古典ライブラリー

平家物語 巻第十一

継信最後の事

後藤兵衛実基は内裏に火を放って焼き払った。源氏が七、八十騎にすぎないと知った宗盛は悔しがり、能登守教経が五百余人で汀に寄せた。越中次郎兵衛盛継と伊勢三郎義盛が言葉戦いを交わし、金子与一の矢で言葉戦いは終わる。王城一の強弓の教経は義経を狙ったが、郎等たちが矢面に立ちふさがり、まっ先に進んだ佐藤三郎兵衛継信が射抜かれて落馬した。首を取ろうとした教経の童菊王丸は継信の弟忠信に射られて死に、教経は嘆いて戦をやめた。継信は、主君の身代わりに討たれたことこそ今生の面目と言い残して死に、義経は涙を流して僧に大夫黒の馬を与えて弔わせた。

  1. 1中なか中なかなかにににももも後ご後ごご藤とう藤とうとう兵びやう兵びやうびょう衞ゑ衞ゑえ實さね實さねさね基もと基もともとははは古ふる古ふるふる兵つはもの兵つはものつわものにににてててありありありけれけれければばば、、、磯いそ磯いそいそののの軍いくさ軍いくさいくさをををばばばせせせずずず、、、まづまづまず内だい内だいだい裏り裏りりへへへ亂みだ亂みだみだれれれ入い入いいりりり、、、手て手ててんんん手で手ででににに火ひ火ひひををを放はな放はなはなつつっててて、、、片へん片へんへん時し時ししののの煙けぶり煙けぶりけぶりととと燒や燒ややききき拂はら拂はらはらふふう。。。大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどの侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいどもどもどもににに、、、「「「源げん源げんげん氏じ氏じじががが勢せい勢せいせいはははいかいかいか程ほど程ほどほどあるあるあるぞぞぞ。。。」」」ととと問と問ととひひい給たま給たまたまへへえばばば、、、「「「七しち七しちしち八はち八はちはち十じつ十じつじっ騎き騎ききにににはははよもよもよも過す過すすぎぎぎ候さふら候さふらそうらははわじじじ。。。」」」「「「あなあなあな心こゝろ心こゝろこころうううややや、、、髪かみ髪かみかみののの筋すぢ筋すぢすじををを一ひと一ひとひと筋すぢ筋すぢすじづゝづゝずつ分わ分わわけけけててて取と取ととるるるともともとも、、、このこのこの勢せい勢せいせいにににははは足た足たたるるるまじかりまじかりまじかりつるつるつるものものものををを、、、中なか中なかなかにににももも取と取ととりりりこめこめこめててて討う討ううたたたずずずしししててて、、、あわてあわてあわてててて船ふね船ふねふねににに乘の乘ののりりりててて、、、内だい内だいだい裏り裏りりををを燒や燒ややかかかせせせぬるぬるぬる事こと事ことことこそこそこそ口くち口くちくち惜を惜をおしけれしけれしけれ。。。能の能のの登と登とと殿どの殿どのどのはははおはせおはせおわせぬぬぬかかか、、、陸くが陸くがくがににに上あが上あがあがつつっててて一ひと一ひとひと軍いくさ軍いくさいくさししし給たま給たまたまへへえかしかしかし。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、「「「承うけたまは承うけたまはうけたまわりりり候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」とととててて、、、越ゑつ越ゑつえっ中ちう中ちうちゅうののの次じ次じじ郎らう郎らうろう兵びやう兵びやうびょう衞ゑ衞ゑえ盛もり盛もりもり續つぎ續つぎつぎををを先さき先さきさきとととしししててて都つ都つつ合がふ合がふごう五ご五ごご百ひやく百ひやくひゃく餘よ餘よよ人にん人にんにん、、、小こ小ここ船ぶね船ぶねぶねににに乘の乘ののりりり、、、燒や燒ややききき拂はら拂はらはらつつったるたるたる總そう總そうそう門もん門もんもんののの前まへ前まへまえののの汀みぎは汀みぎはみぎわにににおしおしおし寄よ寄よよせせせててて陣ぢん陣ぢんじんををを取と取ととるるる。。。判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんももも八はち八はちはち十じふ十じふじゅう餘よ餘よよ騎き騎きき、、、矢や矢やや頃ごろ頃ごろごろににに寄よ寄よよせせせててて控ひか控ひかひかへへえたりたりたり。。。
  2. 2平へい平へいへい家け家けけののの方かた方かたかたよりよりより越ゑつ越ゑつえっ中ちう中ちうちゅうののの次じ次じじ郎らう郎らうろう兵びやう兵びやうびょう衞ゑ衞ゑえ、、、船ふね船ふねふねののの屋や屋やや形かた形かたかたににに進すゝ進すゝすすみみみ出い出いいででで、、、大だい大だいだい音おん音おんおん聲じやう聲じやうじょうをををあげあげあげててて、、、「「「抑そも〳〵抑そも〳〵そもそも以い以いい前ぜん前ぜんぜん名な名なな乘の乘ののりりりたまひたまひたまいつるつるつるとととははは聞き聞きききききつれつれつれどもどもども、、、海かい海かいかい上しやう上しやうしょう遙はる遙はるはるかかかににに隔へだ隔へだへだたつたつたっててて、、、そのそのその假け假けけ名みやう名みやうみょう實じつ實じつじっ名みやう名みやうみょう分ふん分ふんふん明みやう明みやうみょうならならならずずず。。。今日けふ今日けふきょうののの源げん源げんげん氏じ氏じじののの大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐんははは誰たれ誰たれたれ人びと人びとびとにににてててましますましますましますぞぞぞ。。。名な名なな乘の乘ののりりりたまへたまへたまえ。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、伊い伊いい勢せ勢せせののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう進すゝ進すゝすすみみみ出い出いいでででててて、、、「「「あなあなあな事こと事ことこともももおろかおろかおろかややや、、、淸せい淸せいせい和わ和わわ天てん天てんてん皇わう皇わうおうににに十じふ十じふじゅう代だい代だいだいののの後こう後こうこう胤いん胤いんいん、、、鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくら殿どの殿どのどのののの御おん御おんおん弟おとうと弟おとうとおとうと大たい大たいたい夫ふ夫ふふののの判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん殿どの殿どのどのぞぞぞかしかしかし。。。」」」盛もり盛もりもり續つぎ續つぎつぎ聞き聞ききいいいててて、、、「「「さるさるさる事こと事ことことありありあり。。。去さ去ささんんんぬるぬるぬる平へい平へいへい治ぢ治ぢじののの合かつ合かつかっ戰せん戰せんせんににに、、、父ちゝ父ちゝちち討う討ううたたたれれれててて孤みなしご孤みなしごみなしごにににてててありありありしししががが、、、鞍くら鞍くらくら馬ま馬ままのののちごちごちごしししててて、、、後のち後のちのちにににははは金こがね金こがねこがね商あき商あきあき人んど人んどんどののの所しよ所しよしょ從じゆう從じゆうじゅうとととなりなりなり、、、粮らう粮らうろう料れう料れうりょう背せ背せせ負お負おおうううててて、、、奧おく奧おくおくののの方かた方かたかたへへへ落お落おおちちち下くだ下くだくだりりりしししそのそのその小こ小ここ冠くわん冠くわんかん者じや者じやじゃめめめががが事こと事ことことかかか。。。」」」とととぞぞぞいひいひいいけるけるける。。。義よし義よしよし盛もり盛もりもり歩あゆ歩あゆあゆままませせせ寄よ寄よよつつっててて、、、「「「舌した舌したしたのののやはらかやはらかやわらかなるなるなるまゝまゝままににに、、、君きみ君きみきみののの御おん御おんおん事こと事ことことななな申まう申まうもうしししそそそ。。。さささいふいふいうわわわ人ひと人ひとひとどもどもどもこそこそこそ、、、北ほつ北ほつほっ國こく國こくこく礪と礪とと竝なみ竝なみなみ山やま山やまやまののの軍いくさ軍いくさいくさにににうちうちうち負ま負ままけけけ、、、辛から辛からからききき命いのち命いのちいのち生い生いいきききつゝつゝつつ、、、北ほく北ほくほく陸ろく陸ろくろく道だう道だうどうにににさまよひさまよひさまよい、、、乞こつ乞こつこっ食じき食じきじきしししててて上のぼ上のぼのぼつつったりたりたりしししそのそのその人ひと人ひとひとかかか。。。」」」とととぞぞぞいひいひいいけるけるける。。。
  3. 3盛もり盛もりもり續つぎ續つぎつぎかさねかさねかさねててて、、、「「「君きみ君きみきみののの御ご御ごご恩おん恩おんおんににに飽あ飽ああききき滿み滿みみちちちててて、、、何なに何なになにののの不ふ不ふふ足そく足そくそくあつあつあってててかかか乞こつ乞こつこっ食じき食じきじきをををばばばすすすべきべきべき。。。さささいふいふいうわわわ人ひと人ひとひとどもどもどもこそこそこそ、、、伊い伊いい勢せ勢せせののの國くに國くにくに鈴すゞ鈴すゞすず鹿か鹿かか山やま山やまやまにににててて山やま山やまやまだちだちだちししし、、、妻さい妻さいさい子し子ししをををもももはぐゝみはぐゝみはぐくみ、、、わがわがわが身み身みみももも所しよ所しよしょ從じゆう從じゆうじゅうももも過す過すすぎぎぎけるけるけるとととははは聞き聞きききききしかしかしか。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、金かね金かねかね子こ子ここののの十じふ十じふじゅう郎らう郎らうろう進すゝ進すゝすすみみみ出い出いいでででててて、、、「「「せんないせんないせんない殿との殿とのとのばらばらばらががが雜ざふ雜ざふぞう言ごん言ごんごんかなかなかな。。。われわれわれももも人ひと人ひとひともももそらそらそらごとごとごといひいひいいかけかけかけ、、、雜ざふ雜ざふぞう言ごん言ごんごんせせせんんんににに、、、誰たれ誰たれたれかかかははは劣おと劣おとおとるるるべきべきべき。。。去こ去ここ年ぞ年ぞぞののの春はる春はるはる、、、攝つ攝つつ津の津ののののの國くに國くにくに一いち一いちいちののの谷たに谷たにたににににててて、、、武む武むむ藏さし藏さしさし、、、相さが相さがさが摸み摸みみののの若わか若わかわか殿との殿とのとのばらばらばらののの手て手ててなみなみなみののの程ほど程ほどほどをををばばば見み見みみてててんんんものものものををを。。。」」」ととといふいふいう所ところ所ところところににに、、、弟おとうと弟おとうとおとうとののの與よ與よよ一いち一いちいち、、、側そば側そばそばにににありありありけるけるけるががが、、、いはいはいわせせせもももはてはてはてずずず、、、十じふ十じふじゅう二に二にに束そく束そくそく三み三みみぶせぶせぶせ取と取ととつつってててつがひつがひつがい、、、よつよつよっぴいぴいぴいててて、、、ひようひようひょうととと放はな放はなはなつつつ。。。次じ次じじ郎らう郎らうろう兵びやう兵びやうびょう衞ゑ衞ゑえががが鎧よろひ鎧よろひよろいののの胸むな胸むなむな板いた板いたいたににに、、、裏うら裏うらうらかくかくかく程ほど程ほどほどにににぞぞぞ立た立たたつつったりたりたりけるけるける。。。さてさてさてこそこそこそ互たがひ互たがひたがいのののことばことばことば戰いくさ戰いくさいくさはははやみやみやみにににけれけれけれ。。。能の能のの登と登とと殿どの殿どのどの、、、船ふな船ふなふな軍いくさ軍いくさいくさははは樣やう樣やうようあるあるあるものものものぞぞぞとととててて、、、鎧よろひ鎧よろひよろい直ひた直ひたひた垂たれ垂たれたれをををばばば著き著きき給たま給たまたまははわずずず、、、唐から唐からから巻まき巻まきまき染ぞめ染ぞめぞめののの小こ小ここ袖そで袖そでそでににに唐から唐からから綾あや綾あやあや縅をどし縅をどしおどしののの鎧よろひ鎧よろひよろい著き著ききててて、、、いかいかいかものものものづくりづくりずくりののの太た太たた刀ち刀ちちををを佩は佩ははききき、、、二に二にに十じふ十じふじゅう四し四ししさいさいさいたるたるたるたかうすべうたかうすべうたかうすびょうののの矢や矢やや負お負おおひひい、、、滋しげ滋しげしげ籐どう籐どうどうののの弓ゆみ弓ゆみゆみををを持も持ももちちち給たま給たまたまへへえりりり。。。王わう王わうおう城じやう城じやうじょう一いち一いちいちののの強つよ強つよつよ弓ゆみ弓ゆみゆみ精せい精せいせい兵びやう兵びやうびょうなりなりなりけれけれければばば、、、能の能のの登と登とと殿どの殿どのどのののの矢や矢やや先さき先さきさきにににまはるまはるまわるものものもの、、、一ひと一ひとひと人り人りりももも射い射いい落おと落おとおとささされれれずずずととといふいふいう事こと事ことことなしなしなし。。。
  4. 4中なか中なかなかにににももも源げん源げんげん氏じ氏じじののの大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐん九く九くく郎らう郎らうろう義よし義よしよし經つね經つねつねををを、、、唯たゞ唯たゞただ一ひと一ひとひと矢や矢ややににに射い射いい落おと落おとおとさささんんんとととねらはねらはねらわれれれけれけれけれどもどもども、、、源げん源げんげん氏じ氏じじののの方かた方かたかたにににももも心こゝろ心こゝろこころ得え得ええててて、、、伊い伊いい勢せ勢せせののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう義よし義よしよし盛もり盛もりもり、、、奧あう奧あうおう州しう州しうしゅうののの佐さ佐ささ藤とう藤とうとう三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう兵びやう兵びやうびょう衞ゑ衞ゑえ繼つぎ繼つぎつぎ信のぶ信のぶのぶ、、、同おな同おなおなじきじきじき四し四しし郎らう郎らうろう兵びやう兵びやうびょう衞ゑ衞ゑえ忠たゞ忠たゞただ信のぶ信のぶのぶ、、、江え江ええ田だ田だだののの源げん源げんげん三ざう三ざうぞう、、、熊くま熊くまくま井ゐ井ゐいののの太た太たた郎らう郎らうろう、、、武む武むむ藏さし藏さしさし坊ばう坊ばうぼう辨べん辨べんべん慶けい慶けいけいなどなどなどいふいふいう一いち一いちいち人にん人にんにん當たう當たうとう千ぜん千ぜんぜんののの兵つはもの兵つはものつわものどもどもども、、、馬むま馬むまむまののの頭かしら頭かしらかしらををを一いち一いちいち面めん面めんめんににに立た立たたててて竝なら竝ならならべべべててて、、、大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐんののの矢や矢やや面おもて面おもておもてににに馳は馳ははせせせ塞ふさ塞ふさふさがりがりがりけれけれければばば、、、能の能のの登と登とと殿どの殿どのどのももも力ちから力ちからちから及およ及およおよびびび給たま給たまたまははわずずず。。。能の能のの登と登とと殿どの殿どのどの、、、「「「そこそこそこのきのきのき候さふら候さふらそうらへへえ、、、矢や矢やや面おもて面おもておもてののの雜ざふ雜ざふぞう人にん人にんにんばらばらばら。。。」」」とととててて、、、さしさしさしつめつめつめ引ひ引ひひきききつめつめつめ、、、さん〴〵さん〴〵さんざんににに射い射いい給たま給たまたまへへえばばば、、、矢や矢やや庭には庭にはにはににに鎧よろひ鎧よろひよろい武む武むむ者しや者しやしゃ十じつ十じつじっ騎き騎きき許ばか許ばかばかりりり射い射いい落おと落おとおとさささるるる。。。中なか中なかなかにににもももまつまつまつ先さき先さきさきににに進すゝ進すゝすすんんんだるだるだる奧あう奧あうおう州しう州しうしゅうののの佐さ佐ささ藤とう藤とうとう三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう兵びやう兵びやうびょう衞ゑ衞ゑえ繼つぎ繼つぎつぎ信のぶ信のぶのぶははは、、、弓ゆん弓ゆんゆん手で手ででののの肩かた肩かたかたよりよりより馬め馬めめ手て手ててののの脇わき脇わきわきへへへ、、、つとつとつと射い射いい拔ぬ拔ぬぬかかかれれれててて、、、しばししばししばしもももたまらたまらたまらずずず、、、馬むま馬むまむまよりよりより倒さかさま倒さかさまさかさまにににどうどうどうととと落お落おおつつつ。。。
  5. 5能の能のの登と登とと殿どの殿どのどのののの童わらは童わらはわらわににに菊きく菊きくきか王わう王わうう丸まる丸まるまるととといふいふいう大だい大だいだい力ぢから力ぢからじからののの剛かう剛かうこうののの者もの者ものもの、、、萌もえ萌もえもえ黃ぎ黃ぎぎ縅をどし縅をどしおどしののの腹はら腹はらはら巻まき巻まきまきににに三さん三さんさん枚まい枚まいまい兜かぶと兜かぶとかぶとののの緒を緒をををををしめしめしめ、、、打うち打うちうち物もの物ものものののの鞘さや鞘さやさやをををはづいはづいはずいててて、、、繼つぎ繼つぎつぎ信のぶ信のぶのぶががが首くび首くびくびををを取と取ととらららんんんととと飛と飛ととんんんでででかゝるかゝるかかるををを、、、忠たゞ忠たゞただ信のぶ信のぶのぶ側そば側そばそばにににありありありけるけるけるががが、、、兄あに兄あにあにががが首くび首くびくびををを取と取ととらららせせせじじじととと、、、よつよつよっぴいぴいぴいててて、、、ひようひようひょうととと放はな放はなはなつつつ。。。菊きく菊きくきか王わう王わうう丸まる丸まるまるががが草くさ草くさくさ摺ずり摺ずりずりのののはづれはづれはずれををを、、、あなたあなたあなたへへへつとつとつと射い射いい貫ぬ貫ぬぬかかかれれれててて、、、犬いぬ犬いぬいぬ居ゐ居ゐいににに倒たふ倒たふたおれれれぬぬぬ。。。能の能のの登と登とと殿どの殿どのどのこれこれこれををを見み見みみ給たま給たまたまひひいててて、、、左ひだり左ひだりひだりののの手て手ててにににははは弓ゆみ弓ゆみゆみををを持も持ももちちちながらながらながら、、、右みぎ右みぎみぎののの手て手ててにににててて菊きく菊きくきか王わう王わうう丸まる丸まるまるをををつかんつかんつかんででで、、、船ふね船ふねふねへへへからりからりからりととと投な投ななげげげ入い入いいれれれ給たま給たまたまふふう。。。敵かたき敵かたきかたきににに首くび首くびくびははは取と取ととららられれれねねねどもどもども、、、痛いた痛いたいた手で手ででなれなれなればばば死し死ししににににににけりけりけり。。。このこのこの童わらは童わらはわらわととと申まう申まうもうすすすははは、、、もともともとははは越ゑち越ゑちえち前ぜん前ぜんぜんののの三さん三さんさん位み位みみ通みち通みちみち盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょうののの童わらは童わらはわらわなりなりなり。。。然しか然しかしかるるるををを三さん三さんさん位み位みみ討う討ううたたたれれれ給たま給たまたまひひいててて後のち後のちのち、、、弟おとうと弟おとうとおとうと能の能のの登と登とと殿どの殿どのどのにににぞぞぞ使つか使つかつかははわれれれけるけるける。。。生しやう生しやうしょう年ねん年ねんねん十じふ十じふじゅう八はつ八はつはっ歳さい歳さいさいとととぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。能の能のの登と登とと殿どの殿どのどのこのこのこの童わらは童わらはわらわををを討う討ううたたたせせせててて、、、あまりあまりあまりにににあはれあはれあわれににに思おも思おもおもははわれれれけれけれければばば、、、そのそのその後のち後のちのちははは軍いくさ軍いくさいくさをををもももししし給たま給たまたまははわずずず。。。
  6. 6判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんははは繼つぎ繼つぎつぎ信のぶ信のぶのぶををを陣ぢん陣ぢんじんののの後うしろ後うしろうしろへへへかきかきかき入い入いいれれれさせさせさせ、、、急いそ急いそいそぎぎぎ馬むま馬むまむまよりよりより飛と飛ととんんんででで下お下おおりりり、、、手て手ててををを取と取ととつつっててて、、、「「「いかゞいかゞいかが覺おぼ覺おぼおぼゆるゆるゆる三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう兵びやう兵びやうびょう衞ゑ衞ゑえ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、「「「今いま今いまいまはははかうかうこうにににこそこそこそ候さふら候さふらそうらへへえ。。。」」」「「「このこのこの世よ世よよににに思おも思おもおもひひい置お置おおくくく事こと事ことことはははなきなきなきかかか。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、「「「別べち別べちべちににに何なに何なになに事ごと事ごとごとをををかかか思おも思おもおもひひい置お置おおききき候さふらふ候さふらふそうろうべきべきべき。。。さささははは候さふら候さふらそうらへへえどもどもども、、、君きみ君きみきみののの御み御みみ世よ世よよににに渡わた渡わたわたらららせせせ給たま給たまたまふふうををを見み見みみ參まゐ參まゐまいらららせせせずずずしししててて、、、死し死ししににに候さふらふ候さふらふそうろうこそこそこそ心こゝろ心こゝろこころにににかゝりかゝりかかり候さふら候さふらそうらへへえ。。。さささ候さふら候さふらそうらははわでででははは、、、弓ゆみ弓ゆみゆみ矢や矢やや取とり取とりとりははは敵かたき敵かたきかたきののの矢や矢ややににに當あた當あたあたつつっててて死し死ししぬるぬるぬる事こと事ことこと、、、もともともとよりよりより期ご期ごごするするする所ところ所ところところでででこそこそこそ候さふら候さふらそうらへへえ。。。なかんづくなかんづくなかんずく源げん源げんげん平ぺい平ぺいぺいののの御おん御おんおん合かつ合かつかっ戰せん戰せんせんににに、、、奧あう奧あうおう州しう州しうしゅうののの佐さ佐ささ藤とう藤とうとう三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう兵びやう兵びやうびょう衞ゑ衞ゑえ繼つぎ繼つぎつぎ信のぶ信のぶのぶととといひいひいいけんけんけん者もの者ものもの、、、讚さぬ讚さぬさぬ岐き岐ききののの國くに國くにくに八や八やや島しま島しましまののの磯いそ磯いそいそにににててて、、、主しゆう主しゆうしゅうののの御おん御おんおん命いのち命いのちいのちににに代かは代かはかわつつっててて討う討ううたたたれれれたりたりたりなどなどなど、、、末まつ末まつまつ代だい代だいだいまでまでまでののの物もの物ものもの語がたり語がたりがたりににに申まう申まうもうささされれれんんんこそこそこそ、、、今こん今こんこん生じやう生じやうじょうののの面めん面めんめん目ぼく目ぼくぼく、、、冥めい冥めいめい途ど途どどののの思おもひ思おもひおもい出で出ででにににててて候さふら候さふらそうらへへえ。。。」」」とととててて、、、たゞたゞただ弱よわ弱よわよわりりりにににぞぞぞ弱よわ弱よわよわりりりけるけるける。。。
  7. 7判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんははは猛たけ猛たけたけききき武もの武ものもの士のふ士のふのうなれなれなれどもどもども、、、あまりあまりあまりにににあはれあはれあわれににに思おも思おもおもひひい給たま給たまたまひひいててて、、、鎧よろひ鎧よろひよろいののの袖そで袖そでそでををを顏かほ顏かほかおにににおしおしおし當あ當ああてててててて、、、さめざめさめざめさめざめとととぞぞぞ泣な泣ななかかかれれれけるけるける。。。もしもしもしこのこのこの邊へん邊へんへんににに尊たふと尊たふととうとききき僧そう僧そうそうやややあるあるあるとととててて、、、尋たづ尋たづたずねねね出いだ出いだいださささせせせ、、、「「「手て手てて負おひ負おひおいのののたゞたゞただ今いま今いまいま死し死ししににに候さふらふ候さふらふそうろうににに、、、一にち一にちにち日にち日にちにち經きやう經きやうきょう書か書かかいいいててて弔とぶら弔とぶらとぶらひひいたまへたまへたまえ。。。」」」とととててて、、、黑くろ黑くろくろききき馬むま馬むまむまののの太ふと太ふとふとうううたくましきたくましきたくましきににに、、、よいよいよい鞍くら鞍くらくら置お置おおいいいててて、、、かのかのかの僧そう僧そうそうにににぞぞぞたびたびたびにににけるけるける。。。このこのこの馬むま馬むまむまははは、、、判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん五ご五ごご位ゐ位ゐいののの尉じよう尉じようじょうにににならならなられれれししし時とき時ときとき、、、これこれこれをををももも五ご五ごご位ゐ位ゐいににになしなしなしててて、、、大たい大たいたい夫ふ夫ふふ黑ぐろ黑ぐろぐろととと呼よ呼よよばばばれれれししし馬むま馬むまむまなりなりなり。。。一いち一いちいちののの谷たに谷たにたにののの後うしろ後うしろうしろ鵯ひよどり鵯ひよどりひよどり越ごえ越ごえごえをををももも、、、このこのこの馬むま馬むまむまにににてててぞぞぞ落おと落おとおとささされれれけるけるける。。。弟おとうと弟おとうとおとうと忠たゞ忠たゞただ信のぶ信のぶのぶををを始はじ始はじはじめめめとととしししててて、、、これこれこれををを見み見みみるるる侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいどもどもども、、、みなみなみな涙なみだ涙なみだなみだををを流なが流ながながしししててて、、、このこのこの君きみ君きみきみののの御おん御おんおん爲ため爲ためためににに命いのち命いのちいのちををを失うしな失うしなうしなははわんんん事こと事ことことははは、、、全まつた全まつたまったくくく露つゆ露つゆつゆ塵ちり塵ちりちりほどほどほどももも惜を惜をおしからしからしからずずずとととぞぞぞ申まう申まうもうしししけるけるける。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

中でも後藤兵衛実基は老練の武士だったので、浜辺の戦いには加わらず、まず内裏へ乱入して手に手に火を放ち、たちまち煙にして焼き払った。大臣殿(宗盛)が侍たちに「源氏の勢はどれほどあるか」とお尋ねになると、「七、八十騎よりは多くないでしょう」。「ああ情けない。髪の毛を一筋ずつ分けて取っても、この勢には足りなかったものを。取り囲んで討たずに、あわてて船に乗って内裏を焼かせてしまったのが無念だ。能登殿はおられないか。陸に上がって一戦なさい」とおっしゃると、「承知しました」といって、越中次郎兵衛盛継を先頭に総勢五百余人が小舟に乗り、焼き払われた総門の前の汀に押し寄せて陣を取った。判官も八十余騎で、矢の届く距離に寄せて控えた。

平家方から越中次郎兵衛が船の屋形に進み出て、大音声をあげて、「そもそも先ほど名のられたとは聞いたが、海上はるかに隔たって、その仮名・実名がはっきりしない。今日の源氏の大将軍はどなたでいらっしゃるか。名のりなさい」と言ったので、伊勢三郎が進み出て、「言うのも愚かなことよ。清和天皇から十代の後胤、鎌倉殿の御弟、大夫判官殿だぞ」。盛継は聞いて、「そういうことがあった。去る平治の合戦で父が討たれて孤児となり、鞍馬の稚児をして、のちには金売り商人の従者となり、食糧を背負って奥州へ落ちていったという、あの小冠者めのことか」と言った。義盛は馬を歩ませて寄り、「舌のやわらかなのにまかせて、君のことを申すな。そう言うおまえたちこそ、北国の礪波山の戦に負けて、かろうじて命を拾い、北陸道をさまよって、乞食をして都へ上ってきた者どもではないか」と言った。

盛継は重ねて、「君のご恩に飽き満ちて、何の不足があって乞食などしよう。そう言うおまえたちこそ、伊勢国の鈴鹿山で山賊をして、妻子を養い、自分も従者も暮らしていたと聞いたぞ」と言ったので、金子十郎が進み出て、「つまらない殿ばらの悪口だな。われも人もでたらめを言いかけて悪口を言い合ったら、どちらが劣ろうか。去年の春、摂津国一の谷で、武蔵・相模の若殿ばらの腕前のほどは見たはずだ」と言うところに、弟の与一がそばにいたが、言い終わらないうちに、十二束三伏の矢を取ってつがえ、引きしぼってひょうと放った。次郎兵衛の鎧の胸板に、裏まで通るほどに突き立った。これで互いの言葉戦いはやんだ。能登殿は、船戦にはやり方があるといって、鎧直垂は着ず、唐巻染の小袖に唐綾縅の鎧を着て、厳物作りの太刀を佩き、二十四本差した鷹護田鳥尾の矢を負い、滋籐の弓を持っておられた。王城一の強弓の精兵だったので、能登殿の矢先に回る者で、射落とされない者は一人もなかった。

とりわけ源氏の大将軍九郎義経を一矢で射落とそうと狙われたが、源氏方も心得ていて、伊勢三郎義盛、奥州の佐藤三郎兵衛継信、同じく四郎兵衛忠信、江田源三、熊井太郎、武蔵坊弁慶などという一人当千の兵たちが、馬の頭を一列に並べて大将軍の矢面に立ちふさがったので、能登殿もどうしようもない。能登殿は「そこをのけ、矢面の雑兵ども」といって、矢継ぎ早にさんざんに射られたので、たちまち鎧武者が十騎ほど射落とされた。中でもまっ先に進んだ奥州の佐藤三郎兵衛継信は、左の肩から右の脇へ矢をつっと射抜かれて、少しも持ちこたえられず、馬からまっさかさまにどうと落ちた。

能登殿の童で菊王丸という大力の剛の者が、萌黄縅の腹巻に三枚兜の緒をしめ、打物の鞘をはずして、継信の首を取ろうと飛びかかるのを、忠信がそばにいて、兄の首を取らせまいと、引きしぼってひょうと放った。菊王丸は草摺のはずれを向こうへつっと射抜かれて、尻もちをつくように倒れた。能登殿はこれをご覧になって、左の手に弓を持ったまま、右の手で菊王丸をつかんで、船へからりと投げ入れられた。敵に首は取られなかったが、深手なので死んでしまった。この童というのは、もとは越前三位通盛卿の童であった。それが三位が討たれなさってから、弟の能登殿に使われていたのである。年は十八歳と聞こえた。能登殿はこの童を討たせて、あまりに哀れに思われたので、その後は戦もなさらなかった。

判官は継信を陣の後ろへかつぎ入れさせ、急いで馬から飛び降りて手を取り、「どうだ、三郎兵衛」とおっしゃると、「今はもうこれまででございます」「この世に思い残すことはないか」とおっしゃると、「別に何を思い残すことがありましょう。ただ、君が世に栄えておいでになるのをお見届けしないで死ぬことだけが気がかりでございます。そうでなければ、弓矢を取る者が敵の矢に当たって死ぬことは、もとより覚悟のうえでございます。とりわけ源平のご合戦で、奥州の佐藤三郎兵衛継信という者が、讃岐国八島の磯で主君のお命に代わって討たれたなどと、末代までの語り草に言われることこそ、今生の面目、冥途の思い出でございます」といって、ただ弱りに弱っていった。

判官は猛き武士であったが、あまりに哀れに思われて、鎧の袖を顔に押し当ててさめざめと泣かれた。「もしこのあたりに尊い僧はいないか」といって探し出させ、「手負いの者が今死にましたので、一日経を書いて弔ってください」といって、黒い馬で太くたくましいのに、よい鞍を置いて、その僧にお与えになった。この馬は、判官が五位尉になられたとき、これも五位にして大夫黒と呼ばれた馬である。一の谷の鵯越も、この馬で駆け下りられたのであった。弟の忠信をはじめとして、これを見る侍たちはみな涙を流して、この君のためなら命を失うことは露ほども惜しくないと申しあった。

意訳

屋島の合戦の山場の一つで、言葉戦いから弓矢の戦いへ、そして主従の情愛へと場面が移っていく。盛継と義盛の言葉戦いは、互いの大将の素性を罵りあう当時の合戦の作法を伝えるとともに、義経の不遇な少年時代を物語る。

義経の身代わりとなって討たれた継信の最期の言葉は、主君のために命を捨てることを最高の名誉とする武士の理想を語る。一方、愛する童菊王丸を討たれて戦をやめた教経の姿は、平家方にも同じ主従の情があったことを示す。大夫黒を僧に与えて継信を弔う義経の厚情に、侍たちが命も惜しくないと誓う結びは、義経のもとに人が集まった理由をよく伝えている。

語釈・文法注

文法

「古兵」
戦い慣れた老練の武士。
「假名實名分明ならず」
通称(仮名)と実名がはっきりしない。
「金商人の所從」
奥州へ砂金を買いに行く商人(金売り吉次と伝える)の従者。
「わ人」
おまえ。相手をいやしめていう語。
「北國礪竝山の軍」
寿永二年(1183)の倶利伽羅峠の戦い。底本は「礪竝山」と刷る。
「十二束三ぶせ」
矢の長さ。握りこぶし十二個分と指三本分。
「胸板」
鎧の胴の最上部、胸にあたる板。
「たかうすべう」
鷹の羽とうすべう(尾白鷲の羽)を交えた矢羽。
「強弓精兵」
強い弓を引く、すぐれた射手。
「三枚兜」
錣が三段の兜。
「犬居に倒れぬ」
犬が座るように尻もちをついて倒れた。
「一日經」
多くの人で一日のうちに経を書写して供養すること。
「大夫黑」
義経が五位(大夫)になったとき、愛馬も五位にして呼んだ名。

解説

佐藤継信・忠信兄弟は奥州藤原秀衡の家臣で、義経が奥州から挙兵したときに従った。継信は元暦二年(1185)二月十九日の屋島の合戦で、教経の矢から義経をかばって討たれたと伝える。高松市牟礼町には継信の墓と、菊王丸の墓が伝わっている。

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出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、770–774頁(コマ414–416)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日