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源氏物語 第53帖 手習(26)

僧都に出家を願う

登場人物:浮舟・横川の僧都・大尼君

浮舟は「こうなれとて(母は私の黒髪を撫でたのではなかったろうに)」と独り言を言って座っていらっしゃる。夕方に僧都がおいでになった。南面を払い清めて設け、丸い頭たちが行き交い騒いでいるのも、いつもと変わってたいそう恐ろしい心地がする。僧都は母尼の御方に参上なさって、「いかがですか、この数か月は」などと言う。「東の御方(妹尼)は参詣なさったとか。ここにいらっしゃった人はまだいらっしゃいますか」などとお尋ねになる。大尼君は「ええ、ここに泊まっていて、気分が悪いとおっしゃって、戒をお受け申し上げたいとおっしゃいました」と語る。僧都は立ってこちらにいらっしゃって、「ここにいらっしゃいますか」と言って几帳のもとに膝をついてお座りになるので、浮舟は気が引けるが、膝行して寄ってお答えなさる。僧都は「思いがけずお見かけし始めたのも、然るべき前世の宿縁があったのだと存じまして、ご祈祷などを心を込めてお勤めしましたが、法師は用事もなくお手紙を差し上げたり承ったりするのも不都合なので、自然とおろそかなようになってしまいました。たいそう妙な様子で世を背いている者たちのあたりに、どうしていらっしゃるのでしょう」とおっしゃる。浮舟は「世の中に生きていまいと思い立ちました身が、たいそう不思議にも今まで生きておりますのを、つらいと思いますものの、万事お世話くださったお心ばえを、言う甲斐もない心にも思い知られますが、やはり世に馴染めず、結局この世に留まっていられそうにも思われませんので、尼にしてくださいませ。世の中におりましても、並の人として長らえられそうにもない身ですので」と申し上げなさる。僧都は「まだたいそう行く末の長そうなお年頃で、どうしてひたすらそのようにお思い立ちになるのでしょう。かえって罪のあることです。思い立って発心なさる時は強くお思いになっても、年月が経つと女の御身というものはたいそう不都合なもので」などとおっしゃるので、浮舟は「幼うございました頃から物思いばかりするはずの有様で、親なども尼にして世話をしようかなどと思っておっしゃいました。まして少し物心がついてからは、並の人の生き方ではなく、せめて後世だけでもと思う心が深うございましたが、亡くなるはずの時がだんだん近くなりましたのでしょうか、気分がたいそう弱くばかりなりますので、やはり何とか」と泣きながらおっしゃる。

  1. 1「「「かゝれかゝれかかれとてとてとてしもしもしも」」」とととひとりひとりひとりごちごちごち居ゐ居ゐい給たま給たまたまへへえりりり。。。暮くれ暮くれくれ方がた方がたがたににに僧そう僧そうそう都づ都づずものものものししし給たま給たまたまへへえりりり。。。南みなみ南みなみみなみ面おもて面おもておもて拂はら拂はらはらひひいしつらひしつらひしつらいてててまろまろまろなるなるなる頭かしら頭かしらかしらつきつきつきどもどもども行ゆ行ゆゆきききちがひちがひちがい騷さわ騷さわさわぎぎぎたるたるたるももも例れい例れいれいににに變かは變かはかわりりりててていといといと恐おそろ恐おそろおそろしきしきしき心こころ心こころこころちちここちすすす。。。「「「母はゝ母はゝははののの御おん御おんおん方かた方かたかたににに參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまひひいててていかいかいかにににぞぞぞ月つき月つきつき比ごろ比ごろごろははは」」」などなどなどいふいふいう。。。「「「東ひんがし東ひんがしひんがしののの御おん御おんおん方かた方かたかたははは物もの物ものもの詣まうで詣まうでもうでししし給たま給たまたまひひいにににきききとととかかか、、、このこのこのおはせおはせおわせししし人ひと人ひとひとははは猶なほ猶なほなお物もの物ものものししし給たま給たまたまふふうややや」」」などなどなど問と問ととひひい給たま給たまたまふふう。。。「「「しかしかしかこゝこゝここににに泊とま泊とまとまりりりてててなむなむなん、、、心地ここち心地ここちここち悪あ悪ああしししとととこそこそこそ物もの物ものものししし給たま給たまたまひひいててて忌い忌いいむむむ事こと事ことことうけうけうけ奉たてまつ奉たてまつたてまつらららむむんとととのたまひのたまひのたまいつるつるつる」」」ととと語かた語かたかたるるる。。。立た立たたちちちてててこなたこなたこなたにににいいいましましましててて「「「爰こゝ爰こゝここにににやややおはしますおはしますおわします」」」とてとてとて几き几きき帳ちやう帳ちやうちょうのののもともともとにににつゐつゐつい居ゐ居ゐい給たま給たまたまへへえばばばつゝましけれつゝましけれつつましけれどどどゐざりゐざりいざりよりよりよりててていらへいらへいらえししし給たま給たまたまふふう。。。「「「不ふ不ふふ意い意いいにてにてにて見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりそめそめそめてててしししもももさるべきさるべきさるべき昔むかし昔むかしむかしののの契ちぎ契ちぎちぎりりりありありありけるけるけるにににこそこそこそととと思おも思おもおもひひい給たま給たまたまへへえててて御おん御おんおんいのりいのりいのりなどなどなどねんごろねんごろねんごろににに仕つか仕つかつこうううまつりまつりまつりしししををを法ほふ法ほふほう師し師ししはははそのそのその事こと事ことこととととなくなくなくててて御おん御おんおん文ふみ文ふみふみ聞きこ聞きこきこえええ承うけたまは承うけたまはうけたまわらららむむんももも便びん便びんびんなけれなけれなければばば、、、じねんじねんじねんににになむなむなんおろかおろかおろかなるなるなるやうやうようににになりなりなり侍はべ侍はべはべりりりぬるぬるぬる。。。いといといとあやしきあやしきあやしきさまさまさまににに世よ世よよををを背そむ背そむそむききき給たま給たまたまへへえるるる人ひと人ひとひとののの御おん御おんおんあたりあたりあたりにににいかでいかでいかでおはしますおはしますおわしますらむらむらん」」」とととのたまふのたまふのたまう。。。
  2. 2「「「世よ世よよののの中なか中なかなかににに侍はべ侍はべはべらららじじじととと思おも思おもおもひひい立た立たたちちち侍はべ侍はべはべりりりししし身み身みみのののいといといと怪あや怪あやあやしくしくしくててて今いま今いまいままでまでまで侍はべ侍はべはべるるるををを、、、心憂う心憂ううしししととと思おも思おもおもひひい侍はべ侍はべはべるるるものものものからからから萬よろづ萬よろづよろずににに物もの物ものものせせせさせさせさせ給たま給たまたまひひいけるけるける御心みこころ御心みこころみこころばへばへばへをををなむなむなん、、、いふかひいふかひいうかいなきなきなき心こころ心こころこころちちここちにににももも思おも思おもおもひひい給たま給たまたまへへえ知し知ししらるゝらるゝらるるををを、、、猶なほ猶なほなお世よ世よよづかづかずかずずずのみのみのみ遂つひ遂つひついににに得え得ええとまるとまるとまるまじくまじくまじく思おも思おもおもひひい給たま給たまたまへへえらるゝらるゝらるるををを、、、尼あま尼あまあまににになさなさなさせせせ給たま給たまたまひひいてててよよよ、、、世よ世よよののの中なか中なかなかににに侍はべ侍はべはべるるるともともとも例れい例れいれいののの人ひと人ひとひとにてにてにて長なが長ながながらふらふらうべくべくべくももも侍はべ侍はべはべらららぬぬぬ身み身みみににに」」」などなどなど聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまふふう。。。「「「まだまだまだいといといと行ゆ行ゆゆくくく先さき先さきさき遠とほ遠とほとおげげげなるなるなる御おん御おんおん程ほど程ほどほどにににいかでいかでいかでかかかはははひたひたひたみちみちみちにににしかしかしかはははおぼしおぼしおぼしたゝたゝたたむむん、、、かへりてかへりてかえりて罪つみ罪つみつみあるあるある事こと事ことことなりなりなり。。。思おも思おもおもひひいたちたちたちててて心こころ心こころこころををを起おこ起おこおこししし給たま給たまたまふふう程ほど程ほどほどははは强つよ强つよつよくくくおぼせおぼせおぼせどどど、、、年とし年としとし月つき月つきつき經ふ經ふふれれればばば女をんな女をんなおんなののの御おん御おんおん身み身みみととといふいふいうものものものいといといとたいだいしきたいだいしきたいだいしきものものものににに」」」などなどなどのたまへのたまへのたまえばばば「「「幼をさな幼をさなおさなくくく侍はべ侍はべはべりりりししし程ほど程ほどほどよりよりより物もの物ものものをををのみのみのみ思おも思おもおもふふうべきべきべき有あり有ありあり樣さま樣さまさまにてにてにて、、、親おや親おやおやなどなどなどももも尼あま尼あまあまににになしなしなしてててややや見み見みみましましましなどなどなどなむなむなん思おも思おもおもひひいのたまひのたまひのたまいししし。。。ましてましてまして少すこ少すこすこししし物もの物ものもの思おも思おもおもひひい知し知ししりりりててて後のち後のちのちははは例れい例れいれいののの人ひと人ひとひとざまざまざまならならならででで後のち後のちのちののの世よ世よよをををだにだにだにととと思おも思おもおもふふう心こころ心こころこころ深ふか深ふかふかくくく侍はべ侍はべはべりりりしししををを、、、なくなくなくなるなるなるべきべきべき程ほど程ほどほどのののやうやうやうやうようよう近ちか近ちかちかくくくなりなりなり侍はべ侍はべはべるるるにににややや、、、心こころ心こころこころちちここちのののいといといと弱よわ弱よわよわくくくのみのみのみなりなりなり侍はべ侍はべはべるるるををを猶なほ猶なほなおいかでいかでいかで」」」とてとてとてうちうちうち泣な泣ななきききつゝつゝつつのたまふのたまふのたまう。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

「こうなれとて」と独り言を言って座っていらっしゃる。夕方に僧都がおいでになった。南面を払い清めて設け、丸い頭たちが行き交い騒いでいるのも、いつもと変わってたいそう恐ろしい心地がする。母の御方に参上なさって、「いかがですか、この数か月は」などと言う。「東の御方は参詣なさったとか。ここにいらっしゃった人はまだいらっしゃいますか」などとお尋ねになる。「ええ、ここに泊まっていて、気分が悪いとおっしゃって、戒をお受け申し上げたいとおっしゃいました」と語る。立ってこちらにいらっしゃって、「ここにいらっしゃいますか」と言って几帳のもとに膝をついてお座りになるので、気が引けるが、膝行して寄ってお答えなさる。「思いがけずお見かけし始めたのも、然るべき前世の宿縁があったのだと存じまして、ご祈祷などを心を込めてお勤めしましたが、法師は用事もなくお手紙を差し上げたり承ったりするのも不都合なので、自然とおろそかなようになってしまいました。たいそう妙な様子で世を背いている者たちのあたりに、どうしていらっしゃるのでしょう」とおっしゃる。

「世の中に生きていまいと思い立ちました身が、たいそう不思議にも今まで生きておりますのを、つらいと思いますものの、万事お世話くださったお心ばえを、言う甲斐もない心にも思い知られますが、やはり世に馴染めず、結局この世に留まっていられそうにも思われませんので、尼にしてくださいませ。世の中におりましても、並の人として長らえられそうにもない身ですので」と申し上げなさる。「まだたいそう行く末の長そうなお年頃で、どうしてひたすらそのようにお思い立ちになるのでしょう。かえって罪のあることです。思い立って発心なさる時は強くお思いになっても、年月が経つと女の御身というものはたいそう不都合なもので」などとおっしゃるので、「幼うございました頃から物思いばかりするはずの有様で、親なども尼にして世話をしようかなどと思っておっしゃいました。まして少し物心がついてからは、並の人の生き方ではなく、せめて後世だけでもと思う心が深うございましたが、亡くなるはずの時がだんだん近くなりましたのでしょうか、気分がたいそう弱くばかりなりますので、やはり何とか」と泣きながらおっしゃる。

意訳

夕方、僧都が小野に下りて来る。大尼君から浮舟が受戒を望んでいると聞いた僧都は、浮舟のもとを訪れる。浮舟は、死のうとした身が生き長らえたことをつらく思い、世に馴染めないので尼にしてほしいと願う。僧都は、行く末の長い若い身で出家するのはかえって罪であり、年月が経つと女は後悔しがちだと諭す。浮舟は、幼い頃から物思いの多い身で、親も尼にしようと考えていたほどだと言い、泣きながら出家を願う。

語釈・文法注

文法

「かゝれとてしも」(「かゝれとてしも」とひとりごち居給へり)
「たらちめはかかれとてしもうばたまの我が黒髪をなでずやありけむ」(後撰集・遍昭)による。母はこうなれとて私の黒髪を撫でたのではなかったろうに。
「つゐ居」(几帳のもとにつゐ居給へば)
ついゐる。膝をついて座る。
「たいだいしき」(女の御身といふものいとたいだいしきものに)
怠怠し。不都合な、けしからぬ。

解説

浮舟は遍昭の出家の歌を口ずさむ。母が撫でてくれた黒髪を下ろすことへのためらいと、それでも出家を選ぶ決意が込められている。

僧都は若い女の出家を慎重に諭す。しかし浮舟は、幼い頃からの宿命として出家を語り、死期が近いと訴えて、僧都を動かそうとする。

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出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、1218–1219頁(コマ320)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日