平家物語 巻第十
維盛入水の事
熊野三山の参詣を終えた維盛は、浜の宮から小舟で沖へ漕ぎ出し、山成の島の松の木を削って、祖父清盛・父重盛と自分の法名を記し、寿永三年三月二十八日に那智の沖で入水すると書きつけた。海の上で、なお都の妻子が便りを待っているだろうと思うと念仏も乱れ、妻子を持ったことが後世の妨げになったと悔やむ。滝口入道は、恩愛の情は断ちがたいが、出家の功徳は莫大で、阿弥陀の本願を信じれば必ず来迎があり、悟りを開いて妻子を導くこともできると励ました。維盛は妄念をひるがえし、念仏を百遍ほど唱えて海に身を投げ、重景と石童丸も続いて沈んだ。
- 1三三みつつつののの御御お山山やまののの參參さん詣詣けい、、、事事こと故故ゆえなうなうのう遂遂とげげげ給給たまひひいしかしかしかばばば、、、濱濱はまののの宮宮みやととと申申もうししし奉奉たてまつるるる王王おう子子じののの御御おん前前まえよりよりより、、、一一いち葉葉ようののの船船ふねににに棹棹さおしししててて萬萬ばん里里りののの滄滄そう海海かいににに浮浮うかびびび給給たまふふう。。。遙遙はるかかかののの沖沖おきににに山山やまなりなりなりののの島島しまととといふいふいう所所ところありありありききき。。。中中ちゅう將將じょうそれそれそれににに船船ふね漕漕こぎぎぎ寄寄よせせせさせさせさせ、、、岸岸きしににに上上あがりりり、、、大大おおきききなるなるなる松松まつののの木木きををを削削けずつつっててて、、、泣泣なく〳〵く〳〵くなく名名めい籍籍せきをををぞぞぞ書書かきききつけつけつけられられられけるけるける。。。「「「祖祖そ父父ふ太太だい政政じょう大大だい臣臣じん平平たいらののの朝朝あ臣臣そん淸淸きよ盛盛もり公公こう法法ほう名名みょう淨淨じょう海海かい、、、親親しん父父ぷ小小こ松松まつののの内内ない大大だい臣臣じんののの左左さ大大だい將將しょう重重しげ盛盛もり公公こう法法ほう名名みょう淨淨じょう蓮蓮れん、、、三三さん位位みののの中中ちゅう將將じょう維維これ盛盛もり法法ほう名名みょう淨淨じょう圓圓えん、、、年年とし二二に十十じゅう七七しち歳歳さい、、、壽壽じゅ永永えい三三さん年年ねん三三さん月月がつ二二に十十じゅう八八はち日日にち、、、那那な智智ちののの沖沖おきにににててて入入じゅ水水すいすすす。。。」」」ととと書書かきききつけつけつけててて、、、又又また船船ふねににに乘乘のりりり、、、沖沖おきへへへぞぞぞ漕漕こぎぎぎ出出いででで給給たまひひいけるけるける。。。
- 2思思おもひひい切切きりりりぬるぬるぬる道道みちなれなれなれどもどもども、、、今今いまはははののの時時ときにににもももなりなりなりぬれぬれぬればばば、、、さすがさすがさすが心心こころ細細ぼそううう悲悲かなしからしからしからずずずととといふいふいう事事ことなしなしなし。。。頃頃ころははは三三さん月月がつ二二に十十じゅう八八はち日日にちののの事事ことなれなれなればばば、、、海海かい路路ろ遙遙はるかかかににに霞霞かすみみみわたりわたりわたり、、、哀哀あわれれれををを催催もよおすすすたぐひたぐひたぐいかなかなかな。。。たゞたゞただ大大おお方方かたののの春春はるだにだにだにももも、、、暮暮くれれれゆくゆくゆく空空そらはははものものものうきうきうきににに、、、況況いわんんんやややこれこれこれははは今日今日きょうををを最最さい後後ご、、、たゞたゞただ今今いまかぎりかぎりかぎりののの事事ことなれなれなればばば、、、さこそさこそさこそははは心心こころ細細ぼそかりかりかりけめけめけめ。。。沖沖おきののの釣釣つり舟舟ぶねののの波波なみににに消消きえええ入入いるるるやうやうようににに覺覺おぼゆるゆるゆるががが、、、さすがさすがさすが沉沉しずみみみもももはてはてはてぬぬぬををを見見み給給たまふふうにににつけつけつけてててももも、、、御御おん身身みののの上上うえとととややや思思おもははわれれれけんけんけん。。。おのおのおのががが一一ひと行行つら引引ひきききつれつれつれててて、、、今今いまはははととと歸歸かえるるる鴈鴈かりがねののの、、、越越こし路路じをををさしさしさしててて啼啼なききき行行ゆくくくももも、、、故故こ鄕鄕きょうへへへことづてことづてことずてせせせまほしくまほしくまほしく、、、蘇蘇そ武武ぶががが胡胡こ國國こくののの恨恨うらみみみまでまでまで、、、思思おもひひい殘殘のこせせせるるる隈隈くまもももなしなしなし。。。
- 3こここはははされされさればばば何何なに事事ごとぞぞぞややや。。。なほなほなお妄妄もう執執じゅうののの盡盡つきききぬぬぬにににこそこそこそととと思思おもひひい返返かえししし、、、西西にしににに向向むかひひい手手てををを合合あははわせせせ、、、念念ねん佛佛ぶつしししたまふたまふたまう心心こころののの中中うちにににももも、、、さてさてさてももも都都みやこにににははは、、、今今いまをををかぎりかぎりかぎりとととはははいかでいかでいかでかかか知知しるるるべきべきべきなれなれなればばば、、、風風かぜののの便便たよりりりのののおとづれおとづれおとずれをををももも、、、今今いまや〳〵や〳〵やいまやとととこそこそこそ待待またたたんんんずずずらめらめらめととと思思おもははわれれれけれけれければばば、、、合合がっ掌掌しょうをををみだりみだりみだり、、、念念ねん佛佛ぶつををを止止とどめめめ、、、聖聖ひじりににに向向むかつつってててのたまひのたまひのたまいけるけるけるははは、、、「「「哀哀あわれれれ人人ひとののの身身みににに、、、妻妻さい子子しととといふいふいうものものものをををばばば持持もつつつまじかりまじかりまじかりけるけるけるものものものかなかなかな。。。今今こん生生じょうにににててて物物ものををを思思おもははわするするするのみのみのみならならならずずず、、、後後ご世世せ菩菩ぼ提提だいののの妨妨さまたげげげとととなりなりなりぬるぬるぬることことことこそこそこそ口口くち惜惜おしけれしけれしけれ。。。たゞたゞただ今今いまももも思思おもひひい出出いでででたるたるたるぞぞぞややや。。。かやうかやうかようののの事事ことををを心心しん中中ちゅうににに殘殘のこせせせばばば、、、あまりあまりあまりににに罪罪つみ深深ふかかんかんかんなるなるなる閒閒あいだ、、、懺懺さん悔悔げするするするなりなりなり。。。」」」とととぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。
- 4聖聖ひじりもももあはれあはれあわれににに思思おもははわれれれけれけれけれどもどもども、、、われわれわれさへさへさへ心心こころ弱弱よおうううてててははは叶叶かなははわじじじとととややや思思おもひひいけんけんけん、、、涙涙なみだおしおしおし拭拭のごひひい、、、さらさらさらぬぬぬ體體ていにににもてなしもてなしもてなし、、、「「「あはれあはれあわれ高高たかきききももも賤賤いやしきしきしきももも、、、恩恩おん愛愛あいののの道道みちははは思思おもひひい切切きららられれれぬぬぬ事事ことにににててて候候そうらへへえばばば、、、まことまことまことにににさこそさこそさこそははは思思おぼし召召めささされれれ候候そうろうらめらめらめ。。。中中なかにににももも夫夫ふ妻妻さいははは一一いち夜夜やののの枕枕まくらををを竝竝ならぶるぶるぶるももも、、、五五ご百百ひゃく生生しょうののの宿宿しゅく緣緣えんととと承承うけたまわれれればばば、、、先先せん世世ぜののの契契ちぎりりり淺淺あさからからからずずず候候そうろう。。。生生しょう者者じゃ必必ひっ滅滅めつ、、、會會え者者しゃ定定じょう離離りはははうきうきうき世世よのののならひならひならいにににててて候候そうろうなりなりなり。。。末末すえののの露露つゆ、、、もともともとののの雫雫しずくのののためしためしためしあれあれあればばば、、、たとひたとひたとい遲遲ち速速そくののの不不ふ同同どうありありありととといふいふいうともともとも、、、後後おくれれれ先先さき立立だつつつ御御おん別別わかれれれ、、、遂遂ついににになくなくなくてててしもしもしもややや候候そうろうべきべきべき。。。かのかのかの驪驪り山山さん宮宮きゅうののの秋秋あきののの夕夕ゆうべのののちぎりちぎりちぎりももも、、、遂遂ついにににははは心心こころををを碎碎くだくくく端端はしとととなりなりなり、、、甘甘かん泉泉せん殿殿でんののの生生しょう前前ぜんののの恩恩おんももも、、、終終おわりりりなきなきなきにににしもしもしもあらあらあらずずず。。。松松しょう子子し梅梅ばい生生せい生生しょう涯涯がいののの恨恨うらみみみありありあり、、、等等とう覺覺がく十十じっ地地ちなほなほなお生生しょう死死じののの掟掟おきてににに從從したがふふう。。。たとひたとひたとい君君きみ長長ちょう生生せいののの樂樂たのしみしみしみににに誇誇ほこりりりたまふたまふたまうともともとも、、、このこのこの御御おん恨恨うらみみみははは遂遂ついににになくなくなくてててしもしもしもややや候候そうろうべきべきべき。。。たとひたとひたといまたまたまた百百ひゃく年年ねんののの齡齡よわいををを保保たもたたたせせせ給給たまふふうともともとも、、、このこのこの御御おん別別わかれれれはははいついついつもももたゞたゞただ同同おなじじじ事事ことととと思思おぼし召召めさささるるるべしべしべし。。。第第だい六六ろく天天てんののの魔魔ま王王おうととといふいふいう外外げ道道どうははは、、、欲欲よく界界かいののの六六ろく天天てんをををみなみなみなわがわがわが物物ものととと領領りょうしししててて、、、中中なかにににもももこのこのこの界界かいののの衆衆しゅ生生じょうののの生生しょう死死じににに離離はなるゝるゝるる事事ことををを惜惜おしみしみしみ、、、或或あるいははは妻妻つまとととなりなりなり、、、或或あるいははは夫夫おつととととなつなつなっててて、、、これこれこれををを妨妨さまたげげげんんんとととするするするににに、、、三三さん世世ぜののの諸諸しょ佛佛ぶつははは一一いっ切切さい衆衆しゅ生生じょうををを一一いっ子子しののの如如ごとくくくににに思思おぼし召召めしししててて、、、かのかのかの極極ごく樂樂らく淨淨じょう土土どののの不不ふ退退たいののの土土どににに勸勸すすめめめ入入いれれれんんんとととししし給給たまふふうににに、、、妻妻さい子子しははは無無む始始し曠曠こう劫劫ごうよりよりよりこのこのこのかたかたかた、、、生生しょう死死じににに輪輪りん廻廻えするするするきづなきづなきずななるなるなるががが故故ゆえににに、、、佛佛ほとけははは重重おもううう戒戒いましめめめたまふたまふたまうなりなりなり。。。されされさればばばとてとてとて御御おん心心こころ弱弱よおううう思思おぼし召召めすすすべからべからべからずずず。。。源源げん氏氏じののの先先せん祖祖ぞ伊伊い豫豫よののの入入にゅう道道どう賴賴らい義義ぎははは敕敕ちょく命命めいににに依依よつつっててて奧奧おう州州しゅうののの夷夷えびす安安あ倍倍べののの貞貞さだ任任とう、、、宗宗むね任任とうををを攻攻せめめめ給給たまひひいししし時時とき、、、十十じゅう二二に年年ねんががが閒閒あいだににに人人ひとののの首首くびををを切切きるるる事事こと一一いち萬萬まん六六ろく千千せん餘餘よ人人にんなりなりなり。。。そのそのその外外ほか山山さん野野やののの獸獸けだもの、、、江江こう河河がののの鱗鱗うろくず、、、そのそのその命命いのちををを絶絶たつつつ事事こと、、、幾幾いく千千せん萬萬まんととといふいふいう數數かずををを知知しらららずずず。。。されどもされどもされども終終しゅう焉焉えんののの時時とき、、、一一いち念念ねんののの菩菩ぼ提提だい心心しんををを起起おこししししししににに依依よつつっててて、、、往往おう生生じょうののの素素そ懷懷かいををを遂遂とげげげたりたりたりとととこそこそこそ承承うけたまわれれれ。。。就就なか中中んずく御御ご出出しゅっ家家けののの功功く德德どく莫莫ばく大大だいなれなれなればばば、、、先先せん世世ぜののの罪罪ざい障障しょうはははみなみなみな滅滅ほろびびび給給たまひひいぬぬぬらんらんらん。。。もしもしもし人人ひとあつあつあっててて七七しち寶寶ほうののの塔塔とうををを立立たてててんんんことことこと高高たかさささ三三さん十十じゅう三三さん天天てんににに至至いたるるるととといふいふいうともともとも、、、一一いち日日にちののの出出しゅっ家家けののの功功く德德どくにににははは及及およぶぶぶべからべからべからずずず。。。またまたまた人人ひとあつあつあっててて百百ひゃく千千せん歳歳さいががが閒閒あいだ、、、百百ひゃく羅羅ら漢漢かんををを供供く養養ようしししたらたらたらんんんずるずるずるよりよりよりももも、、、一一いち日日にちののの出出しゅっ家家けののの功功く德德どくにににははは及及およばばばずずずとととこそこそこそ說說とかかかれれれたれたれたれ。。。罪罪つみ深深ふかかりかりかりししし賴賴らい義義ぎももも、、、心心こころ猛猛たけきききががが故故ゆえににに往往おう生生じょうををを遂遂とげげげ申申もうししし候候そうらははわんんんややや。。。君君きみはははさせるさせるさせる御御ご罪罪ざい業業ごうもももましまさましまさましまさざらざらざらんんんににに、、、などなどなどかかか淨淨じょう土土どへへへ參參まいらららせせせ給給たまははわででで候候そうろうべきべきべき。。。そのそのそのうへうへうえ當當とう山山ざん權權ごん現現げんははは本本ほん地地じ阿阿あ彌彌み陀陀だ如如にょ來來らいにににててておはしますおはしますおわします。。。始始はじめめめ無無む三三さん惡惡あく趣趣しゅののの願願がんよりよりより、、、終終おわりりり得得とく三三さん法法ぼう忍忍にんののの願願がんににに至至いたるるるまでまでまで、、、一一いち々々いちののの誓誓せい願願がん、、、衆衆しゅ生生じょう化化け度度どののの願願がんならならならずずずととといふいふいう事事ことなしなしなし。。。中中なかにににももも第第だい十十じゅう八八はちののの願願がんににに、、、設設せっ我我が得得とく佛佛ぶつ、、、十十じっ方方ぽう衆衆しゅ生生じょう、、、至至し心心しん信信しん樂樂ぎょう、、、慾慾よく生生しょう我我が國國こく、、、乃乃ない至至し十十じゅう念念ねん、、、若若にゃく不不ふ生生しょう者者じゃ、、、不不ふ取取しゅ正正しょう覺覺がくととと說說とかかかれれれたれたれたればばば、、、一一いち念念ねん十十じゅう念念ねんのののたのみたのみたのみありありあり。。。たゞたゞただこのこのこの教教をしへへへををを深深ふかくくく信信しんじじじててて、、、ゆめ〳〵ゆめ〳〵ゆめゆめ疑疑うたがひひいをををなすなすなすべからべからべからずずず。。。無無む二二にののの懇懇こん念念ねんををを致致いたしししててて、、、もしもしもしははは一一いっ遍遍ぺんももも、、、もしもしもしははは十十じっ遍遍ぺんももも唱唱となへへえ給給たまふふうものものものならならならばばば、、、彌彌み陀陀だ如如にょ來來らい六六ろく十十じゅう萬萬まん億億のく、、、那那な由由ゆ多多た恆恆ごう河河が沙沙しゃののの御御おん身身みををを縮縮ちぢめめめ、、、丈丈じょう六六ろく八八はっ尺尺しゃくののの御御おん形形かたちにににててて、、、觀觀かん音音おん、、、勢勢せい至至し、、、無無む數數じゅののの聖聖しょう衆衆じゅ、、、化化け佛佛ぶつ菩菩ぼ薩薩さつ、、、百百ひゃく重重じゅう千千せん重重じゅうににに圍圍い繞繞にょうししし、、、妓妓ぎ樂樂がく歌歌か詠詠えいしししててて、、、唯唯ただ今今いま極極ごく樂樂らくののの東東とう門門もんををを出出いでででててて、、、來來らい迎迎ごうししし給給たまははわんんんずれずれずればばば、、、御御おん身身みこそこそこそ滄滄そう海海かいののの底底そこににに沉沉しずむむむととと思思おぼし召召めさささるるるともともとも、、、紫紫し雲雲うんののの上上うえににに上上のぼりりり給給たまふふうべしべしべし。。。成成じょう佛佛ぶつ得得とく脫脫だつしししててて悟悟さとりりりををを開開ひらききき給給たまひひいなばなばなば、、、娑娑しゃ婆婆ばののの故故こ鄕鄕きょうににに立立たち返返かえつつっててて、、、妻妻さい子子しををを導導みちびききき給給たまははわんんん事事こと、、、還還げん來來らい穢穢え國國こく土土ど人人にん天天てん、、、少少すこしししももも過過あやまちちち給給たまふふうべからべからべからずずず。。。」」」とととててて、、、頻頻しきりりりににに鉦鉦かねうちうちうち鳴鳴ならしらしらし念念ねん佛佛ぶつををを勸勸すすめめめ奉奉たてまつれれればばば、、、中中ちゅう將將じょう然然しかるるるべきべきべき善善ぜん知知ち識識しきととと思思おぼし召召めししし、、、忽忽たちまちちちににに妄妄もう念念ねんををを飜飜ひるがえししし、、、西西さい方方ほうににに向向むかひひい手手てををを合合あははわせせせ、、、高高こう聲聲じょうににに念念ねん佛佛ぶつ百百ひゃく遍遍ぺん許許ばかりりり唱唱となへへえ給給たまひひいててて、、、南南な無無むととと唱唱となふるふるうる聲聲こえ共共ともににに、、、海海うみにににぞぞぞ飛飛とびびび入入いりりり給給たまひひいけるけるける。。。與與よ三三さ兵兵ひょう衞衞え、、、石石いし童童どう丸丸まるももも同同おなじうじうじゅう御御み名名なををを唱唱となへへえつゝつゝつつ、、、續續つづいいいててて海海うみにににぞぞぞ沉沉しずみみみけるけるける。。。
現代語訳
熊野三山の参詣を無事に終えられたので、浜の宮と申す王子の御前から一艘の小舟に棹さして、万里の青海原に浮かばれた。はるか沖に山成の島という所があった。中将はそこに船を漕ぎ寄せさせ、岸に上がって大きな松の木を削り、泣く泣く名籍を書きつけられた。「祖父太政大臣平朝臣清盛公、法名浄海。親父小松内大臣左大将重盛公、法名浄蓮。三位中将維盛、法名浄円、年二十七歳。寿永三年三月二十八日、那智の沖にて入水す」と書きつけて、また船に乗り、沖へ漕ぎ出された。
思いきった道ではあるが、いよいよ最期のときになったので、やはり心細く悲しくないということはない。ころは三月二十八日のことなので、海路ははるかに霞みわたり、哀れを誘うありさまである。ただでさえ春の暮れゆく空はもの憂いのに、まして今日を最後、今を限りのことなので、さぞ心細かったことであろう。沖の釣り舟が波間に消え入るように見えながら、やはり沈みきらないのをご覧になるにつけても、わが身の上と思われたのであろうか。自分たちの列を引き連れて、今はと北へ帰る雁が越路をさして鳴いて行くのにも、故郷へ言伝をしたく思い、蘇武が胡国で雁に文を託した恨みまで、思い残すことはなかった。
「これはいったいどうしたことか。なお妄執が尽きないのだ」と思い直し、西に向かって手を合わせ、念仏を唱えられる心の中にも、それにしても都では、今が最期とはどうして知ることができようか、風の便りの訪れを今か今かと待っているだろうと思われたので、合掌を乱し、念仏を止めて、聖に向かっておっしゃるには、「ああ、人の身に妻子というものは持つべきではなかった。今生で物思いをさせるばかりか、後世菩提の妨げとなってしまったことが無念だ。今も思い出してしまった。このようなことを心の中に残すと、あまりに罪深いことだというから、懺悔するのだ」とおっしゃった。
聖も哀れに思われたが、自分まで心弱くてはいけないと思ったのであろうか、涙を押しぬぐい、何気ない様子をよそおって、「まことに身分の高い者も低い者も、恩愛の道は思いきれないものでございますから、本当にそうお思いになるのでしょう。とりわけ夫婦は一夜の枕を並べるのも五百生の宿縁と聞きますから、前世の契りは浅くございません。生者必滅、会者定離は憂き世のならいでございます。末の露、もとの雫のたとえもあるように、たとえ早い遅いの違いはあっても、後れ先立つお別れが最後にないことがありましょうか。あの驪山宮の秋の夕べの契りも、ついには心を砕くもととなり、甘泉殿の生前の恩愛も、終わりがないわけではありません。松子・梅生にも生涯の恨みがあり、等覚・十地の菩薩でさえなお生死の掟に従います。たとえ君が長生の楽しみを誇られたとしても、このお恨みはついにないことがありましょうか。たとえまた百年の寿命を保たれたとしても、このお別れはいつでも同じことだとお思いなさいませ。第六天の魔王という外道は、欲界の六天をすべて自分のものとして支配し、とりわけこの世界の衆生が生死を離れることを惜しんで、あるいは妻となり、あるいは夫となって、これを妨げようとするのに対して、三世の諸仏は一切衆生をわが一人子のようにお思いになって、あの極楽浄土の不退の地に勧め入れようとなさいますが、妻子は無始曠劫の昔から生死に輪廻させる絆であるために、仏は重く戒めておられるのです。だからといってお心弱くお思いになってはなりません。源氏の先祖伊予入道頼義は、勅命によって奥州の夷、安倍貞任・宗任を攻められたとき、十二年の間に人の首を切ること一万六千余人です。そのほか山野の獣、川の魚の命を絶ったことは、幾千万という数もわかりません。けれども臨終のとき、一念の菩提心を起こしたことによって、往生の素懐を遂げたと聞いております。とりわけご出家の功徳は莫大ですから、前世の罪障はみな消えてしまわれたでしょう。もし人があって七宝の塔を高さ三十三天に至るまで建てたとしても、一日の出家の功徳には及ばない。また人があって百千年の間、百羅漢を供養したとしても、一日の出家の功徳には及ばないと説かれています。罪深かった頼義も、心が猛かったために往生を遂げ申したではありませんか。君はこれといったご罪業もおありにならないのに、どうして浄土へ参られないことがありましょう。そのうえこの山の権現は、本地が阿弥陀如来でいらっしゃいます。初めの無三悪趣の願から終わりの得三法忍の願に至るまで、一つ一つの誓願は、衆生を救う願でないものはありません。中でも第十八の願に、「設我得仏、十方衆生、至心信楽、欲生我国、乃至十念、若不生者、不取正覚」と説かれていますから、一念十念のたのみがあります。ただこの教えを深く信じて、決して疑ってはなりません。二つとない真心をこめて、一遍でも十遍でもお唱えになったならば、阿弥陀如来は六十万億那由多恒河沙というお身を縮めて、丈六八尺のお姿となり、観音・勢至・無数の聖衆・化仏菩薩が百重千重に取り囲み、伎楽歌詠して、今にも極楽の東門を出て来迎なさいますから、お身こそ青海原の底に沈むとお思いになっても、紫雲の上にお上りになるのです。成仏得脱して悟りを開かれたなら、娑婆の故郷に立ち返って妻子をお導きになることは、還来穢国度人天と申すとおりで、少しも違うことはありません」といって、しきりに鉦を打ち鳴らして念仏をおすすめ申すと、中将はよい善知識だとお思いになって、たちまち妄念をひるがえし、西方に向かって手を合わせ、高声に念仏を百遍ほど唱えられて、「南無」と唱える声とともに海に飛びこまれた。与三兵衛と石童丸も同じく御名を唱えながら、続いて海に沈んだ。
意訳
維盛の入水の場面である。松の木に三代の法名を書き残し、春霞の海へ漕ぎ出す姿は哀切をきわめる。釣り舟や帰る雁といった景物に自らの身の上を重ね、最期の時にもなお都の妻子を思って念仏が乱れるところに、維盛という人物の情の深さと弱さとがよく表れている。
滝口入道の長い説法は、恩愛の断ちがたさを認めながらも、頼義の往生の例や阿弥陀の第十八願を引いて、出家と念仏の功徳を説き、悟りを開けば妻子を導くこともできると励ます。妄念をひるがえして念仏とともに海に入る維盛と、それに続く重景・石童丸の姿は、主従の絆の深さをも語っている。
語釈・文法注
文法
- 「山なりの島」
- 那智の沖の山成島。
- 「名籍」
- 名前と系譜。ここでは三代の名と法名。
- 「蘇武が胡國の恨み」
- 漢の蘇武が匈奴に捕らわれた時、雁の足に文を結んで漢に便りを送ったという故事。
- 「合掌をみだり」
- 合わせた手を乱し。
- 「末の露、もとの雫」
- 葉末の露も根もとの雫も、遅速はあってもいずれは消える。人の命のはかなさのたとえ。
- 「驪山宮の秋の夕のちぎり」「甘泉殿の生前の恩」
- 唐の玄宗と楊貴妃の驪山宮での誓い、漢の武帝と李夫人の甘泉殿での恩愛。いずれも死別に終わった。
- 「松子梅生」
- 仙人の赤松子と梅福(梅生)。仙人でさえ生涯の恨みがあるという例。
- 「等覺十地」
- 菩薩の修行の位。仏に次ぐ等覚や十地の菩薩でさえ生死を免れない、の意。
- 「第六天の魔王」
- 欲界の最上の他化自在天に住み、仏道を妨げるという魔王。
- 「起ししに依つて」
- 起こしたことによって。
- 「往生を遂げ申し候はんや」
- 底本の本文。往生を遂げ申したではありませんか、の意に解した。
- 「設我得佛…不取正覺」
- 『無量寿経』の阿弥陀仏の第十八願(念仏往生の願)。わたしが仏となるとき、十方の衆生が心から信じ願って念仏し、もし往生できなければ、わたしは悟りを開くまい、の意。
- 「慾生我國」
- 底本は「慾」と刷る。
- 「還來穢國土人天」
- 浄土に往生した者が、この世に還って人々を救うこと。通行本文は「還来穢国度人天」。
解説
維盛の入水は寿永三年(1184)三月二十八日のことと『平家物語』は記すが、『玉葉』などには維盛が都を目指したとも、熊野で生き延びたとも伝える。和歌山県の那智勝浦町には維盛入水の伝承地があり、また紀伊・大和の山中には維盛が落ち延びて隠れ住んだという伝説も各地に残る。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、744–748頁(コマ401–403)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日