源氏物語 第52帖 蜻蛉(17)
匂宮とのことを問う薫
薫は「そのようなことにつけて、たいそう見苦しく人の心を惑わしなさる宮なので、いつも会い申し上げられない嘆きに身をも失いなさったのだと思う。私には全く隠すな」とおっしゃるので、右近は、確かにお聞きになっていたのだとたいそう気の毒で、「たいそうつらいことをお聞きになったのでございますね。右近もお仕えしない折はございませんのに」と思案して口ごもり、自然とお聞きになったのだろう、「この宮の上(中の君)の御方に忍んでおいでになっていた時、呆れるほど思いがけない時に宮がお入りになりましたが、ひどいことを申し上げましてお出ましいただきました。それに怖がりなさって、あの妙でございました三条の家にお移りになったのです。その後は噂にも聞かれまいとお思いになって終わったのを、どうしてお聞きになったのでしょう。ただ、その二月頃からお便りを差し上げなさったお手紙はたいそう度々ございましたが、ご覧になることもございませんでした。たいそうもったいなく、かえってよくないようですなどと右近などが申し上げたので、一度か二度お返事申し上げなさったでしょうか。それ以外のことは存じません」と申し上げる。薫は、こう言うだろうな、無理に問うのも気の毒で、つくづくと物思いにふけりながら、宮を珍しく哀れとお思い申し上げても、私の方をさすがにおろそかに思わなかった間に、たいそう決めかねるところのないはかなげな心で、この水の近いのを頼りにして、このように思い寄ったのだろう、私がここに放っておかなかったら、ひどくつらい世を過ごしても、どうして必ず深い谷を求めて出ていっただろうと、ひどくつらい水の縁だなと、この川が疎ましくお思いになることがたいそう深い。長年哀れと思い初めた方の縁で荒い山路を行き来したのに、今はまたつらくて、この里の名さえ聞きたくない心地がなさる。宮の上が言い始めた人形と名づけたことさえ不吉で、ただ自分の過ちで失った人なのだと思っていくと、母が身分が低いので後の世話もたいそう妙に簡略にしたのだろうと、気に入らなく思っていたのを、詳しくお聞きになると、母はどう思っているだろう、あれほどの人の子としてはたいそうすばらしかった人を、忍んだことは必ずしも知らないで、私の縁でどんなことがあったのだろうと思っているだろうなどと、万事気の毒にお思いになる。
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現代語訳
「そのようなことにつけて、たいそう見苦しく人の心を惑わしなさる宮なので、いつも会い申し上げられない嘆きに身をも失いなさったのだと思う。私には全く隠すな」とおっしゃるので、確かにお聞きになっていたのだとたいそう気の毒で、「たいそうつらいことをお聞きになったのでございますね。右近もお仕えしない折はございませんのに」と思案して口ごもり、自然とお聞きになったのだろう、「この宮の上の御方に忍んでおいでになっていた時、呆れるほど思いがけない時にお入りになりましたが、ひどいことを申し上げましてお出ましいただきました。それに怖がりなさって、あの妙でございました所にお移りになったのです。その後は噂にも聞かれまいとお思いになって終わったのを、どうしてお聞きになったのでしょう。ただ、その二月頃からお便りを差し上げなさったお手紙はたいそう度々ございましたが、ご覧になることもございませんでした。たいそうもったいなく、かえってよくないようですなどと右近などが申し上げたので、一度か二度お返事申し上げなさったでしょうか。それ以外のことは存じません」と申し上げる。こう言うだろうな、無理に問うのも気の毒で、つくづくと物思いにふけりながら、宮を珍しく哀れとお思い申し上げても、私の方をさすがにおろそかに思わなかった間に、たいそう決めかねるところのないはかなげな心で、この水の近いのを頼りにして、このように思い寄ったのだろう、
私がここに放っておかなかったら、ひどくつらい世を過ごしても、どうして必ず深い谷を求めて出ていっただろうと、ひどくつらい水の縁だなと、この川が疎ましくお思いになることがたいそう深い。長年哀れと思い初めた方の縁で荒い山路を行き来したのに、今はまたつらくて、この里の名さえ聞きたくない心地がなさる。宮の上が言い始めた人形と名づけたことさえ不吉で、ただ自分の過ちで失った人なのだと思っていくと、母がやはり身分が低いので後の世話もたいそう妙に簡略にしたのだろうと、気に入らなく思っていたのを、詳しくお聞きになると、どう思っているだろう、あれほどの人の子としてはたいそうすばらしかった人を、忍んだことは必ずしも知らないで、私の縁でどんなことがあったのだろうと思っているだろうなどと、万事気の毒にお思いになる。
意訳
薫は匂宮との関係を問い詰め、右近は、二条院で匂宮に見つかって三条に移ったこと、二月頃から匂宮の手紙が度々来たが一、二度返事をしただけだと、事実を和らげて語る。薫は無理に問うのをやめ、浮舟は匂宮に心惹かれながらも自分を思い、決めかねて川に身を投げたのだろうと思う。宇治に置かなければこうはならなかったと、宇治川を疎ましく思い、浮舟を失ったのは自分の過ちだと悔やむ。母の簡略な葬送への不満も解け、母の心を気の毒に思う。
語釈・文法注
文法
- 「ながめ休らひて」(ながめ休らひておのづから聞しめしけむ)
- 思案してためらう。
- 「うき水の契」(いみじううき水の契かな)
- 「憂き」と「浮き」を掛ける。浮舟と宇治川の不幸な縁。
- 「人がた」(宮の上ののたまひはじめし人がたとつけたりしさへ)
- 人形。中の君が浮舟を大君の身代わりとして紹介したこと。人形は川に流されるものであった。
解説
右近は真相を和らげて語り、薫もそれ以上問わない。互いに配慮し合う会話の中で、浮舟の死の真実は曖昧なまま残される。
「人がた」という言葉の不吉さに薫は気づく。大君の身代わりとして浮舟を求めた薫自身の態度が、浮舟を死へと導いたことを、薫は痛切に悟る。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、1170–1173頁(コマ296–297)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日