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源氏物語 第52帖 蜻蛉(16)

右近の告白

登場人物:薫・右近・浮舟・中将の君・匂宮

薫が「私は信じられない」とおっしゃるので、右近はたいそう気の毒で、やはりそうだったと厄介に思って、自然とお聞きになったのだろう、「もともと思わしくないご境遇でお育ちになった方が、世間離れしたお住まいになって後は、いつとなく物思いばかりなさっていたようですが、たまにでもこのようにおいでになるのをお待ち申し上げなさって、もとからのご身の上の嘆きまでもお慰めになりながら、心のどかな様子で時々もお目にかかれるように、早くとばかり、口に出してはおっしゃいませんが、思い続けていらしたようでしたのに、そのご本意がかないそうに承ることどももございましたので、こうしてお仕えする女房たちもうれしいことに存じて準備し、あの筑波山(母君)もやっと満足した様子で、京へお移りになることを準備しておりましたところに、合点のいかないお手紙がございまして、この宿直などをお勤めする者どもも、女房たちが乱れているそうだなどと戒め仰せられることなど申して、物の道理もわからず荒々しい田舎人どもが妙な様子に取りなし申し上げることどもがございましたが、その後久しくお便りなどもございませんでしたので、つらい身の上だとばかり幼かった頃から思い知っていたのを、母君が何とかして人並みにと万事お世話なさるのに、かえって物笑いになってしまったら、どんなに思い嘆くだろうなどと、そちらにばかり心を向けていつも嘆いていらっしゃいました。その筋のほかに何があろうかと思い寄ることもできません。鬼などが隠し申し上げたとしても、少しは跡も残ると言いますのに」と言って泣く様子もひどいので、どういうことかと紛れていたお心も消えて、涙をせき止めきれなさらない。「私は心のままに身を任せられず、仰々しい様子に扱われている身なので、気がかりに思う折も、今に近くに置いて、人が心を置かず見苦しくない様子に扱って、行く末長くと思い静めながら過ごしていたのを、いいかげんに見なしなさったのだろうと思うのこそ、かえって心を分ける方があったのだと思われる。今はこう言うまいと思うが、また人が聞くならともかく、宮のことよ。いつから始まったのか。

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  2. 2心憂う心憂ううききき身み身みみなりなりなりとととのみのみのみいはけなかりいはけなかりいわけなかりししし程ほど程ほどほどよりよりより思おも思おもおもひひい知し知ししるるるををを、、、人ひと人ひとひとかずかずかずにににいかでいかでいかで見み見みみなさなさなさむむんとととのみのみのみよろづよろづよろずににに思おも思おもおもひひいあつかひあつかひあつかい給たま給たまたまふふう母はゝ母はゝはは君ぎみ君ぎみぎみのののなかなかなかなかなかなかなるなるなることことことののの人ひと人ひとひとわらはわらはわらわれれれににになりなりなりはてはてはてばばばいかにいかにいかに思おも思おもおもひひいなげかなげかなげかむむんなどなどなど、、、むけむけむけてててなむなむなん常つね常つねつねににになげきなげきなげき給たま給たまたまひひいししし。。。そのそのそのすぢすぢすじよりよりより外ほか外ほかほかににに何なに何なになに事こと事ことことをををかかかととと思おも思おもおもひひい給たま給たまたまへへえよるよるよるにににたへたへたえ侍はべ侍はべはべらららずずずなむなむなん。。。鬼おに鬼おにおになどなどなどのののかくしかくしかくし聞きこ聞きこきこゆゆゆともともとも聊いさゝか聊いさゝかいささか殘のこ殘のこのこるるる所ところ所ところところももも侍はべ侍はべはべるるるなるなるなるものものものををを」」」とてとてとて泣な泣ななくくくさまさまさまもももいみじけれいみじけれいみじければばばいかいかいかなるなるなることことことにににかかかととと紛まぎ紛まぎまぎれれれつるつるつる御心みこころ御心みこころみこころももも失う失ううせせせてててせきせきせきあへあへあえ給たま給たまたまははわずずず。。。「「「われわれわれははは心こころ心こころこころににに身み身みみをををもももまかせまかせまかせずずずけんそうけんそうけんそうなるなるなるさまさまさまにににもてもてもてなさなさなされれれたるたるたる有あり有ありあり樣さま樣さまさまなれなれなればばば覺束おぼつか覺束おぼつかおぼつかなしなしなしととと思おも思おもおもふふう折をり折をりおりももも今いま今いまいま近ちか近ちかちかくくくててて人ひと人ひとひとののの心こころ心こころこころおくおくおくまじくまじくまじくめやすきめやすきめやすきさまさまさまにににもてもてもてなしなしなしててて行ゆ行ゆゆくくく末すゑ末すゑすえ長なが長ながながくくくをををととと思おも思おもおもひひいのどめのどめのどめつゝつゝつつ過すぐ過すぐすぐしししつるつるつるををを、、、おろかおろかおろかににに見み見みみなしなしなし給たま給たまたまひひいけむけむけんこそこそこそなかなかなかなかなかなかわくるわくるわくる方かた方かたかたありありありけるけるけるととと覺おぼ覺おぼおぼゆれゆれゆれ今いま今いまいまはははかくかくかくだにだにだにいはいはいわじじじととと思おも思おもおもへへえどどど又また又またまた人ひと人ひとひとののの聞き聞ききかかかばばばこそこそこそあらあらあらめめめ、、、宮みや宮みやみやののの御おん御おんおんことことことよよよいついついつよりよりよりありありありそめそめそめけむけむけん。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

「私は信じられない」とおっしゃるので、たいそう気の毒で、やはりそうだったと厄介に思って、自然とお聞きになったのだろう、「もともと思わしくないご境遇でお育ちになった方が、世間離れしたお住まいになって後は、いつとなく物思いばかりなさっていたようですが、たまにでもこのようにおいでになるのをお待ち申し上げなさって、もとからのご身の上の嘆きまでもお慰めになりながら、心のどかな様子で時々もお目にかかれるように、早くとばかり、口に出してはおっしゃいませんが、思い続けていらしたようでしたのに、そのご本意がかないそうに承ることどももございましたので、こうしてお仕えする人々もうれしいことに存じて準備し、あの筑波山もやっと満足した様子で、お移りになることを準備しておりましたところに、合点のいかないお手紙がございまして、この宿直などをお勤めする者どもも、女房たちが乱れているそうだなどと戒め仰せられることなど申して、物の道理もわからず荒々しい田舎人どもが妙な様子に取りなし申し上げることどもがございましたが、その後久しくお便りなどもございませんでしたので、

つらい身の上だとばかり幼かった頃から思い知っていたのを、何とかして人並みにと万事お世話なさる母君が、かえって物笑いになってしまったら、どんなに思い嘆くだろうなどと、そちらにばかり心を向けていつも嘆いていらっしゃいました。その筋のほかに何があろうかと思い寄ることもできません。鬼などが隠し申し上げたとしても、少しは跡も残ると言いますのに」と言って泣く様子もひどいので、どういうことかと紛れていたお心も消えて、涙をせき止めきれなさらない。「私は心のままに身を任せられず、仰々しい様子に扱われている身なので、気がかりに思う折も、今に近くに置いて、人が心を置かず見苦しくない様子に扱って、行く末長くと思い静めながら過ごしていたのを、いいかげんに見なしなさったのだろうと思うのこそ、かえって心を分ける方があったのだと思われる。今はこう言うまいと思うが、また人が聞くならともかく、宮のことよ。いつから始まったのか。

意訳

右近は、浮舟が薫の京への迎えを心待ちにしていたのに、薫から合点のいかない手紙が来て、宿直人も厳しくなり、その後便りも途絶えたので、つらい身だと思い、母に恥をかかせることを嘆いていたと語り、それ以外に理由はないと泣く。薫は涙をこらえきれず、身分柄思うようにできず、長い将来のためにと思っていたのに、いいかげんに扱われたと思われたのは、心を分ける人がいたからだろうと言い、匂宮とのことはいつからかと問う。

語釈・文法注

文法

「つくば山」(かのつくば山も辛うじて心ゆきたる氣色にて)
筑波山。常陸介の妻である浮舟の母を指す。
「らうがはしか」(女房達らうがはしかなりなど)
乱がはし。乱れている、だらしない。
「けんそう」(けんそうなるさまにもてなされたる有樣なれば)
顕証。人目につく、仰々しい。

解説

右近は匂宮との関係を伏せたまま、薫の手紙と宿直人の監視が浮舟を追い詰めたと語る。真実の一部だけを語る右近の言葉は、薫に自責の念を抱かせる。

薫は涙をこらえきれず、身分柄浮舟を十分に大切にできなかったと嘆く。しかしすぐに匂宮のことを問う薫の姿には、嫉妬と未練が入り混じっている。

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出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、1170–1171頁(コマ296)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日