源氏物語 第48帖 早蕨(11)
宇治を発つ
すべて掃き清め、万事を片付けて御車などを寄せ、前駆の人々は四位五位がたいそう多い。匂宮ご自身もぜひいらっしゃりたいが、大げさになってかえってよくないので、ただ忍びの様子にして、待ち遠しく思っている。中納言殿からも前駆の人々を多く差し向けた。大方のことは匂宮がお考えおきになったようだが、細やかな内々のお世話はただこの殿(薫)が思い寄らないことなく見舞う。日が暮れそうだと内からも外からも促すので気ぜわしく、どこへ行くのだろうと思うにつけても、ひどくはかなく悲しいとばかり思われて、中の君は御車に乗る。大輔の君という女房が、生き長らえていたからこそうれしい瀬にも逢えたのに、もし宇治川に身を投げていたらと詠む。笑みを浮かべているのを、弁の尼の心ばえとはずいぶん違うものだと中の君は不快に思う。もう一人は、過ぎた日の恋しいことも忘れないが、今日はまたまず先に行く心が立つと詠む。どちらも年を経た女房で、皆大君に心を寄せ申し上げていたらしいのに、今はこう思い改めて縁起を担ぐのも情けない世だと思われるので、中の君は何もおっしゃれない。道のりが遠く険しい山道の有様を見て、つらいとばかり思われた匂宮の通いの途絶えも、もっともな絶え間だったのだと少し思い知られた。七日の月がさやかに差し出た光が趣深く霞んでいるのを見ながら、ひどく遠い旅に慣れず苦しいので物思いにふけって、眺めていると山から出て行く月も、世に住みかねてまた山に入ることよと詠む。
- 1皆皆みなかきかきかきはらひはらひはらいよろづよろづよろずとりとりとりしたゝめしたゝめしたためててて御御おん車車くるまどもどもども寄寄よせせせててて、、、御御おんぜんぜんぜんののの人々人々ひとびと四四し位位い五五ご位位いいといといとおほかりおほかりおおかり。。。御御おんみづからみづからみずからもももいみじういみじういみじゅうおはしまさおはしまさおわしまさまほしけれまほしけれまほしけれどどど、、、ことごとしくことごとしくことごとしくなりなりなりてててなかなかなかなかなかなかあしかるあしかるあしかるべけれべけれべければばば、、、唯唯ただ忍忍しのびびびたるたるたるさまさまさまにににもてもてもてなしなしなしててて心心こころもとなくもとなくもとなくおぼさおぼさおぼさるるる。。。中中ちゅう納納な言言ごん殿殿どのよりよりよりももも、、、ごごご前前ぜんののの人々人々ひとびと數數かずおほくおほくおおく奉奉たてまつれれれ給給たまへへえりりり。。。大大おおかたかたかたののの事事ことをををこそこそこそ宮宮みやよりよりよりはははおぼしおぼしおぼし置置おきききつつつめれめれめれ。。。細細こまやかやかやかなるなるなるうちうちうちうちうちうちののの御御おんあつかひあつかひあつかいははは唯唯ただこのこのこの殿殿とのよりよりより思思おもひひいよらよらよらぬぬぬことことことなくなくなくとぶらひとぶらひとぶらい聞聞きこえええ給給たまふふう。。。日日ひ暮暮くれれれぬぬぬべしべしべしととと、、、內內うちにににもももとととにににももも催催もよおししし聞聞きこゆるゆるゆるににに心心こころあわたゞしうあわたゞしうあわただしゅう、、、いづちいづちいずちならならならむむんととと思思おもふふうにににもももいといといとはかなくはかなくはかなく悲悲かなしししとととのみのみのみおぼえおぼえおぼえ給給たまふふうににに、、、御御おん車車くるまににに乘乘のるるる。。。たいふたいふたいふののの君君きみととといふいふいう人人ひとのののきこゆきこゆきこゆ。。。「「「ありありありふれふれふればばばうれしきうれしきうれしきせせせにににももも逢逢あひひいけるけるけるををを身身みをををうぢうぢうじ河河がわににになげなげなげてててましかましかましかばばば」」」。。。うちうちうちゑみゑみえみたるたるたるををを、、、辨辨べんののの尼尼あまののの心心こころばへばへばえにににこよなうこよなうこよのうもももあるあるあるかなかなかなととと心心こころづきなうづきなうずきのう見見み給給たまふふう。。。今今いまひとりひとりひとり、、、「「「過過すぎぎぎにににしししががが戀戀こいしきしきしきことことことももも忘忘わすれれれねねねどどど今日今日きょうはははたたたまづまづまずもももゆくゆくゆくこゝろこゝろこころかなかなかな」」」。。。
- 2いづれいづれいずれももも年年とし經經へたるたるたる人々人々ひとびとにてにてにて皆皆みなかのかのかの御御おんかたかたかたをををばばば心心こころよせよせよせまほしくまほしくまほしく聞聞きこえええたたためりめりめりしししををを、、、今今いまはははかくかくかく思思おもひひい改改あらためめめてててことことこといみいみいみするするするももも心心こころうううののの世世よやややとととおぼえおぼえおぼえ給給たまへへえばばば物物ものもももいはいはいわれれれ給給たまははわずずず、、、道道みちのののほどほどほどはるけくはるけくはるけくけはしきけはしきけわしき山山やま路路じのののありさまありさまありさまををを見見み給給たまふふうにににぞぞぞ、、、つらきつらきつらきにににのみのみのみ思思おもひひいなさなさなされれれししし人人ひとののの御御おん中中なかのののかよひかよひかよいををを、、、ことわりことわりことわりのののたえまたえまたえまなりなりなりけりけりけりととと少少すこしししおぼしおぼしおぼし知知しららられれれけるけるける。。。七七なぬ日日かののの月月つきのののさやかさやかさやかにににさしさしさし出出いでででたるたるたる影影かげをかしくをかしくおかしく霞霞かすみみみたるたるたるををを見見み給給たまひひいつゝつゝつつ、、、いといといと遠遠とおきききにににならはならはならわずずず苦苦くるしけれしけれしければばばうちうちうちながめながめながめられられられててて、、、「「「ながむれながむれながむればばば山山やまよりよりよりいでいでいでゝゝて行行ゆくくく月月つきももも世世よにににすみすみすみわびわびわびててて山山やまにににこそこそこそ入入いれれれ」」」。。。
現代語訳
すべて掃き清め、万事を片付けて、御車などを寄せて、前駆の人々は四位五位がたいそう多い。匂宮ご自身もぜひいらっしゃりたいけれど、大げさになってかえってよくないので、ただお忍びの様子にして、待ち遠しくお思いになる。中納言殿からも、前駆の人々を数多く差し向けなさった。大方のことは匂宮がお考えおきになったようだ。細やかな内々のお世話は、ただこの殿が、思い寄らないことなくお見舞い申し上げなさる。日が暮れてしまうだろうと、内からも外からも促し申し上げるので気ぜわしく、どこへ行くのだろうと思うにつけても、ひどくはかなく悲しいとばかり思われなさるうちに、御車にお乗りになる。大輔の君という女房が申し上げる。「生き長らえていたからこそ、うれしい瀬にも逢えたのに、もし我が身を宇治川に投げていたら」。笑みを浮かべているのを、弁の尼の心ばえとは、ずいぶん違うものだと、中の君は不快にご覧になる。もう一人は、「過ぎた日の恋しいことも忘れないけれど、今日はまた、まず先に行く心が立つことよ」。
どちらも年を経た女房たちで、皆、あの大君にお心を寄せ申し上げていたらしいのに、今はこのように思い改めて縁起を担ぐのも情けない世であるよと思われなさるので、中の君は何もおっしゃれず、道のりが遠く険しい山道の有様をご覧になるにつけて、つらいとばかり思われた匂宮の通いの途絶えも、もっともな絶え間だったのだと少し思い知られた。七日の月がさやかに差し出た光が、趣深く霞んでいるのをご覧になりながら、ひどく遠い旅に慣れず苦しいので、物思いにふけられて、「眺めていると、山から出て行く月も、世に住みかねてまた山に入ることよ」。
意訳
移転の日、大勢の前駆に守られて中の君は宇治を発つ。匂宮は大げさになるのを避けて待ち、薫は細やかな手配を整える。年老いた女房たちが移転を喜ぶ歌を詠み、中の君は不快に思う。険しい山道を進みながら、中の君は匂宮の通いが途絶えたのも無理はなかったと知る。七日の月を見て、都に住みかねてまた山に戻る月を詠む。
語釈・文法注
文法
- 「御ぜんの人々」(御ぜんの人々四位五位いとおほかり)
- 御前駆。行列の先払いをする人々。
- 「身をうぢ河に」(身をうぢ河になげてましかば)
- 「宇治」に「憂し」を掛ける。
- 「世にすみわびて山にこそ入れ」(世にすみわびて山にこそ入れ)
- 「住み」に月が「澄み」を掛ける。都に住みかねて山に帰る月に、自分の将来を重ねる。
解説
女房たちは都への移転を素直に喜ぶ。その姿は、宇治に残る弁や、悲しみを抱えた中の君と対照的である。仕える者たちにとって、主人の出世は自分たちの暮らしの安定でもあった。
険しい山道を進む中で、中の君は初めて匂宮の苦労を理解する。宇治と都の距離が、そのまま二人の心の距離でもあった。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、998–1001頁(コマ210–211)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日