古典ライブラリー

平家物語 巻第十一

副将斬られの事

元暦二年五月、義経が宗盛父子を連れて関東へ下ることになり、宗盛は生け捕りの中にいる八歳の子にもう一度会いたいと義経に願った。義経は河越重房に預けていた若君を連れてこさせた。宗盛は膝に乗った副将の髪をなでて、この子の母は産後まもなく亡くなり、自分の形見として手元で育ててくれと遺言したこと、名を副将とつけたことを涙ながらに語った。若君は父の袖にすがって帰ろうとせず、乳母に抱かれて車で帰された。翌日、重房は若君を六条河原に連れ出して斬った。乳母と介錯の女房は首と亡骸をもらい受け、数日後、二人とも桂川に身を投げた。

  1. 1元げん元げんげん暦りやく暦りやくりやく二に二にに年ねん年ねんねん五ご五ごご月ぐわつ月ぐわつがつ六むゆ六むゆむゆ日か日かかののの日ひ日ひひ、、、九く九くく郎らう郎らうろう大たい大たいたい夫ふ夫ふふののの判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん義よし義よしよし經つね經つねつね、、、大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどの父ふ父ふふ子し子しし具ぐ具ぐぐ足そく足そくそくししし奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりててて、、、關くわん關くわんかん東とう東とうとうへへへ下くだ下くだくだらららるるるべきべきべきににに定さだ定さださだまりまりまりしかしかしかばばば、、、大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどの判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんのののもともともとへへへ使し使しし者じや者じやじゃををを立た立たたてててててて、、、「「「明みやう明みやうみょう日にち日にちにち、、、關くわん關くわんかん東とう東とうとうへへへ下げ下げげ向かう向かうこうののの由よし由よしよしそのそのその聞きこ聞きこきこえええ候さふらふ候さふらふそうろう。。。それそれそれつきつきつき候さふら候さふらそうらひひいてててははは、、、生いけ生いけいけ捕どり捕どりどりののの中うち中うちうちににに八はつ八はつはっ歳さい歳さいさいののの童わらは童わらはわらわととと附つ附つつけけけられられられ參まゐ參まゐまいらららせせせててて候さふらふ候さふらふそうろうははは、、、未いま未いまいまだだだうきうきうき世よ世よよににに候さふらふ候さふらふそうろうやらんやらんやらん。。。賜たま賜たまたまはりはりわりててて今いま今いまいま一ひと一ひとひと度たび度たびたび見み見みみ候さふら候さふらそうらははわばやばやばや。。。」」」ととと宣のたま宣のたまのたまひひい遣つか遣つかつかははわささされれれたりたりたりけれけれければばば、、、判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんののの返へん返へんへん事じ事じじににに、、、「「「誰たれ誰たれたれとてとてとてももも恩おん恩おんおん愛あい愛あいあいののの道みち道みちみちははは、、、思おも思おもおもひひい切き切ききららられれれぬぬぬ事こと事ことことにににててて候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、まことまことまことにににさこそさこそさこそははは思おぼし思おぼしおぼし召め召めめささされれれ候さふらふ候さふらふそうろうらめらめらめ。。。」」」とととててて河かは河かはかわ越ごえ越ごえごえののの小こ小ここ太た太たた郎らう郎らうろう重しげ重しげしげ房ふさ房ふさふさがががもともともとににに預あづ預あづあずけけけ置お置おおききき奉たてまつ奉たてまつたてまつつつったりたりたりけるけるける若わか若わかわか君ぎみ君ぎみぎみををを、、、いそぎいそぎいそぎ大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどののののもともともとへへへ具ぐ具ぐぐ足そく足そくそくししし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるべきべきべき由よし由よしよし、、、宣のたま宣のたまのたまひひい遣つか遣つかつかははわささされれれたりたりたりけれけれければばば、、、河かは河かはかわ越ごえ越ごえごえ、、、人ひと人ひとひとににに車くるま車くるまくるま借か借かかつつっててて乘の乘ののせせせ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。二ふた二ふたふた人り人りりののの女によう女にようにょう房ばう房ばうぼうどもどもどもももも共とも共ともともににに乘の乘ののつつってててぞぞぞ出い出いいでででにににけるけるける。。。若わか若わかわか君ぎみ君ぎみぎみははは父ちゝ父ちゝちちををを遙はる遙はるはるかかかににに見み見みみまゐらせまゐらせまいらせ給たま給たまたまははわねねねばばば、、、世よ世よよにににもももなつかしなつかしなつかしげげげにににてててぞぞぞおはしおはしおわしけるけるける。。。
  2. 2大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどの、、、若わか若わかわか君ぎみ君ぎみぎみををを見み見みみ給たま給たまたまひひいててて、、、「「「いかにいかにいかに副ふく副ふくふく將しやう將しやうしょう、、、これこれこれへへへ。。。」」」ととと宣のたま宣のたまのたまへへえばばば、、、いそぎいそぎいそぎ父ちゝ父ちゝちちののの御おん御おんおん膝ひざ膝ひざひざののの上うへ上うへうえにににぞぞぞ參まゐ參まゐまいららられれれけるけるける。。。大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどの、、、若わか若わかわか君ぎみ君ぎみぎみののの髪かみ髪かみかみかきかきかきなでなでなで、、、涙なみだ涙なみだなみだをををはら〳〵はら〳〵はらはらととと流なが流ながながいいいててて、、、「「「これこれこれ聞き聞ききききき給たま給たまたまへへえ各おのおの各おのおのおのおの、、、このこのこの子こ子ここははは母はゝ母はゝははもももなきなきなき者もの者ものものにににてててあるあるあるぞぞぞとととよよよ。。。このこのこの子こ子ここががが母はゝ母はゝはははははこれこれこれををを生う生ううむむむとてとてとて、、、産さん産さんさんをををばばば平たひ平たひたいらからからかにににしししたりたりたりしかしかしかどもどもども、、、やがてやがてやがてうちうちうち臥ふ臥ふふししし惱なや惱なやなやみみみしししががが、、、遂つひ遂つひついにににはかなくはかなくはかなくなるなるなるぞぞぞとととよよよ。。。『『『このこのこの後のち後のちのち、、、いかなるいかなるいかなる人ひと人ひとひとののの腹はら腹はらはらににに公きん公きんきん達だち達だちだちををを設まう設まうもうけけけ給たま給たまたまふふうともともとも、、、これこれこれをををばばば思おぼし思おぼしおぼし召め召めめししし棄す棄すすてててずずずしししててて、、、わらはわらはわらわがががかたみかたみかたみににに御ご御ごご覽らん覽らんらんぜぜぜよよよ。。。さしさしさし放はな放はなはなつつっててて乳めの乳めのめの母と母ととなどなどなどのののもともともとへへへももも遣つか遣つかつかははわすすすななな。。。』』』ととといひいひいいしししことことことののの不ふ不ふふ便びん便びんびんさささよよよ。。。朝てう朝てうちょう敵てき敵てきてきををを平たひ平たひたいらららげげげんんん時とき時ときとき、、、あのあのあの右う右うう衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもんののの督かみ督かみかみにににははは大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐんをををせせせさせさせさせ、、、これこれこれにににははは副ふく副ふくふく將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐんをををせせせさせさせさせんんんずれずれずればばばとてとてとて、、、名な名ななををを副ふく副ふくふく將しやう將しやうしょうとととつけつけつけたりたりたりしかしかしかばばば、、、なのめならなのめならなのめならずずずうれしうれしうれしげげげにににててて、、、今いま今いまいまををを限かぎ限かぎかぎりりりののの時とき時ときときまでまでまでももも、、、名な名ななををを呼よ呼よよびびびなどなどなどしししててて愛あい愛あいあいせせせしししががが、、、七なぬ七なぬなぬ日か日かかととといふいふいうににに遂つひ遂つひついにににはかなくはかなくはかなくなりなりなりてててあるあるあるぞぞぞとととよよよ。。。このこのこの子こ子ここををを見み見みみるるる度たび度たびたびごとごとごとにににははは、、、そのそのその事こと事ことことががが忘わす忘わすわすれれれ難がた難がたがたくくく覺おぼ覺おぼおぼゆるゆるゆるぞぞぞややや。。。」」」とととててて泣な泣ななかかかれれれけれけれければばば、、、守しゆ守しゆしゅ護ご護ごごののの武ぶ武ぶぶ士し士ししどもどもどもももも、、、みなみなみな鎧よろひ鎧よろひよろいののの袖そで袖そでそでをををぞぞぞぬらしぬらしぬらしけるけるける。。。右う右うう衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもんののの督かみ督かみかみももも泣な泣ななききき給たま給たまたまへへえばばば、、、乳めの乳めのめの母と母ととももも袖そで袖そでそでをををぞぞぞしぼりしぼりしぼりけるけるける。。。
  3. 3やゝやゝややあつあつあっててて大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどの、、、「「「いかにいかにいかに副ふく副ふくふく將しやう將しやうしょう、、、はやはやはやとうとうとう歸かへ歸かへかえれれれ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえどもどもども、、、若わか若わかわか君ぎみ君ぎみぎみ歸かへ歸かへかえりりり給たま給たまたまははわずずず。。。右う右うう衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもんののの督かみ督かみかみこれこれこれををを見み見みみ給たま給たまたまひひいててて、、、あまりあまりあまりにににあはれあはれあわれににに思おも思おもおもははわれれれけれけれければばば、、、「「「副ふく副ふくふく將しやう將しやうしょう今こ今ここ宵よひ宵よひよいはははとうとうとう歸かへ歸かへかえれれれ。。。只たゞ只たゞただ今いま今いまいま客まら客まらまら人うど人うどうどののの來こ來ここうううずるずるずるににに。。。朝あした朝あしたあしたははは急いそ急いそいそぎぎぎ參まゐ參まゐまいれれれ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえどもどもども、、、父ちゝ父ちゝちちののの御ご御ごご淨じやう淨じやうじょう衣え衣ええののの袖そで袖そでそでにににひしひしひしととと取と取ととりりりついついついててて、、、いなやいなやいなや歸かへ歸かへかえらららじじじとととこそこそこそ泣な泣ななかかかれれれけれけれけれ。。。かくかくかくててて遙はる遙はるはるかかかににに程ほど程ほどほど經ふ經ふふれれればばば、、、日ひ日ひひもももやう〳〵やう〳〵ようよう暮く暮くくれれれかゝりかゝりかかりぬぬぬ。。。さてさてさてしもしもしもあるあるあるべきべきべき事こと事ことことならならならねねねばばば、、、乳めの乳めのめの母と母ととののの女によう女にようにょう房ばう房ばうぼう抱いだ抱いだいだききき取と取ととつつっててて、、、遂つひ遂つひついににに車くるま車くるまくるまににに乘の乘ののせせせ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。二ふた二ふたふた人り人りりののの女によう女にようにょう房ばう房ばうぼうどもどもどもももも共とも共ともともににに乘の乘ののつつってててぞぞぞ出い出いいでででにににけるけるける。。。
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  5. 5重しげ重しげしげ房ふさ房ふさふさ、、、判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんににに申まう申まうもうしししけるけるけるははは、、、「「「そも〳〵そも〳〵そもそも若わか若わかわか君ぎみ君ぎみぎみをををばばば何なに何なになにととと御おん御おんおんはからひはからひはからい候さふらふ候さふらふそうろうやらんやらんやらん。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、「「「鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくらまでまでまで具ぐ具ぐぐ足そく足そくそくししし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるににに及およ及およおよばばばすすす。。。汝なんぢ汝なんぢなんじこれこれこれにににててて、、、ともかうともかうともこうももも相あひ相あひあいはからへはからへわからえ。。。」」」ととと宣のたま宣のたまのたまへへえばばば、、、重しげ重しげしげ房ふさ房ふさふさ宿しゆく宿しゆくしゅく所しよ所しよしょににに歸かへ歸かへかえつつっててて、、、二ふた二ふたふた人り人りりののの女によう女にようにょう房ばう房ばうぼうどもどもどもにににいひいひいいけるけるけるははは、、、「「「大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのははは明みやう明みやうみょう日にち日にちにち關くわん關くわんかん東とう東とうとうへへへ下げ下げげ向かう向かうこう候さふらふ候さふらふそうろう。。。重しげ重しげしげ房ふさ房ふさふさももも御おん御おんおん供とも供ともともにににまかりまかりまかり下くだ下くだくだりりり候さふらふ候さふらふそうろう閒あひだ閒あひだあいだ、、、若わか若わかわか君ぎみ君ぎみぎみをををばばば京きやう京きやうきょう都と都ととににに止とゞ止とゞとどめめめ置お置おおききき、、、緒を緒をお方かた方かたかたののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう惟これ惟これこれ義よし義よしよしががが手て手ててへへへ渡わた渡わたわたしししまゐらせまゐらせまいらせ候さふらふ候さふらふそうろうべしべしべし。。。とうとうとうとうとうとう召め召めめささされれれ候さふら候さふらそうらへへえ。。。」」」とととててて、、、御おん御おんおん車くるま車くるまくるまををを寄よ寄よよせせせたりたりたりけれけれければばば、、、若わか若わかわか君ぎみ君ぎみぎみはははまたまたまた先さき先さきさきのののやうやうようににに、、、父ちゝ父ちゝちちののの御おん御おんおんもともともとへへへかかかととと、、、うれしうれしうれしげげげにににおぼしおぼしおぼしたるたるたるこそこそこそいとほしけれいとほしけれいとおしけれ。。。二ふた二ふたふた人り人りりののの女によう女にようにょう房ばう房ばうぼうももも一ひと一ひとひとつつつ車くるま車くるまくるまににに乘の乘ののつつってててぞぞぞ出い出いいでででにににけるけるける。。。六ろく六ろくろく條でう條でうじょうををを東ひがし東ひがしひがしへへへ、、、河かは河かはかわ原ら原ららまでまでまで遣や遣ややりりりててて行ゆ行ゆゆくくく。。。乳めの乳めのめの母と母ととののの女によう女にようにょう房ばう房ばうぼう、、、あはれあはれあわれこれこれこれはははあやしきあやしきあやしきものものものかなかなかなととと、、、肝きも肝きもきも魂だましひ魂だましひだましいををを消け消けけしししててて思おも思おもおもふふう所ところ所ところところににに、、、やゝやゝややあつあつあっててて兵つはもの兵つはものつわものどもどもども五ご五ごご六ろく六ろくろく十じつ十じつじっ騎き騎ききがががほどほどほど、、、河かは河かはかわ原ら原らら中なか中なかなかへへへ打う打ううつつっててて出い出いいでででたりたりたり。。。やがてやがてやがて車くるま車くるまくるまををを遣や遣ややりりり止とゞ止とゞとどめめめ、、、「「「若わか若わかわか君ぎみ君ぎみぎみ下お下おおりりりさせさせさせ給たま給たまたまへへえ。。。」」」とととててて、、、敷しき敷しきしき皮がは皮がはがわ敷し敷ししいいいてててすゑすゑすえ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。若わか若わかわか君ぎみ君ぎみぎみあきれあきれあきれたるたるたる御おん御おんおん有あり有ありあり樣さま樣さまさまにににててて、、、「「「そも〳〵そも〳〵そもそもわれわれわれをををばばば、、、いづちいづちいずちへへへ具ぐ具ぐぐしししててて行ゆ行ゆゆかかかんんんとととはははするするするぞぞぞ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、二ふた二ふたふた人り人りりののの女によう女にようにょう房ばう房ばうぼう共ども共どもども、、、とかうとかうとこうののの御おん御おんおん返へん返へんへん事じ事じじにににももも及およ及およおよばばばずずず、、、聲こゑ聲こゑこえをををはかりはかりはかりにににをめきをめきおめき叫さけ叫さけさけぶぶぶ。。。重しげ重しげしげ房ふさ房ふさふさががが郎らう郎らうろう等どう等どうどう太た太たた刀ち刀ちちををを引ひ引ひひきききそばめそばめそばめ、、、左ひだり左ひだりひだりののの方かた方かたかたよりよりより若わか若わかわか君ぎみ君ぎみぎみののの御おん御おんおん後うしろ後うしろうしろににに立たち立たちたち廻まは廻まはまわりりり、、、既すで既すですでににに斬き斬ききりりり奉たてまつ奉たてまつたてまつらららんんんとととしししけるけるけるををを、、、若わか若わかわか君ぎみ君ぎみぎみ見み見みみつけつけつけ給たま給たまたまひひいててて、、、いくいくいく程ほど程ほどほど遁のが遁のがのがるるるべきべきべき事こと事ことことのののやうやうようににに、、、いそぎいそぎいそぎ乳めの乳めのめの母と母ととののの懷ふところ懷ふところふところののの中うち中うちうちへへへぞぞぞ逃に逃ににげげげ入い入いいらららせせせ給たま給たまたまひひいけるけるける。。。二ふた二ふたふた人り人りりののの女によう女にようにょう房ばう房ばうぼうどもどもども若わか若わかわか君ぎみ君ぎみぎみををを抱いだ抱いだいだききき奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりててて、、、たゞたゞただわれ〳〵われ〳〵われわれををを失うしな失うしなうしなひひい給たま給たまたまへへえとととててて、、、天てん天てんてんををを仰あふ仰あふあうぎぎぎ地ち地ちちににに俯ふ俯ふふしししててて、、、泣な泣ななききき悲かな悲かなかなしめしめしめどもどもどもかひかひかいぞぞぞなきなきなき。。。
  6. 6やゝやゝややあつあつあっててて重しげ重しげしげ房ふさ房ふさふさ涙なみだ涙なみだなみだをををおさへおさへおさえててて申まう申まうもうしししけるけるけるははは、、、「「「今いま今いまいまはははいかにいかにいかにもももかなはかなはかなわせせせ給たま給たまたまふふうべからべからべからずずず。。。」」」とととててて、、、いそぎいそぎいそぎ乳めの乳めのめの母と母ととののの懷ふところ懷ふところふところののの中うち中うちうちよりよりより若わか若わかわか君ぎみ君ぎみぎみ引ひき引ひきひき出いだ出いだいだししし參まゐ參まゐまいらららせせせ、、、腰こし腰こしこしののの刀かたな刀かたなかたなにににててておしおしおしふせふせふせててて、、、遂つひ遂つひついににに首くび首くびくびをををぞぞぞかいかいかいてててけるけるける。。。首くび首くびくびをををばばば判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんににに見み見みみせせせんんんとととててて取と取ととつつっててて行ゆ行ゆゆくくく。。。二ふた二ふたふた人り人りりののの女によう女にようにょう房ばう房ばうぼうどもどもどもかちかちかちはだしはだしはだしにににててて追お追おおひひいつきつきつき、、、「「「何なに何なになにかかか苦くる苦くるくるしうしうしゅう候さふらふ候さふらふそうろうべきべきべき、、、御おん御おんおん首くび首くびくびをををばばば賜たま賜たまたまはつはつわっててて御おん御おんおん孝けう孝けうきょう養やう養やうようしししまゐらせまゐらせまいらせ候さふら候さふらそうらははわんんん。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん情なさけ情なさけなさけあるあるある人ひと人ひとひとにににててて、、、「「「最もつと最もつともっともももさるさるさるべしべしべし。。。とう〳〵とう〳〵とうとう。。。」」」とととてててたびたびたびにににけりけりけり。。。二ふた二ふたふた人り人りりののの女によう女にようにょう房ばう房ばうぼう共ども共どもどもなのめならなのめならなのめならずずずににに悅よろこ悅よろこよろこびびび、、、これこれこれををを取と取ととつつっててて懷ふところ懷ふところふところににに引ひき引ひきひき入い入いいれれれててて、、、泣な泣ななく〳〵く〳〵くなく京きやう京きやうきょうののの方かた方かたかたへへへ歸かへ歸かへかえるるるとととぞぞぞ見み見みみえええししし。。。そのそのその後のち後のちのち五ご五ごご六ろく六ろくろく日にち日にちにちしししててて、、、桂かつら桂かつらかつら川がは川がはがわににに女によう女にようにょう房ばう房ばうぼう二ふた二ふたふた人り人りり身み身みみををを投な投ななげげげたりたりたりととといふいふいう事こと事ことことありありありけりけりけり。。。一ひと一ひとひと人り人りりをさなきをさなきおさなき人ひと人ひとひとののの首くび首くびくびををを懷ふところ懷ふところふところににに入い入いいれれれててて沉しづ沉しづしずみみみたりたりたりしししははは、、、このこのこの若わか若わかわか君ぎみ君ぎみぎみののの乳めの乳めのめの母と母ととののの女によう女にようにょう房ばう房ばうぼうにににてててぞぞぞありありありけるけるける。。。今いま今いまいま一ひと一ひとひと人り人りりむくろむくろむくろををを抱いだ抱いだいだいいいててて沉しづ沉しづしずみみみたりたりたりしししははは、、、介かい介かいかい錯しやく錯しやくしやくののの女によう女にようにょう房ばう房ばうぼうなりなりなり。。。乳めの乳めのめの母と母ととががが思おも思おもおもひひいきるきるきるははは、、、せめてせめてせめていかゞいかゞいかがせせせんんん、、、介かい介かいかい錯しやく錯しやくしやくののの女によう女にようにょう房ばう房ばうぼうさへさへさへ身み身みみををを投な投ななげげげけるけるけるこそこそこそあはれあはれあわれなれなれなれ。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

元暦二年五月六日、九郎大夫判官義経が大臣殿父子を連れて関東へ下ることに決まったので、大臣殿は判官のもとへ使者を立てて、「明日関東へ下向すると聞いております。それにつきましては、生け捕りの中に八歳の童と記されております子は、まだこの世におりますでしょうか。いただいて、もう一度会いたいのです」とおっしゃり遣わされたので、判官の返事に、「誰でも親子の情は断ちきれないものですから、本当にそうお思いになることでしょう」といって、河越小太郎重房のもとに預けておいた若君を、急いで大臣殿のもとへお連れするよう言い遣わされたので、河越は人に車を借りて若君をお乗せした。二人の女房たちも一緒に乗って出かけた。若君は父に長い間お会いになっていなかったので、たいそう恋しそうにしておられた。

大臣殿は若君をご覧になって、「どうした副将、こちらへ」とおっしゃると、若君は急いで父の御膝の上に参られた。大臣殿は若君の髪をかきなでて、涙をはらはらと流して、「これを聞いてくれ、皆の者。この子は母もない者なのだ。この子の母はこの子を産むとき、お産は無事にすませたが、すぐに床について病み、ついに亡くなったのだ。『この後どんな人の腹に公達をお設けになっても、この子をお見捨てにならず、私の形見と思ってご覧ください。手放して乳母などのもとへやらないでください』と言ったのがいじらしい。朝敵を平らげるときには、あの右衛門督には大将軍を、この子には副将軍をさせようと思って、名を副将とつけたところ、たいそう喜んで、最期のときまで名を呼んだりしてかわいがっていたが、七日目についに亡くなってしまったのだ。この子を見るたびに、そのことが忘れられなく思われるのだ」といって泣かれたので、警護の武士たちもみな鎧の袖を濡らした。右衛門督も泣かれたので、乳母も袖をしぼった。

しばらくして大臣殿が「さあ副将、早く帰れ」とおっしゃったが、若君はお帰りにならない。右衛門督はこれをご覧になって、あまりに哀れに思われたので、「副将、今夜は早く帰れ。今にお客が来るのだから。朝は急いで参れ」とおっしゃったが、若君は父の御浄衣の袖にしっかりと取りすがって、「いやだ、帰らない」と泣かれた。こうしてずいぶん時が経って、日もしだいに暮れかかった。いつまでもそうしてはいられないので、乳母の女房が抱き取って、ついに車にお乗せ申した。二人の女房たちも一緒に乗って出ていった。

大臣殿は若君の後ろ姿をはるかに見送られて、日ごろの恋しさなどは物の数ではないと悲しまれた。この子は母の遺言がいじらしくて、手放して乳母などのもとへもやらず、朝夕御前で育てておられた。三歳で元服させて義宗と名のらせた。しだいに成長されるにつれて、容貌も世にすぐれ、気だても優雅でいらしたので、大臣殿もいとおしく、うれしいことに思われて、それゆえ西海の波の上、船の中までも連れて行き、片時もお離しにならなかった。それなのに戦に敗れてからは、今日初めて互いに会われたのである。

重房が判官に申すには、「そもそも若君はどのようにお計らいになりますか」と申したので、「鎌倉まで連れて行くには及ばない。おまえがここで、どうにでも計らえ」とおっしゃったので、重房は宿所に帰って二人の女房たちに言うには、「大臣殿は明日関東へ下向されます。重房もお供して下りますので、若君は京に残して、緒方三郎惟義の手へお渡しします。早く早くお乗りください」といって、御車を寄せたので、若君はまた先のように父のところへ行くのかと、うれしそうに思っておられるのがいじらしい。二人の女房も同じ車に乗って出かけた。六条を東へ、河原まで車を進めていく。乳母の女房は、ああこれはおかしいと肝をつぶして思っていると、しばらくして兵たちが五、六十騎ほど河原の中へ出てきた。すぐに車を止め、「若君、お降りください」といって、敷皮を敷いてお座らせした。若君はあきれたご様子で、「いったい私をどこへ連れて行こうとするのか」とおっしゃると、二人の女房たちは何とも返事ができず、声を限りに泣き叫んだ。重房の郎等が太刀を脇に引きつけて持ち、左の方から若君の後ろに回り、今にも斬り申そうとしたのを、若君は見つけられて、少しでも逃れられることのように、急いで乳母の懐の中へ逃げこまれた。二人の女房たちは若君を抱き申して、「ただ私たちを殺してください」といって、天を仰ぎ地に伏して泣き悲しんだが、どうにもならない。

しばらくして重房が涙をおさえて申すには、「今はもうどうにもなりません」といって、急いで乳母の懐の中から若君を引き出し申し、腰の刀で押し伏せて、ついに首をかいた。首は判官に見せようとして持っていった。二人の女房たちは裸足で追いついて、「何の差しつかえがありましょう。御首をいただいてご供養いたしたいのです」と申したので、判官は情けある人で、「もっともなことだ。早く早く」といって与えた。二人の女房たちはたいそう喜んで、これを受け取って懐に入れ、泣く泣く京の方へ帰っていくように見えた。その後五、六日して、桂川に女房が二人身を投げたということがあった。一人が幼い人の首を懐に入れて沈んでいたのは、この若君の乳母の女房であった。もう一人が亡骸を抱いて沈んでいたのは、介錯の女房であった。乳母が思いつめたのはまだしもどうしようもないとして、介錯の女房までが身を投げたのは哀れである。

意訳

平家物語の中でもとりわけ痛ましい、幼い副将の死を描く章段である。宗盛が亡き妻の遺言とわが子の名の由来を語る場面は、総大将としての不甲斐なさとは別の、父としての深い情愛を伝え、警護の武士たちの涙を誘う。

父の袖にすがって帰ろうとしない幼子と、父のもとへ行けると喜んで車に乗りこみ、河原で斬られる結末との対比は、読む者の胸を強く打つ。首と亡骸を抱いて桂川に身を投げた乳母と介錯の女房の姿は、敗者に仕えた人々の忠義と悲しみを象徴している。

語釈・文法注

文法

「八歳の童と附けられ參らせて候は」
生け捕りの名簿に八歳の童と記されております者は。
「産をば平らかにしたりしかども」
お産は無事にすませたが。
「わらはがかたみに」
私(妻)の形見として。
「さし放つて」
手放して。
「客人の來うずるに」
客が来るだろうから。
「いなや歸らじ」
いやだ、帰るまい。
「初冠」
元服。
「とうとう召され候へ」
底本は行末と行頭にわたって「とう」を重ねて刷る。
「引きそばめ」
脇に引きつけて、相手に見えないように持って。
「いく程遁るべき事のやうに」
どれほども逃れられるわけではないのに、逃れられるかのように。
「御孝養」
死者の供養。
「介錯の女房」
若君の世話をしていた女房。

解説

平宗盛の子能宗(副将丸)は元暦二年(1185)五月、六条河原で斬られたと伝える。宗盛の妻(清子)は能宗を産んで間もなく亡くなったとされる。この章段は、勝者の側にも情けがあったことと、敗者の子が容赦なく殺される戦の非情さとを、ともに描き出している。

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出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、804–808頁(コマ431–432)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日