源氏物語 第52帖 蜻蛉(20)
四十九日の法要
薫は、本当に格別でもない縁の親しみであろうが、帝にもそれほどの人の娘を差し上げないことがあろうか、それに然るべき宿縁で寵愛なさるのを人が謗るべきことだろうか、臣下はまた、身分の低い女や世に古びた女などを用いる例も多い、あの守の娘だったのだと人が言いなしたとしても、私の扱いがそれで汚れるように始めたならともかく、一人の子をむなしくして悲しんでいるだろう親の心に、やはりこの縁こそ面目あるものだったと思い知るほどの心づかいは必ず見せるべきだとお思いになる。あちらでは常陸守が立ったまま来て、こんな折にこうして居続けていらっしゃることなどを腹立たしく言う。母は長年、浮舟がどこにいらっしゃるなどとありのままにも知らせていなかったので、守は頼りない様子でいらっしゃるのだろうと思い言っていたが、京などに迎えなさった後で、面目を施してなどと知らせようと思っていたうちに、このようなことになったので、今は隠すのもつまらなくて、あった様子を泣く泣く語る。大将殿のお手紙などを取り出して見せると、身分の高い人を恐れ敬い、田舎びて物を賞美する人なので、驚き恐縮して繰り返し繰り返し、「たいそうすばらしいご幸運を捨ててお亡くなりになった人だな。私も殿の家人として参ってお仕えしているが、近くに召し使ってくださることもなく、たいそう気高くいらっしゃる殿だ。若い子どもたちのことを仰せられたのは頼もしいことだ」などと喜ぶのを見るにつけても、まして生きていらっしゃったらと思うと、母は伏し転げて泣く。守も今になって泣いたのだった。とはいえ浮舟が生きていた頃には、かえってこのような身分の者を薫が尋ねなさることもなかったろう。薫は、自分の過ちで失ったのも気の毒だ、慰めようとお思いになるので、人の謗りも気にせず丁寧に尋ねようとお思いになったのだった。四十九日の法事などをおさせになるにも、どうなったのだろうとお思いになるので、どうあっても罪を得ないことだから、たいそう忍んで、あの律師の寺でおさせになった。六十人の僧の布施など盛大に取り決められた。
- 1げにげにげに異異ことなるなるなる事事ことなきなきなきゆかりゆかりゆかりむつびむつびむつびにににぞぞぞあるあるあるべけれべけれべけれどどど、、、みかどみかどみかどにににもももさばかりさばかりさばかりののの人人ひとのののむすめむすめむすめ奉奉たてまつらららずずずやはやはやはあるあるある、、、それそれそれにににさるべきさるべきさるべきにてにてにて時時ときめかしめかしめかしおぼさおぼさおぼさむむんをををばばば人人ひとののの謗謗そしるるるべきべきべきことことことかはかはかは、、、たゞたゞただ人人びとはははたたた、、、あやしきあやしきあやしき女女おんな世世よにににふりふりふりにににたるたるたるなどなどなどをををもももちゐるちゐるちいるたぐひたぐひたぐい多多おおかりかりかり、、、かのかのかの守守かみのののむすめむすめむすめなりなりなりけりけりけりととと人人ひとのののいひいひいいなさなさなさむむんにににももも我我わがががもてなしもてなしもてなしのののそれそれそれにににけがるけがるけがるべくべくべくありありありそめそめそめたらたらたらばばばこそこそこそあらあらあらめめめ、、、一一ひと人人りののの子子こをををいたづらいたづらいたずらににになしなしなしててて思思おもふふうらむらむらん親親おやののの心心こころににに猶猶なおこのこのこのゆかりゆかりゆかりこそこそこそ面面おもだゝしかりだゝしかりだたしかりけれけれけれととと、、、思思おもひひい知知しるるるばかりばかりばかり用用よう意意いははは必必かならずずず見見みすすすべきべきべき事事こととととおぼすおぼすおぼす。。。かしこかしこかしこにににははは常常ひた陸陸ちののの守守かみたちたちたちながらながらながらきききててて、、、をりをりおりしもしもしもかくかくかくててて居居い給給たまへへえるるることことことなどなどなど腹腹はら立立だつつつ。。。年年とし比比ごろいづくいづくいずくににになむなむなんおはするおはするおわするなどなどなどありのまゝありのまゝありのままにににももも知知しらせらせらせざりざりざりけれけれければばばはかなきはかなきはかなきさまさまさまにてにてにておはすおはすおわすらむらむらんととと思思おもひひいいひいひいいけるけるけるををを、、、京京きょうににになどなどなど迎迎むかへへえ給給たまひひいててて後後のち、、、めいぼくめいぼくめいぼくありありありてててなどなどなど知知しらせらせらせむむんととと思思おもひひいけるけるけるほどほどほどににに、、、かゝれかゝれかかればばば今今いまはははかくさかくさかくさむむんもももあいなくあいなくあいなくてててありありありしししさまさまさま泣泣なくくくなくなくなく語語かたるるる。。。
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現代語訳
本当に格別でもない縁の親しみであろうが、帝にもそれほどの人の娘を差し上げないことがあろうか、それに然るべき宿縁で寵愛なさるのを人が謗るべきことだろうか、臣下はまた、身分の低い女や世に古びた女などを用いる例も多い、あの守の娘だったのだと人が言いなしたとしても、私の扱いがそれで汚れるように始めたならともかく、一人の子をむなしくして悲しんでいるだろう親の心に、やはりこの縁こそ面目あるものだったと思い知るほどの心づかいは必ず見せるべきことだとお思いになる。あちらでは常陸守が立ったまま来て、こんな折にこうして居続けていらっしゃることなどを腹立たしく言う。長年、どこにいらっしゃるなどとありのままにも知らせていなかったので、頼りない様子でいらっしゃるのだろうと思い言っていたが、京などに迎えなさった後で、面目を施してなどと知らせようと思っていたうちに、このようなことになったので、今は隠すのもつまらなくて、あった様子を泣く泣く語る。
大将殿のお手紙などを取り出して見せると、身分の高い人を恐れ敬い、田舎びて物を賞美する人なので、驚き恐縮して繰り返し繰り返し、「たいそうすばらしいご幸運を捨ててお亡くなりになった人だな。私も殿の家人として参ってお仕えしているが、近くに召し使ってくださることもなく、たいそう気高くいらっしゃる殿だ。若い子どもたちのことを仰せられたのは頼もしいことだ」などと喜ぶのを見るにつけても、まして生きていらっしゃったらと思うと、伏し転げて泣く。守も今になって泣いたのだった。とはいえ生きていらした頃には、かえってこのような身分の者を尋ねなさるはずもなかったろう。自分の過ちで失ったのも気の毒だ、慰めようとお思いになるので、人の謗りも気にせず丁寧に尋ねようとお思いになったのだった。四十九日の法事などをおさせになるにも、どうなったのだろうとお思いになるので、どうあっても罪を得ないことだから、たいそう忍んで、あの律師の寺でおさせになった。六十人の僧の布施など盛大に取り決められた。
意訳
薫は、身分の低い常陸介の娘と縁があったと言われても恥ではなく、娘を失った親に面目を施してやろうと思う。常陸介は妻が浮舟のことで家を空けているのを腹立てていたが、妻から事情を聞き、薫の手紙を見て驚き恐縮し、浮舟が幸運を捨てて亡くなったと嘆き、子どもたちの後見を喜ぶ。母は浮舟が生きていればと泣き伏し、常陸介も泣く。薫は浮舟の生死を確かめられないまま、律師の寺でひそかに盛大な四十九日の法要を営む。
語釈・文法注
文法
- 「時めかし」(さるべきにて時めかしおぼさむをば)
- 寵愛する、時めかせる。
- 「驚きおくして」(驚きおくしてうち返しうちかへし)
- 驚き臆して。驚き恐縮して。
- 「六十僧」(六十僧のふせなどおほきにおきてられたり)
- 六十人の僧。盛大な法要。
解説
薫は、身分の低い家との縁を恥とせず、浮舟の家族に面目を施そうとする。浮舟の死後になって示される薫の誠意は、生前の不十分さを償うものでもある。
常陸介は薫の手紙に感激し、浮舟の死を初めて惜しむ。生前は継子として浮舟を顧みなかった常陸介が、権力者の手紙によって初めて浮舟の価値を認めるという皮肉が描かれる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、1174–1175頁(コマ298)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日