源氏物語 第49帖 宿木(50)
女二の宮の降嫁
夕霧にとっては好ましく思わない相手だが、匂宮がどうお思いになるかがあるので、ご子息たちなどが参って、すべてたいそう思うことのない様子ですばらしいので、中の君ご自身もこの何か月か物思いがちで気分の悪いのにつけても心細く思い続けていたのに、こうして面目が立ち華やかなことが多いので、少しは慰みもなさるだろう。大将殿(薫)は、こうしてすっかり母として大人びていかれるようなので、ますます自分の方は疎遠になるだろうか、また匂宮のお志もおろそかにはなるまいと思うのは残念だが、また初めからの心づもりを思うとたいそううれしくもある。こうしてその月の二十日過ぎの頃に、藤壺の宮(女二の宮)の裳着があって、翌日大将が参った。その夜のことは忍んだ様子である。天下に響いて厳かに見えたお育て方なのに、臣下がお連れ申し上げるのは、やはり物足りなく気の毒に見える。「そのようなお許しはあっても、今すぐこうも急がれるべきではないことだ」と非難がましく思いもし言いもする人もいたが、思い立ったことはきっぱりとなさるお心で、前例のないほど、同じことなら厚くもてなそうとお考えになったのだろう。帝の婿になる人は昔も今も多いが、このように盛りの御代に臣下のように婿取りを急がれた例は少なかったろう。左大臣(夕霧)も「めったにない人のご寵愛と宿世だ。故院(光源氏)でさえ朱雀院の御代の末になられて、今はと出家なさる際にこそあの母宮(女三の宮)を得られたのに、私はまして人に許されもしないのを拾ったようなものだ」とおっしゃったので、落葉の宮は本当にそうだとお思いになるにつけ、恥ずかしくてお返事もおできにならない。三日の夜は、大蔵卿をはじめとして、あの女二の宮方の後見にとさせなさった人々や家司に仰せ言をくださって、ひそやかながら、あの薫の前駆、随身、車副、舎人などまで禄をお与えになる。その頃のことは私事のようであった。こうして後は忍び忍びに通われる。
- 1よろしからよろしからよろしからずずずおぼすおぼすおぼすあたりあたりあたりなれなれなれどどど宮宮みやのののおぼさおぼさおぼさむむん所所ところあれあれあればばば、、、御御み子子こののの君君きん達達だちなどなどなど參參まいりりり給給たまひひいててて、、、すべてすべてすべていといといと思思おもふふうことことことなげなげなげにににめでたけれめでたけれめでたければばば、、、御御おんみづからみづからみずからももも月月つき頃頃ごろ物物もの思思おもはしくはしくわしく心心こころちちちののの惱惱なやましきしきしきにににつけつけつけてててももも心心こころぼそうぼそうぼそうおぼしおぼしおぼしわたりわたりわたりつるつるつるににに、、、かくかくかくおもだゝしうおもだゝしうおもだたしゅう今今いまめかしきめかしきめかしき事事ことどもどもどもののの多多おおかれかれかればばば少少すこしししははは慰慰なぐさみみみもももやややししし給給たまふふうらむらむらん、、、大大たい將將しょう殿殿どのははは、、、かくかくかくのみのみのみおとなびおとなびおとなびはてはてはて給給たまふふうめれめれめればばば、、、いとゞいとゞいとどわがわがわがかたかたかたざまざまざまはははけけけどほくどほくどおくやややならならならむむん、、、又又また宮宮みやののの御御おん志志こころざしももも、、、えええおろかおろかおろかならならならじじじととと思思おもふふうははは口口くち惜惜おしけれしけれしけれどどど又又また始始はじめよりよりよりののの心心こころおきておきておきてををを思思おもふふうにににはははいといといとうれしううれしううれしゅうもももありありあり。。。かくかくかくてててそのそのその月月つき二二は十十つ日日かあまりあまりあまりのののほどほどほどにににぞぞぞ、、、藤藤ふじ壺壺つぼののの宮宮みやののの御御おんもももぎぎぎのののことことことありありありててて、、、またまたまたののの日日ひなむなむなん大大たい將將しょう參參まいりりり給給たまひひいけるけるけるそのそのその夜夜よのののことことことははは忍忍しのびびびたるたるたるさまさまさまなりなりなり。。。天天あめののの下下したひゞきひゞきひびきててていつくしくいつくしくいつくしく見見みえええつるつるつる御御おんかしづきかしづきかしずきにににたゞたゞただ人人びとのののぐしぐしぐし奉奉たてまつりりり給給たまふふうぞぞぞ猶猶なお飽飽あかかかずずず心苦心苦こころぐるしくしくしく見見みゆるゆるゆる。。。
- 2「「「さるさるさる御御おんゆるしゆるしゆるしはははありありありながらながらながらももも只只ただ今今いまかくかくかくしもしもしも急急いそがががせせせ給給たまふふうまじきまじきまじきことことことぞぞぞかしかしかし」」」とととそしらはしげそしらはしげそしらわしげににに思思おもひひいのたまふのたまふのたまう人人ひともももありありありけれけれけれどどど、、、おぼしおぼしおぼしたちたちたちぬるぬるぬることことことすがすがしうすがすがしうすがすがしゅうおはしますおはしますおわします御心御心みこころにてにてにて、、、きききししし方方かたのののためしためしためしなきなきなきまでまでまで同同おなじくじくじくばばばもてもてもてなさなさなさむむんとととおぼしおぼしおぼしおきおきおきつるつるつるなななめりめりめりみかどみかどみかどののの御御おん婿婿むこににになるなるなる人人ひとははは昔昔むかしももも今今いまももも多多おおかれかれかれどどど、、、かくかくかく盛盛さかりののの御御み世世よにににたゞたゞただ人人びとのののやうやうようににに婿婿むことりとりとり急急いそがががせせせ給給たまへへえるるるたぐひたぐひたぐいははは少少すくなくくくやややありありありけむけむけん。。。左左ひだりのののおとゞおとゞおとどももも珍珍めずしかりしかりしかりけるけるける人人ひとののの御御おんおぼえおぼえおぼえ宿宿すく世世せなりなりなり。。。「「「故故こ院院いんだにだにだに朱朱す雀雀ざく院院いんののの御御おん末末すえにににならならならせせせ給給たまひひいててて、、、今今いまはははとととやつしやつしやつし給給たまひひいしししきはきはきわにににこそこそこそかのかのかの母母はは宮宮みやをををえええ奉奉たてまつりりり給給たまひひいしかしかしか、、、我我わはははまいてまいてまいて人人ひとももも許許ゆるささされれれぬぬぬものものものををを、、、ひろひひろひひろいたりたりたりしししややや」」」とととのたまひのたまひのたまいつれつれつればばば宮宮みやはははげにげにげにとととおぼすおぼすおぼすににに、、、恥恥はずかしうしうしゅうててて御御おんいらへいらへいらえもももえええききき給給たまははわずずず。。。三三みつ日日かののの夜夜よははは大大おお藏藏くら卿卿きょうよりよりよりはじめはじめはじめててて、、、かのかのかの御御おんかたかたかたののの心心こころよせよせよせににになさなさなさせせせ給給たまへへえるるる人々人々ひとびとけいしけいしけいしにににおほせおほせおおせごとごとごとたまひたまひたまいててて忍忍しのびびびやかやかやかなれなれなれどどど、、、かのかのかのごごごぜんぜんぜん、、、隨隨ずい身身じん、、、車車くるまぞひぞひぞい、、、舍舍とね人人りなどなどなどまでまでまで祿祿ろくたまはすたまはすたまわす。。。そのそのそのほどほどほどのののことことことははは私私わたくしごとごとごとのののやうやうようにににぞぞぞありありありけるけるけるかくかくかくてててのちのちのちははは忍忍しのびびび忍忍しのびびびににに參參まいりりり給給たまふふう。。。
現代語訳
夕霧にとっては好ましくお思いにならない相手だが、匂宮がどうお思いになるかということがあるので、ご子息たちなどが参上なさって、すべてたいそう思うことのない様子ですばらしいので、中の君ご自身も、この何か月か物思いがちで気分が悪いのにつけても、心細くお思い続けていらっしゃったのに、こうして面目が立ち、華やかなことどもが多いので、少しは慰みもなさるだろう。大将殿は、こうしてすっかり大人びていかれるようなので、ますます自分の方は疎遠になるだろうか、また匂宮のお志も、おろそかにはなるまいと思うのは残念だが、また初めからの心づもりを思うと、たいそううれしくもある。こうして、その月の二十日過ぎの頃に、藤壺の宮の御裳着があって、翌日、大将が参上なさった。その夜のことは忍んだ様子である。天下に響いて厳かに見えたお育て方なのに、臣下がお連れ申し上げなさるのは、やはり物足りなく気の毒に見える。
「そのようなお許しはありながらも、今すぐこうも急がせなさるべきではないことだ」と、非難がましく思いもし言いもする人もいたが、思い立ったことはきっぱりとなさるお心で、前例のないほどまで、同じことなら厚くもてなそうとお考えになったのだろう。帝の御婿になる人は、昔も今も多いけれど、このように盛りの御代に、臣下のように婿取りをお急ぎになった例は、少なかったろうか。左大臣も、めったにない人のご寵愛と宿世だと思う。「故院でさえ、朱雀院の御代の末になられて、今はと出家なさる際にこそ、あの母宮を得なさったのに、私はまして人にも許されないものを、拾ったようなものだ」とおっしゃったので、宮は本当にそうだとお思いになるにつけ、恥ずかしくて、お返事もおできにならない。三日の夜は、大蔵卿をはじめとして、あの女二の宮方の後見にとさせなさった人々や家司に仰せごとをくださって、ひそやかながら、あの薫の前駆、随身、車副、舎人などまで禄をお与えになる。その頃のことは私事のようであった。こうして後は、忍び忍びに参上なさる。
意訳
夕霧の子息たちも祝いに訪れ、中の君は面目を施して慰められる。薫は、母となった中の君がますます遠くなると残念に思いつつ、初めの志どおりになったと喜ぶ。二月二十日過ぎ、女二の宮の裳着が盛大に行われ、翌日薫が婿として参る。帝が在位中に臣下を急いで婿取りした例は珍しく、非難する声もあった。夕霧は、源氏でさえ晩年に女三の宮を得たのに、自分は落葉の宮を拾ったようなものだと言い、落葉の宮は恥じる。三日夜の祝いの後、薫は忍んで通う。
語釈・文法注
文法
- 「藤壺の宮の御もぎ」(藤壺の宮の御もぎのことありて)
- 女二の宮の裳着。母の藤壺の女御にちなんで藤壺の宮と呼ぶ。
- 「ひろひたりしや」(我はまいて人も許されぬものを、ひろひたりしや)
- 拾ったようなものだ。夕霧が落葉の宮を強引に妻にしたことを言う。
- 「けいし」(人々けいしにおほせごとたまひて)
- 家司。家の事務を担当する者。
解説
帝は在位中に、臣下の薫を急いで婿に迎える。光源氏でさえ朱雀院の出家の際にやっと女三の宮を得たのに、薫は盛りの御代に女二の宮を得た。薫の栄誉は源氏以上である。
しかし薫自身は、この婚儀を喜んでいない。中の君がますます遠くなることを残念に思う薫の心は、栄誉とは裏腹に沈んでいる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、1052–1055頁(コマ237–238)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日