古典ライブラリー

平家物語 巻第十

三日平氏の事

後を追おうとした舎人武里を滝口入道が止め、維盛の菩提を弔えと諭した。武里は八島へ渡って維盛の弟資盛に遺言を伝え、資盛は兄を疑っていた一門の人々とともに嘆いた。四月、元暦と改元され、頼朝は正四位下に叙せられた。五月、池の大納言頼盛は頼朝に招かれて鎌倉へ下るが、侍の弥平兵衛宗清は、西海に漂う平家一門を思って供をしなかった。頼朝は宗清に会えないことを惜しみ、頼盛には所領を安堵し、多くの引出物を贈って都へ帰した。七月、平家の家人平田入道定次らが伊賀・伊勢で兵を挙げたが、わずか三日で攻め落とされ、これを三日平氏という。

  1. 1舎とね舎とねとね人り人りり武たけ武たけたけ里さと里さとさとももも續つゞ續つゞつづいいいててて海うみ海うみうみににに入い入いいらららんんんとととしししけるけるけるををを、、、聖ひじり聖ひじりひじり取と取ととりりり止とゞ止とゞとどめめめ、、、泣な泣ななく〳〵く〳〵くなく教けう教けうきょう訓くん訓くんくんしししけるけるけるははは、、、「「「いかにいかにいかにうたてくうたてくうたてくももも、、、君きみ君きみきみののの御ご御ごご遺ゆゐ遺ゆゐゆい言ごん言ごんごんをををばばば違たが違たがたがへへえ參まゐ參まゐまいらららせせせんんんとととはははするするするぞぞぞ。。。下げ下げげ臈らふ臈らふろうこそこそこそ猶なほ猶なほなおうたてけれうたてけれうたてけれ。。。今いま今いまいまはははいかにいかにいかにもももしししてててながらへながらへながらへててて、、、御おん御おんおん菩ぼ菩ぼぼ提だい提だいだいををを弔とぶら弔とぶらとぶらひひいまゐらせまゐらせまいらせよよよ。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、「「「後おく後おくおくれれれ奉たてまつ奉たてまつたてまつつつったるたるたる悲かな悲かなかなしさしさしさににに、、、後のち後のちのちののの御おん御おんおん孝けう孝けうきょう養やう養やうようののの事こと事ことことももも覺おぼ覺おぼおぼえええずずず。。。」」」とととててて、、、船ふな船ふなふな底ぞこ底ぞこぞこににに仆たふ仆たふたおれれれ伏ふ伏ふふししし、、、をめきをめきおめき叫さけ叫さけさけびびびししし有あり有ありあり樣さま樣さまさまははは、、、昔むかし昔むかしむかし悉しつ悉しつしっ達だ達だだ太たい太たいたい子し子ししののの檀だん檀だんだん特どく特どくどく山せん山せんせんににに入い入いいらららせせせ給たま給たまたまひひいししし時とき時ときとき、、、車しや車しやしゃ匿のく匿のくのく舎とね舎とねとね人り人りりががが金こん金こんこん泥でい泥でいでい駒こま駒こまこまををを賜たま賜たまたまはつはつわっててて、、、王わう王わうおう宮ぐう宮ぐうぐうににに歸かへ歸かへかえりりりししし悲かな悲かなかなしみしみしみももも、、、これこれこれにににははは過す過すすぎぎぎじじじとととぞぞぞ見み見みみえええししし。。。浮う浮ううきききもももややや上あが上あがあがりりり給たま給たまたまふふうととと、、、暫しば暫しばしばしししははは船ふね船ふねふねをををおしおしおし廻まは廻まはまわしししててて見み見みみけれけれけれどもどもども、、、三さん三さんさん人にん人にんにん共とも共ともともににに深ふか深ふかふかくくく沉しづ沉しづしずみみみててて見み見みみえええ給たま給たまたまははわずずず。。。いつしかいつしかいつしか經きやう經きやうきょう讀よ讀よよみみみ念ねん念ねんねん佛ぶつ佛ぶつぶつしししててて、、、囘ゑ囘ゑえ向かう向かうこうしししけるけるけるこそこそこそあはれあはれあわれなれなれなれ。。。
  2. 2さるさるさる程ほど程ほどほどににに夕せき夕せきせき陽やう陽やうよう西にし西にしにしににに傾かたぶ傾かたぶかたぶいいいててて、、、海かい海かいかい上しやう上しやうしょうももも暗くら暗くらくらくくくなりなりなりけれけれければばば、、、名な名なな殘ごり殘ごりごりははは盡つ盡つつきききせせせずずず思おも思おもおもへへえどもどもども、、、さてさてさてしもしもしもあるあるあるべきべきべき事こと事ことことならならならねねねばばば、、、空むな空むなむなしきしきしき船ふね船ふねふねををを漕こ漕ここぎぎぎ返かへ返かへかえるるる。。。とわたるとわたるとわたる船ふね船ふねふねののの櫂かい櫂かいかいののの雫しづく雫しづくしずく、、、聖ひじり聖ひじりひじりががが袖そで袖そでそでよりよりより傳つた傳つたつたふふう涙なみだ涙なみだなみだ、、、わきわきわきててていづれいづれいずれももも見み見みみえええざりざりざりけりけりけり。。。聖ひじり聖ひじりひじりははは高かう高かうこう野や野ややへへへ歸かへ歸かへかえりりり上のぼ上のぼのぼりりり、、、武たけ武たけたけ里さと里さとさとははは泣な泣ななく〳〵く〳〵くなく八や八やや島しま島しましまへへへ參まゐ參まゐまいりりりけりけりけり。。。御おん御おんおん弟おとうと弟おとうとおとうと新しん新しんしん三さん三さんさん位み位みみののの中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょう殿どの殿どのどのににに御おん御おんおん文ふみ文ふみふみ取と取ととりりり出いだ出いだいだいいいててて奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。これこれこれをををあけあけあけててて見み見みみ給たま給たまたまひひいててて、、、「「「あなあなあな心こゝろ心こゝろこころうううややや。。。わがわがわが思おも思おもおもひひい奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるほどほどほど、、、人ひと人ひとひとははは思おも思おもおもひひい給たま給たまたまははわざりざりざりけるけるけることことことよよよ。。。さらばさらばさらば引ひき引ひきひき具ぐ具ぐぐしししててて、、、一ひと一ひとひと所ところ所ところところにににももも沉しづ沉しづしずみみみはてはてはて給たま給たまたまははわででで、、、所ところ所ところところ々どころ々どころどころににに伏ふ伏ふふさささんんん事こと事ことことこそこそこそ悲かな悲かなかなしけれしけれしけれ。。。大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのももも、、、二に二にに位ゐ位ゐい殿どの殿どのどのももも、、、賴より賴よりより朝とも朝ともともににに心こゝろ心こゝろこころををを通かよ通かよかよははわしししててて都みやこ都みやこみやこへへへこそこそこそおはしおはしおわしたるたるたるらめらめらめとととててて、、、われわれわれらららにににももも心こゝろ心こゝろこころををを置お置おおききき給たま給たまたまひひいしししににに、、、さてさてさてははは那な那なな智ち智ちちののの沖おき沖おきおきにににててて、、、御おん御おんおん身み身みみををを投な投ななげげげてててまし〳〵まし〳〵ましましけるけるける、、、ござんござんござんなれなれなれ。。。さてさてさて御おん御おんおんことばことばことばにににててて申まう申まうもうせせせととと仰おほ仰おほおおせせせられられられししし事こと事ことことはははなきなきなきかかか。。。」」」ととと宣のたま宣のたまのたまへへえばばば、、、「「「御おん御おんおんことばことばことばにににててて申まう申まうもうせせせととと仰おほ仰おほおおせせせ候さふら候さふらそうらひひいしししははは、、、かつかつかつ御ご御ごご覽らん覽らんらんじじじ給たま給たまたまひひいしししやうやうようににに、、、大おほ大おほおお方かた方かたかたののの世せ世せせ閒けん閒けんけんもももものものものうくうくうく、、、あぢきあぢきあじきなさなさなさもももよろづよろづよろず數かず數かずかず添そ添そそひひいててて、、、覺おぼ覺おぼおぼえええさせさせさせまし〳〵まし〳〵ましまし候さふらふ候さふらふそうろうほどほどほどににに、、、人ひと人ひとひと々びと々びとびとにににももも知し知ししらららせせせ參まゐ參まゐまいらららせせせずずずしししててて、、、かやうかやうかようにににならならならせせせたまふたまふたまう御おん御おんおん事こと事ことことははは、、、西さい西さいさい國こく國こくこくにににててて左さ左ささののの中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょう殿どの殿どのどのうせうせうせ給たま給たまたまひひい候さふら候さふらそうらひひいぬぬぬ。。。一いち一いちいちののの谷たに谷たにたににににててて備びつ備びつびっ中ちう中ちうちゅうののの守かみ守かみかみ殿どの殿どのどの討う討ううたたたれれれさせさせさせまし〳〵まし〳〵ましまし候さふら候さふらそうらひひいぬぬぬ。。。御おん御おんおん身み身みみさへさへさへかやうかやうかようにににならならならせせせまし〳〵まし〳〵ましまし候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、いかにいかにいかに各おのおの各おのおのおのおのののの便たよ便たよたよりりりなくなくなく思おぼし思おぼしおぼし召め召めめささされれれ候さふらふ候さふらふそうろうらんらんらんととと、、、たゞたゞただこれこれこれのみのみのみこそこそこそ御おん御おんおん心こゝろ心こゝろこころ苦ぐる苦ぐるぐるしうしうしゅう仰おほ仰おほおおせせせられられられ候さふら候さふらそうらひひいつれつれつれ。。。」」」唐から唐からから皮かは皮かはかわ、、、小こ小ここ烏がらす烏がらすがらすののの事こと事ことことまでまでまでももも、、、こま〴〵こま〴〵こまごまととと語かた語かたかたりりり申まう申まうもうしししたりたりたりけれけれければばば、、、新しん新しんしん三さん三さんさん位み位みみののの中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょう殿どの殿どのどの、、、「「「今いま今いまいまはははわがわがわが身み身みみとてとてとてももも、、、ながらふながらふながらうべしべしべしとととももも覺おぼ覺おぼおぼえええぬぬぬものものものををを。。。」」」とととててて、、、袖そで袖そでそでををを顏かほ顏かほかおにににおしおしおし當あ當ああてててててて、、、さめ〴〵さめ〴〵さめざめとととぞぞぞ泣な泣ななかかかれれれけるけるける。。。故こ故ここ三さん三さんさん位み位みみ殿どの殿どのどのにににいたくいたくいたく似に似にに參まゐ參まゐまいらららせせせ給たま給たまたまひひいたりたりたりしかしかしかばばば、、、これこれこれををを見み見みみるるる侍さぶらひ侍さぶらひさぶらい共ども共どもどもももも、、、さしさしさしつどひつどひつどいててて袖そで袖そでそでをををぞぞぞぬらしぬらしぬらしけるけるける。。。大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのももも、、、二に二にに位ゐ位ゐい殿どの殿どのどのももも、、、このこのこの人ひと人ひとひとははは池いけ池いけいけののの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんのののやうやうようににに賴より賴よりより朝とも朝ともともににに心こゝろ心こゝろこころををを通かよ通かよかよははわしししててて、、、都みやこ都みやこみやこへへへこそこそこそおはしおはしおわしたるたるたるらめらめらめなどなどなど思おも思おもおもひひいゐゐいたれたれたればばば、、、さささはははおはせおはせおわせざりざりざりしかしかしかとととててて、、、今いま今いまいま更さら更さらさらまたまたまたもだえもだえもだえこがれこがれこがれ給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。
  3. 3四し四しし月ぐわつ月ぐわつがつ一ひと一ひとひと日ひ日ひひののの日ひ日ひひ改かい改かいかい元げん元げんげんあつあつあっててて元げん元げんげん曆りやく曆りやくりやくととと號かう號かうこうすすす。。。そのそのその日ひ日ひひ除ぢ除ぢじ目もく目もくもく行おこな行おこなおこなははわれれれててて、、、鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくらののの前さき前さきさきののの右う右うう兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけ賴より賴よりより朝とも朝ともとも上じやう上じやうじょう下げ下げげののの四し四しし位ゐ位ゐいししし給たま給たまたまふふう。。。もともともとははは從じゆ從じゆじゅ下げ下げげののの五ご五ごご位ゐ位ゐいにににててておはせおはせおわせしししががが、、、忽たちま忽たちまたちまちちちににに五ご五ごご階かい階かいかいををを越こ越ここえええ給たま給たまたまふふうこそこそこそめでたけれめでたけれめでたけれ。。。同おな同おなおなじきじきじき三みつ三みつみつ日か日かかののの日ひ日ひひ、、、崇しゆ崇しゆしゅ德とく德とくとく院ゐん院ゐんいんををを神かみ神かみかみととと崇あが崇あがあがめめめ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるべしべしべしとととててて、、、昔むかし昔むかしむかし御おん御おんおん合かつ合かつかっ戰せん戰せんせんありありありししし大おほ大おほおお炊ひ炊ひいののの御み御みみ門かど門かどかどががが末すゑ末すゑすえににに、、、社やしろ社やしろやしろををを建た建たたてててててて宮みや宮みやみや遷うつ遷うつうつしししありありあり。。。これこれこれははは院ゐん院ゐんいんののの御ご御ごご沙さ沙ささ汰た汰たたにににててて、、、内だい内だいだい裏り裏りりにににははは知しろし知しろししろし召め召めめささされれれずずずとととぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。五ご五ごご月ぐわつ月ぐわつがつ四よつ四よつよっ日か日かかののの日ひ日ひひ、、、池いけ池いけいけののの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん賴より賴よりより盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょう關くわん關くわんかん東とう東とうとうへへへ下げ下げげ向かう向かうこう。。。兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけ殿どの殿どのどの常つね常つねつねはははなさけなさけなさけをををかけかけかけ奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、「「「御おん御おんおん方かた方かたかたをををばばば全まつた全まつたまったくくくおろそかおろそかおろそかににに思おも思おもおもひひい奉たてまつ奉たてまつたてまつらららずずず、、、ひとへひとへひとえににに故こ故ここ尼あま尼あまあま御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんののの渡わた渡わたわたらららせせせ給たま給たまたまふふうとととこそこそこそ存ぞん存ぞんぞんじじじ候さふら候さふらそうらへへえ。。。八はち八はちはち幡まん幡まんまん大だい大だいだい菩ぼ菩ぼぼ薩さつ薩さつさつももも御ご御ごご賞しやう賞しやうしょう罰ばつ罰ばつばつ候さふら候さふらそうらへへえ。。。」」」なんどなんどなんど、、、度たび度たびたび々たび々たびたび誓せい誓せいせい狀じやう狀じやうじょうををを以もつ以もつもっててて申まう申まうもうささされれれけりけりけり。。。およそおよそおよそははは兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけばかりばかりばかりこそこそこそ、、、かうかうこうははは思おも思おもおもははわれれれけれけれけれどもどもども、、、自じ自じじ餘よ餘よよののの源げん源げんげん氏じ氏じじ等ら等ららはははいかゞいかゞいかがあらあらあらんんんずずずらんらんらんととと、、、おぼつかなうおぼつかなうおぼつかのう思おも思おもおもははわれれれけるけるけるににに、、、鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくらよりよりより使し使しし者じや者じやじゃををを奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、「「「いそぎいそぎいそぎ下くだ下くだくだりりり給たま給たまたまへへえ。。。」」」「「「故こ故ここ尼あま尼あまあま御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんををを見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるととと存ぞん存ぞんぞんじじじててて、、、とくとくとく見げん見げんげん參ざん參ざんざんににに入い入いいりりり候さふら候さふらそうらははわんんん。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれたりたりたりけれけれければばば、、、大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん下くだ下くだくだりりり給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。
  4. 4こゝこゝここににに彌や彌やや平へい平へいへい兵びやう兵びやうびょう衞ゑ衞ゑえ宗むね宗むねむね淸きよ淸きよきよととといふいふいう侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいありありあり。。。相さう相さうそう傳でん傳でんでん專せん專せんせん一いち一いちいちののの者もの者ものものなりなりなりしししががが、、、相あひ相あひあい具ぐ具ぐぐしししてててももも下くだ下くだくだらららずずず。。。「「「さてさてさていかにいかにいかにややや。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、「「「君きみ君きみきみこそこそこそかくかくかくてててわたらわたらわたらせせせ給たま給たまたまひひい候さふら候さふらそうらへへえどもどもども、、、御ご御ごご一いつ一いついっ家け家けけののの公きん公きんきん達だち達だちだちたちたちたちののの西さい西さいさい海かい海かいかいののの波なみ波なみなみににに漂たゞよ漂たゞよただよははわせせせ給たま給たまたまふふう御おん御おんおん事こと事ことことががが、、、心こゝろ心こゝろこころ苦ぐる苦ぐるぐるしくしくしく候さふら候さふらそうらうううててて、、、未いま未いまいまだだだ安あん安あんあん堵ど堵どどしししてててももも覺おぼ覺おぼおぼえええ候さふら候さふらそうらははわねねねばばば、、、心こゝろ心こゝろこころ少すこ少すこすこししし落おと落おとおとしししすゑすゑすえててて、、、追お追おおつつっさまさまさまにににこそこそこそまゐりまゐりまいり候さふら候さふらそうらははわめめめ。。。」」」とととぞぞぞ申まう申まうもうしししけるけるける。。。大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん恥はづ恥はづはずかしうかしうかしゅう、、、かたはらかたはらかたわらいたくいたくいたく思おぼし思おぼしおぼし召め召めめしししててて、、、「「「まことまことまことににに一いち一いちいち門もん門もんもんににに引ひき引ひきひき別わか別わかわかれれれててて、、、落お落おおちちち止とゞ止とゞとどまつまつまっししし事こと事ことことをををばばば、、、わがわがわが身み身みみながらながらながらいみじいみじいみじとととははは思おも思おもおもははわねねねどもどもども、、、さすがさすがさすが命いのち命いのちいのちももも惜を惜をおしうしうしゅう、、、身み身みみももも捨す捨すすててて難がた難がたがたけれけれければばば、、、なまじひなまじひなまじいににに止とゞ止とゞとどまりまりまりにににききき。。。このこのこの上うへ上うへうえははは下くだ下くだくだらららざるざるざるべきべきべきにににもももあらあらあらずずず。。。遙はる遙はるはるかかかののの旅たび旅たびたびににに赴おもむ赴おもむおもむくくくににに、、、いかでいかでいかでかかか見み見みみ送おく送おくおくらららざるざるざるべきべきべき。。。うけうけうけずずず思おも思おもおもははわばばば落お落おおちちち止とゞ止とゞとどまつまつまっししし時とき時ときとき、、、などなどなどさささはははいはいはいわざりざりざりしししぞぞぞ。。。大だい大だいだい小せう小せうしょう事じ事じじ、、、一いつ一いついっ向かう向かうこう汝なんぢ汝なんぢなんじにににこそこそこそいひいひいいあはせあはせあわせしかしかしか。。。」」」ととと宣のたま宣のたまのたまへへえばばば、、、宗むね宗むねむね淸きよ淸きよきよ居ゐ居ゐい直なほ直なほなおりりり、、、畏かしこ畏かしこかしこまつまつまっててて申まう申まうもうしししけるけるけるははは、、、「「「あはれあはれあわれ高たか高たかたかきききももも賤いや賤いやいやしきしきしきももも、、、人ひと人ひとひとののの身み身みみににに命いのち命いのちいのち程ほど程ほどほど惜を惜をおしきしきしきものものものやはやはやは候さふらふ候さふらふそうろう。。。されされさればばば世よ世よよをををばばば捨す捨すすつれつれつれどもどもども、、、身み身みみをををばばば捨す捨すすてててずずずとととこそこそこそ申まう申まうもうししし傳つた傳つたつたへへえててて候さふらふ候さふらふそうろうなれなれなれ。。。御おん御おんおん止とゞ止とゞとどまりまりまりををを惡あ惡ああしししとととにににははは存ぞん存ぞんぞんじじじ候さふら候さふらそうらははわずずず。。。兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけももも、、、かひかひかいなきなきなき命いのち命いのちいのちををを助たす助たすたすけけけられられられ參まゐ參まゐまいらららせせせててて候さふら候さふらそうらへへえばばばこそこそこそ、、、今日けふ今日けふきょうははは斯か斯かかかるかるかる幸さいは幸さいはさいわひひいにににもももあひあひあい候さふら候さふらそうらへへえ。。。流る流るる罪ざい罪ざいざいせせせられられられ候さふら候さふらそうらひひいししし時とき時ときとき、、、故こ故ここ尼あま尼あまあま御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんののの仰おほ仰おほおおせせせにににててて、、、近あふ近あふおう江み江みみののの國くに國くにくに篠しの篠しのしの原はら原はらはらののの宿しゆく宿しゆくしゅくまでまでまでうちうちうち送おく送おくおくつつったりたりたりししし事こと事ことことなどなどなど、、、今いま今いまいまににに忘わす忘わすわすれれれずずずととと候さふらふ候さふらふそうろうなれなれなればばば、、、御おん御おんおん供とも供ともともにににまかりまかりまかり下くだ下くだくだつつっててて候さふら候さふらそうらははわばばば、、、定さだ定さださだめめめててて引ひき引ひきひき出で出でで物もの物ものもの饗きやう饗きやうきょう應おう應おうおうなどなどなどししし候さふら候さふらそうらははわんんんずずずらんらんらん。。。それそれそれにににつけつけつけてててももも西さい西さいさい海かい海かいかいののの波なみ波なみなみののの上うへ上うへうえににに漂たゞよ漂たゞよただよははわせせせ給たま給たまたまふふう御ご御ごご一いつ一いついっ家け家けけののの公きん公きんきん達だち達だちだちたちたちたち、、、またはまたはまたわ同どう同どうどう隷れい隷れいれいどもどもどものののかへりかへりかえり聞き聞ききかかかんんんずるずるずる所ところ所ところところももも、、、いひいひいいがひがひがいなうなうのう覺おぼ覺おぼおぼえええ候さふらふ候さふらふそうろう。。。遙はる遙はるはるかかかののの旅たび旅たびたびににに赴おもむ赴おもむおもむかかかせせせ給たま給たまたまふふう御おん御おんおん事こと事ことことははは、、、まことまことまことににに覺おぼ覺おぼおぼ束つか束つかつかなうなうのう思おも思おもおもひひい參まゐ參まゐまいらららせせせ候さふら候さふらそうらへへえどもどもども、、、敵かたき敵かたきかたきをををももも攻せ攻せせめめめににに御おん御おんおん下くだ下くだくだりりり候さふら候さふらそうらははわばばば、、、まづまづまず一いち一いちいち陣ぢん陣ぢんじんにににこそこそこそ候さふらふ候さふらふそうろうべけれべけれべけれどもどもども、、、これこれこれははは參まゐ參まゐまいらららずずずともともとも、、、更さら更さらさらににに御おん御おんおん事こと事ことこと闕か闕かかけけけ候さふらふ候さふらふそうろうまじまじまじ。。。兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけ殿どの殿どのどの尋たづ尋たづたずねねね申まう申まうもうささされれれ候さふら候さふらそうらははわばばば、、、折をり折をりおりふしふしふし相あひ相あひあい勞いたは勞いたはいたわるるる事こと事ことことありありありてててととと、、、仰おほ仰おほおおせせせられられられ候さふらふ候さふらふそうろうべしべしべし。。。」」」とととててて、、、涙なみだ涙なみだなみだをををおさへおさへおさえててて止とゞ止とゞとどまりまりまりぬぬぬ。。。これこれこれををを聞き聞ききくくく侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいどもどもども、、、皆みな皆みなみな袖そで袖そでそでをををぞぞぞ濡ぬ濡ぬぬらしらしらしけるけるける。。。大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんにが〳〵しうにが〳〵しうにがにがしゅう、、、かたはらかたはらかたわらいたくいたくいたく思おも思おもおもははわれれれけれけれけれどもどもども、、、このこのこの上うへ上うへうえははは下くだ下くだくだらららざるざるざるべきべきべきにににもももあらあらあらずずずとととててて、、、やがてやがてやがて立た立たたちちち給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。
  5. 5同おな同おなおなじきじきじき十じふ十じふじゅう六ろく六ろくろく日にち日にちにち、、、池いけ池いけいけののの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん賴より賴よりより盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょう關くわん關くわんかん東とう東とうとうへへへ下げ下げげ著ちやく著ちやくちゃく。。。兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけ殿どの殿どのどのいそぎいそぎいそぎ對たい對たいたい面めん面めんめんをををししし給たま給たまたまひひいててて、、、まづまづまず、、、「「「宗むね宗むねむね淸きよ淸きよきよはははいかにいかにいかに。。。」」」ととと問と問ととはははれれれけれけれければばば、、、「「「折をり折をりおりふしふしふし相あひ相あひあい勞いたは勞いたはいたわるるる事こと事ことことありありありててて。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、「「「いかにいかにいかに何なに何なになにをををいたはりいたはりいたわり候さふらふ候さふらふそうろうやらんやらんやらん。。。なほなほなお意い意いい趣しゆ趣しゆしゅををを存ぞん存ぞんぞんじじじ候さふらふ候さふらふそうろうにににこそこそこそ。。。先せん先せんせん年ねん年ねんねんあのあのあの宗むね宗むねむね淸きよ淸きよきよががが許もと許もともとににに預あづ預あづあずけけけ置お置おおかかかれれれ候さふら候さふらそうらひひいししし時とき時ときとき、、、事こと事ことことににに觸ふ觸ふふれれれてててなさけなさけなさけ深ふか深ふかふこううう候さふら候さふらそうらひひいしかしかしかばばば、、、あはれあはれあわれ御おん御おんおん供とも供ともともにににまかりまかりまかり下くだ下くだくだりりり候さふら候さふらそうらへへえかしかしかし。。。とくとくとく見げん見げんげん參ざん參ざんざんににに入い入いいらららんんんととと、、、こひしうこひしうこいしゅう存ぞん存ぞんぞんじじじててて候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、恨うら恨うらうらめしうめしうめしゅうももも下くだ下くだくだりりり候さふら候さふらそうらははわぬぬぬものものものかなかなかな。。。」」」とととててて、、、知ち知ちち行ぎやう行ぎやうぎょうすすすべきべきべき莊しやう莊しやうしょう園ゑん園ゑんえん狀じやう狀じやうじょうどもどもどもあまたあまたあまたなしなしなし設まう設まうもうけけけ、、、さま〴〵さま〴〵さまざまののの引ひき引ひきひき出で出でで物もの物ものものをををたばたばたばんんんととと用よう用ようよう意い意いいせせせられられられたりたりたりけれけれければばば、、、東とう東とうとう國ごく國ごくごくののの大だい大だいだい名みやう名みやうみょう、、、小せう小せうしょう名みやう名みやうみょう、、、われも〳〵われも〳〵われもわれもととと引ひき引ひきひき出で出でで物もの物ものものををを用よう用ようよう意い意いいしししててて待ま待ままつつつ所ところ所ところところににに、、、下くだ下くだくだらららざりざりざりけれけれければばば、、、上じやう上じやうじょう下げ下げげ、、、本ほ本ほほ意い意いいなきなきなき事こと事ことことどもどもどもにににてててぞぞぞありありありけるけるける。。。
  6. 6六ろく六ろくろく月ぐわつ月ぐわつがつ九こゝの九こゝのここの日か日かかののの日ひ日ひひ、、、池いけ池いけいけののの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん賴より賴よりより盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょう都みやこ都みやこみやこへへへ歸かへ歸かへかえりりり上のぼ上のぼのぼりりり給たま給たまたまふふう。。。兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけ殿どの殿どのどの、、、「「「今いま今いまいま暫しば暫しばしばくくくははは斯か斯かかくくくてててもももおはせおはせおわせよよよかしかしかし。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえどもどもども、、、大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん、、、都みやこ都みやこみやこにににおぼつかなうおぼつかなうおぼつかのう思おも思おもおもふふうらんらんらんとととててて、、、やがてやがてやがて立た立たたちちち給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。知ち知ちち行ぎやう行ぎやうぎょうししし給たま給たまたまふふうべきべきべき莊しやう莊しやうしょう園ゑん園ゑんえん私し私しし領りやう領りやうりょう、、、一いつ一いついっ所しよ所しよしょももも相さう相さうそう違ゐ違ゐいあるあるあるべからべからべからずずず、、、竝ならび竝ならびならびににに大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんににになしなしなしかへかへかえさるさるさるべきべきべき由よし由よしよし、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうへへへ申まう申まうもうさささるるる。。。鞍くら鞍くらくら置お置おおききき馬むま馬むまむま三さん三さんさん十じつ十じつじっ匹ぴき匹ぴきぴき、、、はだかはだかはだか馬むま馬むまむま三さん三さんさん十じつ十じつじっ匹ぴき匹ぴきぴき、、、長なが長ながなが持もち持もちもち三さん三さんさん十じつ十じつじっ枝えだ枝えだえだににに、、、金こがね金こがねこがね、、、巻まき巻まきまき絹ぎぬ絹ぎぬぎぬ、、、染そめ染そめそめ物もの物ものもの風ふ風ふふ情ぜい情ぜいぜいののの物もの物ものものををを入い入いいれれれててて奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけ殿どの殿どのどのかやうかやうかようにににししし給たま給たまたまふふう上うへ上うへうえははは、、、東とう東とうとう國ごく國ごくごくののの大だい大だいだい名みやう名みやうみょう、、、小せう小せうしょう名みやう名みやうみょう、、、われもわれもわれもわれもわれもわれもととと引ひき引ひきひき出で出でで物もの物ものものををを奉たてまつ奉たてまつたてまつらららるるる。。。馬むま馬むまむまだにだにだにももも三さん三さんさん百びやく百びやくびゃく匹ぴき匹ぴきぴきまでまでまでありありありけりけりけり。。。池いけ池いけいけののの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん賴より賴よりより盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょうははは命いのち命いのちいのち生い生いいききき給たま給たまたまふふうのみのみのみならならならずずず、、、かた〴〵かた〴〵かたがた德とく德とくとくついついついててて都みやこ都みやこみやこへへへ歸かへ歸かへかえりりり上のぼ上のぼのぼららられれれけりけりけり。。。
  7. 7同おな同おなおなじきじきじき十じふ十じふじゅう八はち八はちはち日にち日にちにち、、、肥ひ肥ひひ後ご後ごごののの守かみ守かみかみ定さだ定さださだ能よし能よしよしががが叔を叔をお父ぢ父ぢじ平ひら平ひらひら田た田たたののの入にふ入にふにゅう道だう道だうどう定さだ定さださだ次つぐ次つぐつぐををを先さき先さきさきとととしししててて、、、伊い伊いい賀が賀がが、、、伊い伊いい勢せ勢せせ兩りやう兩りやうりょう國ごく國ごくごくののの官くわん官くわんかん兵びやう兵びやうびょう等ら等らら、、、近あふ近あふおう江み江みみののの國くに國くにくにへへへうつうつうっててて出い出いいでででたりたりたりけれけれければばば、、、源げん源げんげん氏じ氏じじののの末ばつ末ばつばつ葉えふ葉えふよう等ら等らら發はつ發はつはっ向かう向かうこうしししててて合かつ合かつかっ戰せん戰せんせんをををいたすいたすいたす。。。同おな同おなおなじきじきじき二に二にに十じふ十じふじゅう日にち日にちにちののの日ひ日ひひ、、、伊い伊いい賀が賀がが、、、伊い伊いい勢せ勢せせ兩りやう兩りやうりょう國ごく國ごくごくののの官くわん官くわんかん兵びやう兵びやうびょう等ら等らら、、、しばししばししばしもももたまらたまらたまらずずず攻せ攻せせめめめ落おと落おとおとさささるるる。。。平へい平へいへい家け家けけ相さう相さうそう傳でん傳でんでんののの家け家けけ人にん人にんにんにににててて、、、昔むかし昔むかしむかしのののよしみよしみよしみををを忘わす忘わすわすれれれぬぬぬ事こと事ことことはははあはれあはれあわれなれなれなれどもどもども、、、思おも思おもおもひひい立た立たたつつつこそこそこそおほけなけれおほけなけれおおけなけれ。。。三みつ三みつみつ日か日かか平へい平へいへい氏し氏ししとととはははこれこれこれなりなりなり。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

舎人の武里も続いて海に入ろうとしたのを、聖が取り押さえ、泣く泣く教え諭すには、「なんと情けないことに、君のご遺言にそむき申そうとするのか。身分の低い者はやはり情けない。今はどうにかして生きながらえて、ご菩提をお弔い申せ」と言ったので、「後に残された悲しさに、後のご供養のことも考えられませんでした」といって、舟底に倒れ伏し、わめき叫んだありさまは、昔、悉達太子が檀特山にお入りになったとき、車匿舎人が金泥駒をいただいて王宮に帰った悲しみも、これにはまさるまいと見えた。浮かび上がりなさるかと、しばらくは舟を漕ぎめぐらして見たけれども、三人とも深く沈んでお姿は見えない。いつのまにか経を読み念仏して回向したのは哀れであった。

やがて夕日が西に傾いて、海上も暗くなったので、名残は尽きないと思うけれども、そうしてばかりもいられないので、空しい舟を漕ぎ返した。海を渡る舟の櫂の雫と、聖の袖から伝う涙とは、区別もつかなかった。聖は高野へ帰り、武里は泣く泣く八島へ参った。御弟の新三位中将殿(資盛)にお手紙を取り出して差し上げた。これを開けてご覧になって、「ああ情けない。私が思い申しているほど、あの方は思ってくださらなかったのだな。それなら連れていって、一つ所にも沈みはてず、別々の所に屍を横たえることになるのが悲しい。大臣殿も二位殿も、頼朝に心を通じて都へ行かれたのだろうといって、われらにも隔てを置いておられたのに、それでは那智の沖で身を投げておられたのだな。さて、言葉で申せと仰せられたことはないか」とおっしゃると、「言葉で申せと仰せになりましたのは、『ご覧のとおり、世の中もすべてもの憂く、つまらなさもいろいろと重なって思われましたので、人々にもお知らせ申さずに、このようになりました。西国では左中将殿(清経)が亡くなられました。一の谷では備中守殿(師盛)が討たれなさいました。わが身までもこのようになりましたので、さぞ皆さまは心細くお思いになるだろうと、ただそれだけが心苦しい』と仰せられました」。唐皮・小烏のことまでもこまごまと語り申したので、新三位中将殿は、「今はわが身とても、生きながらえようとも思われないものを」といって、袖を顔に押し当ててさめざめと泣かれた。故三位殿(維盛)によく似ておられたので、これを見る侍たちも集まって袖を濡らした。大臣殿も二位殿も、この人は池の大納言(頼盛)のように頼朝に心を通じて都へ行かれたのだろうなどと思っていたので、そうではなかったのかと、今さらまた身もだえして嘆かれた。

四月一日に改元があって元暦と号した。その日除目が行われて、鎌倉の前右兵衛佐頼朝は正四位下に叙せられた。もとは従五位下でいらしたのが、一度に五階を越えられたのはめでたいことである。同じく三日、崇徳院を神として崇め申すべきだということで、昔ご合戦のあった大炊御門の末に社を建てて遷宮があった。これは院のご沙汰で、内裏はご存じないと聞こえた。五月四日、池の大納言頼盛卿が関東へ下向した。兵衛佐殿は常に情けをかけ申して、「あなたを決しておろそかには思い申しません。ひとえに故尼御前(池禅尼)がおいでになると思っております。八幡大菩薩もご照覧ください」などと、たびたび誓状をもって申されていた。おおよそ兵衛佐だけはそう思われたけれども、ほかの源氏たちはどうであろうかと気がかりに思っておられたところ、鎌倉から使者をよこして、「急いでお下りください」「故尼御前にお会いする思いで、早くお目にかかりたい」と申されたので、大納言は下られた。

ここに弥平兵衛宗清という侍がいた。代々仕えてきた第一の者であったが、供をして下らなかった。「さてどうしたのか」とおっしゃると、「君はこうしておいでになりますが、ご一家の公達が西海の波に漂っておられることが心苦しくて、まだ心が落ち着きませんので、少し気持ちを落ち着けてから、追ってまいりましょう」と申した。大納言は恥ずかしく、きまり悪く思われて、「本当に一門と別れて都にとどまったことを、われながらりっぱだとは思わないが、やはり命も惜しく、身も捨てがたかったので、なまじっかとどまってしまったのだ。こうなった上は下らないわけにもいかない。遠い旅に出るのに、どうして見送らないことがあろう。不服に思うなら、とどまったとき、なぜそう言わなかったのか。大小のことはすべておまえにこそ相談したではないか」とおっしゃると、宗清は居住まいを正し、かしこまって申すには、「まことに身分の高い者も低い者も、人の身に命ほど惜しいものがありましょうか。だから世は捨てても身は捨てないと申し伝えております。お残りになったのを悪いとは思いません。兵衛佐も、かいのない命をお助けいただいたからこそ、今日このような幸運にもあったのです。流罪になりましたとき、故尼御前の仰せで、近江国篠原の宿まで送っていったことなどを、今も忘れていないということですから、お供をして下りましたら、きっと引出物やもてなしなどをするでしょう。それにつけても、西海の波の上に漂っておられるご一家の公達や、仲間たちが伝え聞くところも、情けなく思われます。遠い旅にお出かけになることは本当に気がかりに思い申しますが、敵を攻めにお下りになるのなら、まず先陣を務めるべきですが、これは私が参らなくても、少しもご不自由はありますまい。兵衛佐殿がお尋ねになったら、あいにく病気をいたわっておりますと仰せください」といって、涙をおさえて残った。これを聞く侍たちもみな袖を濡らした。大納言は苦々しく、きまり悪く思われたが、こうなった上は下らないわけにもいかないといって、すぐに出立された。

同じく十六日、池の大納言頼盛卿が関東に下着した。兵衛佐殿は急いで対面されて、まず「宗清はどうしましたか」と問われたので、「あいにく病気をいたわることがあって」とおっしゃると、「何をいたわっているのでしょう。やはり含むところがあるのでしょう。先年あの宗清のもとに預けられておりましたとき、何かにつけて情け深くしてくれましたので、ぜひお供をして下ってきてほしかった。早く会いたいと恋しく思っておりましたのに、恨めしくも下ってこないものですね」といって、知行させるべき荘園の下文をたくさん用意し、さまざまの引出物を与えようと用意されていたので、東国の大名・小名もわれもわれもと引出物を用意して待っていたところ、下ってこなかったので、上下ともに残念なことであった。

六月九日、池の大納言頼盛卿は都へお帰りになった。兵衛佐殿は「もうしばらくはこうしておいでなさい」とおっしゃったが、大納言は、都で気がかりに思っているだろうといって、すぐに出立された。知行なさるべき荘園・私領は一か所も違うことがあってはならない、また大納言に還任させるべきことを、法皇へ申された。鞍置き馬三十匹、裸馬三十匹、長持三十枝に金・巻絹・染物などの品を入れて贈った。兵衛佐殿がこのようになさるうえは、東国の大名・小名もわれもわれもと引出物を贈られた。馬だけでも三百匹にもなった。池の大納言頼盛卿は命が助かったばかりでなく、あれこれと得をして都へお帰りになった。

同じく十八日、肥後守定能の叔父平田入道定次を先頭として、伊賀・伊勢両国の官兵たちが近江国へ打って出たので、源氏の末流の者たちが向かって合戦をした。同じく二十日、伊賀・伊勢両国の官兵たちは、少しも持ちこたえられずに攻め落とされた。平家代々の家人として昔のよしみを忘れなかったことは哀れであるが、思い立ったのは身の程知らずであった。三日平氏とはこれである。

意訳

維盛の入水を見届けた武里の悲しみと、八島で遺言を聞いた資盛の嘆きから、話は鎌倉と都の動きへと移る。維盛を頼盛のように二心ありと疑っていた一門の人々の後悔は、追いつめられた平家の中に生まれた疑心暗鬼を物語っている。

頼盛の鎌倉下向をめぐる宗清の言葉は、命を惜しむ心を責めはしないが、西海に漂う主家を思えば恩賞目当てに敵のもとへは行けないという、家人としての節義を示している。頼朝が頼盛を厚遇する一方で、宗清に会えないことを惜しんだのも、その節義を重んじたからであろう。巻末の三日平氏は、平家の家人たちの旧恩を忘れぬ志と、その挙兵のはかなさとを短く語る。

語釈・文法注

文法

「悉達太子」「車匿舎人」
出家前の釈迦(悉達太子)が檀特山に入ったとき、従者の車匿が愛馬の金泥駒(犍陟)を連れて王宮に帰ったという故事。
「とわたる船」
海峡(と)を渡る船。
「ござんなれ」
「にこそあるなれ」の約。…であったのだな。
「上下の四位」
底本は「上下」と刷り、ふりがなは「じやうげ」。正四位下の意。
「從下の五位」
従五位下。
「崇德院を神と崇め奉る」
保元の乱に敗れて讃岐で亡くなった崇徳院の怨霊を鎮めるため、大炊御門の旧御所跡に社を建てた(粟田宮)。
「故尼御前」
池禅尼。頼盛の母で、平治の乱の後、清盛に頼朝の助命を願った。
「相傳專一の者」
代々仕えてきた第一の家臣。
「うけず思はば」
承知できない(不服だ)と思うならば。
「篠原の宿」
近江国野洲郡の宿駅。伊豆へ流される頼朝を宗清がここまで送った。
「莊園狀」
荘園の領有を認める文書。
「肥後の守定能」
底本は「定能」と刷る。通行本文は「貞能」。
「三日平氏」
元暦元年(1184)七月、伊賀・伊勢の平家家人が挙兵したが、わずか三日で鎮圧されたことからの呼び名。

解説

平頼盛は元暦元年(1184)五月に鎌倉へ下り、頼朝から所領の安堵を受けて六月に帰京した(『吾妻鏡』)。弥平兵衛宗清(平宗清)は、平治の乱の後に頼朝を捕らえた人物で、頼朝は池禅尼とともにその恩を忘れなかったという。三日平氏の乱で平田家継(定次)は討たれ、伊勢・伊賀の平家勢力はほぼ一掃された。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、748–753頁(コマ403–405)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日