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源氏物語 第53帖 手習(11)

小野の秋

登場人物:妹の尼君・浮舟・少将の尼君

妹尼は、いつも恋い続ける人の形見としても思いなぞらえられそうな人だけでも見つけたいものだと、所在なく心細いままに思い嘆いていたのに、このように思いがけない人で、容貌や気配もまさった人を得たので、現実のこととも思われず、妙な心地がしながらもうれしいと思う。妹尼は年をとっているが、たいそう清らかで由緒があり、様子も上品である。昔の山里(宇治)よりは水の音も穏やかである。造りの様子が由緒ある所で、木立も趣深く、前栽なども風情を尽くしてある。秋になっていくと空の様子も哀れなのに、門田の稲を刈るといって、土地柄に応じた物真似をしながら、若い女たちは歌を謡い興じ合っている。引板を鳴らす音も趣深く、かつて見た東路のことなども思い出されて、あの夕霧の御息所がいらした山里よりはもう少し奥に入って、山に片側を寄せた家なので、松陰が茂り、風の音もたいそう心細いのに、所在なく勤行ばかりしながら、いつとなくしめやかである。尼君は月などの明るい夜には琴などをお弾きになる。少将の尼君などという人は琵琶を弾いたりして遊ぶ。「このようなことはなさいますか。所在ないでしょうに」などと言う。浮舟は、昔も妙な身の上で、心のどかにそのようなことをする時もなかったので、少しも風雅な様子でもなく育ってしまったなと、このように盛りを過ぎた人が心を慰めているらしい折々につけては思い出す。やはりあさましく頼りなかったと我ながら残念なので、手習に、「身をなげし涙の河のはやき瀬をしがらみかけてたれかとどめし」。思いのほかにつらいので、行く末も気がかりで疎ましいほどに思いやられる。月の明るい夜な夜な、老人たちは優雅に歌を詠み、昔を思い出しながらさまざまの物語などをするのに、答えるすべもないので、つくづくと物思いにふけって、「われかくてうき世の中にめぐるとも誰かはしらむ月のみやこに」。今はこれまでと思った時は恋しい人が多かったが、ほかの人々はそれほど思い出されない。

  1. 1世よ世よよととと共とも共ともともににに戀こ戀ここひひいわたるわたるわたる人ひと人ひとひとのののかたみかたみかたみにににももも思おも思おもおもひひいよそへよそへよそえつつつべからべからべからむむん人ひと人ひとひとをををだにだにだに見み見みみ出い出いいでででゝゝてしがなしがなしがなとととつれづれつれづれつれずれととと心こころ心こころこころぼそきぼそきぼそきまゝまゝままににに思おも思おもおもひひい歎なげ歎なげなげきききけるけるけるををを、、、かくかくかく覺おぼ覺おぼおぼえええぬぬぬ人ひと人ひとひとのののかたちかたちかたちけはひけはひけはいももも勝まさ勝まさまさりりりざまざまざまなるなるなるをををえええたれたれたればばばうつゝうつゝうつつののの事こと事ことこととととももも覺おぼ覺おぼおぼえええずずず、、、あやしきあやしきあやしき心地ここち心地ここちここちしししながらながらながらうれしうれしうれしととと思おも思おもおもふふう。。。ねびねびねびにににたれたれたれどどどいといといと淸きよ淸きよきよげげげににによしよしよしありありありててて有あり有ありあり樣さま樣さまさまもももあてあてあてはかはかはかなりなりなり。。。昔むかし昔むかしむかしののの山やま山やまやま里ざと里ざとざとよりよりよりははは水みづ水みづみずのののおとおとおともももなごやかなごやかなごやかなりなりなり。。。作つく作つくつくりりりさまさまさまゆゑゆゑゆえあるあるある所ところ所ところところののの木こ木ここ立だち立だちだちおもしろくおもしろくおもしろくぜんざいぜんざいぜんざいなどなどなどもももをかしくをかしくおかしくゆゑゆゑゆえををを盡つく盡つくつくしししたりたりたり。。。秋あき秋あきあきににになりなりなりゆけゆけゆけばばば空そら空そらそらののの氣色けしき氣色けしきけしきももも哀あはれ哀あはれあわれなるなるなるををを、、、門かど門かどかど田た田たたののの稻いね稻いねいね苅か苅かかるるるとてとてとて所ところ所ところところにににつけつけつけたるたるたる物もの物ものものまねびまねびまねびしししつゝつゝつつ若わか若わかわかききき女をんな女をんなおんなどもどもどもははは歌うた歌うたうた謠うた謠うたうたひひい興きよう興きようきょうじじじあへあへあえりりり。。。ひたひたひたひきひきひきならすならすならす音おと音おとおともももをかしくをかしくおかしく見み見みみししし東あづま東あづまあずま路ぢ路ぢじなどなどなどののの事こと事ことことなどなどなどももも思おも思おもおもひひい出い出いいでででられられられててて、、、かのかのかの夕ゆふ夕ゆふゆう霧ぎり霧ぎりぎりののの御み御みみ息やす息やすやす所どころ所どころどころののの坐おは坐おはおわせせせししし山やま山やまやま里ざと里ざとざとよりよりよりははは今いま今いまいま少すこ少すこすこししし入い入いいりりりててて山やま山やまやまにににかたかたかたかけかけかけたるたるたる家いへ家いへいえなれなれなればばば、、、松まつ松まつまつ蔭かげ蔭かげかげしげくしげくしげく風かぜ風かぜかぜののの音おと音おとおともももいといといと心こゝろ心こゝろこころ細ぼそ細ぼそぼそきききにににつれづれつれづれつれずれととと行おこな行おこなおこなひひいをををのみのみのみしししつゝつゝつついついついつとととなくなくなくしめやかしめやかしめやかなりなりなり。。。尼あま尼あまあま君ぎみ君ぎみぎみぞぞぞ月つき月つきつきなどなどなどあかきあかきあかき夜よ夜よよはははきんきんきんなどなどなど彈ひ彈ひひききき給たま給たまたまふふう。。。少せう少せうしょう將しやう將しやうしょうののの尼あま尼あまあま君ぎみ君ぎみぎみなどなどなどいふいふいう人ひと人ひとひとははは琵び琵びび琶は琶はは彈ひ彈ひひきききなどなどなどしししつゝつゝつつ遊あそ遊あそあそぶぶぶ。。。「「「かゝるかゝるかかるわざわざわざはははししし給たま給たまたまふふうややや。。。つれづれつれづれつれずれなるなるなるににに」」」などなどなどいふいふいう。。。
  2. 2昔むかし昔むかしむかしもももあやしかりあやしかりあやしかりけるけるける身み身みみにてにてにて心こころ心こころこころのどかのどかのどかにににさやうさやうさようののの事こと事ことことすすすべきべきべき程ほど程ほどほどもももなかりなかりなかりしかしかしかばばば、、、聊いさゝか聊いさゝかいささかをかしきをかしきおかしきさまさまさまならならならずずずもももおひおひおい出い出いいでででにににけるけるけるかなかなかなとととかくかくかくさださださだ過す過すすぎぎぎにににけるけるける人ひと人ひとひとののの心こころ心こころこころをををやるやるやるめるめるめるをりをりをりをりおりおりにににつけつけつけてててははは思おも思おもおもひひい出い出いいづづず。。。猶なほ猶なほなおあさましくあさましくあさましくものものものはかなかりはかなかりはかなかりけるけるけるとととわれわれわれながらながらながら口くち口くちくち惜を惜をおしけれしけれしければばば手て手ててならひならひならいににに、、、「「「身み身みみをををなげなげなげししし淚なみだ淚なみだなみだののの河かは河かはかわのののはやきはやきはやき瀨せ瀨せせをををしがらみしがらみしがらみかけかけかけてててたれたれたれかかかとゞめとゞめとどめししし」」」。。。思おもひ思おもひおもいののの外ほか外ほかほかににに心こころ心こころこころうううけれけれければばば行ゆ行ゆゆくくく末すゑ末すゑすえもももうしろめたくうしろめたくうしろめたくうとましきうとましきうとましきまでまでまで思おも思おもおもひひいやらやらやらるるる。。。月つき月つきつきのののあかきあかきあかき夜よ夜よよななな夜よ夜よよなななおいおいおい人びと人びとびとどもどもどもはははえんえんえんににに歌うた歌うたうたよみよみよみいにしへいにしへいにしえ思おも思おもおもひひい出い出いいでででつゝつゝつつさまざまさまざまさまざまののの物もの物ものもの語がたり語がたりがたりなどなどなどするするするにににいらふいらふいらうべきべきべき方かた方かたかたもももなけれなけれなければばばつくづくつくづくつくずくとととうちうちうちながめながめながめててて、、、「「「われわれわれかくかくかくてててうきうきうき世よ世よよののの中なか中なかなかにににめぐるめぐるめぐるともともとも誰たれ誰たれたれかかかはははしらしらしらむむん月つき月つきつきのののみやこみやこみやこににに」」」。。。今いま今いまいまはははかぎりかぎりかぎりととと思おも思おもおもひひいししし程ほど程ほどほどははは戀こひ戀こひこいしきしきしき人ひと人ひとひと多おほ多おほおおかりかりかりしかしかしかどどどことことこと人びと人びとびと々びと々びとびとはははさしもさしもさしも思おも思おもおもひひい出い出いいでででられられられずずず。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

いつも恋い続ける人の形見としても思いなぞらえられそうな人だけでも見つけたいものだと、所在なく心細いままに思い嘆いていたのに、このように思いがけない人で、容貌や気配もまさった人を得たので、現実のこととも思われず、妙な心地がしながらもうれしいと思う。年をとっているが、たいそう清らかで由緒があり、様子も上品である。昔の山里よりは水の音も穏やかである。造りの様子が由緒ある所で、木立も趣深く、前栽なども風情を尽くしてある。秋になっていくと空の様子も哀れなのに、門田の稲を刈るといって、土地柄に応じた物真似をしながら、若い女たちは歌を謡い興じ合っている。引板を鳴らす音も趣深く、かつて見た東路のことなども思い出されて、あの夕霧の御息所がいらした山里よりはもう少し奥に入って、山に片側を寄せた家なので、松陰が茂り、風の音もたいそう心細いのに、所在なく勤行ばかりしながら、いつとなくしめやかである。尼君は月などの明るい夜には琴などをお弾きになる。少将の尼君などという人は琵琶を弾いたりして遊ぶ。「このようなことはなさいますか。所在ないでしょうに」などと言う。

昔も妙な身の上で、心のどかにそのようなことをする時もなかったので、少しも風雅な様子でもなく育ってしまったなと、このように盛りを過ぎた人が心を慰めているらしい折々につけては思い出す。やはりあさましく頼りなかったと我ながら残念なので、手習に、「身を投げた涙の川の速い瀬に、しがらみをかけて誰が私を留めたのだろう」。思いのほかにつらいので、行く末も気がかりで疎ましいほどに思いやられる。月の明るい夜な夜な、老人たちは優雅に歌を詠み、昔を思い出しながらさまざまの物語などをするのに、答えるすべもないので、つくづくと物思いにふけって、「私がこうしてつらい世の中に生きながらえていても、誰が知ろうか、月の都にいる人の中に」。今はこれまでと思った時は恋しい人が多かったが、ほかの人々はそれほど思い出されない。

意訳

妹尼は、亡き娘の形見となる人を得て喜ぶ。小野の山里は宇治よりも水の音が穏やかで、秋になると稲刈りの歌や引板の音が聞こえ、松陰が茂って心細い。尼たちは月夜に琴や琵琶を弾くが、浮舟は音楽のたしなみもなく育ったことを悔やむ。浮舟は手習に、身を投げた自分を誰が留めたのかと詠み、また、こうして生きていても都の誰が知ろうかと詠む。死を決意した時に恋しかった人々も、今はそれほど思い出されない。

語釈・文法注

文法

「ひたひきならす」(ひたひきならす音もをかしく)
引板(ひた)を引き鳴らす。鳥を追い払う鳴子。
「夕霧の御息所」(かの夕霧の御息所の坐せし山里よりは)
夕霧の巻で、一条御息所が住んだ小野の山荘。
「しがらみ」(しがらみかけてたれかとゞめし)
柵。川の流れをせき止めるために杭を打ち並べたもの。

解説

「手習」とは、心に浮かぶ歌を書き付けること。巻名の由来となった浮舟の手習の歌は、誰にも語れない心の内を表す唯一の手段である。

「身をなげし淚の河」の歌は、死にきれなかった浮舟の嘆きを率直に詠む。生かされたことへの戸惑いが、浮舟の新たな苦しみとなっている。

関連

出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、1202–1203頁(コマ312)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日