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源氏物語 第53帖 手習(6)

小野へ移る

登場人物:横川の僧都・母の尼君・妹の尼君・浮舟・薫

そのあたりの下衆などで僧都にお仕えしていた者が、僧都がこうしていらっしゃると聞いて訪ねてくるのも、話などをして言うのを聞くと、「故八の宮の御娘で、右大将殿がお通いになっていた方が、特にご病気でもなくて急にお亡くなりになったといって騒いでおります。その御葬送の雑事をお勤めいたしますので、昨日は参れませんでした」と言う。そのような人の魂を鬼が取ってきたのだろうかと思うにつけても、一方では見ながらも実在の者とも思えず、危うく恐ろしいとお思いになる。人々が「昨夜見やられた火は、それほど仰々しい様子にも見えなかったが」と言う。「特に簡略にして、厳めしくもなかったと言います。穢れのある人だといって、立ったまま追い返しました。大将殿は宮の御娘をお持ちだったのはお亡くなりになって何年にもなるのに、誰のことを言うのだろう。姫宮(女二の宮)をさしおいて、世にほかの心はお持ちになるまい」などと言う。母尼君はよくおなりになった。方角も開いたので、このようにいやな所に長くいらっしゃるのも不都合だといって帰る。「この人はやはりたいそう弱々しい。道中もどうおなりになるだろう。たいそう気の毒なこと」と言い合う。車二台で、老人の乗りなさった方には仕える尼が二人、次の車にはこの人を寝かせて、そばにもう一人乗り添って、道すがら進みもせず車を止めて湯を差し上げなどなさる。比叡の坂本の小野という所に住んでいらした。そこにお着きになるまでたいそう遠い。「中宿りを用意すべきだった」などと言って、夜更けにお着きになった。僧都は親の世話をし、娘の尼君はこの知らない人を世話して、皆抱き下ろして休む。老いの病がいつというともなく苦しいとお思いになっていたが、遠い道の名残でしばらくお患いになったものの、だんだんよくおなりになったので、僧都は山にお登りになった。このような人を連れて来たなどということは、法師のあたりにはよくないことなので、見なかった人には話さず、尼君も皆に口止めさせつつ、もし尋ねて来る人もいるかと思うのも落ち着かない。

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引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

そのあたりの下衆などで僧都にお仕えしていた者が、こうしていらっしゃると聞いて訪ねてくるのも、話などをして言うのを聞くと、「故八の宮の御娘で、右大将殿がお通いになっていた方が、特にご病気でもなくて急にお亡くなりになったといって騒いでおります。その御葬送の雑事をお勤めいたしますので、昨日は参れませんでした」と言う。そのような人の魂を鬼が取ってきたのだろうかと思うにつけても、一方では見ながらも実在の者とも思えず、危うく恐ろしいとお思いになる。人々が「昨夜見やられた火は、それほど仰々しい様子にも見えなかったが」と言う。「特に簡略にして、厳めしくもなかったと言います。穢れのある人だといって、立ったまま追い返しました。大将殿は宮の御娘をお持ちだったのはお亡くなりになって何年にもなるのに、誰のことを言うのだろう。姫宮をさしおいて、世にほかの心はお持ちになるまい」などと言う。尼君はよくおなりになった。方角も開いたので、このようにいやな所に長くいらっしゃるのも不都合だといって帰る。

「この人はやはりたいそう弱々しい。道中もどうおなりになるだろう。たいそう気の毒なこと」と言い合う。車二台で、老人の乗りなさった方には仕える尼が二人、次の車にはこの人を寝かせて、そばにもう一人乗り添って、道すがら進みもせず車を止めて湯を差し上げなどなさる。比叡の坂本の小野という所に住んでいらした。そこにお着きになるまでたいそう遠い。「中宿りを用意すべきだった」などと言って、夜更けにお着きになった。僧都は親の世話をし、娘の尼君はこの知らない人を世話して、皆抱き下ろして休む。老いの病がいつというともなく苦しいとお思いになっていたが、遠い道の名残でしばらくお患いになったものの、だんだんよくおなりになったので、僧都は山にお登りになった。このような人を連れて来たなどということは、法師のあたりにはよくないことなので、見なかった人には話さず、尼君も皆に口止めさせつつ、もし尋ねて来る人もいるかと思うのも落ち着かない。

意訳

僧都に仕える土地の者が、八の宮の娘で薫の通っていた女が急死し、その葬送を手伝ったと話す。僧都たちは、その女の魂を鬼が連れて来たのかと恐れる。人々は、薫の妻だった八の宮の娘は何年も前に亡くなったのにと不審がる。母尼が回復したので、一行は女を車に乗せて比叡坂本の小野の山里へ帰る。僧都は山に戻り、妹尼は女のことを口止めし、誰か尋ねて来ないかと落ち着かない。

語釈・文法注

文法

「小野」(比叡坂本に小野といふ所にぞ住み給ひける)
比叡山西麓の山里。現在の京都市左京区。
「なかやとり」(なかやとりをぞ設くべかりける)
中宿り。途中の休憩所。
「まねばす」(見ざりし人にはまねばす)
学ばず。語り伝えない。

解説

浮舟の葬送の話が、救われた浮舟の近くで語られる。浮舟が死んだとされている世界と、浮舟が生きている世界が、ここで交差する。

浮舟は小野の山里に移される。宇治から小野へ。浮舟の新たな生活の場は、俗世から隔たった尼たちの住まいであった。

関連

出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、1196–1197頁(コマ309)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日