平家物語 巻第八
猫間の事
康定の報告を聞いて都の人々は頼朝の立派さに感心したが、都を守る木曾義仲は、見た目はよいのに振る舞いも言葉づかいもひどく無骨であった。猫間中納言光隆が訪ねてくると、義仲は「猫殿」と呼んで、大きな田舎椀に山盛りの飯を出して食べろと責め立て、中納言は用件も言い出せずに帰った。院参のときも、布衣姿のぎこちなさに加え、牛車の中で仰向けにひっくり返り、後ろから降りて笑われた。
- 1康康やす定定さだ都都みやこへへへ上上のぼりりり、、、院院いん參參さんしてしてして、、、御御お坪坪つぼののの内内うちににに畏畏かしこまつまつまっててて、、、關關かん東東とうののの樣樣さまをををつぶさつぶさつぶさににに奏奏そう聞聞もん申申もうしししたりたりたりけれけれければばば、、、法法ほう皇皇おう大大おおきききににに御御ぎょ感感かんありありありけりけりけり。。。公公く卿卿ぎょうももも殿殿てん上上じょう人人びとももも、、、ゑつぼゑつぼえつぼににに入入いらららせせせおはしましおはしましおわしまし、、、いかなれいかなれいかなればばば兵兵ひょう衞衞えののの佐佐すけははは、、、かうかうこうこそこそこそゆゝしうゆゝしうゆゆしゅうおはせおはせおわせしかしかしか。。。當當とう時時じ、、、都都みやこののの守守しゅ護護ごしてしてして候候さぶらははわれれれけるけるける木木き曾曾そ義義よし仲仲なかははは、、、似似にももも似似にずずず惡惡あしかりしかりしかりけりけりけり。。。色色いろ白白しろううう、、、みめみめみめはははよいよいよい男男おとこにてにてにてありありありけれけれけれどもどもども、、、起起たち居居いのののふるまひふるまひふるまいののの無無ぶ骨骨こつさささ、、、ものものもの云云いひひいたるたるたることばことばことばつゞきつゞきつづきののの頑頑かたくななるなるなることことことかぎりかぎりかぎりなしなしなし。。。ことわりことわりことわりかなかなかな、、、二二に歳歳さいよりよりより三三さん十十じゅうにににあまるあまるあまるまでまでまで、、、信信しな濃濃のののの國國くに木木き曾曾そととといふいふいう片片かた山山やま里里ざとににに住住すみみみ馴馴なれれれててておはしおはしおわしけれけれければばば、、、なじかなじかなじかはははよかるよかるよかるべきべきべき。。。
- 2そのそのその頃頃ころ猫猫ねこ間間まののの中中ちゅう納納な言言ごん光光みつ隆隆たかののの卿卿きょうととといふいふいう人人ひとありありありけりけりけり。。。木木き曾曾そにににのたまひのたまひのたまい合合あははわすすすべきべきべき事事ことあつあつあっててておはしおはしおわしたりたりたりけるけるけるををを、、、郎郎ろう等等どう共共ども、、、「「「猫猫ねこ間間ま殿殿どのののの入入いらららせせせ給給たまひひいててて候候そうろう。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、木木き曾曾そ大大おおきききににに笑笑わろうううててて、、、「「「猫猫ねこははは人人ひとににに對對たい面面めんするするするかかか。。。」」」とととぞぞぞいひいひいいけるけるける。。。「「「これこれこれははは猫猫ねこ間間まののの中中ちゅう納納な言言ごん殿殿どのとてとてとて、、、公公く卿卿ぎょうにてにてにて渡渡わたらららせせせ給給たまひひい候候そうろう。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、さらばさらばさらばとてとてとて對對たい面面めんすすす。。。木木き曾曾そ、、、猫猫ねこ間間ま殿殿どのとととはははえええいはいはいわででで、、、「「「猫猫ねこ殿殿どのののの食食け時時どきにににまれまれまればばばれれれわいわいわいたにたにたに、、、物物ものよそへよそへよそえ。。。」」」とととぞぞぞいひいひいいけるけるける。。。中中ちゅう納納な言言ごん、、、「「「いかでいかでいかでかかかたゞたゞただ今今いまさるさるさる事事ことのののおはすおはすおわすべきべきべき。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえどもどもども、、、木木き曾曾そ何何なにをををももも新新あたらしきしきしき物物ものをををばばば無無ぶ鹽鹽えんととといふいふいうぞぞぞととと心心こころ得得えててて、、、「「「無無ぶ鹽鹽えんののの平平ひら茸茸たけこゝこゝここにににありありあり、、、とう〳〵とう〳〵とうとう。。。」」」ととといそがすいそがすいそがす。。。
- 3根根ねの井井いののの小小こ彌彌や太太た陪陪はい膳膳ぜんすすす。。。田田い舎舎なか合合ごう子子しののの極極きわめめめててて大大おおきききににに、、、凹凹くぼかりかりかりけるけるけるににに、、、飯飯はんうづたかううづたかううずたこうよそひよそひよそい、、、御御ご菜菜さい三三さん種種しゅしてしてして、、、平平ひら茸茸たけののの汁汁しるにてにてにて參參まいらせらせらせたりたりたり。。。木木き曾曾そががが前前まえにににももも同同おなじじじ體體ていにてにてにて据据すゑゑえたりたりたりけりけりけり。。。木木き曾曾そ箸箸はし取取とりりりててて食食しょくすすす。。。中中ちゅう納納な言言ごんはははあまりあまりあまりににに合合ごう子子しのののいぶせさいぶせさいぶせさににに召召めさささざりざりざりけれけれければばば、、、木木き曾曾そ、、、「「「きたなうきたなうきたのうななな思思おもひひい給給たまひひいそそそ。。。それそれそれははは義義よし仲仲なかががが精精しょう進進じん合合ごう子子しででで候候そうろうぞぞぞ。。。とう〳〵とう〳〵とうとう。。。」」」とととすゝむるすゝむるすすむる間間あいだ、、、中中ちゅう納納な言言ごん殿殿どの、、、召召めさささでででもももさすがさすがさすが惡惡あしかりしかりしかりなんなんなんとととややや思思おもははわれれれけんけんけん、、、箸箸はし取取とりりりててて召召めすすすよしよしよししてしてして、、、差差さし置置おかかかれれれたりたりたりけれけれければばば、、、木木き曾曾そ大大おおきききににに笑笑わらつつっててて、、、「「「猫猫ねこ殿殿どのははは小小しょう食食じきにてにてにておはすおはすおわすよよよ。。。聞聞きこゆるゆるゆる猫猫ねこおろしおろしおろしししし給給たまひひいたりたりたり。。。かいかいかいたまへ〳〵たまへ〳〵たまえかいたまえややや。。。」」」とととぞぞぞ責責せめめめたりたりたりけるけるける。。。中中ちゅう納納な言言ごん殿殿どのはははかやうかやうかようののの事事ことににに、、、よろづよろづよろず興興きょうさめさめさめててて、、、宣宣のたまひひい合合あははわすすすべきべきべき事事ことどもどもども、、、一一ひと言言こと葉葉はもももいひいひいい出出いださささずずず、、、急急いそぎぎぎ歸歸かえららられれれけりけりけり。。。
- 4そのそのその後後のち義義よし仲仲なか院院いん參參さんしししけるけるけるががが、、、官官かん加加か階階かいしししたるたるたる者者ものののの、、、直直ひた垂垂たれにてにてにて出出しゅっ仕仕しせせせんんん事事こと、、、あるあるあるべうべうびょうもももなしなしなしとてとてとて、、、俄俄にはかににに布布ほう衣衣いとととなりなりなり、、、裝裝しょう束束ぞく、、、冠冠かむりりりぎはぎはぎわ、、、袖袖そでのののかゝりかゝりかかり、、、指指さし貫貫ぬきののの輪輪りんににに至至いたるるるまでまでまで、、、頑頑かたくななるなるなる事事ことかぎりかぎりかぎりなしなしなし。。。鎧鎧よろい取取とつつっててて著著き、、、矢矢やかきかきかき負負おひひい、、、弓弓ゆみおしおしおし張張はりりり、、、兜兜かぶとののの緒緒ををををしめしめしめ、、、馬馬うまににに打打うち乘乘のつつったるたるたるにににははは、、、似似にももも似似にずずずあしかりあしかりあしかりけりけりけり。。。されどもされどもされども車車くるまにににゆがみゆがみゆがみ乘乘のんんんぬぬぬ。。。牛牛うし飼飼かいははは八八や島島しまののの大臣殿大臣殿おおいどのののの牛牛うし飼飼かいなりなりなり。。。牛牛ぎっ車車しゃもももそれそれそれなりなりなりけりけりけり。。。逸逸いち物物もつなるなるなる牛牛うしのののすゑすゑすえ飼飼こうううたるたるたるををを、、、門門かど出出いづるづるずるとてとてとて、、、一一ひと楉楉ずわえあてあてあてたらたらたらうううににに、、、なじかなじかなじかはははよかるよかるよかるべきべきべき、、、牛牛うしははは飛飛とんんんででで出出いづれづれずればばば、、、木木き曾曾そははは車車くるまののの中中うちにてにてにて仰仰あお向向のきににに倒倒たおれれれぬぬぬ。。。蝶蝶ちょうののの羽羽はねををを廣廣ひろげげげたるたるたるやうやうようににに、、、左左さ右右ゆうののの袖袖そでををを廣廣ひろげげげ、、、手手てをををあがいあがいあがいててて、、、起起おきききん〳〵ん〳〵んおきんとととしししけれけれけれどもどもども、、、なじかなじかなじかははは起起おきききらるらるらるべきべきべき。。。木木き曾曾そ、、、牛牛うし飼飼かいとととはははえええいはいはいわででで、、、「「「やれやれやれ小小こ牛牛うし健健こん兒兒でいよよよ、、、やれやれやれ小小こ牛牛うし健健こん兒兒でいよよよ。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、車車くるまをををやれやれやれととといふいふいうぞぞぞととと心心こころ得得えててて、、、五五ご六六ろく町町ちょうこそこそこそあがかあがかあがかせせせけれけれけれ。。。
- 5今今いま井井いののの四四し郎郎ろう鞭鞭むち鐙鐙あぶみをををあはせあはせあわせててて追追おひひいつきつきつき、、、「「「何何なにとてとてとて御御み車車くるまをををばばば斯斯か樣樣ようにににははは仕仕つかまつるるるぞぞぞ。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、「「「あまりあまりあまりににに御御おん牛牛うしののの鼻鼻はなががが強強こおううう候候そうらうううててて。。。」」」とととぞぞぞ述述のべべべたりたりたりけるけるける。。。牛牛うし飼飼かい、、、木木き曾曾そににに中中なか直直なおりりりせせせんんんとととややや思思おもひひいけんけんけん、、、「「「それそれそれににに候候そうろう手手て形形がたととと申申もうすすすものものものににに、、、取取とりりりつかつかつかせせせ給給たまへへえ。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、木木き曾曾そ手手て形形がたにににむずむずむずととと摑摑つかみみみついついついててて、、、「「「あつぱれあつぱれあっぱれ支支し度度たくややや、、、牛牛うし健健こん兒兒でいががが計計はからひらひらいかかか、、、殿殿とのののの樣樣ようかかか。。。」」」とととぞぞぞ問問とひひいたりたりたりけるけるける。。。
- 6さてさてさて院院いんののの御御ご所所しょへへへ參參まいりりり、、、門門もん前前ぜんにてにてにて車車くるまかけかけかけはづさはづさはずさせせせ、、、後後うしろよりよりより下下おりりりんんんとととしししたりたりたりけれけれければばば、、、京京きょうののの者者ものののの雜雜ぞう色色しきににに召召めし使使つかははわれれれけるけるけるががが、、、「「「車車くるまにににははは召召めささされれれ候候そうろうときときときこそこそこそ、、、後後うしろよりよりよりははは召召めささされれれ候候そうらへへえ。。。下下おりりりさせさせさせ給給たまふふう時時ときははは、、、前前まえよりよりよりこそこそこそ下下おりりりさせさせさせ給給たまふふうべけれべけれべけれ。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、木木き曾曾そ、、、「「「いかでいかでいかでかかか車車くるまならならならんんんからからからににに、、、なでふなでふなじょうすどほりすどほりすどおりをををばばばすすすべきべきべき。。。」」」とてとてとて、、、遂遂ついににに後後うしろよりよりよりぞぞぞ下下おりりりてててけるけるける。。。そのそのその外外ほかをかしきをかしきおかしき事事ことどもどもども多多おおかりかりかりけれけれけれどもどもども、、、恐恐おそれれれてててこれこれこれををを申申もうさささずずず。。。牛牛うし飼飼かいははは遂遂ついににに斬斬きららられれれにににけりけりけり。。。
現代語訳
康定は都へ上り、院の御所に参って、お庭の内にかしこまって、関東の様子を詳しく申し上げたので、法皇はたいそう感心なさった。公卿も殿上人も満足して笑みをこぼされ、どうして兵衛佐はこうも立派でいらっしゃるのか、と言い合った。今、都を守護しておられる木曾義仲は、それとは似ても似つかずひどかった。色が白く、顔立ちはよい男であったが、立ち居振る舞いの無骨さ、物を言う言葉つきのかたくなさは、このうえない。それももっともなことで、二歳から三十を過ぎるまで、信濃国の木曾という片山里に住み慣れておられたのだから、どうしてよかろうか。
そのころ猫間中納言光隆卿という人がいた。木曾に相談すべきことがあってお越しになったのを、郎等たちが「猫間殿がおいでになりました」と言ったので、木曾は大いに笑って、「猫が人に対面するのか」と言った。「これは猫間中納言殿といって、公卿でいらっしゃいます」と言ったので、それならといって対面した。木曾は「猫間殿」とは言えずに、「猫殿が食事どきにまれにいらしたのだ。食べ物を盛れ」と言った。中納言が「どうして今そのようなことができましょう」とおっしゃったが、木曾は何でも新しい物を「無塩(ぶえん)」というのだと思いこんで、「無塩の平茸がここにある。早く早く」とせき立てた。
根井小弥太が給仕をする。田舎風の蓋つきの椀のとても大きく深いのに、飯を山盛りに盛り、おかずを三品そろえて、平茸の汁を添えて差し上げた。木曾の前にも同じように据えた。木曾は箸を取って食べる。中納言はあまりに椀が汚らしいので召し上がらずにいると、木曾は「汚いとお思いなさるな。それは義仲の精進用の椀でございますぞ。早く早く」と勧めるので、中納言殿は、召し上がらないのもさすがにまずいとでも思われたのであろうか、箸を取って召し上がるふりをして置かれたところ、木曾は大笑いして、「猫殿は小食でいらっしゃるな。名高い猫の食べ残しをなさった。かきこみなされ、かきこみなされ」と責め立てた。中納言殿はこのようなことに、すっかり興ざめして、相談すべきことも一言も言い出さず、急いでお帰りになった。
その後、義仲が院の御所に参ったが、官位を得た者が直垂姿で出仕するのはあってはならないといって、急に布衣姿になったものの、装束も、冠のかぶり具合も、袖の垂れ具合も、指貫の裾に至るまで、ぎこちないことこのうえない。鎧を取って着て、矢を背負い、弓を張り、兜の緒をしめて馬に乗った姿とは、似ても似つかずみっともなかった。それでも車に不格好に乗りこんだ。牛飼は屋島の大臣殿(宗盛)の牛飼である。牛車もそれであった。すぐれた牛で、ずっと飼いこまれたものを、門を出るときに一鞭あてたのだから、どうしてたまろうか。牛は飛び出したので、木曾は車の中で仰向けに倒れてしまった。蝶が羽を広げたように左右の袖を広げ、手をばたつかせて、起きよう起きようとしたが、どうして起きられようか。木曾は「牛飼」とは言えずに、「やれ小牛健児よ、やれ小牛健児よ」と言ったので、牛飼は車をやれと言うのだと思って、五、六町も走らせた。
今井四郎が鞭と鐙を合わせて追いつき、「どうして御車をこのように扱うのか」と言ったので、牛飼は「あまりにお牛の鼻が強うございまして」と弁解した。牛飼は木曾と仲直りしようとでも思ったのか、「そこにございます手形というものにおつかまりください」と言ったので、木曾は手形にむんずとつかまって、「あっぱれな仕掛けだな。牛健児の考えか、殿(宗盛)のやり方か」と尋ねた。
さて院の御所へ参り、門前で車から牛をはずさせて、後ろから降りようとしたので、京の者で雑色として召し使われていた者が、「車にはお乗りになるときこそ後ろからお乗りになります。お降りになるときは前からお降りになるものです」と言ったところ、木曾は「どうして車だからといって、素通りなどできようか」といって、とうとう後ろから降りてしまった。そのほかおかしなことも多かったが、恐れてこれを申さない。牛飼はついに斬られてしまった。
意訳
前の章段の頼朝の威儀と対照させて、義仲の無骨さを滑稽に描く章段である。猫間中納言を「猫殿」と呼び、大椀の飯を無理に勧め、牛車でひっくり返る義仲の姿は、都の作法を知らない田舎武士として誇張されている。
しかし語り手は、二歳から木曾の山里で育った義仲が都の作法を知らないのは「ことわり」だとも言う。笑いの裏には、武勇では平家を追い落としながら、都の人心をつかめずに孤立していく義仲の運命がのぞいている。
語釈・文法注
文法
- 「ゑつぼに入らせおはしまし」
- 満足して笑みをこぼされ。「ゑつぼ」は笑いのつぼ。
- 「猫殿の食時にまればれわいたに」
- 底本どおり。「まれまれ(まれに)わいたに(おいでになったのに)」を、義仲のなまりのある言葉づかいで写したものと見られる。
- 「物よそへ」
- 食べ物を盛れ。「よそふ」は飯を盛る意。
- 「無鹽」
- 塩をしていない新鮮な魚や鳥の肉。義仲は新しい物はみな「ぶえん」と言うと思いこんでいた。
- 「合子」
- 蓋のついた椀。
- 「猫おろし」
- 猫が食べ残すように、食べ物を残すこと。
- 「かいたまへ」
- 「掻き給へ」。かきこんで召し上がれ。
- 「小牛健兒」
- 牛飼を呼ぶのに、「健児(こんでい)」(下級の兵)と取り違えて言った。
- 「手形」
- 牛車の前後の板に設けた、手をかけるための穴。
- 「なでふすどほりをばすべき」
- どうして素通りなどできようか。車の中を通り抜けて前から降りることを「素通り」と取ったもの。
解説
猫間中納言光隆は藤原光隆で、七条坊城の猫間に住んだのでこう呼ばれた。義仲が都で無作法を笑われた話は、『平家物語』の中でも滑稽な場面として知られるが、そこには都の貴族が地方の武士を見る目が強く表れている。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、619–622頁(コマ338–340)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日