へへにににすゑすゑすえ置お置おおききき、、、わがわがわが身み身みみはははそのそのその中なか中なかなかにににおはしおはしおわしながらながらながら、、、「「「九く九くく郎らう郎らうろうはははすゝどきすゝどきすすどき男をとこ男をとこおとこなれなれなればばば、、、このこのこの疊たゝみ疊たゝみたたみののの下した下したしたよりよりよりもももはひはひはい出い出いいでででんんんずるずるずる者もの者ものものなりなりなり。。。されどもされどもされども賴より賴よりより朝とも朝ともともはははせせせらるらるらるまじまじまじ。。。」」」とととぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。
  5. 5金かね金かねかね洗あらひ洗あらひあらい澤ざは澤ざはざわににに關せき關せきせきすゑすゑすえててて、、、大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどの父ふ父ふふ子し子しし請うけ請うけうけ取と取ととりりり奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりててて、、、それそれそれよりよりより判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんをををばばば腰こし腰こしこし越ごえ越ごえごえへへへ追お追おおひひいかへさかへさかえさるるる。。。判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん、、、「「「こここはははされされさればばば何なに何なになに事ごと事ごとごとぞぞぞややや。。。去こ去ここ年ぞ年ぞぞののの春はる春はるはる、、、木き木きき曾そ曾そそ義よし義よしよし仲なか仲なかなかををを追つい追ついつい討たう討たうとうせせせしししよりよりよりこのこのこのかたかたかた、、、今こ今ここ年とし年としとしののの春はる春はるはる、、、平へい平へいへい家け家けけををを悉ことごと悉ことごとことごとくくく亡ほろ亡ほろほろぼしぼしぼしはてはてはてててて、、、内ない内ないない侍し侍しし所どころ所どころどころ、、、璽しるし璽しるししるしののの御おん御おんおん箱はこ箱はこはこ、、、事こと事ことこと故ゆゑ故ゆゑゆえなうなうのう都みやこ都みやこみやこへへへ返かへ返かへかえししし入い入いいれれれ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、あまつさへあまつさへあまつさえ大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐん大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどの父ふ父ふふ子し子しし生いけ生いけいけ捕どり捕どりどりにににしししててて、、、これこれこれまでまでまで下くだ下くだくだりりりたらたらたらんんんにににははは、、、たとひたとひたといいかなるいかなるいかなる不ふ不ふふ思し思しし議ぎ議ぎぎありありありともともとも、、、一いち一いちいち度ど度どどはははなどなどなどかかか對たい對たいたい面めん面めんめんなからなからなからんんん。。。凡およ凡およおよそそそ九く九くく國こく國こくこくののの總そう總そうそう追つゐ追つゐつい捕ぶ捕ぶぶ使し使ししにににももも補ふ補ふふせせせられられられ、、、山せん山せんせん陰いん陰いんいん、、、山せん山せんせん陽やう陽やうよう、、、南なん南なんなん海かい海かいかい道だう道だうどう、、、いづれいづれいずれなりなりなりともともとも預あづ預あづあずけけけられられられ、、、一いつ一いついっ方ぱう方ぱうぽうののの御おん御おんおん固かた固かたかためめめにににもももなさなさなされれれんんんずるずるずるかかかとととこそこそこそおもひおもひおもいたれたれたればばば、、、さささはははなくなくなくしししててて、、、僅わづか僅わづかわずかににに伊い伊いい豫よ豫よよののの國くに國くにくに許ばか許ばかばかりりり知ち知ちち行ぎやう行ぎやうぎょうすすすべきべきべき由よし由よしよしのたまひのたまひのたまいててて、、、鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくら中ぢゆう中ぢゆうじゅうへへへだにだにだに入い入いいれれれられられられずずずしししててて、、、腰こし腰こしこし越ごえ越ごえごえへへへ追お追おおひひい上のぼ上のぼのぼせせせられられられししし事こと事ことことはははいかにいかにいかに。。。凡およ凡およおよそそそ日に日にに本ほん本ほんほん國こく國こくこく中ぢゆう中ぢゆうじゅうををを鎭しづ鎭しづしずむるむるむる事こと事ことことははは、、、義よし義よしよし仲なか仲なかなか、、、義よし義よしよし經つね經つねつねがががしわざしわざしわざにににあらあらあらずずずややや。。。たとへたとへたとえばばば同おな同おなおなじじじ父ちゝ父ちゝちちががが子こ子ここにににててて、、、先さき先さきさきににに生うま生うまうまるゝるゝるるををを兄あに兄あにあにとととししし、、、後のち後のちのちににに生うま生うまうまるゝるゝるるををを弟おとうと弟おとうとおとうととととするするするばかりばかりばかりなりなりなり。。。天てん天てんてん下か下かかををを知し知ししらららんんんににに、、、誰たれ誰たれたれかかかははは知し知ししらららざらざらざらんんん。。。謝しや謝しやしゃするするする所ところ所ところところををを知し知ししらららずずず。。。」」」とととつぶやかつぶやかつぶやかれれれけれけれけれどもどもどもかひかひかいぞぞぞなきなきなき。。。判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん泣な泣ななく〳〵く〳〵くなく一いつ一いついっ通つう通つうつうののの狀じやう狀じやうじょうををを書か書かかいいいててて、、、廣ひろ廣ひろひろ元もと元もともとのののもともともとへへへ遣つか遣つかつかははわさささるるる。。。
  6. 6そのそのその狀じやう狀じやうじょうにににいはくいはくいわく、、、「「「源みなもとの源みなもとのみなもとの義よし義よしよし經つね經つねつね、、、恐おそ恐おそおそれれれながらながらながら申まう申まうもうししし上あ上ああげげげ候さふらふ候さふらふそうろう意い意いい趣しゆ趣しゆしゅははは、、、御おん御おんおん代だい代だいだい官くわん官くわんかんのののそのそのその一いち一いちいちににに選えら選えらえらばばばれれれ、、、敕ちよく敕ちよくちょく宣せん宣せんせんののの御おん御おんおん使つかひ使つかひつかいとととしししててて朝てう朝てうちょう敵てき敵てきてきををを平たひ平たひたいらららげげげ、、、會くわい會くわいかい稽けい稽けいけいののの恥ち恥ちち辱じよく辱じよくじょくををを雪すゝ雪すゝすすぐぐぐ。。。勳くん勳くんくん賞しやう賞しやうしょう行おこな行おこなおこなははわるるるべきべきべき所ところ所ところところににに、、、思おも思おもおもひひいののの外ほか外ほかほかににに虎こ虎ここ口こう口こうこうののの讒ざん讒ざんざん言げん言げんげんににに依よ依よよつつっててて、、、莫ばく莫ばくばく大だい大だいだいののの勳くん勳くんくん功こう功こうこうをををもだせもだせもだせられられられ、、、義よし義よしよし經つね經つねつね犯をか犯をかおかすすす事こと事ことことなうなうのうしししててて科とが科とがとがををを蒙かうぶ蒙かうぶこうぶるるる。。。功こう功こうこうあつあつあっててて過あやまち過あやまちあやまちなしなしなしととといへいへいえどもどもども、、、御ご御ごご勘かん勘かんかん氣き氣ききををを蒙かうぶ蒙かうぶこうぶるるる間あひだ間あひだあいだ、、、空むな空むなむなしくしくしく紅こう紅こうこう涙るゐ涙るゐるいににに沉しづ沉しづしずむむむ。。。讒ざん讒ざんざん者しや者しやしゃののの實じつ實じつじっ否ぷ否ぷぷををを糺たゞ糺たゞただささされれれずずず、、、鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくら中ぢゆう中ぢゆうじゅうへへへだにだにだに入い入いいれれれられられられざるざるざる間あひだ間あひだあいだ、、、素そ素そそ意い意いいををを述の述ののぶるぶるぶるににに能あた能あたあたははわずずず。。。徒いたづ徒いたづいたずらららににに數すう數すうすう日じつ日じつじつををを送おく送おくおくるるる。。。このこのこの時とき時ときときににに當あた當あたあたつつっててて長なが長ながながくくく溫をん溫をんおん顏がん顏がんがんををを拜はい拜はいはいししし奉たてまつ奉たてまつたてまつらららずずず。。。骨こつ骨こつこつ肉にく肉にくにく同どう同どうどう胞はう胞はうほうののの義ぎ義ぎぎ既すで既すですでににに絶た絶たたえええ、、、宿しゆく宿しゆくしゅく運うん運うんうん極きは極きはきわめめめててて空むな空むなむなしきしきしきににに似に似ににたるたるたるかかか。。。はたはたはたまたまたまた先せん先せんせん世ぜ世ぜぜののの業ごふ業ごふごう因いん因いんいんををを感かん感かんかんずるずるずるかかか。。。悲かな悲かなかなしきしきしきかなかなかなこのこのこの條でう條でうじょう、、、故こ故ここ亡ばう亡ばうぼう父ぶ父ぶぶののの尊そん尊そんそん靈りやう靈りやうりょう再さい再さいさい誕たん誕たんたんししし給たま給たまたまははわずずずんんんばばば、、、誰たれ誰たれたれののの人ひと人ひとひとかかか愚ぐ愚ぐぐ意い意いいののの悲ひ悲ひひ歎たん歎たんたんををを申まう申まうもうししし開ひら開ひらひらかかかんんん。。。いづれいづれいずれののの人ひと人ひとひとかかか哀あい哀あいあい憐れん憐れんれんををを垂た垂たたれれれんんんややや。。。事こと事ことこと新あた新あたあたらしきらしきらしき申まう申まうもうししし條でう條でうじょう、、、述じゆつ述じゆつじゅっ懷くわい懷くわいかいににに似に似ににたりたりたりととといへいへいえどもどもども、、、義よし義よしよし經つね經つねつね身しん身しんしん體たい體たいたい髪はつ髪はつはっ膚ぷ膚ぷぷををを父ふ父ふふ母ぼ母ぼぼににに受う受ううけけけ、、、幾いく幾いくいく何ばく何ばくばくののの時じ時じじ節せつ節せつせつををを經へ經へへずずずしししててて、、、故こ故ここ頭かう頭かうこうののの殿との殿とのとの御ご御ごご他た他たた界かい界かいかいののの間あひだ間あひだあいだ、、、孤みなしご孤みなしごみなしごとととなつなつなっててて母はゝ母はゝははののの懷ふところ懷ふところふところののの中うち中うちうちににに抱いだ抱いだいだかかかれれれててて、、、大やま大やまやま和と和ととののの國くに國くにくに宇う宇うう陀だ陀だだののの郡こほり郡こほりこおりににに赴おもむ赴おもむおもむきききしししよりよりより此この此このこのかたかたかた、、、一いち一いちいち日にち日にちにち片へん片へんへん時じ時じじももも安あん安あんあん堵ど堵どどののの思おも思おもおもひひいににに住ぢゆう住ぢゆうじゅうせせせずずず、、、かひかひかいなきなきなき命いのち命いのちいのちををを存ながら存ながらながらふふうととといへいへいえどもどもども、、、京きやう京きやうきょう都と都ととののの經けい經けいけい廻くわい廻くわいかい難なん難なんなん治ぢ治ぢじののの間あひだ間あひだあいだ、、、身み身みみををを在ざい在ざいざい々ざい々ざいざい所しよ所しよしょ々しよ々しよしょににに隱かく隱かくかくししし、、、邊へん邊へんへん土ど土どど遠をん遠をんおん國ごく國ごくごくををを住すみ住すみすみ家か家かかとととしししててて、、、土ど土どど民みん民みんみん百ひやく百ひやくひゃく姓しやう姓しやうしょう等ら等ららににに服ふく服ふくふく仕じ仕じじせせせらるらるらる。。。然しか然しかしかれれれどもどもども交かう交かうこう契けい契けいけい忽たちま忽たちまたちまちちちににに順じゆん順じゆんじゅん熟にゆく熟にゆくにゅくしししててて、、、平へい平へいへい家け家けけののの一いち一いちいち族ぞく族ぞくぞく追つい追ついつい討たう討たうとうののの爲ため爲ためためににに上しやう上しやうしょう洛らく洛らくらくせせせしむるしむるしむる手て手てて合あ合ああははわせせせににに、、、まづまづまず木き木きき曾そ曾そそ義よし義よしよし仲なか仲なかなかををを誅ちう誅ちうちゅう戮りく戮りくりくののの後のち後のちのち、、、平へい平へいへい家け家けけををを攻せ攻せせめめめ傾かたぶ傾かたぶかたぶけけけんんんががが爲ため爲ためためににに、、、或ある或あるある時とき時ときときははは峨が峨がが々が々ががたるたるたる巖がん巖がんがん石せき石せきせきににに駿しゆん駿しゆんしゅん馬め馬めめににに鞭むちう鞭むちうむちゅうつつっててて、、、敵かたき敵かたきかたきののの爲ため爲ためためににに命いのち命いのちいのちををを亡ほろ亡ほろほろぼさぼさぼされれれんんん事こと事ことことををを顧かへり顧かへりかえりみみみずずず、、、或ある或あるある時とき時ときときははは漫まん漫まんまん々まん々まんまんたるたるたる大たい大たいたい海かい海かいかいににに風ふう風ふうふう波は波ははののの難なん難なんなんををを凌しの凌しのしのぎぎぎ、、、身み身みみををを海かい海かいかい底てい底ていていににに沉しづ沉しづしずめめめんんんことことことををを痛いた痛いたいたまままずずずしししててて、、、骸かばね骸かばねかばねををを鯨けい鯨けいけい鯢げい鯢げいげいののの鰓あぎと鰓あぎとあぎとにににかけかけかけ、、、しかのみならずしかのみならずしかのみならず甲かつ甲かつかっ冑ちう冑ちうちゅうををを枕まくら枕まくらまくらとととししし、、、弓きう弓きうきゅう箭ぜん箭ぜんぜんををを業げふ業げふぎょうとととするするする本ほ本ほほ意い意いい、、、しかしながらしかしながらしかしながら亡ばう亡ばうぼう魂こん魂こんこんののの憤いきどほ憤いきどほいきどおりりりををを安やす安やすやすめめめ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、年ねん年ねんねん來らい來らいらいののの宿しゆく宿しゆくしゅく望まう望まうもうををを遂と遂ととげげげんんんととと欲ほつ欲ほつほっするするする外ほか外ほかほかははは他た他たた事じ事じじなしなしなし。。。あまつさへあまつさへあまつさえ義よし義よしよし經つね經つねつね五ご五ごご位ゐ位ゐいののの尉じよう尉じようじょうににに補ふ補ふふ任にん任にんにんののの條でう條でうじょう、、、當たう當たうとう家け家けけののの重ちよう重ちようちょう職しよく職しよくしょく何なに何なになに事ごと事ごとごとかかかこれこれこれににに如し如ししかかかんんん。。。然しか然しかしかりりりととといへいへいえどもどもども今いま今いまいま憂うれ憂うれうれへへえ深ふか深ふかふかくくく歎なげ歎なげなげききき切せつ切せつせつなりなりなり。。。佛ぶつ佛ぶつぶつ神じん神じんじんののの御おん御おんおん助たす助たすたすけけけにににあらあらあらざるざるざるよりよりより外ほか外ほかほかははは、、、爭いか爭いかいかでででかかか愁しう愁しうしゅう訴そ訴そそををを達たつ達たつたつせせせんんん。。。之これ之これこれににに依よ依よよつつっててて諸しよ諸しよしょ寺じ寺じじ諸しよ諸しよしょ社しや社しやしゃののの牛ご牛ごご王わう王わうおう寶はう寶はうほう印いん印いんいんののの裏うら裏うらうらををを以もつ以もつもっててて、、、全まつた全まつたまったくくく野や野やや心しん心しんしんををを挾さしはさ挾さしはささしわさまままざるざるざる旨むね旨むねむね、、、日に日にに本ほん本ほんほん國こく國こくこく中ぢゆう中ぢゆうじゅうののの大だい大だいだい小せう小せうしょうののの神じん神じんじん祇ぎ祇ぎぎ、、、冥みやう冥みやうみょう道だう道だうどうををを請しやう請しやうしょうじじじ驚おどろ驚おどろおどろかしかしかし奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、數す數すす通つう通つうつうののの起き起きき請しやう請しやうしょう文もん文もんもんををを書か書かかききき進しん進しんしんずずずととといへいへいえどもどもども、、、尙なほ尙なほなお以もつ以もつもっててて御ご御ごご宥いう宥いうゆう免めん免めんめんなしなしなし。。。それそれそれわがわがわが國くに國くにくにははは神しん神しんしん國こく國こくこくなりなりなり、、、神かみ神かみかみははは非ひ非ひひ禮れい禮れいれいををを受う受ううけけけ給たま給たまたまふふうべからべからべからずずず。。。賴たの賴たのたのむむむ所ところ所ところところ他た他たたにににあらあらあらずずず。。。ひとへひとへひとえににに貴き貴きき殿でん殿でんでん廣くわう廣くわうこう大だい大だいだいののの慈じ慈じじ悲ひ悲ひひををを仰あふ仰あふあうぎぎぎ、、、便べん便べんべん宜ぎ宜ぎぎををを窺うかゞ窺うかゞうかがひひい、、、高かう高かうこう聞ぶん聞ぶんぶんににに達たつ達たつたつせせせしめしめしめ、、、祕ひ祕ひひ計けい計けいけいををを廻めぐら廻めぐらめぐらしししててて、、、誤あやま誤あやまあやまりりりなきなきなき旨むね旨むねむねををを宥いう宥いうゆうせせせられられられ、、、放はう放はうほう免めん免めんめんににに預あづか預あづかあずからららばばば、、、積しやく積しやくしゃく善ぜん善ぜんぜんののの餘よ餘よよ慶けい慶けいけい家か家かか門もん門もんもんににに及およ及およおよびびび、、、榮えい榮えいえい花ぐわ花ぐわが永なが永ながながくくく子し子しし孫そん孫そんそんににに傳つた傳つたつたへへえ、、、仍よ仍よよつつっててて年ねん年ねんねん來らい來らいらいののの愁しう愁しうしゅう眉び眉びびををを開ひら開ひらひらききき、、、一いち一いちいち期ご期ごごののの安あん安あんあん寧ねい寧ねいねいををを得え得ええんんん。。。書しよ書しよしょ紙し紙ししにににつくさつくさつくさずずず。。。しかしながらしかしながらしかしながら省せい省せいせい畧りやく畧りやくりやくせせせしめしめしめ候さふら候さふらそうらひひいをををはんはんはんぬぬぬ。。。義よし義よしよし經つね經つねつね恐きやう恐きやうきょう惶くわう惶くわうこう謹つゝし謹つゝしつつしんんんででで言まう言まうもうすすす。。。元げん元げんげん暦りやく暦りやくりやく二に二にに年ねん年ねんねん六ろく六ろくろく月ぐわつ月ぐわつがつ五いつ五いついつ日か日かかののの日ひ日ひひ、、、源みなもと源みなもとみなもとののの義よし義よしよし經つね經つねつね進しん進しんしん上じやう上じやうじょう、、、因いな因いないな播ば播ばばののの守かみ守かみかみ殿どの殿どのどのへへへ。。。」」」とととぞぞぞ書か書かかかかかれれれたるたるたる。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

元暦二年五月七日、九郎大夫判官義経は大臣殿父子を連れて都を出発された。粟田口にさしかかられると、内裏のある大内山は雲のかなたに隔たってしまった。逢坂の関の清水をご覧になって、大臣殿は泣く泣く詠まれた。

(都を今日を限りに離れていくが、この関の清水に、再び逢坂の名のように都に戻ってわが姿を映すことがあろうか)

道中も心細そうにしておられたので、判官は情けある人で、いろいろとお慰め申された。大臣殿は「ああ、何とかして今度の命を助けてください」とおっしゃった。判官は、「そうだとしても、お命を奪い申すまではまさかありますまい。たとえそうなっても、義経がこうしておりますから、今度の勲功の賞に代えて、お命だけはお助け申しましょう。ただし遠い国や遥かな島へお移し申すことはあるでしょう」と申されたので、大臣殿が「たとえ蝦夷が千島であっても、命さえあれば」とおっしゃったのは情けないことであった。

日数がたって、同じく二十三日に判官が鎌倉へ下り着かれると聞こえたので、梶原平三景時は判官より先に鎌倉殿に申すには、「今は日本国に残る所もなく、従いついております。とはいえ御弟九郎大夫判官殿こそ、ついには御敵となられるように見えます。そのわけは、一をもって万を察すと申しますが、『一の谷を上の山から駆け下りなかったら、東西の木戸口は破れなかった。だから生け捕りも討ち取った首も、まず義経に見せるべきなのに、何の役にも立たなかった蒲殿(範頼)の見参に入れるとはどういうことか。本三位中将殿を急いでこちらへ渡せ。渡さなければ義経が行ってもらい受けよう』といって、もう少しで事が起こるところでしたのを、景時がうまく計らって、土肥と心を合わせ、本三位中将殿を土肥次郎実平のもとにお預けしてからこそ、世は鎮まったのです」と申したので、鎌倉殿は大きくうなずいて、「九郎が今日ここへ入るそうだ。おのおの用意せよ」とおっしゃると、大名・小名が馳せ集まって、鎌倉殿はまもなく数千騎になられた。鎌倉殿は軍兵を七重八重に配置して、自分はその中におられながら、「九郎はすばしこい男だから、この畳の下からでも這い出してくる者だ。けれども頼朝はやられはしない」とおっしゃった。

金洗沢に関所を設けて大臣殿父子を受け取り申し、そこから判官を腰越へ追い返された。判官は、「これはいったいどうしたことか。去年の春に木曾義仲を追討してからこのかた、今年の春には平家をことごとく滅ぼしはてて、内侍所と璽の御箱を無事に都へお返し申し、そのうえ大将軍の大臣殿父子を生け捕りにしてここまで下ってきたのだから、たとえどんな不審があろうとも、一度ぐらいはどうして対面がないことがあろう。九州の総追捕使にも任ぜられ、山陰・山陽・南海道のどれかでも預けられて、一方の守りにもなされるかと思っていたのに、そうではなくて、わずかに伊予国だけを知行せよとおっしゃって、鎌倉の中へさえ入れられずに腰越へ追い返されたのはどういうことか。そもそも日本国中を鎮めたのは、義仲と義経のしたことではないか。たとえば同じ父の子で、先に生まれた者を兄とし、後に生まれた者を弟とするだけのことだ。天下を治めるのに、誰が治められないことがあろう。お詫びのしようもない」とつぶやかれたが、どうにもならない。判官は泣く泣く一通の書状を書いて、広元のもとへ遣わされた。

その書状にいうには、「源義経、恐れながら申し上げます趣旨は、御代官の一人に選ばれ、勅宣の御使いとして朝敵を平らげ、会稽の恥辱をすすぎました。勲功の賞が行われるべきところに、思いがけず虎口のような讒言によって、莫大な勲功を黙殺され、義経は罪を犯したこともないのに咎めを受けております。功があって過ちがないのに、御勘気を受けておりますので、むなしく血の涙に沈んでおります。讒言する者の真偽を糺されず、鎌倉の中へさえ入れられませんので、本心を申し述べることもできません。いたずらに数日を送っております。このときに当たって、長くお顔を拝し申さずにおります。骨肉の兄弟の義はすでに絶え、宿運はきわめてむなしいように思われます。あるいは前世の業因の報いでしょうか。悲しいことです。このことは、亡き父の尊霊が再びこの世に生まれてこられないかぎり、誰が私の悲しみを申し開いてくれましょう。誰が憐れみをかけてくれましょう。今さらの申し分で、愚痴に似ておりますが、義経は身体髪膚を父母から受けて、いくらも時を経ないうちに故頭殿(義朝)が亡くなられたので、孤児となって母の懐に抱かれ、大和国宇陀郡に赴いてからこのかた、一日片時も安らかな思いをしたことがなく、かいのない命を長らえてきましたが、京都をうろつくことも難しかったので、身をあちこちに隠し、辺境の遠国を住みかとして、土民・百姓などに仕えておりました。けれども機縁がたちまち熟して、平家一族の追討のために上洛する手始めに、まず木曾義仲を誅殺した後、平家を攻め滅ぼすために、あるときは険しくそびえる岩石に駿馬を鞭打って、敵のために命を落とすことも顧みず、あるときは果てしない大海に風波の難をしのいで、身を海底に沈めることも厭わず、屍を鯨のえらにかけるような危険を冒し、そればかりか甲冑を枕とし、弓矢を業としてきた本意は、ひとえに亡き父の魂の憤りをおなだめ申し、年来の宿望を遂げようと思うほかは他意はありません。そのうえ義経が五位尉に任ぜられたことは、当家の重職としてこれにまさるものがありましょうか。とはいえ今、憂いは深く嘆きは切実です。仏神のお助けによるほかは、どうして愁訴を遂げられましょう。そこで諸寺諸社の牛王宝印の裏に、まったく野心を抱いていないことを、日本国中の大小の神祇・冥道をお招きしお驚かせ申して、数通の起請文を書いて差し上げましたが、なおお許しがありません。そもそもわが国は神国です。神は非礼を受けられないはずです。頼むところはほかにありません。ひとえにあなたの広大な慈悲を仰ぎ、よい機会をうかがって鎌倉殿のお耳に入れ、うまく計らって、誤りのないことをお許しいただき、放免にあずかることができれば、積善の余慶は家門に及び、栄華は永く子孫に伝わり、年来の憂いの眉を開いて、一生の安寧を得られましょう。紙には書き尽くせません。省略いたします。義経恐惶謹んで申し上げます。元暦二年六月五日、源義経進上、因幡守殿へ」と書かれていた。

意訳

平家を滅ぼした功労者でありながら、鎌倉に入ることも許されず、兄頼朝との対面もかなわない義経の悲劇を描く章段である。梶原の讒言と、畳の下からでも這い出してくると警戒する頼朝の言葉は、兄弟の間に生じた深い溝を物語る。

腰越状として知られる義経の書状は、幼くして父を失い、各地を流浪した身の上から、命を顧みず戦った功までを切々と訴え、讒言を退けて許しを請う名文である。勝者でありながら孤立していく義経の姿は、のちの判官びいきの源となった。

語釈・文法注

文法

「關の淸水」
逢坂の関の清水。歌枕。
「またあふさかの影やうつさむ」
「逢坂」に「(再び都に)逢ふ」を掛ける。
「蝦夷が千島」
北の果ての島々。
「一を以て萬を察す」
一つのことから万事を推察する。
「死捕」
討ち取った首。
「蒲殿」
源範頼。遠江国蒲御厨で育ったことからの呼び名。
「はひ出でんずる者なり」
這い出してくるような者である。それほど抜け目がない。
「總追捕使」
諸国の治安・追捕をつかさどる職。
「廣元」
大江広元。鎌倉幕府の公文所別当。因幡守。
「もだせられ」
黙殺され。
「紅涙」
血の涙。ひどく悲しんで流す涙。
「故頭の殿」
左馬頭であった亡父義朝。
「骸を鯨鯢の鰓にかけ」
屍を鯨のえらにかける。海で死ぬ危険を冒すこと。
「牛王寶印」
寺社が出す護符。その裏に起請文を書いた。
「因播の守殿」
底本は「因播」と刷る。因幡守大江広元をさす。

和歌

都をばけふをかぎりの關水にまたあふさかの影やうつさむ

詠者
平宗盛
状況
鎌倉へ護送される途中、逢坂の関の清水を見て詠んだ歌。

修辞

あふさか
地名「逢坂」と「(再び)逢ふ」の掛詞。

解説

腰越状は『吾妻鏡』元暦二年(1185)五月二十四日条にも載り、満福寺(神奈川県鎌倉市腰越)には義経が書いたと伝える下書きが残る。ただし原本は伝わらず、後世の作とする説もある。この後、義経と頼朝の対立は決定的となり、義経は奥州へ落ちのびることになる。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、808–811頁(コマ433–434)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日