源氏物語 第41帖 幻(10)
五月雨の夜と夕霧
五月雨の頃は、ますます物思いに暮らすほかはなく物寂しいが、十日余りの月が華やかに出た雲間が珍しいので、夕霧が御前に控える。花橘が月光にくっきり見え、その香りも追い風に懐かしいので、千年を経た声のほととぎすも鳴いてほしいと待たれるうちに、急に立ち出たむら雲の様子が意地悪く、激しく降ってくる雨に加えて、さっと吹く風に燈籠も吹き消されて空も暗い心地がするので、源氏は窓を打つ雨の声などと、珍しくもない古い詩句を口ずさむのも折柄か、妹が垣根に訪れさせたい美しい声である。源氏は、独り住みは特に変わることもないが、不思議と物寂しいものだった、深い山住みをするにも、こうして身を慣らしておけば、格別に心が澄むだろうと言って、女房に果物などを差し上げさせよ、男たちを呼ぶのも大げさだと言う。夕霧は、源氏がただ空を眺めている様子が尽きず心苦しいので、このように紛れることもないのでは、勤行にも心を澄まされるのは難しいのではと見る。夕霧自身、ほのかに見た紫の上の面影さえ忘れがたいのだから、まして源氏はもっともだと思う。夕霧が、昨日今日と思ううちに一周忌もだんだん近くなりました、どのようにとお考えでしょうかと尋ねると、源氏は、何ほど世の常と違うことをしよう、紫の上が作っておいた極楽曼荼羅などを今回供養しよう、経なども多くあったのを、某僧都が皆その意向を詳しく聞いているそうなので、また加えて行うことも、その僧都の言うに従ってしようと言う。夕霧が、このようなことを前もって取り決めておかれたのは安心なことだが、この世ではかりそめのご縁だったと見ると、形見と言えるほどの子さえ残されなかったのが残念ですと言うと、源氏は、それはかりそめではなく、長生きの人々にもそういうことは少なかった、自分の残念な運なのだ、あなたこそ一門を広げてくださいと言う。何事につけてもこらえがたい心弱さが気恥ずかしくて、過ぎたことはあまり口に出さないでいると、待たれていたほととぎすがほのかに鳴いたのも、どうして知って鳴くのかと、聞く人も平静ではいられない。源氏は、亡き人を偲ぶ宵の村雨に濡れてやって来たのか、山ほととぎすよと詠んで、いっそう空を眺める。夕霧は、ほととぎすよ、亡き人に伝えてほしい、古里の花橘は今が盛りだと、と詠む。女房たちも多く詠んだが、ここには書き留めない。夕霧はそのまま宿直する。寂しい独り寝が気の毒なので、時々このように宿直するが、紫の上の生前には、たいそう遠ざけられていた御座の辺りから、あまり離れずにいることなどにつけても、思い出されることが多い。

- 1五五さ月月み雨雨だれはははいとゞいとゞいとどながめながめながめくらしくらしくらし給給たまふふうよりよりより外外ほかののの事事ことなくなくなくさうざうしきさうざうしきそうぞうしきににに、、、十十じゅう餘餘よ日日かののの月月つき花花はなやかやかやかにににさしさしさし出出いでででたるたるたる雲雲くも間間まのののめづらしきめづらしきめずらしきににに大大だい將將しょうののの君君きみ御御お前前まえにににさぶらひさぶらひさぶらい給給たまふふう。。。花花はなたちばなたちばなたちばなののの月月つきかげかげかげにににいといといときはやかきはやかきわやかににに見見みゆるゆるゆるかをりかをりかおりももも追追お風風ひかぜなつかしけれなつかしけれなつかしければばば千千ち世世よをををならせならせならせるるる聲聲こえもももせせせなむなむなんとととまたまたまたるゝるゝるるほどほどほどににに、、、俄俄にわかににに立立たちちち出出いづるづるずるむらむらむら雲雲くものののけしきけしきけしきいといといとあやにくあやにくあやにくにてにてにておどろおどろしうおどろおどろしうおどろおどろしゅうふりふりふりくるくるくる雨雨あめにににそひそひそいててて、、、さとさとさと吹吹ふくくく風風かぜにににとうろとうろとうろももも吹吹ふきききまどはしまどはしまどわしててて空空そらくらきくらきくらき心地心地ここちするするするににに、、、窓窓まどをををうつうつうつ聲聲こえなどなどなどめづらしからめづらしからめずらしからぬぬぬふるふるふるごとごとごとをををうちうちうち誦誦ずししし給給たまへへえるるるももも折折おりからからからにににややや。。。妹妹いもががが垣垣かき根根ねにににおとなはおとなはおとなわせせせまほしきまほしきまほしき御御おん聲聲こえなりなりなり。。。「「「獨獨ひとり住住ずみみみははは殊殊ことにににかはるかはるかわることことことなけれなけれなけれどどどあやしうあやしうあやしゅうさうざうしくさうざうしくそうぞうしくこそこそこそありありありけれけれけれ。。。深深ふかききき山山やま住住ずみみみせせせむむんにににもももかくかくかくててて身身みをををならはしならはしならわしたらたらたらむむんはははことことことなうなうのう心心こころすみすみすみぬぬぬべきべきべきわざわざわざなりなりなりけりけりけり」」」などなどなどのたまひのたまひのたまいててて「「「女房女房にょうぼうこゝこゝここにににくだものくだものくだものなどなどなど參參まいらららせよせよせよ。。。男男おとこどもどもども召召めさささむむんもももことごとしきことごとしきことごとしき程程ほどなりなりなり」」」などなどなどのたまふのたまふのたまう。。。心心こころにににはははたゞたゞただ空空そらををを眺眺ながめめめ給給たまふふう御御おん氣色氣色けしきのののつきせつきせつきせずずず心苦心苦こころぐるしけれしけれしければばばかくかくかくのみのみのみおぼしおぼしおぼしまぎれまぎれまぎれずずずははは、、、御御おん行行おこなひひいにににももも御心御心みこころすましすましすまし給給たまははわむむんことことことかたくかたくかたくやややととと見見み奉奉たてまつりりり給給たまふふう。。。ほのかほのかほのかににに見見みししし御御おん面面おも影影かげだにだにだに忘忘わすれれれがたしがたしがたし。。。ましてましてましてことわりことわりことわりぞぞぞかしかしかしととと思思おもひひい居居い給給たまへへえりりり。。。
- 2昨日昨日きのう今今け日日きょうととと思思おもひひい給給たまふるふるうるほどほどほどににに御御おんはてはてはてもももやうやうやうやうようよう近近ちこうううなりなりなり侍侍はべりりりにににけりけりけり。。。いかやういかやういかようにににかかかおきておきておきておぼしめすおぼしめすおぼしめすらむらむらんととと申申もうししし給給たまへへえばばば「「「何何なにばかりばかりばかり世世よののの常常つねならならならぬぬぬことことことをををかかかはははものせものせものせむむん。。。かのかのかのしししおかおかおかれれれたるたるたる極極ごく樂樂らくのののまだらまだらまだらなどなどなどこのこのこの度度たびなむなむなん供供く養養ようすすすべきべきべき。。。經經きょうなどなどなどもももあまたあまたあまたありありありけるけるけるをををなにがしなにがしなにがし僧僧そう都都ず皆皆みなそのそのその心心こころくはしうくはしうくわしゅう聞聞きききき置置おきききたたたなれなれなればばば又又また加加くわへへえてててすすすべきべきべきことことことゞゞどもももゝゝもかのかのかの僧僧そう都都ずのののいはいはいわむむんににに從從したがひひいてててなむなむなん物物ものすすすべきべきべき」」」などなどなどのたまふのたまふのたまう。。。「「「かやうかやうかようのののことことことゞゞどももももともともとよりよりよりとりとりとりたてたてたてゝゝておぼしおぼしおぼしおきておきておきてけるけるけるはははうしろやすきうしろやすきうしろやすきわざわざわざなれなれなれどどどこのこのこの世世よにににはははかりそめかりそめかりそめののの御御おん契契ちぎりなりなりなりけりけりけりととと見見み給給たまふふうにににはははかたみかたみかたみととといふいふいうばかりばかりばかり留留とどめめめ聞聞きこえええ給給たまへへえるるる人人ひとだにだにだにものしものしものし給給たまははわぬぬぬこそこそこそ口惜口惜くちおしうしうしゅう侍侍はべりりりけれけれけれ」」」ととと申申もうししし給給たまへへえばばば、、、「「「それそれそれはははかりそめかりそめかりそめならならならずずず、、、命命いのちながきながきながき人々人々ひとびとにににもももさやうさやうさようなるなるなることことことののの大大おお方方かた少少すくなかりかりかりけるけるけるみづからみづからみずからののの口惜口惜くちおしさしさしさにににこそこそこそ。。。そこそこそこにににこそこそこそはははかどかどかどはははひろげひろげひろげ給給たまははわめめめ」」」などなどなどのたまふのたまふのたまう。。。何何なに事事ごとにににつけつけつけてててももも忍忍しのびびびがたきがたきがたき御心御心みこころよわさよわさよわさのののつゝましくつゝましくつつましくててて過過すぎぎぎにににしししことことこといたういたういとうもももののの給給のたまひひい出出いでででぬぬぬににに、、、またまたまたれれれつるつるつる杜杜ほとと鵑鵑ぎすのののほのかほのかほのかにににうちうちうち鳴鳴なきききたるたるたるもももいかにいかにいかにしりしりしりてててかかかととと、、、聞聞きくくく人人ひとたゞたゞただならならならずずず。。。「「「なきなきなき人人ひとををを忍忍しのぶるぶるぶるよひよひよいののの村村むら雨雨さめにににぬれぬれぬれてててやややきつるきつるきつる山山やまほとゝぎすほとゝぎすおととぎす」」」。。。いとゞいとゞいとど空空そらをををながめながめながめ給給たまふふう。。。大大だい將將しょう、、、「「「杜杜ほとと鵑鵑ぎすきみきみきみにににつてつてつてなむなむなんふるさとふるさとふるさとののの花花はなたちばなたちばなたちばなははは今今いまぞぞぞさかりさかりさかりととと」」」。。。女房女房にょうぼうなどなどなど多多おおくくくいひいひいいあつめあつめあつめたれたれたれどどどとゞめとゞめとどめずずず。。。大大だい將將しょうののの君君きみはははやがてやがてやがて御御おんとのゐとのゐとのいににに侍侍さぶらひひい給給たまふふう。。。さびしきさびしきさびしき御御おん獨獨ひとり寢寢ねののの心苦心苦こころぐるしけれしけれしければばば時々時々ときどきかやうかやうかようににに侍侍さぶらひひい給給たまふふうをををおはせおはせおわせししし夜夜よはははいといといとけけけどほかりどほかりどおかりししし。。。おましおましおましのののあたりあたりあたりのののいたういたういとうももも立立たちちち離離はなれれれぬぬぬなどなどなどにににつけつけつけててて思思おもひひい出出いでででらるゝらるゝらるることことことゞゞどもももおほかりおほかりおおかり。。。
現代語訳
五月雨の頃は、いっそう物思いにふけって暮らしなさるほかのことはなく物寂しいが、十日余りの月が華やかに出た雲間が珍しいので、大将の君(夕霧)が御前にお控えになる。花橘が月光にたいそうくっきりと見え、その香りも追い風に懐かしいので、千年を経た声のほととぎすも鳴いてほしいと待たれるうちに、急に立ち出たむら雲の様子がたいそう意地悪く、おどろおどろしく降ってくる雨に加えて、さっと吹く風に燈籠も吹き消されて、空が暗い心地がするので、源氏が「窓を打つ声」などと、珍しくもない古い詩句を口ずさみなさるのも、折柄だろうか、妹が垣根に訪れさせたいようなお声である。源氏は「独り住みは特に変わることもないけれど、不思議と物寂しいものだった。深い山住みをするにも、このように身を慣らしておけば、格別に心が澄むにちがいないことだった」などとおっしゃって、「女房よ、ここに果物などを差し上げなさい。男たちを呼ぶのも大げさな時分だ」などとおっしゃる。夕霧は心の中では、ただ空を眺めていらっしゃるご様子が尽きず心苦しいので、このようにばかり紛れることもなくいらっしゃっては、ご勤行にもお心を澄ませなさることは難しいのではないかと拝見なさる。自分がほのかに見た紫の上の面影さえ忘れがたい、まして源氏がそうなのはもっともなことだと思っていらっしゃった。
夕霧が「昨日今日と存じますうちに、一周忌もだんだん近くなってまいりました。どのようにお取り決めになるおつもりでしょうか」と申し上げなさると、源氏は「何ほど世の常と違うことをしようか。あの紫の上が作っておかれた極楽曼荼羅などを、今度供養しよう。経なども多くあったのを、某僧都が皆その意向を詳しく聞いておいたそうなので、また加えて行うべきことなども、その僧都の言うのに従ってしよう」などとおっしゃる。夕霧が「このようなことを、もとから取り立ててお取り決めになっていたのは安心なことですが、この世ではかりそめのご縁だったのだと見ますと、形見と言えるほど残し申し上げなさった子さえいらっしゃらないのが残念でございます」と申し上げなさると、源氏は「それはかりそめなのではない。長生きの人々にも、そのようなことが大方少なかった、自分自身の残念な運なのだ。あなたこそ一門を広げてください」などとおっしゃる。何事につけても、こらえがたいお心弱さが気恥ずかしくて、過ぎたことはあまりおっしゃり出さないでいると、待たれていたほととぎすがほのかに鳴いたのも、どうして知ってのことかと、聞く人も平静ではいられない。「亡き人を偲ぶ宵の村雨に濡れて、やって来たのか、山ほととぎすよ」。いっそう空を眺めなさる。大将は「ほととぎすよ、亡き人に伝えておくれ。古里の花橘は、今が盛りだと」。女房たちなども多く詠み集めたが、ここには書き留めない。大将の君はそのまま宿直にお控えになる。寂しい独り寝がお気の毒なので、時々このように控えていらっしゃるが、紫の上がいらっしゃった頃は、たいそう遠ざけられていた御座の辺りから、あまり離れずにいることなどにつけて、思い出されることが多い。
意訳
五月雨の夜、源氏は夕霧と語らい、独り住みの寂しさを語る。夕霧は、源氏の悲しみの深さを思う。
一周忌の相談で、源氏は紫の上の作った曼荼羅を供養すると言い、子がなかったのは自分の運だと語る。ほととぎすが鳴き、二人は亡き人を偲ぶ歌を詠む。
語釈・文法注
文法
- 「窓をうつ聲」(窓をうつ聲などめづらしからぬふるごと)
- 白居易の詩「上陽白髪人」の「蕭蕭たる暗雨窓を打つ声」による。
- 「千世をならせる聲」(千世をならせる聲もせなむ)
- 千年も鳴き慣らした声。ほととぎすの声をいう。
- 「まだら」(極樂のまだらなど)
- 曼荼羅。紫の上が作らせた極楽浄土の図。
- 「かどはひろげ」(そこにこそはかどはひろげ給はめ)
- 一門を広げる、子孫を繁栄させる。
解説
五月雨の夜の源氏と夕霧の語らいは、父と子の静かな時間である。ほととぎすの声に、二人はそれぞれ亡き人を偲ぶ。夕霧の心には、野分の日に見た紫の上の面影がある。
紫の上に子がなかったことを夕霧が惜しむと、源氏はそれを自分の運だと言う。源氏の子は少なく、夕霧に一門の繁栄を託す。紫の上の作った曼荼羅を供養することが、源氏にとっての最後の務めとなる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、832–835頁(コマ127–128)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日