源氏物語 第49帖 宿木(44)
宿木の歌
薫は「昔の方のご様子に少しでも似ている人なら、知らない国までも尋ねて知りたい心地がするのに、八の宮はお子として数えなさらなかったが、考えると近い縁の人なのですね。わざわざではなくても、このあたりに便りをする折があれば、そのついでにこう言っていたとお伝えください」などとだけ言い置く。弁は「母君は亡き北の方の姪です。私も縁の離れない仲のはずですが、当時は別々におりまして、詳しくは見慣れておりませんでした。先頃、京の大輔のもとから申してきたのは、あの姫君が何とかしてあの宮のお墓にだけでも参りたいとおっしゃっているそうなので、その心づもりをせよなどということでしたが、まだここにわざわざ訪ねては来ないようです。今さらそのような折にこのような仰せなどを伝えましょう」と申し上げる。夜が明けたので帰ろうとして、昨夜遅れて持って来させた絹や綿などのようなものを阿闍梨に贈らせる。尼君にもお与えになる。法師たちや尼君の下仕えの者たちの料として、布などというものまで取り寄せて与える。心細い住まいだが、このようなお見舞いが絶えなかったので、身の程にしてはたいそう見苦しくなく、まじめに勤行していた。木枯らしが耐えがたいほど吹き通して、残る梢もなく散り敷いた紅葉を踏み分けた跡も見えないのを見渡して、すぐには出かけられない。たいそう趣のある深山木に宿った蔦の色がまだ残っている。こだに(宿木)などを少し引き取らせて、中の君へと思われる様子で持たせる。薫が、宿木(宿った所)と思い出さなかったら、この木の下の旅寝もどんなに寂しかったろうと独り言を言うのを聞いて、尼君は、荒れ果てた朽ち木のもとを宿った所と思い置いていらしたのが悲しいと返す。どこまでも古風だが、わけがなくはないので、薫はいささかの慰めに思った。二条院の宮に紅葉を差し上げると、匂宮がいらっしゃる時だった。南の宮(三条の宮)からと言って、女房が何心もなく持って参ったのを、中の君は、いつもの面倒なことがあってはと苦しく思うが、取り隠すこともできようか。
- 1「「「昔昔むかしののの御御おんけはひけはひけはいにににかけかけかけてててもももふれふれふれたらたらたらむむん人人ひとははは知知しらららぬぬぬ國國くにまでまでまでももも尋尋たずねねね知知しらららまほしきまほしきまほしき心心こころちちちのののあるあるあるををを、、、かずかずかずまへまへまえ給給たまははわざりざりざりけれけれけれどどど思思おもふふうにににけけけぢかきぢかきじかき人人ひとにににこそこそこそはははあああなれなれなれ。。。わざとわざとわざとはははなくなくなくともともともこのこのこのわたりわたりわたりににに音音おとなふなふなう折折おりあらあらあらむむんついでついでついでににに、、、かくかくかくなむなむなんいひいひいいしししととと傳傳つたへへえ給給たまへへえ」」」などなどなどばかりばかりばかりのたまひのたまひのたまい置置おくくく。。。「「「母母はは君君ぎみははは故故こ北北きたののの方方かたののの御御おんめひめひめいなりなりなり。。。辨辨べんももも離離はなれれれぬぬぬなからひなからひなからいににに侍侍はべるるるべきべきべきををを、、、そのそのそのかみかみかみはははほかほかほかほかほかほかににに侍侍はべりりりててて委委くわしうしうしゅうももも見見み給給たまへへえなれなれなれざりざりざりききき。。。さいつころさいつころさいつころ京京きょうよりよりより大大たい輔輔ふがががもともともとよりよりより申申もうしししたりたりたりしししははは、、、かのかのかの君君きみなむなむなんいかでいかでいかでかのかのかの御御おん墓墓はかにににだにだにだに參參まいらららむむんとととのたまふのたまふのたまうなるなるなる、、、さるさるさる心心こころせよせよせよなどなどなど侍侍はべりりりしかしかしかどどど、、、まだまだまだこゝこゝここにににさしさしさしはへはへはえてててはははおとなはおとなはおとなわずずず侍侍はべるるるめりめりめり。。。今今いまさらさらさらにににさささ樣樣ようのののついでついでついでにににかゝるかゝるかかるおほせおほせおおせごとごとごとなどなどなど傳傳つたへへえ侍侍はべらららむむん」」」ととと聞聞きこゆゆゆ。。。明明あけけけぬれぬれぬればばば歸歸かえりりり給給たまははわむむんとてとてとて、、、よべよべよべ後後おくれれれてててもてもてもて參參まいれれれるるる絹絹きぬ綿綿わたなどなどなどやうやうようのののものものもの阿阿あ闍闍ざ梨梨りにににおくらおくらおくらせせせ給給たまふふう。。。尼尼あま君君ぎみにににもももたまふたまふたまう。。。法法ほう師師しばらばらばら尼尼あま君君ぎみのののげすげすげすどもどもどもののの料料りょうにににとてとてとてぬのぬのぬのなどなどなどいふいふいうものものものをををさへさへさへ召召めしししてててたぶたぶたぶ。。。心心こころぼそきぼそきぼそき住住すまひひいなれなれなれどどど、、、かゝるかゝるかかる御御おんとぶらひとぶらひとぶらいたゆまたゆまたゆまざりざりざりけれけれければばば身身みのののほどほどほどにににははは、、、いといといとめやすくめやすくめやすくまめやかまめやかまめやかにてにてにてなむなむなん行行おこなひひいけるけるける。。。
- 2木木こ枯枯がらしのののたへたへたえがたきがたきがたきまでまでまで吹吹ふきききとほしとほしとおしたるたるたるににに、、、殘殘のこるるる梢梢こずえもももなくなくなくちりちりちりしきしきしきたるたるたる紅紅もみ葉葉じをををふみふみふみ分分わけけけゝるゝるける跡跡あとももも見見みえええぬぬぬををを見見みわたしわたしわたしててて、、、とみとみとみにににもももえええ出出いででで給給たまははわずずず。。。いといといと氣色氣色けしきあるあるある深深み山山やま木木ぎにににやどりやどりやどりたるたるたる蔦蔦つたののの色色いろぞぞぞまだまだまだ殘殘のこりりりたるたるたる。。。こだにこだにこだになどなどなど少少すこしししひきひきひきとらとらとらせせせ給給たまひひいててて宮宮みやへへへとととおぼしくおぼしくおぼしくてててもたもたもたせせせ給給たまふふう。。。「「「やどりやどりやどり木木ぎととと思思おもひひいいでいでいでずずずばばばこのこのこのもともともとののの旅旅たびねねねもももいかにいかにいかにさびしからさびしからさびしからましましまし」」」とととひとりひとりひとりごちごちごち給給たまふふうををを聞聞ききききててて、、、尼尼あま君君ぎみ、、、「「「荒荒あれれれはつるはつるはつるくちくちくち木木きのののもともともとをををやどりやどりやどりきききととと思思おもひひいおきおきおきけるけるけるほどほどほどののの悲悲かなしさしさしさ」」」。。。飽飽あくくくまでまでまでふるめきふるめきふるめきたれたれたれどどど、、、故故ゆえなくなくなくはははあらあらあらぬぬぬをををぞぞぞいさゝかいさゝかいささかののの慰慰なぐさめめめにににはははおぼさおぼさおぼされれれけるけるける。。。宮宮みやににに紅紅もみ葉葉じ奉奉たてまつれれれ給給たまへへえれれればばば男男おとこ宮宮みやおはしますおはしますおわしますほどほどほどなりなりなりけりけりけり。。。南南みなみののの宮宮みやよりよりよりとてとてとて何何なに心心こころもももなくなくなくもてもてもて參參まいりりりたるたるたるををを、、、女女おんな君君ぎみ例例れいのののむつかしきむつかしきむつかしきことことこともももこそこそこそととと苦苦くるしくしくしくおぼせおぼせおぼせどどど、、、とりとりとりかくさかくさかくさむむんやややははは。。。
現代語訳
薫は「昔の方のご様子に少しでも似ているような人なら、知らない国までも尋ねて知りたい心地がするのに、八の宮はお子として数えなさらなかったけれど、考えると近い縁の人なのですね。わざわざではなくても、このあたりに便りをする折があったら、そのついでに、こう言っていたとお伝えください」などとだけ言い置きなさる。弁は「母君は亡き北の方の姪でございます。私も縁の離れない仲のはずでございますが、当時は別々におりまして、詳しくは見慣れておりませんでした。先頃、京の大輔のもとから申してきましたのは、あの姫君が何とかしてあの宮のお墓にだけでも参りたいとおっしゃっているそうなので、その心づもりをせよなどということでございましたが、まだここにわざわざ訪ねては来ないようでございます。今さら、そのような折に、このような仰せごとなどを伝えましょう」と申し上げる。夜が明けたので、お帰りになろうとして、昨夜遅れて持って参った絹や綿などのようなものを阿闍梨に贈らせなさる。尼君にもお与えになる。法師たちや尼君の下仕えの者たちの料として、布などというものまで取り寄せてお与えになる。心細い住まいだが、このようなお見舞いが絶えなかったので、身の程にしてはたいそう見苦しくなく、まじめに勤行していた。
木枯らしが耐えがたいほど吹き通しているうえに、残る梢もなく散り敷いた紅葉を、踏み分けた跡も見えないのを見渡して、すぐにはお出かけになれない。たいそう趣のある深山木に宿った蔦の色が、まだ残っている。こだになどを少し引き取らせなさって、中の君へと思われる様子で持たせなさる。「宿木と思い出さなかったら、この木の下の旅寝も、どんなに寂しかったでしょう」と独り言を言いなさるのを聞いて、尼君は、「荒れ果てた朽ち木のもとを、宿った所と思い置いていらっしゃったのが悲しいことです」。どこまでも古風だが、わけがなくはないのを、いささかの慰めにお思いになった。宮に紅葉を差し上げなさると、男宮がいらっしゃる時であった。南の宮からと言って、女房が何心もなく持って参ったのを、女君は、いつもの面倒なことがあってはと苦しくお思いになるが、取り隠すことができようか。
意訳
薫は浮舟に会いたいと思い、便りがあれば伝えてほしいと弁に頼む。弁は、浮舟の母は八の宮の北の方の姪で、浮舟が八の宮の墓参りを望んでいると聞いていると語る。翌朝、薫は阿闍梨や弁、下仕えの者たちにまで贈り物をする。木枯らしに紅葉が散り敷く中、薫は深山木に宿る蔦(宿木)を手折らせて中の君に贈ろうとし、宿木の歌を詠む。弁も返す。紅葉が二条院に届いた時、匂宮が居合わせた。
語釈・文法注
文法
- 「こだに」(こだになど少しひきとらせ給ひて)
- 蔦などのつる草。宿木の一種。
- 「やどり木と思ひいでずば」(やどり木と思ひいでずばこのもとの旅ねもいかにさびしからまし)
- 宿木(かつて宿った所)と思い出さなかったら。巻名「宿木」の由来となる歌。
- 「南の宮」(南の宮よりとて)
- 三条の宮。薫の邸。二条院から見て南にある。
解説
巻名「宿木」は、薫の「やどり木と思ひいでずば」の歌による。深山木に宿る蔦のように、薫の心は宇治の山荘に宿り続けている。弁の返歌は、荒れ果てた朽ち木(宇治)を宿とする悲しさを詠む。
薫の贈った紅葉が、匂宮の目の前で中の君に届く。中の君は匂宮の疑いを恐れるが、隠すこともできない。次の場面の緊張が、ここから始まる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、1046–1049頁(コマ234–235)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日