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平家物語 巻第十

海道くだりの事

頼朝の求めで、重衡は寿永三年三月十日、梶原景時に連れられて鎌倉へ下った。逢坂山・勢多の唐橋・不破の関・鳴海潟・八橋・浜名の橋と、東海道の名所を過ぎるたびに涙を流し、池田の宿では長者熊野の娘侍従と歌を交わした。侍従は、かつて宗盛に召されながら老母を思って暇を乞うた海道一の名人であった。重衡は子のないことをかえってよかったと嘆き、小夜の中山・宇津の山・甲斐の白峰・清見が関・富士の裾野・足柄山を越えて、鎌倉に入った。

  1. 1さるさるさる程ほど程ほどほどににに本ほん本ほんほん三さん三さんさん位み位みみののの中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょう重しげ重しげしげ衡ひら衡ひらひらののの卿きやう卿きやうきょうをををばばば、、、鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくらののの前さきの前さきのさきの右う右うう兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけ賴より賴よりより朝とも朝ともとも頻しき頻しきしきりりりににに申まう申まうもうささされれれけれけれければばば、、、さらばさらばさらば下くだ下くだくださささるるるべしべしべしとととててて、、、土と土とと肥ひ肥ひひののの次じ次じじ郎らう郎らうろう實さね實さねさね平ひら平ひらひらががが手て手ててよりよりより九く九くく郎らう郎らうろう御おん御おんおん曹ざう曹ざうぞう司し司ししののの宿しゆく宿しゆくしゅく所しよ所しよしょへへへ渡わた渡わたわたししし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。同おな同おなおなじきじきじき三さん三さんさん月ぐわつ月ぐわつがつ十とを十とをとお日か日かかののの日ひ日ひひ、、、梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはら平へい平へいへい三ざう三ざうぞう景かげ景かげかげ時とき時ときときににに具ぐ具ぐぐせせせられられられててて、、、關くわん關くわんかん東とう東とうとうへへへこそこそこそ下くだ下くだくだららられれれけれけれけれ。。。西さい西さいさい國こく國こくこくにににててていかにいかにいかにもももなるなるなるべかりべかりべかりししし人ひと人ひとひとののの、、、生い生いいきききながらながらながら捕とら捕とらとらははわれれれててて都みやこ都みやこみやこへへへ上のぼ上のぼのぼりりり給たま給たまたまふふうだにだにだに口くち口くちくち惜を惜をおしきしきしきににに、、、今いま今いまいま更さら更さらさらまたまたまた關せき關せきせきののの東ひがし東ひがしひがしへへへ赴おもむ赴おもむおもむかかかれれれけんけんけん心こゝろ心こゝろこころののの中うち中うちうち、、、推お推おおししし量はか量はかはかららられれれててて哀あは哀あはあわれれれなりなりなり。。。四し四ししののの宮みや宮みやみや河が河がが原はら原はらはらににになりなりなりぬれぬれぬればばば、、、こゝこゝここははは昔むかし昔むかしむかし延えん延えんえん喜ぎ喜ぎぎ第だい第だいだい四し四ししののの皇わう皇わうおう子じ子じじ蟬せみ蟬せみせみ丸まる丸まるまるののの、、、關せき關せきせきののの嵐あらし嵐あらしあらしににに心こゝろ心こゝろこころをををすましすましすまし、、、琵び琵びび琶は琶はわををを彈ひ彈ひひききき給たま給たまたまひひいしししににに、、、博はく博はくはく雅が雅ががののの三さん三さんさん位み位みみととといついついっししし人ひと人ひとひと、、、風かぜ風かぜかぜののの吹ふ吹ふふくくく日ひ日ひひももも吹ふ吹ふふかかかぬぬぬ日ひ日ひひももも、、、雨あめ雨あめあめののの降ふ降ふふるるる夜よ夜よよももも降ふ降ふふらららぬぬぬ夜よ夜よよももも、、、三み三みみ年とせ年とせとせががが閒あひだ閒あひだあいだあゆみあゆみあゆみをををはこびはこびはこび、、、立た立たたちちち聞き聞きききききててて、、、かのかのかの三さん三さんさん曲きよく曲きよくきょくををを傳つた傳つたつたへへえけんけんけん、、、わらわらわら屋や屋ややののの床とこ床とことこののの古いにしへ古いにしへいにしえももも、、、思おも思おもおもひひいやらやらやられれれてててあはれあはれあわれなりなりなり。。。
  2. 2逢あふ逢あふおう坂さか坂さかさか山やま山やまやまうちうちうち越こ越ここえええててて、、、勢せ勢せせ多た多たたののの唐から唐からから橋はし橋はしはし、、、駒こま駒こまこまもももとゞろとゞろとどろととと蹈ふ蹈ふふみみみ鳴な鳴なならしらしらし、、、雲ひ雲ひひ雀ばり雀ばりばり上あが上あがあがれれれるるる野の野のの路ぢ路ぢじののの里さと里さとさと、、、志し志しし賀が賀ががののの浦うら浦うらうら浪なみ浪なみなみ春はる春はるはるかけかけかけててて、、、霞かすみ霞かすみかすみにににくもるくもるくもる鏡かゞみ鏡かゞみかがみ山やま山やまやま、、、比ひ比ひひ良ら良ららののの高たか高たかたか峯ね峯ねねををを北きた北きたきたにににしししててて、、、伊い伊いい吹ぶき吹ぶきぶきののの嶽たけ嶽たけたけももも近ちか近ちかちかづきづきづきぬぬぬ。。。心こゝろ心こゝろこころをををとむとむとむとととしししなけれなけれなけれどもどもども、、、荒あ荒ああれれれてててなか〳〵なか〳〵なかなか優やさ優やさやさしきしきしきははは、、、不ふ不ふふ破は破はわののの關せき關せきせき屋や屋ややののの板いた板いたいた廂びさし廂びさしびさし、、、いかにいかにいかに鳴なる鳴なるなる海み海みみののの潮しほ潮しほしお干ひ干ひひ潟がた潟がたがた、、、涙なみだ涙なみだなみだににに袖そで袖そでそではははしをれしをれしおれつゝつゝつつ、、、かのかのかの在あり在ありあり原はら原はらはらののの某なにがし某なにがしなにがしののの唐から唐からから衣ごろも衣ごろもごろもきつゝきつゝきつつなれなれなれにににしししととと詠なが詠ながながめめめけんけんけん、、、三み三みみ河かは河かはかわののの國くに國くにくにののの八やつ八やつやつ橋はし橋はしはしにににもももなりなりなりぬれぬれぬればばば、、、蜘く蜘くく蛛も蛛もも手で手ででにににものものものをををとととあはれあはれあわれなりなりなり。。。濱はま濱はまはま名な名ななののの橋はし橋はしはしををを渡わた渡わたわたりりり給たま給たまたまへへえばばば、、、松まつ松まつまつののの梢こずゑ梢こずゑこずえににに風かぜ風かぜかぜさえさえさえててて、、、入いり入いりいり江え江ええにににさわぐさわぐさわぐ波なみ波なみなみののの音おと音おとおと、、、さらさらさらでででももも旅たび旅たびたびはははものものものうきうきうきににに、、、心こゝろ心こゝろこころをををつくすつくすつくす夕ゆふ夕ゆふゆうまぐれまぐれまぐれ、、、池いけ池いけいけ田だ田だだののの宿しゆく宿しゆくしゅくにににももも著つ著つつききき給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。かのかのかの宿しゆく宿しゆくしゅくののの長ちやう長ちやうちょう者じや者じやじゃ熊ゆ熊ゆゆ野や野ややががが女むすめ女むすめむすめ侍じ侍じじ從じゆう從じゆうじゅうがががもともともとににに、、、そのそのその夜よ夜よよははは三さん三さんさん位み位みみ宿しゆく宿しゆくしゅくせせせられられられけりけりけり。。。
  3. 3侍じ侍じじ從じゆう從じゆうじゅう、、、三さん三さんさん位み位みみののの中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょう殿どの殿どのどのををを見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、「「「日ひ日ひひ頃ごろ頃ごろごろはははつてつてつてにににだにだにだに思おぼし思おぼしおぼし召め召めめししし寄よ寄よよりりり給たま給たまたまははわぬぬぬ人ひと人ひとひとののの、、、今日けふ今日けふきょうはははかかるかかるかかる所ところ所ところところへへへ入い入いいらららせせせ給たま給たまたまふふう事こと事ことことののの不ふ不ふふ思し思しし議ぎ議ぎぎさささよよよ。。。」」」とととててて、、、一いつ一いついっ首しゆ首しゆしゅののの歌うた歌うたうたををを奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。
  4. 4旅たび旅たびたびののの空そら空そらそらはにふはにふはにゅうののの小こ小ここ屋や屋ややのののいぶせさいぶせさいぶせさにににふるさとふるさとふるさといかにいかにいかに戀こひ戀こひこいしかるしかるしかるらむらむらん
  5. 5中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょうののの返へん返へんへん事じ事じじににに、、、
  6. 6ふるさとふるさとふるさとももも戀こひ戀こひこいしくしくしくもももなしなしなし旅たび旅たびたびののの空そら空そらそら都みやこ都みやこみやこもももつひつひついのののすみかすみかすみかならならならねねねばばば
  7. 7やゝやゝややあつあつあっててて中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょう、、、梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはらををを召め召めめささされれれててて、、、「「「さてさてさてもももたゞたゞただ今いま今いまいまののの歌うた歌うたうたののの主ぬし主ぬしぬしははは、、、いかなるいかなるいかなる者もの者ものものぞぞぞ。。。やさしうやさしうやさしゅうももも仕つかまつ仕つかまつつかまつつつったるたるたるものものものかなかなかな。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、景かげ景かげかげ時とき時ときとき畏かしこ畏かしこかしこまつまつまっててて申まう申まうもうしししけるけるけるははは、、、「「「君きみ君きみきみははは未いま未いまいまだだだしろしめさしろしめさしろしめされれれ候さふら候さふらそうらははわずずずややや。。。あれあれあれこそこそこそ八や八やや島しま島しましまののの大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのののの、、、未いま未いまいまだだだ當たう當たうとう國ごく國ごくごくののの守かみ守かみかみにににてててわたらわたらわたらせせせ給たま給たまたまひひいししし時とき時ときとき、、、召め召めめささされれれ參まゐ參まゐまいらららせせせててて御ご御ごご最さい最さいさい愛あい愛あいあい候さふら候さふらそうらひひいしししににに、、、老らう老らうろう母ぼ母ぼぼをををこれこれこれににに止とゞ止とゞとどめめめ置お置おおききき、、、常つね常つねつねははは暇いとま暇いとまいとまををを申まう申まうもうししししかしかしかどもどもども、、、賜たま賜たまたまははわらららざりざりざりけれけれければばば、、、頃ころ頃ころころははは三やよ三やよやよ月ひ月ひいののの始はじ始はじはじめめめにににてててもももややや候さふら候さふらそうらひひいけんけんけん、、、
  8. 8いかにいかにいかにせせせむむん都みやこ都みやこみやこののの春はる春はるはるももも惜を惜をおしけれしけれしけれどどど馴な馴ななれれれしししあづまあづまあずまののの花はな花はなはなややや散ち散ちちるるるらむらむらん
  9. 9ととといふいふいう名めい名めいめい歌か歌かか仕つかまつ仕つかまつつかまつりりり、、、暇いとま暇いとまいとまををを賜たま賜たまたまはつはつわってててまかりまかりまかり下くだ下くだくだりりり候さふら候さふらそうらひひいししし、、、海かい海かいかい道だう道だうどう一いち一いちいちののの名めい名めいめい人じん人じんじんにににててて候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」とととぞぞぞ申まう申まうもうしししけるけるける。。。都みやこ都みやこみやこををを出い出いいでででててて日ひ日ひひ數かず數かずかず經ふ經ふふれれればばば、、、三やよ三やよやよ月ひ月ひいももも半なか半なかなかばばば過す過すすぎぎぎ、、、春はる春はるはるももも既すで既すですでににに暮く暮くくれれれなななんんんとととすすす。。。遠ゑん遠ゑんえん山ざん山ざんざんののの花はな花はなはなははは、、、殘のこ殘のこのこんんんののの雪ゆき雪ゆきゆきかかかととと見み見みみえええててて、、、浦うら浦うらうら々うら々うらうら島しま島しましま々じま々じまじま霞かす霞かすかすみみみ渡わた渡わたわたりりり、、、來こ來ここししし方かた方かたかた、、、行ゆ行ゆゆくくく末すゑ末すゑすえののの事こと事ことことどもどもども、、、思おも思おもおもひひいつゞけつゞけつづけ給たま給たまたまふふうにににももも、、、「「「こここはははされされさればばばいかなるいかなるいかなる宿しゆく宿しゆくしゅく業ごふ業ごふごうのののうたてさうたてさうたてさぞぞぞ。。。」」」とととのたまひのたまひのたまいててて、、、たゞたゞただ盡つ盡つつきききせせせぬぬぬものものものははは涙なみだ涙なみだなみだなりなりなり。。。御おん御おんおん子こ子ここののの一いち一いちいち人にん人にんにんもももおはせおはせおわせぬぬぬ事こと事ことことををを、、、母はゝ母はゝははののの二に二にに位ゐ位ゐい殿どの殿どのどのももも歎なげ歎なげなげききき、、、北きた北きたきたののの方かた方かたかた大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんののの佐すけ佐すけすけ殿どの殿どのどのももも本ほ本ほほ意い意いいなきなきなき事こと事ことことにににししし給たま給たまたまひひいててて、、、よろづよろづよろずののの神かみ神かみかみ佛ほとけ佛ほとけほとけにににかけかけかけててて祈いの祈いのいのりりり申まう申まうもうささされれれけれけれけれどもどもども、、、そのそのそのしるししるししるしなしなしなし。。。「「「かしこうかしこうかしこうぞぞぞなかりなかりなかりけるけるける。。。子こ子ここだにだにだにもももあらあらあらましかましかましかばばば、、、いかばかりいかばかりいかばかり思おも思おもおもふふう事こと事ことことあらあらあらじじじ。。。」」」ととと宣のたま宣のたまのたまひひいけるけるけるこそこそこそ、、、せめてせめてせめてものものもの事こと事ことことなれなれなれ。。。
  10. 10さささ夜よ夜よよののの中なか中なかなか山やま山やまやまにににかゝりかゝりかかり給たま給たまたまふふうにににももも、、、またまたまた越こ越ここゆゆゆべしべしべしとととももも覺おぼ覺おぼおぼえええねねねばばば、、、いとゞいとゞいとどあはれあはれあわれののの數かず數かずかずそひそひそいててて、、、袂たもと袂たもとたもとぞぞぞいたくいたくいたくぬれぬれぬれまさるまさるまさる。。。うつうつうつののの山やま山やまやまべべべののの蔦つた蔦つたつたののの道みち道みちみち、、、心こゝろ心こゝろこころ細ぼそ細ぼそぼそくくくももも打うち打うちうち越こ越ここえええててて、、、手て手てて越ごし越ごしごしををを過す過すすぎぎぎててて行ゆ行ゆゆけけけばばば、、、北きた北きたきたににに遠とほ遠とほとおざかつざかつざかっててて雪ゆき雪ゆきゆき白しろ白しろしろききき山やま山やまやまありありあり。。。問と問ととへへへばばば甲か甲かか斐ひ斐ひいののの白しら白しらしら峯ね峯ねねととといふいふいう。。。そのそのその時とき時ときとき三さん三さんさん位み位みみののの中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょう、、、落お落おおつるつるつる涙なみだ涙なみだなみだをををおさへおさへおさえつゝつゝつつ、、、
  11. 11惜を惜をおしからしからしからぬぬぬ命いのち命いのちいのちなれなれなれどもどもども今日けふ今日けふきょうまでまでまでにににつれなきつれなきつれなきかひかひかいののの白しら白しらしら峯ね峯ねねをををももも見み見みみつつつ
  12. 12淸きよ淸きよきよ見み見みみががが關せき關せきせきうちうちうち越こ越ここえええててて、、、富ふ富ふふ士じ士じじののの裾すそ裾すそすそ野の野ののににになりなりなりぬれぬれぬればばば、、、北きた北きたきたにににははは靑せい靑せいせい山ざん山ざんざん峨が峨がが々が々ががとととしししててて、、、松まつ松まつまつ吹ふ吹ふふくくく風かぜ風かぜかぜ颯さつ颯さつさっ々さつ々さつさつたりたりたり。。。南みなみ南みなみみなみにににははは蒼さう蒼さうそう海かい海かいかい漫まん漫まんまん々まん々まんまんとととしししててて、、、岸きし岸きしきしうつうつうつ浪なみ浪なみなみももも茫ばう茫ばうぼう々ばう々ばうぼうたりたりたり。。。「「「戀こひ戀こひこいせせせばばば痩や痩ややせせせぬぬぬべしべしべし、、、戀こひ戀こひこいせせせずずずもももありありありけりけりけり。。。」」」ととと明みやう明みやうみょう神じん神じんじんののの歌うた歌うたうたひひい始はじ始はじはじめめめ給たま給たまたまひひいけんけんけん、、、足あし足あしあし柄がら柄がらがらののの山やま山やまやまうちうちうち越こ越ここえええててて、、、こゆるぎこゆるぎこゆるぎののの森もり森もりもり、、、鞠まり鞠まりまり子こ子ここ川がは川がはがわ、、、小こ小ここ磯いそ磯いそいそ、、、大おほ大おほおお磯いそ磯いそいそののの浦うら浦うらうら々うら々うらうら、、、やつまとやつまとやつまと、、、砥と砥とと上がみ上がみがみががが原はら原はらはら、、、御み御みみ輿こし輿こしこしががが崎さき崎さきさきをををもももうちうちうち過す過すすぎぎぎててて、、、いそがいそがいそがぬぬぬ旅たび旅たびたびとととははは思おも思おもおもへへえどもどもども、、、日ひ日ひひ數かず數かずかずやう〳〵やう〳〵ようよう重かさ重かさかさなれなれなればばば、、、鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくらへへへこそこそこそ入い入いいりりりたまへたまへたまえ。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

そのうちに、本三位中将重衡卿を、鎌倉の前右兵衛佐頼朝がしきりに求められたので、それなら下そうということになって、土肥次郎実平の手から九郎御曹司(義経)の宿所へお渡し申した。同じ三月十日に、梶原平三景時に連れられて、関東へ下られた。西国でどうにでもなるはずだった人が、生きながら捕らわれて都へ上られたことさえ無念なのに、今さらまた関の東へ向かわれた心の中が推し量られて哀れである。四の宮河原に着くと、ここは昔、延喜帝(醍醐天皇)の第四の皇子蟬丸が、逢坂の関の嵐に心を澄まして琵琶を弾かれたところに、博雅三位という人が、風の吹く日も吹かない日も、雨の降る夜も降らない夜も、三年の間通い続けて立ち聞きし、あの三つの秘曲を伝えたという、そのわら屋の床の昔も思いやられて哀れである。

逢坂山を越えて、勢多の唐橋を駒もとどろと踏み鳴らし、雲雀の舞い上がる野路の里、春まで寄せる志賀の浦の波、霞にくもる鏡山、比良の高嶺を北に見て、伊吹の嶽も近づいた。心をとめるというわけではないが、荒れていてかえって趣深いのは不破の関屋の板びさし。いかになると思う鳴海の潮干潟では涙に袖がしおれ、あの在原の某(業平)が「唐衣きつつなれにし」と詠んだという三河国の八橋に着くと、蜘蛛手のように思いが乱れて哀れである。浜名の橋を渡られると、松の梢に風が冷たく、入江に騒ぐ波の音がして、それでなくても旅はもの憂いのに、心をつくす夕暮れどきに、池田の宿に着かれた。その宿の長者熊野の娘、侍従のところに、その夜三位は泊まられた。

侍従は三位中将殿を見申して、「日ごろは人づてにさえお心にかけてくださらない方が、今日はこのような所へお入りになるとは不思議なことよ」といって、一首の歌を差し上げた。

(旅の空の下、粗末な埴生の小屋のむさくるしさに、ふるさとの都はどれほど恋しくお思いでしょう)

中将の返事に、

(ふるさとの都も恋しくはない。旅の空の下にいるが、都もしょせん終のすみかではないのだから)

しばらくして中将は梶原を呼ばれて、「それにしても今の歌の主はどういう者か。優美に詠んだものだな」とおっしゃると、景時はかしこまって申すには、「君はまだご存じないのですか。あの者こそ、八島の大臣殿(宗盛)がまだ当国の守でいらしたとき召されて、たいそうご寵愛を受けておりましたが、老母をここに残しておいたので、いつも暇を願い出たけれども許されなかったので、ころは三月の初めでございましたか、

(どうしたらよいのでしょう。都の春も名残惜しいけれど、住み慣れた東国の花が今ごろ散っているのではないかと気がかりで)

という名歌を詠んで、暇を賜って下ってまいりました、海道一の名人でございます」と申した。都を出て日数がたつと、三月も半ばを過ぎ、春もすでに暮れようとしている。遠山の桜は残雪かと見え、浦々島々は一面に霞み、これまでのこと、これからのことを思い続けられるにつけても、「これはいったいどんな前世の宿業のつらさなのか」とおっしゃって、ただ尽きないものは涙である。子が一人もいらっしゃらないことを、母の二位殿も嘆き、北の方大納言佐殿も残念なことに思われて、あらゆる神仏に願をかけて祈られたが、その効験もなかった。「子がなくてかえってよかった。子でもいたら、どれほど心配することだろう」とおっしゃったのは、せめてもの慰めであった。

小夜の中山にさしかかられても、またここを越えることがあろうとも思われないので、いっそう哀れさがつのって、袂がひどく濡れる。宇津の山辺の蔦の道を心細く越えて、手越を過ぎて行くと、北に遠く離れて雪の白い山がある。尋ねると甲斐の白峰という。そのとき三位中将は、落ちる涙を押さえながら、

(惜しくもない命だが、今日まで生き長らえて、そのかいあって、あの甲斐の白峰をも見ることができた)

清見が関を越えて、富士の裾野に着くと、北には青い山が高くそびえて、松を吹く風がさっと音を立てる。南には青い海が果てしなく広がり、岸を打つ波も遠く広々としている。「恋すれば痩せるはずだ。恋をしないでもいられたらよいのに」と明神が歌い始められたという足柄の山を越え、こゆるぎの森、鞠子川、小磯、大磯の浦々、やつまと、砥上が原、御輿が崎をも過ぎて、急がない旅とは思うものの、日数がしだいに重なったので、鎌倉に入られた。

意訳

捕らわれの身となった重衡が、都から鎌倉へと東海道を下る道行文である。逢坂山・勢多・野路・志賀・鏡山・不破・鳴海・八橋・浜名と、歌枕を七五調で連ね、地名に掛詞を織りこみながら、二度と帰れない旅路の悲しみを重ねていく。名所を通り過ぎるたびに、華やかな都の生活から引き離されていく重衡の心がにじむ。

池田の宿の侍従との贈答は、旅の空の侘しさを思いやる侍従に、都ももはや終のすみかではないと答える重衡の諦めを示す。子のないことをかえってよかったと言う言葉や、生き長らえたかいに甲斐の白峰を見たという歌にも、命を惜しまぬ覚悟と深い孤独が表れている。

語釈・文法注

文法

「さらば下さるべし」
頼朝の求めに応じて、それなら(重衡を鎌倉へ)下そう、という院の側の判断。
「四の宮河原」
山城国山科の地。蟬丸が住んだという逢坂の関の近く。
「かの三曲」
琵琶の秘曲「流泉」「啄木」「楊真操」。博雅三位(源博雅)が蟬丸のもとに三年通い、立ち聞きして伝えたという説話による。
「志賀の浦浪春かけて」
春までかけて寄せる志賀の浦の波。
「いかに鳴海の潮干潟」
「いかになる」と「鳴海」を掛ける。
「蜘蛛手にものを」
八橋は川が蜘蛛の手のように分かれて橋を八つ渡したことからの名。思いが四方に乱れる意をこめる。
「今日はかかる所へ」
底本は行末で「かか」と字で刷る。
「はにふの小屋」
埴生(はにゅう)の小屋。土の上にむしろを敷いただけの粗末な家。
「御最愛候ひしに」
たいそう寵愛を受けておりましたが。
「三月」
底本のふりがなは「やよひ」。
「かしこうぞなかりける」
子がなくてかえってよかった。「かしこし」は都合がよい、の意。
「つれなきかひの白峯」
「かひ」に「甲斐」と「効(かい)」を掛ける。
「戀せば痩せぬべし、戀せずもありけり」
足柄明神の歌い始めたと伝える今様。『梁塵秘抄』の系統の歌謡。
「やつまと」
相模国の地名。所在ははっきりしない。

和歌

旅の空はにふの小屋のいぶせさにふるさといかに戀しかるらむ

詠者
侍従(池田の宿の長者熊野の娘)
状況
池田の宿に泊まった重衡に、侍従が奉った歌。

修辞

はにふの小屋
土間にむしろを敷いただけの粗末な宿をさし、旅のわびしさを強める。

ふるさとも戀しくもなし旅の空都もつひのすみかならねば

詠者
平重衡
状況
侍従の歌への返歌。

修辞

都もつひのすみかならねば
侍従の「ふるさと」を受けて、都さえ終のすみかではないと、死を覚悟した心で答える。

いかにせむ都の春も惜しけれど馴れしあづまの花や散るらむ

詠者
侍従
状況
かつて宗盛に仕えていた侍従が、東国の老母のもとへ帰るために暇を乞うて詠んだ歌。梶原景時が重衡に語った。

修辞

馴れしあづまの花
住み慣れた東国の花に、ふるさとに残した老母を重ねる。

惜しからぬ命なれども今日までにつれなきかひの白峯をも見つ

詠者
平重衡
状況
手越を過ぎて、北に甲斐の白峰を望んだときの歌。

修辞

かひ
「甲斐」と「効(かい)」の掛詞。

解説

重衡は寿永三年(1184)三月十日、梶原景時に護送されて鎌倉へ下った(『吾妻鏡』)。この章段は、軍記物語の道行文の代表として知られ、『太平記』の俊基朝臣東下りなどにも影響を与えた。池田の宿(静岡県磐田市)の熊野と侍従の話は、謡曲「熊野(ゆや)」の題材となった。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、724–727頁(コマ391–392)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日