源氏物語 第49帖 宿木(56)
浮舟の一行
お送りの上達部や殿上人、六位などまで、言いようもなく清らかさを尽くさせなさった。こうして気安く打ち解けて女二の宮を拝見すると、たいそう美しくいらっしゃる。小柄で上品で落ち着いていて、ここはと見える欠点もなくいらっしゃるので、薫は宿世のほどは悪くなかったと得意にもなるものの、過ぎた昔が忘れられるならともかく、やはり紛れる折もなくただ恋しく思われるので、この世では慰めかねることのようだ。仏になってこそ、不思議につらかった宿縁のほどを何の報いかと悟って思い離れられるだろうと思いながら、寺の準備にばかり心を入れていた。賀茂の祭など騒がしい頃を過ごして、二十日過ぎの頃にいつものように宇治へいらした。造らせている御堂を見て、すべきことを指図し言いつけたりして、さていつもの朽ち木のもと(弁の尼の住まい)を見過ごして行くのもやはり哀れなので、そちらへいらっしゃると、女車で大げさな様子ではないもの一つが、荒々しい東男で腰に矢を負った者を大勢連れ、下人も多く頼もしげな様子で、宇治橋からちょうど渡って来るのが見える。田舎びた者だなと見ながら、殿はまず入って、前駆たちなどがまだ騒いでいるうちに、この車もこの宮を目指して来るのだと見える。随身たちががやがや言うのを制して、「誰だ」と尋ねさせると、訛った声の者が「常陸の前司殿の姫君が初瀬のお寺に参詣してお帰りになるのです。初めの時もここにお泊まりになりました」と申し上げるので、薫は、おや、聞いていた人のようだと思い出して、供人たちを別の方に隠して、「早く御車を入れよ。ここにまた泊まる人がいるが、北面に」と言わせる。お供の人も皆狩衣姿で大げさでない姿だが、やはり気配がはっきりしているのだろうか、相手は煩わしげに思って、皆馬などを引き下げたりしながらかしこまっている。車は入れて廊の西の端に寄せる。
- 1御御おん送送おくりののの上上かん達達だち部部め殿殿てん上上じょう人人びと、、、六六ろく位位いなどなどなど、、、いふいふいうかぎりかぎりかぎりなうなうのう淸淸きよらららをををつくさつくさつくさせせせ給給たまへへえりりりけりけりけり。。。かくかくかくててて心心こころ安安やすくくくうちうちうち解解とけけけててて見見み奉奉たてまつりりり給給たまふふうにににいといといとをかしげをかしげおかしげにににおはすおはすおわす。。。さゝやかさゝやかささやかにににあてあてあてにににまめやかまめやかまめやかにてにてにて、、、こゝこゝここはははととと見見みゆるゆるゆる所所ところなくなくなくおはすれおはすれおわすればばば宿宿すく世世せののの程程ほど口口くち惜惜おしからしからしからざりざりざりけりけりけりととと心心こころおごりおごりおごりせせせらるゝらるゝらるるものものものからからから、、、過過すぎぎぎにににししし方方かたののの忘忘わすららられれればばばこそこそこそはははあらあらあらめめめ、、、猶猶なおまぎるゝまぎるゝまぎるるをりをりおりなくなくなく物物もののみのみのみ戀戀こいしくしくしく覺覺おぼゆれゆれゆればばば、、、このこのこの世世よにてにてにてははは慰慰なぐさめめめかねかねかねつつつべきべきべきわざわざわざなななめりめりめり。。。佛佛ほとけににになりなりなりてててこそこそこそははは怪怪あやしくしくしくつらかりつらかりつらかりけるけるける契契ちぎりのののほどほどほどををを何何なにののの報報むくいとととあきらめあきらめあきらめててて思思おもひひいはなれはなれはなれめめめととと思思おもひひいつゝつゝつつ、、、寺寺てらのののいそぎいそぎいそぎにににのみのみのみ心心こころををを入入いれれれ給給たまへへえりりり。。。加加か茂茂もののの祭祭まつりなどなどなど、、、さわがしきさわがしきさわがしきほどほどほど過過すぐしししててて、、、二二は十十つ餘餘あまり日日かのののほどほどほどににに例例れいののの宇宇う治治じへへへおはしおはしおわしたりたりたり。。。造造つくらららせせせ給給たまふふう御御おん堂堂どう見見み給給たまひひいててて、、、すすすべきべきべきことことことゞゞどもももおきておきておきてのたまひのたまひのたまいなどなどなどしししててて、、、さてさてさて例例れいののの朽朽くち木木きのののもともともとををを見見み給給たまひひい過過すぎぎぎむむんががが猶猶なお哀哀あわれなれなれなればばば、、、そなたそなたそなたざまざまざまにににおはするおはするおわするににに、、、
- 2女女おんな車車ぐるまのののことごとしきことごとしきことごとしきさまさまさまにににはははあらあらあらぬぬぬひとつひとつひとつ、、、あらましきあらましきあらましきあづまあづまあずまをとこをとこおとこののの腰腰こしににに物物ものおへおへおえるるるあまたあまたあまた具具ぐしししててて、、、老老げももも人人にん數數ず多多おおくくくたのもしげたのもしげたのもしげなるなるなる氣色氣色けしきにてにてにてはしはしはしよりよりより今今いま渡渡わたりりりくるくるくる見見みゆゆゆ。。。田田い舍舍なかびびびたるたるたるものものものかなかなかなととと見見み給給たまひひいつゝつゝつつ殿殿とのはははまづまづまず入入いりりり給給たまひひいててて、、、ごごご前前ぜんどもどもどもなどなどなどははは又又またたちたちたち騷騷さわぎぎぎたるたるたるほどほどほどににに、、、このこのこの車車くるまもももこのこのこの宮宮みやをををさしさしさしてててくるくるくるなりなりなりけりけりけりととと見見みゆゆゆ。。。御御おん隨隨ずい身身じんどもどもどもかやかやかやかやかやかやととといふいふいうをををせいしせいしせいし給給たまひひいててて「「「何何なに人人びとぞぞぞ」」」ととと問問とはははせせせ給給たまへへえばばば聲聲こえうちうちうちゆがみゆがみゆがみたるたるたるものものもの、、、「「「常常ひた陸陸ちののの前前ぜん司司じ殿殿どのののの姫姫ひめ君君ぎみののの初初はつ瀨瀨せののの御御おん寺寺てらにににまうでまうでもうでゝゝて歸歸かえりりり給給たまへへえるるるなりなりなり。。。初初はじめめめもももこゝこゝここににになむなむなんやどりやどりやどり給給たまへへえりりりししし」」」ととと申申もうすすすににに、、、おいおいおいややや、、、聞聞ききききししし人人ひとなななゝりゝりなりとととおぼしおぼしおぼし出出いでででゝゝて、、、人々人々ひとびとをををばばばことことことかたかたかたにににかくしかくしかくし給給たまひひいててて、、、「「「はやはやはや御御おん車車くるま入入いれよれよれよ。。。此處此處ここににに又又またひとひとひとやどりやどりやどり給給たまへへえどどど北北きた面面おもてににになむなむなん」」」ととといはいはいわせせせ給給たまふふう。。。御御おん供供ともののの人人ひとももも皆皆みな狩狩かり衣衣ぎぬ姿姿すがたにてにてにてことごとしからことごとしからことごとしからぬぬぬ姿姿すがたどもどもどもなれなれなれどどど猶猶なおけはひけはひけはいやややしるからしるからしるからむむん、、、煩煩わずらはしげはしげわしげににに思思おもひひいててて、、、皆皆みな馬馬うまどもどもどもひきひきひきさげさげさげなどなどなどしししつゝつゝつつかしこまりかしこまりかしこまりつゝつゝつつぞぞぞをるをるおる車車くるまははは入入いれれれててて廊廊ろうののの西西にしのののつまつまつまにににぞぞぞよするよするよする。。。
現代語訳
お送りの上達部や殿上人、六位などまで、言いようもなく清らかさを尽くさせなさった。こうして気安く打ち解けて拝見なさると、女二の宮はたいそう美しくいらっしゃる。小柄で上品で落ち着いていて、ここはと見える欠点もなくいらっしゃるので、宿世のほどは悪くなかったと得意にもなられるものの、過ぎた昔が忘れられるならばともかく、やはり紛れる折もなく、ただ恋しく思われるので、この世では慰めかねることのようだ。仏になってこそ、不思議につらかった宿縁のほどを、何の報いかと悟って思い離れられるだろうと思いながら、寺の準備にばかり心を入れていらっしゃった。賀茂の祭など騒がしい頃を過ごして、二十日過ぎの頃に、いつものように宇治へいらっしゃった。造らせなさっている御堂をご覧になって、すべきことどもを指図しおっしゃったりなどして、さて、いつもの朽ち木のもとを見過ごしなさるのもやはり哀れなので、そちらへいらっしゃると、
女車で大げさな様子ではないもの一つが、荒々しい東男で腰に矢を負った者を大勢連れ、下人も多く頼もしげな様子で、橋からちょうど渡って来るのが見える。田舎びた者たちだなとご覧になりながら、殿はまずお入りになって、前駆たちなどがまだ立ち騒いでいるうちに、この車もこの宮を目指して来るのだと見える。御随身たちががやがや言うのを制しなさって、「誰だ」と尋ねさせなさると、訛った声の者が、「常陸の前司殿の姫君が、初瀬のお寺に参詣してお帰りになるのです。初めの時もここにお泊まりになりました」と申し上げるので、薫は、おや、聞いていた人のようだと思い出しなさって、供人たちを別の方に隠しなさって、「早く御車を入れよ。ここにまた泊まっている人がいるが、北面に」と言わせなさる。お供の人も皆狩衣姿で、大げさでない姿どもだが、やはり気配がはっきりしているのだろうか、相手は煩わしげに思って、皆馬などを引き下げたりしながらかしこまっている。車は入れて、廊の西の端に寄せる。
意訳
女二の宮は小柄で上品な美しい人で、薫は宿縁を悪くないと思うが、大君への恋しさは消えず、仏道で悟るしかないと寺の造営に打ち込む。四月下旬、薫は宇治を訪れて御堂の工事を指図し、弁の尼を訪ねようとすると、東男たちに守られた女車が宇治橋を渡って来る。初瀬詣での帰りの常陸前司の姫君、つまり浮舟の一行であった。薫は供人を隠し、浮舟の車を山荘に入れさせる。
語釈・文法注
文法
- 「あづまをとこの腰に物おへる」(あらましきあづまをとこの腰に物おへる)
- 東国の男たちが腰に矢を負っている。常陸から上京した武骨な一行。
- 「常陸の前司殿の姫君」(常陸の前司殿の姫君の初瀨の御寺にまうでゝ)
- 浮舟。継父が前の常陸介であることからこう呼ばれる。
- 「初瀨の御寺」(初瀨の御寺にまうでゝ歸り給へるなり)
- 長谷寺。観音信仰の霊場。
解説
帝の娘を妻に迎えても、薫の心は満たされない。大君への恋しさは、この世では慰められないと薫は思う。その心の空白に、浮舟が現れる。
浮舟は、東男たちに守られた田舎びた一行の中に登場する。高貴な血を引きながら東国で育った浮舟の境遇が、その一行の姿に表れている。宇治橋を渡って来る浮舟の姿は、のちに宇治川に身を投げる運命を予感させる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、1060–1061頁(コマ241)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日