源氏物語 第46帖 椎本(1)
匂宮の初瀬詣で
二月の二十日頃に、兵部卿の宮(匂宮)は初瀬に詣でる。昔からの願だったが、思い立たずに何年も経っていたのを、宇治のあたりでの中宿りへの好奇心に、多くは促されたのだろう。恨めしいと言う人もあった里の名(宇治)が、何となく親しく思われるのもはかないことだ。上達部がたいそう大勢お供する。殿上人などは言うまでもなく、世に残る人も少ないほど仕えた。六条院から伝わって右大臣(夕霧)が領有する所は、川の向こう側にたいそう広く趣深い所で、そこに宿泊の用意をさせた。右大臣も帰りの出迎えに参るつもりだったが、急な物忌で重く慎むべきだと申したので、参れない旨の詫びを申し上げた。匂宮は何となく興ざめに思っていたが、宰相の中将(薫)が今日の出迎えに参り合わせたので、かえって気楽で、あの辺りの様子も伝え聞けるだろうと満足した。右大臣は、うちとけて会いにくく大げさな人だと思っている。右大臣の子息たち、右大弁、侍従の宰相、権中将、頭少将、蔵人の兵衛佐などが皆お仕えする。帝も后も格別に思っている宮なので、世間一般の信望もこの上なく、まして六条院の御方の縁者たちは皆、自分の主君として心を寄せて仕える。土地柄の設えなども趣深く整えて、碁や双六、弾碁の盤などを取り出して、思い思いに遊んで一日を過ごした。
- 1二二きさら月月ぎののの二二はつ十十か日日かのののほどほどほどににに兵兵ひょう部部ぶ卿卿きょうののの宮宮みや初初はつ瀨瀨せにににまうでまうでもうで給給たまふふう。。。ふるきふるきふるき御御おん願願がんなりなりなりけれけれけれどどどおぼしおぼしおぼしもももたゝたゝたたででで年年とし頃頃ごろににになりなりなりにににけるけるけるををを、、、宇宇う治治じのののわたりわたりわたりののの御御おん中中なかやどりやどりやどりのののゆかしさゆかしさゆかしさににに、、、多多おおくくくはははもよほさもよほさもよおされれれ給給たまへへえるるるなるなるなるべしべしべし。。。うらめしうらめしうらめしととといふいふいう人人ひともももありありありけるけるける里里さとののの名名なののの、、、なべてなべてなべてむつましうむつましうむつましゅうおぼさおぼさおぼさるゝるゝるる故故ゆえもももはかなしはかなしはかなしややや。。。上上かん達達だち部部めいといといとあまたあまたあまた仕仕つこうううまつりまつりまつり給給たまふふう。。。殿殿てん上上じょう人人びとなどなどなどはははさらにさらにさらにもももいはいはいわずずず世世よににに殘殘のこるるる人人ひと少少すくなくくく仕仕つこうううまつれまつれまつれりりり。。。六六ろく條條じょう院院いんよりよりよりつたはりつたはりつたわりててて右右みぎののの大大おお殿殿とのしりしりしり給給たまふふう所所ところははは、、、河河かわよりよりよりをちをちおちにににいといといと廣廣ひろくくくおもしろくおもしろくおもしろくてててあるあるあるににに、、、御御おんまうけまうけもうけせせせさせさせさせ給給たまへへえりりり。。。おとゞおとゞおとどもももかへさかへさかえさののの御御おん迎迎むかへへえににに參參まいりりり給給たまふふうべくべくべくおぼしおぼしおぼしたるたるたるををを俄俄にわかなるなるなる御御おん物物もの忌忌いみののの重重おもくくく愼愼つつしみみみ給給たまふふうべくべくべく申申もうしししたれたれたればばば、、、えええ參參まいらららぬぬぬよしよしよしのののかしこまりかしこまりかしこまり申申もうししし給給たまへへえりりり。。。宮宮みや、、、なまなまなますさまじすさまじすさまじとととおぼしおぼしおぼしたるたるたるににに、、、宰宰さい相相しょうののの中中ちゅう將將じょう、、、今今け日日きょうののの御御おん迎迎むかへへえににに參參まいりりりあひあひあい給給たまへへえるるるににになかなかなかなかなかなか心心こころやすくやすくやすくててて、、、かのかのかのわたりわたりわたりのののけしきけしきけしきももも傳傳つたへへえよらよらよらむむんととと御心御心みこころゆきゆきゆきぬぬぬ。。。おとゞおとゞおとどをををばばばうちうちうちとけとけとけててて見見みえええにくゝにくゝにくくことごとしきことごとしきことごとしきものものものににに思思おもひひい聞聞きこえええ給給たまへへえりりり。。。御御み子子こののの公公きん達達だち、、、右右う大大だい辨辨べん、、、侍侍じ從從じゅうののの宰宰さい相相しょう、、、權權ごんの中中ちゅう將將じょう、、、頭頭とうの少少しょう將將しょう、、、藏藏くろう人人どののの兵兵ひょう衛衛えの佐佐すけなどなどなど皆皆みなさぶらひさぶらひさぶらい給給たまふふう。。。帝帝みかど后后きさきももも心心こころことことことににに思思おもひひい聞聞きこえええ給給たまへへえるるる宮宮みやなれなれなればばば大大おおかたかたかたののの御御おんおぼえおぼえおぼえもももいといといとかぎりかぎりかぎりなくなくなく、、、まいてまいてまいて六六ろく條條じょう院院いんののの御御おんかたかたかたざまざまざまはははつきづきつきづきつきずきののの人人ひとももも、、、皆皆みな私私わたくしののの君君きみににに心心こころよせよせよせ仕仕つこうううまつりまつりまつり給給たまふふう所所ところにににつけつけつけたるたるたる御御おんしつらひしつらひしつらいなどなどなどをかしうをかしうおかしゅうしししなしなしなしててて、、、碁碁ごすぐろくすぐろくすぐろくたぎたぎたぎのののばんばんばんどもどもどもなどなどなどとりとりとり出出いでででゝゝて、、、心心こころ々々ごころにににすさびすさびすさびくらしくらしくらし給給たまひひいつつつ。。。
現代語訳
二月の二十日頃に、兵部卿の宮は初瀬に参詣なさる。昔からのご願であったけれど、思い立ちなさらずに何年もたってしまったのを、宇治のあたりでの御中宿りへの好奇心に、多くは促されなさったのだろう。恨めしいと言う人もあった里の名が、何となく親しくお思われになるわけも、はかないことよ。上達部がたいそう大勢お供なさる。殿上人などは言うまでもなく、世に残る人も少ないほどお仕えした。六条院から伝わって、右大臣が領有なさる所は、川の向こう側にたいそう広く趣深い所であるのに、宿泊のご用意をおさせになった。大臣も帰りのお出迎えに参上なさるつもりでいらっしゃったが、急な御物忌で重くお慎みになるべきだと陰陽師が申したので、参上できない旨のお詫びを申し上げなさった。宮は何となく興ざめにお思いになったが、宰相の中将が今日のお出迎えに参り合わせなさったので、かえって気楽で、あの辺りの様子も伝え聞けるだろうと、ご満足なさった。大臣を、うちとけて会いにくく大げさな人だとお思い申し上げていらっしゃった。大臣の御子の公達、右大弁、侍従の宰相、権中将、頭少将、蔵人の兵衛佐などが、皆お仕えなさる。帝も后も格別にお思い申し上げていらっしゃる宮なので、世間一般のご信望もたいそうこの上なく、まして六条院の御方の縁者たちは皆、自分の主君として心を寄せてお仕え申し上げなさる。土地柄にふさわしいお設えなども趣深く整えて、碁や双六、弾碁の盤などを取り出して、思い思いに遊んで一日をお過ごしになった。
意訳
匂宮は宇治の姫君たちへの好奇心から、初瀬詣でに出かけ、宇治の夕霧の別荘に泊まる。夕霧は物忌で出迎えられず、代わりに薫が来たので、匂宮はかえって喜ぶ。夕霧の息子たちも供をして、一日遊んで過ごす。
語釈・文法注
文法
- 「初瀨」(兵部卿の宮初瀨にまうで給ふ)
- 長谷寺。大和の観音霊場。宇治は京から初瀬に向かう途中にある。
- 「うらめしといふ人もありける里の名」(うらめしといふ人もありける里の名の)
- 宇治。「世をうぢ山と人はいふなり」の歌から、憂しと言われる里。
- 「たぎのばん」(碁すぐろくたぎのばんども)
- 弾碁の盤。石を指で弾いて遊ぶ遊戯。
解説
椎本の巻は、匂宮の初瀬詣でから始まる。橋姫の巻で薫から宇治の姫君の話を聞いた匂宮は、参詣にかこつけて宇治を訪れる。匂宮の恋は、好奇心から始まっている。
夕霧の別荘は、源氏から伝わったものである。源氏の遺産が、次の世代の物語の舞台となっている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、907–909頁(コマ164–165)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日