源氏物語 第53帖 手習(41)
横川へ向かう薫
中宮は「宮(匂宮)はどうしてお聞きになることがありましょう。申し上げようもないお心のほどだと聞いていますので、ましてお聞きつけになったなら、たいそう困ったことになるでしょう。このような筋につけて、たいそう軽々しく情けない者とばかり世に知られてしまわれたようなので、つらいことです」とおっしゃる。たいそう重々しいお心なので、必ずしも打ち解けた世間話でも、人が忍んで申し上げたことをお漏らしになることはあるまいなどと薫はお思いになる。浮舟が住んでいるという山里はどこだろう、どのようにして体裁悪くなく尋ね寄ろうか、僧都に会ってこそ確かな有様も聞き合わせたりして、ともかくも尋ねるべきなのだろうなどと、ただこのことを寝ても覚めてもお思いになる。毎月の八日には必ず尊い仏事をおさせになるので、薬師仏に寄進申し上げることになさっているついでに、根本中堂に時々参詣なさっていた。そこからそのまま横川においでになろうとお思いになって、あの浮舟の弟の童を連れていらっしゃる。その母君たちにはすぐには知らせまい、様子次第にしようとお思いになるが、ふと会う夢のような心地にも、哀れさを加えようというのだったろうか、さすがにその人だと見つけながら、妙な様子で姿の異なる人々の中にいて、つらいことを聞きつけたなら、たいそうつらいことだろうと、薫は道すがら万事に思い乱れなさったということである。
- 1宮宮みやはははいかでいかでいかでかかか聞聞きききき給給たまははわむむん。。。聞聞きこえええむむん方方かたなかりなかりなかりけるけるける御心御心みこころのののほどほどほどかなかなかなととと聞聞きけけけばばば、、、ましてましてまして聞聞ききききつけつけつけ給給たまははわむむんこそこそこそいといといと苦苦くるしかるしかるしかるべけれべけれべけれ。。。かゝるかゝるかかるすぢすぢすじにににつけつけつけててていといといと輕輕かろくくくうきうきうきものものものにににのみのみのみ世世よににに知知しららられれれ給給たまひひいぬぬぬめれめれめればばば、、、心憂心憂うくくくなむなむなん」」」とととのたまはすのたまはすのたまわす。。。いといといと重重おもききき御心御心みこころなれなれなればばば必必かならずずずしもしもしもうちうちうちとけとけとけ世世よがたりがたりがたりにてにてにてももも人人ひとののの忍忍しのびびびててて啓啓けいしししけむけむけんことことことををを漏漏もらさらさらさせせせ給給たまははわじじじなどなどなどおぼすおぼすおぼす。。。住住すむむむらむらむらん山山やま里里ざとはははいづこいづこいずこにににかかかあらあらあらむむん、、、いかいかいかにににしししてててさまさまさま惡惡あしからしからしからずずず尋尋たずねねねよらよらよらむむん、、、僧僧そう都都ずににに逢逢あひひいてててこそこそこそはははたしかたしかたしかなるなるなる有有あり樣樣さまももも聞聞きききき合合あわせせせなどなどなどしししてててともかくもともかくもともかくも問問とふふうべかべかべかめれめれめれなどなどなど、、、唯唯ただこのこのこの事事ことをををおきおきおきふしふしふし覺覺おぼすすす。。。月月つきごとごとごとののの八八よう日日かははは必必かならずずず尊尊とうときききわざわざわざせせせさせさせさせ給給たまへへえばばば藥藥やく師師し佛佛ぶつににによせよせよせ奉奉たてまつるるるにににもてもてもてなしなしなし給給たまへへえるるるたよりたよりたよりににに中中ちゅう堂堂どうににに時々時々ときどき參參まいりりり給給たまひひいけりけりけり。。。それそれそれよりよりよりやがてやがてやがて橫橫よ川川かわにににおはせおはせおわせむむんとととおぼしおぼしおぼしててて、、、かのかのかのせうとせうとしょうとののの童童わらわ率率いててておはすおはすおわす。。。そのそのその人々人々ひとびとにににはははとみとみとみににに知知しらせらせらせじじじ、、、有有あり樣樣さまにににぞぞぞ隨隨したがははわむむんとととおぼせおぼせおぼせどどど、、、うちうちうち見見みむむん夢夢ゆめのののこゝちこゝちここちにににももも哀哀あわれをををももも加加くわへへえむむんとととにににやややありありありけむけむけん、、、さすがさすがさすがにににそのそのその人人ひととととははは見見みつけつけつけながらながらながら怪怪あやしきしきしきさまさまさまにににかたちかたちかたちことことことなるなるなる人人ひとののの中中なかにてにてにて憂憂うききき事事こと聞聞ききききつけつけつけたらたらたらむむんこそこそこそいみじかるいみじかるいみじかるべけれべけれべけれととと、、、よろづよろづよろずににに道道みちすがらすがらすがらおぼしおぼしおぼしみしだれみしだれみしだれけるけるけるとととややや。。。
現代語訳
「宮はどうしてお聞きになることがありましょう。申し上げようもないお心のほどだと聞いていますので、ましてお聞きつけになったなら、たいそう困ったことになるでしょう。このような筋につけて、たいそう軽々しく情けない者とばかり世に知られてしまわれたようなので、つらいことです」とおっしゃる。たいそう重々しいお心なので、必ずしも打ち解けた世間話でも、人が忍んで申し上げたことをお漏らしになることはあるまいなどとお思いになる。住んでいるという山里はどこだろう、どのようにして体裁悪くなく尋ね寄ろうか、僧都に会ってこそ確かな有様も聞き合わせたりして、ともかくも尋ねるべきなのだろうなどと、ただこのことを寝ても覚めてもお思いになる。毎月の八日には必ず尊い仏事をおさせになるので、薬師仏に寄進申し上げることになさっているついでに、中堂に時々参詣なさっていた。そこからそのまま横川においでになろうとお思いになって、あの弟の童を連れていらっしゃる。その人々にはすぐには知らせまい、様子次第にしようとお思いになるが、ふと会う夢のような心地にも、哀れさを加えようというのだったろうか、さすがにその人だと見つけながら、妙な様子で姿の異なる人々の中にいて、つらいことを聞きつけたなら、たいそうつらいことだろうと、道すがら万事に思い乱れなさったということである。
意訳
中宮は、匂宮が知れば困ったことになるので話していないと言う。薫は、中宮が他言することはないと思い、浮舟の住む山里をどう体裁よく訪ねようか、まず僧都に会って確かめようと、寝ても覚めても思う。薫は毎月八日の薬師仏の供養のついでに比叡山の根本中堂に参詣していたので、そのまま横川へ向かおうと、浮舟の弟の童を連れて行く。浮舟の母たちにはまだ知らせず、様子次第にしようと思うが、尼姿の浮舟を見つけ、つらいことを聞くことになったらと、薫は道すがら思い乱れる。
語釈・文法注
文法
- 「月ごとの八日」(月ごとの八日は必ず尊きわざせさせ給へば)
- 毎月八日は薬師如来の縁日。
- 「中堂」(中堂に時々參り給ひけり)
- 比叡山延暦寺の根本中堂。本尊は薬師如来。
- 「せうとの童」(かのせうとの童率ておはす)
- 浮舟の異父弟、小君。
解説
手習の巻は、薫が浮舟の弟を連れて横川へ向かう場面で終わる。浮舟の生存を知った薫の行動が、最終巻「夢浮橋」へと物語を導く。
薫は、尼姿の浮舟を見つけることへの不安に思い乱れる。生きていた喜びよりも、出家してしまった浮舟と向き合うことへのためらいが、薫の心を占めている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、1234–1235頁(コマ328)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日