源氏物語 第52帖 蜻蛉(21)
法要の後
母君も来ていて法事にいろいろと加えた。宮(匂宮)からは、右近のもとに銀の壺に黄金を入れて下さった。人が見咎めるほど大げさなことはおできにならない。右近の志として供えたので、事情を知らない人は「どうしてこのように」などと言った。殿(薫)の人々は親しい者ばかり大勢お遣わしになった。妙に噂もなかった人の最期を、このように世話をおさせになる、誰だろうと今さら驚く人ばかりが多いところに、常陸守が来て、遠慮もなく主人顔をしているのを、人々は妙だと見た。守は少将の子を産ませて盛大なことをさせようと騒ぎ、家の中にない物は少なく、唐や新羅の物まで尽くしそうだったが、身分に限りがあるのでたいそう見劣りがした。この御法事は忍んだ様子にとお思いになったが、様子がこの上ないのを見ると、生きていたら自分の身とは比べものにならない方のご宿縁だったのだと思う。宮の上(中の君)も誦経をなさり、七僧の前の供物もおさせになった。今になって、このような人もお持ちだったのだと帝までお聞きになって、並々でもなかった人を、宮(女二の宮)に遠慮申し上げて隠し置いていらっしゃったのを、気の毒にお思いになった。お二人のお心の中は、いつまでも悲しく、あいにく思いの盛りに絶えてしまったのはたいそうつらいが、浮気なお心(匂宮)は慰められるかと、ほかの人を試しなさることもだんだんあった。あの殿は、このように後のことを引き受けて何やかやとお思いになって、残された人々を養いなさって、后の宮の御服喪の間はやはりこうしていらっしゃるのも、やはり言いようもないことを忘れがたくお思いになる。重々しくて、いつも参られるわけでもない。この宮は、亡き式部卿宮の代わりに二の宮が式部卿におなりになった。物寂しく物悲しいままに、一品の宮(女一の宮)の御方を慰め所としておいでになる。美しい女房の容貌もまともにご覧にならないことが多い。大将殿がやっとたいそう忍んで語らっていらっしゃる、小宰相の君という人は容貌なども美しい。心ばせのある方の人とお思いになっている。
- 1母母はは君君ぎみももも來來き居居いてててことことことどもどもどもそへそへそえたりたりたり。。。宮宮みやよりよりよりははは右右う近近こんがががもともともとにににしろがねしろがねしろがねののの壺壺つぼにににこここ金金がね入入いれれれててて賜賜たまへへえりりり。。。人人ひと見見み咎咎とがむむむばかりばかりばかりおほきおほきおおきなるなるなるわざわざわざはははえええししし給給たまははわずずず。。。右右う近近こんががが志志こころざしにてにてにてしししたりたりたりけれけれければばば心心こころ知知しらららぬぬぬ人人ひとははは「「「いかでいかでいかでかかかくくくなむなむなん」」」などなどなどいひいひいいけるけるける。。。殿殿とのののの人人ひとどもどもどもむつまじきむつまじきむつまじきかぎりかぎりかぎり數數あま多多たたまへたまへたまえりりり。。。怪怪あやしくしくしく音音おともももせせせざりざりざりつるつるつる人人ひとのののはてはてはてをををかくかくかくあつかはあつかはあつかわせせせ給給たまふふう。。。誰誰たれならならならむむんととと今今いま驚驚おどろくくく人人ひとのみのみのみ多多おおかるかるかるににに常常ひた陸陸ちののの守守かみきききててて、、、心心こころもももなくなくなくあるじあるじあるじがりがりがりをるをるおるなむなむなん、、、あやしあやしあやしととと人々人々ひとびと見見みけるけるける。。。少少しょう將將しょうののの子子こうまうまうませせせててていかめしきいかめしきいかめしき事事ことせせせさせさせさせむむんとととまどひまどひまどい、、、家家いえののの內內うちににになきなきなき物物ものはははすくなくすくなくすくなくもろこしもろこしもろこし新新しら羅羅ぎのののかぎりかぎりかぎりをををもももしししつつつべきべきべきににに、、、限限かぎりりりあれあれあればばばいといといとあやしかりあやしかりあやしかりけりけりけり。。。このこのこの御御おん法法ほう事事じののの忍忍しのびびびたるたるたるやうやうようにににおぼしおぼしおぼしたれたれたれどどどけはひけはひけはいこよなきこよなきこよなきををを見見みるるるにににいきいきいきたちたちたちましかましかましかばばば我我わががが身身みにににならふならふならうべくべくべくもももあらあらあらぬぬぬ人人ひとののの御御おん宿宿すく世世せなりなりなりけりけりけりととと思思おもふふう。。。宮宮みやののの上上うえももも誦誦ず經經きょうししし給給たまひひい七七しち僧僧そうのののまへまへまえのののことことこともももせせせさせさせさせ給給たまひひいけりけりけり。。。今今いまなむなむなん、、、かゝるかゝるかかる人人ひともももたまへたまへたまえりりりけりけりけりとととみかとみかとみかとまでまでまで聞聞きこしししめしめしめしててておろかおろかおろかにににもももあらあらあらざりざりざりけるけるける人人ひとををを宮宮みやにににかしこまりかしこまりかしこまり聞聞きこえええてててかくしかくしかくしおきおきおき給給たまひひいけるけるけるををを、、、いとほしいとほしいとおしとととおぼしおぼしおぼしけるけるける。。。
- 2二二ふた人人りののの人人ひとののの御心御心みこころののの中中うちふりふりふりずずずかなしくかなしくかなしくあやにくあやにくあやにくなりなりなりししし御御おん思思おもいのののさかりさかりさかりにににかきかきかきたえたえたえてててはははいといといといみじけれいみじけれいみじけれどどどあだあだあだなるなるなる御心御心みこころはははなぐさむなぐさむなぐさむやややなどなどなど試試こころみみみ給給たまふふうことことこともももやうやうやうやうようようありありありけりけりけり。。。かのかのかの殿殿とのはははかくかくかくとりとりとりもちもちもちててて何何なにやややかやかやかやとととおぼしおぼしおぼしててて殘殘のこりののの人人ひとをををはぐゝまはぐゝまはぐくませせせ給給たまひひいててて后后きさいののの宮宮みやののの御御おんきやうぶくきやうぶくきょうぶくののの程程ほどははは猶猶なおかくかくかくててておはしますおはしますおわしますももも猶猶なおいふかひいふかひいうかいなきなきなき事事ことををを忘忘わすれれれ難難がたくくくおぼすおぼすおぼす。。。おもおもしうおもおもしうおもおもしゅうててて常常つねにににしもしもしも參參まいりりり給給たまははわずずず。。。このこのこの宮宮みやはははさうさうそうににに二二にののの宮宮みやなむなむなん式式しき部部ぶ卿卿きょうににになりなりなり給給たまひひいにににけるけるける。。。さうざうしくさうざうしくそうぞうしく物物もの哀哀あわれなるなるなるまゝまゝままににに一一いつ品品ぽんののの宮宮みやののの御御おん方方かたをををなぐさめなぐさめなぐさめ所所どころにににききき給給たまふふう。。。よきよきよき人人ひとのののかたちかたちかたちをををもももえええまほまほまほににに見見み給給たまははわぬぬぬのこりのこりのこりおほかりおほかりおおかり。。。大大たい將將しょう殿殿どののののからうじてからうじてかろうじていといといと忍忍しのびびびててて語語かたらひらひらい給給たまふふう。。。小小こ宰宰さい相相しょうののの君君きみととといふいふいう人人ひとかたちかたちかたちなどなどなどももも淸淸きよげげげなりなりなり。。。心心こころばせばせばせあるあるある方方かたののの人人ひととととおぼさおぼさおぼされれれたりたりたり。。。
現代語訳
母君も来ていていろいろと加えた。宮からは、右近のもとに銀の壺に黄金を入れて下さった。人が見咎めるほど大げさなことはおできにならない。右近の志としてしたので、事情を知らない人は「どうしてこのように」などと言った。殿の人々は親しい者ばかり大勢お遣わしになった。妙に噂もなかった人の最期を、このように世話をおさせになる、誰だろうと今さら驚く人ばかりが多いところに、常陸守が来て、遠慮もなく主人顔をしているのを、人々は妙だと見た。少将の子を産ませて盛大なことをさせようと騒ぎ、家の中にない物は少なく、唐や新羅の物まで尽くしそうだったが、身分に限りがあるのでたいそう見劣りがした。この御法事は忍んだ様子にとお思いになったが、様子がこの上ないのを見ると、生きていたら自分の身とは比べものにならない方のご宿縁だったのだと思う。宮の上も誦経をなさり、七僧の前の供物もおさせになった。今になって、このような人もお持ちだったのだと帝までお聞きになって、並々でもなかった人を、宮に遠慮申し上げて隠し置いていらっしゃったのを、気の毒にお思いになった。
お二人のお心の中は、いつまでも悲しく、あいにく思いの盛りに絶えてしまったのはたいそうつらいが、浮気なお心は慰められるかと、試しなさることもだんだんあった。あの殿は、このように引き受けて何やかやとお思いになって、残された人々を養いなさって、后の宮の御服喪の間はやはりこうしていらっしゃるのも、やはり言いようもないことを忘れがたくお思いになる。重々しくて、いつも参られるわけでもない。この宮は、その代わりに二の宮が式部卿におなりになった。物寂しく物悲しいままに、一品の宮の御方を慰め所としておいでになる。美しい人の容貌もまともにご覧にならないことが多い。大将殿がやっとたいそう忍んで語らっていらっしゃる、小宰相の君という人は容貌なども美しい。心ばせのある方の人とお思いになっている。
意訳
四十九日の法要には、匂宮が右近を通じて黄金を贈り、薫も親しい家人を多く遣わす。常陸介は主人顔で振る舞い、浮舟の宿縁の高さを改めて思い知る。中の君も誦経をし、帝も薫が浮舟を隠していたことを知る。匂宮は悲しみを紛らわそうとほかの女に心を移し始め、薫は浮舟の家族の面倒を見る。匂宮は女一の宮のもとに通って慰めとし、薫はそこに仕える小宰相の君とひそかに語らっていた。
語釈・文法注
文法
- 「七僧」(七僧のまへのこともせさせ給ひけり)
- 法会で主要な役を務める七人の僧。その前に供える布施や供物。
- 「御きやうぶく」(后の宮の御きやうぶくの程は)
- 御軽服。軽い喪服を着る服喪。式部卿宮の死による。
- 「小宰相の君」(小宰相の君といふ人かたちなども淸げなり)
- 女一の宮に仕える女房。薫とひそかに通じていた。
解説
四十九日の盛大な法要は、浮舟が生前には得られなかった栄誉である。死によって初めて浮舟の存在が人々に知られるという皮肉が描かれる。
匂宮は早くもほかの女に心を移し始める。「あだなる御心」と語り手が評する匂宮の移り気は、浮舟の死を一層はかないものにしている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、1174–1177頁(コマ298–299)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日