源氏物語 第41帖 幻(4)
中将の君と紅梅
このように嘆き明かした明け方や、物思いにふけって暮らした夕暮れなどのしみじみとした折々には、あの普通の女房とは思っていなかった人々を御前近くに呼んで、このような話などをする。中将の君という女房は、まだ幼い頃から見慣れていたが、源氏がたいそう人目を忍んで見逃さなかったのだろうか、紫の上にたいそう申し訳ないことと思って、なれなれしくもしなかったが、紫の上が亡くなった後は、そういう方面ではなく、紫の上が人より格別にかわいいものと心にとめていたのにと思い出すにつけ、その形見の縁として哀れに思っている。気立てや容貌も感じがよく、うなゐ松のように紫の上の墓標ともいえる気配が、ただの人よりは気が利いていると思う。源氏は疎遠な人にはまったく会わず、上達部なども、親しい人や兄弟の宮たちなどがいつも参るが、対面することはほとんどない。人と向き合う間だけは、しっかりと心を静めて落ち着こうと思っても、月ごろぼけてしまった身の有様に、頑なな見当違いが交じって、末の世の人に持て余されたら、後の評判まで嫌なことになるだろう、ぼんやりして人にも会わないそうだと言われるのも同じことだが、やはり噂に聞いて思いやって見苦しいと思われるよりも、見苦しいことを目の前で見られるのは、この上なく愚かだと思うので、夕霧にさえ御簾を隔てて対面する。このように心が変わってしまったと人が言い伝えそうな頃だけでも、気持ちを落ち着けてからと我慢して過ごし、つらい世をも背くことができない。他の御方々のもとにまれにちらりと顔を出すにつけても、まずひどくせき止めがたい涙の雨ばかりが降りまさるので、どうしようもなく、どちらにもご無沙汰の様子で過ごす。明石の中宮は宮中に戻り、三の宮(匂宮)を寂しい源氏の慰めとして残した。匂宮は、祖母上がおっしゃったからと、対の前の紅梅を特に世話して歩き回るのを、源氏はたいそう哀れと見る。二月になると、花の木々の盛りのものも、まだのものも、梢が美しく霞みわたる中、あの形見の紅梅に鶯が華やかに鳴き出したので、源氏は立ち出て見る。植えて見た花の主人もいない宿に、知らぬ顔でやって来た鶯よと口ずさんで歩き回る。

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現代語訳
このようにばかり嘆き明かしなさった明け方や、物思いにふけって暮らしなさった夕暮れなどの、しみじみとした折々には、あの、普通の女房とはお思いにならなかった人々を御前近くに置いて、このようなお話などもなさる。中将の君といってお仕えしている者は、まだ幼い頃から見慣れていらっしゃったが、源氏がたいそう人目を忍んで見逃しなさらなかったのだろうか、中将の君は紫の上にたいそう申し訳ないことに思って、なれなれしくも申し上げなかったが、紫の上がこのようにお亡くなりになって後は、源氏はその方面ではなく、紫の上が人より格別にかわいいものと心にとめていらっしゃった者なのにとお思い出しになるにつけて、あの方の形見の縁として哀れとお思いになっている。気立てや容貌なども感じがよくて、うなゐ松のように紫の上を偲ぶよすがと思われる気配が、ただの人よりは気が利いているとお思いになる。源氏は疎遠な人にはまったくお会いにならず、上達部なども、親しい人や、また御兄弟の宮たちなどがいつも参上なさるけれど、対面なさることはほとんどない。人と向き合う間だけは、しっかりと心を静めて落ち着こうと思っても、月ごろぼけてしまっただろう身の有様で、頑なな見当違いが交じって、末の世の人に持て余されたら、後の評判までも嫌なことになるだろう、ぼんやりとして人にも会わないそうだと言われるのも同じことだが、やはり噂に聞いて思いやられることが見苦しいよりも、見苦しいことを目の前で見られるのは、この上なく程度がまさって愚かだとお思いになるので、大将の君(夕霧)などにさえ、御簾を隔てて対面なさった。
このように心が変わってしまわれたように人が言い伝えそうな頃だけでも、気持ちを落ち着けてからにしようと我慢して過ごしなさりながら、つらい世をも背くことがおできにならない。他の御方々のもとにまれにちらりと顔をお出しになるにつけては、まずたいそうせき止めがたい涙の雨ばかりが降りまさるので、たいそうどうしようもなくて、どちらにもご無沙汰の様子でお過ごしになる。后の宮(明石の中宮)は宮中にお戻りになって、三の宮(匂宮)を寂しい源氏のお慰めとして残していらっしゃった。匂宮は「祖母上がおっしゃったから」と言って、対の御前の紅梅を特に世話して歩き回っていらっしゃるのを、源氏はたいそう哀れと見申し上げなさる。二月になると、花の木々の、盛りになるものも、まだのものも、梢が美しく霞みわたっているところに、あの形見の紅梅に鶯が華やかに鳴き出したので、源氏は立ち出てご覧になる。「植えて見た花の主人もいない宿に、知らぬ顔でやって来た鶯よ」と口ずさんで、歩き回りなさる。
意訳
源氏は紫の上がかわいがった中将の君を形見と思い、人には会わず、夕霧にさえ御簾越しに対面する。
二月、匂宮は紫の上の遺言どおり紅梅の世話をし、源氏は紅梅に鳴く鶯に主のいない宿を嘆く。
語釈・文法注
文法
- 「うなゐまつ」(うなゐまつに覺えたるけはひ)
- うなゐ松。墓のしるしに植える松。亡き人を偲ぶよすがとなるもの。
- 「おぼゝる」(おぼゝれてなむ人にも見えざなる)
- ぼんやりする、正気を失う。
- 「うそぶく」(とうそぶきありかせ給ふ)
- 詩歌を低く口ずさむ。
解説
源氏は、ぼけた姿を人に見られることを恐れて、夕霧にさえ御簾越しに会う。世の評判を気にする源氏の姿は、悲しみの中でも最後まで光源氏としての体面を保とうとする姿である。
匂宮が紫の上の遺言を守って紅梅を世話する姿は、源氏の心を慰める。紅梅に鳴く鶯の歌は、主を失った宿の寂しさを詠む。季節は巡っても、紫の上はもういない。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、826–829頁(コマ124–125)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日