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源氏物語 第53帖 手習(15)

あらぬ世に生まれた心地

登場人物:妹の尼君・浮舟・中将・横川の僧都・禅師の君

古風な尼たちは「人の噂をさすがにお気にかけていらっしゃるのこそ」などと褒め合っている。妹尼も「たいそう清らかで理想的に大人びておなりになったこと。同じことなら昔のようにお世話したいものです。藤中納言の御娘のもとには絶えずお通いになるようですが、お心も留めず、親の殿の邸にばかりいらっしゃると言うそうです」とおっしゃって、浮舟に「つらく、物をお隔てになってばかりいらっしゃるのがたいそうつらい。今はやはり然るべき宿縁なのだとお思いになって、晴れ晴れとお振る舞いなさい。この五年六年、わずかの間も忘れず、恋しく悲しいと思っていた娘のことも、こうしてお世話申し上げてからは、この上なく思い忘れてしまいました。あなたをお思い申し上げるはずの人々が世にいらっしゃっても、今は世に亡い者と、だんだんお思いになってしまったでしょう。万事、その当座のようにはいかないものです」と言うにつけても、浮舟はいっそう涙ぐんで、「隔て申し上げる心はございませんが、不思議に生き返りました間に、万事夢のようにたどられて、別の世に生まれた人はこのような心地がするだろうと思われますので、今は知っている人が世にいるとも思い出さず、ひたすら親しく思い申し上げております」とおっしゃる様子も、本当に何心もなく可愛らしく、妹尼は微笑んで見守っていらっしゃる。中将は山にお着きになって、僧都も珍しがって世間の話をなさる。その夜は泊まって、声の尊い人々に経などを読ませて一晩中管弦の遊びをなさる。禅師の君が細かな話などするついでに、中将は「小野に立ち寄って、何となく哀れだった。世を捨てたとはいえ、やはりあれほどの心ばえのある人は少ない」などとおっしゃるついでに、「風が吹き上げた隙間から、髪のたいそう長く美しげな人が見えた。あらわだと思ったのだろうか、立ってあちらに入った後ろ姿は並の人とは見えなかった。そのような所によい女は置くべきでないのだろう。明け暮れ見るのは法師だ。

  1. 1「「「人ひと人ひとひとののの物もの物ものものいひいひいいをををさすがさすがさすがにににおぼしおぼしおぼし咎とが咎とがとがむるむるむるこそこそこそ」」」などなどなど、、、こだいこだいこだいののの人ひと人ひとひとどもどもどもははは物もの物ものものめでめでめでをををしししあへあへあえりりり。。。「「「いといといと淸きよ淸きよきよげげげにににあらまほしくあらまほしくあらまほしくもももねびねびねびまさりまさりまさり給たま給たまたまひひいにににけるけるけるかなかなかな。。。同おな同おなおなじくじくじくばばば昔むかし昔むかしむかしのののやうやうようにににてててももも見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつらららばやばやばやとてとてとて、、、藤とう藤とうとう中ちゆう中ちゆうちゅう納な納なな言ごん言ごんごんののの御おん御おんおんあたりあたりあたりにににははは絕た絕たたえええずずず通かよ通かよかよひひい給たま給たまたまふふうやうやうようなれなれなれどどど、、、心こころ心こころこころももも留と留ととめめめ給たま給たまたまははわずずず、、、親おや親おやおやののの殿との殿とのとのがちがちがちににになむなむなん物もの物ものものししし給たま給たまたまふふうとととこそこそこそいふいふいうなれなれなれ」」」ととと尼あま尼あまあま君ぎみ君ぎみぎみももものたまひのたまひのたまいててて「「「心憂う心憂ううくくく物もの物ものものをををのみのみのみおぼしおぼしおぼし隔へだ隔へだへだてててたるたるたるなむなむなんいといといとつらきつらきつらき。。。今いま今いまいまははは猶なほ猶なほなおさるべきさるべきさるべきなななめりめりめりとととおぼしおぼしおぼしなしなしなしてててはればれしくはればれしくはればれしくもてもてもてなしなしなし給たま給たまたまへへえ。。。このこのこの五いつ五いついつ年とせ年とせとせ六む六むむ年とせ年とせとせ時とき時ときときののの間ま間ままももも忘わす忘わすわすれれれずずず、、、戀こひ戀こひこいししし悲かな悲かなかなしししととと思おも思おもおもひひいつるつるつる人ひと人ひとひとのののうへうへうえもももかくかくかく見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりててて後のち後のちのちよりよりよりはははこよなくこよなくこよなく思おも思おもおもひひい忘わす忘わすわすれれれにににててて侍はべ侍はべはべるるる。。。思おも思おもおもひひい聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまふふうべきべきべき人々ひとびと人々ひとびとひとびと世よ世よよにににおはすおはすおわすともともとも今いま今いまいまははは世よ世よよににになきなきなきものものものにににこそこそこそはははやうやうやうやうようようおぼしおぼしおぼしなりなりなりぬぬぬらめらめらめ。。。萬よろづ萬よろづよろずののの事こと事ことことさしさしさしあたりあたりあたりたるたるたるやうやうようにににはははえええしもしもしもあらあらあらぬぬぬわざわざわざににになむなむなん」」」ととといふいふいうにににつけつけつけてててもももいとゞいとゞいとど淚なみだ淚なみだなみだぐみぐみぐみててて「「「隔へだ隔へだへだててて聞きこ聞きこきこゆるゆるゆる心こころ心こころこころははは侍はべ侍はべはべらららねねねどどど、、、怪あや怪あやあやしくしくしくててていきいきいきかへりかへりかえりけるけるける程ほど程ほどほどににに萬よろづ萬よろづよろずののの事こと事ことこと夢ゆめ夢ゆめゆめのののやうやうようにににたどらたどらたどられれれてててあらあらあらぬぬぬ世よ世よよににに生うま生うまうまれれれたらたらたらむむん人ひと人ひとひとはははかゝるかゝるかかる心地ここち心地ここちここちすすすらむらむらんととと覺おぼ覺おぼおぼえええ侍はべ侍はべはべれれればばば、、、今いま今いまいまははは知し知ししるるるべきべきべき世よ世よよにににあらあらあらむむんともともとも思おも思おもおもひひい出い出いいでででずずず、、、ひたひたひたみちみちみちにににこそこそこそむつまじくむつまじくむつまじく思おも思おもおもひひい聞きこ聞きこきこゆれゆれゆれ」」」とととのたまふのたまふのたまうさまさまさまもももげにげにげに何なに何なになに心こころ心こころこころなくなくなくうつくしくうつくしくうつくしくうちうちうち笑ゑ笑ゑえみみみてててぞぞぞまもりまもりまもり居ゐ居ゐい給たま給たまたまへへえるるる。。。
  2. 2中ちゆう中ちゆうちゅう將じやう將じやうじょうははは山やま山やまやまにににおはしおはしおわし着つ着つつきききててて、、、僧そう僧そうそう都づ都づずもももめづらしがりめづらしがりめずらしがりててて世よ世よよののの中なか中なかなかののの物もの物ものもの語がたり語がたりがたりししし給たま給たまたまふふう。。。そのそのその夜よ夜よよはははとまりとまりとまりててて聲こゑ聲こゑこえたふときたふときとうとき人々ひとびと人々ひとびとひとびとににに經きやう經きやうきょうなどなどなどよまよまよませせせててて夜よ夜よよ一ひと一ひとひと夜よ夜よよあそびあそびあそび給たま給たまたまふふう。。。禪ぜん禪ぜんぜん師じ師じじののの君きみ君きみきみこまかこまかこまかなるなるなる物もの物ものもの語がたり語がたりがたりなどなどなどするするするついでついでついでににに「「「小を小をお野の野ののににに立た立たたちちち寄よ寄よよりりりててて物もの物ものもの哀あはれ哀あはれあわれにににもももありありありしかしかしかななな。。。世よ世よよををを捨す捨すすてててたれたれたれどどど猶なほ猶なほなおさばかりさばかりさばかりののの心こころ心こころこころばせばせばせあるあるある人ひと人ひとひとかたうかたうかとうこそこそこそ」」」などなどなどのたまふのたまふのたまうついでついでついでににに「「「風かぜ風かぜかぜののの吹ふ吹ふふきききあげあげあげたりたりたりつるつるつるひまひまひまよりよりより髮かみ髮かみかみいといといと長なが長ながながくくくをかしげをかしげおかしげなるなるなる人ひと人ひとひとこそこそこそ見み見みみえええつれつれつれ。。。あらはあらはあらわなりなりなりとととややや思おも思おもおもひひいつつつらむらむらん、、、立た立たたちちちてててあなたあなたあなたににに入い入いいりりりつるつるつるうしろうしろうしろでででなべてなべてなべてののの人ひと人ひとひととととははは見み見みみえええざりざりざりつつつ。。。さやうさやうさようののの所ところ所ところところににによきよきよき女をんな女をんなおんなははは置お置おおきききたるたるたるまじきまじきまじきものものものにににこそこそこそあああめれめれめれ。。。明あけ明あけあけ暮くれ暮くれくれ見み見みみるるるものものものははは法ほふ法ほふほう師し師ししなりなりなり。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

「人の噂をさすがにお気にかけていらっしゃるのこそ」などと、古風な人々は褒め合っている。「たいそう清らかで理想的に大人びておなりになったこと。同じことなら昔のようにお世話したいものです。藤中納言の御あたりには絶えずお通いになるようですが、お心も留めず、親の殿の邸にばかりいらっしゃると言うそうです」と尼君もおっしゃって、「つらく、物をお隔てになってばかりいらっしゃるのがたいそうつらい。今はやはり然るべき宿縁なのだとお思いになって、晴れ晴れとお振る舞いなさい。この五年六年、わずかの間も忘れず、恋しく悲しいと思っていた人のことも、こうしてお世話申し上げてからは、この上なく思い忘れてしまいました。お思い申し上げるはずの人々が世にいらっしゃっても、今は世に亡い者と、だんだんお思いになってしまったでしょう。万事、その当座のようにはいかないものです」と言うにつけても、いっそう涙ぐんで、「隔て申し上げる心はございませんが、不思議に生き返りました間に、万事夢のようにたどられて、別の世に生まれた人はこのような心地がするだろうと思われますので、今は知っている人が世にいるとも思い出さず、ひたすら親しく思い申し上げております」とおっしゃる様子も、本当に何心もなく可愛らしく、微笑んで見守っていらっしゃる。

中将は山にお着きになって、僧都も珍しがって世間の話をなさる。その夜は泊まって、声の尊い人々に経などを読ませて一晩中管弦の遊びをなさる。禅師の君が細かな話などするついでに、「小野に立ち寄って、何となく哀れだった。世を捨てたとはいえ、やはりあれほどの心ばえのある人は少ない」などとおっしゃるついでに、「風が吹き上げた隙間から、髪のたいそう長く美しげな人が見えた。あらわだと思ったのだろうか、立ってあちらに入った後ろ姿は並の人とは見えなかった。そのような所によい女は置くべきでないのだろう。明け暮れ見るのは法師だ。

意訳

尼たちは中将を褒め、妹尼は中将が今の妻に心を留めていないと話す。妹尼は浮舟に、心を隔てず晴れやかに過ごすよう勧め、自分も浮舟を得て亡き娘を忘れたと言う。浮舟は、生き返ってから別の世に生まれたような心地で、昔の人のことは思い出さず、ひたすら妹尼を頼りにしていると答える。中将は横川に着き、僧都と語り、弟の禅師に、小野で見かけた髪の長い美しい女のことを話す。

語釈・文法注

文法

「こだいの人」(こだいの人どもは物めでをしあへり)
古代の人。古風な人。年老いた尼たちのこと。
「藤中納言」(藤中納言の御あたりには絶えず通ひ給ふやうなれど)
中将の今の妻の父。
「あらぬ世に生れたらむ人」(あらぬ世に生れたらむ人はかゝる心地すらむ)
別の世に生まれ変わった人。

解説

浮舟の「あらぬ世に生れたらむ人」という言葉は、過去と断絶した浮舟の心境を表している。生き返った浮舟は、記憶を封印し、新たな生を生きようとしている。

妹尼は浮舟を中将と結ばせようと考え始める。浮舟の願いとは裏腹に、周囲の人々は浮舟を再び俗世の恋へと引き戻そうとする。

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出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、1206–1207頁(コマ314)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日