源氏物語 第41帖 幻(7)
明石の御方との語らい
夕暮れの霞がおぼろで趣深い頃なので、源氏はそのまま明石の御方のもとへ行く。久しく顔も見せなかったのに思いがけない折なので、明石は驚くが、感じよく奥ゆかしい様子で振る舞っているので、やはり人よりはまさっていると見るにつけても、紫の上はまたこのようではなく、別の風情で趣を見せていたと比べられて、面影が恋しく悲しさばかりが増すので、どうしたら慰められる心なのかと、比べるのもつらい。こちらでは落ち着いて昔話などをする。源氏は、人を哀れと心にとめるのはたいそう悪いことだと昔から悟って、どんな方面でもこの世に執着が残らないよう心がけてきたが、世間一般のことで身が無駄に落ちぶれそうだった頃(須磨の頃)には、あれこれ思い巡らして、命も自ら捨て、野山の果てにさすらっても特に妨げはないと思うようになったのに、晩年の今、最期も近い身で、あってはならない絆に多くかかずらって今まで過ごしてきたのが、心弱くもどかしいことなどと、紫の上一人の悲しさとは言わないが、その思いがもっともで心苦しいので、明石は気の毒に思って、世間で何ほども惜しむ様子のない人でさえ、心の中の絆は自然と多いものだそうなのに、ましてどうして気安く捨てられましょう、そのように浅はかなことは、かえって軽々しい非難なども立って、なまじなことになるそうなので、思い立たれるのが遅いようでも、最後に住み果てる道は深いでしょうと思われます、昔の例を聞くにつけても、心に驚いたり、思いと違うことがあったりして、世を厭うきっかけになるとか、それはやはりよくないことです、やはりしばらく心を落ち着けて、宮たちも大人になり、本当に揺るぎないご様子を見届けられるまでは、乱れなくおられるのが、安心でも嬉しくもありましょうなどと、たいそう大人びて申し上げる様子が感じよい。源氏は、そこまで思いを落ち着ける心の深さこそ、浅い心に劣るだろうと言って、昔からの物思いを語り出す中に、亡き藤壺の宮が亡くなった春は、花の色を見ても、心があるなら墨染めに咲けと思われた、それは世間一般につけてもすばらしかったご様子を幼い頃から見て心にしみていたので、その最期の悲しさも人より格別に思われたのだ、自分が特に愛する心にばかり物の哀れはよらないものだ、長年連れ添った人に後れて心を静めようもなく忘れがたいのも、ただ夫婦の仲の悲しさばかりではない、幼い頃から育て上げた有様や、共に老いた晩年に見捨てられて、我が身のことも相手のことも思い続けられる悲しさが耐えがたいのだ、すべて物の哀れも趣あることも、広く思い巡らすと、方々重なることが浅くなくなるのだったなどと、夜が更けるまで昔今の話をして、こうして夜を明かしてもよいと思いながら帰っていくのを、明石も物哀れに思うだろう。源氏自身の心にも、妙なことになってしまったと思い知られる。

- 1夕夕ゆう暮暮ぐれののの霞霞かすみたどたどしうたどたどしうたどたどしゅうをかしきをかしきおかしき程程ほどなれなれなればばば、、、やがてやがてやがて明明あか石石しののの御御おん方方かたににに渡渡わたりりり給給たまへへえりりり。。。久久ひさしうしうしゅうさしさしさしももものぞきのぞきのぞき給給たまははわぬぬぬににに覺覺おぼえええなきなきなき折折おりなれなれなればばば打打うちちち驚驚おどろかかかるれるれるれどどど、、、さまさまさまようようようけはひけはひけはい心心こころにくゝにくゝにくくもてもてもてつけつけつけててて、、、猶猶なおこそこそこそ人人ひとにににははは優優まさりりりたれたれたれととと見見み給給たまふふうにににつけつけつけてててははは、、、又又またかうかうこうざまざまざまにににはははあらあらあらでででこそこそこそ故故ゆえよしよしよしをををももももてもてもてなしなしなし給給たまへへえりりりしかしかしかとととおぼしおぼしおぼしくらべくらべくらべらるゝらるゝらるるにににももも面面おも影影かげににに戀戀こいしうしうしゅう悲悲かなしさしさしさのみのみのみ增增まされれればばば、、、いかにいかにいかにしししててて慰慰なぐさむむむべきべきべき心心こころぞぞぞととといといといとくらべくらべくらべ苦苦くるししし。。。こなたこなたこなたにてにてにてはははのどやかのどやかのどやかににに昔昔むかし物語物語ものがたりなどなどなどししし給給たまふふう。。。「「「人人ひとをををあはれあはれあわれととと心心こころ留留とどめめめむむんはははいといといとわるかるわるかるわるかるべきべきべきことことことゝゝといにしへいにしへいにしえよりよりより思思おもひひいえええててて、、、すべてすべてすべていかなるいかなるいかなる方方かたにににもももこのこのこの世世よにににしふしふしゅうとまるとまるとまるべきべきべきことことことなくなくなくととと心心こころづかひづかひずかいをををせせせしししににに、、、大大おお方方かたののの世世よにににつけつけつけててて身身みのののいたづらいたづらいたずらにににはふれはふれはふれぬぬぬべかりべかりべかりししし比比ころほひほひおいなどなどなど、、、とざまとざまとざまかうざまかうざまこうざまににに思思おもひひいめぐらしめぐらしめぐらしゝゝしににに、、、命命いのちをををもももみづからみづからみずから捨捨すつつつべくべくべく、、、野野の山山やまののの末末すえにににはふらかさはふらかさはふらかさむむんににに殊殊ことなるなるなるさはりさはりさわりあるあるあるまじうまじうまじゅうなむなむなん思思おもひひいなりなりなりしししををを末末すえののの世世よににに今今いまはははかぎりかぎりかぎりののの程程ほど近近ちかききき身身みにてにてにてしもしもしもあるあるあるまじきまじきまじきほだしほだしほだし多多おおうううかゝづらひかゝづらひかかずらいててて、、、今今いままでまでまで過過すぐしぐしぐしてててけるけるけるががが心心こころ弱弱よおうううもどかしきもどかしきもどかしきことことことなどなどなど、、、さしてさしてさしてひとひとひとすぢすぢすじののの悲悲かなしさしさしさにににのみのみのみはははのたまはのたまはのたまわねねねどどど、、、おぼしおぼしおぼしたるたるたるさまさまさまのののことわりことわりことわりににに心苦心苦こころぐるしきしきしきをををいとほしういとほしういとおしゅう見見み奉奉たてまつりりりててて、、、大大おお方方かたののの人人ひとめめめににに何何なにばかりばかりばかり惜惜おしげしげしげなきなきなき人人ひとだにだにだに心心こころのののうちうちうちのののほだしほだしほだしおのづからおのづからおのずからおほうおほうおおう侍侍はべるるるなるなるなるををを、、、ましてましてましていかでいかでいかでかかかははは心心こころやすくやすくやすくもももおぼしおぼしおぼし捨捨すてててむむん。。。さやうさやうさようにににあざへあざへあざえたるたるたることことことはははかへりてかへりてかえりてかるがるしきかるがるしきかるがるしきもどかしさもどかしさもどかしさなどなどなどももも立立たちちち出出いでででゝゝてなかなかなかなかなかなかなるなるなる事事ことなどなどなど侍侍はべるるるなるなるなるをををおぼしおぼしおぼしたつたつたつ程程ほどにぶきにぶきにぶきやうやうようににに侍侍はべらららむむんややや。。。またまたまた遂遂ついににに住住すみみみはてはてはてさせさせさせ給給たまふふう方方かた深深ふこううう侍侍はべらららむむんととと思思おもひひいやらやらやられれれ侍侍はべりりりてててこそこそこそ。。。古古いにしえのののためしためしためしなどなどなどををを聞聞きききき侍侍はべるるるにににつけつけつけてててももも心心こころににに驚驚おどろかかかれれれ思思おもふふうよりよりより違違たがふふうふしふしふしありありありててて世世よををを厭厭いとふふうついでついでついでににになるなるなるとととかかか。。。それそれそれははは猶猶なおわるきわるきわるきことことことゝゝとこそこそこそ。。。猶猶なおしばししばししばしおぼしおぼしおぼしのどめのどめのどめさせさせさせ給給たまひひいててて宮宮みやたちたちたちなどなどなどもももおとなびおとなびおとなびさせさせさせ給給たまひひいまことまことまことににに動動うごきききなかるなかるなかるべきべきべき御御おん有有あり樣樣さまににに見見み奉奉たてまつりりりなさなさなさせせせ給給たまははわむむんまでまでまでははは亂亂みだれれれなくなくなく侍侍はべらららむむんこそこそこそ、、、心心こころやすくやすくやすくもももうれしくうれしくうれしくももも侍侍はべるるるべけれべけれべけれ」」」などなどなどいといといとおとなびおとなびおとなびててて聞聞きこえええたるたるたるけしきけしきけしきいといといとめやすしめやすしめやすし。。。
- 2「「「さささまでまでまで思思おもひひいのどめのどめのどめむむん心心こころ深深ふかさささこそこそこそ淺淺あさきききににに劣劣おとりりりぬぬぬべけれべけれべけれ」」」などなどなどのたまひのたまひのたまいててて、、、昔昔むかしよりよりより物物ものををを思思おもふふうことことことなどなどなど語語かたりりり出出いででで給給たまふふう中中なかににに「「「故故こきさいきさいきさいののの宮宮みやのののかくれかくれかくれ給給たまへへえりりりししし春春はるなむなむなん、、、花花はなののの色色いろををを見見みてててももも誠誠まことににに心心こころあらあらあらばばばとととおぼえおぼえおぼえししし。。。それそれそれははは大大おお方方かたののの世世よにににつけつけつけてててをかしかりをかしかりおかしかりししし御御おん有有あり樣樣さまををををさなくをさなくおさなくよりよりより見見み奉奉たてまつりりりしみしみしみててて、、、さるさるさるとぢめとぢめとじめのののかなしさかなしさかなしさももも人人ひとよりよりより殊殊ことにににおぼえおぼえおぼえしししなりなりなり。。。みづからみづからみずからとりわくとりわくとりわく心心こころざしざしざしにににしもしもしも物物ものののの哀哀あわれはははよらよらよらぬぬぬわざわざわざなりなりなり。。。年年とし經經へぬるぬるぬる人人ひとにににおくれおくれおくれててて心心こころをさめをさめおさめむむんかたかたかたなくなくなく忘忘わすれれれがたきがたきがたきももも唯唯ただかゝるかゝるかかる中中なかのののかなしさかなしさかなしさのみのみのみにににはははあらあらあらずずず。。。幼幼おさなききき程程ほどよりよりよりおほしおほしおおしたてたてたてしししありさまありさまありさま諸諸もろ共共ともににに老老おいいいぬるぬるぬる末末すえののの世世よににに打打うちちち捨捨すてててられられられててて、、、我我わががが身身みももも人人ひとののの身身みももも思思おもひひいつゞけつゞけつづけらるゝらるゝらるる悲悲かなしさしさしさののの堪堪たえええ難難がたきききににになむなむなん。。。すべてすべてすべて物物ものののの哀哀あわれももも故故ゆえあるあるあることことこともももをかしきをかしきおかしきすぢすぢすじももも廣廣ひろうううおもひおもひおもいめぐらすめぐらすめぐらす。。。方方かた々々がたそふそふそうことことことののの淺淺あさからからからずずずなるなるなるににになむなむなんありありありけるけるける」」」などなどなど夜夜よ更更ふくるくるくるまでまでまで今今いま昔昔むかしののの御御おん物語物語ものがたりにににかくかくかくてててももも明明あかしししつつつべきべきべき夜夜よをををとととおぼしおぼしおぼしながらながらながらかへりかへりかえり給給たまふふうををを女女おんなももも物物もの哀哀あわれににに思思おもふふうべしべしべし。。。我我わががが御心御心みこころにににもももあやしくあやしくあやしくもももなりなりなりにににけるけるけるかなかなかなとととおぼしおぼしおぼししらしらしらるるる。。。
現代語訳
夕暮れの霞がおぼろで趣深い頃なので、源氏はそのまま明石の御方のもとにお渡りになった。久しく少しも顔をお見せにならなかったのに、思いがけない折なので、明石は驚かずにはいられないが、感じよく奥ゆかしい様子で振る舞って、やはり人よりはまさっていると見なさるにつけては、紫の上はまた、このようではなく別の風情で、趣も見せていらっしゃったとお比べになるにつけても、面影が恋しく、悲しさばかりが増すので、どうしたら慰められる心なのだろうと、比べるのもたいそうつらい。こちらでは、落ち着いて昔話などをなさる。源氏は「人を哀れと心にとめるのは、たいそう悪いことだと、昔から悟って、すべてどのような方面にも、この世に執着がとどまることがないようにと心がけてきたが、世間一般のことで、身が無駄に落ちぶれてしまいそうだった頃(須磨の頃)など、あれこれ思い巡らしたので、命をも自ら捨て、野山の果てにさすらわせても、特に妨げはないと思うようになったのに、晩年の今、最期の時も近い身で、あってはならない絆に多くかかずらって、今まで過ごしてきたのが、心弱くもどかしいことです」などと、特に紫の上一人の悲しさとばかりはおっしゃらないが、お思いになっている様子がもっともで心苦しいのを、明石は気の毒に拝見して、「世間一般の目で、何ほども惜しむ様子のない人でさえ、心の中の絆は自然と多いものだそうですのに、ましてどうして気安くお捨てになれましょう。そのように浅はかなことは、かえって軽々しい非難なども立って、なまじなことになるなどと申しますので、お思い立ちになるのが遅いようでございましょうか。また最後に住み果てなさる道は深うございましょうと思いやられますので。昔の例などを聞きますにつけても、心に驚いたり、思っていたのと違うことがあったりして、世を厭うきっかけになるとか。それはやはりよくないことでございます。やはりしばらくお心を落ち着けなさって、宮たちなども大人におなりになり、本当に揺るぎないご様子をお見届けになるまでは、乱れなくいらっしゃるのこそ、安心でも嬉しくもございましょう」などと、たいそう大人びて申し上げた様子が、たいそう感じがよい。
源氏は「そこまで思いを落ち着けているような心の深さこそ、浅い心に劣るでしょう」などとおっしゃって、昔からの物思いなどを語り出しなさる中に、「亡き后の宮(藤壺)がお亡くなりになった春こそ、花の色を見ても、本当に心があるなら墨染めに咲けと思われました。それは世間一般につけても、すばらしかったご様子を幼い頃から見申し上げて心にしみていたので、その最期の悲しさも、人より格別に思われたのです。自分が特別に愛する心にばかり、物の哀れはよるものではないのです。長年連れ添った人に後れて、心を静めようもなく忘れがたいのも、ただこのような夫婦の仲の悲しさばかりではありません。幼い頃から育て上げた有様や、共に老いた晩年に見捨てられて、我が身のことも相手のことも思い続けられる悲しさが、耐えがたいのです。すべて物の哀れも、由緒あることも、趣深い方面も、広く思い巡らすと、方々重なることが浅くなくなるのでした」などと、夜が更けるまで、今と昔のお話に、このままでも夜を明かしてしまえるのにとお思いになりながら、お帰りになるのを、女(明石)も物哀れに思うことだろう。源氏ご自身のお心にも、妙なことになってしまったものだと思い知られる。
意訳
源氏は明石の御方を訪ね、紫の上と比べて悲しみを深める。出家をためらう自分の心弱さを語ると、明石は宮たちの成長を見届けるまでは落ち着いているよう諭す。
源氏は、藤壺の死の春を語り、紫の上の死の悲しみは幼い頃から育て共に老いた人への思いだと語って、夜更けに帰る。
語釈・文法注
文法
- 「しふとまる」(この世にしふとまるべきことなく)
- 執着が残る。
- 「はふらかす」(野山の末にはふらかさむに)
- さすらわせる、落ちぶれさせる。
- 「心あらば」(花の色を見ても誠に心あらばと)
- 「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」(古今集)による。
解説
明石の御方は、出家をためらう源氏に、宮たちの成長を見届けるまでは落ち着いているよう諭す。かつての競争相手であった明石が、今は源氏の良き相談相手となっている。明石の大人びた言葉には、長い人生を生き抜いてきた女性の知恵がある。
源氏は、藤壺の死と紫の上の死を比べて語る。紫の上は、幼い頃から自分が育て、共に老いた人であった。その喪失は、単なる夫婦の別れを超えた、人生の半身を失う悲しみである。源氏の言葉は、紫の上との関係の深さを改めて示している。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、830–831頁(コマ126)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日