平家物語 巻第六
紅葉の事
高倉天皇は幼いころから心やさしい君であった。大切にしていた紅葉を、役人が掃き集めて酒を温める薪にしてしまったときも、「林間に酒を暖めて紅葉を焼く」という詩の心を誰が教えたのかと、かえって感心された。また寒い夜、衣を奪われて泣く女童の声を聞きつけると、民の罪を自分の徳の至らなさと嘆き、中宮の御衣を与えて送り届けさせた。
- 1高高たか倉倉くらののの院院いん御御ご在在ざい位位いののの御御おん時時とき、、、人人ひとののの從從したがひひいつきつきつき奉奉たてまつるるる事事ことははは、、、恐恐おそらくらくらくははは延延えん喜喜ぎ、、、天天てん曆曆りやくののの帝帝みかどととと申申もうすすすともともとも、、、これこれこれにににはははいかでいかでいかでまさらまさらまさらせせせ給給たまふふうべきべきべきとととぞぞぞ、、、人人ひと申申もうしししけるけるける。。。大大おお方方かた賢賢けん王王おうののの名名なをををあげあげあげ、、、仁仁じん德德とくののの行行こうををを施施ほどこさささせせせおはしますおはしますおわします事事ことももも、、、君君きみ御御ご成成せい人人じんののの後後のち、、、清清せい濁濁だくををを分分わかたたたせせせ給給たまひひいてててののの上上うえののの御御おん事事ことでででこそこそこそあるあるあるににに、、、むげむげむげにににこのこのこの君君きみははは未未いまだだだ幼幼よう主主しゅののの御御おん時時ときよりよりより、、、性性せいををを柔柔にゅう和和わににに受受うけけけさせさせさせおはしますおはしますおわします。。。
- 2去去いんんんぬるぬるぬる承承しょう安安あんのののころほひころほひころおいははは、、、御御おん年年とし十十じっ歳歳さいばかりばかりばかりにににやややならならならせせせおはしましおはしましおわしましけんけんけん、、、あまりあまりあまりににに紅紅こう葉葉ようををを愛愛あいせせせさせさせさせ給給たまひひいててて、、、北北きたののの陣陣じんににに小小こ山山やまををを築築つかかかせせせ、、、櫨櫨はじ、、、楓楓かへでのののまことまことまことににに色色いろ美美うつくしうしうしゅうもみぢもみぢもみじたるたるたるををを植植うゑゑえさせさせさせ、、、紅紅も葉葉みじののの山山やまととと名名なづけづけづけててて、、、ひねもすひねもすひねもすににに叡叡えい覽覽らんあるあるあるににに、、、なほなほなお飽飽あきききたらたらたらせせせ給給たまははわずずず。。。然然しかるるるをををあるあるある夜夜よ、、、野野の分分わきはしたなうはしたなうはしたのう吹吹ふいいいててて、、、紅紅こう葉葉ようみなみなみな吹吹ふききき散散ちらしらしらし、、、落落らく葉葉よう頗頗すこぶるるる狼狼ろう藉藉ぜきなりなりなり。。。殿殿との守守もりののの伴伴ともののの造造みやつこ朝朝あさぎよめぎよめぎよめすすすとてとてとて、、、これこれこれををを悉悉ことごとくくく掃掃はききき捨捨すててててててけりけりけり。。。殘殘のこれれれるるる枝枝えだ、、、散散ちれれれるるる木木こののの葉葉はをををばばばかきかきかき集集あつめめめててて、、、風風かぜすさまじかりすさまじかりすさまじかりけるけるける朝朝あしたなれなれなればばば、、、縫縫ぬい殿殿どのののの陣陣じんにてにてにて、、、酒酒さけ暖暖あたためめめてててたべたべたべけるけるける薪薪たき木木ぎにににこそこそこそしししてててけれけれけれ。。。
- 3奉奉ぶ行行ぎょうののの藏藏くら人人うど、、、行行ぎょう幸幸こうよりよりより先先さきにににととと、、、急急いそぎぎぎ行行ゆいいいててて見見みるるるにににあとあとあとかたかたかたもももなしなしなし。。。いかにいかにいかにととと問問とへへへばばばしかじかしかじかしかじかととと答答こたふふう。。。あなあなあなあさましあさましあさまし、、、さしもさしもさしも君君きみののの執執しつしししおぼしめさおぼしめさおぼしめされれれつるつるつる紅紅こう葉葉ようををを、、、かやうかやうかようにににしししつるつるつる事事ことよよよ。。。知知しらららずずず、、、汝汝なんじ等等ら禁禁きん獄獄ごく流流る罪罪ざいにににももも及及およびびび、、、わがわがわが身身みもももいかなるいかなるいかなる逆逆げき鱗鱗りんにににかかか預預あずからからからんずんずんずらんらんらんととと、、、思思おもははわじじじ事事ことなうなうのう案案あんじじじ續續つづけけけてててゐゐいたりたりたりけるけるける所所ところににに、、、主主しゅ上上しょういとゞしくいとゞしくいとどしく夜夜よるののの御御お殿殿とどををを出出いでででさせさせさせもももあへあへあえずずず、、、かしこかしこかしこへへへ行行ぎょう幸幸こうなつなつなっててて紅紅も葉葉みじををを叡叡えい覽覽らんあるあるあるににに、、、なかりなかりなかりけれけれければばば、、、いかにいかにいかにととと御御おん尋尋たずねねねありありありけりけりけり。。。藏藏くら人人うど何何なにととと奏奏そうすすすべきべきべき旨旨むねもももなしなしなし、、、ありのまゝありのまゝありのままににに奏奏そう聞聞もんすすす。。。天天てん機機きことことことににに御御おん心心こころよげよげよげにににうちうちうち笑笑えままませせせ給給たまひひいててて、、、「「「林林りん閒閒かんににに酒酒さけををを暖暖あたためめめててて紅紅こう葉葉ようををを燒燒たくくくととといふいふいう詩詩しののの意意こころをををばばば、、、さればさればさればそれらそれらそれらにににははは誰誰たれががが教教をしへへへけるけるけるぞぞぞややや。。。やさしうやさしうやさしゅうももも仕仕つかまつつつったるたるたるものものものかなかなかな。。。」」」とてとてとて、、、卻卻かえつつっててて叡叡えい感感かんにににあづかつあづかつあずかっししし上上うえははは、、、敢敢あえててて敕敕ちょく勘勘かんなかりなかりなかりけりけりけり。。。
- 4またまたまた安安あん元元げんのののころほひころほひころおい、、、御御おん方方かた違違たがえののの行行ぎょう幸幸こうのののありありありしししににに、、、さらさらさらでででだにだにだに鶏鶏けい人人じん曉曉あかつきををを唱唱となふふう聲聲こえ、、、明明めい王王おうののの眠眠ねむりりりををを驚驚おどろかかかすすす程程ほどにににもももなりなりなりしかしかしかばばば、、、いついついつももも御御おん寢寢ね覺覺ざめがちがちがちにてにてにて、、、つや〳〵つや〳〵つやつや御御ぎょ寢寢しんもももならならならざりざりざりけりけりけり。。。況況いわんんんやややさゆるさゆるさゆる霜霜しも夜夜よのののはげしきはげしきはげしきにににははは、、、延延えん喜喜ぎののの聖聖せい代代だい、、、國國こく土土どののの民民たみどもどもどもがががいかにいかにいかに寒寒さむかるかるかるらんらんらんとてとてとて、、、夜夜よるののの御御お殿殿とどにににしてしてして御御ぎょ衣衣いをををぬがぬがぬがせせせ給給たまひひいけるけるける事事ことなどなどなどまでまでまでもももおぼしめしおぼしめしおぼしめし出出いでででててて、、、わがわがわが帝帝てい徳徳とくののの至至いたらららぬぬぬ事事ことをををぞぞぞ御御おん歎歎なげきききありありありけるけるける。。。やゝやゝやや深深しん更更こうににに及及およんんんででで、、、ほどほどほど遠遠とおくくく人人ひとののの叫叫さけぶぶぶ聲聲こえしししけりけりけり。。。供供ぐ奉奉ぶののの人人ひと々々びとははは聞聞ききききもももつけつけつけられられられずずず。。。主主しゅ上上しょうはははきこしめしきこしめしきこしめしててて、、、「「「たゞたゞただ今今いま叫叫さけぶぶぶははは何何なに者者ものぞぞぞ、、、あれあれあれ見見みてててまゐれまゐれまいれ。。。」」」ととと仰仰おおせせせけれけれければばば、、、上上うえ臥臥ぶししししたるたるたる殿殿てん上上じょう人人びと、、、上上じょう日日にちのののものものものににに仰仰おおせせせててて尋尋たずぬれぬれぬればばば、、、あるあるある辻辻つじにににあやしあやしあやしののの女女め童童わらわののの長長なが持持もちののの蓋蓋ふたさげさげさげたるたるたるががが、、、泣泣なくくくにてにてにてぞぞぞありありありけるけるける。。。いかにいかにいかにととと問問とへへへばばば、、、主主しゅうののの女女にょう房房ぼうののの院院いんののの御御ご所所しょにににさぶらはさぶらはさぶらわせせせ給給たまふふうががが、、、このこのこの程程ほどやうやうやうやうようようにににしてしてして仕仕し立立たてててられられられたりたりたりつるつるつる衣衣きぬををを持持もつつっててて參參まいるるる程程ほどににに、、、たゞたゞただ今今いま男男おとこののの二二に三三さん人人にんまうでまうでもうで來來きててて、、、奪奪うばひひい取取とつつってててまかりまかりまかりぬるぬるぬるぞぞぞややや。。。今今いまははは御御おん裝裝しょう束束ぞくがががあれあれあればばばこそこそこそ、、、御御ご所所しょにににももも候候さぶらははわせせせ給給たまははわめめめ。。。またまたまたはか〴〵しうはか〴〵しうはかばかしゅう立立たちちち宿宿やどらららせせせたまふたまふたまうべきべきべき、、、親親したしきしきしき御御おん方方かたもももましまさましまさましまさずずず、、、これこれこれををを思思おもひひいつゞくるつゞくるつづくるににに泣泣なくくくなりなりなり。。。」」」とととぞぞぞいひいひいいけるけるける。。。さてさてさてかのかのかの女女め童童わらわををを具具ぐしししててて參參まいりりり、、、このこのこの由由よし奏奏そう聞聞もんしししたりたりたりけれけれければばば、、、主主しゅ上上しょう聞聞きこし召召めしししててて、、、「「「あなあなあな無無む慚慚ざん、、、何何なに者者もののののしわざしわざしわざにてにてにてかかかあるあるあるらんらんらん。。。」」」とてとてとて、、、龍龍りゅう顏顏がんよりよりより御御おん涙涙なみだををを流流ながさささせせせ給給たまふふうぞぞぞかたじけなきかたじけなきかたじけなき。。。「「「堯堯ぎょうののの代代よののの民民たみははは堯堯ぎょうののの心心こころのののすなほすなほすなおなるなるなるををを以以もっててて心心こころとととするするする故故ゆえににに、、、皆皆みなすなほすなほすなおなりなりなり。。。今今いまののの代代よののの民民たみははは朕朕ちんががが心心こころををを以以もっててて心心こころとととするするする故故ゆえににに、、、かたましきかたましきかたましき者者もの朝朝ちょうにににあつあつあっててて罪罪つみををを犯犯おかすすす。。。これこれこれ朕朕ちんががが恥恥はじにににあらあらあらずずずややや。。。」」」とととぞぞぞ仰仰おおせせせけるけるける。。。「「「さるさるさるにににてててももも取取とららられれれつらんつらんつらん衣衣きぬははは何何なに色色いろぞぞぞ。。。」」」ととと仰仰おおせせせけれけれければばば、、、しか〴〵しか〴〵しかじかののの色色いろととと奏奏そうすすす。。。建建けん禮禮れい門門もん院院いんそのそのその時時ときははは、、、未未いまだだだ中中ちゅう宮宮ぐうにてにてにて渡渡わたらららせせせ給給たまふふう時時ときなりなりなり。。。そのそのその御御おん方方かたへへへ、、、「「「さやうさやうさようののの色色いろしししたるたるたる御御おん衣衣ぞややや候候そうろう。。。」」」ととと御御おん尋尋たずねねねありありありけれけれければばば、、、さきさきさきのののよりよりより遙遙はるかかかににに色色いろ美美うつくしきしきしきががが參參まいりりりたるたるたるををを、、、件件くだんののの女女め童童わらわにににぞぞぞ賜賜たまははわせせせけるけるける。。。「「「未未いまだだだ夜夜よ深深ふかししし、、、またまたまたさるさるさる目目めにににもももぞぞぞあふあふあう。。。」」」とてとてとて、、、上上じょう日日にちののの者者ものををを數數あま多多たつけつけつけててて、、、主主しゅうののの女女にょう房房ぼうののの局局つぼねまでまでまで送送おくらららせせせまし〳〵まし〳〵ましましけるけるけるぞぞぞかたじけなきかたじけなきかたじけなき。。。さればさればさればあやしあやしあやしののの賤賤しずののの男男を、、、賤賤しずののの女女めににに至至いたるるるまでまでまで、、、たゞたゞただこのこのこの君君きみ千千せん秋秋しゅう萬萬ばん歳歳ぜいののの寶寶ほう算算さんをををぞぞぞ祈祈いのりりり奉奉たてまつるるる。。。
現代語訳
高倉院がご在位のころ、人々がお慕い申し上げたことは、おそらく延喜・天暦の帝(醍醐・村上天皇)と申しても、どうしてこれにまさるだろうかと人々は申した。だいたい賢王の名をあげ、仁徳の行いを施されることも、君が成人されて善悪を分別なさった後のことであるのに、この君はまだ幼い君主であったころから、生まれつき柔和な性質を受けておられた。
去る承安のころは、御年十歳ほどになっておられただろうか、たいそう紅葉を愛されて、北の陣に小山を築かせ、櫨や楓のまことに色美しく紅葉したのを植えさせ、紅葉の山と名づけて、一日中ご覧になっても、なお飽きることがなかった。ところがある夜、野分(台風)が激しく吹いて、紅葉はみな吹き散らされ、落ち葉がひどく散らかった。殿守の伴の造が朝の掃除をするといって、これをすっかり掃き捨ててしまった。残った枝や散った木の葉をかき集めて、風の冷たい朝だったので、縫殿の陣で酒を温めて飲む薪にしてしまった。
担当の蔵人が、行幸より先にと急いで行って見ると、跡形もない。どうしたのかと問うと、これこれと答える。「ああ大変だ。あれほど君が大切に思っておられた紅葉を、こんなことにしてしまうとは。おまえたちは禁獄や流罪にもなるだろうし、わたしもどんなお怒りにふれるかわからない」と、気が気でなく思案し続けていたところに、天皇はいつもより早く夜の御殿をお出ましになって、そこへ行幸されて紅葉をご覧になると、ないので、どうしたのかとお尋ねになった。蔵人は何と申し上げようもなく、ありのままに申し上げた。天皇はことのほかご機嫌よくお笑いになって、「『林間に酒を暖めて紅葉を焼く』という詩の心を、それでは誰があの者たちに教えたのか。風流なことをしたものだ」といって、かえってお褒めにあずかったうえは、まったくおとがめはなかった。
また安元のころ、方違えの行幸があったときに、ただでさえ時を告げる鶏人の声が明王の眠りを覚ますほどの時刻になったので、いつも寝覚めがちで、少しもお眠りにならなかった。まして冴えた霜夜の寒さの厳しいときには、延喜の聖代に、国土の民はどんなに寒いことだろうと、夜の御殿で御衣を脱がれたことなどまで思い出されて、自分の帝徳の至らないことをお嘆きになった。夜がやや更けて、遠くで人の叫ぶ声がした。お供の人々は聞きつけられない。天皇はお聞きになって、「今叫んでいるのは何者か。見て参れ」とおっしゃったので、宿直をしていた殿上人が、上日の者に命じて尋ねさせると、ある辻で身分の低い女童が長持の蓋をさげて泣いているのであった。どうしたのかと問うと、「主人の女房が院の御所にお仕えしておられるのですが、このほどやっとのことで仕立てられた衣を持って参る途中で、たった今男が二、三人やって来て、奪い取って行ってしまったのです。今は御装束があればこそ御所にもお仕えできましょうに。また、しっかりと身を寄せられる親しいお方もおられません。これを思い続けて泣いているのです」と言った。そこでその女童を連れて参り、このことを申し上げたところ、天皇はお聞きになって、「ああかわいそうに。何者のしわざであろうか」といって、お顔から涙を流されたのはおそれ多いことである。「堯の代の民は、堯の心の素直なのを自分の心とするので、みな素直である。今の代の民は、わたしの心を自分の心とするので、ねじけた者が朝廷にいて罪を犯すのだ。これはわたしの恥ではないか」とおっしゃった。「それにしても取られた衣は何色か」とおっしゃったので、これこれの色と申し上げる。建礼門院はそのころ、まだ中宮でいらっしゃった。その御方へ、「そのような色をした御衣はあるか」とお尋ねになったところ、前のものよりはるかに色美しいのが参ったので、その女童にお与えになった。「まだ夜が深い。またそんな目にあうかもしれない」といって、上日の者を大勢つけて、主人の女房の局まで送らせなさったのはおそれ多いことである。それで、身分の低い賤しい男や女に至るまで、ただこの君の千秋万歳の長寿をお祈り申し上げた。
意訳
高倉天皇の慈しみ深い人柄を伝える逸話を集めた章段である。大切な紅葉を焚かれても怒らず、白居易の詩句を引いて役人の風流をほめた話は、幼い天皇の度量の大きさを示している。
衣を奪われた女童の話では、民の罪を自分の徳の至らなさとして嘆き、中宮の御衣を与えて送り届けさせる。物語は、身分の低い者まで天皇の長寿を祈ったと結び、早く世を去った高倉院を惜しんでいる。
語釈・文法注
文法
- 「林閒に酒を暖めて紅葉を燒く」
- 白居易の詩「林間に酒を煖めて紅葉を焼く、石上に詩を題して緑苔を掃ふ」の句。『和漢朗詠集』にも収める。
- 「思はじ事なう」
- 底本のまま。通行本文は「思はぬ事なう」で、あれこれと思い悩んでの意。
- 「いかにと問へば、主の女房の」
- 底本は女童の言葉の始めに「「」を付けず、終わりの「泣くなり。」」にだけ「」」を付ける。
- 「かたましき」
- ねじけている、心がまっすぐでない。
- 「さる目にもぞあふ」
- そんな目にあうといけない。「もぞ」は心配を表す。
解説
高倉天皇の逸話は『平家物語』のほか『古今著聞集』などにも見える。紅葉の話は、白居易の詩句を知る天皇の教養と寛容さを伝える話として名高い。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、513–516頁(コマ285–287)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
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