平家物語 巻第十一
平大納言の文の沙汰の事
平大納言時忠は、人に見せてはならない文書の箱を義経に押収され、これが頼朝の目に触れれば多くの人が滅び、自分の命も危ういと恐れた。子の時実の勧めで、時忠は先妻腹の二十一歳の娘を義経に娶らせた。義経はこの娘を深く愛し、先の妻河越重房の娘を別の所に移すほどであった。娘が文の事を頼むと、義経は封も解かずに文箱を時忠に返し、時忠は喜んで焼き捨てた。平家が滅んで世が静まると、人々は義経ほどの人はいないともてはやした。これを聞いた頼朝は、平家を滅ぼせたのは自分の計らいであり、義経が驕って世を思うままにし、時忠の婿になったのも許せないと不快を示した。
- 1平平へい大大だい納納な言言ごん時時とき忠忠ただののの卿卿きょう父父ふ子子しももも判判ほう官官がんののの宿宿しゅく所所しょ近近ちこうううぞぞぞおはしおはしおわしけるけるける。。。世世よののの中中なかははは斯斯かくくくなるなるなる上上うえははは、、、とてもとてもとてもかくかくかくてててもももとととこそこそこそ思思おもははわるるるべきべきべきににに、、、大大だい納納な言言ごん命命いのち惜惜おしうしうしゅうややや思思おもははわれれれけんけんけん、、、子子し息息そく讚讚さぬ岐岐きののの中中ちゅう將將じょう時時とき實實ざねををを招招まねいいいててて、、、「「「散散ちらすらすらすまじきまじきまじき文文ふみどもどもども一一ひと合合ごう、、、判判ほう官官がんににに取取とららられれれてててあるあるあるぞぞぞとととよよよ。。。之之これををを鎌鎌かま倉倉くらののの源源げん二二に位位いににに見見みせせせなばなばなば、、、人人ひとももも多多おおくくく亡亡ほろびびび、、、わがわがわが身身みももも命命いのち助助たすかるかるかるまじまじまじ。。。いかゞいかゞいかがせせせんんん。。。」」」ととと宣宣のたまへへえばばば、、、中中ちゅう將將じょう申申もうささされれれけるけるけるははは、、、「「「九九く郎郎ろうははは猛猛たけききき武武もの士士のうなれなれなれどもどもども、、、女女にょう房房ぼうなどなどなどののの訴訴うつたへへえなけくなけくなけくことことことをををばばば、、、いかなるいかなるいかなる大大だい事事じをををももももてもてもてはなれはなれはなれずずずとととこそこそこそ承承うけたまわつつっててて候候そうらへへえ。。。姫姫ひめ君君ぎみたちたちたちあまたあまたあまたまし〳〵まし〳〵ましまし候候そうらへへえばばば、、、いづれいづれいずれにににてててももも御御おん一一ひと所所ところ見見みせせせさせさせさせおはしましおはしましおわしまし、、、親親したしうしうしゅうならならならせせせ給給たまひひいててて後後のち、、、仰仰おおせせせ出出いださささるるるべうべうびょうもももややや候候そうろうらんらんらん。。。」」」ととと申申もうささされれれたりたりたりけれけれければばば、、、そのそのその時時とき大大だい納納な言言ごん涙涙なみだをををはら〳〵はら〳〵はらはらととと流流ながいいいててて、、、「「「さりさりさりともともともわれわれわれ世世よにににありありありししし時時ときははは、、、姫姫ひめどもどもどもをををばばば女女にょう御御ご、、、后后きさきににに立立たてててんんんとととこそこそこそ思思おもひひいしかしかしか。。。なみ〳〵なみ〳〵なみなみののの人人ひとににに見見みせせせんんんとととははは、、、つゆつゆつゆももも思思おもははわざりざりざりしししものものものををを。。。」」」とととててて泣泣なかかかれれれけれけれければばば、、、中中ちゅう將將じょう、、、「「「今今いまはははさやうさやうさようののの事事ことゆめ〳〵ゆめ〳〵ゆめゆめ思思おぼし召召めししし寄寄よらららせせせ給給たまふふうべからべからべからずずず、、、當當とう腹腹ぷくののの姫姫ひめ君君ぎみののの生生しょう年年ねん十十じゅう七七しちににになりなりなり給給たまふふうををを。。。」」」ととと申申もうささされれれけれけれけれどもどもども、、、大大だい納納な言言ごんそれそれそれをををばばばなほなほなおいとほしきいとほしきいとおしき事事ことにににおぼしおぼしおぼしててて、、、さきさきさきののの腹腹はらののの姫姫ひめ君君ぎみののの生生しょう年年ねん二二に十十じゅう一一いちににになりなりなり給給たまふふうをををぞぞぞ、、、判判ほう官官がんにににははは見見みせせせられられられけるけるける。。。これこれこれははは年年としこそこそこそ少少すこしししおとなしけれおとなしけれおとなしけれどもどもども、、、みめみめみめすがたすがたすがた世世よにににすぐれすぐれすぐれ、、、心心こころざまざまざま優優ゆうにににおはしおはしおわしけれけれければばば、、、判判ほう官官がんももも世世よにににありありあり難難がたききき事事ことににに思思おもひひい給給たまひひいててて、、、先先さきののの上上うえののの河河かわ越越ごえののの太太た郎郎ろう重重しげ房房ふさががが女女むすめもももありありありけれけれけれどもどもども、、、それそれそれをををばばば別別べちののの所所ところににに移移うつししし奉奉たてまつつつっててて、、、座座ざ敷敷しきしつらうしつらうしつろうてててぞぞぞ置置おかかかれれれけるけるける。。。
- 2さてさてさて女女にょう房房ぼう、、、かのかのかの文文ふみののの事事ことをををのたまひのたまひのたまい出出いだささされれれたりたりたりけれけれければばば、、、判判ほう官官がん、、、あまつさへあまつさへあまつさえ封封ふうをををだにだにだに解解とかかかずずずしししててて、、、いそぎいそぎいそぎ大大だい納納な言言ごんのののもともともとへへへ遣遣つかははわさささるるる。。。なのめならなのめならなのめならずずず喜喜よろこんんんででで、、、やがてやがてやがて焚焚たいいいてててぞぞぞ捨捨すてててられられられけるけるける。。。いかなるいかなるいかなる文文ふみどもどもどもにににてててかかかありありありけんけんけん、、、おほつかなうおほつかなうおぼつかのうぞぞぞ見見みえええししし。。。
- 3平平へい家家け亡亡ほろびびび、、、いつしかいつしかいつしか國國くに々々ぐに靜靜しずまつまつまっててて、、、人人ひとののの通通かよひひいもももわづらひわづらひわずらいなくなくなく、、、都都みやこもももおだしかりおだしかりおだしかりけれけれければばば、、、世世よにににはははたゞたゞただ判判ほう官官がんほどほどほどののの人人ひとぞぞぞなきなきなき。。。鎌鎌かま倉倉くらののの源源げん二二に位位い、、、何何なに事事ごとをををかかかししし出出いだしししたるたるたる。。。世世よははは一一いっ向向こう判判ほう官官がんのののままままままにににてててあらあらあらばやばやばやなんどなんどなんどいふいふいう事事ことををを、、、源源げん二二に位位い漏漏もれれれ聞聞きききき給給たまひひいててて、、、「「「こここはははいかにいかにいかに、、、賴賴より朝朝ともがががよくよくよくはからひはからひはからいててて、、、兵兵つわものどもどもどもをををさしさしさし上上のぼせせせたれたれたればばばこそこそこそ、、、平平へい家家けはははたやすくたやすくたやすく亡亡ほろびびびたれたれたれ。。。九九く郎郎ろうばかりばかりばかりしししてててははは、、、いかでいかでいかでかかか世世よをををばばば鎭鎭しずむむむべきべきべき。。。人人ひとのののかくかくかくいふいふいうににに奢奢おごつつっててて、、、いつしかいつしかいつしか世世よをををわがわがわがまゝまゝままにににするするすることことことでででこそこそこそあれあれあれ。。。人人ひとこそこそこそ多多おおけれけれけれ、、、平平へい大大だい納納な言言ごんののの壻壻むこにににおしおしおしなつなつなっててて、、、大大だい納納な言言ごん持持もちちちあつかふあつかふあつかうらんらんらんももも受受うけけけられられられずずず。。。またまたまた世世よにににももも憚憚はばからららずずず、、、大大だい納納な言言ごんののの壻壻むこ取取とりりりいはれいはれいわれなしなしなし。。。定定さだめめめてててこれこれこれへへへ下下くだりりりてててももも、、、過過か分分ぶんのののふるまひふるまひふるまいをををせせせんんんずずずらんらんらん。。。」」」とととぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。
現代語訳
平大納言時忠卿父子も判官の宿所の近くにおられた。世の中がこうなった以上は、どうなってもかまわないと思われるはずなのに、大納言は命が惜しく思われたのであろうか、子息の讃岐中将時実を招いて、「人に散らしてはならない文書を一箱、判官に取られているのだ。これを鎌倉の源二位(頼朝)に見せたら、人も多く滅び、わが身も命は助かるまい。どうしたらよかろう」とおっしゃると、中将が申されるには、「九郎は猛き武士ですが、女房などの訴え嘆くことは、どんな大事でも突き放さないと聞いております。姫君たちが大勢いらっしゃいますから、どなたかお一人を娶せなさって、親しくなられてから、仰せ出されるのがよいでしょう」と申されたので、そのとき大納言は涙をはらはらと流して、「それにしても、私が世にあったときは、娘たちを女御・后に立てようと思っていた。並みの人に娶せようとは、少しも思わなかったのに」といって泣かれたので、中将は「今はそのようなことは決してお考えになってはなりません。今の奥方の御腹の、十七歳になられる姫君を」と申されたが、大納言はそれをやはりかわいそうにお思いになって、先の奥方の御腹の二十一歳になられる姫君を判官に娶せられた。この姫君は年こそ少し大人びていたが、容貌は世にすぐれ、気だても優雅でいらしたので、判官も世にまれなことと思われて、先の妻である河越太郎重房の娘もいたけれども、それを別の所に移し申して、座敷をととのえて住まわせられた。
さて女房がその文書のことを言い出されたところ、判官はそれどころか封も解かずに、急いで大納言のもとへお返しになった。大納言はたいそう喜んで、すぐに焼き捨ててしまわれた。どのような文書であったのか、気がかりなことであった。
平家が滅び、いつのまにか国々も静まって、人の往来も支障がなく、都も穏やかになったので、「世にはただ判官ほどの人はいない。鎌倉の源二位は何をしたというのか。世の中はすべて判官の思うままであればよい」などと言うことを、源二位は漏れ聞かれて、「これはどうしたことか。頼朝がよく計らって兵どもを差し上らせたからこそ、平家はたやすく滅びたのだ。九郎だけでどうして世を鎮められよう。人がこう言うのに驕って、いつのまにか世を自分の思うままにしているのであろう。人は多いのに、平大納言の婿に押しかけて、大納言をもてはやしているのも納得できない。また世間もはばからず、大納言の婿になるとはいわれのないことだ。きっとこちらへ下ってきても、分を過ぎたふるまいをするだろう」とおっしゃった。
意訳
命を惜しむ時忠が、娘を義経に娶らせて秘密の文書を取り戻す話である。勝者の義経が、敗者の頼みに応えて封も解かずに文箱を返す姿は、情にもろい義経の人柄をよく表している。
後半では、世の人々が義経をもてはやすことを聞いた頼朝が、義経の驕りを危ぶみ、平家の大納言の婿になったことを咎める。ここから兄弟の不和が表面化し、物語は義経の没落へと向かっていく。時忠の文書の一件が、のちの義経への疑いの種の一つとして語られている。
語釈・文法注
文法
- 「散らすまじき文ども一合」
- 人に漏らしてはならない文書の入った箱一つ。
- 「訴へなけく」
- 底本は「なけく」と濁点なしで刷る。訴え嘆く。
- 「もてはなれず」
- 突き放さない。聞き入れる。
- 「當腹の姫君」
- 今の正妻の産んだ姫君。
- 「おとなしけれども」
- 大人びていたけれども。
- 「あまつさへ封をだに解かずして」
- そればかりか封さえ解かないで。
- 「おほつかなう」
- 底本は「おほつかなう」と刷る。おぼつかなく、気がかりで。
- 「判官のままにて」
- 底本は行末と行頭で「ま」を重ねて刷る。
- 「おしなつて」
- 押しかけてなって。
解説
平時忠の娘(蕨姫と伝える)が義経に嫁いだことは『吾妻鏡』にも見える。時忠は壇の浦で生け捕られた後、能登国に流されて没した。義経が頼朝の許しなく官位を受け、平家の縁者と結んだことは、兄弟の対立の原因の一つとされる。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、802–804頁(コマ430–431)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日