古典ライブラリー

平家物語 巻第十

戒文の事

宗盛の請文が届いて、重衡は神器と引き換えに許される望みを失い、関東へ下されることに決まった。重衡は出家を願ったが、法皇は頼朝に見せてからと許さず、かわりに長年帰依していた黒谷の法然上人との対面が許された。重衡は、南都焼き討ちは心ならずも伽藍を滅ぼしたとはいえ大将軍としての罪は自分一人にあると懺悔し、救いの道を問う。法然は、末法の世には称名念仏がすぐれ、罪深い者も念仏すれば往生できると説き、剃るまねをして十戒を授けた。重衡は布施として、清盛が宋の帝から贈られた硯「松蔭」を法然に贈った。

  1. 1三さん三さんさん位み位みみののの中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょうこのこのこの由よし由よしよしををを聞き聞ききききき給たま給たまたまひひいててて、、、「「「さささこそこそこそはははあらあらあらんんんずれずれずれ。。。いかにいかにいかに一いち一いちいち門もん門もんもんののの人ひと人ひとひと々びと々びとびとのののわるうわるうわるう思おも思おもおもははわれれれけんけんけん。。。」」」ととと、、、後こう後こうこう悔くわい悔くわいかいせせせられられられけれけれけれどもどもどもかひかひかいぞぞぞなきなきなき。。。げにげにげにももも重しげ重しげしげ衡ひら衡ひらひら一いち一いちいち人にん人にんにんををを惜を惜をおしみしみしみててて、、、さしもさしもさしもにににわがわがわが朝てう朝てうちょうののの重ちよう重ちようちょう寶ほう寶ほうほう三さん三さんさん種しゆ種しゆしゅののの神じん神じんじん器ぎ器ぎぎををを、、、返かへ返かへかへししし給たま給たまたまふふうらんらんらんとととももも覺おぼ覺おぼおぼえええねねねばばば、、、このこのこの請うけ請うけうけ文ぶみ文ぶみぶみののの趣おもむき趣おもむきおもむきははは、、、かねかねかねてててよりよりより思おも思おもおもひひい設まう設まうもうけけけられられられたりたりたりしかしかしかどもどもども、、、未いま未いまいまだだだ左さ左さそ右う右ううををを申まう申まうもうささされれれざりざりざりつるつるつる程ほど程ほどほどははは、、、何なに何なになにとととなうなうのう心こゝろ心こゝろこころ許もと許もともとなうなうのう思おも思おもおもははわれれれけるけるけるににに、、、請うけ請うけうけ文ぶみ文ぶみぶみ既すで既すですでににに到たう到たうとう來らい來らいらいしてしてして、、、關くわん關くわんかん東とう東とうとうへへへ下くだ下くだくだるるるべきべきべきににに定さだ定さださだまりまりまりしかしかしかばばば、、、三さん三さんさん位み位みみののの中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょう、、、都みやこ都みやこみやこののの名な名なな殘ごり殘ごりごりももも今いま今いまいま更さら更さらさら惜を惜をおしうしうしゅうややや思おも思おもおもははわれれれけんけんけん、、、土と土とと肥ひ肥ひひののの次じ次じじ郎らう郎らうろう實さね實さねさね平ひら平ひらひらををを召め召めめしししててて、、、「「「出しゆつ出しゆつしゅっ家け家けけせせせばやばやばやととと思おも思おもおもふふうはははいかにいかにいかに。。。」」」ととと宣のたま宣のたまのたまへへえばばば、、、このこのこの由よし由よしよしををを九く九くく郎らう郎らうろう御おん御おんおん曹ざう曹ざうぞう司し司ししへへへ申まう申まうもうすすす。。。院ゐん院ゐんいんののの御ご御ごご所しよ所しよしょへへへ奏そう奏そうそう聞もん聞もんもんせせせられられられたりたりたりけれけれければばば、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおう、、、「「「賴より賴よりより朝とも朝ともともににに見み見みみせせせててて後のち後のちのちこそこそこそ、、、ともかうもともかうもともこうも計はか計はかはからららはははめめめ。。。たゞたゞただ今いま今いまいまははは爭いか爭いかいかでででかかか許ゆる許ゆるゆるすすすべきべきべき。。。」」」ととと仰おほ仰おほおおせせせけれけれければばば、、、このこのこの由よし由よしよしををを中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょう殿どの殿どのどのににに申まう申まうもうすすす。。。「「「さらばさらばさらば年とし年としとし頃ごろ頃ごろごろ契ちぎ契ちぎちぎつつったるたるたる聖ひじり聖ひじりひじりににに今いま今いまいま一いち一いちいち度ど度どど對たい對たいたい面めん面めんめんしてしてして、、、後ご後ごご生しやう生しやうしょうののの事こと事ことことをををももも申まう申まうもうししし談だん談だんだんぜぜぜばやばやばやととと思おも思おもおもふふうはははいかにいかにいかに。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、土と土とと肥ひ肥ひひののの次じ次じじ郎らう郎らうろう、、、「「「聖ひじり聖ひじりひじりをををばばば誰たれ誰たれたれととと申まう申まうもうししし候さふらふ候さふらふそうろうやらんやらんやらん。。。」」」「「「黑くろ黑くろくろ谷だに谷だにだにののの法ほふ法ほふほう然ねん然ねんねん坊ばう坊ばうぼうととといふいふいう人ひと人ひとひとなりなりなり。。。」」」「「「さてさてさてははは苦くる苦くるくるしうしうしゅう候さふらふ候さふらふそうろうまじまじまじ、、、とう〳〵とう〳〵とうとう。。。」」」とてとてとて許ゆる許ゆるゆるししし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。
  2. 2三さん三さんさん位み位みみののの中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょうなのめなのめなのめならならならずずずににに悅よろこ悅よろこよろこびびび、、、やがてやがてやがて聖ひじり聖ひじりひじりををを請しやう請しやうしょうじじじ奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、泣な泣ななく〳〵く〳〵くなく申まう申まうもうささされれれけるけるけるははは、、、「「「今こん今こんこん度ど度どど西さい西さいさい國こく國こくこくにてにてにていかにいかにいかにもももなるなるなるべかりべかりべかりししし身み身みみののの、、、生い生いいきききながらながらながら捕とら捕とらとらははわれれれてててまかりまかりまかり上のぼ上のぼのぼりりり候さふらふ候さふらふそうろうははは、、、再ふたゝ再ふたゝふたたびびび上しやう上しやうしょう人にん人にんにんののの御ご御ごご見げん見げんげん參ざん參ざんざんににに入い入いいるるるべきべきべきにてにてにて候さふら候さふらそうらひひいけりけりけり。。。さてもさてもさても重しげ重しげしげ衡ひら衡ひらひらががが後ご後ごご生しやう生しやうしょうはははいかゞいかゞいかが仕つかまつ仕つかまつつかまつりりり候さふらふ候さふらふそうろうべきべきべき。。。身み身みみののの身み身みみにてにてにて候さふら候さふらそうらひひいしししほどほどほどははは出しゆつ出しゆつしゅっ仕し仕ししにににまぎれまぎれまぎれ、、、政せい政せいせい務む務むむにににほだされほだされほだされ、、、憍けう憍けうきょう慢まん慢まんまんののの心こゝろ心こゝろこころのみのみのみ深ふか深ふかふこうううしてしてして、、、到たう到たうとう來らい來らいらいののの昇しよう昇しようしょう沉ちん沉ちんちんををを顧かへり顧かへりかえりみみみずずず。。。況いは況いはいわんんんややや運うん運うんうんつきつきつき世よ世よよ亂みだ亂みだみだれれれててて、、、都みやこ都みやこみやこををを出い出いいでででししし後のち後のちのちははは、、、こゝこゝここににに戰たゝか戰たゝかたたかひひい、、、かしこかしこかしこににに爭あらそ爭あらそあらそひひい、、、人ひと人ひとひとををを亡ほろ亡ほろほろぼしぼしぼし、、、身み身みみををを助たす助たすたすからからからんんんととと思おも思おもおもふふう惡あく惡あくあく心しん心しんしんのみのみのみ遮さへぎ遮さへぎさえぎつつっててて、、、善ぜん善ぜんぜん心しん心しんしんははは嘗かつ嘗かつかつててて起おこ起おこおこらららずずず。。。就なか就なかなか中んづく中んづくんずく南なん南なんなん都と都とと炎えん炎えんえん上しやう上しやうしょうのののことことことははは、、、王わう王わうおう命めい命めいめいととと申まう申まうもうししし武ぶ武ぶぶ命めい命めいめいととといひいひいい、、、君きみ君きみきみににに仕つか仕つかつかへへえ、、、世よ世よよににに從したが從したがしたがふふう法はふ法はふほう遁のが遁のがのがれれれ難がた難がたがとうううしてしてして、、、衆しゆ衆しゆしゅ徒と徒ととののの惡あく惡あくあく行ぎやう行ぎやうぎょうををを鎭しづ鎭しづしずめめめんんんががが爲ため爲ためためにににまかりまかりまかり向むか向むかむかつつっててて候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、不ふ不ふふ慮りよ慮りよりょににに伽が伽がが藍らん藍らんらんののの滅めつ滅めつめつ亡ばう亡ばうぼうににに及およ及およおよびびびぬるぬるぬる事こと事ことことははは、、、力ちから力ちからちから及およ及およおよばばばざるざるざる次し次しし第だい第だいだいなりなりなり。。。されどもされどもされども時とき時ときときののの大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐんにてにてにて候さふら候さふらそうらひひいししし閒あひだ閒あひだあいだ、、、責せめ責せめせめ一いち一いちいち人にん人にんにんににに歸き歸ききすすすとととかやかやかや申まう申まうもうししし候さふらふ候さふらふそうろうなれなれなればばば、、、重しげ重しげしげ衡ひら衡ひらひら一いち一いちいち人にん人にんにんががが罪ざい罪ざいざい業ごふ業ごふごうにににこそこそこそなりなりなり候さふら候さふらそうらひひいぬぬぬらめらめらめととと覺おぼ覺おぼおぼえええ候さふらふ候さふらふそうろう。。。今いま今いまいま又また又またまたかれかれかれこれこれこれ恥はぢ恥はぢはじををを曝さら曝さらさらすすすももも、、、しかしながらしかしながらしかしながらそのそのその報むく報むくむくいいいとととのみのみのみこそこそこそ思おも思おもおもひひい知し知ししららられれれててて候さふら候さふらそうらへへえ。。。今いま今いまいまははは髪かみ髪かみかみををを剃そ剃そそりりり、、、乞こつ乞こつこっ食じき食じきじき頭づ頭づず陀だ陀だだののの行ぎやう行ぎやうぎょうをををもももしてしてして、、、ひとへひとへひとえににに佛ぶつ佛ぶつぶつ道だう道だうどう修しゆ修しゆしゅ行ぎやう行ぎやうぎょうしししたくたくたく候さふら候さふらそうらへへえどもどもども、、、斯か斯かかかるかるかる身み身みみににに任まか任まかまかりりりなつなつなっててて候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、心こゝろ心こゝろこころににに心こゝろ心こゝろこころをををももも任まか任まかまかせせせ候さふら候さふらそうらははわずずず。。。いかなるいかなるいかなる行ぎやう行ぎやうぎょうををを修しゆ修しゆしゅしししてててももも、、、一いつ一いついっ向かう向かうこう助たす助たすたすかるかるかるべしべしべしとととももも覺おぼ覺おぼおぼえええぬぬぬ事こと事ことことこそこそこそ、、、口くち口くちくち惜を惜をおしうしうしゅう候さふら候さふらそうらへへえ。。。つら〳〵つら〳〵つらつら一いつ一いついっ生しやう生しやうしょうののの化け化けけ行ぎやう行ぎやうぎょうををを按あん按あんあんずるずるずるににに、、、罪ざい罪ざいざい業ごふ業ごふごうははは須しゆ須しゆしゅ彌み彌みみよりよりよりももも高たか高たかたかくくく、、、善ぜん善ぜんぜん根ごん根ごんごんははは微み微みみ塵ぢん塵ぢんじんばかりばかりばかりももも貯たくは貯たくはたくわへへえなしなしなし。。。かくかくかくててて命いのち命いのちいのち空むな空むなむなしうしうしゅう終をは終をはおわりりり候さふら候さふらそうらひひいなななばばば、、、火くわ火くわか血けつ血けつけつ刀たう刀たうとうののの苦く苦くく果くわ果くわか敢あへ敢あへあえててて疑うたが疑うたがうたがひひいなしなしなし。。。願ねが願ねがねがははわくくくははは上しやう上しやうしょう人にん人にんにん慈じ慈じじ悲ひ悲ひひををを起おこ起おこおこししし、、、憐あはれ憐あはれあわれみみみををを垂た垂たたれれれ給たま給たまたまひひいててて、、、斯か斯かかかるかるかる惡あく惡あくあく人にん人にんにんののの助たす助たすたすかりかりかりぬぬぬべきべきべき方はう方はうほう法ぱふ法ぱふぽう候さふら候さふらそうらははわばばば示しめ示しめしめししし給たま給たまたまへへえ。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれけれけれければばば、、、上しやう上しやうしょう人にん人にんにん涙なみだ涙なみだなみだににに咽むせ咽むせむせびびび、、、うつぶしうつぶしうつぶしててて、、、暫しば暫しばしばしししはははとかうとかうとこうののの事こと事ことことももも宣のたま宣のたまのたまははわずずず。。。
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  4. 4「「「利り利りり劍けん劍けんけん卽そく卽そくそく是ぜ是ぜぜ彌み彌みみ陀だ陀だだ號がう號がうごうををを賴たの賴たのたのめめめばばば魔ま魔まま緣えん緣えんえん近ちか近ちかちかづかづかづかずずず、、、一いつ一いついっ聲しやう聲しやうしょう稱しよう稱しようしょう念ねん念ねんねん罪ざい罪ざいざい皆かい皆かいかい除ぢよ除ぢよじょととと念ねん念ねんねんずれずれずればばば、、、罪つみ罪つみつみみなみなみな除のぞ除のぞのぞけけけりりりととと見み見みみえええたりたりたり。。。淨じやう淨じやうじょう土ど土どど宗しゆう宗しゆうしゅうののの至し至しし極ごく極ごくごくははは、、、各おの〳〵各おの〳〵おのおの畧りやく畧りやくりやくををを存ぞん存ぞんぞんじじじててて、、、大たい大たいたい畧りやく畧りやくりやくこれこれこれををを肝かん肝かんかん心じん心じんじんとととすすす。。。但たゞ但たゞただししし往わう往わうおう生じやう生じやうじょうののの得とく得とくとく否ふ否ふふははは信しん信しんしん心じん心じんじんののの有う有うう無む無むむににに依よ依よよるるるべしべしべし。。。たゞたゞただこのこのこの教をし教をしをしへへへををを深ふか深ふかふかくくく信しん信しんしんじじじててて、、、行ぎやう行ぎやうぎょう住ぢゆう住ぢゆうじゅう坐ざ坐ざざ臥ぐわ臥ぐわが、、、時じ時じじ處しよ處しよしょ諸しよ諸しよしょ緣えん緣えんえんををを嫌きら嫌きらきらははわずずず、、、三さん三さんさん業ごふ業ごふごう四し四しし威ゐ威ゐい儀ぎ儀ぎぎにににおいおいおいててて、、、心しん心しんしん念ねん念ねんねん只し只しし稱しよう稱しようしょうををを忘わす忘わすわすれれれ給たま給たまたまははわずずずばばば、、、畢ひつ畢ひつひっ命めい命めいめいををを期ご期ごごとととしてしてして、、、このこのこの苦く苦くく域ゐき域ゐきいきののの界かい界かいかいををを出い出いいでででててて、、、かのかのかの極ごく極ごくごく樂らく樂らくらく淨じやう淨じやうじょう土ど土どどののの不ふ不ふふ退たい退たいたいののの土ど土どどににに往わう往わうおう生じやう生じやうじょうししし給たま給たまたまははわんんん事こと事ことこと、、、何なん何なんなんののの疑うたが疑うたがうたがひひいかかかあらあらあらんんんややや。。。」」」ととと教けう教けうきょう化け化けけししし給たま給たまたまへへえばばば、、、三さん三さんさん位み位みみ中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょうなのめなのめなのめならならならずずず悅よろこ悅よろこよろこびびび、、、「「「願ねが願ねがねがははわくくくはははこのこのこのついでついでついでににに、、、戒かい戒かいかいををを保たも保たもたもたたたばやばやばやとととははは存ぞん存ぞんぞんじじじ候さふら候さふらそうらへへえどもどもども、、、出しゆつ出しゆつしゅっ家け家けけ仕つかまつ仕つかまつつかまつらららででではははかなひかなひかない候さふらふ候さふらふそうろうまじまじまじややや。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれたりたりたりけれけれければばば、、、上しやう上しやうしょう人にん人にんにん、、、「「「出しゆつ出しゆつしゅっ家け家けけせせせぬぬぬ人ひと人ひとひとももも戒かい戒かいかいををを保たも保たもたもつつつ事こと事ことことははは常つね常つねつねのののならひならひならいなりなりなり。。。」」」とてとてとて、、、額ひたひ額ひたひひたいににに剃かみ剃かみかみ刀そり刀そりそりをををあてあてあてててて剃そ剃そそるるるまねまねまねをををしてしてして、、、十じつ十じつじっ戒かい戒かいかいををを授さづ授さづさずけけけらるらるらる。。。
  5. 5中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょう、、、隨ずゐ隨ずゐずい喜き喜ききののの涙なみだ涙なみだなみだををを流なが流ながながいいいててて、、、これこれこれををを受う受ううけけけ保たも保たもたもちちち給たま給たまたまふふう。。。上しやう上しやうしょう人にん人にんにんもももよろづよろづよろずものものものあはれあはれあわれににに覺おぼ覺おぼおぼえええててて、、、かきかきかきくらすくらすくらす心こゝ心こゝここちちちしてしてして、、、泣な泣ななく〳〵く〳〵くなく戒かい戒かいかいをををぞぞぞ說と說ととかかかれれれけるけるける。。。御おん御おんおん布ふ布ふふ施せ施せせとととおぼしくおぼしくおぼしくててて、、、日ひ日ひひ頃ごろ頃ごろごろおはしおはしおわしてててあそばあそばあそばれれれけるけるける、、、侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいのののもともともとににに預あづ預あづあずけけけ置お置おおかかかれれれたりたりたりけるけるける御おん御おんおん硯すゞり硯すゞりすずりををを、、、知とも知ともとも時とき時ときときしてしてして召め召めめししし寄よ寄よよせせせててて、、、上しやう上しやうしょう人にん人にんにんににに奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、「「「これこれこれをををばばば人ひと人ひとひとにににたびたびたび候さふら候さふらそうらははわででで、、、常つね常つねつねににに御おん御おんおん目め目めめのののかゝらかゝらかからんんんずるずるずる所ところ所ところところににに置お置おおかかかれれれ候さふら候さふらそうらひひいててて、、、某それがし某それがしそれがしががが物もの物ものものぞぞぞかしかしかしととと御ご御ごご覽らん覽らんらんぜぜぜられられられんんん度たび度たびたびごとごとごとにににははは、、、御おん御おんおん念ねん念ねんねん佛ぶつ佛ぶつぶつ候さふらふ候さふらふそうろうべしべしべし。。。またまたまた御おん御おんおんひまひまひまにににははは、、、經きやう經きやうきょうをををももも一いつ一いついっ巻くわん巻くわんかん御ご御ごご廻ゑ廻ゑえ向かう向かうこう候さふら候さふらそうらははわばばば然しか然しかしかるるるべうべうびょう候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれけれけれければばば、、、上しやう上しやうしょう人にん人にんにんとかうとかうとこうののの返へん返へんへん事じ事じじにににももも及およ及およおよびびび給たま給たまたまははわずずず、、、これこれこれををを取と取ととつつっててて懷ふところ懷ふところふところににに入い入いいれれれ、、、墨すみ墨すみすみ染ぞめ染ぞめぞめののの袖そで袖そでそでををを顏かほ顏かほかおにににおしおしおし當あ當ああてててててて、、、泣な泣ななく〳〵く〳〵くなく黑くろ黑くろくろ谷だに谷だにだにへへへぞぞぞ歸かへ歸かへかえららられれれけるけるける。。。件くだん件くだんくだんののの硯すゞり硯すゞりすずりははは親しん親しんしん父ぶ父ぶぶ入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこく、、、宋そう宋そうそう朝てう朝てうちょうののの御み御みみ門かど門かどかどへへへ沙しや沙しやしゃ金きん金きんきんををを多おほ多おほおおくくく參まゐ參まゐまいらせらせらせ給たま給たまたまひひいたりたりたりしかしかしかばばば、、、返へん返へんへん報ぽう報ぽうぽうとととおぼしくおぼしくおぼしくててて、、、日につ日につにっ本ほん本ほんほん和わ和わわ田だ田だだののの平へい平へいへい大たい大たいたい相しやう相しやうしょう國こく國こくこくのののもともともとへへへとてとてとて、、、送おく送おくおくららられれれたりたりたりけるけるけるとととかやかやかや。。。名な名ななをををばばば松まつ松まつまつ蔭かげ蔭かげかげとととぞぞぞ申まう申まうもうしししけるけるける。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

三位中将(重衡)はこのことを聞かれて、「そうであろう。一門の人々はどんなに私を悪く思われたことか」と後悔されたが、どうにもならない。本当に重衡一人を惜しんで、あれほどのわが国の宝である三種の神器をお返しになるとも思われないので、この請文の内容は前々から覚悟しておられたが、まだ返事が来ないうちは、なんとなく気がかりに思っておられたところ、請文がもう届いて、関東へ下されることに決まったので、三位中将は、都の名残も今さら惜しく思われたのであろうか、土肥次郎実平を呼んで、「出家したいと思うがどうだろう」とおっしゃったので、このことを九郎御曹司(義経)に申した。院の御所へ奏上されたところ、法皇は「頼朝に見せてから、どうにでも計らおう。今はどうして許せようか」と仰せになったので、このことを中将殿に申した。「それなら長年帰依していた聖にもう一度会って、後世のことを相談したいと思うがどうだろう」とおっしゃると、土肥次郎は「聖とはどなたのことでしょうか」「黒谷の法然房という人だ」「それなら差しさわりはございますまい。早く早く」といってお許し申した。

三位中将はたいそう喜んで、すぐに聖をお招き申し、泣く泣く申されるには、「今度、西国でどうにでもなるはずだった身が、生きながら捕らわれて都へ上ってきたのは、もう一度上人にお目にかかるためでございました。それにしても重衡の後世はどうしたらよいでしょう。身が栄えておりましたころは出仕にまぎれ、政務にとらわれて、おごりの心ばかり深くて、やがて来る浮き沈みを顧みませんでした。まして運が尽き世が乱れて都を出てからは、ここで戦い、あそこで争い、人を滅ぼし、自分は助かろうと思う悪心ばかりがさえぎって、善心はまったく起こりませんでした。とりわけ南都炎上のことは、王命といい武命といい、君に仕え世に従う道理は逃れがたく、衆徒の悪行を鎮めるために向かいましたところ、思いがけず伽藍を滅ぼすことになってしまったのは、どうしようもないことでした。けれども時の大将軍でございましたので、責任は一人に帰するとか申しますから、重衡一人の罪業になったのだろうと思われます。今またあれこれと恥をさらすのも、すべてその報いと思い知らされております。今は髪を剃り、乞食頭陀の修行もして、ひたすら仏道を修行したいのですが、このような身になってしまいましたので、心のままにもなりません。どんな修行をしても、まったく助かるとも思われないことこそ無念でございます。よくよく一生の行いを考えると、罪業は須弥山よりも高く、善根は塵ほどの蓄えもありません。このまま命がむなしく終わったら、地獄・餓鬼・畜生の苦しみの報いは疑いありません。どうか上人、慈悲を起こし、憐れみをかけてくださって、このような悪人が助かる方法がありましたらお示しください」と申されたので、上人は涙にむせび、うつむいて、しばらくは何もおっしゃらなかった。

しばらくして上人がおっしゃるには、「まことに受けがたい人の身を受けながら、むなしく三途(地獄・餓鬼・畜生)に帰られることは、悲しんでもなお余りあります。けれども今、穢土を厭い浄土を願おうとお思いになって、悪心を捨て善心を起こされるならば、三世の諸仏もきっとお喜びになるでしょう。そもそも迷いを離れる道はさまざまであると申しますが、末法の濁り乱れた世の人々には、称名念仏がすぐれているとされます。志を九品に分け、修行を南無阿弥陀仏の六字に縮めて、どんな愚かな者、鈍い者でも唱えやすいのです。罪が深いからといって卑下してはなりません。十悪・五逆の者でも心を改めれば往生を遂げます。功徳が少ないからといって望みを絶ってはなりません。一念・十念でも心を尽くせば阿弥陀仏が迎えに来てくださいます。『専ら名号を称えれば西方に至る』と解釈し、『念々に称名すれば常に懺悔となる』とおっしゃって、念々に阿弥陀仏を唱えれば懺悔となるのです」と教えた。

「『利剣はすなわち弥陀の名号である』と頼めば魔縁も近づかず、『一声称念すれば罪はみな除かれる』と念ずれば、罪はみな除かれると見えます。浄土宗の奥義は、それぞれ要点を心得て、大略これを肝心とします。ただし往生できるかどうかは信心の有無によるでしょう。ただこの教えを深く信じて、行・住・坐・臥、時と所と縁をいとわず、身・口・意の三業と四つの威儀のうちに、心に念じ口に称えることをお忘れにならなければ、命の終わるときを期として、この苦しみの世界を出て、あの極楽浄土の不退の地に往生なさることに、何の疑いがありましょう」と教え導かれたので、三位中将はたいそう喜んで、「どうかこの機会に戒を受けたいと思いますが、出家しなければかないませんか」と申されたので、上人は「出家しない人も戒を受けるのはよくあることです」といって、額に剃刀を当てて剃るまねをして、十戒をお授けになった。

中将は感激の涙を流して、これを受け保たれた。上人も何かにつけてあわれに思われて、目の前が暗くなる心地がして、泣く泣く戒をお説きになった。お布施にとお思いになって、日ごろおいでになって遊ばれていた侍のもとに預けておかれた硯を、知時に取り寄せさせて上人に差し上げ、「これを人にお与えにならず、いつもお目にとまる所に置かれて、某の物だとご覧になるたびに、念仏をしてください。またお暇なときには、お経も一巻回向していただければありがたく存じます」と申されたので、上人は何の返事もなさらず、これを受け取って懐に入れ、墨染の袖を顔に押し当てて、泣く泣く黒谷へ帰られた。この硯は、父の入道相国(清盛)が宋の帝に砂金を多く贈られたので、その返礼として、「日本和田の平大相国のもとへ」といって贈られたものだとかいう。名を松蔭と申した。

意訳

神器との交換が叶わず、関東へ送られることになった重衡が、法然上人に罪を懺悔し、念仏の教えを受ける章段である。南都焼き討ちの罪を「責一人に帰す」と引き受ける重衡の言葉には、平家の公達としての誇りと、悔いの深さとが表れている。

法然は、罪深い悪人こそ念仏によって救われると説き、剃るまねをして戒を授ける。浄土宗の教えが平家物語の世界にはっきりと現れる場面であり、のちの重衡の最期や、建礼門院の往生(灌頂巻)へと続く仏教的な救いの主題を準備している。

語釈・文法注

文法

「左右を申されざりつる」
どちらとも返事をしてこなかった。
「身の身にて候ひしほど」
身が栄えていた(自分が思うままにふるまえた)ころ。
「責一人に歸す」
責任は大将一人に帰する。
「火血刀の苦果」
地獄(火)・畜生(血)・餓鬼(刀)の三悪道の苦しみの報い。
「九品」
極楽往生の九つの等級。
「專稱名號至西方」「念々稱名常懺悔」「利劍卽是彌陀號」「一聲稱念罪皆除」
善導の『般舟讃』などの句。称名念仏の功徳を説く。
「三業四威儀」
身・口・意の三つの行いと、行・住・坐・臥の四つの振る舞い。
「日本和田の平大相國」
福原(和田の岬)にいた清盛をさす。宋の側から見た呼び名。

解説

法然(源空)は浄土宗の開祖で、京都東山の吉水や比叡山の黒谷に住した。重衡が法然に帰依していたことは『平家物語』諸本に見え、のちの浄土宗の伝記にも取り入れられた。

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出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、721–724頁(コマ389–391)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日