源氏物語 第52帖 蜻蛉(28)
芹川の大将の絵
女房は「女も宮をお慕い申し上げていたのでしょうか、急に消え失せてしまったのを、身を投げたのだろうと、乳母のような人々は泣き惑っておりました」と申し上げる。宮(中宮)もたいそう呆れたこととお思いになって、「誰がそんなことを言うのか。気の毒でつらいことだな。それほど珍しいことなら自然と噂になるはずなのに、大将もそのようには言わないで、世の中のはかなくつらいこと、宇治の宮(八の宮)の一族の命の短かったことをひどく悲しいと思っておっしゃっていた」とおっしゃる。女房は「さあ、下衆は不確かなことも言いますものと思いますが、あちらにおりました下童が、ついこの頃、宰相(小宰相)の里に出てまいりまして、確かなことのように言っておりました。このように妙な様子でお亡くなりになったことを人に聞かせまい、大げさで恐ろしいようだといって、ひどく隠していたことだそうです。それで詳しくはお聞かせ申し上げなかったのでしょうか」と申し上げると、中宮は「全くこのようなことを二度と口にするなと言わせなさい。このような筋で、宮もお身を損ない、人にも気に入らない者と思われなさるに違いないようだ」と、たいそうつらくお思いになった。その後、姫宮(女一の宮)の御方から二の宮(女二の宮)にお便りがあった。ご筆跡などがたいそう美しいのを見るにつけても、薫はたいそううれしく、こうしてこそ早く見るべきだったとお思いになる。大宮も多くの趣深い絵をお贈りになった。大将殿もそれにまさって趣深いものを集めて差し上げなさる。芹川の大将の物語で、遠君が女一の宮を思いかけて、秋の夕暮に思い悩んで出ていった場面を趣深く描いたのを、たいそうよく自分に思いなぞらえられる。それほどにお靡きになる人がいたらと思う身が残念である。
- 1女女おんなももも宮宮みやををを思思おもひひい聞聞きこえええさせさせさせけるけるけるにににややや、、、俄俄にわかににに消消きえええうせうせうせにににけるけるけるををを、、、身身みなげなげなげたるたるたるなななめりめりめりとてとてとてこそこそこそ乳乳めの母母とやうやうようののの人人ひとどもどもどもははは泣泣なききき惑惑まどひひい侍侍はべりりりけれけれけれ」」」ととと聞聞きこゆゆゆ。。。宮宮みやもももいといといとあさましあさましあさましととと覺覺おぼしししててて「「「誰誰たれかかかさるさるさる事事ことはははいふいふいうぞぞぞとととよよよ。。。いとほしくいとほしくいとおしく心憂心憂うきききことことことかなかなかな。。。さばかりさばかりさばかりめづらかめづらかめずらかならならならむむんことことことはははおのづからおのづからおのずから聞聞きこえええありありありぬぬぬべきべきべきををを、、、大大たい將將しょうもももさやうさやうさようにににはははいはいはいわででで、、、世世よののの中中なかのののはかなくはかなくはかなくいみじきいみじきいみじき事事こと、、、かくかくかく宇宇う治治じののの宮宮みやのののぞうぞうぞうののの命命いのちみじかゝりみじかゝりみじかかりけるけるけることことことをををこそこそこそいみじういみじういみじゅう悲悲かなしししととと思思おもひひいてててのたまひのたまひのたまいしかしかしか」」」とととのたまふのたまふのたまう。。。「「「いざいざいざややや下下げすすすはははたしかたしかたしかならならならぬぬぬことことことをををもももいひいひいい侍侍はべるるるものものものをををととと思思おもひひい侍侍はべれれれどどど、、、かしこかしこかしこににに侍侍はべりりりけるけるける下下しも童童わらわののの唯唯ただこのこのこの比比ごろ宰宰さい相相しょうががが里里さとににに出出いでででまうでまうでもうできききてててたしかたしかたしかなるなるなるやうやうようにににこそこそこそいひいひいい侍侍はべりりりけれけれけれ。。。かくかくかくあやしうあやしうあやしゅうてててうせうせうせ給給たまへへえるるることことこと人人ひとににに聞聞きかかかせせせじじじ、、、おどろおどろしくおどろおどろしくおどろおどろしくおぞきおぞきおぞきやうやうようなりなりなりとてとてとていみじくいみじくいみじくかくしかくしかくしけるけるけることことことゞゞどもももとととややや。。。さてさてさて委委くわしくしくしくははは聞聞きかかかせせせ奉奉たてまつらららぬぬぬにににやややありありありけむけむけん」」」ととと聞聞きこゆれゆれゆればばば「「「更更さらにににかゝるかゝるかかる事事こと又又またまねぶまねぶまねぶなどなどなどいはいはいわせせせよよよ。。。かゝるかゝるかかるすぢすぢすじににに御御おん身身みをををももももてもてもてそこなひそこなひそこない人人ひとにににももも心心こころづきなきづきなきずきなきものものものににに思思おもははわれれれ給給たまふふうべきべきべきなななめりめりめり」」」ととと、、、ううう覺覺おぼえええたりたりたり。。。
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現代語訳
「女も宮をお慕い申し上げていたのでしょうか、急に消え失せてしまったのを、身を投げたのだろうと、乳母のような人々は泣き惑っておりました」と申し上げる。宮もたいそう呆れたこととお思いになって、「誰がそんなことを言うのか。気の毒でつらいことだな。それほど珍しいことなら自然と噂になるはずなのに、大将もそのようには言わないで、世の中のはかなくつらいこと、このように宇治の宮の一族の命の短かったことをひどく悲しいと思っておっしゃっていた」とおっしゃる。「さあ、下衆は不確かなことも言いますものと思いますが、あちらにおりました下童が、ついこの頃、宰相の里に出てまいりまして、確かなことのように言っておりました。このように妙な様子でお亡くなりになったことを人に聞かせまい、大げさで恐ろしいようだといって、ひどく隠していたことだそうです。それで詳しくはお聞かせ申し上げなかったのでしょうか」と申し上げると、「全くこのようなことを二度と口にするなと言わせなさい。このような筋で、お身を損ない、人にも気に入らない者と思われなさるに違いないようだ」と、つらくお思いになった。
その後、姫宮の御方から二の宮にお便りがあった。ご筆跡などがたいそう美しいのを見るにつけても、たいそううれしく、こうしてこそ早く見るべきだったとお思いになる。大宮も多くの趣深い絵をお贈りになった。大将殿もそれにまさって趣深いものを集めて差し上げなさる。芹川の大将の物語で、遠君が女一の宮を思いかけて、秋の夕暮に思い悩んで出ていった場面を趣深く描いたのを、たいそうよく自分に思いなぞらえられる。それほどにお靡きになる人がいたらと思う身が残念である。
意訳
女房は、浮舟が匂宮を慕いながら身を投げたらしいと噂を伝える。中宮は驚き、薫はそうは言っていなかったと言うが、女房は宇治の下童から聞いたと話す。中宮は二度とこの話をしないよう口止めし、匂宮の身を案じる。その後、女一の宮から女二の宮に手紙が届き、薫はその美しい筆跡を喜ぶ。中宮や薫が絵を贈り合う中、薫は芹川の大将の物語で女一の宮に恋する遠君の絵に自分を重ね、自分に靡く人がいればと嘆く。
語釈・文法注
文法
- 「宮のぞう」(宇治の宮のぞうの命みじかゝりける)
- 宮の族。八の宮の一族。
- 「まねぶ」(更にかゝる事又まねぶなどいはせよ)
- そのまま語り伝える。
- 「せり川の大將」(せり川の大將のとを君の女一宮思ひかけたる)
- 散逸した物語『芹川の大将』。遠君が女一の宮に恋する話。
解説
浮舟の入水の噂が、宮廷の中枢である中宮の耳にまで届く。宇治の小さな悲劇が、宮廷社会の噂として消費されていく様子が描かれる。
薫は物語絵の主人公に自分を重ねる。女一の宮への届かぬ思いを物語に託す薫の姿は、物語を読む読者自身の姿とも重なる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、1182–1183頁(コマ302)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日