平家物語 巻第六
葵の前の事
中宮に仕える女房の召使いの少女、葵の前が高倉天皇の寵愛を受け、人々は葵の女御とうわさした。天皇は世の非難をはばかって召さなくなり、関白基房が養女にして迎えることを勧めても、在位中には後代の謗りになるといって聞き入れなかった。天皇が「忍ぶれど」の古歌を書いて与えると、葵の前は里に下がって病みつき、まもなく亡くなった。
- 1それそれそれににに何何なによりよりよりもももまたまたまたあはれあはれあわれなりなりなりしししことことことははは、、、中中ちゅう宮宮ぐうののの御御おん方方かたににに候候さぶらははわれれれけるけるける女女にょう房房ぼうののの召召めし使使つかひひいけるけるける上上うえ童童わらわ、、、思思おもははわざるざるざる外外ほか、、、龍龍りゅう顏顏がんににに咫咫し尺尺せきするするする事事ことありありありけりけりけり。。。たゞたゞただ世世よののの常常つね、、、あからさまあからさまあからさまにてにてにてもももなくなくなくしてしてして、、、まめやかまめやかまめやかににに御御おん志志こころざし深深ふかかりかりかりけれけれければばば、、、主主しゅうののの女女にょう房房ぼうももも召召めし使使つかははわずずず、、、卻卻かえつつっててて主主しゅうののの如如ごとくくくにににぞぞぞいつきいつきいつきもてなしもてなしもてなしけるけるける。。。そのそのその上上かみ詠詠えい謠謠ようにににいへいへいえるるることことことありありあり、、、「「「男男おとこををを產產うんんんでででももも喜喜き歡歡かんするするすることことことなかれなかれなかれ、、、女女おんなををを生生うみみみてててももも悲悲ひ酸酸さんするするする事事ことなかれなかれなかれ。。。男男おとこはははこれこれこれ侯侯こうにににだもだもだも封封ほうぜぜぜられられられずずず、、、女女おんなははは妃妃ひたりたりたりとてとてとて后后きさきににに立立たつつつ。。。」」」ととといへいへいえりりり。。。めでたかりめでたかりめでたかりけるけるける幸幸さいわひひいかなかなかな。。。このこのこの人人ひと女女にょう御御ご、、、后后きさきとととももももてなさもてなさもてなされれれ、、、國國こく母母も、、、仙仙せん院院いんとととももも仰仰あうがががれれれんずんずんずとてとてとて、、、そのそのその名名なををを葵葵あおいののの前前まえととと申申もうしししけれけれければばば、、、内内ない々々ないははは葵葵あおいののの女女にょう御御ごなどなどなどぞぞぞさゝやきさゝやきささやきあはあはあわれれれけるけるける。。。
- 2主主しゅ上上しょうはははこれこれこれををを聞聞きこし召召めしししててて、、、そのそのその後後のちははは召召めさささざりざりざりけりけりけり。。。これこれこれははは御御おん志志こころざしののの盡盡つきききぬるぬるぬるにににあらあらあらずずず、、、たゞたゞただ世世よののの謗謗そしりりりををを憚憚はばからららせせせたまふたまふたまうににに依依よつつってててなりなりなり。。。さればさればされば御御おんながめながめながめがちがちがちにてにてにて、、、つや〳〵つや〳〵つやつや供供ぐ御御ごももも聞聞きこし召召めさささずずず、、、御御ご惱惱のうとてとてとて、、、常常つねははは夜夜よるののの御御お殿殿とどにににのみのみのみ入入いらららせせせおはしますおはしますおわします。。。そのそのその時時ときののの關關かん白白ぱく松松まつ殿殿どの、、、このこのこの由由よしををを承承うけたまわつつっててて、、、主主しゅ上上しょう御御おん心心こころののの盡盡つきききぬるぬるぬる事事ことこそこそこそおはすおはすおわすなれなれなれ。。。申申もうししし慰慰なぐさめめめ參參まいらせらせらせんんんとてとてとて、、、急急いそぎぎぎ御御ご參參さん内内だいあつあつあっててて、、、「「「さささ樣樣ようににに叡叡えい慮慮りょにににかゝらかゝらかからせせせましまさましまさましまさんんんにににおいおいおいてててははは、、、何何なんでふでふじょう事事ことかかか候候そうろうべきべきべき。。。件件くだんののの女女にょう房房ぼう召召めささされれれ參參まいらすらすらすべしべしべしととと覺覺おぼえええ候候そうろう。。。品品しな尋尋たずねねねらるゝらるゝらるるににに及及およばばばずずず、、、基基もと房房ふさやがてやがてやがて猶猶ゆう子子しににに仕仕つかまつりりり候候そうらははわんんん。。。」」」ととと奏奏そうせせせさせさせさせ給給たまへへえばばば、、、主主しゅ上上しょう仰仰おおせせせなりなりなりけるけるけるははは、、、「「「いさいさいさとよとよとよ、、、そこそこそこににに計計はからひらひらい申申もうすすすもももさるさるさる事事ことなれなれなれどもどもども、、、位位くらいをををすべつすべつすべっててて後後のちははは、、、まゝまゝままさるさるさる例例ためしもももあるあるあるなりなりなり。。。まさしうまさしうまさしゅう在在ざい位位いののの時時とき、、、さやうさやうさようののの事事ことははは後後こう代代だいののの謗謗そしりりりなるなるなるべしべしべし。。。」」」とてとてとて、、、聞聞きこし召召めしししももも入入いれれれざりざりざりけれけれければばば、、、關關かん白白ぱく殿殿どの力力ちから及及およばばばせせせ給給たまははわずずず、、、御御おん涙涙なみだをををおさへおさへおさえててて御御ご退退たい出出しゅつありありありけりけりけり。。。
- 3そのそのその後後のち主主しゅ上上しょう、、、綠綠みどりののの薄薄うす樣樣ようのののにほひにほひにおい殊殊ことににに深深ふかかりかりかりけるけるけるににに、、、古古ふるきききことことことなれなれなれどもどもども、、、おぼしめしおぼしめしおぼしめし出出いでででててて、、、かうかうこうぞぞぞあそばさあそばさあそばされれれけるけるける。。。
- 4忍忍しのぶれぶれぶれどどど色色いろににに出出いでででにににけりけりけりわがわがわが戀戀こいははは物物ものややや思思おもふふうととと人人ひとののの問問とふふうまでまでまで
- 5冷冷れい泉泉ぜいののの少少しょう將將しょう隆隆たか房房ふさこれこれこれををを賜賜たまはりはりわりついついついででで、、、件件くだんののの葵葵あおいののの前前まえににに賜賜たまははわせせせたれたれたればばば、、、これこれこれををを取取とつつっててて懷懷ふところににに入入いれれれ、、、顏顏かおうちうちうち赤赤あかめめめ、、、例例れいならならならぬぬぬ心心ここちちち出出いででで來來きたりたりたりとてとてとて、、、里里さとへへへ歸歸かえりりり、、、うちうちうち臥臥ふすすすことことこと五五ご六六ろく日日にちしてしてして、、、遂遂ついにににはかなくはかなくはかなくなりなりなりにににけりけりけり。。。君君きみががが一一いち日日にちののの恩恩おんののの爲爲ためににに妾妾しょうががが百百はく年年ねんののの身身みををを過過あやまつつつともともとも、、、かやうかやうかようののの事事ことをををややや申申もうすすすべきべきべき。。。昔昔むかし唐唐とうののの太太たい宗宗そうののの、、、鄭鄭てい仁仁じん基基きががが女女むすめををを元元げん觀觀かん殿殿でんににに入入いれれれんんんとととせせせさせさせさせ給給たまひひいしししををを、、、魏魏ぎ徵徵ちょう、、、かのかのかの女女むすめ既既すでににに陸陸りく氏氏しににに約約やくせせせりりりととと諫諫いさめめめ申申もうしししたりたりたりけれけれければばば、、、殿殿てんににに入入いれれれらるゝらるゝらるる事事ことををを止止とどめめめられられられたりたりたりしししにににははは、、、少少すこしししももも違違たがははわせせせ給給たまははわぬぬぬ、、、今今いまののの君君きみののの御御おん心心こころばせばせばせかなかなかなとととぞぞぞ、、、人人ひと申申もうしししけるけるける。。。
現代語訳
それにもまして哀れであったのは、中宮の御方にお仕えしていた女房の召使いの上童が、思いがけず天皇のおそば近くにお仕えすることになったことである。ただ世の常のかりそめの寵愛ではなく、心から深くお思いになったので、主人の女房もこの少女を召し使わず、かえって主人のように大切にもてなした。昔の歌謡に、「男を生んでも喜ぶな、女を生んでも悲しむな。男は諸侯にさえ封ぜられないが、女は妃となって后に立つ」と言っている。めでたい幸運であることよ。この人は女御とも后ともあがめられ、国母とも仙院とも仰がれるだろうというので、その名を葵の前と申したから、内々では葵の女御などとささやきあった。
天皇はこれをお聞きになって、その後はお召しにならなくなった。これはお気持ちが尽きたのではなく、ただ世の非難をはばかられたからである。それでもの思いに沈みがちで、少しもお食事も召し上がらず、ご病気だといって、いつも夜の御殿にばかり入っておられた。そのときの関白松殿(基房)がこのことをうかがって、「天皇のお心が晴れないのであろう。お慰め申し上げよう」といって、急いで参内され、「そのようにお心にかかっておられるのでしたら、何の差し支えがございましょう。その女房をお召しになるのがよろしいと存じます。身分を詮索なさるには及びません。基房がすぐに養女にいたしましょう」と申し上げると、天皇がおっしゃるには、「さあ、そなたがそう取り計らうのももっともだが、位を退いた後なら、ままそういう例もある。まさに在位している時にそのようなことをしては、後の世の非難を受けるだろう」といって、お聞き入れにならなかったので、関白殿はどうしようもなく、涙を抑えて退出された。
その後天皇は、緑の薄様の紙の色がことに深かったのに、古い歌ではあるが思い出されて、このようにお書きになった。
人に知られまいと忍んできたけれど、顔色に出てしまったことだ、わたしの恋は。物思いをしているのかと人が尋ねるほどに。
冷泉少将隆房がこれをいただき取り次いで、その葵の前にお与えになると、葵の前はこれを受け取って懐に入れ、顔を赤らめ、気分がすぐれないといって里へ帰り、五、六日寝ついて、ついに亡くなってしまった。「君が一日の恩のために、妾が百年の身を誤る」とは、このようなことをいうのであろうか。昔、唐の太宗が鄭仁基の娘を元観殿に入れようとされたのを、魏徴が「その娘はすでに陸氏と婚約しております」と諫めたので、宮殿に入れることをおやめになったのと、少しも違わない今の君のお心であるよと、人々は申した。
意訳
高倉天皇と少女葵の前との、はかない恋を描く章段である。天皇は世の非難をはばかり、関白の勧めも退けて、在位中の天皇としての節度を守った。
天皇が書き与えた「忍ぶれど」の歌を胸に抱いて、葵の前は病みつき、亡くなる。物語は唐の太宗の故事を引いて天皇の心ばえをたたえつつ、身分の低い少女の悲しい運命を語っている。
語釈・文法注
文法
- 「男を產んでも喜歡することなかれ」
- 白居易「長恨歌」に関わる歌謡の句。楊貴妃の一族が栄えたことから、世の人が女の子の誕生を喜んだという。
- 「仰がれんずとて」
- 仰がれるだろうというので。「んず」は推量の助動詞。
- 「何でふ事か候べき」
- 何の差し支えがございましょうか。
- 「君が一日の恩の爲に妾が百年の身を過つ」
- 白居易「井底引銀瓶」の句。君の一日の恩のために、わが身の一生を誤るの意。
和歌
忍ぶれど色に出でにけりわが戀は物や思ふと人の問ふまで
- 詠者
- 平兼盛(高倉天皇が書き与えた古歌)
- 状況
- 『拾遺和歌集』の平兼盛の歌。百人一首の第40番にも採られている。天皇が葵の前への思いを託して書き与えた。
修辞
- 倒置
- 「色に出でにけりわが戀は」と、主語を後に置いて思いの強さを表す。
解説
葵の前の話は『平家物語』のほかには見えず、史実かどうかはわからない。続く「小督の事」とともに、高倉天皇の恋の哀話として語られる。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、516–517頁(コマ287)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日