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源氏物語 第49帖 宿木(43)

浮舟の出生

登場人物:薫・弁・中の君・八の宮・中将の君・浮舟

宮の御方(中の君)は、もう少し当世風であるものの、心を許さない人に対しては、きまり悪い扱いもなさりそうな方のようだが、自分にはたいそう心深く情け深いと見えて、何とかしてやり過ごそうと思っていらっしゃるのだなどと、薫は心の中で大君と比べる。さて、話のついでに、あの形代(浮舟)のことを言い出した。弁は「京にこの頃いらっしゃるとは存じませんでした。人づてに承ったことの筋のようです。亡き八の宮がまだこうした山住まいもなさらず、亡き北の方がお亡くなりになって間もない頃、中将の君といってお仕えしていた上臈で、気立てなども悪くなかった人に、たいそう忍んでかりそめにお情けをかけていらしたのを知る人もおりませんでしたが、その人が女の子を産みまして、宮はそうかもしれないとお思いになることがあったので、つまらなく煩わしく不快なようにお思いになって、二度とお会いになることもありませんでした。つまらなくそのことに懲りなさって、そのままほとんど聖のようにおなりになったので、中将の君はきまり悪く思ってお仕えできなくなりましたが、陸奥守の妻になって下っていたのを、ある年上京して、その姫君が無事でいらっしゃる旨を、宮のあたりにもほのめかし申し上げたのを宮がお聞きつけになって、全くそのような便りがあるべきことでもないとおっしゃって突き放されたので、かいなく嘆いておりました。さてまた夫が常陸介になって下りましたが、この長年便りもございませんでしたのが、この春上京して、あの二条院の宮には訪ねて参ったとほのかに聞きました。あの姫君の年は二十歳ほどになられたでしょう。たいそう美しくお育ちになるのが悲しいことなどと、一時は手紙にまで書き続けていたようです」と申し上げる。薫は詳しく聞いて明らかにして、それでは本当なのだろう、会ってみたいと思う心が起こった。

  1. 1宮みや宮みやみやののの御おん御おんおん方かた方かたかたははは今いま今いまいま少すこ少すこすこしししいまめかしきいまめかしきいまめかしきものものものからからから、、、心こころ心こころこころ許ゆる許ゆるゆるさささゞゞざらむらむらん人ひと人ひとひとのののためためためにににははは、、、はしたなくはしたなくはしたなくもてもてもてなしなしなし給たま給たまたまひひいつつつべくべくべくこそこそこそものものものししし給たま給たまたまふふうめるめるめるををを我わ我わわにににはははいといといと心こころ心こころこころ深ふか深ふかふかくくくなさけなさけしなさけなさけしなさけなさけしとととははは見み見みみえええててて、、、いかでいかでいかで過すぐ過すぐすぐしししてててむむんとととこそこそこそ思おも思おもおもひひい給たま給たまたまへへえれれれなどなどなど心こころ心こころこころののの中うち中うちうちににに思おも思おもおもひひいくらべくらべくらべ給たま給たまたまふふう。。。さてさてさて物もの物ものもののののついでついでついでににに、、、かのかのかのかたかたかたしろしろしろのののことことことをををいひいひいい出い出いいででで給たま給たまたまへへえりりり。。。「「「京きやう京きやうきょうにににこのこのこの頃ころ頃ころころ侍はべ侍はべはべらららむむんとととはははえええ知し知ししりりり侍はべ侍はべはべらららずずず。。。人ひと人ひとひとづてづてずてににに承うけたまは承うけたまはうけたまわりりりしししことことことのののすぢすぢすじなななゝりゝりなり。。。故こ故ここ宮みや宮みやみやのののまだまだまだかゝるかゝるかかる山やま山やまやまずみずみずみもももししし給たま給たまたまははわずずず、、、故こ故ここ北きた北きたきたののの方かた方かたかたうせうせうせ給たま給たまたまへへえりりりけるけるけるほどほどほど近ちか近ちかちかかりかりかりけるけるけるころころころ中ちゆう中ちゆうちゅう將じやう將じやうじょうののの君きみ君きみきみとてとてとて侍さぶら侍さぶらさぶらひひいけるけるける上じやう上じやうじょう﨟らふ﨟らふろうののの心こころ心こころこころばせばせばせなどなどなどもももけしうけしうけしゅうははは侍はべ侍はべはべらららざりざりざりけるけるけるををを、、、いといといと忍しの忍しのしのびびびてててはかなきはかなきはかなきほどほどほどににに物もの物ものもののたまはせのたまはせのたまわせけるけるけるををを知し知ししるるる人ひと人ひとひとももも侍はべ侍はべはべらららざりざりざりけるけるけるににに、、、をんなをんなおんなごごごをををなむなむなん產う產ううみみみててて侍はべ侍はべはべりりりけるけるけるををを、、、さささもももやややあらあらあらむむんとととおぼすおぼすおぼすことことことのののありありありけるけるけるからからからににに、、、あいなくあいなくあいなく煩わづら煩わづらわずらしうしうしゅうものものものしきしきしきやうやうようにににおぼしおぼしおぼしなりなりなりててて、、、またまたまたとととももも御ご御ごご覽らん覽らんらんじじじ入い入いいるゝるゝるることことことももも侍はべ侍はべはべらららざりざりざりけりけりけり。。。
  2. 2あいなくあいなくあいなくそのそのそのことことことにににおぼしおぼしおぼしこりこりこりててて、、、やがてやがてやがて大おほ大おほおおかたかたかたひじりひじりひじりにににならならならせせせ給たま給たまたまひひいにににけるけるけるををを、、、はしたなくはしたなくはしたなく思おも思おもおもひひいてててえええ侍さぶら侍さぶらさぶらははわずずずなりなりなりにににけるけるけるががが、、、みちのくみちのくみちのくのののかみかみかみのののめめめににになりなりなりてててくだりくだりくだりけるけるけるをををひとゝせひとゝせひととせのぼりのぼりのぼりててて、、、そのそのその君きみ君きみきみたひらかたひらかたいらかににに物もの物ものものししし給たま給たまたまふふうよしよしよし、、、このこのこのわたりわたりわたりにににもももほのめかしほのめかしほのめかし申まう申まうもうしししたりたりたりけるけるけるををを聞きこ聞きこきこししし召め召めめしししつけつけつけててて、、、更さら更さらさらにににかゝるかゝるかかるせうそこせうそこしょうそこあるあるあるべきべきべきことことことにににもももあらあらあらずずずとととのたまはせのたまはせのたまわせ放はな放はなはなちちちけれけれければばば、、、かひかひかいなくなくなくてててなむなむなん歎なげ歎なげなげききき侍はべ侍はべはべりりりけるけるける。。。さてさてさて又また又またまた常ひた常ひたひた陸ち陸ちちににになりなりなりてててくだりくだりくだり侍はべ侍はべはべりりりにににけるけるけるががが、、、このこのこの年とし年としとし頃ごろ頃ごろごろおとおとおとにににももも聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまははわざりざりざりつるつるつるががが、、、このこのこの春はる春はるはるのぼりのぼりのぼりてててかのかのかの宮みや宮みやみやにににははは尋たづ尋たづたずねねね參まゐ參まゐまいりりりたりたりたりけるけるけるとととなむなむなんほのほのほのぎゝぎゝぎき侍はべ侍はべはべりりりししし。。。かのかのかの君きみ君きみきみののの年とし年としとしははははたちはたちはたちばかりばかりばかりににになりなりなり給たま給たまたまひひいぬぬぬらむらむらんかしかしかし。。。いといといと美うつく美うつくうつくしくしくしく生お生おおひひい出い出いいででで給たま給たまたまふふうががが悲かな悲かなかなしきしきしきことことことなどなどなどこそこそこそ中なか中なかなか頃ごろ頃ごろごろははは文ふみ文ふみふみにににさへさへさへ書か書かかきききつゞけつゞけつづけてててなむなむなんはべはべはべめりめりめりしかしかしか」」」ととと聞きこ聞きこきこゆゆゆ。。。委くは委くはくわしうしうしゅう聞き聞きききききあきらめあきらめあきらめ給たま給たまたまひひいててて、、、さらばさらばさらば誠まこと誠まことまことにてにてにてもももあらあらあらむむんかしかしかし、、、見み見みみばやばやばやととと思おも思おもおもふふう心こころ心こころこころ出い出いいででで來き來ききぬぬぬ。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

宮の御方は、もう少し当世風でいらっしゃるものの、心を許さないような人に対しては、きまり悪い扱いもなさりそうでいらっしゃるようなのに、自分にはたいそう心深く情け深いとは見えて、何とかしてやり過ごそうと思っていらっしゃるのだなどと、心の中でお比べになる。さて、話のついでに、あの形代のことを言い出しなさった。弁は「京にこの頃いらっしゃるとは、存じませんでした。人づてに承りましたことの筋のようでございます。亡き宮がまだこのような山住まいもなさらず、亡き北の方がお亡くなりになった頃に近かった頃、中将の君といってお仕えしておりました上臈で、気立てなども悪くございませんでした人に、たいそう忍んで、かりそめにお情けをおかけになっていたのを、知る人もございませんでしたが、女の子を産みましたのを、宮はそうかもしれないとお思いになることがあったので、つまらなく煩わしく不快なようにお思いになって、二度とお会いになることもございませんでした。

つまらなくそのことにお懲りになって、そのままほとんど聖のようにおなりになったので、中将の君はきまり悪く思ってお仕えできなくなりましたが、陸奥守の妻になって下っておりましたのを、ある年上京して、その姫君が無事でいらっしゃる旨を、このあたりにもほのめかし申し上げましたのを、宮がお聞きつけになって、全くこのような便りがあるべきことでもないとおっしゃって突き放されたので、かいなく嘆いておりました。さてまた常陸介になって下りましたが、この長年便りもございませんでしたのが、この春上京して、あの宮には訪ねて参ったと、ほのかに聞きました。あの姫君の年は、二十歳ほどにおなりになったでしょう。たいそう美しくお育ちになるのが悲しいことなどと、一時は手紙にまで書き続けていたようでございました」と申し上げる。薫は詳しく聞いて明らかにしなさって、それでは本当なのだろう、会ってみたいと思う心が起こった。

意訳

薫は中の君と大君を比べる。話のついでに浮舟のことを尋ねると、弁は詳しく語る。八の宮が北の方を亡くした頃、上臈女房の中将の君に忍んで情けをかけ、女の子が生まれた。八の宮はそれを疎んじて認めず、まもなく仏道に入った。中将の君は陸奥守の妻となり、のち常陸介の妻として下向、この春上京して二条院を訪ねた。娘は二十歳ほどで美しく育っているという。薫は会ってみたいと思う。

語釈・文法注

文法

「かたしろ」(かのかたしろのことをいひ出で給へり)
形代。人の身代わりとなる人形。大君の身代わりとしての浮舟。
「上﨟」(中將の君とて侍ひける上﨟の)
身分の高い女房。
「常陸になりて」(さて又常陸になりてくだり侍りにけるが)
中将の君の夫が常陸介となって下向した。浮舟は「常陸の宮の御方」とも呼ばれる。

解説

浮舟の出生の事情が明かされる。八の宮は娘を認めず、仏道に入った。俗聖として清らかに生きた八の宮にも、このような過去があった。浮舟は父に認められなかった娘として、物語に登場する。

薫は浮舟を「かたしろ」と呼ぶ。大君の身代わりとして浮舟を求める薫の心は、すでにこの時点で定まっている。浮舟という一人の女性への関心ではなく、大君の面影への執着である。

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出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、1046–1047頁(コマ234)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日