古典ライブラリー

平家物語 巻第十

維盛の出家の事

維盛は滝口入道の庵で語りあかし、聖の修行の姿に心をひかれて、東禅院の知覚上人を招いて出家しようとする。供の与三兵衛重景と石童丸には都へ帰って身を立てよと言ったが、重景は、父景康が平治の乱で重盛の身代わりに討たれて以来、重盛に育てられ名を与えられた恩を語り、自ら髻を切った。石童丸も髪を切り、維盛は「流転三界中」の偈を唱えて出家した。二十七歳であった。舎人武里には八島へ行って一門に事情を伝え、唐皮の鎧と小烏の太刀を六代に伝えよと命じたが、武里は最後まで供をすると願った。一行は山伏姿で熊野へ向かい、途中、湯浅宗光が維盛と気づきながら恭しく通り過ぎた。

  1. 1「「「維これ維これこれ盛もり盛もりもりががが身み身みみのののいついついつとととなくなくなく、、、雪せつ雪せつせつ山せん山せんせんののの鳥とり鳥とりとりののの鳴な鳴ななくくくらんらんらんやうやうようににに、、、今日けふ今日けふきょうよよよ、、、明日あす明日あすあすよよよととと思おも思おもおもふふう事こと事ことことををを。。。」」」とととててて涙なみだ涙なみだなみだぐみぐみぐみ給たま給たまたまふふうぞぞぞあはれあはれあわれなるなるなる。。。潮しほ潮しほしお風かぜ風かぜかぜににに黑くろ黑くろくろみみみ、、、つきつきつきせせせぬぬぬものものものおもひおもひおもいににに痩や痩ややせせせ衰おとろ衰おとろおとろへへえててて、、、そのそのその人ひと人ひとひととととははは見み見みみえええ給たま給たまたまははわねねねどもどもども、、、なほなほなお世よ世よよののの人ひと人ひとひとにににはははすぐれすぐれすぐれ給たま給たまたまへへえりりり。。。そのそのその夜よ夜よよははは瀧たき瀧たきたき口ぐち口ぐちぐち入にふ入にふにゅう道だう道だうどうががが庵あん庵あんあん室じつ室じつじつににに歸かへ歸かへかえりりりててて、、、昔むかし昔むかしむかし今いま今いまいまののの物もの物ものもの語がたり語がたりがたりどもどもどもししし給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。更ふ更ふふけけけゆくゆくゆくまゝまゝままににに聖ひじり聖ひじりひじりががが行ぎやう行ぎやうぎょう儀ぎ儀ぎぎををを見み見みみたまへたまへたまえばばば、、、至し至しし極ごく極ごくごく信しん信しんしん心じん心じんじんののの床ゆか床ゆかゆかののの上うへ上うへうえにににははは、、、眞しん眞しんしん理り理りりののの玉たま玉たまたまををを研みが研みがみがくくくらんらんらんととと見み見みみえええててて、、、後ご後ごご夜や夜やや晨しん晨しんしん朝てう朝てうちょうののの鐘かね鐘かねかねののの聲こゑ聲こゑこえにににははは、、、生しやう生しやうしょう死じ死じじののの眠ねぶり眠ねぶりねぶりををを覺さま覺さまさますすすらんらんらんとととももも覺おぼ覺おぼおぼえええたりたりたり。。。遁のが遁のがのがれれれぬぬぬべくべくべくははは、、、かくかくかくてててもももあらまほしうあらまほしうあらまほしゅうややや思おも思おもおもははわれれれけんけんけん、、、あけあけあけけれけれければばば東とう東とうとう禪ぜん禪ぜんぜん院ゐん院ゐんいんののの知ち知ちち覺がく覺がくがく上しやう上しやうしょう人にん人にんにんととと申まう申まうもうすすす聖ひじり聖ひじりひじりををを請しやう請しやうしょうじじじ奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、出しゆつ出しゆつしゅっ家け家けけせせせんんんとととししし給たま給たまたまひひいけるけるけるががが、、、與よ與よよ三さ三ささ兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえ重しげ重しげしげ景かげ景かげかげ、、、石いし石いしいし童どう童どうどう丸まる丸まるまるををを召め召めめしししてててのたまひのたまひのたまいけるけるけるははは、、、「「「維これ維これこれ盛もり盛もりもりこそこそこそ人ひと人ひとひと知し知ししれれれぬぬぬ思おも思おもおもひひいををを身み身みみににに添そ添そそへへえながらながらながら、、、道みち道みちみち狹せば狹せばせぼううう遁のが遁のがのがれれれ難がた難がたがたききき身み身みみなれなれなればばば、、、いかにいかにいかにもももなるなるなるととといふいふいうともともとも、、、汝なんぢ汝なんぢなんじ等ら等ららははは命いのち命いのちいのちををを捨す捨すすつつつへからへからべからずずず。。。このこのこの頃ごろ頃ごろごろははは世よ世よよにににあるあるある人ひと人ひとひとこそこそこそ多おほ多おほおおけれけれけれ。。。われわれわれいかにいかにいかにもももなりなりなりなんなんなん後のち後のちのち、、、急いそ急いそいそぎぎぎ都みやこ都みやこみやこへへへ上のぼ上のぼのぼつつっててて、、、各おのおの各おのおのおのおのががが身み身みみをををももも助たす助たすたすけけけ、、、且かつう且かつうかつうははは妻さい妻さいさい子し子ししをををもももはぐゝみはぐゝみはぐくみ、、、且かつう且かつうかつうははは維これ維これこれ盛もり盛もりもりががが後ご後ごご世せ世せせをををももも弔とぶら弔とぶらとぶらへへえかしかしかし。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、二ふた二ふたふた人り人りりののの者もの者ものものどもどもども涙なみだ涙なみだなみだにににむせびむせびむせび、、、うつぶしうつぶしうつぶしててて、、、しばししばししばしはははとかうとかうとこうののの御おん御おんおん返へん返へんへん事じ事じじにににももも及およ及およおよばばばずずず。。。
  2. 2やゝやゝややあつあつあっててて重しげ重しげしげ景かげ景かげかげ、、、涙なみだ涙なみだなみだをををおさへおさへおさえててて申まう申まうもうしししけるけるけるははは、、、「「「重しげ重しげしげ景かげ景かげかげががが父ちゝ父ちゝちち與よ與よよ三さ三ささ左ざ左ざざ衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもん景かげ景かげかげ康やす康やすやすははは、、、平へい平へいへい治ぢ治ぢじののの逆ぎやく逆ぎやくぎやく亂らん亂らんらんののの時とき時ときとき、、、故こ故ここ殿どの殿どのどのののの御おん御おんおん供とも供ともともににに候さふら候さふらそうらひひいててて、、、二に二にに條でう條でうじょう堀ほり堀ほりほり河かは河かはかわののの邊へん邊へんへんにににててて鎌かま鎌かまかま田だ田だだ兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえととと組く組くくんんんででで、、、惡あく惡あくあく源げん源げんげん太だ太だだににに討う討ううたたたれれれ候さふら候さふらそうらひひいぬぬぬ。。。重しげ重しげしげ景かげ景かげかげももも何なじ何なじなじかかかははは劣おと劣おとおとりりり候さふらふ候さふらふそうろうべきべきべきなれなれなれどもどもども、、、そのそのその時とき時ときときははは未いま未いまいまだだだ二に二にに歳さい歳さいさいににになりなりなり候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、少すこ少すこすこしししももも覺おぼ覺おぼおぼえええ候さふら候さふらそうらははわずずず。。。母はゝ母はゝははにににははは七しち七しちしち歳さい歳さいさいにににててておくれおくれおくれ候さふら候さふらそうらひひいぬぬぬ。。。なさけなさけなさけをををかくかくかくべきべきべき親した親したしたしきしきしき者もの者ものもの一ひと一ひとひと人り人りりももも候さふら候さふらそうらははわざりざりざりしししににに、、、故こ故ここ大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどの御おん御おんおん憐あはれ憐あはれあわれみみみ候さふら候さふらそうらひひいててて、、、あれあれあれはははわがわがわが命いのち命いのちいのちににに代かは代かはかわりりりたりたりたりししし者もの者ものものののの子こ子ここなれなれなればばばとととててて、、、朝あさ朝あさあさ夕ゆふ夕ゆふゆう御お御おお前まへ前まへまえにににててて育そだ育そだそだてててられられられ參まゐ參まゐまいらららせせせててて、、、生しやう生しやうしょう年ねん年ねんねん九こゝの九こゝのここのつつつととと申まう申まうもうしししししし時とき時ときとき、、、君きみ君きみきみののの御ご御ごご元げん元げんげん服ぶく服ぶくぶく候さふら候さふらそうらひひいししし夜よ夜よよ、、、忝かたじけな忝かたじけなかたじけなくくくももも頭かしら頭かしらかしらををを取と取ととりりり上あ上ああげげげられられられ參まゐ參まゐまいらららせせせててて、、、盛もり盛もりもりののの字じ字じじははは家いへ家いへいえののの字じ字じじなれなれなればばば五ご五ごご代だい代だいだいにににつくつくつく。。。重しげ重しげしげののの字じ字じじをををばばば松まつ松まつまつ王わう王わうおうにににととと仰おほ仰おほおおせせせられられられててて、、、重しげ重しげしげ景かげ景かげかげとととははは召め召めめささされれれ參まゐ參まゐまいらららせせせけるけるけるなりなりなり。。。そのそのその上うへ上うへうえ童わらは童わらはわらわ名な名ななををを松まつ松まつまつ王わう王わうおうととと申まう申まうもうしししけるけるける事こと事ことことももも、、、生うま生うまうまれれれててて忌いみ忌いみいみ五ご五ごご十じふ十じふじゅう日にち日にちにちととと申まう申まうもうすすすににに、、、父ちゝ父ちゝちちががが抱いだ抱いだいだいいいててて參まゐ參まゐまいりりりたりたりたりしかしかしかばばば、、、「「「このこのこの家いへ家いへいえををを小こ小ここ松まつ松まつまつととといへいへいえばばば、、、祝いは祝いはいおうううてててつくるつくるつくるなりなりなり。。。」」」ととと仰おほ仰おほおおせせせられられられててて、、、松まつ松まつまつ王わう王わうおうとととはははつけつけつけられられられ參まゐ參まゐまいらららせせせててて候さふら候さふらそうらひひいけるけるけるなりなりなり。。。父ちゝ父ちゝちちかやうかやうかようででで死し死ししにににけるけるけるももも、、、わがわがわが身み身みみののの冥みやう冥みやうみょう加が加ががととと覺おぼ覺おぼおぼえええ候さふらふ候さふらふそうろう。。。隨ずい隨ずいずい分ぶん分ぶんぶん同どう同どうどう隷れい隷れいれいどもどもどもにににももも芳はう芳はうほう心しん心しんしんせせせられられられてててこそこそこそ、、、まかりまかりまかり過す過すすぎぎぎ候さふら候さふらそうらひひいしかしかしか。。。されされさればばば御ご御ごご臨りん臨りんりん終じゆう終じゆうじゅうののの御おん御おんおん時とき時ときときももも、、、このこのこの世よ世よよののの中なか中なかなかののの事こと事ことことをををばばば思おぼし思おぼしおぼし召め召めめししし捨す捨すすてててててて、、、一いち一いちいち事じ事じじももも仰おほ仰おほおおせせせられられられざりざりざりしししににに、、、重しげ重しげしげ景かげ景かげかげををを御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんへへへ召め召めめしししててて、、、「「「あなあなあな無む無むむ慙ざん慙ざんざん、、、汝なんぢ汝なんぢなんじははは重しげ重しげしげ盛もり盛もりもりををを父ちゝ父ちゝちちがががかたみかたみかたみととと思おも思おもおもひひい、、、重しげ重しげしげ盛もり盛もりもりははは汝なんぢ汝なんぢなんじををを景かげ景かげかげ康やす康やすやすがががかたみかたみかたみととと思おも思おもおもひひいてててこそこそこそ過すぐ過すぐすぐしししつれつれつれ。。。今こん今こんこん度ど度どどののの除ぢ除ぢじ目もく目もくもくににに靫ゆき靫ゆきゆき負へ負へえののの尉じよう尉じようじょうににになしなしなしててて、、、父ちゝ父ちゝちち景かげ景かげかげ康やす康やすやすををを呼よ呼よよびびびしししやうやうようににに、、、召め召めめさささばやばやばやとととこそこそこそ思おぼし思おぼしおぼし召め召めめしししつるつるつるににに、、、空むな空むなむなしうしうしゅうなるなるなるこそこそこそ悲かな悲かなかなしけれしけれしけれ。。。相あひ相あひあい構かま構かまかまへへえててて少せう少せうしょう將しやう將しやうしょう殿どの殿どのどのののの御おん御おんおん心こゝろ心こゝろこころにににばしばしばし違たが違たがたがひひいまゐらすまゐらすまいらすななな。。。」」」とととこそこそこそ仰おほ仰おほおおせせせ候さふら候さふらそうらひひいしかしかしか。。。日ひ日ひひ頃ごろ頃ごろごろははは自し自しし然ぜん然ぜんぜんののの事こと事ことことももも候さふら候さふらそうらははわばばば、、、まづまづまずまつまつまつ先さき先さきさきににに命いのち命いのちいのちををを奉たてまつ奉たてまつたてまつらうらうろうとととこそこそこそ存ぞん存ぞんぞんじじじ候さふら候さふらそうらひひいしししににに、、、見み見みみ捨す捨すすてててまゐらせまゐらせまいらせててて落お落おおつつつべきべきべき者もの者ものものととと思おぼし思おぼしおぼし召め召めめささされれれ候さふらふ候さふらふそうろう御おん御おんおん心こゝろ心こゝろこころののの中うち中うちうちこそこそこそ恥はづ恥はづはずかしうかしうかしゅう候さふら候さふらそうらへへえ。。。このこのこの頃ごろ頃ごろごろははは世よ世よよにににあるあるある人ひと人ひとひとこそこそこそ多おほ多おほおおけれけれけれどどど、、、仰おほ仰おほおおせせせををを蒙かうぶ蒙かうぶこうぶりりり候さふらふ候さふらふそうろうははは、、、當たう當たうとう時じ時じじののの如ごと如ごとごとくくくんんんばばば、、、みなみなみな源げん源げんげん氏じ氏じじののの郎らう郎らうろう等どう等どうどうどもどもどもこそこそこそ候さふらふ候さふらふそうろうらめらめらめ。。。君きみ君きみきみののの神かみ神かみかみにににももも佛ほとけ佛ほとけほとけにににもももならならならせせせ給たま給たまたまひひいなんなんなん後のち後のちのち、、、樂たの樂たのたのしみしみしみ榮さか榮さかさかえええ候さふらふ候さふらふそうろうともともとも、、、千せん千せんせん年ねん年ねんねんののの齡よはひ齡よはひよわいををを經ふ經ふふるるるべきべきべきかかか。。。たとひたとひたとい萬まん萬まんまん年ねん年ねんねんををを保たも保たもたもちちち候さふらふ候さふらふそうろうともともとも、、、遂つひ遂つひついにににははは終をは終をはおわりりりのののなかるなかるなかるべきべきべきかかかははは、、、これこれこれににに過す過すすぎぎぎたるたるたる善ぜん善ぜんぜん知ち知ちち識しき識しきしき、、、何なに何なになに事ごと事ごとごとかかか候さふらふ候さふらふそうろうべきべきべき。。。」」」とととててて、、、手て手ててづからづからずから髻もとゞり髻もとゞりもとどり切き切ききつつっててて瀧たき瀧たきたき口ぐち口ぐちぐち入にふ入にふにゅう道だう道だうどうにににぞぞぞ剃そ剃そそらららせせせけるけるける。。。
  3. 3石いし石いしいし童どう童どうどう丸まる丸まるまるもももこれこれこれををを見み見みみててて、、、元もと元もともと結ゆひ結ゆひゆいぎはぎはぎわよりよりより髪かみ髪かみかみををを切き切ききるるる。。。これこれこれももも八や八ややつつつよりよりよりつきつきつき參まゐ參まゐまいらららせせせててて、、、重しげ重しげしげ景かげ景かげかげにににももも劣おと劣おとおとらららずずず不ふ不ふふ便びん便びんびんにににししし給たま給たまたまひひいしかしかしかばばば、、、同おな同おなおなじうじうじゅう瀧たき瀧たきたき口ぐち口ぐちぐち入にふ入にふにゅう道だう道だうどうにににぞぞぞ剃そ剃そそらららせせせけるけるける。。。これこれこれらららががが先さき先さきさきだちだちだちてててかやうかやうかようににになるなるなるををを見み見みみ給たま給たまたまふふうにににつけつけつけてててももも、、、いとゞいとゞいとど心こゝろ心こゝろこころ細ぼそ細ぼそぼそうううぞぞぞならならなられれれけるけるける。。。「「「哀あは哀あはあわれれれいかにいかにいかにもももしししててて、、、變かは變かはかわらららぬぬぬ姿すがた姿すがたすがたををを、、、今いま今いまいま一ひと一ひとひと度たび度たびたび戀こひ戀こひこいしきしきしき者もの者ものものどもどもどもににに見み見みみえええててて後のち後のちのち、、、かくかくかくならならならばばば、、、思おも思おもおもふふう事こと事ことことあらあらあらじじじ。。。」」」とととのたまひのたまひのたまいけるけるけるこそこそこそ、、、せめてせめてせめてののの事こと事ことことなれなれなれ。。。
  4. 4さてさてさてしもしもしもあるあるあるべきべきべき事こと事ことことならならならねねねばばば、、、「「「流る流るる轉てん轉てんてん三さん三さんさん界がい界がいがい中ちう中ちうちゅう、、、恩おん恩おんおん愛あい愛あいあい不ふ不ふふ能のう能のうのう斷だん斷だんだん、、、棄き棄きき恩おん恩おんおん入にふ入にふにゅう無む無むむ爲ゐ爲ゐい、、、眞しん眞しんしん實じつ實じつじつ報はう報はうほう恩おん恩おんおん者じや者じやじゃ。。。」」」ととと三さん三さんさん遍べん遍べんべん唱とな唱となとなへへえ給たま給たまたまひひいててて、、、遂つひ遂つひついににに剃そ剃そそりりりおろさおろさおろさせせせ給たま給たまたまひひいてててけりけりけり。。。三さん三さんさん位み位みみののの中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょうととと與よ與よよ三さ三ささ兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえははは同どう同どうどう年ねん年ねんねんにににててて、、、今こ今ここ年とし年としとしははは二に二にに十じふ十じふじゅう七しち七しちしち歳さい歳さいさいなりなりなり。。。石いし石いしいし童どう童どうどう丸まる丸まるまるははは十じふ十じふじゅう八はち八はちはちにににぞぞぞなりなりなりにににけるけるける。。。やゝやゝややあつあつあっててて舎とね舎とねとね人り人りり武たけ武たけたけ里さと里さとさとををを召め召めめしししててて、、、「「「あなあなあなかしこかしこかしこ、、、汝なんぢ汝なんぢなんじはははこれこれこれよりよりより都みやこ都みやこみやこへへへははは上のぼ上のぼのぼるるるべからべからべからずずず。。。そのそのその故ゆゑ故ゆゑゆえははは終つひ終つひついにににはははかくれかくれかくれあるあるあるまじけれまじけれまじけれどもどもども、、、まさしうまさしうまさしゅう、、、このこのこのありさまありさまありさまををを聞き聞ききいいいてててははは、、、やがてやがてやがて樣さま樣さまさまをををもももかへかへかへんんんずずずらんらんらんととと覺おぼ覺おぼおぼゆるゆるゆるぞぞぞ。。。唯たゞ唯たゞただこれこれこれよりよりより八や八やや島しま島しましまへへへ參まゐ參まゐまいつつっててて、、、人ひと人ひとひと々びと々びとびとににに申まう申まうもうさささんんんずるずるずる事こと事ことことはははよよよななな、、、かつかつかつ御ご御ごご覽らん覽らんらんじじじ候さふら候さふらそうらひひいしししやうやうようににに、、、大おほ大おほおお方かた方かたかたののの世せ世せせ閒けん閒けんけんもももものものものうくうくうく、、、あぢきあぢきあじきなさなさなさもももよろづよろづよろず數かず數かずかずそひそひそいててて覺おぼ覺おぼおぼえええししし程ほど程ほどほどににに、、、人ひと人ひとひと々びと々びとびとにににかくかくかくとととももも知し知ししらららせせせ參まゐ參まゐまいらららせせせずずずしししててて、、、かやうかやうかようにににまかりまかりまかりなりなりなり候さふら候さふらそうらひひいぬるぬるぬる事こと事ことことははは、、、西さい西さいさい國こく國こくこくにににててて左さ左ささののの中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょう失う失ううせせせ候さふら候さふらそうらひひいぬぬぬ。。。一いち一いちいちののの谷たに谷たにたににににててて備びつ備びつびっ中ちう中ちうちゅうののの守かみ守かみかみ討う討ううたたたれれれ候さふら候さふらそうらひひいぬぬぬ。。。維これ維これこれ盛もり盛もりもりさへさへさへかやうかやうかようににになりなりなり候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、いかにいかにいかに各おのおの各おのおのおのおののののたよりたよりたよりなうなうのう思おぼし思おぼしおぼし召め召めめささされれれ候さふら候さふらそうらははわんんんずずずらんらんらんととと、、、それそれそれのみのみのみこそこそこそ心こゝろ心こゝろこころ苦ぐる苦ぐるぐるしうしうしゅう候さふら候さふらそうらへへえ。。。そも〳〵そも〳〵そもそも唐から唐からから皮かは皮かはかわととといふいふいう鎧よろひ鎧よろひよろい、、、小こ小ここ烏がらす烏がらすがらすととといふいふいう太た太たた刀ち刀ちちははは、、、平へい平へいへい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐん貞さだ貞さださだ盛もり盛もりもりよりよりよりこのこのこのかたかたかた當たう當たうとう家け家けけににに傳つた傳つたつたへへえててて、、、維これ維これこれ盛もり盛もりもりまでまでまでははは嫡ちやく嫡ちやくちゃく々ちやく々ちやくちゃく九く九くく代だい代だいだいににに相あひ相あひあい當あた當あたあたるるる。。。このこのこの後のち後のちのちもしもしもし運うん運うんうん命めい命めいめい開ひら開ひらひらけけけててて、、、都みやこ都みやこみやこへへへ歸かへ歸かへかえりりり上のぼ上のぼのぼらららせせせ給たま給たまたまふふう事こと事ことことももも候さふら候さふらそうらははわばばば、、、六ろく六ろくろく代だい代だいだいににに賜た賜たたぶぶぶべしべしべしととと申まう申まうもうすすすべしべしべし。。。」」」とととぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。
  5. 5武たけ武たけたけ里さと里さとさと涙なみだ涙なみだなみだにににむせびむせびむせび、、、うつぶしうつぶしうつぶしててて、、、しばししばししばしはははとかくとかくとかくののの御おん御おんおん返へん返へんへん事じ事じじにににももも及およ及およおよばばばずずず。。。やゝやゝややあつあつあっててて涙なみだ涙なみだなみだをををおさへおさへおさえててて申まう申まうもうしししけるけるけるははは、、、「「「いづくいづくいずくまでまでまでももも御おん御おんおん供とも供ともとも申まう申まうもうししし、、、最さい最さいさい後ご後ごごののの御おん御おんおんありさまありさまありさまをををももも見み見みみまゐらせまゐらせまいらせててて後のち後のちのちこそこそこそ、、、八や八やや島しま島しましまへへへももも參まゐ參まゐまいらららめめめ。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、さらばさらばさらばとととててて召め召めめししし具ぐ具ぐぐせせせらるらるらる。。。善ぜん善ぜんぜん知ち知ちち識しき識しきしきののの爲ため爲ためためにににとととててて、、、瀧たき瀧たきたき口ぐち口ぐちぐち入にふ入にふにゅう道だう道だうどうをををももも具ぐ具ぐぐせせせられられられけりけりけり。。。高かう高かうこう野や野ややをををばばば山やま山やまやま伏ぶし伏ぶしぶし修しゆ修しゆしゅ行ぎやう行ぎやうぎょう者じや者じやじゃのののやうやうようににに出いで出いでいで立た立たたつつっててて、、、同おな同おなおなじきじきじき國くに國くにくにののの内うち内うちうち、、、山さん山さんさん東とう東とうとうへへへこそこそこそ出い出いいでででられられられけれけれけれ。。。藤ふぢ藤ふぢふじ代しろ代しろしろののの王わう王わうおう子じ子じじををを始はじ始はじはじめめめ奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、王わう王わうおう子じ子じじ々わう々わうおう々じ々じじををを伏ふ伏ふふししし拜をが拜をがおがみみみ參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまふふうほどほどほどににに、、、千せん千せんせん里り里りりののの濱はま濱はまはまののの北きた北きたきた、、、岩いは岩いはいわ代しろ代しろしろののの王わう王わうおう子じ子じじののの御おん御おんおん前まへ前まへまえにににててて、、、狩かり狩かりかり裝しやう裝しやうしょう束ぞく束ぞくぞくなるなるなる者もの者ものもの七しち七しちしち八はち八はちはち騎き騎ききがががほどほどほど行ゆ行ゆゆきききあひあひあい奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。既すで既すですでににに搦から搦からからめめめ捕と捕ととらららんんんずるずるずるにににこそこそこそ。。。腹はら腹はらはらををを切き切ききらららんんんととと、、、各おのおの各おのおのおのおの腰こし腰こしこしののの刀かたな刀かたなかたなににに手て手ててをををかけかけかけ給たま給たまたまふふう所ところ所ところところににに、、、さささはははなくなくなくしししててて馬むま馬むまむまよりよりより下お下おおりりり、、、近ちか近ちかちかづきづきづき奉たてまつ奉たてまつたてまつつつったりたりたりけれけれけれどもどもども、、、少すこ少すこすこしししももも過あやま過あやまあやまつつつべきべきべき氣き氣きき色しよく色しよくしょくもももなくなくなく、、、深ふか深ふかふこううう畏かしこ畏かしこかしこまつまつまっててて通とほ通とほとおりりりぬぬぬ。。。このこのこの邊へん邊へんへんにににももも見み見みみ知し知ししりりり參まゐ參まゐまいらららせせせたるたるたる者もの者ものもののののあるあるあるにににこそこそこそ、、、誰たれ誰たれたれなるなるなるらんらんらんととと恥はづ恥はづはずかしくかしくかしくててて、、、いとゞいとゞいとど足あし足あしあし早ばや早ばやばやにににぞぞぞさしさしさし給たま給たまたまふふう。。。これこれこれははは當たう當たうとう國ごく國ごくごくののの住ぢゆう住ぢゆうじゅう人にん人にんにん湯ゆ湯ゆゆ淺あさ淺あさあさののの權ごん權ごんごんののの守かみ守かみかみ宗むね宗むねむね重しげ重しげしげががが子こ子ここ、、、湯ゆ湯ゆゆ淺あさ淺あさあさののの七しち七しちしち郎らう郎らうろう兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえ宗むね宗むねむね光みつ光みつみつととといふいふいう者もの者ものものなりなりなり。。。郎らう郎らうろう等どう等どうどう共ども共どもども、、、「「「あれあれあれはははいかにいかにいかに。。。」」」ととと問と問ととひひいけれけれければばば、、、「「「あれあれあれこそこそこそ小こ小ここ松まつ松まつまつののの大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのののの御おん御おんおん嫡ちやく嫡ちやくちゃく子し子しし三さん三さんさん位み位みみののの中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょう殿どの殿どのどのよよよ、、、八や八やや島しま島しましまをををばばば何なに何なになにとととしししてててかかかははは遁のが遁のがのがれれれさせさせさせ給たま給たまたまひひいたりたりたりけるけるけるやらんやらんやらん、、、はやはやはや御おん御おんおんさまさまさまかへかへかへさせさせさせ給たま給たまたまひひいたりたりたり。。。與よ與よよ三さ三ささ兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえ、、、石いし石いしいし童どう童どうどう丸まる丸まるまるももも同おな同おなおなじうじうじゅう出しゆつ出しゆつしゅっ家け家けけしししててて御おん御おんおん供とも供ともともにににぞぞぞ參まゐ參まゐまいりりりけるけるける。。。近ちか近ちかちかづきづきづき參まゐ參まゐまいつつっててて御ご御ごご見げん見げんげん參ざん參ざんざんにににももも入い入いいりりりたかりたかりたかりつれつれつれどもどもども、、、御おん御おんおん憚はゞか憚はゞかはばかりりりもももぞぞぞ思おぼし思おぼしおぼし召め召めめすすすとととててて通とほ通とほとおりりりぬぬぬ。。。あなあなあなあはれあはれあわれなりなりなりけるけるける御おん御おんおん事こと事ことことかなかなかな。。。」」」とととててて、、、袖そで袖そでそでををを顏かほ顏かほかおにににおしおしおし當あ當ああてててててて、、、さめ〴〵さめ〴〵さめざめととと泣な泣ななきききけれけれければばば、、、郎らう郎らうろう等どう等どうどう共ども共どもどももももみなみなみな狩かり狩かりかり衣ぎぬ衣ぎぬぎぬののの袖そで袖そでそでをををぞぞぞぬらしぬらしぬらしけるけるける。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

「維盛の身がいつまでという定めもなく、雪山の鳥が鳴くというように、今日か明日かと思っていることよ」といって涙ぐまれるのは哀れである。潮風に黒ずみ、尽きない物思いにやせ衰えて、あの人とは見えなさらないが、それでもやはり世の人よりはすぐれておられた。その夜は滝口入道の庵室に帰って、昔や今の話をなさった。夜が更けるにつれて聖の修行のありさまをご覧になると、この上ない信心の床の上では真理の玉を磨いているように見え、後夜・晨朝の勤行の鐘の音には、生死の迷いの眠りを覚ますようにも思われた。逃れられるものなら、このようにしていたいと思われたのであろうか、夜が明けると東禅院の知覚上人という聖をお招きして出家しようとされたが、与三兵衛重景と石童丸を呼んでおっしゃるには、「維盛こそ人知れぬ思いを身に抱き、道が狭まって逃れがたい身だから、どうなるにしても、おまえたちは命を捨ててはならない。このごろは世に栄えている人も多い。私がどうにかなった後は、急いで都へ上って、それぞれ身を立て、一方では妻子をも養い、一方では維盛の後世をも弔ってくれ」とおっしゃると、二人は涙にむせび、うつ伏して、しばらくはご返事もできなかった。

しばらくして重景が涙をおさえて申すには、「重景の父与三左衛門景康は、平治の乱のとき、故殿(重盛)のお供をして、二条堀河のあたりで鎌田兵衛と組んで悪源太(義平)に討たれました。重景もどうして父に劣りましょうか。けれどもそのときはまだ二歳でしたので、少しも覚えておりません。母には七歳で死に別れました。情けをかけてくれる親しい者も一人もいなかったところ、故大臣殿(重盛)がお憐れみくださって、『あれはわが命に代わった者の子だから』といって、朝夕御前で育てていただき、九つと申したとき、君(維盛)のご元服の夜、恐れ多くも髪を結い上げていただいて、『盛の字は家の字だから五代(維盛)につける。重の字は松王につけよう』と仰せになって、重景と呼んでいただいたのです。そのうえ童名を松王と申しましたのも、生まれて忌の五十日というときに父が抱いて参ったところ、『この家を小松というから、祝ってつけるのだ』と仰せになって、松王と名づけていただいたのでございます。父があのように死にましたのも、わが身の冥加と思われます。仲間たちにも十分に目をかけられて過ごしてまいりました。ですからご臨終のときも、この世のことはお捨てになって一言も仰せにならなかったのに、重景を御前に呼んで、『ああ痛ましい。おまえは重盛を父の形見と思い、重盛はおまえを景康の形見と思って過ごしてきた。今度の除目で靫負の尉にして、父景康を呼んだように呼ぼうと思っていたのに、むなしくなるのが悲しい。決して少将殿(維盛)のお心にそむき申すな』と仰せになりました。日ごろは、万一のことがあれば真っ先に命を差し上げようと思っておりましたのに、お見捨て申して逃げるような者とお思いになるお心の中こそ恥ずかしゅうございます。このごろは世に栄えている人も多いと仰せですが、今の様子では、みな源氏の郎等ばかりでございましょう。君が神にも仏にもおなりになった後で、楽しみ栄えたとしても、千年の寿命を保てましょうか。たとえ万年を保ったとしても、最後には終わりがないことがありましょうか。これにまさる善知識が何かございましょうか」といって、自分で髻を切って、滝口入道に剃らせた。

石童丸もこれを見て、元結の際から髪を切った。これも八つの年からお仕え申して、重景にも劣らずかわいがっておられたので、同じく滝口入道に剃らせた。この者たちが先立ってこのようになるのをご覧になるにつけても、いっそう心細くなられた。「ああ、どうにかして、変わらない姿を、もう一度恋しい者たちに見せてから、このようになったのなら、思い残すこともあるまいに」とおっしゃったのは、せめてもの思いであった。

そうしてばかりもいられないので、「流転三界中、恩愛不能断、棄恩入無為、真実報恩者」と三度唱えられて、ついに髪を剃りおろされた。三位中将と与三兵衛は同じ年で、今年二十七歳である。石童丸は十八になっていた。しばらくして舎人の武里を呼んで、「決して、おまえはここから都へ上ってはならない。そのわけは、いつかは隠しおおせることではないが、確かにこのありさまを聞いたら、(妻も)すぐに姿を変えてしまうだろうと思われるからだ。ただここから八島へ行って、人々に申してほしいことは、『ご覧のとおり、世の中もすべてもの憂く、つまらなさもいろいろと重なって思われたので、人々にこうともお知らせ申さずに、このようになってしまいました。西国では左中将(清経)が亡くなりました。一の谷では備中守(師盛)が討たれました。維盛までもこのようになりましたので、さぞ皆さまは心細くお思いになるだろうと、それだけが心苦しゅうございます。そもそも唐皮という鎧と小烏という太刀は、平将軍貞盛以来、当家に伝えて、維盛までは嫡々九代にあたる。この後もし運が開けて都へお帰りになることがあれば、六代に与えよ』と申してくれ」とおっしゃった。

武里は涙にむせび、うつ伏して、しばらくはご返事もできなかった。しばらくして涙をおさえて申すには、「どこまでもお供申して、最後のご様子をも見届け申してから、八島へも参りましょう」と申したので、それならばといって連れて行かれた。善知識のためにといって、滝口入道も連れて行かれた。高野を山伏修行者のような姿で出立して、同じ国のうち山東へ出られた。藤代の王子をはじめとして、王子社を一つ一つ伏し拝みながら参られるうちに、千里の浜の北、岩代の王子の御前で、狩装束の者七、八騎ほどに行き会われた。もう捕らえられるのであろう、腹を切ろうと、それぞれ腰の刀に手をかけられたところ、そうではなくて、馬から下りて近づき申したが、少しも害を加えそうな様子もなく、深くかしこまって通り過ぎた。このあたりにも見知り申している者がいるのだな、誰であろうと恥ずかしくて、いっそう足を早められた。これは当国の住人湯浅権守宗重の子、湯浅七郎兵衛宗光という者である。郎等たちが「あれはどなたですか」と問うたので、「あれこそ小松の大臣殿のご嫡子三位中将殿だ。八島をどうやって逃れてこられたのだろうか。もう出家しておられた。与三兵衛と石童丸も同じく出家してお供をしていた。近づいてお目にかかりたかったが、ご遠慮なさるだろうと思って通り過ぎたのだ。ああ、お気の毒なことだ」といって、袖を顔に押し当ててさめざめと泣いたので、郎等たちもみな狩衣の袖を濡らした。

意訳

維盛の出家を、供の重景・石童丸の出家とともに描く章段である。重景の長い述懐は、父景康が平治の乱で重盛の身代わりとなって討たれた恩と、重盛に名を与えられ育てられた主従の絆を語り、主君を見捨てて生きることはできないという思いをあらわしている。

出家してもなお、変わらぬ姿を妻子に見せたかったと嘆く維盛の言葉には、仏道に入りきれない人間の情がにじむ。唐皮の鎧と小烏の太刀を六代に伝えよという遺言は、平家嫡流としての維盛の自覚を示し、のちの六代の物語へとつながっていく。

語釈・文法注

文法

「雪山の鳥の鳴くらんやうに」
雪山(ヒマラヤ)に住むという寒苦鳥は、夜は寒さに苦しんで明日こそ巣を作ろうと鳴くが、朝になると忘れてしまうという。今日か明日かと命の終わりを待つ身のたとえ。
「後夜晨朝」
六時の勤行のうち、夜半過ぎの後夜と早朝の晨朝。
「命を捨つへからず」
底本は「へからず」と濁点のない形で刷る。「べからず」の意。
「何かは劣り候べき」
底本のふりがなは「なじかは」。どうして劣りましょうか。
「頭を取り上げられ」
元服の際に髪を結い上げてもらうこと。
「盛の字は家の字なれば五代につく」
五代は維盛の幼名。平家代々の「盛」の字は維盛につけ、重盛の「重」の字を松王(重景)に与えた。
「父かやうで死にける」
父がこのようにして(主君の身代わりとなって)死んだこと。「かやうで」は「かやうにて」の約。
「靫負の尉」
衛門府の三等官。
「ばし」
強めの係助詞。「…など決して」の意。
「流轉三界中、恩愛不能斷、棄恩入無爲、眞實報恩者」
出家のときに唱える偈。三界に流転する間は恩愛を断つことができない。恩を捨てて無為に入ることこそ真実に恩に報いることである、の意。
「嫡々九代」
貞盛から維盛まで、嫡子から嫡子へと伝えて九代にあたる。
「王子々々」
熊野街道の沿道に祀られた熊野権現の分社、九十九王子。

解説

維盛の出家は寿永三年(1184)三月のことで、高野山で出家した後、熊野三山に参詣し、那智の沖で入水したと伝える。唐皮の鎧と小烏の太刀は平家の重宝とされ、小烏丸と伝える太刀が現在も皇室の御物として伝わっている。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、738–742頁(コマ398–400)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日