源氏物語 第53帖 手習(21)
二本の杉
妹尼の返事は「不思議なほど物の情けを知らないのかとまで見えます有様は、老人の問わず語りでもお聞きになったでしょう」とあった。中将は、珍しくもない返事も見どころのない心地がして、うち置かれたことだろう。荻の葉を吹く風に劣らないほど度々便りがあるのを、浮舟は、たいそう厄介なことだ、人の心は無理強いなものなのだと見知った折々も次第に思い出すままに、「やはりこのような筋のことを、人にも思い離れさせるような姿に早くしてください」と言って、経を習って読みなさる。心の中でも祈っていらっしゃる。このように万事につけて世の中を思い捨てているので、若い人とて華やかなことも特になく、鬱屈した性分なのだろうと尼たちは思う。容貌が見るかいがあり美しいので、万事の欠点を見許して、明け暮れの見物にしている。少し笑いなさる折は、珍しくすばらしいものに思っている。九月になって、この妹尼は初瀬に参詣する。年ごろたいそう心細い身で、恋しい亡き娘のことも思いやまずにいたのを、このように別人とも思われない慰めを得たので、観音のご利益がうれしいとて、お礼参りのようにして詣でなさるのだった。「さあ、いらっしゃい。誰が知ろうとするでしょう。同じ仏でも、そのような所で勤行するのこそご利益があって良い例が多いのです」と誘い立てるが、浮舟は、昔、母君や乳母などがこのように言い聞かせては度々詣でさせたのに甲斐もなかったようだ、命さえ思い通りにならず、類のないひどい目を見るとは、とたいそうつらい中にも、知らない人に連れられてそのような道の旅をしたらどうしようと空恐ろしく思われる。強情な様子には言わず、「気分がたいそう悪くばかりありますので、そのような道中にもどうかと気が引けまして」とおっしゃる。物怖じはそのようにもなさりそうな人だと思って、無理には誘わない。「はかなくて世に経る、古川の憂き瀬には尋ねても行くまい、二本の杉は」と手習に混じっているのを妹尼が見つけて、「二本とは、また逢い申し上げようと思っていらっしゃる人があるのでしょう」と冗談に言い当てたので、浮舟は胸がつぶれて顔を赤らめなさるのも、たいそう愛嬌があって美しげである。
- 1あやしうあやしうあやしゅう物物もの思思おもひひい知知しらららぬぬぬにににやややとととまでまでまで見見みえええ侍侍はべるるる有有あり樣樣さまはははおいおいおい人人びとののの問問とはははずずずがたりがたりがたりにににももも聞聞きこしししめしめしめしけむけむけんかしかしかし」」」とととありありあり。。。珍珍めずらしからしからしからぬぬぬももも見見み所所どころなきなきなき心心こころちちここちしししてててうちうちうちおかおかおかれれれけむけむけんかしかしかし。。。荻荻おぎののの葉葉はににに劣劣おとらららぬぬぬ程々程々ほどほどににに音音おとづれづれずれわたるわたるわたる、、、いといといとむつかしうむつかしうむつかしゅうもももあるあるあるかなかなかな、、、人人ひとののの心心こころはははあながちあながちあながちなるなるなるものものものなりなりなりけりけりけりととと見見み知知しりりりにににしししをりをりをりをりおりおりもももやうやうやうやうようよう思思おもひひい出出いづるづるずるまゝまゝままににに「「「猶猶なおかゝるかゝるかかるすぢすぢすじのののことことこと人人ひとにににももも思思おもひひいはなたはなたはなたすすすべきべきべきさまさまさまににに疾疾とくくくなしなしなし給給たまひひいてててよよよ」」」とてとてとて經經きょう習習ならひひいててて讀讀よみみみ給給たまふふう。。。心心こころのののうちうちうちにににももも念念ねんじじじ給給たまへへえりりり。。。かくかくかくよろづよろづよろずにににつけつけつけててて世世よののの中中なかををを思思おもひひい捨捨すつれつれつればばば若若わかききき人人ひととてとてとてをかしをかしおかしやかやかやかなるなるなることことことももも殊殊ことににになくなくなく、、、むすぼゝれむすぼゝれむすぼおれなるなるなる本本ほん性性じょうなななめりめりめりととと思思おもふふう。。。かたちかたちかたちののの見見みるるるかひかひかいありありあり美美うつくしきしきしきににに萬萬よろずののの咎咎とが見見みゆるしゆるしゆるしててて明明あけ暮暮くれののの見見み物物ものにににしししたりたりたり。。。少少すこしししうちうちうち笑笑わらひひい給給たまふふうをりをりおりははは珍珍めずらしくしくしくめでたきめでたきめでたきものものものににに思思おもへへえりりり。。。
- 2九九なが月月つきににになりなりなりてててこのこのこの尼尼あま君君ぎみ初初はつ瀨瀨せにににまうづまうづもうず。。。年年とし比比ごろいといといと心心こころぼそきぼそきぼそき身身みににに戀戀こいしきしきしき人人ひとののの上上うえももも思思おもひひいやまやまやまれれれざりざりざりしししををを、、、かくかくかくあらあらあらぬぬぬ人人ひとともともとも覺覺おぼえええ給給たまははわぬぬぬなぐさめなぐさめなぐさめををを得得えたれたれたればばば、、、觀觀かん音音のんののの御御おんしるししるししるしうれしうれしうれしとてとてとてかへりかへりかえり申申もうしししだちだちだちててて詣詣もうででで給給たまふふうなりなりなりけりけりけり。。。「「「いざいざいざ給給たまへへえ。。。人人ひとやややははは知知しらららむむんとととするするする同同おなじじじ佛佛ほとけなれなれなれどどどさやうさやうさようののの所所ところににに行行おこなひひいたるたるたるなむなむなんしるししるししるしありありありてててよきよきよきためしためしためし多多おおかるかるかる」」」とととそゝのかしそゝのかしそそのかしたつれたつれたつれどどど、、、昔昔むかし母母はは君君ぎみ乳乳め母母のとなどなどなどかやうかやうかようにににいひいひいい知知しらせらせらせつゝつゝつつ度々度々たびたび詣詣もうでででさせさせさせしししをををかひかひかいなきなきなきにににこそこそこそあああめれめれめれ、、、命命いのちさへさへさへ心心こころにににかなはかなはかなわずずずたぐひたぐひたぐいなきなきなきいみじきいみじきいみじきめめめををを見見みるるるはははととと、、、いといといと心憂心憂うきききうちうちうちにににももも知知しらららぬぬぬ人人ひとににに具具ぐしししてててさるさるさる道道みちのののありきありきありきをををしししたらたらたらむむんよよよとととそらそらそら恐恐おそろしくしくしくおぼゆおぼゆおぼゆ。。。心心こころごはきごはきごわきさまさまさまにににはははいひいひいいもももなさなさなさででで心地心地ここちのののいといといと惡惡あしうしうしゅうのみのみのみ侍侍はべれれればばばさやうさやうさようならならならむむん道道みちののの程程ほどにににももも、、、いかゞいかゞいかがなどなどなどつゝましうつゝましうつつましゅうなむなむなん」」」とととのたまふのたまふのたまう。。。物物ものおぢおぢおじはははさもさもさもししし給給たまふふうべきべきべき人人ひとぞぞぞかしかしかしととと思思おもひひいててて强强しひひいてててもももいざなはいざなはいざなわずずず。。。「「「はかなくはかなくはかなくてててよよよにににふるふるふる川川かわのののうきうきうきせせせにににははは尋尋たずねねねもももゆかゆかゆかじじじふたふたふたもともともとののの杉杉すぎ」」」ととと手手て習習ならいにににまじりまじりまじりたるたるたるををを尼尼あま君君ぎみ見見みつけつけつけててて「「「二二ふた本本もとはははまたまたまたもももあひあひあい聞聞きこえええむむんととと思思おもひひい給給たまふふう人人ひとあるあるあるべしべしべし」」」とととたはふれたはふれたわぶれごとごとごとをををいひいひいいあてあてあてたるたるたるににに胸胸むねつぶれつぶれつぶれててておもておもておもて赤赤あかめめめ給給たまへへえるるるもももいといといとあいぎやうあいぎやうあいきょうづきづきずき美美うつくしげしげしげなりなりなり。。。
現代語訳
「不思議なほど物の情けを知らないのかとまで見えます有様は、老人の問わず語りでもお聞きになったでしょう」とあった。珍しくもない返事も見どころのない心地がして、うち置かれたことだろう。荻の葉を吹く風に劣らないほど度々便りがあるのを、たいそう厄介なことだ、人の心は無理強いなものなのだと見知った折々も次第に思い出すままに、「やはりこのような筋のことを、人にも思い離れさせるような姿に早くしてください」と言って、経を習って読みなさる。心の中でも祈っていらっしゃる。このように万事につけて世の中を思い捨てているので、若い人とて華やかなことも特になく、鬱屈した性分なのだろうと思う。容貌が見るかいがあり美しいので、万事の欠点を見許して、明け暮れの見物にしている。少し笑いなさる折は、珍しくすばらしいものに思っている。
九月になって、この尼君は初瀬に参詣する。年ごろたいそう心細い身で、恋しい人のことも思いやまずにいたのを、このように別人とも思われない慰めを得たので、観音のご利益がうれしいとて、お礼参りのようにして詣でなさるのだった。「さあ、いらっしゃい。誰が知ろうとするでしょう。同じ仏でも、そのような所で勤行するのこそご利益があって良い例が多いのです」と誘い立てるが、昔、母君や乳母などがこのように言い聞かせては度々詣でさせたのに甲斐もなかったようだ、命さえ思い通りにならず、類のないひどい目を見るとは、とたいそうつらい中にも、知らない人に連れられてそのような道の旅をしたらどうしようと空恐ろしく思われる。強情な様子には言わず、「気分がたいそう悪くばかりありますので、そのような道中にもどうかと気が引けまして」とおっしゃる。物怖じはそのようにもなさりそうな人だと思って、無理には誘わない。「はかなくて世に経る、古川の憂き瀬には尋ねても行くまい、二本の杉は」と手習に混じっているのを尼君が見つけて、「二本とは、また逢い申し上げようと思っていらっしゃる人があるのでしょう」と冗談に言い当てたので、胸がつぶれて顔を赤らめなさるのも、たいそう愛嬌があって美しげである。
意訳
妹尼の返事を受けても、中将は度々便りを寄こす。浮舟は男の心の強引さを思い出し、恋の筋から離れられる姿、つまり出家の姿にしてほしいと願い、経を習って読む。九月、妹尼は娘の代わりを得たお礼に初瀬へ参詣し、浮舟も誘うが、浮舟は昔の初瀬詣での甲斐のなさを思い、気分が悪いと断る。浮舟の手習の歌の「ふたもとの杉」を見つけた妹尼が、また逢いたい人がいるのだろうとからかうと、浮舟は顔を赤らめる。
語釈・文法注
文法
- 「荻の葉に劣らぬ程々に」(荻の葉に劣らぬ程々に音づれわたる)
- 荻の葉を吹く秋風の音のように、頻繁に便りがあること。
- 「かへり申し」(かへり申しだちて詣で給ふなりけり)
- 願がかなったお礼参り。
- 「ふたもとの杉」(尋ねもゆかじふたもとの杉)
- 「初瀬川古川の辺に二本ある杉年を経てまたも逢ひ見む二本ある杉」(古今集)による。初瀬の古川のほとりの二本の杉。
解説
浮舟は中将の求愛を避けるため、出家を願う気持ちを強めていく。男の心の「あながち」さを身をもって知った浮舟にとって、出家は恋から逃れる唯一の道である。
「ふたもとの杉」の古歌は再会を詠む。妹尼の冗談は、浮舟の心の奥に、なお忘れられない人がいることを言い当ててしまう。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、1212–1213頁(コマ317)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日