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源氏物語 第41帖 幻(11)

夏から一周忌へ

登場人物:光源氏・中将の君

たいそう暑い頃、源氏は涼しい所で物思いにふけるが、池の蓮の盛りを見るにつけても、「いかに多かる」などとまず思い出されて、呆然としてつくづくと過ごすうちに日も暮れてしまう。ひぐらしの声が華やかに響き、御前の撫子の夕映えを一人で見るのは、本当にかいのないことだった。所在なく自分が泣き暮らす夏の日を、恨みがましく鳴く虫の声よと詠む。蛍がたいそう多く飛び交うのを見ても、「夕殿に蛍飛んで」と、いつものように古い詩句もこのような方面ばかりを口にする。夜を知って光る蛍を見ても悲しいのは、時を選ばぬ思いの火だと詠む。七月七日もいつもと変わることが多く、管絃の遊びもせず所在なく物思いに暮らして、星合を見る人もいない。まだ夜深いうちに一人起きて妻戸を押し開けると、前栽の露がたいそう多く、渡殿の戸から見渡されるので、出て、七夕の逢瀬は雲の彼方のよそごとと見て、別れの庭に露が置き添うと詠む。風の音さえ身にしみるようになる頃、一周忌の法事の準備で八月の初め頃は忙しそうである。今まで過ごしてきた月日よと思うにつけても、呆れるばかりで明かし暮らす。正日には上下の人々が皆精進潔斎して、紫の上が作らせた曼荼羅などを今日供養させる。いつもの宵の勤行に手水を差し上げる中将の君の扇に、君を恋う涙は際限もないのに、今日を何の果てというのでしょうと書きつけてあるのを、源氏は取って見て、人を恋う我が身も末になってゆくが、残り多い涙であることよと書き添える。

夏の夕暮れの二条院で、源氏が一人、蛍の飛び交う庭と撫子の夕映えを眺めて物思いにふけっている場面(AI生成)
夏の夕暮れの二条院で、源氏が一人、蛍の飛び交う庭と撫子の夕映えを眺めて物思いにふけっている場面
  1. 1いといといと暑あつ暑あつあつきききころころころ凉すゞ凉すゞすずしきしきしき方かた方かたかたにてにてにてながめながめながめ給たま給たまたまふふうににに、、、池いけ池いけいけののの蓮はちす蓮はちすはちすののの盛さかり盛さかりさかりなるなるなるををを見み見みみ給たま給たまたまふふうにににいかにいかにいかにおほかるおほかるおおかるなどなどなどまづまづまずおぼしおぼしおぼし出い出いいでででらるゝらるゝらるるににに、、、ほれぼれしくほれぼれしくほれぼれしくてててつくづくつくづくつくずくとととおはするおはするおわする程ほど程ほどほどににに日ひ日ひひももも暮く暮くくれれれにににけりけりけり。。。ひぐらしひぐらしひぐらしののの聲こゑ聲こゑこえはなやかはなやかはなやかなるなるなるににに御お御おお前まへ前まへまえのののなでしこなでしこなでしこののの夕ゆふ夕ゆふゆうばえばえばえををを一ひと一ひとひと人り人りりのみのみのみ見み見みみ給たま給たまたまふふうにににははは、、、實げ實げげにににぞぞぞかひかひかいなかりなかりなかりけるけるける。。。「「「つれづれつれづれつれずれとととわがわがわがなきなきなきくらすくらすくらす夏なつ夏なつなつののの日ひ日ひひをををかごとかごとかごとがましきがましきがましき蟲むし蟲むしむしののの聲こゑ聲こゑこえかなかなかな」」」。。。螢ほたる螢ほたるほたるのののいといといとおほうおほうおおう飛と飛ととびびびちがふちがふちがうももも、、、「「「夕せき夕せきせき殿でん殿でんでんににに螢ほたる螢ほたるほたるとんとんとんででで」」」ととと例れい例れいれいのののふるふるふるごとごとごともももかゝるかゝるかかるすぢすぢすじにににのみのみのみ口くち口くちくちなれなれなれ給たま給たまたまへへえりりり。。。「「「夜よ夜よよをををしるしるしる螢ほたる螢ほたるほたるををを見み見みみてててもももかなしきかなしきかなしきははは時とき時ときときぞぞぞととともももなきなきなきおもひおもひおもいなりなりなりけりけりけり」」」。。。七ふみ七ふみふみ月づき月づきずき七なぬ七なぬなぬ日か日かかももも例れい例れいれいにににかはりかはりかわりたるたるたることことことおほくおほくおおく、、、御おん御おんおんあそびあそびあそびなどなどなどもももししし給たま給たまたまははわでででつれづれつれづれつれずれににに詠なが詠ながながめめめくらしくらしくらし給たま給たまたまひひいててて星ほし星ほしほし合あひ合あひあい見み見みみるるる人ひと人ひとひともももなしなしなし。。。まだまだまだ夜よ夜よよふかうふかうふこう一ひと一ひとひと所ところ所ところところ起お起おおききき居ゐ居ゐい給たま給たまたまひひいててて妻つま妻つまつま戶ど戶どど押お押おおしししあけあけあけ給たま給たまたまへへえるるるににに前せ前せせ栽ざい栽ざいざいのののつゆつゆつゆいといといとしげくしげくしげく渡わた渡わたわた殿どの殿どのどのののの戶と戶ととよりよりよりとほりとほりとおりててて見み見みみ渡わた渡わたわたさささるれるれるればばばいでいでいで給たま給たまたまひひいててて、、、「「「七たな七たなたな夕ばた夕ばたばたののの逢あ逢ああふふうせせせははは雲くも雲くもくものののよそよそよそににに見み見みみてててわかれわかれわかれののの庭には庭にはにわにににつゆつゆつゆぞぞぞおきおきおきそふそふそう」」」。。。
  2. 2風かぜ風かぜかぜののの音おと音おとおとさへさへさへたゞたゞただならならならずずずなりなりなり行ゆ行ゆゆくくく比ころ比ころころしもしもしも、、、御おん御おんおん法ほふ法ほふほう事じ事じじのののいとなみいとなみいとなみにてにてにてついたちついたちついたち比ごろ比ごろごろはははまぎらはしげまぎらはしげまぎらわしげなりなりなり、、、今いま今いまいままでまでまで經へ經へへにににけるけるける月つき月つきつき日ひ日ひひよよよとととおぼすおぼすおぼすにににもももあきれあきれあきれててて明あか明あかあかしししくらしくらしくらし給たま給たまたまふふう。。。御おん御おんおん正しやう正しやうしょう日にち日にちにちにににはははかみかみかみしもしもしもののの人々ひとびと人々ひとびとひとびと皆みな皆みなみないもひいもひいもいしししててて、、、かのかのかの曼まん曼まんまん陀だ陀だだ羅ら羅ららなどなどなど今け今けけ日ふ日ふきょうぞぞぞ供く供くく養やう養やうようせせせさせさせさせたまふたまふたまう。。。例れい例れいれいののの宵よひ宵よひよいののの御おん御おんおんおこなひおこなひおこないににに御おん御おんおん手て手てて水うづ水うづずまゐらまゐらまいらするするする中ちゆう中ちゆうちゅう將じやう將じやうじょうののの君きみ君きみきみののの扇あふぎ扇あふぎおうぎににに、、、「「「君きみ君きみきみこふるこふるこうる淚なみだ淚なみだなみだはははきはきはきわもももなきなきなきものものものををを今け今けけ日ふ日ふきょうをををばばばなになになにのののはてはてはてととといふいふいうらむらむらん」」」とととかきかきかきつけつけつけたるたるたるをををとりとりとりててて見み見みみ給たま給たまたまひひいててて「「「人ひと人ひとひとこふるこふるこうる我わ我わわががが身み身みみももも末すゑ末すゑすえににになりなりなりゆけゆけゆけどどどのこりのこりのこりおほかるおほかるおおかる淚なみだ淚なみだなみだなりなりなりけりけりけり」」」とととかきかきかきそへそへそえ給たま給たまたまふふう。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

たいそう暑い頃、涼しい方で物思いにふけっていらっしゃるが、池の蓮の盛りであるのをご覧になるにつけても、「いかに多かる」などとまず思い出されなさるので、呆然として、つくづくといらっしゃるうちに、日も暮れてしまった。ひぐらしの声が華やかに響くのに、御前の撫子の夕映えを一人だけでご覧になるのは、本当にかいのないことだった。「所在なく、私が泣き暮らしている夏の日を、恨みがましく鳴く虫の声であることよ」。蛍がたいそう多く飛び交うのも、「夕殿に蛍飛んで」と、いつものように古い詩句も、このような方面ばかりを口癖にしていらっしゃった。「夜を知って光る蛍を見ても悲しいのは、時を選ばずに燃える思いの火であることよ」。七月七日も、例年と変わったことが多く、管絃の遊びなどもなさらず、所在なく物思いに暮らしなさって、星合を見る人もいない。まだ夜深いうちに、一人起きていらっしゃって、妻戸を押し開けなさると、前栽の露がたいそう多く、渡殿の戸から通して見渡されるので、お出になって、「七夕の逢瀬は、雲の彼方のよそごととして見て、別れの庭に、私の涙の露が置き添うことだ」。

風の音さえ身にしみるようになってゆく頃、一周忌のご法事の準備で、八月の初め頃は忙しそうである。今まで過ごしてきた月日よとお思いになるにつけても、呆れるばかりで明かし暮らしなさる。御正日には、上下の人々が皆精進潔斎して、あの曼荼羅などを、今日こそ供養させなさる。いつもの宵の御勤行に、御手水を差し上げる中将の君の扇に、「君を恋う涙は際限もないのに、今日を何の果てというのでしょう」と書きつけてあるのを、源氏は取ってご覧になって、「人を恋う我が身も、末になってゆくけれど、まだ残り多い涙であることよ」と書き添えなさる。

意訳

夏、源氏は蓮や撫子、蛍を見ても紫の上を思い、七夕の夜には一人別れの庭の露を詠む。

一周忌の法要で曼荼羅を供養し、中将の君の扇に書かれた歌に、源氏は尽きない涙を詠み添える。

語釈・文法注

文法

「いかにおほかる」(いかにおほかるなどまづおぼし出でらるゝ)
「悲しさぞまさりにまさる人の身にいかに多かる涙なりけり」などの古歌によるとされる。
「夕殿に螢とんで」(夕殿に螢とんでと例のふるごとも)
白居易「長恨歌」の「夕殿に蛍飛んで思ひ悄然たり」。楊貴妃を失った玄宗の悲しみをうたう句。
「星合」(星合見る人もなし)
七夕の夜に牽牛と織女が逢うこと。
「御正日」(御正日にはかみしもの人々皆いもひして)
一周忌の当日。紫の上は八月十四日に亡くなった。

解説

夏の景物、蓮、ひぐらし、撫子、蛍のすべてが紫の上の不在を思わせる。「長恨歌」の句を口ずさむ源氏は、楊貴妃を失った玄宗に自らを重ねている。七夕の逢瀬も、別れの庭に置く露としか見えない。

一周忌の法要が営まれ、紫の上の作った曼荼羅が供養される。中将の君は「今日を何の果てといふらむ」と、喪の果ても悲しみの果てではないと詠む。源氏の涙もまた尽きることがない。

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出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、834–837頁(コマ128–129)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日