古典ライブラリー

平家物語 巻第十一

一門大路わたされの事

平家に連れられて西海を漂っていた二の宮(守貞親王)が都に帰り、法皇は迎えの車を遣わした。四月二十六日、平家の生け捕りたちは都に入り、大路を引き回された。宗盛は浄衣を着て、やつれながらも四方を見回していたが、子の清宗はうつ伏して顔も上げなかった。見物の人々は鳥羽から四塚まで続き、かつての栄華を知る人々はみな涙を流した。宗盛の牛飼三郎丸は、義経の許しを得て最後の車を引き、泣く泣く牛を進めた。法皇も六条東洞院で車を立てて見物し、かつて宗盛の内大臣就任の祝いに公卿が大勢従った日を思えば、今は一人も従う者がなかった。その夜、宗盛は食事も取らず、子の清宗に自分の浄衣の袖を着せかけ、警護の侍たちも涙を流した。

  1. 1さるさるさる程ほど程ほどほどににに二に二ににののの宮みや宮みやみや歸かへ歸かへかえりりり入い入いいらららせせせ給たま給たまたまふふうととと聞きこ聞きこきこえええしかしかしかばばば、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうよりよりより御おん御おんおん迎むか迎むかむかへへえののの御おん御おんおん車くるま車くるまくるまををを參まゐ參まゐまいらららせせせらるらるらる。。。御おん御おんおん心こゝろ心こゝろこころならならならずずず、、、外ぐわい外ぐわいがい戚せき戚せきせきののの平へい平へいへい家け家けけににに捕とら捕とらとらははわれれれさせさせさせ給たま給たまたまひひいててて、、、西さい西さいさい海かい海かいかいののの波なみ波なみなみののの上うへ上うへうえににに漂たゞよ漂たゞよただよははわせせせ給たま給たまたまふふう御おん御おんおん事こと事ことことををを、、、御おん御おんおん母ぼ母ぼぼ儀ぎ儀ぎぎももも御おん御おんおん乳めの乳めのめの母と母とと持ぢ持ぢじ明みやう明みやうみょう院ゐん院ゐんいんののの宰さい宰さいさい相しやう相しやうしょうももも、、、なのめならなのめならなのめならずずず御おん御おんおん歎なげ歎なげなげきききありありありしししににに、、、今いま今いまいま待ま待ままちちち受う受ううけけけ參まゐ參まゐまいらららせせせ給たま給たまたまひひいててて、、、いかばかりいかばかりいかばかりらうたくらうたくろうたく思おぼし思おぼしおぼし召め召めめささされれれけんけんけん。。。同おな同おなおなじきじきじき二に二にに十じふ十じふじゅう六ろく六ろくろく日にち日にちにち、、、平へい平へいへい氏じ氏じじののの生いけ生いけいけ捕どり捕どりどりどもどもども鳥と鳥とと羽ば羽ばばににに著つ著つついいいててて、、、やがてやがてやがてそのそのその日ひ日ひひ都みやこ都みやこみやこににに入い入いいつつっててて、、、大おほ大おほおお路ぢ路ぢじををを渡わた渡わたわたさささるるる。。。小こ小ここ八はち八はちはち葉えふ葉えふようののの車くるま車くるまくるまののの前ぜん前ぜんぜん後ご後ごごののの簾すだれ簾すだれすだれをををあげあげあげ、、、左さ左ささ右いう右いうゆうののの物もの物ものもの見み見みみををを開ひら開ひらひらくくく。。。大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのははは淨じやう淨じやうじょう衣え衣ええををを著き著きき給たま給たまたまへへえりりり。。。日ひ日ひひ頃ごろ頃ごろごろはははさしもさしもさしも色いろ色いろいろ白じろ白じろじろううう、、、淸きよ淸きよきよげげげにににおはせおはせおわせしかしかしかどもどもども、、、潮しほ潮しほしお風かぜ風かぜかぜににに痩や痩ややせせせ黑くろ黑くろくろみみみててて、、、そのそのその人ひと人ひとひととととももも見み見みみえええ給たま給たまたまははわずずず。。。されどもされどもされども四し四しし方はう方はうほうををを見み見みみ廻めぐ廻めぐめぐらしらしらしててて、、、いといといと思おも思おもおもひひい入い入いいれれれ給たま給たまたまへへえるるる氣け氣けけ色しき色しきしきもももおはせおはせおわせざりざりざりけりけりけり。。。御おん御おんおん子こ子ここ右う右うう衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもんののの督かみ督かみかみ淸きよ淸きよきよ宗むね宗むねむねははは白しろ白しろしろききき直ひた直ひたひた垂たれ垂たれたれにににててて、、、父ちゝ父ちゝちちののの御おん御おんおん車くるま車くるまくるまののの尻しり尻しりしりにににぞぞぞ參まゐ參まゐまいららられれれけるけるける。。。涙なみだ涙なみだなみだにににむせびむせびむせび、、、うつうつうつ伏ぶ伏ぶぶしししててて、、、目め目めめももも見み見みみ上あ上ああげげげ給たま給たまたまははわずずず、、、まことまことまことににに深ふか深ふかふこううう思おも思おもおもひひい入い入いいれれれ給たま給たまたまへへえるるる氣け氣けけ色しき色しきしきなりなりなり。。。平へい平へいへい大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん時とき時ときとき忠たゞ忠たゞただののの卿きやう卿きやうきょうののの車くるま車くるまくるまももも同おな同おなおなじうじうじゅう遣や遣ややりりり續つゞ續つゞつづけけけられられられたりたりたり。。。讚さぬ讚さぬさぬ岐き岐ききののの中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょう時とき時ときとき實ざね實ざねざねももも同どう同どうどう車しや車しやしゃににに渡わた渡わたわたさささるるるべかりべかりべかりしかしかしかどもどもども、、、現げん現げんげん所じよ所じよじょ勞らう勞らうろうとてとてとて渡わた渡わたわたささされれれずずず。。。内く内くく藏ら藏ららののの頭かみ頭かみかみ信のぶ信のぶのぶ基もと基もともとははは疵きず疵きずきずををを蒙かうぶ蒙かうぶこうぶつつったりたりたりしかしかしかばばば、、、閒かん閒かんかん道だう道だうどうよりよりより入い入いいりりりにににけりけりけり。。。
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  3. 3大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのののの牛うし牛うしうし飼かひ飼かひかいははは、、、木き木きき曾そ曾そそががが院ゐん院ゐんいん參さん參さんさんののの時とき時ときとき、、、車くるま車くるまくるま遣や遣ややりりり損そん損そんそんじじじててて切き切ききららられれれたりたりたりししし次じ次じじ郎らう郎らうろう丸まる丸まるまるががが弟おとうと弟おとうとおとうと三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう丸まる丸まるまるにににてててぞぞぞありありありけるけるける。。。西さい西さいさい國こく國こくこくにににてててははは、、、かりかりかりににに男をとこ男をとこおとこににになつなつなったりたりたりけるけるけるががが、、、鳥と鳥とと羽ば羽ばばにににててて判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんににに申まう申まうもうしししけるけるけるははは、、、「「「舎とね舎とねとね人り人りり、、、牛うし牛うしうし飼かひ飼かひかいなどなどなど申まう申まうもうすすす者もの者ものものははは、、、いやしきいやしきいやしき下げ下げげ臈らふ臈らふろうのののはてはてはてにににててて、、、心こゝろ心こゝろこころあるあるあるべきべきべきでででははは候さふら候さふらそうらははわねねねどもどもども、、、年とし年としとしごろごろごろ召めし召めしめし使つか使つかつかははわれれれまゐらせまゐらせまいらせ候さふら候さふらそうらひひいししし御おん御おんおん志こゝろざし志こゝろざしこころざし淺あさ淺あさあさからからからずずず候さふらふ候さふらふそうろう。。。何なに何なになにかかか苦くる苦くるくるしうしうしゅう候さふらふ候さふらふそうろうべきべきべき、、、御おん御おんおん許ゆる許ゆるゆるささされれれををを蒙かうぶ蒙かうぶこうぶつつっててて、、、大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのののの御ご御ごご最さい最さいさい後ご後ごごののの御おん御おんおん車くるま車くるまくるまををを、、、今いま今いまいま一いち一いちいち度ど度どど仕つかまつ仕つかまつつかまつりりり候さふら候さふらそうらははわばやばやばや。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんなさけなさけなさけあるあるある人ひと人ひとひとにににててて、、、「「「最もつと最もつともっとももも然しか然しかしかるるるべしべしべし、、、とう〳〵とう〳〵とうとう。。。」」」とととててて許ゆる許ゆるゆるささされれれけりけりけり。。。三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう丸まる丸まるまるなのめならなのめならなのめならずずずににに喜よろこ喜よろこよろこびびび、、、尋じん尋じんじん常じやう常じやうじょうににに裝しやう裝しやうしょう束ぞく束ぞくぞく著き著きき、、、懷ふところ懷ふところふところよりよりより遣やり遣やりやり繩なは繩なはなわ取と取ととりりり出いだ出いだいだしししてててつけつけつけかへかへかえ、、、涙なみだ涙なみだなみだにににくれくれくれててて、、、行ゆ行ゆゆくくくさきさきさきははは見み見みみえええねねねどもどもども、、、牛うし牛うしうしののの行ゆ行ゆゆくくくにににまかせまかせまかせつゝつゝつつ、、、泣な泣ななくくく泣な泣ななくくく遣や遣ややりりりてててぞぞぞまかりまかりまかりけるけるける。。。
  4. 4法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうははは六ろく六ろくろく條でう條でうじょう東ひがし東ひがしひがしののの洞とう洞とうとう院ゐん院ゐんいんににに御おん御おんおん車くるま車くるまくるまををを立た立たたてててててて叡えい叡えいえい覽らん覽らんらんありありあり。。。供ぐ供ぐぐ奉ぶ奉ぶぶののの公く公くく卿ぎやう卿ぎやうぎょう、、、殿てん殿てんてん上じやう上じやうじょう人びと人びとびとののの車くるま車くるまくるまどもどもども、、、同おな同おなおなじうじうじゅう立た立たたててて竝なら竝ならならべべべられられられたりたりたり。。。さしもさしもさしも御おん御おんおん身み身みみ近ちか近ちかちこううう召めし召めしめし使つか使つかつかははわせせせたまひたまひたまいしかしかしかばばば、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうももも御おん御おんおん心こゝろ心こゝろこころ弱よわ弱よわよおううう、、、今いま今いまいま更さら更さらさらあはれあはれあわれにににぞぞぞ思おぼし思おぼしおぼし召め召めめささされれれけるけるける。。。日ひ日ひひ頃ごろ頃ごろごろはははいかなるいかなるいかなる人ひと人ひとひとももも、、、あのあのあの人ひと人ひとひと々びと々びとびとののの目め目めめにににももも見み見みみえええ、、、ことばことばことばののの末すゑ末すゑすえにににもももかゝらかゝらかからばやばやばやとととこそこそこそ思おも思おもおもひひいしししににに、、、今日けふ今日けふきょうかやうかやうかようににに見み見みみなすなすなすべしべしべしとととははは、、、誰たれ誰たれたれかかか思おも思おもおもひひい寄よ寄よよりりりしししぞぞぞやややとととててて、、、上じやう上じやうじょう下げ下げげ袖そで袖そでそでをををぞぞぞぬらさぬらさぬらされれれけるけるける。。。一ひと一ひとひと年とせ年とせとせ宗むね宗むねむね盛もり盛もりもり公こう公こうこう内ない内ないない大だい大だいだい臣じん臣じんじんににになつなつなっててて、、、悅よろこび悅よろこびよろこび申まう申まうもうしししのののありありありししし時とき時ときとき、、、公く公くく卿ぎやう卿ぎやうぎょうにににははは花くわ花くわか山さん山さんさん院ゐん院ゐんいんののの中ちう中ちうちゅう納な納なな言ごん言ごんごん兼かね兼かねかね雅まさ雅まさまさののの卿きやう卿きやうきょうををを始はじ始はじはじめめめ奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、十じふ十じふじゅう二に二にに人にん人にんにん扈こ扈ここ從しよう從しようしょうしししててて遣や遣ややりりりつゞけつゞけつづけらるらるらる。。。藏くら藏くらくら人うど人うどうどののの頭とう頭とうとう親ちか親ちかちか宗むね宗むねむね以い以いい下げ下げげののの殿てん殿てんてん上じやう上じやうじょう人びと人びとびと十じふ十じふじゅう六ろく六ろくろく人にん人にんにん前ぜん前ぜんぜん驅く驅くくすすす。。。中ちう中ちうちゅう納な納なな言ごん言ごんごん四し四しし人にん人にんにん、、、三さん三さんさん位み位みみ中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょうももも三さん三さんさん人にん人にんにんまでまでまでおはしおはしおわしききき。。。公く公くく卿ぎやう卿ぎやうぎょうももも殿てん殿てんてん上じやう上じやうじょう人びと人びとびとももも今日けふ今日けふきょうををを晴は晴ははれれれととと時とき時ときときめきめきめき給たま給たまたまへへえりりり。。。そのそのその時とき時ときときこのこのこの時とき時ときとき忠たゞ忠たゞただののの卿きやう卿きやうきょう、、、御お御おお前まへ前まへまえににに召め召めめささされれれ參まゐ參まゐまいらららせせせててて、、、樣やう樣やうよう々やう々やうようにににもてなさもてなさもてなされれれ、、、種しゆ種しゆしゅ々じゆ々じゆじゅののの引ひき引ひきひき出で出でで物もの物ものもの賜たま賜たまたまはつはつわっててて出い出いいでででられられられ給たま給たまたまひひいしししははは、、、めでたかりめでたかりめでたかりししし儀ぎ儀ぎぎ式しき式しきしきぞぞぞかしかしかし。。。今日けふ今日けふきょうははは月げつ月げつげつ卿けい卿けいけい雲うん雲うんうん容かく容かくかく一ひと一ひとひと人り人りりももも從したが從したがしたがははわずずず。。。同おな同おなおなじうじうじゅう壇だん壇だんだんののの浦うら浦うらうらにににててて生いけ生いけいけ捕どり捕どりどりにににせせせられられられたりたりたりししし二に二にに十じふ十じふじゅう餘よ餘よよ人にん人にんにんののの侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいどもどもどもももも、、、みなみなみな白しろ白しろしろききき直ひた直ひたひた垂たれ垂たれたれにににててて、、、鞍くら鞍くらくらののの前まへ前まへまえ輪わ輪わわにににしめしめしめつけつけつけてててぞぞぞ渡わた渡わたわたささされれれけるけるける。。。
  5. 5六ろく六ろくろく條でう條でうじょうををを東ひがし東ひがしひがしへへへ、、、河かは河かはかわ原ら原ららまでまでまで渡わた渡わたわたいいいててて、、、それそれそれよりよりより返かへ返かへかえつつっててて、、、判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんののの宿しゆく宿しゆくしゅく所しよ所しよしょ六ろく六ろくろく條でう條でうじょう堀ほり堀ほりほり河かは河かはかわなるなるなる所ところ所ところところにににすゑすゑすえ奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、嚴きび嚴きびきびしうしうしゅう守しゆ守しゆしゅ護ご護ごごししし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのははは御おん御おんおん物もの物ものものまゐらせまゐらせまいらせけれけれけれどもどもども、、、胸むね胸むねむねせきせきせき塞ふさ塞ふさふさがつがつがっててて、、、御おん御おんおん箸はし箸はしはしをををだにだにだにももも立た立たたてててられられられずずず。。。夜よる夜よるよるににになれなれなれどもどもども裝しやう裝しやうしょう束ぞく束ぞくぞくをををだにだにだにもももくつろげくつろげくつろげ給たま給たまたまははわずずず、、、袖そで袖そでそでかたかたかた敷し敷ししいいいててて臥ふ臥ふふししし給たま給たまたまひひいたりたりたりけるけるけるががが、、、御おん御おんおん子こ子ここ右う右うう衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもんののの督かみ督かみかみににに御ご御ごご淨じやう淨じやうじょう衣え衣ええののの袖そで袖そでそでををを打うち打うちうち著き著ききせせせ給たま給たまたまへへえるるるををを、、、守しゆ守しゆしゅ護ご護ごごののの侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいどもどもども見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、「「「あはれあはれあわれ高たか高たかたかきききももも賤いや賤いやいやしきしきしきももも、、、恩おん恩おんおん愛あい愛あいあいののの道みち道みちみち程ほど程ほどほど悲かな悲かなかなしかりしかりしかりけるけるける事こと事ことことはははなしなしなし。。。御ご御ごご淨じやう淨じやうじょう衣え衣ええののの袖そで袖そでそでをををうちうちうち著き著ききせせせ給たま給たまたまひひいたれたれたればばばとてとてとて、、、何なに何なになに程ほど程ほどほどののの事こと事ことことかかかおはすおはすおわすべきべきべき。。。せめてせめてせめてののの御おん御おんおん志こゝろざし志こゝろざしこころざしののの深ふか深ふかふかさささかなかなかな。。。」」」とととててて、、、みなみなみな鎧よろひ鎧よろひよろいののの袖そで袖そでそでをををぞぞぞぬらしぬらしぬらしけるけるける。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

やがて二の宮(守貞親王)がお帰りになると聞こえたので、法皇からお迎えの御車を差し向けられた。お心ならずも外戚の平家に捕らわれなさって、西海の波の上を漂っておられたことを、御母も御乳母の持明院宰相もたいそう嘆いておられたので、今お迎え申されて、どれほどいとおしくお思いになったことであろう。同じく二十六日、平氏の生け捕りたちが鳥羽に着いて、すぐにその日都に入り、大路を引き回された。小八葉の車の前後の簾を上げ、左右の物見の窓を開いた。大臣殿(宗盛)は浄衣を着ておられた。日ごろはあれほど色白く清らかでいらしたのに、潮風にやせて黒ずみ、あの人とも見えなかった。けれども四方を見回して、それほど思い沈んでおられる様子もなかった。御子の右衛門督清宗は白い直垂で、父の御車の後ろに乗っておられた。涙にむせび、うつ伏して目も上げられず、まことに深く思い沈んでおられる様子である。平大納言時忠卿の車も同じく続けて引かれた。讃岐中将時実も同じ車で引き回されるはずであったが、病気だといって引き回されなかった。内蔵頭信基は傷を負っていたので、間道から入った。

これを見ようと、遠国・近国、山々・寺々、京中の上下、老いた者も若い者も大勢集まってきて、鳥羽の南の門から作道、四塚までぎっしりと続き、幾千万とも数がわからない。人は振り返ることもできず、車は輪を回すこともできない。去る治承・養和の飢饉や、東国・西国の戦で人の数は多く減ったとはいえ、まだ残りは多かったのだと見えた。都を出てからわずか一年ほどで、ごく最近のことなので、華やかだったころのことも忘れられない。あれほど恐れおののいた人々の今日のありさまは、夢とも現とも区別がつかない。情けを解さない卑しい男女に至るまで、みな涙を流し、袖を濡らさない者はなかった。まして親しく仕えていた人々の心の中は推し量られて哀れである。長年重い恩を受け、父祖の時から仕えてきた者たちが、やはり身は捨てがたくて、多くは源氏についていたが、昔のよしみをたちまち忘れられるはずもないので、さぞ悲しく思ったことであろう。みな袖を顔に押し当てて、目を上げられない者も多かった。

大臣殿の牛飼は、木曾が院に参ったとき、車をやりそこなって斬られた次郎丸の弟の三郎丸であった。西国では仮に元服して男になっていたが、鳥羽で判官に申すには、「舎人や牛飼などという者は卑しい下々の果てで、情けを知るべき身ではございませんが、長年召し使われました御恩は浅くございません。何の差しつかえがありましょう、お許しをいただいて、大臣殿の最後の御車を、もう一度引かせていただきたいのです」と申したので、判官は情けのある人で、「もっともなことだ。早くせよ」といって許された。三郎丸はたいそう喜んで、きちんと装束を着て、懐から遣縄を取り出して付け替え、涙にくれて行く先も見えないけれども、牛の行くにまかせて、泣く泣く車を引いていった。

法皇は六条東洞院に御車を立てて御覧になった。お供の公卿・殿上人の車も同じく立て並べられた。あれほどおそば近く召し使われたので、法皇もお心弱く、今さら哀れにお思いになった。日ごろはどんな人も、あの人々の目にとまり、言葉の端にでもかかりたいと思っていたのに、今日このように見ることになろうとは、誰が思ったであろうかといって、上下の者が袖を濡らした。先年、宗盛公が内大臣になってお礼参りをされたとき、公卿では花山院中納言兼雅卿をはじめとして十二人が従って車を連ねた。蔵人頭親宗以下の殿上人十六人が先払いをした。中納言四人、三位中将も三人までおられた。公卿も殿上人も今日を晴れと時めいておられた。そのときこの時忠卿は御前に召されて、さまざまにもてなされ、いろいろの引出物をいただいて退出されたのは、すばらしい儀式であった。今日は公卿・殿上人は一人も従わない。同じく壇の浦で生け捕りにされた二十余人の侍たちも、みな白い直垂で、鞍の前輪に縛りつけられて引き回された。

六条を東へ河原まで引き回し、そこから引き返して、判官の宿所である六条堀河という所にお据え申して、厳しく警護申した。大臣殿は食事を差し上げたが、胸がふさがって箸もおつけにならない。夜になっても装束もくつろげられず、袖を片敷いて臥しておられたが、御子の右衛門督に御浄衣の袖を着せかけておられるのを、警護の侍たちが見申して、「ああ、身分の高い者も低い者も、親子の情ほど悲しいものはない。御浄衣の袖を着せかけられたからといって、何ほどのことがあろう。せめてものお心の深さよ」といって、みな鎧の袖を濡らした。

意訳

生け捕りとなった平家の人々が、かつて栄華を誇った都の大路を引き回される場面である。見物に集まった人々の数と、涙を流す人々の姿は、わずか一年余りの間の盛衰の激しさを物語る。かつて公卿を引き連れた宗盛の内大臣拝賀の行列と、今の誰一人従わない車との対比が、無常の思いを強める。

最後の車を引かせてほしいと願い出た牛飼三郎丸の忠義と、それを許した義経の情けは、敗者に寄せる人々の思いを伝える。わが子に浄衣の袖を着せかける宗盛の姿は、総大将としての不甲斐なさとは別に、父としての深い情愛を示し、読む者の涙を誘う。

語釈・文法注

文法

「二の宮」
高倉天皇の第二皇子守貞親王(のちの後高倉院)。平家に伴われて西国に下っていた。
「小八葉の車」
小さな八葉の文様を描いた牛車。
「物見」
牛車の左右の窓。
「淨衣」
白い狩衣の一種。神事や罪人の装束として着た。
「現所勞とて」
現に病気であるということで。
「作道」
鳥羽から京の羅城門に通じる道。
「中一年」
間に一年をはさんで。わずか一年ほどの間に。
「かりに男になつたりける」
牛飼は童形が普通だが、西国では仮に元服していた。
「遣繩」
牛車の牛を引く縄。
「悅申し」
昇進のお礼に参上すること。
「月卿雲容」
公卿と殿上人。
「袖かた敷いて」
自分の袖だけを敷いて寝ること。

解説

平宗盛・清宗父子らは元暦二年(1185)四月二十六日に京に入り、大路を引き回された(『吾妻鏡』)。この後、宗盛父子は義経に連れられて鎌倉へ下り、帰途の近江国篠原で斬られる。生け捕りのうち平時忠は能登へ流され、建礼門院は出家して大原に隠棲することになる。

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出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、799–802頁(コマ428–430)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日