源氏物語 第49帖 宿木(41)
御堂建立の相談
薫は「さて、ここにこうして時々来るにつけても、かいのないことが穏やかでなく思われるのがたいそう無益なので、この寝殿を壊して、あの山寺のそばに堂を建てようと思うが、同じことなら早く始めたい」とおっしゃって、堂をいくつ、廊や僧房など、あるべきことを書き出しておっしゃったりするのを、阿闍梨は「たいそう尊いことです」と申し上げる。薫は「昔の人(八の宮)が由緒あるお住まいとして占め造りなさった所を取り壊すのも情けないようだが、そのお志も功徳の方には進みたいとお思いだったろうに、後に残られる人々を思いやって、そうはお定めにならなかったのだろうか。今は兵部卿宮の北の方(中の君)がお治めになるはずなので、あの宮の御領とも言ってよいようになった。だからここをそのまま寺にするのは不都合だろう。心に任せてそうもできまい。場所の様子もあまりに川面に近く人目にも立つので、やはり寝殿をなくして別の所に造り替えようという心で」とおっしゃると、阿闍梨は「あれこれとたいそう恐れ多く尊いお心です。昔、別れを悲しんで遺骸を包んで長年首にかけていた人も、仏のお導きで、あの遺骸の袋を捨ててついに聖の道に入りました。この寝殿をご覧になるにつけてお心が動くのでしょう。ひとえに大切なことです。また後世のお勧めにもなることでございます。急いでお仕えさせましょう。暦の博士が選び申し上げた日を承って、物の由緒を知る工匠を二三人いただいて、細かなことは仏の御教えのままにお仕えさせましょう」と申し上げる。あれこれと定めて、荘園の者たちを呼んで、このたびのことは阿闍梨の言うとおりにするようになどと仰せになるうちに、はかなく日が暮れたので、その夜は泊まった。
- 1「「「さてさてさて此處此處ここにににかくかくかく時々時々ときどきものものものするするするにににつけつけつけてててももも、、、かひかひかいなきなきなきことことことののの安安やすからからからずずず覺覺おぼゆるゆるゆるがががいといといとやくやくやくなきなきなきををを、、、このこのこの寢寢しん殿殿でんこぼちこぼちこぼちててて、、、かのかのかの山山やま寺寺でらののの傍傍かたわらににに堂堂どう建建たてててむむんとととなむなむなん思思おもふふうををを同同おなじうじうじゅうはははとくとくとく始始はじめめめてててむむん」」」とととのたまひのたまひのたまいててて、、、堂堂どういくついくついくつ廊廊ろうどもどもども僧僧そう房房ぼうなどなどなど、、、あるあるあるべきべきべきことことことゞゞどももも書書かきききいでいでいでのたまひのたまひのたまいなどなどなどせせせさせさせさせ給給たまふふうををを「「「いといといとたふときたふときとうときことことこと」」」ととと聞聞きこえええしらすしらすしらす。。。「「「昔昔むかしののの人人ひとのののゆゑゆゑゆえあるあるある御御おん住住すまひまひまいにににしめしめしめ造造つくりりり給給たまひひいけむけむけん所所ところをををひきひきひきこぼたこぼたこぼたむむんもももなさけなさけなさけなきなきなきやうやうようなれなれなれどどど、、、そのそのその御御おん志志こころざしももも功功く德德どくののの方方かたにににはははすゝみすゝみすすみぬぬぬべくべくべくおぼしおぼしおぼしけむけむけんををを、、、とまりとまりとまり給給たまははわむむん人々人々ひとびとをををおぼしおぼしおぼしやりやりやりててて、、、えええさささはははおきておきておきて給給たまははわざりざりざりけるけるけるにににややや。。。今今いまははは兵兵ひょう部部ぶ卿卿きょう宮宮のみやののの北北きたののの方方かたこそこそこそははは知知しりりり給給たまふふうべけれべけれべければばば、、、かのかのかの宮宮みやののの御御おん料料りょうととともももいひいひいいつつつべくべくべくなりなりなりにににたりたりたり。。。されされさればばばこゝこゝここながらながらながら寺寺てらににになさなさなさむむんことことことはははびんなかるびんなかるびんなかるべしべしべし。。。心心こころにににまかせまかせまかせてててさささもももえええせせせじじじ。。。所所ところのののさまさまさまもももあまりあまりあまりににに川川かわづらづらずら近近ちかくくくけしようけしようけしようにににもももあれあれあればばば猶猶なお寢寢しん殿殿でんをををうしなひうしなひうしないてててことことことざまざまざまにににももも造造つくりりりかへかへかえむむんののの心心こころにてにてにてなむなむなん」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば
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現代語訳
薫は「さて、ここにこうして時々来るにつけても、かいのないことが穏やかでなく思われるのがたいそう無益なので、この寝殿を壊して、あの山寺のそばに堂を建てようと思うが、同じことなら早く始めたい」とおっしゃって、堂をいくつ、廊ども、僧房など、あるべきことどもを書き出し、おっしゃったりなさるのを、阿闍梨は「たいそう尊いことです」と申し上げる。「昔の人が由緒あるお住まいとして占め造りなさった所を取り壊すのも、情けないようだが、そのお志も、功徳の方には進みたいとお思いになっていたろうに、後に残られる人々を思いやりなさって、そうはお定めにならなかったのだろうか。今は兵部卿宮の北の方がお治めになるはずなので、あの宮の御領とも言ってよいようになった。だから、ここをそのまま寺にすることは不都合だろう。心に任せてそうもできまい。場所の様子も、あまりに川面に近く、人目にも立つので、やはり寝殿をなくして、別の様子に造り替えようという心で」とおっしゃると、
阿闍梨は「あれこれとたいそう恐れ多く尊いお心です。昔、別れを悲しんで遺骸を包んで、長年首にかけておりました人も、仏の方便で、あの遺骸の袋を捨てて、ついに聖の道にも入りました。この寝殿をご覧になるにつけて、お心が動いていらっしゃるのでしょう。ひとえに大切なことです。また後世のお勧めともなるべきことでございました。急いでお仕えさせましょう。暦の博士が選び申し上げました日を承って、物の由緒を知る工匠を二三人いただいて、細かなことどもは仏の御教えのままにお仕えさせましょう」と申し上げる。あれこれとおっしゃり定めて、荘園の者たちを呼んで、このたびのことどもは阿闍梨の言うとおりにするようになどと仰せになるうちに、はかなく日が暮れたので、その夜はお泊まりになった。
意訳
薫は、宇治に来るたびに悲しみが募るので、寝殿を壊して山寺のそばに御堂を建てたいと阿闍梨に相談する。山荘は中の君の所有なので寺にはできず、川に近すぎて人目にもつくので、寝殿を移築するのだと言う。阿闍梨は、遺骸を首にかけていた人が仏の方便で悟った故事を引き、薫の決断をほめ、工事を引き受ける。
語釈・文法注
文法
- 「かばねをつゝみて」(別を悲みてかばねをつゝみてあまたの年くびにかけて)
- 遺骸を包んで首にかけた人。愛する者の死に執着した人が仏の導きで悟った説話。
- 「たいだいしき」(ひとへにたいだいしき御事なり)
- 大事な、重大な。
- 「みさうの人」(みさうの人ども召して)
- 御荘の人。荘園の管理人たち。
解説
薫は大君の思い出の残る寝殿を取り壊し、御堂に造り替えることを決める。執着の源を断とうとする薫の決意である。阿闍梨が引く遺骸の袋の説話は、薫の状況そのものを語っている。
寝殿を取り壊すことで、宇治の山荘は八の宮と姉妹の住まいから仏道の場へと変わる。一つの時代の終わりが、建物の解体として描かれる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、1044–1045頁(コマ233)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日