源氏物語 第53帖 手習(38)
尼衣の歌
紅に桜の織物の袿を重ねて、「御前にはこのような物をこそお召しいただくべきなのに。あきれた墨染めですこと」と言う人がいる。浮舟は「尼衣に変わってしまった身で、かつての世の形見の袖をかけて偲ぶことがあろうか」と書いて、気の毒にも、自分が亡くなった後に、物の隠れない世なので、聞き合わせなどして、疎ましいほど隠していたのかと妹尼は思うだろうなどとさまざまに思いながら、「過ぎた昔のことはすっかり忘れてしまいましたが、このようなことをお急ぎになるにつけてこそ、ほのかに哀れです」とおっとりとおっしゃる。妹尼は「それでもお思い出しになることは多いでしょうに、いつまでも隔てなさるのがつらいことです。ここではこのような世の常の色合いなどを久しく忘れてしまったので、平凡な仕上がりでございますにつけても、亡き娘が生きていたならなどと思い出します。そのようにお世話申し上げなさった人(母君)は世にいらっしゃるのでしょうか。私のように娘を亡くして見ておりましてさえ、やはりどこかにいるのではないか、そこだとだけでも尋ね聞きたく思われますのに、行方も知らずに思い申し上げていらっしゃる人々がございましょう」とおっしゃると、浮舟は「見ていた頃までは一人はいらっしゃいました。この数か月の間に亡くなったかもしれません」と言って、涙が落ちるのを紛らわして、「かえって思い出すにつけてつらいので、申し上げないのです。隔ては何事に残しましょう」と、言葉少なにおっしゃりなした。大将(薫)は、この一周忌の法要などをおさせになって、はかなくも終わってしまったなと哀れにお思いになる。あの常陸の子どもたちは、元服した者は蔵人にし、ご自分の役所の将監にしたりなどして、目をかけていらっしゃった。童である者の中で清らかなのを、身近に使い慣らそうとお思いになっていた。雨などが降ってしめやかな夜、后の宮(明石の中宮)に参上なさった。御前がのどかな日で、お話などを申し上げなさるついでに、「妙な山里に年ごろ通っておりましたのを、人がそしりましたのも然るべき縁があったのでしょう。誰も心の寄る方のことはそうしたものだと思いなしつつ、やはり時々訪ねておりましたが、土地柄のせいかと、つらく思うようになりました後は、道も遥かな心地がして久しく出かけませんでしたが、先頃、何かのついでに参りまして、はかない世の有様を重ねて思いましたところ、ことさら道心を起こすように作りおいた聖の住まいと思われました」
- 1紅紅くれないににに櫻櫻さくらののの織織おり物物ものののの袿袿うちきかさねかさねかさねててて「「「御御お前前まえにににはははかゝるかゝるかかるをををこそこそこそ奉奉たてまつらすらすらすべけれべけれべけれ、、、あさましきあさましきあさましき墨墨すみ染染ぞめなりなりなりややや」」」ととといふいふいう人人ひとありありあり。。。「「「あまあまあま衣衣ごろもかはれかはれかわれるるる身身みにににやややありありありししし世世よのののかたみかたみかたみののの袖袖そでをををかけかけかけてててしのばしのばしのばむむん」」」ととと書書かきききててて、、、いとほしくいとほしくいとおしくなくなくなくもももなりなりなりけむけむけん後後のちににに物物もののののかくれかくれかくれなきなきなき世世よなりなりなりけれけれければばば、、、聞聞きききき合合あわせせせなどなどなどしししてててうとましきうとましきうとましきまでまでまでかくしかくしかくしけるけるけるとととややや思思おもははわむむんなどなどなどさまざまさまざまさまざま思思おもひひいつゝつゝつつ「「「過過すぎぎぎにににししし方方かたののの事事ことははは絕絕たえええててて忘忘わすれれれ侍侍はべりりりにににしししををを、、、かやうかやうかようなるなるなる事事ことをををおぼしおぼしおぼし急急いそぐぐぐにににつけつけつけてててこそこそこそほのかほのかほのかににに哀哀あわれなれなれなれ」」」とととおほどかおほどかおおどかにににのたまふのたまふのたまう。。。「「「さりともさりともさりともおぼしおぼしおぼし出出いづるづるずる事事ことははは多多おおからからからむむんををを、、、盡盡つきききせせせずずず隔隔へだててて給給たまふふうこそこそこそ心心こころうううけれけれけれ。。。こゝこゝここにににはははかゝるかゝるかかる世世よののの常常つねののの色色いろあひあひあいなどなどなど久久ひさしくしくしく忘忘わすれれれにににけれけれければばば、、、なほなほしくなほなほしくなおなおしく侍侍はべるるるにににつけつけつけてててももも昔昔むかしののの人人ひとあらあらあらましかましかましかばばばなどなどなど思思おもひひい出出いででで侍侍はべりりり。。。しかしかしかあつかひあつかひあつかい聞聞きこえええ給給たまひひいけむけむけん人人ひと世世よにににおはすおはすおわすらむらむらんややや。。。かくかくかくなくなくなくなしなしなしててて見見み侍侍はべるるるだにだにだに猶猶なおいづこいづこいずこにににかかかあらあらあらむむん、、、そこそこそことととだにだにだに尋尋たずねねね聞聞きかかかまほしくまほしくまほしく覺覺おぼえええ侍侍はべるるるををを、、、行行ゆくくくへへえ知知しらららででで思思おもひひい聞聞きこえええ給給たまふふう人々人々ひとびと侍侍はべらららむむんかしかしかし」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば「「「見見みししし程程ほどまでまでまでははは一一ひと人人りはははものものものししし給給たまひひいききき。。。このこのこの月月つき比比ごろうせうせうせやややししし給給たまひひいぬぬぬらむらむらん」」」とてとてとて、、、淚淚なみだののの墮墮おつるつるつるをををまぎらはしまぎらはしまぎらわしててて「「「なかなかなかなかなかなか思思おもひひい出出いづるづるずるにににつけつけつけてててうたてうたてうたて侍侍はべれれればばばこそこそこそ聞聞きこえええ出出いでででねねね。。。へだてへだてへだてははは何何なに事事ことにににかかか殘殘のこししし侍侍はべらららむむん」」」ととと、、、ことことことずくなずくなずくなにににのたまひのたまひのたまいなしなしなしつつつ。。。
- 2大大だい將將しょうはははこのこのこのはてはてはてのののわざわざわざなどなどなどせせせさせさせさせ給給たまひひいてててはかなくはかなくはかなくてててももも止止やみみみぬるぬるぬるかなかなかなととと哀哀あわれにににおぼすおぼすおぼす。。。かのかのかの常常ひた陸陸ちののの子子こどもどもどもははは、、、かうぶりかうぶりこうぶりしししたりたりたりしししははは藏藏くら人人うどににになしなしなし、、、我我わががが御御おんつかさつかさつかさのののぞうぞうぞうににになしなしなしなどなどなどいたはりいたはりいたわり給給たまひひいけりけりけり。。。童童わらわなるなるなるががが中中なかににに淸淸きよげげげなるなるなるをををばばば近近ちかくくくつかひつかひつかいならさならさならさむむんとととおぼしおぼしおぼしたりたりたりけるけるける。。。雨雨あめなどなどなど降降ふりりりてててまめやかまめやかまめやかなるなるなる夜夜よ、、、后后きさいののの宮宮みやににに參參まいりりり給給たまへへえりりりおおお前前まえのどやかのどやかのどやかなるなるなる日日ひにてにてにて御御おん物物もの語語がたりなどなどなど聞聞きこえええ給給たまふふうついでついでついでににに「「「あやしきあやしきあやしき山山やま里里ざとににに年年とし比比ごろまかりまかりまかり通通かよひひい見見み給給たまへへえしししををを、、、人人ひとのののそしりそしりそしり侍侍はべりりりしししもももさるべきさるべきさるべきにににこそこそこそはははあらあらあらめめめ、、、誰誰たれももも心心こころのののよるよるよるかたかたかたのののことことことはははさささなむなむなんあるあるあるととと思思おもひひい給給たまへへえなしなしなしつゝつゝつつ猶猶なお時々時々ときどき見見み給給たまへへえしししををを、、、所所ところのののさがさがさがにににやややととと心憂心憂うくくく思思おもひひい給給たまへへえなりなりなりにににししし後後のちははは、、、道道みちももも遙遙はるけきけきけき心心こころちちここちししし侍侍はべりりりててて久久ひさしくしくしくものものものししし侍侍はべらららぬぬぬををを、、、さいつさいつさいつころころころ物物もののののたよりたよりたよりにににまかりまかりまかりてててはかなきはかなきはかなき世世よのののありさまありさまありさまとりとりとり重重かさねねねててて思思おもひひい給給たまへへえしししににに殊殊こと更更さら道道どう心心しん起起おこすすすべくべくべく作作つくりりりおきおきおきてててたりたりたりけるけるける。。。
現代語訳
紅に桜の織物の袿を重ねて、「御前にはこのような物をこそお召しいただくべきなのに。あきれた墨染めですこと」と言う人がいる。「尼衣に変わってしまった身で、かつての世の形見の袖をかけて偲ぶことがあろうか」と書いて、気の毒にも、亡くなった後に、物の隠れない世なので、聞き合わせなどして、疎ましいほど隠していたのかと思うだろうなどとさまざまに思いながら、「過ぎた昔のことはすっかり忘れてしまいましたが、このようなことをお急ぎになるにつけてこそ、ほのかに哀れです」とおっとりとおっしゃる。「それでもお思い出しになることは多いでしょうに、いつまでも隔てなさるのがつらいことです。ここではこのような世の常の色合いなどを久しく忘れてしまったので、平凡な仕上がりでございますにつけても、昔の人が生きていたならなどと思い出します。そのようにお世話申し上げなさった人は世にいらっしゃるのでしょうか。このように亡くして見ておりましてさえ、やはりどこかにいるのではないか、そこだとだけでも尋ね聞きたく思われますのに、行方も知らずに思い申し上げていらっしゃる人々がございましょう」とおっしゃると、「見ていた頃までは一人はいらっしゃいました。この数か月の間に亡くなったかもしれません」と言って、涙が落ちるのを紛らわして、「かえって思い出すにつけてつらいので、申し上げないのです。隔ては何事に残しましょう」と、言葉少なにおっしゃりなした。
大将は、この一周忌の法要などをおさせになって、はかなくも終わってしまったなと哀れにお思いになる。あの常陸の子どもたちは、元服した者は蔵人にし、ご自分の役所の将監にしたりなどして、目をかけていらっしゃった。童である者の中で清らかなのを、身近に使い慣らそうとお思いになっていた。雨などが降ってしめやかな夜、后の宮に参上なさった。御前がのどかな日で、お話などを申し上げなさるついでに、「妙な山里に年ごろ通っておりましたのを、人がそしりましたのも然るべき縁があったのでしょう。誰も心の寄る方のことはそうしたものだと思いなしつつ、やはり時々訪ねておりましたが、土地柄のせいかと、つらく思うようになりました後は、道も遥かな心地がして久しく出かけませんでしたが、先頃、何かのついでに参りまして、はかない世の有様を重ねて思いましたところ、ことさら道心を起こすように作りおいた
意訳
尼たちが華やかな袿を見て浮舟に似合うと言うと、浮舟は、尼衣の身で昔の形見を偲ぶことはないと手習に書く。妹尼は、浮舟の母は娘を探しているだろうと尋ね、浮舟は母は生きていたが今は分からないと涙を紛らわす。薫は浮舟の一周忌を営み、浮舟の異父弟たちを取り立てる。雨の夜、薫は明石の中宮のもとに参上し、宇治の山里に通っていたこと、久しぶりに訪れて道心を起こすような聖の住まいと感じたことを語る。
語釈・文法注
文法
- 「あま衣」(あま衣かはれる身にや)
- 尼衣。「海人」を掛ける。
- 「ぞう」(我が御つかさのぞうになし)
- 判官(じょう)。薫は右大将なので右近衛府の将監。
- 「さいつころ」(さいつころ物のたよりにまかりて)
- 先つ頃。先頃。
解説
浮舟は、母のことを問われて涙を紛らわす。出家しても、母への思いだけは断ち切れない。
薫は浮舟の一周忌を営み、その異父弟たちを取り立てる。浮舟への思いを形にして示す薫の誠実さは、夢浮橋の巻で浮舟の弟小君を使いとすることにつながる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、1230–1233頁(コマ326–327)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日