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源氏物語 第53帖 手習(28)

胸の晴れた心地

登場人物:少将の尼君・左衛門・こもき・横川の僧都・浮舟・阿闍梨

こうしている間、少将の尼は兄の阿闍梨が来たのに会って下の部屋にいた。左衛門は、この私的な知り合いの人の相手をするといって、このような所につけては皆それぞれに縁故の人々が珍しくやって来たので、ちょっとしたもてなしの世話などをしていた間に、童のこもきが一人で「こういうことが」と少将の尼に知らせたので、少将の尼は慌てて来て見ると、僧都がご自分の上の衣や袈裟などを形ばかりにとお着せ申し上げて、「親の御方を拝み申し上げなさい」と言うので、浮舟はどちらの方角とも分からないので、こらえきれずにお泣きになってしまった。少将の尼は「まあ、あきれたこと。どうしてこのような無分別なことをなさるのです。尼上がお帰りになったら、どのようなことをおっしゃるでしょう」と言うが、僧都は、これほどまでし始めたのを言い乱すのも不都合だと思ってお諫めになるので、近寄って妨げることもできない。「流転三界中」などと唱えるにつけても、浮舟は、恩愛の絆はとうに断ち切ってしまったのにと思い出すのも、さすがに悲しいことであった。御髪も削ぎかねて、阿闍梨は「のどかに、尼君たちに直していただいてください」と言う。額髪は僧都がお削ぎになる。「このようなお姿にやつしなさって、後悔なさいますな」などと尊いことどもを説いてお聞かせになる。すぐにはしていただけそうもなかった出家を、皆が言い聞かせてくださっていたのに、嬉しくもしおおせたことよと、このことだけを、生きている甲斐があったと思われなさった。人々は皆出て行って静まった。夜の風の音に、この人々は「心細いお住まいもしばらくのことで、今にたいそう結構な身におなりになるだろうと頼み申し上げていたお身を、このようにしておしまいになって、残り多いお年の末をどうなさろうとするのですか。老い衰えた人でさえ、今は限りと出家を思い果てる時は、たいそう悲しいことでございます」と言い聞かせるが、浮舟はやはり今は心安く嬉しい、世に生き長らえるものとは思いもかけなくなったのこそたいそうめでたいことだと、胸の晴れた心地がなさった。

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引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

こうしている間、少将の尼は兄の阿闍梨が来たのに会って下の部屋にいた。左衛門は、この私的な知り合いの人の相手をするといって、このような所につけては皆それぞれに縁故の人々が珍しくやって来たので、ちょっとしたもてなしの世話などをしていた間に、こもきが一人で「こういうことが」と少将の尼に知らせたので、慌てて来て見ると、ご自分の上の衣や袈裟などを形ばかりにとお着せ申し上げて、「親の御方を拝み申し上げなさい」と言うので、どちらの方角とも分からないので、こらえきれずにお泣きになってしまった。「まあ、あきれたこと。どうしてこのような無分別なことをなさるのです。尼上がお帰りになったら、どのようなことをおっしゃるでしょう」と言うが、これほどまでし始めたのを言い乱すのも不都合だと思って僧都がお諫めになるので、近寄って妨げることもできない。「流転三界中」などと唱えるにつけても、断ち切ってしまったのにと思い出すのも、さすがに悲しいことであった。

御髪も削ぎかねて、「のどかに、尼君たちに直していただいてください」と言う。額髪は僧都がお削ぎになる。「このようなお姿にやつしなさって、後悔なさいますな」などと尊いことどもを説いてお聞かせになる。すぐにはしていただけそうもなかったことを、皆が言い聞かせてくださっていたのに、嬉しくもしおおせたことよと、このことだけを、生きている甲斐があったと思われなさった。人々は皆出て行って静まった。夜の風の音に、この人々は「心細いお住まいもしばらくのことで、今にたいそう結構な身におなりになるだろうと頼み申し上げていたお身を、このようにしておしまいになって、残り多いお年の末をどうなさろうとするのですか。老い衰えた人でさえ、今は限りと思い果てる時は、たいそう悲しいことでございます」と言い聞かせるが、やはり今は心安く嬉しい、世に生き長らえるものとは思いもかけなくなったのこそたいそうめでたいことだと、胸の晴れた心地がなさった。

意訳

少将の尼と左衛門が来客の相手をしている間に、浮舟の出家の儀式が進む。童のこもきの知らせで少将の尼が駆けつけると、浮舟は僧都の衣と袈裟を着せられ、親のいる方角を拝むよう言われて泣いていた。少将の尼は驚くが、僧都に諫められて止められない。「流転三界中」の偈を聞き、浮舟は親との縁をすでに断ったことを思う。阿闍梨は髪を削ぎかね、額髪は僧都が削ぐ。浮舟は出家を果たせたことを、生きていた甲斐と喜ぶ。尼たちは惜しんで嘆くが、浮舟は胸の晴れる思いがする。

語釈・文法注

文法

「親の御方を拜み奉り給へ」(「親の御方を拜み奉り給へ」といふに)
出家の作法で、まず親のいる方角を拝んで別れを告げる。
「流轉三界中」(流轉三界中などいふにも)
出家の時に唱える偈。「流転三界中、恩愛不能断、棄恩入無為、真実報恩者」。
「あへしらふ」(このわたくしの知りたる人にあへしらふとて)
応対する、もてなす。

解説

浮舟の出家は、妹尼の留守中に慌ただしく行われる。親の方角も分からず泣く浮舟の姿は、身寄りを失った孤独を浮き彫りにする。

尼たちの嘆きをよそに、浮舟は「胸のあきたる心地」を味わう。出家によって、浮舟はようやく男女の恋の苦しみから解き放たれたのである。

関連

出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、1220–1221頁(コマ321)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日