源氏物語 第53帖 手習(35)
袖ふれし人
浮舟は「心深いようなお話など、聞き分けられそうにもないのが残念です」と答えて、この「厭う」にかこつけた歌への返事はなさらない。思いもよらずあきれたこともあった身なので、男女のことはたいそう疎ましい。すべて朽木などのようにして、人に見捨てられて終わろうと振る舞っていらっしゃる。それで、この数か月絶え間なく塞ぎ込み、物思いばかりしていらっしゃったのも、この本意のこと(出家)をなさってから後は、少し晴れ晴れとなって、妹尼とちょっとした冗談も言い交わし、碁を打ったりして明かし暮らしなさる。勤行もたいそうよくして、法華経は言うまでもなく、他の経文などもたいそう多く読みなさる。雪が深く降り積もり、人目も絶えた頃は、本当に心を晴らすすべもなかった。年も改まった。春のしるしも見えず、一面に凍りついた水の音がしないのさえ心細くて、「君にぞまどふ」とおっしゃった人(匂宮)はつらいと思い果ててしまったが、やはりその折などのことは忘れず、「かき曇らせて降る野山の雪を眺めても、古く過ぎ去ったことが今日も恋しい」などと、いつもの慰めの手習を勤行の合間になさる。私が世にいなくなって年が隔たったのを、思い出す人もいるだろうなどと思い出す時も多い。若菜を粗末な籠に入れて人が持って来たのを、妹尼が見て、「山里の雪間の若菜を摘んで祝い、やはりあなたの行く末が頼もしく思われることよ」と言ってこちらに差し上げなさったので、浮舟は「雪深い野辺の若菜も、今からはあなたのために年を積むように摘むことでしょう」とあるのを、妹尼はさぞそうお思いだろうと哀れに思うにつけても、見る甲斐のある俗のお姿と思えたならよかったのにと、本気でお泣きになる。閨の端近くの紅梅が、色も香も昔に変わらないのを、「春や昔の」と、他の花よりもこれに心が寄るのは、飽き足りなかった匂い(匂宮の香)が身に染みたからだろうか。後夜に閼伽をお供えさせなさる。下﨟の尼で少し若い者がいるのを召し出して花を折らせると、恨みがましく散るにつけ、いっそう香ってくるので、「袖を触れた人の姿は見えないが、花の香がその人かと匂う春の曙であることよ」。
- 1「「「心心こころ深深ふかからからからむむん御御おん物物もの語語がたりなどなどなど聞聞ききききわくわくわくべくべくべくもももあらあらあらぬぬぬこそこそこそ口口くち惜惜おしけれしけれしけれ」」」ととといらへいらへいらえててて、、、このこのこのいとふいとふいとうにににつけつけつけたるたるたるいらへいらへいらえはははししし給給たまははわずずず、、、思思おもひひいよらよらよらずずずあさましきあさましきあさましき事事こともももありありありししし身身みなれなれなればばばいといといとうとましうとましうとまし。。。すべてすべてすべて朽朽くち木木きなどなどなどのののやうやうようにてにてにて人人ひとににに見見み捨捨すてててられられられててて止止やみみみなななむむんととともてもてもてなしなしなし給給たまふふう。。。さればさればされば月月つき比比ごろたゆみたゆみたゆみなくなくなくむすぼゝれむすぼゝれむすぼおれ、、、物物ものをををのみのみのみおぼしおぼしおぼしたりたりたりしししもももこのこのこの本本ほ意意いのののことことことししし給給たまひひいててて後後のちよりよりより、、、少少すこしししはればれしくはればれしくはればれしくなりなりなりててて、、、尼尼あま君君ぎみとととはかなくはかなくはかなくたはぶれたはぶれたわぶれもももしししかはしかはしかはし、、、碁碁ごうちうちうちなどなどなどしししてててぞぞぞ明明あかししし暮暮くらししし給給たまふふう。。。行行おこなひひいもももいといといとよくよくよくしししててて法法ほ華華け經經きょうはははさらなりさらなりさらなりことことこと法法ほう文文もんなどなどなどもももいといといと多多おおくくく讀讀よみみみ給給たまふふう。。。雪雪ゆき深深ふかくくく降降ふりりり積積つみみみ人人ひとめめめ絕絕たえええたるたるたるころころころぞぞぞげにげにげに思思おもひひいやるやるやる方方かたなかりなかりなかりけるけるける。。。年年としもももかへりかへりかえりぬぬぬ、、、春春はるのののしるししるししるしももも見見みえええずずず、、、氷氷こおりりりわたれわたれわたれるるる水水みずののの音音おとせせせぬぬぬさへさへさへ心心こころぼそくぼそくぼそくててて「「「君君きみにににぞぞぞまどふまどふまどう」」」とととのたまひのたまひのたまいししし人人ひとははは心憂心憂うしししととと思思おもひひいはてはてはてにににたれたれたれどどど、、、猶猶なおそのそのそのをりをりおりなどなどなどのののことことことははは忘忘わすれれれずずず、、、「「「かきかきかきくらすくらすくらす野野の山山やまののの雪雪ゆきをををながめながめながめてててもももふりふりふりにににしししことことことぞぞぞ今日今日きょうももも戀戀こいしきしきしき」」」などなどなど例例れいのののなぐさめなぐさめなぐさめののの手手て習習ならいををを行行おこなひひいのののひまひまひまにににはははししし給給たまふふう。。。
- 2われわれわれ世世よににになくなくなくててて年年とし隔隔へだたりたりたりぬるぬるぬるををを思思おもひひい出出いづるづるずる人人ひともももあらあらあらむむんかしかしかしなどなどなど思思おもひひい出出いづるづるずる時時ときももも多多おおかりかりかり。。。若若わか菜菜なをををおろそかおろそかおろそかなるなるなるこここににに入入いれれれててて人人ひとのののもてもてもて來來きたりたりたりけるけるけるををを、、、尼尼あま君君ぎみ見見みててて、、、「「「山山やま里里ざとののの雪雪ゆきまままののの若若わか菜菜なつみつみつみはやしはやしはやし猶猶なおおひおひおいさきさきさきのののたのまたのまたのまるゝるゝるるかなかなかな」」」とてとてとてこなたこなたこなたににに奉奉たてまつりりり給給たまへへえりりりけれけれければばば、、、「「「雪雪ゆきふかきふかきふかき野野の邊邊べのののわかなわかなわかなももも今今いまよりよりよりははは君君きみがががためためためにににぞぞぞ年年としもももつむつむつむべきべきべき」」」とととあるあるあるをををさぞさぞさぞおぼすおぼすおぼすらむらむらんととと哀哀あわれなるなるなるにににももも見見みるるるかひかひかいあるあるあるべきべきべき御御おんさまさまさまととと思思おもははわましかましかましかばばばとととまめやかまめやかまめやかにににうちうちうちないないない給給たまふふう。。。ねやねやねやのののつまつまつま近近ちかききき紅紅こう梅梅ばいののの色色いろももも香香かももも變變かわらららぬぬぬををを春春はるやややむかしむかしむかしのののとととことことこと花花はなよりよりよりもももこれこれこれににに心心こころよせよせよせのののあるあるあるははは、、、あかあかあかざりざりざりしししにほひにほひにおいのののしみしみしみにににけるけるけるにににややや、、、ごやごやごやにににあかあかあか奉奉たてまつらららせせせ給給たまふふう。。。下下げ﨟﨟ろうののの尼尼あまののの少少すこししし若若わかきききがががあるあるある召召めししし出出いでででゝゝて花花はな折折おらららすれすれすればばばかごとかごとかごとがましくがましくがましくちるちるちるにににいとゞいとゞいとどにほひにほひにおいくれくれくればばば、、、「「「袖袖そでふれふれふれししし人人ひとこそこそこそ見見みえええねねね花花はなのののかかかのののそれそれそれかかかとととにほふにほふにおう春春はるのののあけぼのあけぼのあけぼの」」」。。。
現代語訳
「心深いようなお話など、聞き分けられそうにもないのが残念です」と答えて、この「厭う」にかこつけた歌への返事はなさらない。思いもよらずあきれたこともあった身なので、たいそう疎ましい。すべて朽木などのようにして、人に見捨てられて終わろうと振る舞っていらっしゃる。それで、この数か月絶え間なく塞ぎ込み、物思いばかりしていらっしゃったのも、この本意のことをなさってから後は、少し晴れ晴れとなって、尼君とちょっとした冗談も言い交わし、碁を打ったりして明かし暮らしなさる。勤行もたいそうよくして、法華経は言うまでもなく、他の経文などもたいそう多く読みなさる。雪が深く降り積もり、人目も絶えた頃は、本当に心を晴らすすべもなかった。年も改まった。春のしるしも見えず、一面に凍りついた水の音がしないのさえ心細くて、「君にぞまどふ」とおっしゃった人はつらいと思い果ててしまったが、やはりその折などのことは忘れず、「かき曇らせて降る野山の雪を眺めても、古く過ぎ去ったことが今日も恋しい」などと、いつもの慰めの手習を勤行の合間になさる。
私が世にいなくなって年が隔たったのを、思い出す人もいるだろうなどと思い出す時も多い。若菜を粗末な籠に入れて人が持って来たのを、尼君が見て、「山里の雪間の若菜を摘んで祝い、やはりあなたの行く末が頼もしく思われることよ」と言ってこちらに差し上げなさったので、「雪深い野辺の若菜も、今からはあなたのために年を積むように摘むことでしょう」とあるのを、さぞそうお思いだろうと哀れに思うにつけても、見る甲斐のあるお姿と思えたならよかったのにと、本気でお泣きになる。閨の端近くの紅梅が、色も香も変わらないのを、「春や昔の」と、他の花よりもこれに心が寄るのは、飽き足りなかった匂いが身に染みたからだろうか。後夜に閼伽をお供えさせなさる。下﨟の尼で少し若い者がいるのを召し出して花を折らせると、恨みがましく散るにつけ、いっそう香ってくるので、「袖を触れた人の姿は見えないが、花の香がその人かと匂う春の曙であることよ」。
意訳
浮舟は中将の歌に返事をせず、朽木のように人に見捨てられて終わりたいと思う。出家後の浮舟は少し晴れやかになり、妹尼と冗談を言い、碁を打ち、経を多く読んで過ごす。年が改まり、雪の中で浮舟は、匂宮とのかつての日々を恋しく思う歌を手習に書く。妹尼が若菜を贈って浮舟の行く末を祝うと、浮舟はあなたのために年を積もうと返す。紅梅の香に、浮舟は袖を触れた人を思い出して歌を詠む。
語釈・文法注
文法
- 「君にぞまどふ」(「君にぞまどふ」とのたまひし人は)
- 浮舟の巻で、匂宮が雪の宇治で詠んだ「峰の雪みぎはの氷踏み分けて君にぞまどふ道はまどはず」。
- 「春やむかしの」(春やむかしのとこと花よりもこれに心よせのあるは)
- 「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」(古今集・在原業平)による。
- 「ごやにあか奉らせ給ふ」(ごやにあか奉らせ給ふ)
- 後夜(夜半から明け方の勤行)に閼伽(仏に供える水や花)を供えさせる。
解説
出家した浮舟は心の平安を得たかに見えるが、雪の日には匂宮との逢瀬を、紅梅の香には匂宮の移り香を思い出す。断ち切ったはずの恋の記憶は、なお浮舟の心に残っている。
「袖ふれし人こそ見えね」の歌は、手習巻の浮舟の心を代表する歌である。香りによって喚起される記憶は、匂宮という名にふさわしい。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、1226–1229頁(コマ324–325)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日