源氏物語 第49帖 宿木(11)
朝顔の贈答
官位などといって大事なように見える道理の不満につけて嘆く人よりも、これの方が少し罪の深さはまさっているでしょう」などと言いながら、折ってきた朝顔の花を扇に置いて見ていらっしゃるが、だんだん赤みを帯びていくのもかえって色合いが趣深く見えるので、そっと御簾の内に差し入れて、薫は、亡き人によそえて見るべきでした、白露が契りを置いた朝顔の花をと詠む。ことさらにそうしたわけでもないのに、露を落とさずに持っていらしたのだと趣深く見えるが、露を置いたまま枯れていく様子なので、中の君は、露が消えないうちに枯れてしまう花のはかなさよりも、後に残る露の方がなおはかないのです、何にすがればよいのでしょう、とたいそう忍びやかに、言葉も続けず遠慮がちに言い消す様子が、やはりたいそうよく似ていらっしゃると思うにつけてもまず悲しい。薫は「秋の空はいっそう物思いばかりまさります。所在ない紛らわしにもと思って、先日宇治に行ってまいりました。庭も垣根も本当に荒れ果てておりまして、耐えがたいことが多うございました。故院(光源氏)がお亡くなりになって後、二三年ほどの末に出家なさった嵯峨の院にも、六条院にも、のぞく人は心を静めようもなかったそうです。木や草の色につけても、水の流れにつけても、涙に暮れてばかり帰ったそうです。あの院のあたりの人は、上下となく心の浅い者もなく惑いまして、あちこちに集まっていらした方々も皆それぞれに別れ散って、各自世を思い離れた住まいをなさったようですが、身分の低い女房などはまして心を静めようもなく思われたままに、分別のない心に任せて山林に入り混じったり、無縁な田舎人になったりなど、哀れに惑い散る者が多うございました。そうしてかえって皆荒れ果てて忘れ草が生えた後に、この左大臣(夕霧)も移り住み、宮たちもあちこちに住んでいらっしゃるので、昔に返ったようでございます。
- 1つかさつかさつかさくらゐくらゐくらいなどなどなどいひいひいいててて大大だい事事じにににすすすめるめるめることわりことわりことわりのののうれへうれへうれえにににつけつけつけててて歎歎なげききき思思おもふふう人人ひとよりよりよりももも、、、これこれこれややや今今いま少少すこししし罪罪つみののの深深ふかさささはははまさるまさるまさるらむらむらん」」」などなどなどいひいひいいつゝつゝつつをりをりおり給給たまへへえるるる花花はなををを扇扇おうぎにににうちうちうち置置おきききててて見見み居居い給給たまへへえるるるががが、、、やうやうやうやうようようあかみあかみあかみもてもてもて行行ゆくくくもももなかなかなかなかなかなか色色いろあはひあはひあわいをかしうをかしうおかしゅう見見みゆれゆれゆればばば、、、やをらやをらやおらさしさしさしいれいれいれててて、、、「「「よそへよそへよそえてててぞぞぞ見見みるるるべかりべかりべかりけるけるける白白しら露露つゆののの契契ちぎりりりかかかおきおきおきししし朝朝あさ顏顏がおののの花花はな」」」。。。ことさらことさらことさらびてびてびてしもしもしももてもてもてなさなさなさぬぬぬににに露露つゆををを落落おとさささでででもたもたもたまへまへまえりりりけるけるけるよよよとととをかしくをかしくおかしく見見みゆるゆるゆるににに、、、おきおきおきながらながらながら枯枯かるゝるゝるるけしきけしきけしきなれなれなればばば、、、「「「消消きえええぬぬぬまままにににかれかれかれぬるぬるぬる花花はなのののはかなさはかなさはかなさにににおくるゝおくるゝおくるる露露つゆはははなほなほなおぞぞぞまされまされまされるるる。。。何何なににににかゝれかゝれかかれるるる」」」ととといといといと忍忍しのびびびてててことことこともももつゞけつゞけつづけずずずつゝましげつゝましげつつましげにににいひいひいいけちけちけち給給たまへへえるるるほどほどほど猶猶なおいといといとよくよくよく似似に給給たまへへえるるるかなかなかなととと思思おもふふうにににもももまづまづまずぞぞぞかなしきかなしきかなしき。。。
- 2「「「秋秋あきののの空空そらははは今今いま少少すこしししながめながめながめのみのみのみまさりまさりまさり侍侍はべるるる。。。つれづれつれづれつれずれのののまぎらはしまぎらはしまぎらわしにににもももとてとてとてさいつころさいつころさいつころ宇宇う治治じににに物物ものしししててて侍侍はべりりりききき。。。庭庭にわもももまがきまがきまがきもももまことまことまことにににあれあれあれはてはてはてゝゝて侍侍はべりりりしししににに堪堪たへへえがたきがたきがたきことことこと多多おおくくくなむなむなん。。。故故こ院院いんのののうせうせうせ給給たまひひいててて後後のち、、、二二に三三さん年年ねんばかりばかりばかりののの末末すえににに世世よをををそむきそむきそむき給給たまひひいししし、、、嵯嵯さ峨峨がののの院院いんにににももも六六ろく條條じょう院院いんにににもももさしさしさしのぞくのぞくのぞく人人ひとののの心心こころをををさめさめさめむむん方方かたなくなくなくなむなむなん侍侍はべりりりけるけるける。。。木木き草草くさののの色色いろにににつけつけつけてててももも水水みずののの流流ながれにににそへそへそえてててももも淚淚なみだにににくれくれくれてててのみのみのみなむなむなん歸歸かえりりり侍侍はべりりりけるけるける。。。かのかのかの御御おんあたりあたりあたりののの人人ひとはははかみかみかみしもしもしも心心こころ淺淺あさききき人人ひとなくなくなくなむなむなん惑惑まどひひい侍侍はべりりりけるけるけるまゝまゝままににに、、、かたがたかたがたかたがたつどひつどひつどいものものものせせせられられられけるけるける人々人々ひとびとももも皆皆みなところどころところどころところどころにににあがれあがれあがれちりちりちりつゝつゝつつおのおのおのおのおのおの思思おもひひい離離はなるゝるゝるる住住すまひまひまいをををししし給給たまふふうめりめりめりしししににに、、、はかなきはかなきはかなき程程ほどののの女房女房にょうぼうなどなどなどはははましてましてまして心心こころをををさめさめさめむむんかたかたかたなくなくなく覺覺おぼえええけるけるけるまゝまゝままににに、、、物物もの覺覺おぼえええぬぬぬ心心こころにににまかせまかせまかせつゝつゝつつ山山やまはやしはやしはやしににに行行ゆきききまじりまじりまじり、、、すゞろすゞろすずろなるなるなる田田い舍舍なか人人びとににになりなりなりなどなどなど哀哀あわれににに惑惑まどひひいちるちるちるこそこそこそ多多おおくくく侍侍はべりりりけれけれけれ。。。さてさてさてなかなかなかなかなかなか皆皆みなあらしあらしあらしはてはてはて忘忘わすれ草草ぐさおほしおほしおおしててて後後のちなむなむなんこのこのこの左左ひだりのののおとゞおとゞおとどももも渡渡わたりりりすみすみすみ、、、宮宮みや達達たちなどなどなどもももかたがたかたがたかたがたものものものししし給給たまへへえばばば昔昔むかしににに返返かえりりりたるたるたるやうやうようににに侍侍はべるるるめるめるめる。。。
現代語訳
官位などといって大事なように見える道理の不満につけて嘆き思う人よりも、これの方が少し罪の深さはまさっているでしょう」などと言いながら、折っていらした花を扇に置いて見ていらっしゃるが、だんだん赤みを帯びていくのも、かえって色合いが趣深く見えるので、そっと御簾の内に差し入れて、「亡き人によそえて見るべきでした、白露が契りを置いた朝顔の花を」。ことさらにそうしたわけでもないのに、露を落とさずにお持ちになっていたのだと趣深く見えるが、露を置いたまま枯れていく様子なので、中の君は「露が消えないうちに枯れてしまう花のはかなさよりも、後に残る露の方が、なおはかなさはまさっています。何にすがっているのでしょう」と、たいそう忍びやかに、言葉も続けず遠慮がちに言い消しなさる様子が、やはりたいそうよく似ていらっしゃることよと思うにつけても、まず悲しい。
薫は「秋の空は、いっそう物思いばかりがまさります。所在ない紛らわしにもと思いまして、先日宇治に行ってまいりました。庭も垣根も本当に荒れ果てておりまして、耐えがたいことが多うございました。故院がお亡くなりになって後、二三年ほどの末に出家なさった嵯峨の院にも、六条院にも、のぞく人は心を静めようもなかったそうです。木や草の色につけても、水の流れにつけても、涙に暮れてばかり帰ったそうです。あの院のあたりの人は、上下となく心の浅い者もなく惑いましたままに、あちこちに集まっていらした方々も、皆それぞれの所に別れ散って、各自世を思い離れた住まいをなさったようですが、身分の低い女房などは、まして心を静めようもなく思われたままに、分別のない心に任せて山林に入り混じったり、無縁な田舎人になったりなど、哀れに惑い散る者が多うございました。そうして、かえって皆荒れ果てて、忘れ草が生えて後に、この左大臣も移り住み、宮たちなどもあちこちに住んでいらっしゃるので、昔に返ったようでございます。
意訳
薫は露を置いた朝顔を御簾の内に差し入れ、亡き大君によそえて見るべきだったと詠む。中の君は、枯れる花より残る露の方がはかないと返し、その様子が大君にそっくりで薫は悲しくなる。薫は宇治を訪れたことを語り、光源氏の死後に六条院が荒れ、人々が散り散りになったが、やがて夕霧たちが住んで昔に戻ったと話す。
語釈・文法注
文法
- 「白露の契りかおきし朝顏の花」(よそへてぞ見るべかりける白露の契りかおきし朝顏の花)
- 白露(大君)が契りを残した朝顔(中の君)。大君の言葉どおり中の君を大君と同じに見るべきだったという後悔。
- 「おくるゝ露はなほぞまされる」(おくるゝ露はなほぞまされる)
- 後に残る露(自分)の方がはかない。姉に先立たれた中の君の嘆き。
- 「忘草おほして」(忘草おほして後なむ)
- 忘れ草(萱草)が生える。人々が悲しみを忘れるほど時が経つこと。
解説
朝顔をめぐる歌の贈答は、宿木の帖の名場面の一つである。薫の歌は大君への思いと中の君への思いを重ね、中の君の返歌は残された者の悲しみを詠む。
薫は光源氏の死後の六条院を語る。偉大な人の死後、人々は散り散りになったが、時が経てば昔に戻る。この話は、大君の死の悲しみもいずれ薄れるのかという問いにつながっていく。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、1012–1015頁(コマ217–218)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日