古典ライブラリー

平家物語 巻第十一

大臣殿誅罰の事

頼朝は宗盛と対面し、比企能員を通じて、平家を私の敵とは思わないが、朝敵となったので院宣に従って迎えたと伝えた。宗盛が居ずまいを正してかしこまったのを、居並ぶ人々は、猛虎も檻に入れば尾を振ると嘆いた。義経の弁明は梶原の讒言のため聞き入れられず、宗盛父子は再び都へ送られることになった。宗盛は一日でも命が延びるのを喜んだ。六月二十三日、近江国篠原の宿で、父子は別々にされ、義経が招いた大原の湛豪が宗盛に念仏を勧めた。宗盛は最後まで子の清宗を案じ、「右衛門督ももう斬られたか」と問うて斬られた。清宗も父の最期を聞いて首を差し伸べた。二人の首は都の大路を渡され、獄門にかけられた。

  1. 1さるさるさる程ほど程ほどほどににに鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくら殿どの殿どのどの、、、大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのににに對たい對たいたい面めん面めんめんありありあり。。。おはしおはしおわしけるけるける所ところ所ところところ、、、庭には庭にはにはををを一ひと一ひとひとつつつ隔へだ隔へだへだてててててて、、、向むか向むかむかひひいなるなるなる屋や屋ややにににすゑすゑすえ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、簾すだれ簾すだれすだれののの内うち内うちうちよりよりより見み見みみ出いだ出いだいだししし給たま給たまたまひひいててて、、、比ひ比ひひ企き企ききののの藤とう藤とうとう四し四しし郎らう郎らうろう能よし能よしよし員かず員かずかずををを以もつ以もつもっててて申まう申まうもうささされれれけるけるけるははは、、、「「「そも〳〵そも〳〵そもそも平へい平へいへい家け家けけををを賴より賴よりより朝とも朝ともともががが私わたくし私わたくしわたくしののの敵かたき敵かたきかたきとととははは、、、ゆめ〳〵ゆめ〳〵ゆめゆめ思おも思おもおもひひい奉たてまつ奉たてまつたてまつらららずずず。。。そのそのその故ゆゑ故ゆゑゆえははは故こ故ここ入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこくののの御おん御おんおん許ゆる許ゆるゆるささされれれ候さふら候さふらそうらははわずずずばばば、、、賴より賴よりより朝とも朝ともともいかでいかでいかでかかか助たす助たすたすかるかるかるべきべきべき。。。さてさてさてこそこそこそ二に二にに十じふ十じふじゅう餘よ餘よよ年ねん年ねんねんまでまでまで罷まか罷まかまかりりり過す過すすぎぎぎ候さふら候さふらそうらひひいしかしかしか。。。されどもされどもされども朝てう朝てうちょう敵てき敵てきてきとととならならならせせせ給たま給たまたまひひいててて後のち後のちのちははは、、、急いそ急いそいそぎぎぎ追つい追ついつい討たう討たうとうすすすべきべきべき由よし由よしよしののの院ゐん院ゐんいん宣ぜん宣ぜんぜんををを賜たま賜たまたまはつはつわっててて候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、さささのみのみのみ王わう王わうおう地ぢ地ぢじににに孕はら孕はらはらまままれれれててて、、、詔せう詔せうしょう命めい命めいめいををを背そむ背そむそむくくくべきべきべきにににもももあらあらあらねねねばばば、、、これこれこれへへへ迎むか迎むかむかへへえ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりたりたりたり。。。さりさりさりながらながらながらもももかやうかやうかようににに御ご御ごご見げん見げんげん參ざん參ざんざんににに入い入いいりりり候さふら候さふらそうらひひいぬるぬるぬる事こと事ことことこそこそこそ、、、かへす〴〵かへす〴〵かえすがえすももも本ほ本ほほ意い意いいににに候さふら候さふらそうらへへえ。。。」」」とととぞぞぞ申まう申まうもうささされれれけるけるける。。。能よし能よしよし員かず員かずかずこのこのこの事こと事ことことををを申まう申まうもうさささんんんとととててて、、、大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのののの御おん御おんおん前まへ前まへまえへへへ參まゐ參まゐまいつつったりたりたりけれけれければばば、、、居ゐ居ゐい直なほ直なほなおりりり畏かしこ畏かしこかしこまりまりまり給たま給たまたまふふうぞぞぞ口くち口くちくち惜を惜をおしきしきしき。。。
  2. 2諸しよ諸しよしょ國こく國こくこくののの大だい大だいだい名みやう名みやうみょう、、、小せう小せうしょう名みやう名みやうみょう多おほ多おほおおううう竝な竝ななみみみゐゐいたりたりたりけるけるける中なか中なかなかににに、、、京きやう京きやうきょうののの者もの者ものものいくらいくらいくらもももありありあり。。。又また又またまた平へい平へいへい家け家けけののの家け家けけ人にん人にんにんたつしたつしたつし者もの者ものものもももありありあり。。。皆みな皆みなみな爪つま爪つまつま彈はじ彈はじはじきききをををしししててて、、、「「「あなあなあないとほしいとほしいとおし、、、あのあのあの御おん御おんおん心こゝろ心こゝろこころでででこそこそこそ斯か斯かかかるかるかる御おん御おんおん目め目めめにににもももあはあはあわせせせ給たま給たまたまへへえ。。。居ゐ居ゐい直なほ直なほなおりりり畏かしこ畏かしこかしこまりまりまり給たま給たまたまひひいたれたれたればばばとてとてとて、、、今いま今いまいま更さら更さらさら御おん御おんおん命いのち命いのちいのちののの助たす助たすたすかりかりかり給たま給たまたまふふうべきべきべきかかか。。。西さい西さいさい國こく國こくこくにににててていかにいかにいかにもももなりなりなり給たま給たまたまふふうべきべきべき人ひと人ひとひとののの、、、生い生いいきききながらながらながら捕とら捕とらとらははわれれれててて之これ之これこれまでまでまで下くだ下くだくだりりり給たま給たまたまふふうももも理ことわり理ことわりことわりなるなるなるかなかなかな。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、げにげにげにもももととと申まう申まうもうすすす人ひと人ひとひともももありありあり、、、またまたまた涙なみだ涙なみだなみだををを流なが流ながながすすす者もの者ものものももも多おほ多おほおおかりかりかりけりけりけり。。。そのそのその中なか中なかなかにににあるあるある人ひと人ひとひとののの申まう申まうもうしししけるけるけるははは、、、「「「猛まう猛まうもう虎こ虎ここ深しん深しんしん山ざん山ざんざんににに在あ在ああるるる時とき時ときときははは、、、則すなは則すなはすなわちちち百ひやく百ひやくひゃく獸じう獸じうじゅう震ふる震ふるふるひひいおづおづおず。。。檻かん檻かんかん穽せい穽せいせいののの中うち中うちうちにににあるあるある時とき時ときときははは、、、則すなは則すなはすなわちちち尾を尾ををををを振ふ振ふふつつっててて食しよく食しよくしょくををを求もと求もともとむむむとてとてとて、、、猛たけ猛たけたけききき虎とら虎とらとらののの深み深みみ山やま山やまやまにににあるあるある時とき時ときときははは、、、百もゝ百もゝももののの獸けだもの獸けだものけだものおぢおぢおじ懼おそ懼おそおそるるるととといへいへいえどもどもども、、、取と取ととつつっててて檻をり檻をりおりののの中なか中なかなかににに籠こ籠ここめめめられられられててて後のち後のちのちははは、、、尾を尾ををををを振ふ振ふふつつっててて人ひと人ひとひとににに向むか向むかむかぶぶぶらんらんらんやうやうようににに、、、いかにいかにいかに猛たけ猛たけたけききき大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐんももも運うん運うんうんつきつきつき、、、かくかくかくなりなりなりててて後のち後のちのちははは、、、心こゝろ心こゝろこころかはるかはるかわるならひならひならいなれなれなればばば、、、このこのこの大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのもももさこそさこそさこそおはすおはすおわすにににややや。。。」」」ととと申まう申まうもうすすす人ひと人ひとひと々びと々びとびともももありありありけるけるけるとととかやかやかや。。。
  3. 3判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんやう〳〵やう〳〵ようようににに陳ちん陳ちんちんじじじ申まう申まうもうささされれれけれけれけれどもどもども、、、景かげ景かげかげ時とき時ときときががが讒ざん讒ざんざん言げん言げんげんののの上うへ上うへうえははは、、、鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくら殿どの殿どのどの更さら更さらさらににに用もち用もちもちゐゐい給たま給たまたまははわずずず。。。大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどの父ふ父ふふ子し子しし具ぐ具ぐぐししし奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりててて、、、いそぎいそぎいそぎ上しやう上しやうしょう洛らく洛らくらくすすすべきべきべき由よし由よしよしのたまふのたまふのたまう間あひだ間あひだあいだ、、、六ろく六ろくろく月ぐわつ月ぐわつがつ九こゝの九こゝのここの日か日かかののの日ひ日ひひ、、、またまたまた大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどの父ふ父ふふ子し子しし受うけ受うけうけ取と取ととりりり奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、都みやこ都みやこみやこへへへ歸かへ歸かへかえりりり上のぼ上のぼのぼららられれれけりけりけり。。。大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのはははかやうかやうかようににに一いち一いちいち日にち日にちにちももも日ひ日ひひ數かず數かずかずののの延の延ののぶるぶるぶることことことををを、、、うれしきうれしきうれしき事こと事ことことにににおぼしおぼしおぼしけるけるけるこそこそこそいとほしけれいとほしけれいとおしけれ。。。道みち道みちみちすがらすがらすがらももも、、、こゝこゝここにににてててや〳〵や〳〵ややととと想おも想おもおもははわれれれけれけれけれどもどもども、、、國くに國くにくに々ぐに々ぐにぐに宿しゆく宿しゆくしゅく々しゆく々しゆくしゅく打うち打うちうち過す過すすぎ〳〵ぎ〳〵ぎうちすぎ通とほ通とほとおりりりぬぬぬ。。。尾を尾をお張はり張はりはりののの國くに國くにくに内うつ内うつうつ海み海みみととといふいふいう所ところ所ところところありありあり。。。これこれこれははは一ひと一ひとひと年とせ年とせとせ故こ故ここ左さ左ささ馬ま馬ままののの頭かみ頭かみかみ義よし義よしよし朝とも朝ともともががが誅ちう誅ちうちゅうせせせられられられししし所ところ所ところところなれなれなればばば、、、こゝこゝここにににてててぞぞぞ一いち一いちいち定ぢやう定ぢやうじょう斬き斬ききららられれれんんんずずずらんらんらんととと思おも思おもおもははわれれれけれけれけれどもどもども、、、そこそこそこをををももも遂つひ遂つひついににに過す過すすぎぎぎしかしかしかばばば、、、さてさてさてはははわがわがわが命いのち命いのちいのちののの助たす助たすたすからからからんんんずるずるずるにににこそこそこそととと思おぼ思おぼおぼしししけるけるけるこそこそこそはかなけれはかなけれはかなけれ。。。右う右うう衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもんののの督かみ督かみかみはははさささははは思おも思おもおもひひい給たま給たまたまははわずずず。。。かやうかやうかようににに暑あつ暑あつあつきききころころころなれなれなればばば、、、頸くび頸くびくびののの損そん損そんそんぜぜぜぬぬぬやうやうようにににはからひはからひはからいててて、、、都みやこ都みやこみやこ近ちか近ちかちこうううなりなりなりてててこそこそこそ斬き斬ききらららんんんずずずらめらめらめととと思おも思おもおもははわれれれけれけれけれどもどもども、、、父ちゝ父ちゝちちのののあまりあまりあまりににに歎なげ歎なげなげききき給たま給たまたまふふうがががいたはしさいたはしさいたわしさににに、、、さささははは申まう申まうもうささされれれずずず、、、ひとへひとへひとえににに念ねん念ねんねん佛ぶつ佛ぶつぶつをををのみのみのみぞぞぞすゝめすゝめすすめ申まう申まうもうささされれれけるけるける。。。
  4. 4同おな同おなおなじきじきじき廿にじふ廿にじふにじゅう三さん三さんさん日にち日にちにち、、、近あふ近あふおう江み江みみののの國くに國くにくに篠しの篠しのしの原はら原はらはらののの宿しゆく宿しゆくしゅくににに著つ著つつききき給たま給たまたまふふう。。。昨日きのふ昨日きのふきのうまでまでまでははは父ふ父ふふ子し子しし一ひと一ひとひとつつつ所ところ所ところところににに在おは在おはおわせせせしかしかしかどもどもども、、、今け今けけ朝さ朝ささよりよりより引ひき引ひきひき分わ分わわつつっててて、、、別べち別べちべちののの所ところ所ところところにににすゑすゑすえ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん情なさけ情なさけなさけあるあるある人ひと人ひとひとにににててて、、、三みつ三みつみつ日か日かか路ぢ路ぢじよりよりより人ひと人ひとひとををを先さき先さきさき立だ立だだてててててて善ぜん善ぜんぜん知ち知ちち識しき識しきしきののの爲ため爲ためためにににとてとてとて、、、大おほ大おほおお原はら原はらはらののの本ほん本ほんほん性しやう性しやうしょう房ばう房ばうぼう湛たん湛たんたん豪がう豪がうごうととと申まう申まうもうすすす聖ひじり聖ひじりひじりををを請しやう請しやうしょうじじじくださくださくだされれれたりたりたり。。。大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどの、、、善ぜん善ぜんぜん知ち知ちち識しき識しきしきののの聖ひじり聖ひじりひじりににに向むか向むかむかひひいててて、、、のたまひのたまひのたまいけるけるけるははは、、、「「「さてさてさてももも右う右うう衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもんののの督かみ督かみかみはははいづくいづくいずくににに候さふらふ候さふらふそうろうやらんやらんやらん。。。たとひたとひたとい首くび首くびくびははは刎は刎ははねねねらるゝらるゝらるるともともとも、、、軀むくろ軀むくろむくろははは一ひと一ひとひとつつつ席むしろ席むしろむしろににに伏ふ伏ふふさささんんんとととこそこそこそ思おも思おもおもひひいしししににに、、、生い生いいきききながらながらながら別わか別わかわかれれれぬるぬるぬる事こと事ことことこそこそこそ悲かな悲かなかなしけれしけれしけれ。。。このこのこの十じふ十じふじゅう七しち七しちしち年ねん年ねんねんががが間あひだ間あひだあいだ、、、一いち一いちいち日にち日にちにち片へん片へんへん時じ時じじももも離はな離はなはなれれれずずず、、、今こん今こんこん度ど度どど西さい西さいさい國こく國こくこくにににててていかにいかにいかにもももなるなるなるべかりべかりべかりししし身み身みみののの、、、生い生いいきききながらながらながら捕とら捕とらとらははわれれれててて京きやう京きやうきょう、、、鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくら、、、恥はぢ恥はぢはじをををさらすさらすさらすももも、、、ひとへひとへひとえにににあのあのあの右う右うう衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもんののの督かみ督かみかみ故ゆゑ故ゆゑゆえなりなりなり。。。」」」とととててて泣な泣ななかかかれれれけれけれければばば、、、聖ひじり聖ひじりひじりもももあはれあはれあわれににに思おも思おもおもははわれれれけれけれけれどもどもども、、、われわれわれさへさへさへ心こゝろ心こゝろこころ弱よわ弱よわよおうううてててはははかなはかなはかなわじじじとととややや思おも思おもおもははわれれれけんけんけん、、、涙なみだ涙なみだなみだおしおしおし拭のご拭のごのごひひい、、、さらさらさらぬぬぬ體てい體ていていにににもてなしもてなしもてなし、、、「「「あはれあはれあわれ高たか高たかたかきききももも賤いや賤いやいやしきしきしきももも、、、恩おん恩おんおん愛あい愛あいあいののの道みち道みちみちははは思おも思おもおもひひい切き切ききららられれれぬぬぬ事こと事ことことにににててて候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、まことまことまことにににさこそさこそさこそははは思おぼし思おぼしおぼし召め召めめささされれれ候さふらふ候さふらふそうろうらめらめらめ。。。生しやう生しやうしょうををを受う受ううけけけさせさせさせ給たま給たまたまひひいてててよりよりよりこのこのこのかたかたかた、、、樂たの樂たのたのしみしみしみ榮さか榮さかさかえええ、、、昔むかし昔むかしむかしもももたぐひたぐひたぐい候さふら候さふらそうらははわずずず。。。一いつ一いついっ天てん天てんてんののの君きみ君きみきみののの御ご御ごご外ぐわい外ぐわいがい戚せき戚せきせきとととしししててて、、、丞しよう丞しようしょう相じやう相じやうじょうののの位くらゐ位くらゐくらいににに至いた至いたいたらららせせせ給たま給たまたまへへえばばば、、、今こん今こんこん生じやう生じやうじょうののの御ご御ごご榮えい榮えいえい華ぐわ華ぐわが、、、一いち一いちいち事じ事じじももも殘のこ殘のこのこるるる所ところ所ところところましまさましまさましまさずずず。。。今いま今いまいままたまたまた斯か斯かかかるかるかる御おん御おんおん目め目めめにににあひあひあい給たま給たまたまふふう御おん御おんおん事こと事ことことももも先せん先せんせん世ぜ世ぜぜののの宿しゆく宿しゆくしゅく業ごふ業ごふごうなれなれなればばば、、、世よ世よよをををももも人ひと人ひとひとをををももも、、、神かみ神かみかみをををももも佛ほとけ佛ほとけほとけをををももも、、、恨うら恨うらうらみみみ思おぼし思おぼしおぼし召め召めめすすすべからべからべからずずず。。。大だい大だいだい梵ぼん梵ぼんぼん王わう王わうおう宮ぐう宮ぐうぐうののの深しん深しんしん禪ぜん禪ぜんぜん定ぢやう定ぢやうじょうののの樂たの樂たのたのしみしみしみ、、、思おも思おもおもへへえばばば程ほど程ほどほどなしなしなし。。。況いは況いはいわんんんややや電でん電でんでん光くわう光くわうこう朝てう朝てうちょう露ろ露ろろののの下げ下げげ界かい界かいかいののの命いのち命いのちいのちにににおいおいおいてててをををややや。。。忉たう忉たうとう利り利りり天てん天てんてんののの億おく億おくおく千せん千せんせん歳さい歳さいさい、、、唯たゞ唯たゞただ夢ゆめ夢ゆめゆめののの如ごと如ごとごとししし。。。三さん三さんさん十じふ十じふじゅう九く九くく年ねん年ねんねんををを過す過すすぎぎぎさせさせさせ給たま給たまたまひひいけんけんけんももも、、、僅わづか僅わづかわずかににに一いち一いちいち時じ時じじののの間あひだ間あひだあいだなりなりなり。。。誰たれ誰たれたれかかか嘗な嘗ななめめめたりたりたりししし不ふ不ふふ老らう老らうろう不ふ不ふふ死し死ししののの藥くすり藥くすりくすり、、、誰たれ誰たれたれかかか保たも保たもたもちちちたりたりたりけんけんけん東とう東とうとう父ぶ父ぶぶ西せい西せいせい母ぼ母ぼぼののの命いのち命いのちいのち、、、秦しん秦しんしんののの始し始しし皇くわう皇くわうこうののの驕おごり驕おごりおごりををを極きは極きはきわめめめ給たま給たまたまひひいしししももも、、、遂つひ遂つひついにににははは驪り驪りり山ざん山ざんざんののの塚つか塚つかつかににに埋うづ埋うづうずもれもれもれ、、、漢かん漢かんかんののの武ぶ武ぶぶ帝てい帝ていていののの命いのち命いのちいのちををを惜を惜をおしみしみしみ給たま給たまたまひひいけんけんけんももも、、、空むな空むなむなしくしくしく杜と杜とと陵りよう陵りようりょうののの苔こけ苔こけこけににに朽く朽くくちちちにににききき。。。生しやう生しやうしょうあるあるある者もの者ものものははは必かなら必かならかならずずず滅めつ滅めつめつすすす。。。釋しやく釋しやくしゃく尊そん尊そんそん未いま未いまいまだだだ栴せん栴せんせん檀だん檀だんだんののの煙けぶり煙けぶりけぶりををを免まぬか免まぬかまぬかれれれ給たま給たまたまははわずずず。。。樂たの樂たのたのしみしみしみ盡つ盡つつきききててて悲かな悲かなかなしみしみしみ來きた來きたきたるるる。。。天てん天てんてん人にん人にんにん猶なほ猶なほなお五ご五ごご衰すゐ衰すゐすいののの日ひ日ひひにににあへあへあえりりりとととこそこそこそ承うけたまは承うけたまはうけたまわれれれ。。。されされさればばば佛ほとけ佛ほとけほとけははは、、、「「「我が我がが心しん心しんしん自じ自じじ空くう空くうくう、、、罪ざい罪ざいざい福ふく福ふくふく無む無むむ主しゆ主しゆしゅ、、、觀くわん觀くわんかん心じん心じんじん無む無むむ心しん心しんしん、、、法ほふ法ほふほう不ふ不ふふ住ぢゆう住ぢゆうじゅう法ほふ法ほふほう。。。」」」とととててて、、、善ぜん善ぜんぜんももも惡あく惡あくあくももも空くう空くうくうなりなりなりととと觀くわん觀くわんかんずるずるずるががが、、、正まさ正まさまさしうしうしゅう佛ほとけ佛ほとけほとけののの御おん御おんおん心こゝろ心こゝろこころににに相あひ相あひあい合かな合かなかなふふう事こと事ことことにににててて候さふらふ候さふらふそうろうなりなりなり。。。いかなれいかなれいかなればばば彌み彌みみ陀だ陀だだ如によ如によにょ來らい來らいらいははは五ご五ごご劫こふ劫こふこうががが間あひだ間あひだあいだ思し思しし惟ゆゐ惟ゆゐゆいしししててて、、、起おこ起おこおこししし難がた難がたがたききき願ぐわん願ぐわんがんををを發おこ發おこおこししし坐ましま坐ましまましますすすににに、、、いかなるいかなるいかなる我われ我われわれ等ら等ららなれなれなればばば、、、億おく億おくおく々おく々おくおく萬まん萬まんまん劫ごふ劫ごふごうががが間あひだ間あひだあいだ生しやう生しやうしょう死じ死じじににに輪りん輪りんりん廻ゑ廻ゑえしししててて、、、寶たから寶たからたからののの山やま山やまやまににに入い入いいりりりててて手て手ててををを空むな空むなむなしうしうしゅうせせせんんん事こと事ことこと、、、怨うら怨うらうらみみみののの中なか中なかなかののの怨うら怨うらうらみみみ、、、愚おろ愚おろおろかかかなるなるなるががが中なか中なかなかののの口くち口くちくち惜を惜をおしきしきしき事こと事ことことにににてててははは候さふら候さふらそうらははわずずずややや。。。今いま今いまいまははは努ゆめ努ゆめゆめ々ゆめ々ゆめゆめ餘よ餘よよ念ねん念ねんねんををを思おぼし思おぼしおぼし召め召めめすすすべからべからべからずずず。。。」」」とととててて戒かい戒かいかい保たも保たもたもたたたせせせ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、頻しき頻しきしきりりりににに念ねん念ねんねん佛ぶつ佛ぶつぶつををを勸すゝ勸すゝすすめめめ奉たてまつ奉たてまつたてまつれれればばば、、、大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのももも然しか然しかしかるるるべきべきべき善ぜん善ぜんぜん知ち知ちち識しき識しきしきととと思おぼし思おぼしおぼし召め召めめししし、、、忽たちま忽たちまたちまちちちににに妄まう妄まうもう念ねん念ねんねんををを飜ひるがへ飜ひるがへひるがえししし、、、西にし西にしにしににに向むか向むかむかひひい手て手ててををを合あ合ああははわせせせ、、、高かう高かうこう聲じやう聲じやうじょうににに念ねん念ねんねん佛ぶつ佛ぶつぶつししし給たま給たまたまふふう所ところ所ところところににに、、、橘きつ橘きつきっ右う右うう馬ま馬ままののの允じよう允じようじょう公きん公きんきん長なが長ながなが、、、太た太たた刀ち刀ちちををを引ひ引ひひきききそばめそばめそばめ、、、左ひだり左ひだりひだりののの方かた方かたかたよりよりより大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのののの御おん御おんおん後うしろ後うしろうしろににに立たち立たちたち廻まは廻まはまわりりり、、、既すで既すですでににに斬き斬ききりりり奉たてまつ奉たてまつたてまつらららんんんとととしししけれけれければばば、、、大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどの念ねん念ねんねん佛ぶつ佛ぶつぶつををを止とゞ止とゞとどめめめててて、、、「「「右う右うう衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもんののの督かみ督かみかみももも既すで既すですでにににかかか。。。」」」ととと宣のたま宣のたまのたまひひいけるけるけるこそこそこそあはれあはれあわれなれなれなれ。。。公きん公きんきん長なが長ながなが後うしろ後うしろうしろへへへ寄よ寄よよるるるかかかととと見み見みみえええしかしかしかばばば、、、首くび首くびくびははは前まへ前まへまえへへへぞぞぞ落お落おおちちちにににけるけるける。。。善ぜん善ぜんぜん知ち知ちち識しき識しきしきののの聖ひじり聖ひじりひじりももも涙なみだ涙なみだなみだにににむせびむせびむせび、、、猛たけ猛たけたけききき武もの武ものもの士のふ士のふのうどもどもどもももも皆みな皆みなみな袖そで袖そでそでをををぞぞぞ濡ぬ濡ぬぬらしらしらしけるけるける。。。このこのこの公きん公きんきん長なが長ながながととと申まう申まうもうすすすははは平へい平へいへい家け家けけ相さう相さうそう傳でん傳でんでんののの家け家けけ人にん人にんにんにににててて、、、なかんづくなかんづくなかんずく新しん新しんしん中ちう中ちうちゅう納な納なな言ごん言ごんごん知とも知ともとも盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょうのののもともともとににに、、、朝てう朝てうちょう夕せき夕せきせき伺し伺しし候こう候こうこうののの侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいなりなりなり。。。さこそさこそさこそ世よ世よよををを諂へつら諂へつらへつらふふうならひならひならいとととはははいひいひいいながらながらながら、、、無む無むむ下げ下げげににになさけなさけなさけ無な無ななかりかりかりけるけるける者もの者ものものかなかなかなとととぞぞぞ、、、人ひと人ひとひとみなみなみな慙ざん慙ざんざん愧ぎ愧ぎぎしししけるけるける。。。
  5. 5右う右うう衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもんののの督かみ督かみかみにににもももまたまたまた、、、先さき先さきさきののの如ごと如ごとごとくくく戒かい戒かいかい保たも保たもたもたたたせせせ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、念ねん念ねんねん佛ぶつ佛ぶつぶつ勸すゝ勸すゝすすめめめ申まう申まうもうささされれれけりけりけり。。。右う右うう衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもんののの督かみ督かみかみ、、、善ぜん善ぜんぜん知ち知ちち識しき識しきしきののの聖ひじり聖ひじりひじりににに向むか向むかむかひひいてててのたまひのたまひのたまいけるけるけるははは、、、「「「さてさてさてももも父ちゝ父ちゝちちののの御ご御ごご最さい最さいさい後ご後ごごははは、、、いかゞいかゞいかがまし〳〵まし〳〵ましまし候さふら候さふらそうらひひいつるつるつるやらんやらんやらん。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、「「「めでたうめでたうめでとうまし〳〵まし〳〵ましまし候さふら候さふらそうらひひいつるつるつる。。。御おん御おんおん心こゝろ心こゝろこころ安やす安やすやすくくく思おぼし思おぼしおぼし召め召めめささされれれ候さふら候さふらそうらへへえ。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれけれけれければばば、、、右う右うう衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもんののの督かみ督かみかみ、、、「「「今いま今いまいまはははうきうきうき世よ世よよににに思おも思おもおもひひい置お置おおくくく事こと事ことことなしなしなし。。。さらばさらばさらば斬き斬ききれれれ。。。」」」とととててて、、、頸くび頸くびくびををを延の延ののべべべてててぞぞぞ斬き斬ききらららせせせらるらるらる。。。今こん今こんこん度ど度どどははは堀ほり堀ほりほりののの彌や彌やや太た太たた郎らう郎らうろう親ちか親ちかちか經つね經つねつね切き切ききつつってててけりけりけり。。。軀むくろ軀むくろむくろをををばばば公きん公きんきん長なが長ながながががが沙さ沙ささ汰た汰たたとととしししててて、、、父ふ父ふふ子し子しし一ひと一ひとひとつつつ穴あな穴あなあなにににぞぞぞ埋うづ埋うづうずみみみけるけるける。。。これこれこれははは大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどののののあまりあまりあまりににに罪つみ罪つみつみ深ふか深ふかふこううう宣のたま宣のたまのたまひひいけるけるけるににに依よ依よよつつってててなりなりなり。。。
  6. 6同おな同おなおなじきじきじき二に二にに十じふ十じふじゅう四よつ四よつよっ日か日かか、、、大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどの父ふ父ふふ子し子ししののの首くび首くびくび都みやこ都みやこみやこへへへ入い入いいるるる。。。檢けん檢けんけん非び非びび違ゐ違ゐい使し使ししどもどもども三さん三さんさん條でう條でうじょう河かは河かはかわ原ら原ららににに出い出いいででで向むか向むかむかつつっててて、、、これこれこれををを受うけ受うけうけ取と取ととりりり、、、三さん三さんさん條でう條でうじょうををを西にし西にしにしへへへ、、、東ひがし東ひがしひがしののの洞とう洞とうとう院ゐん院ゐんいんををを北きた北きたきたへへへ渡わた渡わたわたしししててて、、、獄ごく獄ごくごく門もん門もんもんののの左ひだり左ひだりひだりののの棟あふち棟あふちおうちののの木き木ききにににぞぞぞかけかけかけられられられけるけるける。。。昔むかし昔むかしむかしよりよりより三さん三さんさん位み位みみ以い以いい上じやう上じやうじょうののの人ひと人ひとひとののの首くび首くびくび、、、大おほ大おほおお路ぢ路ぢじををを渡わた渡わたわたさささるゝるゝるる事こと事ことこと、、、異い異いい國こく國こくこくにににはははそのそのその例れい例れいれいもももやややあるあるあるらんらんらん、、、わがわがわが朝てう朝てうちょうにににははは未いま未いまいまだだだ先せん先せんせん蹤じよう蹤じようじょうををを聞き聞ききかかかずずず。。。平へい平へいへい治ぢ治ぢじにににももも信のぶ信のぶのぶ賴より賴よりよりののの卿きやう卿きやうきょうはははさばかりさばかりさばかりののの惡あく惡あくあく行ぎやう行ぎやうぎょう人にん人にんにんたりたりたりしかしかしかばばば、、、首かうべ首かうべこうべをををばばば刎は刎ははねねねられられられたれたれたれどもどもども、、、大おほ大おほおお路ぢ路ぢじをををばばば渡わた渡わたわたささされれれずずず、、、平へい平へいへい家け家けけににに取と取ととつつってててぞぞぞ渡わた渡わたわたささされれれけるけるける。。。西さい西さいさい國こく國こくこくよりよりより上のぼ上のぼのぼりりりてててははは、、、生い生いいきききててて六ろく六ろくろく條でう條でうじょうををを東ひがし東ひがしひがしへへへ渡わた渡わたわたささされれれ、、、東とう東とうとう國ごく國ごくごくよりよりより歸かへ歸かへかえりりりてててははは、、、死し死しししししててて三さん三さんさん條でう條でうじょうををを西にし西にしにしへへへ渡わた渡わたわたさささるるる。。。生い生いいきききてててののの恥はぢ恥はぢはじ、、、死し死ししにににてててののの辱はぢ辱はぢはじ、、、いづれいづれいずれももも劣おと劣おとおとらららざりざりざりけりけりけり。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

やがて鎌倉殿は大臣殿と対面された。ご自分のおられる所から庭を一つ隔てた向かいの建物に大臣殿をお据え申し、簾の内からご覧になって、比企藤四郎能員を通じて申されるには、「そもそも平家を頼朝の私の敵とは、決して思い申していません。そのわけは、故入道相国のお許しがなかったら、頼朝はどうして助かったでしょう。それで二十余年まで生き長らえてきたのです。けれども朝敵となられてからは、急いで追討せよとの院宣をいただきましたので、この国に生まれて詔命にそむくわけにもいかず、ここへお迎え申したのです。とはいえ、このようにお目にかかれたことは、かえすがえすも本意でございます」と申された。能員がこのことを申そうとして大臣殿の御前に参ったところ、大臣殿が居ずまいを正してかしこまられたのは情けないことであった。

諸国の大名・小名が大勢居並んでいた中には、京の者もたくさんいた。また平家の家人だった者もいた。みな爪はじきをして、「ああお気の毒に。あのようなお心だからこそ、このような目にもおあいになるのだ。居ずまいを正してかしこまられたからといって、今さらお命が助かるだろうか。西国でどうにでもなられるはずの人が、生きながら捕らわれてここまで下ってこられたのも、もっともなことだ」と言ったので、なるほどと申す人もあり、また涙を流す者も多かった。その中である人が申すには、「『猛虎深山に在る時は、則ち百獣震ひおづ。檻穽の中にある時は、則ち尾を振つて食を求む』といって、猛き虎が深山にいるときは、百の獣が恐れおののくけれども、捕らえられて檻の中に閉じこめられてからは、尾を振って人に媚びるように、どんなに猛き大将軍でも、運が尽きてこうなってからは心が変わるものだから、この大臣殿もそうなのであろうか」と申す人々もいたということである。

判官はいろいろと弁明申されたが、景時の讒言があったうえは、鎌倉殿はまったくお聞き入れにならない。大臣殿父子を連れて急いで上洛せよとおっしゃったので、六月九日、また大臣殿父子を受け取り申して、都へ帰り上られた。大臣殿がこのように一日でも日数が延びることをうれしくお思いになったのは哀れである。道中も、ここで斬られるか、ここでかと思われたが、国々や宿々を次々と過ぎて通っていった。尾張国に内海という所がある。ここは先年、故左馬頭義朝が誅された所なので、ここで必ず斬られるだろうと思われたが、そこも過ぎたので、さてはわが命は助かるのだと思われたのははかないことであった。右衛門督はそうは思われない。このように暑いころなので、首が傷まないように計らって、都の近くになってから斬るのだろうと思われたが、父があまりに嘆かれるのがおいたわしくて、そうとは申されず、ひたすら念仏ばかりをおすすめ申された。

同じく二十三日、近江国篠原の宿に着かれた。昨日までは父子一つ所におられたが、今朝から引き離して、別々の所にお据え申した。判官は情けある人で、三日の道のりの所から人を先立てて、善知識のためにといって、大原の本性房湛豪という聖を招き下されていた。大臣殿が善知識の聖に向かっておっしゃるには、「それにしても右衛門督はどこにいるのでしょう。たとえ首は刎ねられても、亡骸は一つ筵に伏そうと思っていたのに、生きながら別れてしまったのが悲しい。この十七年の間、一日片時も離れず、今度西国でどうにでもなるはずだった身が、生きながら捕らわれて京・鎌倉で恥をさらすのも、ひとえにあの右衛門督のためなのです」といって泣かれたので、聖も哀れに思われたが、自分まで心弱くてはいけないと思われたのか、涙を押しぬぐい、何気ない様子をよそおって、「まことに身分の高い者も低い者も、親子の情は断ちきれないものですから、本当にそうお思いになるでしょう。お生まれになってからこのかた、楽しみ栄えたことは昔にも例がありません。天子の御外戚として大臣の位に至られたのですから、今生のご栄華に一つも思い残すことはおありになりません。今またこのような目におあいになるのも前世の宿業ですから、世をも人をも、神をも仏をもお恨みになってはなりません。大梵天王宮の深い禅定の楽しみも、思えばわずかの間です。まして稲妻や朝露のようにはかない下界の命はなおさらです。忉利天の億千歳も、ただ夢のようです。三十九年を過ごされたのも、わずか一時の間です。誰が不老不死の薬をなめたでしょう。誰が東父西母のような長寿を保ったでしょう。秦の始皇帝が驕りを極められたのも、ついには驪山の塚に埋もれ、漢の武帝が命を惜しまれたのも、むなしく杜陵の苔の下に朽ちてしまいました。生ある者は必ず滅びます。釈尊でさえ栴檀の薪の煙を免れられませんでした。楽しみが尽きれば悲しみが来ます。天人でさえ五衰の日にあうと聞いております。だから仏は『我心自空、罪福無主、観心無心、法不住法』といって、善も悪も空であると観ずることが、まさに仏のお心にかなうことなのです。どうして阿弥陀如来は五劫の間思惟して、起こしがたい願を起こされたのに、どういう我らであれば、億々万劫の間生死に輪廻して、宝の山に入りながら手をむなしくして帰ることになるのでしょう。それこそ恨みの中の恨み、愚かさの中でも口惜しいことではありませんか。今は決して余念をお持ちになってはなりません」といって戒を授け申し、しきりに念仏をおすすめ申すと、大臣殿もよい善知識だとお思いになって、たちまち妄念をひるがえし、西に向かって手を合わせ、高声に念仏しておられるところに、橘右馬允公長が太刀を脇に引きつけ、左の方から大臣殿の後ろに回って、今にも斬り申そうとしたので、大臣殿は念仏を止めて、「右衛門督ももう斬られたのか」とおっしゃったのは哀れである。公長が後ろへ寄るかと見えたとたん、首は前へ落ちた。善知識の聖も涙にむせび、猛き武士たちもみな袖を濡らした。この公長というのは平家代々の家人で、とりわけ新中納言知盛卿のもとに朝夕仕えていた侍である。いかに世に媚びるのがならいとはいえ、まったく情けのない者だと、人はみな恥ずべきことと思った。

右衛門督にもまた先のように戒を授け申し、念仏をおすすめ申された。右衛門督が善知識の聖に向かっておっしゃるには、「それにしても父の御最期はどのようでいらっしゃいましたか」とおっしゃると、「みごとでいらっしゃいました。ご安心なさいませ」と申されたので、右衛門督は「今はもう憂き世に思い残すことはない。それでは斬れ」といって、首を差し伸べて斬らせられた。今度は堀弥太郎親経が斬った。亡骸は公長が取りはからって、父子を一つの穴に埋めた。これは大臣殿があまりに罪深いことをおっしゃったからである。

同じく二十四日、大臣殿父子の首が都に入った。検非違使たちが三条河原に出向いてこれを受け取り、三条を西へ、東洞院を北へ渡して、獄門の左の楝の木に掛けられた。昔から三位以上の人の首が大路を渡されることは、異国にはその例もあるのだろうが、わが国ではまだ前例を聞かない。平治の乱でも信頼卿はあれほどの悪人であったから首を刎ねられたけれども、大路を渡されはしなかったのに、平家に限って渡されたのである。西国から上ったときは生きて六条を東へ渡され、東国から帰ったときは死んで三条を西へ渡された。生きての恥、死んでの辱め、どちらも劣らないものであった。

意訳

巻第十一を締めくくる宗盛の最期である。頼朝の前でかしこまる宗盛を、猛虎も檻に入れば尾を振ると評する人々の言葉は辛辣だが、斬られる間際まで子の清宗を案じて「右衛門督も既にか」と問う姿には、父としての深い情が表れている。

湛豪の説法は、栄華の極みもはかない夢にすぎないと説いて宗盛を念仏へ導き、平家の栄華と滅亡の物語全体に通じる無常の思想を語る。首が大路を渡され獄門にかけられる結末は、三位以上の者としては前例のない恥辱として、平家の没落の悲惨さを強く印象づけている。

語釈・文法注

文法

「見出し給ひて」
内から外をご覧になって。
「さのみ王地に孕まれて」
この国に生まれた身として、それほどまでに。
「居直り畏まり給ふ」
座り直してかしこまられた。敵の使いに対してへりくだったこと。
「家人たつし者」
家人であった者。
「猛虎深山に在る時は…」
司馬遷「任少卿に報ずる書」の句。
「檻穽」
獣を捕らえる檻と落とし穴。
「三日路より人を先立てて」
三日の道のりの所から、先に人を遣わして。
「東父西母」
東王父と西王母。長寿の仙人。
「釋尊未だ栴檀の煙を免れ給はず」
釈迦も入滅して栴檀の薪で荼毘に付された。
「五衰」
天人が死ぬ前に現れる五つの衰えの相。
「我心自空…法不住法」
『観普賢経』の句。わが心はもとより空であり、罪も福も主がない。
「五劫が間思惟して」
阿弥陀仏が法蔵菩薩のとき、五劫の間思惟して本願を立てたという。
「棟の木」
楝(おうち)。センダンの古名。獄門の前にあった。

解説

平宗盛は元暦二年(1185)六月二十一日、近江国篠原で斬られた。三十九歳。子の清宗も同じ日に斬られた(『吾妻鏡』)。滋賀県野洲市には宗盛父子の首洗い池と胴塚が伝わる。巻第十一はこの宗盛父子の最期で終わり、巻第十二では重衡の処刑や大地震、六代の物語へと続く。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、812–816頁(コマ435–437)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日