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源氏物語 第40帖 御法(10)

源氏の悲嘆

登場人物:夕霧・光源氏・紫の上

夕霧も忌みに籠って、少しも退出せず、朝夕源氏の近くに仕えて、心苦しくひどいご様子をもっともだと悲しく見て、何かと慰める。風が野分めいて吹く夕暮れに、夕霧は昔のことを思い出して、ほのかに見たことがあったのにと恋しく思い、また臨終の時の夢のような心地などを人知れず思い続けると、耐えがたく悲しいので、人目にはそうとも見られまいと隠して、阿弥陀仏阿弥陀仏と繰る数珠の数に紛らわして、涙の玉を消していた。昔の秋の夕べが恋しいのに、今はと見えた明け暮れの夢よ、その名残までつらいことだった。源氏は高貴な僧たちを控えさせて、定まった念仏はもちろん、法華経なども読ませる。何かにつけてたいそう哀れである。寝ても起きても涙の乾く間もなく、目も霧にふさがって明かし暮らす。昔からの我が身の有様を思い続けると、鏡に映る姿をはじめとして、人とは違った身でありながら、幼い頃から悲しいことが多く、無常の世を悟るようにと仏などが勧めてくださった身を、気強く過ごしてきて、ついに過去にも未来にも例のないと思われる悲しさを見てしまった、今はこの世に気がかりなことも残らなくなった、ひたすら仏道に向かうのに妨げもないはずなのに、このように静めようもない心の惑いでは、願う道にも入りがたいのではと気がかりなので、この悲しみを少しでも忘れさせてくださいと、阿弥陀仏を念じる。

野分めいた風の吹く夕暮れ、二条院で夕霧が数珠を繰りながら涙をこらえ、奥で源氏が僧たちの念仏の中で阿弥陀仏を念じている場面(AI生成)
野分めいた風の吹く夕暮れ、二条院で夕霧が数珠を繰りながら涙をこらえ、奥で源氏が僧たちの念仏の中で阿弥陀仏を念じている場面
  1. 1大だい大だいだい將しやう將しやうしょうののの君きみ君きみきみももも御おん御おんおん忌いみ忌いみいみににに籠こも籠こもこもりりり給たま給たまたまひひいてててあからさまあからさまあからさまにににもももまかでまかでまかで給たま給たまたまははわずずず、、、明あけ明あけあけ暮くれ暮くれくれ近ちか近ちかちかくくくさぶらひさぶらひさぶらいててて心苦こころぐる心苦こころぐるこころぐるしくしくしくいみじきいみじきいみじき御おん御おんおん氣色けしき氣色けしきけしきをををことわりことわりことわりににに悲かな悲かなかなしくしくしく見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまひひいててて萬よろづ萬よろづよろずににに慰なぐさ慰なぐさなぐさめめめ聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまふふう。。。風かぜ風かぜかぜ野の野のの分わき分わきわきだちだちだちててて吹ふ吹ふふくくく夕ゆふ夕ゆふゆう暮ぐれ暮ぐれぐれににに昔むかし昔むかしむかしののの事こと事ことことおぼしおぼしおぼしいでいでいでゝゝて、、、ほのかほのかほのかににに見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりしししものものものをををととと戀こひ戀こひこいしくしくしく覺おぼ覺おぼおぼえええ給たま給たまたまふふうににに、、、又また又またまたかぎりかぎりかぎりののの程ほど程ほどほどののの夢ゆめ夢ゆめゆめののの心こころ心こころこころちちちせせせしししなどなどなど人ひと人ひとひと知し知ししれれれずずず思おも思おもおもひひいつゞけつゞけつづけ給たま給たまたまふふうににに、、、堪た堪たたへへえがたくがたくがたく悲かな悲かなかなしけれしけれしければばば、、、人ひと人ひとひとめめめにににはははさしもさしもさしも見み見みみえええじじじとととつゝみつゝみつつみててて阿あ阿ああ彌み彌みみ陀だ陀だだ佛ぶつ佛ぶつぶつ阿あ阿ああ彌み彌みみ陀だ陀だだ佛ぶつ佛ぶつぶつとととひきひきひき給たま給たまたまふふうずゝずゝずすののの數かず數かずかずにににまぎらはしまぎらはしまぎらわしてててぞぞぞ淚なみだ淚なみだなみだののの玉たま玉たまたまはははもてもてもてけちけちけち給たま給たまたまひひいけるけるける。。。「「「いにしへいにしへいにしえののの秋あき秋あきあきののの夕ゆふべ夕ゆふべゆうべのののこひしきこひしきこいしきにににいまいまいまはははととと見み見みみえええしししあけあけあけくれくれくれののの夢ゆめ夢ゆめゆめ」」」ぞぞぞなごりなごりなごりさへさへさへうかりうかりうかりけるけるける。。。やんごとなきやんごとなきやんごとなき僧そう僧そうそうどもどもどもさぶらはさぶらはさぶらわせせせ給たま給たまたまひひいててて、、、定さだ定さださだまりまりまりたるたるたる念ねん念ねんねん佛ぶつ佛ぶつぶつをををばばばさるさるさるものものものにてにてにて法ほ法ほほ華け華けけ經きやう經きやうきょうなどなどなど誦ず誦ずずぜぜぜさせさせさせ給たま給たまたまふふう。。。かたがたかたがたかたがたいといといとあはれあはれあわれなりなりなり。。。臥ふ臥ふふしししてててももも起お起おおきききてててももも淚なみだ淚なみだなみだのののひるひるひるよよよなくなくなくきりきりきりふたがりふたがりふたがりててて明あか明あかあかししし暮くら暮くらくらししし給たま給たまたまふふう。。。いにしへいにしへいにしえよりよりより御おん御おんおん身み身みみののの有あり有ありあり樣さま樣さまさまおぼしおぼしおぼしつゞくるつゞくるつづくるににに鏡かゞみ鏡かゞみかがみににに見み見みみゆるゆるゆる影かげ影かげかげをををはじめはじめはじめててて人ひと人ひとひとにににははは異こと異ことことなりなりなりけるけるける身み身みみながらながらながらいはけなきいはけなきいわけなき程ほど程ほどほどよりよりより悲かな悲かなかなしくしくしく、、、常つね常つねつねなきなきなき世よ世よよををを思おも思おもおもひひいしるしるしるべくべくべく佛ほとけ佛ほとけほとけなどなどなどのののすゝめすゝめすすめ給たま給たまたまひひいけるけるける身み身みみををを心こころ心こころこころづよくづよくずよくすぐしすぐしすぐしててて遂つひ遂つひついににに來こ來ここしししかたかたかた行ゆ行ゆゆくくくさきさきさきもももためしためしためしあらあらあらじじじととと覺おぼ覺おぼおぼゆるゆるゆる悲かな悲かなかなしさしさしさををを見み見みみつるつるつるかなかなかな、、、今いま今いまいまはははこのこのこの世よ世よよににに後うし後うしうしろろろめたきめたきめたき事こと事ことこと殘のこ殘のこのこらららずずずなりなりなりぬぬぬ、、、ひたひたひた道みち道みちみちににに行おこな行おこなおこなひひいにににおもむきおもむきおもむきなななむむんにににさはりさはりさわり所ところ所ところところあるあるあるまじきまじきまじきををを、、、いといといとかくかくかくをさめをさめおさめむむん方かた方かたかたなきなきなき心こころ心こころこころまどひまどひまどいにてにてにてははは、、、願ねが願ねがねがははわむむん道みち道みちみちにににももも入い入いいりりりがたくがたくがたくやややとととやゝましきやゝましきややましきをををこのこのこの思おも思おもおもひひい少すこ少すこすこしししなのめなのめなのめににに忘わす忘わすわすれれれさせさせさせ給たま給たまたまへへえととと阿あ阿ああ彌み彌みみ陀だ陀だだ佛ぶつ佛ぶつぶつををを念ねん念ねんねんじじじ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまふふう。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

大将の君(夕霧)も御忌に籠りなさって、ほんの少しも退出なさらず、朝夕近くにお仕えして、心苦しくひどい源氏のご様子を、もっともだと悲しく拝見なさって、何かとお慰め申し上げなさる。風が野分めいて吹く夕暮れに、夕霧は昔のことをお思い出しになって、ほのかに拝見したことがあったのにと恋しく思われなさるうえに、また臨終の時の夢のような心地がしたことなどを、人知れず思い続けなさると、耐えがたく悲しいので、人目にはそうとも見られまいと隠して、阿弥陀仏阿弥陀仏とお繰りになる数珠の数に紛らわして、涙の玉は消していらっしゃった。「昔の秋の夕べ(野分の日)が恋しいのに、今はの際に見えた明け暮れの夢よ」、その名残までもつらいことであった。源氏は高貴な僧たちを控えさせなさって、定まった念仏はもちろんのこと、法華経なども読誦させなさる。何かにつけて、たいそう哀れである。寝ても起きても、涙の乾く間もなく、目も霧にふさがって、明かし暮らしていらっしゃる。昔からのご自身の有様をお思い続けになると、鏡に映る姿をはじめとして、人とは違った身でありながら、幼い頃から悲しいことが多く、無常の世を悟るようにと、仏などがお勧めになった身を、気強く過ごしてきて、ついに過去にも未来にも例があるまいと思われる悲しさを見てしまったことよ、今はこの世に気がかりなことも残らなくなった、ひたすら仏道に向かうのに妨げになることもないはずなのに、このように静めようもない心の惑いでは、願う道にも入りがたいのではないかと気がかりなので、この悲しみを少しでも人並みに忘れさせてくださいと、阿弥陀仏を念じ申し上げなさる。

意訳

夕霧は野分の日の紫の上を思い出し、数珠に紛らわせて涙を隠す。源氏は涙に暮れ、悲しみを少しでも忘れさせてほしいと阿弥陀仏に祈る。

語釈・文法注

文法

「野分だつ」(風野分だちて吹く夕暮に)
野分(台風)めく。野分の巻で夕霧が紫の上をかいま見た日を連想させる。
「もてけつ」(淚の玉はもてけち給ひける)
消す、紛らわす。
「やゝまし」(願はむ道にも入りがたくやとやゝましき)
気がかりだ、心配だ。

解説

夕霧は、野分の日に紫の上をかいま見た記憶を胸に、人知れず涙を流す。数珠の数に涙を紛らわす姿は、秘めた思いの深さを伝えている。

源氏は、自分の人生を振り返り、人よりすぐれた身でありながら悲しいことの多い生涯だったと思う。紫の上の死は、源氏の人生最大の悲しみである。出家の妨げはなくなったが、悲しみのあまり仏道にも入れないという源氏の苦しみが描かれている。

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出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、820–823頁(コマ121–122)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日