古典ライブラリー

平家物語 巻第十一

逆櫓の事

元暦二年正月、義経は後白河法皇に、平家を滅ぼすまでは都に帰らないと奏上し、東国の侍たちにも覚悟を求めた。八島の平家は東国・鎮西からの攻撃の噂に怯え、知盛は都で戦い果てるべきだったと悔やむ。二月、義経は摂津の渡辺・福島で、範頼は神崎で兵船をそろえた。出航を前に梶原景時が船に逆櫓をつけようと提案すると、義経は門出が悪い、退く用意など無用と退け、梶原は義経を猪武者とそしった。十六日、暴風を順風だとして義経は出航を強い、従わぬ水主を射殺すと脅して、わずか五艘で夜の海を渡り、三日の行程を三時ほどで阿波に着いた。

  1. 1元げん元げんげん暦りやく暦りやくりやく二に二にに年ねん年ねんねん正しやう正しやうしょう月ぐわつ月ぐわつがつ十とを十とをとお日か日かかののの日ひ日ひひ、、、九く九くく郎らう郎らうろう大たい大たいたい夫ふ夫ふふののの判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん義よし義よしよし經つね經つねつね院ゐん院ゐんいん參さん參さんさんしししててて、、、大おほ大おほおお藏くら藏くらくら卿きやう卿きやうきょう泰やす泰やすやす經つね經つねつねののの朝あ朝ああ臣そん臣そんそんををを以もつ以もつもっててて奏そう奏そうそう聞もん聞もんもんせせせられられられけるけるけるははは、、、「「「平へい平へいへい家け家けけははは神しん神しんしん明めい明めいめいにににももも放はな放はなはなたたたれれれ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、君きみ君きみきみにににももも捨す捨すすてててられられられ參まゐ參まゐまいらららせせせててて、、、帝てい帝ていてい都と都ととををを出い出いいでででててて波なみ波なみなみののの上うへ上うへうえににに漾たゞよ漾たゞよただよふふう落おち落おちおち人うど人うどうどとととなれなれなれりりり。。。然しか然しかしかるるるをををこのこのこの三さん三さんさん箇か箇かか年ねん年ねんねんががが閒あひだ閒あひだあいだ攻せ攻せせめめめ落おと落おとおとさささずずずしししててて、、、多おほ多おほおおくくくののの國くに國くにくに々ぐに々ぐにぐにをををふさげふさげふさげられられられぬるぬるぬる事こと事ことことこそこそこそ口くち口くちくち惜を惜をおしうしうしゅう候さふら候さふらそうらへへえ。。。今こん今こんこん度ど度どど義よし義よしよし經つね經つねつねにににおいおいおいてててははは、、、鬼き鬼きき界かい界かいかい、、、高かう高かうこう麗らい麗らいらい、、、契けい契けいけい丹たん丹たんたん、、、雲くも雲くもくものののはてはてはて、、、海うみ海うみうみのののはてはてはてまでまでまでももも、、、平へい平へいへい家け家けけををを亡ほろ亡ほろほろぼさぼさぼさざらざらざらんんんかぎりかぎりかぎりははは、、、王わう王わうおう城じやう城じやうじょうへへへ歸かへ歸かへかえるるるべからべからべからざるざるざる由よし由よしよし、、、奏そう奏そうそう聞もん聞もんもんせせせられられられたりたりたりけれけれければばば、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおう大おほ大おほおおきききににに御ぎよ御ぎよぎょ感かん感かんかんあつあつあっててて、、、相あひ相あひあい構かま構かまかまへへえててて夜よ夜よよををを日ひ日ひひににについついついででで、、、勝しよう勝しようしょう負ぶ負ぶぶををを決けつ決けつけつすすすべきべきべき由よし由よしよし仰おほ仰おほおおせせせ下くだ下くだくださささるるる。。。判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん宿しゆく宿しゆくしゅく處しよ處しよしょににに歸かへ歸かへかえつつっててて、、、東とう東とうとう國ごく國ごくごくののの侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいどもどもどもににに向むか向むかむかつつっててて宣のたま宣のたまのたまひひいけるけるけるははは、、、「「「今こん今こんこん度ど度どど義よし義よしよし經つね經つねつねこそこそこそ院ゐん院ゐんいん宣ぜん宣ぜんぜんををを承うけたまは承うけたまはうけたまわりりり、、、鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくら殿どの殿どのどのののの御おん御おんおん代だい代だいだい官くわん官くわんかんとととしししててて、、、平へい平へいへい家け家けけ追つい追ついつい討たう討たうとうののの爲ため爲ためためににに西さい西さいさい國こく國こくこくへへへ發はつ發はつはっ向かう向かうこうすすすなれなれなれ。。。陸くが陸くがくがははは駒こま駒こまこまののの蹄ひづめ蹄ひづめひずめののの通かよ通かよかよははわんんんかぎりかぎりかぎり、、、海うみ海うみうみははは櫓ろ櫓ろろ櫂かい櫂かいかいのののたたたたたたんんん處ところ處ところところまでまでまで攻せ攻せせめめめ行ゆ行ゆゆくくくべしべしべし。。。それそれそれににに少すこ少すこすこしししももも仔し仔しし細さい細さいさいををを存ぞん存ぞんぞんぜぜぜんんん人ひと人ひとひと々びと々びとびとははは、、、これこれこれよりよりよりとう〳〵とう〳〵とうとう鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくらへへへ下くだ下くだくだるるるべしべしべし。。。」」」とととぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。
  2. 2さるさるさる程ほど程ほどほどににに八や八やや島しま島しましまにににははは、、、隙ひま隙ひまひま行ゆ行ゆゆくくく駒こま駒こまこまののの足あし足あしあし早はや早はやはやくくくしししててて、、、正しやう正しやうしょう月ぐわつ月ぐわつがつもももたちたちたち、、、二に二にに月ぐわつ月ぐわつがつにににもももなりなりなりぬぬぬ。。。春はる春はるはるののの草くさ草くさくさ暮く暮くくれれれててて、、、秋あき秋あきあきののの風かぜ風かぜかぜににに驚おどろ驚おどろおどろききき、、、秋あき秋あきあきののの風かぜ風かぜかぜやんやんやんででで、、、またまたまた春はる春はるはるののの草くさ草くさくさにににもももなれなれなれりりり。。。送おく送おくおくりりり迎むか迎むかむかへへえててて既すで既すですでににに三み三みみ年とせ年とせとせににになりなりなりにににけりけりけり。。。平へい平へいへい家け家けけ、、、讚さぬ讚さぬさぬ岐き岐ききののの八や八やや島しま島しましまへへへ渡わた渡わたわたりりり給たま給たまたまひひいててて後のち後のちのちももも、、、東とう東とうとう國ごく國ごくごくよりよりより新あら新あらあら手て手ててののの軍ぐん軍ぐんぐん兵びやう兵びやうびょう數すう數すうすう萬まん萬まんまん騎ぎ騎ぎぎ、、、都みやこ都みやこみやこににに著つ著つついいいててて攻せ攻せせめめめ下くだ下くだくだるるるとととももも聞きこ聞きこきこゆゆゆ。。。またまたまた鎭ちん鎭ちんちん西ぜい西ぜいぜいよりよりより臼うす臼うすうす杵き杵きき、、、戸へ戸へへ次つぎ次つぎつぎ、、、松まつ松まつまつ浦ら浦らら黨たう黨たうとう同どう同どうどう心しん心しんしんしししててて、、、おしおしおし渡わた渡わたわたるるるとととももも聞きこ聞きこきこえええけりけりけり。。。かれかれかれををを聞き聞きききききこれこれこれををを聞き聞ききくくくにににももも、、、たゞたゞただ耳みゝ耳みゝみみををを驚おどろ驚おどろおどろかしかしかし、、、肝きも肝きもきも魂たましひ魂たましひたましいををを消け消けけすすすよりよりより外ほか外ほかほかののの事こと事ことことぞぞぞなきなきなき。。。女によう女にようにょう院ゐん院ゐんいん、、、北きた北きたきたののの政まん政まんまん所どころ所どころどころ、、、二に二にに位ゐ位ゐい殿どの殿どのどの以い以いい下げ下げげののの女によう女にようにょう房ばう房ばうぼう達たち達たちたちさしさしさしつどひつどひつどい給たま給たまたまひひいててて、、、今こん今こんこん度ど度どどわがわがわが方かた方かたかたざまざまざまににに、、、いかなるいかなるいかなる憂う憂ううききき事こと事ことことをををかかか聞き聞ききききき、、、いかなるいかなるいかなる憂う憂ううききき目め目めめをををももも見み見みみんんんずずずらんらんらんととと、、、嘆なげ嘆なげなげきききあひあひあい悲かな悲かなかなしみしみしみあはあはあわれれれけりけりけり。。。中なか中なかなかにににももも新しん新しんしん中ちう中ちうちゅう納な納なな言ごん言ごんごん知とも知ともとも盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょうののののたまひのたまひのたまいけるけるけるははは、、、「「「東とう東とうとう國ごく國ごくごく、、、北ほつ北ほつほっ國こく國こくこくののの兇きよう兇きようきょう徒と徒とと等ら等ららももも、、、隨ずゐ隨ずゐずい分ぶん分ぶんぶん重ぢゆう重ぢゆうじゅう恩おん恩おんおんををを蒙かうぶ蒙かうぶこうぶつつったりたりたりしかしかしかどもどもども、、、忽たちま忽たちまたちまちちちににに恩おん恩おんおんををを忘わす忘わすわすれれれ契ちぎ契ちぎちぎりりりををを變へん變へんへんじじじててて、、、賴より賴よりより朝とも朝ともとも、、、義よし義よしよし仲なか仲なかなか等ら等ららににに隨したが隨したがしたがひひいききき。。。ましてましてまして西さい西さいさい國こく國こくこくとてとてとてももも、、、さこそさこそさこそはははあらあらあらんんんずずずらめらめらめととと思おも思おもおもひひいしかしかしかばばば、、、たゞたゞただ都みやこ都みやこみやこののの内うち内うちうちにににててていかにいかにいかにもももならならならせせせ給たま給たまたまへへえととと、、、さしもさしもさしも申まう申まうもうしししつるつるつるものものものををを、、、わがわがわが身み身みみ一ひと一ひとひとつつつののの事こと事ことことならならならねねねばばば、、、心こゝろ心こゝろこころ弱よわ弱よわよおうううあこがれあこがれあこがれ出い出いいでででててて、、、今日けふ今日けふきょうははは斯か斯かかかるかるかる憂う憂ううききき目め目めめををを見み見みみるるる口くち口くちくち惜を惜をおしししさささよよよ。。。」」」とととぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。まことまことまことににに理ことわり理ことわりことわりととと覺おぼ覺おぼおぼえええてててあはれあはれあわれなりなりなり。。。
  3. 3さるさるさる程ほど程ほどほどににに二に二にに月ぐわつ月ぐわつがつ三みつ三みつみつ日か日かかののの日ひ日ひひ、、、九く九くく郎らう郎らうろう大たい大たいたい夫ふ夫ふふののの判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん義よし義よしよし經つね經つねつね都みやこ都みやこみやこををを立た立たたつつっててて、、、攝つ攝つつ津の津ののののの國くに國くにくに渡わた渡わたわた邊なべ邊なべなべ、、、福ふく福ふくふく島しま島しましま兩りやう兩りやうりょう所しよ所しよしょにににててて船ふな船ふなふな揃ぞろ揃ぞろぞろへへえししし、、、八や八やや島しま島しましまへへへ既すで既すですでににに寄よ寄よよせせせんんんとととすすす。。。兄あに兄あにあにののの三み三みみ河かは河かはかわののの守かみ守かみかみ範のり範のりのり賴より賴よりよりももも同どう同どうどう日じつ日じつじつににに都みやこ都みやこみやこををを立た立たたつつっててて、、、これこれこれももも攝つ攝つつ津の津ののののの國くに國くにくに神かん神かんかん崎ざき崎ざきざきにににててて兵ひやう兵ひやうひょう船せん船せんせん揃そろ揃そろそろへへえててて、、、山せん山せんせん陽やう陽やうよう道だう道だうどうへへへ赴おもむ赴おもむおもむかかかんんんとととすすす。。。同おな同おなおなじきじきじき十とを十とをとお日か日かかののの日ひ日ひひ、、、伊い伊いい勢せ勢せせ、、、石いは石いはいわ淸し淸しし水みづ水みづみずへへへ官くわん官くわんかん幣ぺい幣ぺいぺい使し使ししををを立た立たたてててらるらるらる。。。主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょう竝ならび竝ならびならびににに三さん三さんさん種しゆ種しゆしゅののの神じん神じんじん器ぎ器ぎぎ、、、事こと事ことこと故ゆゑ故ゆゑゆえなうなうのう都みやこ都みやこみやこへへへ返かへ返かへかえししし入い入いいれれれ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるべきべきべき由よし由よしよし、、、神じん神じんじん祇ぎ祇ぎぎ官くわん官くわんかんののの官くわん官くわんかん人にん人にんにん、、、もろもろもろもろもろもろののの社しや社しやしゃ司し司しし、、、本ほん本ほんほん宮ぐう宮ぐうぐう、、、本ほん本ほんほん社じや社じやじゃにににててて祈き祈きき請せい請せいせいすすすべきべきべき旨むね旨むねむね仰おほ仰おほおおせせせ下くだ下くだくださささるるる。。。同おな同おなおなじきじきじき十じふ十じふじゅう六ろく六ろくろく日にち日にちにち、、、渡わた渡わたわた邊なべ邊なべなべ、、、福ふく福ふくふく島しま島しましま兩りやう兩りやうりょう所しよ所しよしょにににててて揃そろ揃そろそろへへえたりたりたりけるけるける船ふね船ふねふねどもどもどもののの、、、纜ともづな纜ともづなともずな既すで既すですでににに解と解ととかかかんんんとととすすす。。。折をり折をりおりふしふしふし北ほく北ほくほく風ふう風ふうふう木き木ききををを折を折をおつつっててて、、、烈はげ烈はげはげしうしうしゅう吹ふ吹ふふきききたりたりたりけれけれければばば、、、船ふね船ふねふねどもどもども皆みな皆みなみなうちうちうち損そん損そんそんぜぜぜられられられててて出いだ出いだいだすすすににに及およ及およおよばばばずずず。。。修しゆ修しゆしゅ理り理りりののの爲ため爲ためためにににそのそのその日ひ日ひひははは止とゞ止とゞとどまりまりまりぬぬぬ。。。
  4. 4さるさるさる程ほど程ほどほどににに渡わた渡わたわた邊なべ邊なべなべにににははは東とう東とうとう國ごく國ごくごくののの大だい大だいだい名みやう名みやうみょう小せう小せうしょう名みやう名みやうみょう寄よ寄よよりりりあひあひあいててて、、、「「「そも〳〵そも〳〵そもそもわれわれわれららら、、、船ふな船ふなふな軍いくさ軍いくさいくさのののさまさまさまははは未いま未いまいまだだだ調てう調てうちょう練れん練れんれんせせせずずず。。。いかゞいかゞいかがせせせんんん。。。」」」ととと評ひやう評ひやうひょう定ぢやう定ぢやうじょうすすす。。。梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはら進すゝ進すゝすすみみみ出い出いいでででててて、、、「「「今こん今こんこん度ど度どどののの船ふね船ふねふねにににははは逆さか逆さかさか櫓ろ櫓ろろををを立た立たたててて候さふら候さふらそうらははわばやばやばや。。。」」」ととと申まう申まうもうすすす。。。判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん、、、「「「逆さか逆さかさか櫓ろ櫓ろろとととははは何なに何なになにぞぞぞ。。。」」」梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはら、、、「「「馬むま馬むまむまははは驅か驅かかけけけんんんととと思おも思おもおもへへえばばば驅か驅かかけけけ、、、引ひ引ひひかかかんんんととと思おも思おもおもへへえばばば引ひ引ひひききき、、、弓ゆん弓ゆんゆん手で手ででへへへももも馬め馬めめ手て手ててへへへももも廻まは廻まはまわしししやすうやすうやすう候さふらふ候さふらふそうろうががが、、、船ふね船ふねふねはははさやうさやうさようののの時とき時ときとき、、、きつきつきっとととおしおしおし廻まは廻まはまわすすすががが大だい大だいだい事じ事じじででで候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、艫とも艫ともとも舳へ舳へへににに櫓ろ櫓ろろををを立た立たたてててちがへちがへちがえ、、、脇わき脇わきわき楫かぢ楫かぢかじををを入い入いいれれれててて、、、どなたどなたどなたへへへももも廻まは廻まはまわしししやすいやすいやすいやうやうようにににししし候さふら候さふらそうらははわばやばやばや。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん、、、「「「まづまづまず門かど門かどかど出で出ででのののあしあしあしさささよよよ。。。軍いくさ軍いくさいくさにににははは一ひと一ひとひと引ひ引ひひきききももも引ひ引ひひかかかじじじととと思おも思おもおもふふうだにだにだに、、、あはひあはひあわい惡あ惡ああしけれしけれしければばば引ひ引ひひくくくははは常つね常つねつねののの習なら習ならならひひいなりなりなり。。。ましてましてましてさやうさやうさようににに逃に逃ににげげげ設まう設まうもうけけけせせせんんんににに、、、なじかはなじかはなじかわ能よ能よよかるかるかるべきべきべき。。。殿との殿とのとのばらばらばらののの船ふね船ふねふねにににははは、、、逆さか逆さかさか櫓ろ櫓ろろをををもももかへさまかへさまかえさま櫓ろ櫓ろろをををももも、、、百ひやく百ひやくひゃく挺ちやう挺ちやうちょう千せん千せんせん挺ちやう挺ちやうちょうももも立た立たたててて給たま給たまたまへへえ。。。義よし義よしよし經つね經つねつねはははたゞたゞただもともともとののの櫓ろ櫓ろろででで候さふら候さふらそうらははわんんん。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはらかさねかさねかさねててて、、、「「「よきよきよき大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐんととと申まう申まうもうすすすははは、、、驅か驅かかくくくべきべきべき所ところ所ところところをををももも驅か驅かかけけけ、、、引ひ引ひひくくくべきべきべき所ところ所ところところをををももも引ひ引ひひききき、、、身み身みみををを全まつた全まつたまったうううしししててて敵かたき敵かたきかたきををを亡ほろ亡ほろほろぼすぼすぼすををを以もつ以もつもっててて、、、よきよきよき大たい大たいたい將しやう將しやうしょうとととはははしししたるたるたる候さふらふ候さふらふそうろう。。。さやうさやうさようににに片かた片かたかた趣おもむき趣おもむきおもむきなるなるなるをををばばば猪ゐのしゝ猪ゐのしゝいのしし武む武むむ者しや者しやしゃとととててて、、、好よ好よよきききにににはははせせせずずず。。。」」」ととと申まう申まうもうすすす。。。判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん、、、「「「猪ゐのしゝ猪ゐのしゝいのしし、、、鹿かのしゝ鹿かのしゝかのししははは知し知ししらららずずず、、、軍いくさ軍いくさいくさはははたゞたゞただ平ひら平ひらひら攻ぜ攻ぜぜめめめににに攻せ攻せせめめめててて、、、勝か勝かかちちちたるたるたるぞぞぞ心こゝ心こゝここちちちはははよきよきよき。。。」」」ととと宣のたま宣のたまのたまへへえばばば、、、東とう東とうとう國ごく國ごくごくののの大だい大だいだい名みやう名みやうみょう、、、小せう小せうしょう名みやう名みやうみょう、、、梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはらににに畏おそ畏おそおそれれれててて、、、高たか高たかたかくくくははは笑わら笑わらわらははわねねねどもどもども、、、目め目めめひきひきいき鼻はな鼻はなはなひきひきいき、、、さゝめきさゝめきささめきあへあへあえりりり。。。
  5. 5そのそのその日ひ日ひひ、、、判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんととと梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはらととと既すで既すですでににに同どう同どうどう士し士しし軍いくさ軍いくさいくさせせせんんんとととすすす。。。されどもされどもされども軍いくさ軍いくさいくさはははなかりなかりなかりけりけりけり。。。判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん、、、「「「船ふね船ふねふねどもどもどもののの修しゆ修しゆしゅ理り理りりしししててて新あたら新あたらあたらしうしうしゅうなつなつなったるたるたるににに、、、各おのおの各おのおのおのおの一いつ一いついっ種しゆ種しゆしゅ一いつ一いついっ瓶ぺい瓶ぺいぺいしししててて祝いは祝いはいわひひい給たま給たまたまへへえ、、、殿との殿とのとのばらばらばら。。。」」」とととててて、、、いとなむいとなむいとなむ體てい體ていていにににてててもももなしなしなし、、、船ふね船ふねふねににに兵ひやう兵ひやうひょう粮らう粮らうろう米まい米まいまい積つ積つつみみみ、、、物もの物ものもの具のぐ具のぐのぐ入い入いいれれれ、、、馬むま馬むまむまどもどもども立た立たたてててさせさせさせ、、、「「「船ふね船ふねふね疾と疾ととううう仕つかまつ仕つかまつつかまつれれれ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、水すゐ水すゐすい主しゆ主しゆしゅ、、、楫かん楫かんかん取どり取どりどりどもどもども、、、「「「これこれこれははは順じゆん順じゆんじゅん風ぷう風ぷうぷうにににてててははは候さふら候さふらそうらへへえどもどもども、、、普ふ普ふふ通つう通つうつうにににははは少すこ少すこすこししし過す過すすぎぎぎててて候さふらふ候さふらふそうろう。。。沖おき沖おきおきはははさぞさぞさぞ吹ふ吹ふふいいいててて候さふらふ候さふらふそうろうらんらんらん。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん大おほ大おほおおきききににに怒いか怒いかいかつつっててて、、、「「「海かい海かいかい上しやう上しやうしょうににに出い出いいででで浮うか浮うかうこうううだるだるだる時とき時ときとき、、、風かぜ風かぜかぜこはけれこはけれこわければばばとてとてとて止とゞ止とゞとどまるまるまるべきべきべきかかか。。。野の野のの山やま山やまやまののの末すゑ末すゑすえにににててて死し死ししににに、、、海うみ海うみうみ河かは河かはかわににに溺おぼ溺おぼおぼれれれててて失う失ううするするするももも、、、皆みな皆みなみなこれこれこれ前ぜん前ぜんぜん世ぜ世ぜぜののの宿しゆく宿しゆくしゅく業ごふ業ごふごうなりなりなり。。。向むかひ向むかひむかい風かぜ風かぜかぜににに渡わた渡わたわたらららんんんととといはいはいわばばばこそこそこそ義よし義よしよし經つね經つねつねががが僻ひが僻ひがひが事ごと事ごとごとならならならめめめ、、、順じゆん順じゆんじゅん風ぷう風ぷうぷうなるなるなるががが普ふ普ふふ通つう通つうつうににに少すこ少すこすこししし過す過すすぎぎぎたれたれたればばばとてとてとて、、、これこれこれ程ほど程ほどほどののの御おん御おんおん大だい大だいだい事じ事じじににに船ふね船ふねふね仕つかまつ仕つかまつつかまつらららじじじとととははは、、、いかでいかでいかでかかか申まう申まうもうすすすぞぞぞ。。。船ふね船ふねふねとうとうとう仕つかまつ仕つかまつつかまつらららずずずばばば、、、しやつしやつしゃつばらばらばら一いち一いちいち々いち々いちいちににに射い射いい殺ころ殺ころころせせせ、、、者もの者ものもの共ども共どもども。。。」」」とととぞぞぞ下げ下げげ知ぢ知ぢじししし給たま給たまたまひひいけるけるける。。。「「「承うけたまは承うけたまはうけたまわつつっててて候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」とととててて、、、伊い伊いい勢せ勢せせののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう義よし義よしよし盛もり盛もりもり、、、奧あう奧あうおう州しう州しうしゅうののの佐さ佐ささ藤とう藤とうとう三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう繼つぎ繼つぎつぎ信のぶ信のぶのぶ、、、同おな同おなおなじきじきじき四し四しし郎らう郎らうろう兵びやう兵びやうびょう衞ゑ衞ゑえ忠たゞ忠たゞただ信のぶ信のぶのぶ、、、江え江ええ田だ田だだののの源げん源げんげん三ざう三ざうぞう、、、熊くま熊くまくま井ゐ井ゐいののの太た太たた郎らう郎らうろう、、、武む武むむ藏さし藏さしさし坊ばう坊ばうぼう辨べん辨べんべん慶けい慶けいけいなどなどなどいふいふいう一いち一いちいち人にん人にんにん當たう當たうとう千ぜん千ぜんぜんののの兵つはもの兵つはものつわもの共ども共どもども、、、「「「御ご御ごご諚ぢやう諚ぢやうじょうででであるあるあるぞぞぞ、、、船ふね船ふねふねとうとうとう仕つかまつ仕つかまつつかまつれれれ。。。仕つかまつ仕つかまつつかまつらららずずずばばば、、、おのれおのれおのればらばらばら一いち一いちいち々いち々いちいちににに射い射いい殺ころ殺ころころさささんんん。。。」」」とととててて、、、片かた片かたかた手て手てて矢や矢ややはげはげはげててて馳は馳ははせせせ廻まは廻まはまわるるる閒あひだ閒あひだあいだ、、、水すゐ水すゐすい主しゆ主しゆしゅ、、、楫かん楫かんかん取どり取どりどりどもどもども、、、「「「こゝこゝここにににててて射い射いい殺ころ殺ころころささされれれんんんももも同おな同おなおなじじじことことこと、、、風かぜ風かぜかぜこはくこはくこわくばばば沖おき沖おきおきにににててて馳は馳ははせせせ死じ死じじにににももも死し死ししねねねややや、、、者もの者ものものどもどもども。。。」」」とととててて二に二にに百ひやく百ひやくひゃく餘よ餘よよ艘さう艘さうそうががが中なか中なかなかよりよりよりももも、、、たゞたゞただ五ご五ごご艘さう艘さうそう出い出いいでででてててぞぞぞ走はし走はしはしりりりけるけるける。。。
  6. 6五ご五ごご艘さう艘さうそうののの船ふね船ふねふねととと申まう申まうもうすすすははは、、、まづまづまず判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんののの船ふね船ふねふね、、、次つぎ次つぎつぎににに田た田たた代しろ代しろしろののの冠くわん冠くわんかん者じや者じやじゃののの船ふね船ふねふね、、、後ご後ごご藤とう藤とうとう兵びやう兵びやうびょう衞ゑ衞ゑえ父ふ父ふふ子し子しし、、、金かね金かねかね子こ子ここ兄きやう兄きやうきょう弟だい弟だいだい、、、淀よど淀よどよどののの江がう江がうごう内ない内ないない忠たゞ忠たゞただ俊とし俊としとしとととててて、、、船ふな船ふなふな奉ぶ奉ぶぶ行ぎやう行ぎやうぎょうののの乘の乘ののつつったるたるたる船ふね船ふねふねなりなりなりけりけりけり。。。殘のこ殘のこのこりりりののの船ふね船ふねふねははは梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはらににに恐おそ恐おそおそるゝるゝるるかかか、、、風かぜ風かぜかぜにににおづるおづるおずるかかかしししててて出い出いいでででざりざりざりけりけりけり。。。判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん、、、「「「人ひと人ひとひとののの出い出いいでででねねねばばばとてとてとて止とゞ止とゞとどまるまるまるべきべきべきにににあらあらあらずずず。。。常つね常つねつねののの時とき時ときときははは敵かたき敵かたきかたきももも恐おそ恐おそおそれれれててて用よう用ようよう心じん心じんじんすすすらんらんらん。。。斯か斯かかかるかるかる大おほ大おほおお風かぜ風かぜかぜ大おほ大おほおお波なみ波なみなみにににははは思おも思おもおもひひいもももよらよらよらぬぬぬ所ところ所ところところへへへ寄よ寄よよせせせてててこそこそこそ、、、思おも思おもおもふふう敵かたき敵かたきかたきをををばばば討う討ううたたたんんんずれずれずれ。。。」」」とととぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん、、、「「「各おのおの各おのおのおのおのののの船ふね船ふねふねににに篝かゞり篝かゞりかがりななな點と點とといいいそそそ。。。火ひ火ひひ數かず數かずかず多おほ多おほおおううう見み見みみえええばばば、、、敵かたき敵かたきかたきももも恐おそ恐おそおそれれれててて用よう用ようよう心じん心じんじんしししてててんんんずずずぞぞぞ。。。義よし義よしよし經つね經つねつねががが船ふね船ふねふねををを本ほん本ほんほん船ぶね船ぶねぶねとととしししててて、、、艫とも艫ともとも舳へ舳へへののの篝かゞり篝かゞりかがりをををまもれまもれまもれ。。。」」」とととててて、、、夜よ夜よよもすがらもすがらもすがら渡わた渡わたわたるるる程ほど程ほどほどににに、、、三みつ三みつみつ日か日かかににに渡わた渡わたわたるるる所ところ所ところところをををたゞたゞただ三み三みみ時とき時ときときばかりばかりばかりにににぞぞぞ走はし走はしはしりりりけるけるける。。。二に二にに月ぐわつ月ぐわつがつ十じふ十じふじゅう六ろく六ろくろく日にち日にちにちののの丑うし丑うしうしののの刻こく刻こくこくににに攝つ攝つつ津の津ののののの國くに國くにくに渡わた渡わたわた邊なべ邊なべなべ、、、福ふく福ふくふく島しま島しましまををを出い出いいでででててて、、、あくるあくるあくる卯う卯ううののの刻こく刻こくこくにににははは阿あ阿ああ波は波はわののの地ち地ちちへへへこそこそこそ吹ふ吹ふふきききつけつけつけけれけれけれ。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

元暦二年正月十日、九郎大夫判官義経は院の御所に参って、大蔵卿泰経朝臣を通じて奏上されるには、「平家は神明にも見放され申し、君にも見捨てられ申して、帝都を出て波の上を漂う落人となりました。それなのにこの三年の間攻め落とさずに、多くの国々をふさがれていることが無念でございます。今度義経は、鬼界・高麗・契丹、雲の果て、海の果てまでも、平家を滅ぼさないかぎりは王城へ帰らないつもりです」と奏上されたので、法皇はたいそうお喜びになって、「必ず夜を日についで勝負を決せよ」と仰せ下された。判官は宿所に帰って、東国の侍たちに向かっておっしゃるには、「今度義経は院宣を承り、鎌倉殿の御代官として平家追討のために西国へ出発する。陸は馬の蹄の通うかぎり、海は櫓や櫂の立つ所まで攻めて行くつもりだ。それに少しでも異存のある人々は、ここから早く早く鎌倉へ下るがよい」とおっしゃった。

さて八島では、月日の過ぎるのも早く、正月も過ぎ二月にもなった。春の草が枯れて秋の風に驚き、秋の風がやんでまた春の草となった。送り迎えてもう三年になった。平家が讃岐の八島へお渡りになってからも、東国から新手の軍兵数万騎が都に着いて攻め下るとも聞こえ、また鎮西から臼杵・戸次・松浦党が心を合わせて押し渡ってくるとも聞こえた。あれを聞きこれを聞くにつけても、ただ耳を驚かし肝をつぶすばかりであった。女院、北の政所、二位殿以下の女房たちは集まられて、「今度わが方に、どんなつらいことを聞き、どんなつらい目を見るのだろうか」と嘆き悲しみあわれた。中でも新中納言知盛卿がおっしゃるには、「東国・北国の凶徒たちも、十分に重い恩を受けていたのに、たちまち恩を忘れ、契りを変えて、頼朝や義仲たちに従った。まして西国もきっとそうだろうと思ったので、ただ都の中でどうにでもおなりなさいと、あれほど申したのに、わが身一つのことではないので、心弱くさまよい出て、今日このようなつらい目を見る無念さよ」とおっしゃった。まことにもっともだと思われて哀れである。

さて二月三日、九郎大夫判官義経は都を立って、摂津国渡辺・福島の二か所で船をそろえ、八島へ寄せようとした。兄の三河守範頼も同じ日に都を立って、これも摂津国神崎で兵船をそろえ、山陽道へ向かおうとした。同じく十日、伊勢・石清水へ官幣使を立てられた。主上ならびに三種の神器が無事に都へ帰られるよう、神祇官の官人やもろもろの社司が、本宮・本社で祈請するよう仰せ下された。同じく十六日、渡辺・福島の二か所でそろえた船の纜をいよいよ解こうとした。おりから北風が木を折るほど激しく吹いたので、船はみな損じて出すことができない。修理のためにその日はとどまった。

さて渡辺では東国の大名・小名が集まって、「そもそもわれらは船戦のしかたにまだ慣れていない。どうしたらよいか」と評定した。梶原(景時)が進み出て、「今度の船には逆櫓を立てたいものです」と申した。判官が「逆櫓とは何か」。梶原は、「馬は駆けようと思えば駆け、引こうと思えば引き、左へも右へも回しやすうございますが、船はそういうとき、すばやく押し回すのが大事でございますから、艫と舳に櫓を互い違いに立て、脇楫を入れて、どちらへも回しやすいようにしたいのです」と申したので、判官は、「まず門出が悪いな。戦には一歩も引くまいと思っていてさえ、形勢が悪ければ引くのが常のならいだ。まして初めからそのように逃げる用意をしていて、どうしてよいことがあろう。殿ばらの船には、逆櫓でも返様櫓でも、百挺千挺も立てなさい。義経はただもとの櫓でいこう」とおっしゃると、梶原は重ねて、「よい大将軍というものは、駆けるべき所では駆け、引くべき所では引いて、身を全うして敵を滅ぼすのをもって、よい大将とするのです。そのように一方にばかり向かうのを猪武者といって、よいこととはしません」と申した。判官は、「猪や鹿は知らない。戦はただひたすら攻めに攻めて勝つのが気持ちがよい」とおっしゃったので、東国の大名・小名は梶原をはばかって、声高には笑わないが、目くばせし鼻をうごめかして、ささやきあった。

その日、判官と梶原とはすんでのところで同士討ちをしようとした。けれども戦にはならなかった。判官は、「船の修理をして新しくなったのだから、めいめい酒肴をととのえて祝いなさい、殿ばら」といって、祝いの支度をするように見せかけて、船に兵糧米を積み、武具を入れ、馬を乗せさせ、「早く船を出せ」とおっしゃると、水主や楫取たちは、「これは順風ではございますが、ふだんより少し強すぎます。沖はさぞ吹いておりましょう」と申したので、判官はたいそう怒って、「海上に出て浮かんでいるときに風が強いからといって止まるものか。野山の果てで死に、海や川で溺れて死ぬのも、みな前世の宿業だ。向かい風に渡ろうと言うのなら義経の間違いだろうが、順風がふだんより少し強いからといって、これほどの御大事に船を出さないとはどういうことだ。船を早く出さないなら、あいつらを一人残らず射殺せ、者ども」と命じられた。「承知しました」といって、伊勢三郎義盛、奥州の佐藤三郎継信、同じく四郎兵衛忠信、江田源三、熊井太郎、武蔵坊弁慶などという一人当千の兵たちが、「御命令だぞ。早く船を出せ。出さないなら、おまえらを一人残らず射殺すぞ」といって、矢をつがえて馳せ回ったので、水主や楫取たちは、「ここで射殺されるのも同じこと。風が強いなら沖で死ぬまで走らせてやれ、者ども」といって、二百余艘の中から、ただ五艘が出て走った。

五艘の船というのは、まず判官の船、次に田代冠者の船、後藤兵衛父子、金子兄弟、淀の江内忠俊という船奉行の乗った船であった。残りの船は梶原を恐れたのか、風におじけづいたのか、出なかった。判官は、「人が出ないからといって止まるべきではない。ふだんのときは敵も警戒して用心しているだろう。このような大風大波の中で思いもよらない所へ寄せてこそ、思う敵を討つことができるのだ」とおっしゃった。判官は、「めいめいの船に篝火をともすな。火の数が多く見えれば、敵も恐れて用心してしまうぞ。義経の船を本船として、艫と舳の篝火を見失うな」といって、夜通し渡ったところ、三日かかって渡る所をわずか三時ほどで走った。二月十六日の丑の刻に摂津国渡辺・福島を出て、翌朝の卯の刻には阿波の地へ吹きつけられた。

意訳

屋島の合戦に向かう義経の出陣を描く巻第十一の冒頭である。平家を滅ぼすまで都に帰らないという義経の決意と、八島で東国・鎮西からの攻撃に怯える平家の人々、都を捨てたことを悔やむ知盛の嘆きとが対照的に描かれる。

逆櫓をめぐる義経と梶原の論争は、ひたすら攻めることを信条とする義経と、退くことも考える梶原の兵法の違いを鮮やかに示し、のちに梶原が頼朝に義経を讒言するきっかけとなる。暴風の夜に五艘で出航し、三日の行程を三時で渡るという奇策は、義経の天才的な用兵と大胆さを印象づける。

語釈・文法注

文法

「奏聞せられけるは、「平家は…歸るべからざる由」
底本は義経の奏上の言葉を閉じる「」」を刷らず、地の文に続ける。
「ふさげられぬる」
(平家に)ふさがれてしまった。
「夜を日についで」
昼夜の別なく。
「櫓櫂のたたん處」
櫓や櫂が立つ(使える)所。
「隙行く駒」
月日が過ぎ去る速さのたとえ。『荘子』の「白駒の隙を過ぐるが如し」による。
「逆櫓」
船の舳先にも櫓をつけて、前後どちらへも進めるようにしたもの。
「かへさま櫓」
逆向きにつけた櫓。
「あはひ惡しければ」
形勢が悪ければ。
「よき大將とはしたる候」
底本の本文。「よき大将とはしたる(ことにて)候」の意。
「猪武者」
前後を顧みず、猪のように突進するだけの武者。
「一種一瓶」
一品の肴と一瓶の酒。ささやかな酒宴。
「しやつばら」
「しや」(あいつ)に複数の「ばら」がついた卑しめた言い方。
「篝な點いそ」
篝火をともすな。「な…そ」は禁止。
「用心してんずぞ」
底本の本文。「用心しつらんずぞ」(用心してしまうだろうぞ)の意。

解説

義経は元暦二年(1185)二月十八日に摂津の渡辺から出航し、阿波の勝浦に上陸して、陸路で屋島へ向かった(『吾妻鏡』)。逆櫓をめぐる梶原との論争は『平家物語』にのみ見える話で、のちに梶原が頼朝に義経を讒言する伏線として語られている。大阪市中央区の八軒家浜付近が渡辺の津にあたるとされる。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、761–765頁(コマ409–411)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日