源氏物語 第48帖 早蕨(9)
弁の尼
薫は、お移りに必要なことを女房たちに言い置く。この宿の留守番には、あの髭がちの宿直人などが仕えるはずなので、このあたりの近い荘園の者たちなどに、その世話を言いつけるなど、細やかなことまで定めておく。弁は、こうしたお供にも思いがけず、長い命がたいそうつらく思われますのを、人も不吉に思うだろうから、今はこの世にいる者とも人に知られまいと、姿も変えて尼になっていたのを、薫は強いて呼び出して、たいそう哀れと見る。いつものように昔話などをさせて、「ここにはやはり時々参るつもりですが、たいそう頼りなく心細いでしょうから、こうしてあなたがいてくださるのは、たいそう哀れでうれしいことです」などと言い終わらずに泣く。弁は「厭うにつけて延びる命がつらく、また大君はどうせよと私を捨てていかれたのかと恨めしく、世の中すべてを思い沈んでおりますので、罪もどんなに深いでしょう」と思っていたことを訴えるのも愚かしいが、薫はたいそうよく言い慰める。ひどく年老いているが、昔は風情のあった名残の髪を削ぎ捨てたので、額のあたりの様子が変わって少し若くなり、それなりに優雅である。思い余って、どうして大君をこのような尼姿にもして差し上げなかったのだろう、それで命が延びることもあったかもしれない、そうしたらどんなに心深く語り合えたろうなどと一方ならず思われて、この弁さえうらやましいので、隠していた几帳を少し引きやって細やかに語る。ひどく呆けた様子ながら、物を言う様子や心づかいは悪くなく、由緒ある人の名残と見える。弁は「先に立つ涙の川に身を投げたら、人に後れない命だったでしょうに」と泣き顔で申し上げる。薫は「それもたいそう罪深いことです。彼岸に至ることを、どうしてそうもあるまじきことと思って深い底に沈んで過ごすのもつまらない。すべて空しいと悟るべき世なのです」などと言う。薫は、身を投げる涙の川に沈んでも、恋しい折々を忘れることはできまいと詠む。どんな世になったら少しでも思い慰めることがあるだろうと、果てしない心地がする。帰る気にもなれず物思いにふけって日も暮れたが、むやみに旅寝をするのも人が咎めはしないかとつまらないので帰った。
- 1御御おんわたりわたりわたりにににあるあるあるべきべきべき事事ことどもどもども人々人々ひとびとにににのたまひのたまひのたまいおくおくおく。。。このこのこのやどやどやどもりもりもりににに、、、かのかのかの髭髭ひげがちがちがちののの殿殿との居居い人人びとなどなどなどはははさぶらふさぶらふさぶらうべけれべけれべければばば、、、このこのこのわたりわたりわたりののの近近ちかきききみさうみさうみそうどもどもどもなどなどなどににに、、、そのそのその事事ことどもどもどものたまひのたまひのたまいあづけあづけあずけなどなどなどこまめやかこまめやかこまめやかなるなるなる事事ことどもどもどもをををさへさへさへ定定さだめめめ置置おききき給給たまふふう。。。辨辨べんぞぞぞかやうかやうかようののの御御おん供供ともにににももも思思おもひひいかけかけかけずずず、、、長長ながききき命命いのちいといといとつらくつらくつらくおぼえおぼえおぼえ侍侍はべるるるををを、、、人人ひともももゆゝしくゆゝしくゆゆしく思思おもふふうべけれべけれべければばば、、、今今いまははは世世よにににあるあるあるものものものとととももも人人ひとににに知知しららられれれじじじとてとてとてかたちかたちかたちももも變變かへへへてててけるけるけるををを、、、强强しひひいててて召召めししし出出いでででゝゝていといといとあはれあはれあわれととと見見み給給たまふふう。。。例例れいののの昔昔むかし物物もの語語がたりなどなどなどせせせさせさせさせ給給たまひひいててて、、、「「「こゝこゝここにににははは猶猶なお時々時々ときどきははは參參まいりりり來來くべきべきべきををを、、、いといといとたづきたづきたずきなくなくなく心心こころぼそかるぼそかるぼそかるべきべきべきををを、、、かくかくかくててて物物ものししし給給たまははわむむんははは、、、いといといと哀哀あわれににに嬉嬉うれしかるしかるしかるべきべきべきことことことににになむなむなん」」」などなどなどえええもももいひいひいいやらやらやらずずず泣泣なききき給給たまふふう。。。「「「いとふいとふいとうにににはへはへはへてててのびのびのび侍侍はべるるる命命いのちのののつらくつらくつらく、、、又又またいかにいかにいかにせよせよせよとてとてとてうちうちうち捨捨すてててさせさせさせ給給たまひひいけむけむけんとととうらめしくうらめしくうらめしくなべてなべてなべてののの世世よををを思思おもひひい給給たまへへえしづむしづむしずむににに罪罪つみもももいかにいかにいかに深深ふかくくく侍侍はべらららむむん」」」ととと思思おもひひいけるけるける事事ことどもどもどもをををうれへうれへうれえかけかけかけ聞聞きこゆるゆるゆるももも、、、かたくなしけれかたくなしけれかたくなしけれどどど、、、いといといとよくよくよく言言いひひい慰慰なぐさめめめ給給たまふふう。。。いたくいたくいたくねびねびねびにににたれたれたれどどど昔昔むかし情情なさけげげげなりなりなりけるけるける名名な殘殘ごりをををそぎそぎそぎ捨捨すてててたれたれたればばば、、、額額ひたいのののほどほどほどさまさまさま變變かわれれれるるるににに少少すこししし若若わかくくくなりなりなりててて、、、さるさるさる方方かたにににみやびかみやびかみやびかなりなりなり。。。
- 2思思おもひひいわびわびわびてててはははなどなどなどかゝるかゝるかかるさまさまさまにににもももなしなしなし奉奉たてまつらららざりざりざりけむけむけん、、、それそれそれにににのぶるのぶるのぶるやうやうようもももやややあらあらあらましましまし、、、さてもさてもさてもいかにいかにいかに心心こころ深深ふかくくく語語かたらひらひらい聞聞きこえええてててあらあらあらましましましなどなどなど一一ひと方方かたならならならずずずおぼえおぼえおぼえ給給たまふふうににに、、、このこのこの人人ひとさへさへさへうらやましけれうらやましけれうらやましければばば、、、かくろへかくろへかくろえたるたるたる几几き帳帳ちょうををを少少すこししし引引ひきききやりやりやりてててこまやかこまやかこまやかにににぞぞぞ語語かたらひらひらい給給たまひひいけるけるける。。。むげむげむげににに思思おもひひいぼけぼけぼけたるたるたるさまさまさまながらながらながら、、、物物ものうちうちうちいひいひいいたるたるたる氣色氣色けしき用用よう意意い口口くちをしをしおしからからからずずずゆゑゆゑゆえありありありけるけるける人人ひとののの名名な殘殘ごりととと見見みえええたりたりたり。。。「「「さきさきさきににに立立たつつつ淚淚なみだののの川川かわににに身身みをををなげなげなげばばば人人ひとにににおくれおくれおくれぬぬぬいのちいのちいのちならならならましましまし」」」とととうちうちうちひそみひそみひそみ聞聞きこゆゆゆ。。。「「「それそれそれもももいといといと罪罪つみ深深ふかかかかなななるるることことことにににこそこそこそ。。。かのかのかの岸岸きしにににいたるいたるいたることことこと、、、などなどなどかかかさしもさしもさしもあるあるあるまじきまじきまじき事事ことにてにてにて深深ふかききき底底そこににに沈沈しずみみみすぐさすぐさすぐさむむんもももあいなしあいなしあいなし。。。すべてすべてすべて空空むなしくしくしく思思おもひひいとるとるとるべきべきべき世世よににになむなむなん」」」などなどなどのたまふのたまふのたまう。。。「「「身身みををを投投なげげげむむん淚淚なみだののの川川かわにににしづみしづみしずみてててももも戀戀こいしきしきしきせせせゞゞぜににに忘忘わすれれれしもしもしもせせせじじじ」」」。。。いかならいかならいかならむむん世世よににに少少すこしししももも思思おもひひい慰慰なぐさむるむるむることことことありありありなななむむんととと、、、はてはてはてもももなきなきなき心心こころちちちししし給給たまふふう。。。かへらかへらかえらむむん方方かたもももなくなくなく眺眺ながめめめられられられててて日日ひももも暮暮くれれれにににけれけれけれどどど、、、すゞろすゞろすずろににに旅旅たび寢寢ねせせせむむんももも人人ひとののの咎咎とがむるむるむることことことやややとととあいなけれあいなけれあいなければばばかへりかへりかえり給給たまひひいぬぬぬ。。。
現代語訳
薫は、お移りにあたって必要なことどもを、女房たちに言い置きなさる。この宿の留守番には、あの髭がちの宿直人などが仕えるはずなので、このあたりの近い荘園の者たちなどに、その世話をお言いつけになるなど、細やかなことまでも定めておきなさる。弁は、このようなお供にも思いがけず、長い命がたいそうつらく思われますのを、人も不吉に思うでしょうからと、今はこの世にいる者とも人に知られまいと言って、姿も変えて尼になっていたのを、薫は強いて呼び出して、たいそう哀れとご覧になる。いつものように昔話などをおさせになって、「ここにはやはり時々参るつもりですが、たいそう頼りなく心細いはずなのに、こうしてあなたがいてくださるのは、たいそう哀れでうれしいことです」などと、言い終わることもできずにお泣きになる。弁は「厭うにつけて延びます命がつらく、また大君はどうせよと言って私をお捨てになったのかと恨めしく、世の中すべてを思い沈んでおりますので、罪もどんなに深うございましょう」と、思っていたことどもを訴え申し上げるのも愚かしいが、薫はたいそうよく言い慰めなさる。ひどく年老いているが、昔は風情のあった名残の髪を削ぎ捨てたので、額のあたりの様子が変わって少し若くなり、それなりに優雅である。
薫は、思い余っては、どうして大君をこのような尼姿にもして差し上げなかったのだろう、それで命が延びることもあったかもしれない、そうしたら、どんなに心深く語り合い申し上げていられただろうなどと、一方ならず思われなさるので、この弁さえうらやましいので、隠していた几帳を少し引きやって、細やかにお話しになった。ひどく呆けた様子ながら、物を言った様子や心づかいは悪くなく、由緒ある人の名残と見えた。「先に立つ涙の川に身を投げたら、人に後れない命だったでしょうに」と泣き顔で申し上げる。薫は「それもたいそう罪深いことです。彼岸に至ることを、どうしてそうもあるまじきことと思って、深い底に沈んで過ごすのもつまらない。すべて空しいと悟るべき世なのです」などとおっしゃる。「身を投げる涙の川に沈んでも、恋しい折々を忘れることはできまい」。どのような世になったら、少しでも思い慰めることがあるだろうと、果てしない心地がなさる。帰る気にもなれず物思いにふけって日も暮れてしまったけれど、むやみに旅寝をするのも、人が咎めはしないかとつまらないので、お帰りになった。
意訳
薫は宇治の山荘の留守居を手配する。大君の死後に尼となった弁を呼び出し、宇治に残ってくれることに感謝する。弁は、生き長らえる命のつらさを訴える。薫は、大君も尼にしていれば命が延びたかもしれないと思い、弁さえうらやましく思う。二人は涙の川に身を投げる歌を詠み交わし、薫は日暮れに帰る。
語釈・文法注
文法
- 「やどもり」(このやどもりに)
- 宿守。留守番。
- 「かたちも變へてける」(かたちも變へてけるを)
- 姿を変える。尼になること。
- 「かの岸」(かの岸にいたること)
- 彼岸。悟りの境地、極楽浄土。
解説
弁は大君の死後、尼となって宇治に残る。弁は薫の出生の秘密を知る唯一の人物であり、宇治と薫を結ぶ存在として、のちの物語でも重要な役割を果たす。
薫は、大君を出家させていれば命が延びたかもしれないと思う。大君が最後に望んだ受戒を、周囲は許さなかった。薫の後悔は、大君の願いをかなえられなかったことへの悔いでもある。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、996–999頁(コマ209–210)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日