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源氏物語 第52帖 蜻蛉(12)

右近への迎え

登場人物:中の君・匂宮・右近・中将の君・時方

中の君は、哀れで呆れるほどのはかなさが、姉妹それぞれにつけて心深い中で、自分一人が物思いを知らないので今まで生き長らえているのだろうか、それもいつまでかと心細くお思いになる。宮も隠しきれないものの、隔てを置いておられるのもたいそう苦しいので、あった様子などを少しは取りつくろいながら語り聞かせなさる。「隠しなさったのがつらかった」などと、泣いたり笑ったりして申し上げなさるにつけても、ほかの人よりは親しく哀れである。仰々しく格式張って、いつもと違うご病気の様子にも驚き惑いなさる所(六条院)では、お見舞いの人が多く、父大臣や兄の君たちが絶え間ないのもたいそううるさいので、こちら(二条院)はたいそう気楽で親しくお思いになるのだった。宮はたいそう夢のようにばかり、やはりどうしてたいそう急なことだったのかとばかり気がかりなので、例の人々を召して、右近を迎えに遣わす。母君も、全くこの水の音や気配を聞くと、自分も転がり入ってしまいそうに悲しく、つらいことの止まりそうもないので、たいそうわびしくてお帰りになってしまった。念仏の僧たちを頼もしいものとして、たいそうひっそりしているところに使いが入ってくると、仰々しく急に立ち巡った宿直人たちも見咎めない。あいにく最期の時に限ってお入れ申し上げられなかったよと思い出すのもお気の毒である。あってはならないことを思い焦がれなさることと見苦しく拝見していたが、ここに来ては、いらっしゃった夜々の有様、抱かれ申し上げなさって舟にお乗りになった様子の上品で美しかったことなどを思い出すと、心強い人もなく哀れである。右近が会ってひどく泣くのももっともである。使いが「このようにおっしゃって、お使いとして参りました」と言うと、右近は「今さら人も妙だと言い思うのも気が引け、参っても、はっきりとお聞き分けいただけるほど申し上げられる気持ちもいたしません。この御忌みが終わって、ちょっとどこかへなどと人に言いつくろうのも、少し似つかわしくなりそうな頃になってから。

  1. 1哀あはれ哀あはれあわれにににあさましきあさましきあさましきはかなさはかなさはかなさのののさまざまさまざまさまざまにににつけつけつけててて心こころ心こころこころ深ふか深ふかふかききき中なか中なかなかににに我わ我わわれれれ一ひと一ひとひと人り人りり物もの物ものもの思おも思おもおもひひい知し知ししらららねねねばばば今いま今いまいままでまでまでながらふるながらふるながらうるにににややや、、、それそれそれもももいついついつまでまでまでととと心こころ心こころこころぼそくぼそくぼそくおぼすおぼすおぼす。。。宮みや宮みやみやもももかくれかくれかくれなきなきなきものものものからからからへだてへだてへだて給たま給たまたまふふうもももいといといと苦くる苦くるくるしけれしけれしければばば、、、ありありありしししさまさまさまなどなどなど少すこ少すこすこしししははは取と取ととりりり直なほ直なほなおしししつゝつゝつつ語かた語かたかたりりり聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまふふう。。。「「「かくしかくしかくし給たま給たまたまひひいしししがががつらかりつらかりつらかりししし」」」などなどなど、、、泣な泣ななきききみみみ笑わら笑わらわらひひいみみみ聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまふふうにににもももことことこと人びと人びとびとよりよりよりはははむつましくむつましくむつましく哀あはれ哀あはれあわれなりなりなり。。。ことごとしくことごとしくことごとしくうるはしくうるはしくうるわしくててて例れい例れいれいならならならぬぬぬ御おん御おんおん事こと事ことことのののさまさまさまももも驚おどろ驚おどろおどろききき惑まど惑まどまどひひい給たま給たまたまふふう所ところ所ところところにてにてにてははは御おん御おんおんとぶらひとぶらひとぶらいののの人ひと人ひとひとしげくしげくしげく、、、父ちゝ父ちゝちちおとゞおとゞおとどせうとせうとしょうとののの君きん君きんきんたちたちたちひまひまひまなきなきなきもももいといといとうるさきうるさきうるさきにににこゝこゝここはははいといといと心安やす心安やすやすくくくてててなつかしくなつかしくなつかしくぞぞぞおぼさおぼさおぼされれれけるけるける。。。いといといと夢ゆめ夢ゆめゆめのののやうやうようにににのみのみのみ猶なほ猶なほなおいかでいかでいかでいといといと俄にはか俄にはかにわかなりなりなりけるけるけることことことにににかかかはははとととのみのみのみいぶせけれいぶせけれいぶせければばば、、、例れい例れいれいののの人々ひとびと人々ひとびとひとびと召め召めめしししててて右う右うう近こん近こんこんををを迎むかへ迎むかへむかえにににつかはすつかはすつかわす。。。母はゝ母はゝはは君ぎみ君ぎみぎみももも更さら更さらさらにににこのこのこの水みづ水みづみずののの音おと音おとおとけはひけはひけはいををを聞き聞ききくくくににに我わ我わわれれれもももまろびまろびまろび入い入いいりりりぬぬぬべくべくべく悲かな悲かなかなしくしくしく心こころ心こころこころうううききき事こと事ことことのののとまるとまるとまるべくべくべくもももあらあらあらねねねばばばいといといと侘わび侘わびわびしうしうしゅうててて歸かへ歸かへかえりりり給たま給たまたまひひいにににけりけりけり。。。
  2. 2念ねん念ねんねん佛ぶつ佛ぶつぶつののの僧そう僧そうそうどもどもどもをををたのもしきたのもしきたのもしきものものものにてにてにていといといとかすかかすかかすかなるなるなるににに入い入いいりりり來く來くくれれればばば、、、ことごとしくことごとしくことごとしく俄にはか俄にはかにわかににに立た立たたちちちめぐりめぐりめぐりしししとのとのとのゐゐいびとびとびとどもどもどもゝゝも見み見みみとがめとがめとがめずずず、、、あやにくあやにくあやにくににに限かぎ限かぎかぎりりりのののたびたびたびしもしもしも入い入いいれれれ奉たてまつ奉たてまつたてまつらららずずずなりなりなりにににしししよよよととと思おも思おもおもひひいいづるいづるいずるもももいとほしいとほしいとおし。。。さるさるさるまじきまじきまじきことことことををを思おも思おもおもほしほしおしこがるゝこがるゝこがるることことことゝゝと見み見みみ苦ぐる苦ぐるぐるしくしくしく見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつれれれどどど、、、こゝこゝここににに來き來ききてててはははおはしましおはしましおわしましゝゝしよなよなよなよなよなよなののの有あり有ありあり樣さま樣さまさまいだかいだかいだかれれれ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまひひいててて船ふね船ふねふねにににのりのりのり給たま給たまたまひひいしししけはひけはひけはいのののあてあてあてににに美うつく美うつくうつくしかりしかりしかりしししことことことなどなどなどををを思おも思おもおもひひい出い出いいづるづるずるににに心こころ心こころこころ强つよ强つよつよききき人ひと人ひとひとなくなくなく哀あはれ哀あはれあわれなりなりなり。。。右う右うう近こん近こんこんあひあひあいててていみじういみじういみじゅうなくなくなくもももことわりことわりことわりなりなりなり。。。「「「かくかくかくののの給たま給たまたまはせはせわせててて御おん御おんおん使つかひ使つかひつかいににになむなむなん參まゐ參まゐまいりりりきききつるつるつる」」」ととといへいへいえばばば「「「今いま今いまいま更さら更さらさらににに人ひと人ひとひともももあやしあやしあやしととといひいひいい思おも思おもおもははわむむんもももつゝましくつゝましくつつましくまゐりまゐりまいりてててもももはかばかしくはかばかしくはかばかしく聞きこ聞きこきこしししめしめしめしあきらむあきらむあきらむばかりばかりばかり物もの物ものもの聞きこ聞きこきこえええさすさすさすべきべきべき心地ここち心地ここちここちもももししし侍はべ侍はべはべらららずずず。。。このこのこの御おん御おんおん忌いみ忌いみいみはてはてはてゝゝてあからさまあからさまあからさまににに物もの物ものものににになどなどなど人ひと人ひとひとにににいひいひいいなさなさなさむむんももも少すこ少すこすこししし似に似ににつかはしかりつかはしかりつかわしかりぬぬぬべきべきべき程ほど程ほどほどににになしなしなしてててこそこそこそ。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

哀れで呆れるほどのはかなさが、それぞれにつけて心深い中で、自分一人が物思いを知らないので今まで生き長らえているのだろうか、それもいつまでかと心細くお思いになる。宮も隠しきれないものの、隔てを置いておられるのもたいそう苦しいので、あった様子などを少しは取りつくろいながら語り聞かせなさる。「隠しなさったのがつらかった」などと、泣いたり笑ったりして申し上げなさるにつけても、ほかの人よりは親しく哀れである。仰々しく格式張って、いつもと違うご病気の様子にも驚き惑いなさる所では、お見舞いの人が多く、父大臣や兄の君たちが絶え間ないのもたいそううるさいので、こちらはたいそう気楽で親しくお思いになるのだった。たいそう夢のようにばかり、やはりどうしてたいそう急なことだったのかとばかり気がかりなので、例の人々を召して、右近を迎えに遣わす。母君も、全くこの水の音や気配を聞くと、自分も転がり入ってしまいそうに悲しく、つらいことの止まりそうもないので、たいそうわびしくてお帰りになってしまった。

念仏の僧たちを頼もしいものとして、たいそうひっそりしているところに入ってくると、仰々しく急に立ち巡った宿直人たちも見咎めない。あいにく最期の時に限ってお入れ申し上げられなかったよと思い出すのもお気の毒である。あってはならないことを思い焦がれなさることと見苦しく拝見していたが、ここに来ては、いらっしゃった夜々の有様、抱かれ申し上げなさって舟にお乗りになった様子の上品で美しかったことなどを思い出すと、心強い人もなく哀れである。右近が会ってひどく泣くのももっともである。「このようにおっしゃって、お使いとして参りました」と言うと、「今さら人も妙だと言い思うのも気が引け、参っても、はっきりとお聞き分けいただけるほど申し上げられる気持ちもいたしません。この御忌みが終わって、ちょっとどこかへなどと人に言いつくろうのも、少し似つかわしくなりそうな頃になってから。

意訳

中の君は、大君も浮舟も物思いの末に亡くなり、自分だけが生き長らえていると心細く思う。匂宮は中の君に浮舟とのことを少し取りつくろって語り、隠していたのがつらかったと泣き笑いする。匂宮は浮舟の急な死の事情を知りたく、時方を宇治に遣わして右近を迎えようとする。母は宇治川の水音に耐えられず京に帰っていた。宇治では、浮舟が匂宮に抱かれて舟に乗った夜を思い出して皆が悲しむ。右近は、今は参れない、忌みが明けてからと答える。

語釈・文法注

文法

「せうとの君たち」(父おとゞせうとの君たちひまなきも)
兄弟の君たち。ここでは六の君の兄弟、夕霧の子息たち。
「あからさまに」(あからさまに物になど人にいひなさむも)
ちょっと、かりそめに。
「ゆゝしき」(限りのたびしも入れ奉らずなりにしよ)
最後の時に限って、匂宮をお入れできなかった。浮舟の巻末の場面を指す。

解説

中の君は、姉と異母妹の死を思い、自分だけが生き残ったことを心細く思う。宇治の姉妹の悲劇的な運命が、中の君の視点から振り返られる。

右近たちは、最後の夜に匂宮を入れなかったことを悔やむ。浮舟が匂宮に抱かれて舟に乗った夜の美しい記憶が、悲しみをいっそう深くする。

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出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、1166–1167頁(コマ294)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日